62.情報 雑学

2019年3月27日 (水)

「スーパーカップ 大盛りいか焼そば」が生産終了/平成と共に生まれ、去る

エースコックの「スーパーカップ 大盛りいか焼そば」の販売が
3月末の生産分をもって終了するとのことてす。
https://mainichi.jp/articles/20190327/k00/00m/040/174000c


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私にとって思い入れの強い商品なので残念に感じています。
といっても今、他のカップ焼きそば、例えば「ペヤングソースやきそば」などと食べ比べて、
特に美味しい、絶対これだ! と思っているわけでもありません。

ニュースによるとエースコックは1981年から発売していた「いか焼きそば」を、
1988年に「大盛りいか焼そば」としてリニューアル発売のしたとのこと。

1988年・・・私はこの年から一人ぐらしを始めたので、
ボリュームがあって安いこの商品をよく買ったものでした。
つまりこの商品への思い入れは、このような自分の思い出によるものです。
翌年には昭和が終わり、平成が始まるというような時期でした。
そういう意味ではほぼ平成と共に生まれ、また平成と共に消えるということになります

「大盛り」と名乗るように量は多い。
発売当時ではおそらく断然のボリュームだったのではないかと思います。
普通のカップラーメンの分野でも、スーパーカップシリーズのボリュームは魅力的でした。

今はペヤングも超大盛、
日清焼そばU.F.O.も大盛、
他にも量の多いカップ焼きそばはあります。

「大盛りいか焼そば」は最近も復刻版を出すなど、
まだまだ人気商品だと思っていたのですが、
シビアな見方をすれば、色々仕掛けてはみたけれども、
ライバルとの競争に負けたということなのでしょう。

平成の終わりに、ちょっと残念な、でも仕方ないかな・・・
といった感想を抱いたニュースでした。

Old Fashioned Club  月野景史

以下、毎日新聞のサイトより引用
https://mainichi.jp/articles/20190327/k00/00m/040/174000c
☆☆☆
2019年3月27日 14時59分(最終更新 3月27日 15時23分)
エースコック(大阪府吹田市)は1988年から発売してきたカップ焼きそば「スーパーカップ 大盛りいか焼そば」(税抜き200円)の販売を、3月末の生産分で終了すると発表した。同社は毎日新聞の取材に対し、「人件費や物流費、原材料費の高騰など昨今の市場環境の変化を受け、誠に勝手ながら販売を終了することになりました。長期間にわたり、ご愛顧いただきまして誠にありがとうございました」とコメントした。

エースコックは81年2月、カップ焼そばで初めて具材に「いか」を採用した商品を発売。88年2月に「カップ麺でおなかいっぱいになりたい」という若年層のニーズに応えるため増量した「大盛りいか焼そば」にリニューアルした。その後、大盛りのカップ麺「スーパーカップ」シリーズの一つに加えた。90年代にSMAPを起用したCMも話題となり、ロングセラー商品となった。

エースコックは一昨年、新ブランドのカップ焼きそば「モッチッチ」を発売。今月11日にはスーパーカップシリーズの焼きそば新商品「太麺濃い旨スパイシー焼そば」を発売しており、両商品は今後も販売を継続する。【大村健一/統合デジタル取材センター】
★★★

 

2018年1月12日 (金)

【パンダ】上野のシャンシャンは可愛いが、和高山にはパンダがいっぱい/双子の子パンダ桜浜・桃浜も

上野動物園(東京都台東区)で生まれたジャイアントパンダの雌の赤ちゃん
「シャンシャン(香香)」の公開が昨年12月19日から始まりました。
観覧は事前申し込みの抽選制、高倍率でプラチナチケット化し、話題を呼びました。
2月1日からは時間も拡大し、当日受付制にするとのこと。
https://mainichi.jp/articles/20180113/k00/00m/040/085000c
徹夜組も出るのではと予測されています。

1972年のカンカン・ランランの来日以来、上野のパンダフィーバーは変わりません。
しかし、今回の場合はさすがにそこまで騒ぐかなとは思いました。

なぜなら、日本で赤ちゃんパンダのが生まれるのが今はそれほど珍しくもないからです。

全国的にはさほど大きな話題にはならなかったかも知れませんが、
和歌山県西牟婁郡白浜町の遊園地アドベンチャーワールドで飼育されている永明と良浜の間には、
2008年に双子の雄・永浜と雌・梅浜、2010年にも双子の雄・海浜、雌・陽浜、
2012年に雌・優浜、2014年に雌の双子・桜浜・桃浜、
2016年には雌・結浜が生まれています。

2014年12月に生まれたメスの双子の桜浜(おうひん)・桃浜(とうひん)は
赤ちゃんパンダの頃の映像が残っています。
上手に編集されている動画があるので紹介します。





「6か月の時」とあるので、2015年の5~6月頃でしょうか。

元気なわんぱくぶりがなんとも愛くるしいですが、
アドベンチャ―ワールドではこの前に何頭も兄や姉たちを飼育しているので、
飼育員のお姉さん達もなんとも手慣れた感じです。
ここでは赤ちゃんパンダも馴染みの存在なのでしょう。

まとはいっても、東日本在住だとそう簡単に和歌山には行けないので、
上野の赤ちゃんパンダで大騒ぎするのもわかりますが。



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最近の桜浜・桃浜。
当然ながら今はだいぶ大きくなっており、2歳下には更に妹の結浜もいます。


アドベンチャーワールドのパンダの家系図です。
Wpanda_family


壮観ですね。
中国からのレンタルなので、上の兄弟たちは中国に帰っています。
日本生まれだから、帰国というのも変かも知れませんが。



和歌山では現在、下のように両親の永明と良浜、双子の桜浜・桃浜、そして結浜の三姉妹が暮らしています。


W_panda_family

和歌山アドベンチャーワールドHP パンダのページ
http://www.aws-s.com/animals/panda/


Old Fashioned Club  月野景史

2016年11月24日 (木)

【恐竜】“雷竜”ブロントサウルスはなぜ消えた?/20世紀の人気恐竜をめぐる様々な奇譚

追記:このブログは有名な恐竜「ブロントサウルス」は現在は学術上存在しないという趣旨で書いたものです。
ところが、この後でブロントサウルスは“復活”を果たしたようで、Wikipediaにも項目ができています。
しかし、ある時期消えていたという事も恐竜研究史の一端ですので、このブログは残しておきます。
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子どもの頃、恐竜図鑑を夢中になって読みました。
今でも博物館での恐竜展は長蛇の列が出来るほど、恐竜は老若男女に人気があります。

その中でも人気・知名度トップ3を挙げるなら、昔ならば、
肉食恐竜の王、ティラノサウルス
背中に並ぶ“剣”(というより板か?)が特徴的なステゴサウルス
そして大型の “雷竜” ブロントサウルスでしょう。

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ブロントサウルス (Brontosaurus) は象のようにどっしりしたボディと脚、
そして長い首を特徴とする竜盤目 竜脚形亜目 竜脚下目科、
通称“雷竜”(カミナリリュウ ライリュウ)を代表とする恐竜として知られていました。

そもそもブロントサウルスとは「雷の恐竜(トカゲ)」の意で、種目を象徴する恐竜だったのです。
同じ竜脚下目の仲間ではブラキオサウルス、ディプロドクスといったところが有名だったかと思います。

そういえば、昔は「サウルス」ではなく「ザウルス」、ブロントザウルスと表記されていました。
以前は竜脚下目は半水中生活を送っていたと考えられ、
上のような古いイラストでは沼地・湖を背景に、半身を水に浸して描かれる事が多かったです。
現在では半水中生活は否定されています。


消えたブロントサウルス
さて、今の恐竜図鑑には何故かブロントサウルスの名はありません。
ネットで「ブロントサウルス」と検索すると、Wikipediaの「アパトサウルス」の項目がトップにきます。
これはどういうことなのか?

実はこの問題、少し細かく知ろうとすると、結構ややこしいのです。
まず大雑把に事情を説明してから、その後でそのややこしい、奇譚ともいえる事を記します。


ブロントザウルスが消えた理由 超概略

19世紀は恐竜新発見の時代でした。
ブロントサウルスの骨の化石は19世紀末にアメリカで発見され、
この名が付けられて、前述のように大変有名な恐竜になりました。

ところが、後の研究によりブロントサウルスは先に発見されていた「アパトサウルス」と
同一種である事が判明したのです。
この場合、先に発表された名称が優先されます。

こうして、ブロントサウルスの名は消滅し、アパトサウルスが残ることになりました。
元々アパトサウルスの名はあまり知られていなかったこともあり、
子どもの頃から慣れ親しんだ恐竜が消えたみたいで残念にも感じますが、
この事情を聞けば仕方ないとも思います。

時系列というと、アパトの発表が1877年、ブロントの発表が1879年との記事がありますが、
ネット上では同一年との記載もあり、はっきりしません。

さて、概要としてはここまで書いた通りなのですが、この件にはいくつかややこしい付帯事情があります。
それらを記します。


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このイラストも古いものだと思いますが、やはり水辺で描かれています。
半水中生活は否定されても、飲み水は必要だから水辺にもいたでしょうが。


アパトとブロント 同じ人間が発見
前述の事情を聞けば、アパトサウルスとブロントサウルスの発見者は別の人物だと思うでしょう。普通は。
実は同一人物なのです。アメリカの古生物学者オスニエル・チャールズ・マーシュ。
しかも、前述のように極めて近い時期の発見・発表だったようです。

つまり同じ人物が、かなり近い時期に同じ恐竜の化石を発見し、
別の恐竜と勘違いして発表してしまったというのです。
研究環境も充分整っていなかった時代の事とはいえ、随分拙速に感じます。

この背景には、当時の恐竜発見競争の激化があるようです。
特にマーシュと、同じアメリカの古生物学者エドワード・ドリンカー・コープとの間で
行われた競争は化石戦争(Bone Wars)とまで呼ばれていました。
競争が激化すれば、功をあせってミスが生じる。解り易い話ではあります。


同一との判明は19世紀初頭
ブロントサウルスの名称は1970年代~80年代くらいは流布していたのだから、
アパトサウルスと同一だと判明したのはそれ以降、比較的最近である・・・と思いますよね。普通は。

ところが、実は1903年にシカゴのフィールド自然史博物館長エルマー・S・リグスが再検証により、
先に発見されていたアパトサウルスが、ブロントサウルスの若い個体であると発表していたのです。
この段階で、学名は Apatosaurus (アパトサウルス)に統一されました。
しかし、この事実はあまり知られず、ほぼ20世紀を通じてブロントサウルスの名が有名になってしまったのです。


頭部は別の恐竜
まだややこしい話があります。
そもそもブロントサウルスとして発見された恐竜の化石骨格は、
アパトサウルスの胴体にカマラサウルスの頭骨が載る等、
複数種の化石の混同によって復元されていた事が判明しています。
この判明がいつ頃なのか、よくわかりません。
この件はいずれ追記したいと思います。


2015年に流れたニュース
ブロントサウルスはいた!?

ところが昨年、2015年4月に、再検証の結果、アパトとブロントはやはり別種だったとする説が公表されました。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1504/08/news093.html

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以上が最初に書いたブログです。
最後に2015年に流れた別種説について触れていますが、
こういう新説のニュースはあるもので、まさかこれで定説が覆るとは思っていませんでした。
まったく、恐竜研究は一筋縄ではいきません。


Old Fashioned Club  月野景史

2015年7月21日 (火)

【植物】世界最大の花ショクダイオオコンニャク(神代植物公園)開花の意外な事情

約3年半前の2011年暮れ、世界最大の花「ショクダイオオコンニャク(スマトラオオコンニャク)」と、
もうひとつの世界一大きい花「ラフレシア」について書いた、このブログのアクセスが急伸しました。
http://oldfashioned.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-69f2.html

調べてみると、東京調布の神代植物公園のショクダイオオコンニャクが咲き始めたようで、
ニュースで報道されたことが要因のようです。
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00298042.html


Photo

20150721_2
写真は公園公式サイトより



ところが、今回の開花、ちょっとややこしい事情があるのです。

ショクダイオオコンニャクは数年に一度、開花します。
この花が日本で大きな話題になったのが2010年7月、小石川植物園で開花した時です。
その大きさと、強烈な臭いを放つことで、随分注目を集めました。

その翌年2011年12月、今度は今回と同じ神代植物公園でも開花しました。
この時も報道されましたが、一部欠損があったこともあり、前年ほどの話題にはならなかったと思います。
私がブログを書いたのはこの時です。

では、今回はその時以来3年半ぶりで、神代植物公園の花が開花するのかというと、
どうもそうではなさそうなのです。
同公園の公式サイトによると、今回開花するショクダイオオコンニャクは、小石川植物園の花だそうです。
現在、小石川植物園は施設が改装中で、栽培・開花実績のある神代で預かっているいうことなのです。
そうなると小石川の前回の開花は2010年7月だったので、ピッタリ5年ぶりということになります。
結構律儀ですね(笑)


しかしそれならば、2011年12月に開花した、元々神代にあるオオコンニャクは今どうなっているのか?

2011
2012年に開花した神代植物公園のショクダイオオコンニャク

公式サイトの今回の開花について書いた記事をチェックすると、
「過去に栽培実績のある」という文言が気になります。
明記はされてませんが、今はもうないのでは? と感じさせます。

以下、問題の記事を神代植物公園公式HPより引用しておきます。
☆☆☆
◆今回の展示について
開花が確実となった小石川植物園のショクダイオオコンニャクについて、「現在は公開温室改築工事準備のため温室周辺が使用できない状態であり、その他の工事も進行中で安全な展示体制が整わないため、より良い条件のもとで公開展示したい」というご相談を受けました。
多くのみなさまにショクダイオオコンニャクの開花を楽しんでいただきたいという思いから、過去に栽培・開花実績のある神代植物公園でお預かりし、展示させていただくこととなりました。

◆展示植物について
ショクダイオオコンニャクは、インドネシア・スマトラ島原産のサトイモ科コンニャク属の植物です。別名をスマトラオオコンニャクともいい、世界最大級の花を咲かせる植物として知られ、大きいものでは高さ3メートルを超えます。
その名のとおり燭(しょく)台(だい)のような花を数年に一度開花させるといわれており、その花は開花してから数日しか持ちません。花は肉が腐ったような強烈な悪臭を放つことから死体花、またその大きさからお化け花と呼ばれることがあります。
国内での開花は非常にまれで、当園のほか、小石川植物園、フラワーパークかごしま、はままつフラワーパーク、筑波実験植物園など10例程度しかありません。この機会にぜひご覧ください。
http://www.tokyo-park.or.jp/event/2015/07/post-543.html
★★★

それにしても「数年に一度しか開花しない、世界最大の花」
普通に植物園で栽培されているのだから、ネッシーやUFOのような謎・ミステリーとは違いますが、
どこか不思議で怪し気で、そそられる話題です。

Old Fashioned Club  月野景史

2013年5月10日 (金)

全長1m超のオオサンショウウオ捕獲/ネッシーI? どう見ても10m級の怪物だ!

MSN産経ニュースのサイトより引用です。(画像も)
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/topics/west_affairs-16470-t1.htm

奈良県で昨年夏、体長113cmのオオサンショウウオが捕獲され、
橿原市の昆虫館に一時保護されているというニュースですが、
まぁ写真を見てください。

Sansiou_2

113cmということは、1メートル13センチでしょうけど、
単純に一緒に写っている子ども達と比較しても、頭部だけで2~3メートルくらい、
全体だったら10メートル級の怪物・怪獣に見えませんか?

ガラス越しなので、そのマジックなのでしょうか?
それにしても凄い迫力。
もしネス湖の怪物ネッシーが捕獲されたら、こんな感じでしょうか。


以下、ニュース記事より引用です。
☆☆☆
うわっ、でか~!全長1m超のオオサンショウウオ捕獲 奈良・橿原市昆虫館が生態調査へ
5.10 10:39 [westピックアップ]
奈良県御所(ごぜ)市の用水路で昨年夏に偶然見つかった国の特別天然記念物・オオサンショウウオを一時保護している奈良県橿原市の市昆虫館が、生息地を特定するため今夏、初めて捜索区域を近接する吉野川水系に拡大する。近畿の繁殖地は三重県や兵庫県などに限られるとされ、奈良県南部で確認された公式の記録はない。文化庁は「西日本の“生きた化石”の生息地図が塗り替えられる可能性もある」と捜索結果に期待している。
★★★


Old Fashioned Club  月野景史

2013年1月17日 (木)

【引用・紹介】「mixi衰退の最大のミスは足跡機能廃止~」ガジェット通信より

mixiはまもなく足あと機能を試験的に復活させるようですが、
夕刊ガジェット通信に、以下のような記事が掲載されています。
「mixi衰退の最大のミスは足跡機能廃止にあったという、いまさら解析いかがですか?」
http://get.nifty.com/cs/catalog/get_topics/catalog_283402_1.htm

永江一石氏のブログ『More Access,More Fun! 永江一石のITマーケティング日記』からの寄稿とのこと。

私もキャリアは長くないですが、mixiユーザーです。
まさに今更ながらですが、私も同じように考えていましたし、
私には説明しきれなかったことを、他のネットサービスとの比較も絡めて書いてくれています。
興味深いので、以下に抜粋引用させていただきます。


まず記事では「栄えるWEBサービスに必要な要素」はなにかと提起し、
それは「依存度を高める」ことだとしています。
それについてFacebookを例に上げて説明してくれています。

「Facebookも依存度を上げるために必死だ。「やれ、あんたの友人はこんなことしてるぞ、お前はいいのか」とか「あんたがウオッチしている誰々がこんなこといってるぞ」と次々ご注進してくる。自分もかなり依存している。仕事のメッセージもFacebook経由で来るし、来たら警告音が鳴る。内容見るまで鳴り続けている。うるさいぞ、Facebook。しかし依存させられているから1日ずっとタブは開きっぱなしだ。」

それに対して、「依存度を敢えて下げてしまった」故に、負け組になってしまったWEBサービスがある。
それがmixiである、ということです。
以下が衰退の原因についての解析です。

「いまさらですが、mixi衰退の理由については諸説ある。しかし「依存度」についてのみ考えれば、2011年6月の「足跡機能停止」が決定的なミスだったと断言できる。
ユーザーの口から出る足跡機能停止反対の最大理由は、「誰がアクセスしているか分からないのは不安」というものが多い。しかし毎日のように足跡をチェックしていた自分の意識の根底にあったのは実は
○自分が書いた日記は人気だったのか,何人が読んでくれたのか
○誰々に自分の日記を読ませることができたか(特にあまり仲良くない友人に)
○誰々は自分のことを気にしているかどうか
のような、他人の意識動向チェックであった。だから毎日せっせと日記を書き、足跡をチェックしたのである。誰が見たかもわからない日記をせっせと毎日書くヤツなんているか?! サイトのアクセスを気にしないで毎日更新するヤツがいないのと同じである。だから誰も日記を書かなくなった。」


その通りでしょうね。
私などははまだ比較的日記を書く方だと思います。
なぜなら、ブログを書いて、mixi日記に転載しているからです。
ブログはアクセス数がわかります。
これも最初は、mixiとブログの主従関係が逆だったのですけどね。

ところで、mixiは足あと機能の代わりに「イイネ!」をつけたといっていたかと思います。
この点についても、Facebookとの比較で切り捨てています。

「「いいね」を付けてくるのはポジティブな反応だけであって、大半はなにも行動を示さない。Facebookページは1投稿について何人が見たかが分かるが、5000人が見た(タイムラインに流れた)っていいねを押すのは数人~数十人程度だ。つまり「読んでもなにも行動を起こさない」人の方が絶対的多数で、「いいね」押してくる決まった顔ぶれの情報なんて知っても仕方ないのです。」

さて、このような結果は私のようなmixi歴の浅い人間でも容易に予想できました。
なのになぜ、mixiは足あと機能廃止に踏み切ったのか?

「これは本当に謎です。サーバ負荷軽減といってもいまならクラウドに移行すればいいし、そもそも大規模に落ちたのは1回だけで、それほど落ちた記憶はない。出会い業者が足跡使っていろいろな悪さをしたからとも言われているが、だったらそっちをたたき出せば良かった。後期には変な嫌がらせ足跡もたくさん来て辟易したが、通報が溜まれば自動でアカウント停止するとか、いくらでもやり方があった。そうしたことをせずに最大の依存度の要素を断ち切ってしまったのは、笠原君の最大のミスではないかと思います。」

記事はこの後、足あと機能をテスト的に復活するmixiの今後にも悲観的な見解を記しています。
そのあたりは引用元を参照ください。
私自身は今回の復活の概要もちゃんと把握していませんが、とりあえずは様子見したいと思っています。


Old Fashioned Club  月野景史

2012年12月28日 (金)

正月休みは7分の1の大型連休 2012-2013

明日、12月29日から年末年始のお休みという人が多いでしょうね。

基本的に土日祝日がお休みの仕事の場合の話ですが。
今年から来年にかけての正月休みは大型連休になる職場が多いでしょう。

新年の仕事始めは1月4日か5日から、という企業が一般的かと思います。
5日スタートの場合、その日が土曜日のため休日、当然6日も休みで、
7日仕事始めとなる場合となります。
年が明けてからが長いですね。

また、本来は4日スタートだけど、この日程なら今年は7日からにするというところもあるでしょう。


一方、年内は切りがよく28日が週末金曜日、元々28日までの職場が多いでしょうし、
本来29日までのところも、今回は28日まででしょう。

そうなると、12月29日(土)-1月6日(日)の9連休となるのです。


これはカレンダーの組み合わせによるものなので、7分の1の可能性ということになります。

あまり記憶がないので、随分久しぶりかと思ったのですが、
調べてみると、2008年(平成20年)が同じ組合せです。
5年ぶり…、割と最近もあったのですね。

その前は2002年です。
21世紀になってから3度目ということになります。

結局、休み前は超大型連休に思えるけど、過ぎてしまえばあっという間、
だから、あまり記憶にも残っていないのでしょう。


Old Fashioned Club   月野景史

2012年11月21日 (水)

喪中はがきが届いたらどうします? 年賀状か寒中見舞か、何もしないか

喪中はがき(年賀欠礼の挨拶)がちらほら届く時期となりました。

一昔前は友人・知人・同僚・取引先の人の親御さんが亡くなると、
通夜・告別式に出向くことが多かったですが、
この10年ほどでしょうか、葬儀を本当の身内だけで済ます傾向が進んだようで、
喪中はがきを受け取って初めて、不幸を知ることが増えたように思います。

さて、その喪中はがきについてです。
喪中はがきが届いた場合、こちらからも年賀状は送らないもの。
それが当たり前だと思っていました。

しかし、そうではないとの説がネットにありました。
以下、サイト「発言小町」から引用させてもらいます。

☆☆☆
喪中はがきというのは、「喪中だから年賀状を送ってこないでください」という意味で出すと
思っている人が多いように思います。が、それは間違いです。

喪中はがきとは、
「本来であれば、あなたに新年のお祝いを申し上げるところですが、
 当方喪中につき、お祝いを申し上げられません。失礼をお許しください」
という意味で出すもの。あくまで出す側の意志を伝えるはがきなのです。

ですから、喪中の人に年賀状を出すのはまったく問題ありません。

http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2011/1126/463758.htm
★★★

なるほど!
これは知らなかった、驚いた、勉強になりました。
では、喪中葉書をいただいても、こちらから年賀状を出していいのか!
…と思ったのですが、
やはりもう少し確認せねばと、この説の真偽をネットで調べてみましたが、
これは必ずしも断定はできなさそうです。

今は便利な時代で、こういう難問もネットで調べれば、
「本来はこうだ。」
「今は一般的にこうなっている。」
といった状況がだいたい判るものです。
しかし、この件はハッキリしたアンサーがどうもよくみえてきません。


改めて、発言小町から引用した説についてですが、冷静に考えると二つ問題があります。


①本来の意と一般の理解

仮にこの説が、本来の喪中はがきのあり方としては正しかったとしましょう。
だとして、世の中には私と同じように認識している人も多いように思います。
そして、送り主自身も「年賀状を送らないでください」という挨拶の気持ちで、
喪中はがきを送っている場合も多いと思うのです。

それなのに、「なんだ、送ってもいいのか」と送ってしまったら、非礼・非常識な人間と思われ、
余計な軋轢を生んでしまう可能性もあるかと思います。
そして、そのような誤解が生じてしまったとして、それを解くのもまた難しそうです。
年賀状を受け取った方も、非礼だと思っても、あえて指摘まではしない事も多そうですし。

本来はどうであれ、一般にどう認識されているかはまた別。
引用文にある「まったく問題ありません」では済まされません。

さてこの点は、本来はどうで、一般にどう認識されているか、ということなのですが、
もっと根本的な疑問もあります。


②「不幸がありました」と言ってきた相手に「おめでとう」と返すか?
年賀状にはほぼ例外なく、
「あけましておめでとうございます。」
「謹んで新年のお祝いを申し上げます。」
といったお祝いの言葉が入りますね…というか、それがメインですよね。
それが“年賀状”というものでしょう。

しかし、「私は喪中なので(=身内が亡くなったので)、お祝いの挨拶が出来ません。」
と宣言してきた相手に対して、「おめでとうございます」とお祝いの言葉を送るのが、問題ないことなのでしょうか?
どうもしっくりきません。


寒中見舞
ネット上では、喪中はがきをいただいたら、寒中見舞いを返すもの、との説もあります。
上に挙げた②の問題点は、これなら解決します。

ただ、喪中はがきには寒中見舞いを返すのが礼儀として決まり事になっているのでしょうか?
だとすれば、何も返さない=年賀状を出さないでは非礼ということになりますよね。
これは習慣化して、皆必ずしているのでしょうか?
必ずしも、そこまで定着してはいないようにも思えます。

調べてみても、「喪中はがきには寒中見舞いを返す」というルールは決まり事にはなっていないようです。
そもそも本来、寒中見舞いはそのような用途の為にあるものではなく、
二十四節気の小寒(1月5日頃)から立春(2月4日頃)までの寒中に行う見舞いです。
夏の暑中見舞い、残暑見舞いと同様の主旨です。

寒中見舞いは、喪中はがきを送らなかった相手から年賀状が届いてしまった場合、
その返礼として送る用途の方が、比較的古くからあったようにも思います。


さて、今や何か調べようと思えばまずWikipedia。
参考にWikiから引用しておきます。
☆☆☆
喪中欠礼
喪に服している人(1年以内に身内を亡くした人)からは年賀状を出さない風習があり、その場合に年内に「喪中であるので年賀のご挨拶を遠慮する」旨の葉書を出すことが多い。元々は、明治・大正期に皇室の大喪に対し年賀欠礼を行っていた習慣が、昭和期に年賀状の普及に伴い、一般家庭の喪中でも年賀欠礼の挨拶状を出すように風習として定着し、現在に至っている。 喪中欠礼の挨拶状は、郵便はがきではなく私製葉書に切手(弔事用、花輪やアシの模様など)を貼って出すことが多かったが最近ではパソコンや家庭用プリンターの普及により、郵便ハガキを用いることも多い。また、一般的には印刷業者などに発注する場合も多い。

喪中の葉書を送ってきた人の家には年賀状を出さない方が良いとされているが、実際には年賀状を送っても失礼には当たらない。これは、喪中「欠礼」という言葉の示すとおり、「年賀の挨拶をお断りします」というよりは、「自分の家は今年は忌中なので年賀のあいさつができなくて申し訳ありません」という意味、すなわち年賀状は新年をめでたく迎えたことを祝うための手紙であり、前年に身内が亡くなった=めでたく新年を迎えられなかったからである。(昨今では喪中の家に年賀状を出すのは失礼という人もいる。一般的には寒中御見舞いのはがきを出すことが多い。最近は家族葬が一般化し、親しい間柄にも拘わらず故人の死を年末になって知るケースが増え、遅い香典を送るより贈答用線香などを送り、弔意を表す人も増加傾向にある。)

とは言え、喪中欠礼を完全に周知させることは難しく、年賀状が少なからず届くことがある。この場合は「寒中見舞い」として返事を出すことになる。

★★★

Wikipediaの記述もややこしいです。
しかし、本来喪中はがきをいただいた相手に年賀状を送っても良いものではあるようです。

つまりこの問題は、
一般に本来の意味とは違う理解がされてしまっている、事象なのでしょう。

本項での結論としては、喪中はがきをもらった相手に年賀状を送るのは、
たとえ本来間違いではないとしても、誤解を招く恐れがあり、避けた方がいいように思えます。
しかし、ただ出さないだけでは一方通行で終わってしまう。
そうなってしまいたくない相手には、寒中見舞いを活用し、正月明けに送る。
これが無難な選択のように思えます。


Old Fashioned Club  月野景史



Old Fashioned Club  月野景史

2012年9月27日 (木)

ナチスがチベットで発見した仏像は、古代の隕石で作られていた!

大戦前、ナチスドイツがチベット発見した千年前の仏像が、
隕石で作られていたことが判明したそうです。

Inseki_butsuzou

ちょっとおもしろいというか、「えっ?」と思うニュースです。

隕石=宇宙、古代遺跡、ナチス…、
いわゆる「超古代文明」「超古代史」
そして太古宇宙人飛来説(宇宙考古学説)といった、
オカルト世界の妖しくも魅力的な香りがするキーワードを思い起してしまいます。

情報元のネットニュースを引用します。

☆☆☆
ナチス発見の仏像、隕石だった=大戦前夜、チベット探検-調査チーム
【パリAFP=時事】第2次世界大戦勃発前夜の1938年、秘境だったチベットに足を踏み入れたナチス・ドイツの探検隊が発見した約1000年前の仏像は、宇宙から飛来した隕石(いんせき)を彫刻して制作された極めて異色の作品だったことが分かった。ドイツの調査チームが鑑定結果を26日、学術誌に発表した。
この探検隊は、ナチス親衛隊(SS)長官ハインリヒ・ヒムラーの支援の下で派遣されたもので、「アーリア人の優越」というナチスの人種イデオロギーの裏付けを探るためにチベットに送られた。ヒムラーはアーリア人の起源はチベットにあり、その優越性の証拠が同地で見つかると信じていたとされる。
探検隊が持ち帰った仏像は毘沙門天の座像で、高さ24センチ、重さ10.6キロ。「鉄の男」と呼ばれていた。
化学的に分析したところ、約1万5000年前にシベリアとモンゴルの境界付近に落下したチンガー隕石の一部を加工研磨して作られたと断定された。ナチスのシンボルであるかぎ十字とは逆向きの「まんじ」が胸に描かれ、探検隊が興味を持ったと言われている。
時事ドットコム(2012/09/27-06:26)
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2012092700069&rel=y&g=int
★★★


隕石は15000年ほど前に落下したもの。
仏像が彫られたのは遥か後の1000年前ですから、
彫刻した人は隕石だと知っていたかどうかもわかりません。

古代と書きましたが、隕石が落下したのは古いですが、
仏像が彫られたのは千年前だから、さほど古くもないですし、
実は、オカルト的な要素などありません。

しかし、胸に彫られた、仏教で吉祥を示す「卍(まんじ)」が、
ナチスの鍵十字と似ている(逆向き)ことも合わせて、
何か妖怪しげなことを感じてしまうニュースです。


Old Fashioned Club  月野景史

2012年9月22日 (土)

スペイン教会画修復騒動続報/修復女性が教会を提訴!?

少し前に、イエス・キリストを描いたスペインの教会画を、
近所の女性が修復して、オリジナルとは似ても似つかぬものになってしまった、
というニュースが流れ、このブログでも取り上げました。
http://oldfashioned.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-0966.html


Elias_garcia_martinez
左がオリジナル、中央が痛みが目立つ「修復」前、右が老婦人による「修復」後。


この件の続報が配信されています。
「スペインのフレスコ画「無断修復」の女性、著作権料を求めて訴訟準備」

え、教会ではなくて、修復した女性が訴訟を!? なぜ?

実は今回の騒動でこの絵が広く知られ、見物客が押し寄せるようになったのです。
そこで教会は入場料を取るようにしたとのこと。
女性側はその一部を“著作権料”として要求しようとしているようなのです。
なんともまぁ…、といったところです。


ニュース記事を「ねとらぼ」から引用しておます。

☆☆☆
キリストを描いた19世紀のフレスコ画を近所の女性が無断で修復して、サルのようになってしまったという事件が8月に話題になりました。このフレスコ画をめぐって女性が訴訟の準備をしていると報じられています。

フレスコ画はスペインの北東部にあるボルハの教会の壁に描かれたもの。8月中旬に、近くに住むセシリア・ヒメネスさんによる「修復」で、元の絵とは似ても似つかぬものになってしまいました。この出来事にショックを受けた人がいた一方で、この絵はネットで反響を呼び、コラ画像が多数作られるなどの人気ぶりに。この絵を見るために教会を訪れる人も増えたそうです。

教会は9月15日から入場料を取るようになり、4日間で2万ユーロを得たとか。ヒメネスさんと家族はその収入から著作権料を受け取る権利があると主張し、弁護士を雇って訴訟の準備をしていると地元メディアは報じています。これに対して、ネットでは協会側はフレスコ画を台無しにした損害賠償を求めて反訴するべきといった批判的な声も上がっていますが、「ヒメネスさんの修復がなければ有名にならなかった」という意見もあり賛否両論です。
http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1209/21/news131.html
★★★

Old Fashioned Club  月野景史

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