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2020年1月18日 (土)

【昭和プロレス】ロッキー・ジョンソン死去 20世紀の偉大な黒人レスラー/残念だった日本でのキャリア

訃報 元プロレスラーのロッキー・ジョンソンが1月15日に亡くなりました。
20世紀を代表する黒人レスラーの一人でした。
https://www.daily.co.jp/ring/2020/01/16/0013037489.shtml


Johnson-rocky
ロッキー・ジョンソン
(Rocky Johnson 1944年8月24日 - 2020年1月15日)
カナダ・ノバスコシア州出身
(ニューヨーク州またはワシントンDCと紹介されることもあった)


20世紀を代表する黒人プロレスラーといえば・・・。
日本でも知名度の高いボボ・ブラジルがまず第一で、
次いでアーニー・ラッド、ベアキャット・ライトらが思い浮かびます。
彼らはいずれも2メートル級の大型レスラー。

もう一人挙げねばならないのがアブドーラ・ザ・ブッチャー。
彼の場合は北米ではさほど広範な地域で活躍したわけではありませんが、
日本での知名度ではブラジルをも凌駕します。
ブッチャーは長身ではありませんが、重量級タイプ。

対してロッキー・ジョンソンは小柄とまでは言いませんが、中型くらい。
俊敏で筋肉質、バネのある身体から繰り出す空中殺法・ドロップキックを得意とするタイプ。
このタイプの黒人レスラーの代表でしょう。
1960年代前半から30年近く、全米各地でトップを張って活躍しました。

そして、20世紀末にプロレスラー・俳優として大スターとなった
ザ・ロックことドウェイン・ジョンソンの実父としても知られます。


とにかく長く輝かしいキャリアを持つジョンソンですが、
実は日本には2回しか来ておらず、しかも芳しい実績を残していません。
Wikipediaには来日回数が少なかったのは多忙だったからというように書かれていますが、
そうとばかりも言えません。

アメリカでの実績に比べて日本で活躍できなかったレスラーの典型例
初期のWiki にはこう書かれていました。
書いたの私です。
今はこの記述はありません。こういう文章はだいたい削除されてしまいます。


◆最初の来日
日本に2回だけ来たロッキー・ジョンソン。
最初の来日は1970年、日本プロレスのNWAタッグリーグ戦。
アーニー・ラッドとのチームで優勝候補の筆頭としてやってきました。

ラッドはヒールのイメージが強く、全米各地で嫌われまくったような印象ありますが、
元々アメリカンフットボールのスタープレーヤーで、この頃はまだ主にベビーフェイスだったと思います。

当時の日本プロレスはジャイアント馬場とアントニオ猪木のBI砲の全盛期で、
この黒人コンビは長身のラッドが馬場、若くて俊敏なジョンソンが猪木のイメージとダブり、
大いに期待されたと言われます。

この時はまったく見ていないので伝聞でしか知りませんが、
二人共に今イチの評価で、優勝戦進出も逃すなど、ちょっと残念な結果を残しました。
それでも、まだこの時はよかったのかなとも思います。
次は散々でしたから。


◆二度目の来日
帰国後、全米各地で活躍を続けたジョンソンの再来日はちょうど10年後、
1980年の新日本プロレス 新春黄金シリーズでした。
80年代の幕開け、スタン・ハンセンが大ブレイクしたシリーズでした。
ハンセン以外ではスティーブ・カーン、そしてあのダイナマイト・キッドらジュニア勢が活躍したシリーズでもありました。
そして、バッドニュース・アレンが新日の常連ヒールとしての礎を築いたのもこのシリーズでした。

そしてジョンソンですが、一応ハンセンに次ぐ準エース的な立場でシリーズ開幕を迎え、
最初の1週間ほどは坂口征二、藤波辰巳ら新日のトップクラスとも引き分けの結果が残っています。
しかし、その後はボロボロで連戦連敗。
猪木とのシングルでのテレビマッチも予告されていたのですが、実現しませんでした。
(ノーTVでは序盤に一度戦って10分弱でフォール負けの結果が残っています)

それでも終盤にバッドニュース・アレンと組んで坂口・長州力に挑戦する
北米タッグ戦の予定があったのですが、
その直前のテレビマッチ(録画)のタッグ戦で場外でハンセンのウェスタン・ラリアットの誤爆を受け、
鉄柱に後頭部を痛打し、失神してしまいます。

その後の詳しい経緯はテレビでは説明されませんでしたが、
ジョンソンはそのまま帰国してしまったようで、
北米タッグは外国人側で参加していたマサ斎藤が代打で出場しました。

当時としては、基本的にはアクシデントということになりますが、
それにしても、どうもしっくりこなかったし、
今となれば、当然意図的なマッチメイクでタイトル戦から外されたと考えざるを得ません。

ジョンソンのスケジュールが多忙で帰国せざるを得なかったのではとの見方もありますが、
その前の戦績がとても北米タッグを奪取できるものではなく、
新日側があえて外したように感じられます。

そもそも、その戦績だってすべて新日本によるマッチメイクです。
序盤はまずまずの成績なのに、その後ガクンと落ちたということは、
最初は実績に応じて期待し、それなりの待遇をしたが、
動きが悪いので、評価を下げたということでしょう。
実際、負傷した試合で解説の山本小鉄が、
「10年前に比べて見劣りする」という旨の発言をしていたと思います。


外国人レスラーについて
「日本には合わないタイプ」
「アメリカでは一流扱いでも日本では通用しない」
こういう言い方される場合があります。

アメリカでのジョンソンはどこへ行ってもヘビーフェイスのスター。
ルー・テーズのような正統派テクニシャンタイプを除き、
善玉日本人対悪役外国人という図式が標準スタイルだった時代の日本の昭和プロレスでは、
典型的なベビーフェイスのレスラーは真価を発揮し難い面はありました。

でも、ジョンソンは本当に日本には合わなかったのか?
今はネットで昔のアメリカンプロレスも容易に観ることができます。
ジョンソンの試合もいくつも視聴できますが、躍動感溢れる試合ぶりはなかなか素晴らしい。
特にドロップキックの連打からフィニッシュへの流れは魅力的です。

同様に典型的ベビーフェイスで空中殺法を得意としたミル・マスカラスが
日本でも大人気だったことを思えば、ジョンソンがダメだということもないと思います。
マスカラスはブッチャーのようなヒールとの戦いで人気を伸ばした面もありますが、
ジャンボ鶴田とのヘビーフェイスマッチも名勝負として知られています。

ジョンソンにしても要はマッチメイク、日本側の売り方しだいだったのではないかと思うのです。

本人からすれば、日本での評価が低かったことなど気にもしていないかも知れませんが、
日本のファンとしては、ちょっと残念に感じています。

Old Fashioned Club  月野景史

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