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2021年2月

2021年2月 2日 (火)

【昭和プロレス奇譚】1979年 謎のチェーンデスマッチブーム/国際プロレス→新日本プロレス

昭和プロレスの語られることのない謎めいた一コマ。
1979年に二団体をまたいで起こった「チェーン・デスマッチ」のブームについて記します。


まずは国際プロレス、春のビッグチャレンジシリーズ
東京12チャンネルの開局15周年として特別予算がつき、
この時代の国際プロレスにしては豪華な外国人側のメンバーが揃い、
視聴率も好調だったシリーズ。

エースのラッシャー木村は保持するIWA世界ヘビー級王座の4連続防衛戦を行ったのですが、
その最後の挑戦者であるキラー・ブルックスが執拗にチェーンデスマッチでの対戦を要求したのです。
これには一応の伏線がありました。


ラッシャー木村はチェーンが苦手
木村は前年秋に来日した大型悪役のオックス・ベーカーと、
金網、チェーン、テキサスのデスマッチ三連戦を行い、チェーンのみ敗れたのです。

木村は「金網の鬼」と呼ばれ、金網デスマッチには強いのですが、
チェーンは苦手というアングルが、一応出来ていたわけです。
その情報を得ていたブルックスが執拗にチェーンでのタイトル戦をせまったという流れ。

国際側はそれには応じず、通常ルールで試合は始まりますが、
試合中もブルックスはチェーンを持ち込んでデスマッチを要求。

木村も遂に応じて、途中からチェーンデスマッチに変更という展開。
しかし、本格的に血戦となる前に、もう一人の外国人側エースのジプシー・ジョーの乱入で木村の反則勝ちという、
今ひとつ盛り上がらない、締まらない結末でした。


続くビッグサマーシリーズ
大型ヒールのアレックス・スミルノフオックス・ベーカーが来襲。
終盤にはアンドレ・ザ・ジャイアントヘイスタック・カルホーンの超大型が参加した豪華なシリーズ。
あのダイナマイト・キッドも終盤に初来日しています。


As-ob


ベーカーは前年、チェーンデスマッチで木村を倒した張本人。
そして「ロシアンチェーンデスマッチ」という試合スタイルがあり、
ロシア人ヒールを名乗るスミルノフもチェーン戦は得意(スミルノフは本当はフレンチカナディアン)。
二人ともチェーンデスマッチでのIWA王座挑戦を木村に迫ります。

しかし、木村はシリーズ終盤戦に特別参加のアンドレの挑戦を受けるので、
スミルノフorベーカーの挑戦は更にその後で、枠はひとつだけ。
そこでスミルノフとベーカーがチェーン戦で挑戦権を競うことになり、
凄惨な流血戦の末にスミルノフが勝利しました。上の写真の試合です。

と、ここまで苦労して挑戦権を勝ち得たにも関わらず
シリーズ終盤で実現した木村とのタイトル戦は通常の三本勝負で行われ、
しかもスミルノフが勝ってタイトルを奪取してしまいます。
王座はこのシリーズの最終戦(ノーTV)で木村が奪い返すのですが、
これもチェーンデスマッチではなく、なんとも不思議な展開でした。

この後、国際プロレスからチェーンデスマッチに関わる発信はピタっとなくなりました。
国際プロレスはこの二年後に終焉を迎えますが、
それまで、チェーンデスマッチが話題になることはまったくなかったと思います。

実はブルックス続いて、スミルノフとベーカーが嫌がる木村に
執拗にチェーン戦をせまる展開は少々くどく感じました。
そして、そこまでやりながら、結局木村はまともにチェーンデスマッチはやらず仕舞。
あのフィーバーはなんだったのか? と思いました。

これで国際でのチェーンデスマッチブームは終焉。
ところがこの年の暮れ、思わぬところにブームが飛び火します。
この手のデスマッチには縁遠そうな新日本プロレス。


6週間のロングランで行なわれた闘魂シリーズ
後半に特別参加したタイガー・ジェット・シン
アントニオ猪木にチェーンデスマッチを迫ったのです。

この年のシンは大活躍で、国内外で猪木や坂口征二と闘いました。
ひとつ前の秋のシリーズもエースとしてフル参加、最終戦の蔵前国技館で猪木とNWF戦を戦いました。
ただ、それまでチェーンデスマッチを迫ったことはなかったと思います。
それがこのシリーズでは何故かトレードマークのサーベルをチェーンに持ち替え、猪木に執拗に迫ったのです。

そもそも、この闘魂シリーズは、この時点での新日史上屈指の豪華外国人メンバーが揃ったシリーズで、
途中参加のシンのタイトル挑戦の予定はありませんでした。

シンは同じく初期新日本の看板外国人だったとジョニー・パワーズと共に後半戦からの参加で、
来日初戦の生放送で猪木とノンタイトルシングル戦が告知されていましたが、シンの来日が遅れ、キャンセルとなりました。
この試合が実現していたら、どういう展開になったのか?
とにかくこの後、シンはチェーン戦を猪木にせまるも、
猪木はボブ・バックランドペドロ・モラレスとのタイトル戦で手一杯で、シンとのシングル戦を組む余裕はありません。


この状況で坂口征二が最終戦の蔵前国技館でチェーンデスマッチを受けることになり、
前週の放送でもシンと坂口がチェーンを武器にやり合うなど、テレビでの前フリもされました。

ところが、蔵前の録画中継で坂口対シンはまったく放送されず、言及すらなかったと思います。
後で専門誌で確認すると、チェーン戦は主催者側の判断とかで中止、ただのデスマッチとして行われたとのこと。
そしてその後、こちらもチェーンデスマッチが話題になることはなかったと思います。

放送何回分もチェーンで大騒ぎしながら、結局チェーンデスマッチは実現せずという、
なにやら国際プロレスと同じような、消化不良の謎の展開。
いったい何だったのか?

この後、昭和のプロレス界でチェーンデスマッチが行われることはなかったと思います。
平成以降は団体乱立、試合形式も多様化し、チェーン戦も行われるようになりましたが。

以上、幻の昭和プロレスチェーンデスマッチ譚でした。

Old Fashioned Club 月野景史

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