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2022年3月

2022年3月25日 (金)

【相棒20】冠城亘(反町隆史)退場/安定感のあった最多回登場の4代目相棒

『相棒seazon20』最終回の放送が終了しました。
4代目相棒 冠城亘(反町隆史)の退場・卒業回でした。

Ibo20

冠城は杉下右京(水谷豊)とコンピを組んだ過去3人の“相棒”たちと比べて最多回数を務めた男となりました。
初代の亀山薫(寺脇康文)を上回っているとは、ちょっと意外な感じがします。

亀山は土曜ワイド劇場時代の3回の後、
連続ドラマのシーズン1からシーズン7の前半まで。
つまりほぼ6シーズン半務めました。(ただしシーズン1は2以降の半分の1クール放送)

次の神戸尊(及川光博)と甲斐亨(成宮寛貴)は共にあまり長くなく、
神戸はちょっと変則でしたが、実質的にほぼ3シーズンずつ。

対して冠城はシーズン14から20まで丸々7シーズン務めたのです。
“期間”でいうと亀山の方が長いのですが、回数では冠城がトップとなりました。

さて、今回はあの衝撃的だったシーズン13「ダークナイト」以来の相棒退場でした。
あの時書いたブログには凄い数のアクセスがありました。

今回の冠城は最終エピソードで色々絡んてきた公安調査庁への異動、
また、冠城に少し遅れてレギュラー入り青木年男(浅利陽介)はライバル的な内閣情報調査室へ移動、
ということで話が続きそうな感じで、退場した感は薄いです。

反町さんについては降板というアナウンスがあったので、冠城退場は間違いないですが、
神戸のように『相棒』世界に籍を残したまま、時折再登場するイメージでしょうか。


杉下右京と冠城亘
安定感のあるバディでした

1シーズン目こそ、冠城が押し掛け相棒だったこと、
法務省からの出向で。身分が警察官ではなかったこともあり、
色々軋轢やスムーズに行かない点もありましたが、
2シーズン目からは安定に向かいました。

反町さんの『相棒』登場以前の俳優としての実績が高いからかとも思いますが、
一人前同士の頼りになる相棒といった感じでした。

その分、右京と亀山、右京と神戸に比べると、
コンビとしてのやりとりの面白さは若干欠けたかとも感じます。

さて、次の相棒は誰?
というよりも、ドラマ『相棒』はどうなっていくのか。
注視されます。

Old Fashioned Club 月野景史

2022年3月19日 (土)

【俳優】宝田明死去/日本映画黄金期の東宝の大スター/特撮・ゴジラ映画でも活躍

訃報 俳優の宝田明さんが亡くなりました。87歳。

Takarada
宝田 明(たからだ あきら)
1934年〈昭和9年〉4月29日 - 2022年〈令和4年〉3月14日


昭和20年代後半から30年代、
西暦でいうと1950年代から60年代始め、
戦後の復興に合わせて、映画は庶民の大きな娯楽となり、
大手の映画会社が大量の映画を制作していた、日本映画の黄金時代がありました。
その黄金期の数々の作品で主演した、本当の大スターの一人です。

宝田さんは東宝映画の専属でした。
「宝田明」は本名ですが、まるで東宝の看板スターになるべくのネーミングのようです。


その時代に活躍した存命の方は少なくなりました。
まだ小林旭さんや加山雄三さんもいますが、宝田さんよりはキャリアのスタートが少し遅い。
1934年生まれの宝田さんは高校卒業後すぐに映画界入りし、
あの第一作『ゴジラ』が初主演なのですが、これが1954年(昭和29年)です。

昭和20年代に主演作のある大スター、
そして最近まで現役俳優として活躍していた人としては、本当に希少でした。

『ゴジラ』で主演デビューした宝田さんはまもなく大スターとなります。
東宝はこれ以降も特撮映画を量産しますが、
宝田さんは翌年に1本主演した後、特撮とはしばらく疎遠になり、
青春・文芸・恋愛映画の分野で若手エースとして大活躍しました。
東宝の作風でもあるのですが、明るくスマート、典型的な二枚目スターでした。

加山雄三さんは東宝の後輩で三歳年下ですが、こちらは大学卒業後の映画界入りなので、
一世代違うイメージがあります。

昭和30年代終盤になると映画ブームも終息に向かい、
全体の制作数も減少したせいもあってか、特撮映画にも復帰します。
区分けが難しい面もありますが、昭和期の本格的な特撮ファンタジー映画の出演は7本、
すべて主演で、多くは特撮映画の中でも大作に分類されるものでした。

昭和期東宝特撮主演作は以下の通り
ゴジラ(1954年)
獣人雪男(1955年)
モスラ対ゴジラ(1964年)
怪獣大戦争(1965年)
ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘
キングコングの逆襲(1967年)
緯度0大作戦(1969年)

出演本数では佐原健二さんや平田昭彦さんらが上ですが、主演本数では断然トップ。
後年は平成のゴジラシリーズにも脇役で出演しています。


宝田さんは昭和40年代に入るとテレビドラマにも進出しますが、
お茶の間のスターというほどにはなりませんでした。
この時代はむしろミュージカルスターとして、舞台での活躍が主になります。

ミュージカル俳優要請学校「宝田芸術学園」を設立し、経営者にもなりました。
ただ、これは5年ほどで閉鎖になってしまいますが。
同世代の映画スターで事業に乗り出し、経営で苦労する人は多かったです。
石原裕次郎さん、勝新太郎さん、萬屋錦之介さん、加山さんもそうでした。

早く亡くなった方も多いですが、宝田さんは晩年までコンスタントに活躍しました。
昭和の大スターに、謹んで哀悼の意を表します。

Old Fashioned Club 月野景史

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