98.随想

2019年5月 5日 (日)

昭和から平成、平成から令和へ

令和元年はお祭り騒ぎとまではいかずとも、
新たな時代を迎え、祝賀ムードの中で始まりました。

ゴールデンウィークも未曾有の10連休。
もちろん、すべての人が休んでいるわけではありません。
それでは世の中回りませんから。
まぁそれは、どの日曜・祝日も同じですが。
その大型連休もまもなく終わり。


ところで昭和から平成への時はどうだったか
西暦でいえば1989年1月

日本の歴史上、バブル経済の崩壊とされるのが1990年ですから、
1989年はバブル時代の絶頂期。
まさに世の中浮かれかえっていた時代だった・・・のように思えます。

しかし、実際はそうではなかった。
前年、1988年秋に昭和天皇の病状悪化が伝えられ、
日本は自粛ムードに包まれていました。

この自粛傾向はかなり極端で徹底したものだったと思います。
しかし、その記憶も薄れて・・・というより、まったく忘れ去っていました。
80年代末=バブル景気の絶頂期という大雑把な歴史認識だけになっていました。
今回の改元で改めて思い出した次第です。

現上皇の退位は、ひとつにはあの時のような自粛傾向による
社会の停滞を避けようとの、陛下の判断もあったとも聞きます。
上皇・上皇后陛下のお考え・言動は本当に良識的です。


Old Fashioned Club  月野景史

2014年2月 8日 (土)

雪の日に思う 30年前 大雪の当たり年 1984年 「五九豪雪」(昭和59年)

2014年2月8日(土)、
関東地方は「20年に1度」とか、「16年ぶり」とかの大雪に見舞われました。

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しかし、16年ぶり…といわれても、1998年ということになるでしょうか?
この年の事は、ちょっと憶えていません。
時の経過と共に(あるいは年齢のせいか)記憶も曖昧になります。

ですが、ハッキリと憶えている年があります。
今からちょうど30年前の1984年(昭和59年)、この年はまさに大雪の当たり年でした。
東京にも、再三激しい雪が降りました。

なぜ、この年だけは明確に憶えているのか。
私にとって人生一度の大事と重なったからです。
この時期に迎える大事とは・・・そう、大学受験の年だったのです。
といっても、私はニ浪していて、この年は三度目の大学受験の年でしたので、
“人生一度”は語弊があるのですが、もう絶対に後がない、という大事ではありました。

しかし、私にとってはそういう年だったので、強い印象が残っていますが、
客観的に見て、この年の大雪は本当に凄かったのか?

間違いないようです。
この1983年(昭和58年)から1984年(昭和59年)にかけての冬の雪は、
五九豪雪」「昭和59年豪雪」などと呼ばれ、Wikipediaにも項目ができています。
関東首都圏のみならず、日本列島を全国的に襲った豪雪の年だっようです。


私は大学をたしか五校受験しましたが、そのうちのニ校は雪で試験の開始時刻が遅れました。
5分2ですので、首都圏としてはかなりの高確率です。
受験日直撃では、さぞや大変だったと思われるでしょうが、実は意外とそうでもなかったです。

この年は、東京も1月から複数回の大雪に見舞われました。
たしか最初の時は、交通機関も乱れ、大変だったと思います。

ただ、人間は短期間でも学習するものです。
私立大学の受験本番を迎えた2月中旬頃には、みんなすっかり慣れていて、
試験会場でも特に混乱した記憶はないです。

さて私の受験シーズンも終盤を迎え、二日連続で試験がありました。
その初日の昼頃から降り始め、大雪の中を「またかよ!」と思いながら帰宅。
雪は夜が更けても降り続きます。

翌二日日は高望みの目標校の試験でしたが、朝早めに降りやんで一面の銀世界。
大事を取って試験開始は遅らされましたが混乱はありませんでした。

しかし、試験は難しくてギブアップ状態。
実はその翌日が、最初に受験した「ここだけはなんとか入りたい」という、
本当の意味の本命校の発表だったので、
窓の外の銀世界を眺めながら、「うかってればいいなぁ!」と、
翌日の発表に思いをはせていました。

結果、その本命校も、まさかの高望み校も両方合格だったので、
私にとっては大雪も悪いイメージはありません。
もちろん、被害が出るような豪雪は困りますが。


4月になっても桜の咲かない長い冬
大雪の連続だったこの年は春の訪れも遅かったです。
4月1日の時点でまだ桜も咲いてなかったと記憶しています。
さすがにまったく芽吹いてもいないということもなかったのかも知れませんが、
いわゆる“満開の桜”という状況ではまったくなかったように憶えています。


Old Fashioned Club  月野景史

2012年6月 9日 (土)

高橋克也容疑者逃亡/1995年3月20日-あれから17年

昨日の都内の駅はどこも警官が多かったです。
地下鉄サリン事件などで特別手配されている高橋克也容疑者が逃亡した為でしょう。
http://mainichi.jp/select/news/20120609k0000e040204000c.html

今更高橋容疑者が逮捕されても、何がわかり、何が変わるとも思い難いですが、
しかし、最後のオウム真理教逃亡犯、特にまだ逃亡の意志も強いようだし、
ここはなんとしても検挙して、ひとつの決着をつけてほしいものです。


あの忌わしい地下鉄サリン事件が起こった1995年3月20日(月)。

その年の1月15日まで、
私は地下鉄日比谷線小伝馬町駅からほど近い会社に勤務していました。
当時の住まいは東急東横線沿線。
東横線は中目黒から日比谷線に直通で乗り入れていますので、
事件の現場となった恵比寿、六本木から霞ヶ関、日比谷といった駅を通過して、
出勤していたのです。

その会社の始業時間は9時か9時15分でした。
仮に私が退職せず、3月20日も小伝馬町に出勤しようしたとしても、
おそらく日比谷線に入る前、東横線内で電車が止まり、
事件に直接巻き込まれることはなかったでしょう。

しかし、これはわかりません。
仕事の状況によっては、30分、1時間早く出勤することもなくはなかったですから。

現実の3月20日、私は既に次の勤め先に移っていましたが、この日は振替休暇で、
大学のサークルの後輩達のイベントにOBとして参加していました。


オウム真理教の事件はとにかく異常でした。
この集団は当時、とにかく目立つ行動をしていました。
あれだけメディアに顔を晒し、徹底的に注目を集めておいて、
一方であのようなテロ事件を起こすとは、
そして、それを当局がしっかり関知できていないとは、
どうにも納得できず、半信半疑だったの憶えています。

あれから17年…。

2012年4月14日 (土)

桜散る

咲き誇った桜も

Sakura2012_001_2 


必ず散ります。

Sakura2012_002


既にだいぶ散っていたところに今日の雨ですから、
関東近辺では桜の季節も終わりでしょう。

「桜散る」
願いがかなわなかった時、
特に季節柄、入学試験の不合格の際のたとえに使われる言い回しです。

もともと、「サクラサク」というのが合格電報の慣用句ですね。
それとの対比で使われる面もあるのでしょう。

しかし、桜は咲いたら必ず散るものです。
入試に落ちたことをたとえるなら、
「桜散る」ではなく、「桜咲かず」の方が相応しいように思います。

まぁ、うれしくないたとえですから、
どちらが相応しいと、突き詰めることもないでしょうけど。

桜が咲き、散るイメージのあるフィクションというと、
漫画の『めぞん一刻』(高橋留美子)を思い起こします。

基本的に現実世界と同様に時が流れ、
登場人物も年齢を経ていく作品なので、
節目に桜が効果的に使われていました。

2012年4月 7日 (土)

花粉症と浅野ゆう子さん/「花粉症」の歴史を辿る

花粉症の季節もそろそろ終わりですかね。

私の花粉症歴も長いのですが、今年は楽でした。
というより、ここ数年は一時期より軽くなったように思います。

ところで、浅野ゆう子さんの昨日4月6日付のブログによると、
彼女は18歳の頃から花粉症に悩まされているそうです。
http://www.yuko-asano.com/cgi-local/yukoblog/index.cgi?date=20120406


☆☆☆
私の花粉症歴は長いです。
思い起こせばあれは18歳の春・・・
渋谷東横のれん街にてくしゃみ連続36回!
あれが花粉症の始まりでした・・・。
まだ花粉症という呼び方がメジャーになっていない時代だったと思います。
★★★


浅野さんは1960年生まれなので、18歳というと1978年頃。
たしかに「花粉症」という言葉はまだ一般的でなかったかも知れません。
1980年代前半の内にはよく知られるようになりましたが。


花粉症の歴史について、もう少し詳しい資料はないかと見てみると、
Wikipediaに少し載っていました。

それによると、関東地方で1976年にスギ花粉の大飛散があり、
1979年、1982年にもの大量飛散と患者の大量発症があったとのこと。

浅野さんは1960年7月の生まれなので、
ブログにある「18歳の春」とはこの1979年のことなのかも知れません。



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『サマーチャンピオン』(1979.4.5発売)
まさにその18歳の春、1979年4月発売のシングル。
カネボウ化粧品'79夏キャンペーンCM曲。大人っぽい。






浅野さんは後にトレンディドラマの女王として、
ファッションリーダーだったこともありますが、
やはり若い頃から流行には敏感だったのかも。


「花粉症」という言葉はどうでしょう。
Wikipediaによると『必殺仕事人III』第30話(1983年5月6日放送)に
「スギの花粉症に苦しんだのは主水」というサブタイトルが付けられており、
この時点では既に一般に流布していたことがうかがえるようです。

私はプロ野球の田淵幸一選手(現東北楽天イーグルスコーチ)が現役最晩年、
春先のキャンプ~オープン戦の時期に花粉症で調子が悪いという記事を
読んだ記憶があります。

屈強な野球選手、まして大柄の田淵さんが花粉症で悩んでいる、
というのが何かおかしくて、記憶に残っています。
田淵さんの現役最終年は1984年なので、たいたい一致します。


私の発症は1986年だったと思います。
元々鼻炎持ちで、風邪も必ずくしゃみ・鼻みずから入り、残る方でしたが、
それとは少し違う鼻の痒みを感じるようになって、
ああ、これが花粉症か…、という感じでした。

1990年後半頃は症状が本当に酷くて、夜も眠れず仕事にも支障をきたす程、
藁にもすがる思いでステロイド注射に頼りました。
これはよく効いて、眼の前の霧が晴れるように感じました。


浅野さんも今年はたいぶ楽のようですが、
私も近年は症状が緩やかで、市販の薬でやり過ごしています。
なぜ和らいだのかよくわかりませんが、まぁ悪いことではないので、甘受しています。

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