【昭和プロレス】キラー・カーン死去/80年代アメリカマットを席巻したヒールの大スター
訃報 元プロレスラーのキラー・カーンが亡くなりました。76歳没
経営する西新宿の飲食店の営業中に亡くなったようです。
https://www.nikkansports.com/battle/news/202312300000632.html
キラー・カーン
(Killer Khan、1947年3月6日 - 2023年12月29日
新潟県西蒲原郡出身 本名:小澤 正志(おざわ まさし)
私は2017年にカーンの自伝発売を記念したトークライブに参加しており、そのことを当時のブログに記しました。
『キラー・カーン自伝』発売記念トーク&サイン会 in 新大久保キラーカンの店/「カーン」か「カン」か?
このイベントは新大久保にあったカーン経営の「キラーカンの店 居酒屋カンちゃん」で開催されました。
この店は閉店しており、カーンが亡くなったのはその後にオープンした別の西新宿7丁目の店です。
キラー・カーンは日本出身で、大相撲から転身したレスラーですが、
1980年代のアメリカマットでモンゴル人ヒール「キラー・カーン」を名乗り大きな成功を集めました。
改めて、彼の足跡をたどってみます。
カーンかカンか?
ところで、訃報記事や自伝タイトルは「キラー・カーン」とありますが、店の名には「キラーカン」とあります。
これはどういうことか?
この件については自伝に書かれています。
現役時代、メディアも私達ファンも「キラー・カーン」と呼んでいました。
しかし、このリングネームは元々アメリカで名付けられたもので、かのジンギス・カンに由来します。
つまり、本人の認識としては本来「カン」で、日本では誤って「カーン」と定着してしまったのです。
ファンには「カーン」に馴染みがありますし、
そこを考慮して自伝のタイトルも「カーン」採用したとのことですが、
本人の意向としては「カン」であり、自分の店はそう名付けたのです。
“キラー・カーン”誕生の経緯
それにしても、なぜ新潟生まれの日本人・小沢正志がモンゴル人・キラー・カーンとなったのか?
命名までの経緯を簡単に記します。
小沢正志は大相撲出身。1971年に馬場・猪木が並び立っていた時代の日本プロレスに入門し、
その後、日プロの分裂に伴い、新日本プロレスに移籍します。
1978年に海外修行でメキシコに渡り、プロモーターの要請によりモンゴル人「テムヒン・エル・モンゴル」としてデビュー。
翌1979年、アメリカのフロリダに入り、モンゴル人キャラはそのまま「キラー・カーン」となり、
フロリダを主戦場とする全米一の人気者だったダスティ・ローデスらとの抗争で名を上げ、
一躍ヒール(悪役)のトップスターとなったのです。
この当時、日本のファンの海外、特にアメリカマットへの関心は高く、
専門誌は米国からの情報掲載に大きなスペースを割いていました。
特にフロリダは繁栄マーケットとして注目度が高く、
蒙古人ヒール「キラー・カーン」、実は新日本プロレスの小沢のトップクラスでの活躍は大きく紹介されました。
その後、米国南部を転戦し、1980年にはニューヨークを拠点とするWWF(現WWE)に入り、
ヘビー級王者のボブ・バックランドや大スターのアンドレ・ザ・ジャイアントとの抗争で、ここでもトップヒールとなりました。
翌1981年には有名なアンドレの足折り事件があり、更に悪名を轟かせます。
日本での三大見せ場
アメリカでの活躍は日本も伝られ、カーンは1981年2月に凱旋帰国を果たします(足折り試合よりは前)。
当初は悪役として外国人サイドに付くという話もあったのですが、結局日本陣営に入り、
新日本プロレスのエース アントニオ猪木のパートナーとして、タイガー・ジェット・シンや上田馬之助ら
トップヒール勢を相手に勇猛ファイトを展開し、大いに注目を集めました。
その後、米国に戻ってまもなくアンドレ足折り事件が起きます。
細かい経緯は割愛しますが、結果的にこの因縁を売りにしてアンドレ対カーンは更にドル箱カードになりました。
翌1982年春のMSGシリーズにはアンドレと共に参戦、負傷欠場した猪木に代わり優勝戦に進出、
アンドレと名勝負を繰り広げ、敗れましたが更に名を挙げました。
更に同年暮れにはタイガー戸口とのコンビでMSGタッグリーグ戦に出場。
猪木&ハルク・ホーガン組と優勝戦を戦いました。
この3点、特にアンドレとの試合がカーンの日本での活躍のピークだと思います。
翌1983年からは長州力の維新軍に加担し、猪木、坂口征二、藤波辰巳に新日正規軍と敵対するようになります。
私は、これはあまりよくなかったのではないかと思っています。
1985年は長州らと同道してジャパン・プロレスに参加、戦いの場を全日本プロレスに移します。
維新軍参加後も北米と往復しながらの転戦で、最後はWWFの全米侵攻に参加し、
スーパースターとなっていたハルク・ホーガンとの抗争を展開、1988年にアメリカでの試合を最後引退しました。
アメリカで大活躍した日本人レスラー
ここまで書いてきた事からもわかるように、
カーンはプロレスの“本場”アメリカで大きな成功を果たした日本人レスラーです。
昭和の時代の米国マットでの出来事はもちろん伝聞ですし、特にプロレスの情報は虚実が混在します。
まして、時代や地域が違えば比較は難しいでのすが、得られる情報から極力客観的に判断して、
カーンは間違いなくアメリカで最も成功した日本出身の日本人レスラーの一人です。
もしかしたらNo.1と言っていいかも知れません。
引退後のカーンは「キラーカン」として、新宿近辺で移転を重ねつつ飲食店を経営しました。
後年のカーンはたまにメディアに出ると、特定のプロレス関係者に対する批判をするようになりました。
その内容は理不尽にも聞こえ、素直に納得できるものではないことも多かったです。
晩年はYouTube等での発信もあり、更に極端になっていった面もありました。
ただ、前述のトークライブでもそのような発言はあったのですが、
語り口がいかにも好人物で、ついうなずいて聞いてしまうような面もありました。
昭和の名レスラーに。謹んで哀悼の意を表します。
Old Fashioned Club 月野景史
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