【訃報】岸部四郎さん 波乱の芸能履歴
訃報の話題ばかりですが・・・。
長い闘病生活の末、岸部四郎さんが亡くなりました。
どちらかといえば岸部シローの名の方になじみがあります。
公私ともに波乱に満ちた生涯の人。
そして、その「私」の部分も公にしてきた人でもありました。
その芸能人としての足跡も独特で、ちょっとわかり難い面があります。
今日はそのあたりを少し書いてみます。
タイガースに途中加入
岸部四郎さんは沢田研二さんのいたザ・タイガースのメンバーだったと紹介されます。
タイガースは1960年代後半のグループサウンズブーム(つまりバンドブーム)を牽引した
一番人気のグループでした。
しかし「ザ・タイガース」で画像検索しても、岸部さんが載っている写真はあまりヒットしません。
実兄の岸部一徳さんは必ず載っていますが。
一徳さんは最初からのメンバー。
今や大物ベテラン俳優の一徳さんは屈指のミュージシャン、ベーシストでもあるのです。
弟の四郎さんはその縁での途中加入でした。
といっても一徳さんの後釜ではなく、
リードギターでサブボーカルの人気メンバーだった加橋かつみさん脱退による後任。
ただ、楽器のできない岸部さんはほぼ今でいうエアギターの状態だったようですが。
以前、四郎さんは当時のことを「飛ぶ鳥落とす勢いのタイガースに入団した」と語っていましたが、
ピークを少し過ぎた頃だったかと思います。
だから、四郎さんが入っているタイガースの写真があまり見つからないのです。
俳優へ
1971年にタイガースは解散。
四郎さんは俳優としてドラマに出るようになります。
一徳さんの方はしばらくミュージシャンを続けたので、
本格的に俳優活動を始めるのは少し後になります。
ある年代以下の人には意外でしょうし、
そもそも四郎さんに俳優のイメージがないでしょうが、
四郎さんの方が一徳さんより俳優のキャリアが古いのです。
この時代の代表作が『西遊記』シリーズ(1978-80年)の沙悟浄役でしょうか。
そして1981年にはタイガースの一時的な再結成(同窓会)に参加。
この時は大きな話題になりました。
ルックルックこんにちは
1984年、日本テレビの朝の情報番組『ルックルックこんにちは』の司会に就任。
1998年まで長く務めました。
実はこの時も“後任”でした。
番組開始から司会だった沢田亜矢子さんの降板によるもので、
結果的には沢田さんよりはるかに長く務めました。
ここまでは「波乱万丈」どころか「順風満帆」のタレント人生だったと思いますが、
借金絡みのスキャンダルで降板。
更に病気もありながら、
その「波乱」を売りにする形でメディアにも登場しました。
日本の芸能史においても、特異に位置づけの人といえるかも知れません。
Old Fashioned Club 月野景史