【アイドル】ジャニーズ王国前史/70年代 最初の全盛期から低迷の時代、80年代の大躍進へ
※付記:このブログはジャニーズ問題表面化以前に記述したものです
生前ほとんど…というか、
少なくとも1980年代以降はまったく自らが前面に立つことはないどころか、
写真の公表すらなかったにも関わらず、
ジャニーズ事務所の領袖・ジャニー喜多川氏の訃報は大きな話題を集めています。
日本の芸能界で男性アイドルといえばジャニーズ。
ほぼ一強。
まさにジャニーズ王国
この絶対的な体制が確立したのは、キリ良く1980年からだと思います。
では、それまではどうだったのか?
もちろん、その前からジャニーズ事務所はありました。
かなり良い時期もあったし、低迷期もありました。
今日はその時代から、80年代の大ブレイクまでの流れを、少しだけ簡潔に書いてみます。
ジャニーズ事務所として存在していた時代の話なので、
「ジャニーズ前史」では語弊があります。
あえていえば、“ジャニーズ王国の前史”。
元祖ジャニーズ
ジャニー喜多川氏がプロデュースした最初のグループは文字通りの「ジャニーズ」。
このグループ名がそのまま事務所の名前にもなります。
「ジャニーズ事務所=ジャニー氏の事務所」とも解釈できますが。
元祖ジャニーズは歌って踊る美少年たちの4人組。
一番有名なのは中央後ろの、あおい輝彦さんでしょう。
後のジャニーズアイドルのスタイルは基本的にこの初代から引き継がれています。
結成は1962年ですが、レコードデビューは1964年12月。
解散は1967年11月なので、レコード歌手としての活動は3年ほど。
この結成からレコードデビューまで間隔があるというのは、
後にジャニーズの伝統のようになりました。
元祖ジャニーズは『太陽のあいつ』などのヒット曲もあり、
紅白歌合戦にも出場するなど、それなりの人気を博したようですが、
レコードデビュー後にも半年ほどアメリカに留学したりと、
日本での活動の密度はあまり濃くなかったようです。
そしてグループサウンズ旋風(つまりバンドブーム)が吹き荒れる中、解散しました。
フォーリーブスの登場~全盛期へ
フォーリーブスは元祖ジャニーズの弟分的ポジションで1967年結成。
1968年9月にレコードデビューしました。
やはり、結成からレコードデビューまで間隔が開いています。
時代はグループサウンズ(GS)ブームの最中でしたが、そろそろ退潮に向かう頃。
それと入れ替わるようにフォーリーブスは人気を上げていき、
1970年にはプロマイド売上げのトップになり、紅白歌合戦に初出場。
1971年にはレコード売上げ面でも人気のピークを迎えます。
といっても最高でオリコン10位、レコード最多売上は『夏の誘惑』(1971年)の17.5万枚ほどなので、
レコードセールスではそれほど大きな記録は残していません。
ただ歌とダンスのレベルも高く、歌って踊るアイドルのスタイルを確立し、熱烈な女子ファンを多く抱え
テレビバラエティではMCポジションでレギュラーも持つ、男性アイドルの典型像を作りました。
紅白にも1976年まで7年連続で出場、当時としては息の長い70年代を代表する男性アイドルグループとなりました。
郷ひろみの鮮烈デビュー
そして1972年、フォーリーブスの弟分として郷ひろみさんがデビューします。
デビュー曲はそれまでのフォーリーブスのどの曲をも上回る大ヒット。
ジャニーズから更なるトップアイドルが生まれました。
ここからがジャニーズにとっての最初の全盛期といえるでしょう。
ただ、ファーリーブスとしては一気に抜かれたので、衝撃的だったでしょうけど。
といっても、当時は男性アイドル市場をジャニーズが独占していたわけではありません。
郷さんと合わせて“新御三家”と呼ばれた野口五郎さん、西城秀樹さんは別のプロダクションだし、
1973年-74年に大ブームを巻き起こしたフィンガー5もそうです。
郷ひろみ離脱~低迷期へ
1975年、アイドルとして絶頂期を迎えていた郷さんがジャニーズを離脱するという大事件が起きます。
頼みのフォーリーブスも平均23歳くらいになり、今なら全然若く感じますが、
当時としてはアイドルの限界を迎えており、人気も下降していました。
もちろん他にも若い歌手をデビューさせてはいるのですが、トップクラスまではいきません。
1977年にはジャニーズから14歳の川崎麻世さんがデビュー。
プロマイド売上げはトップになりましたが、ヒット曲は出せませんでした。
また、そこそこの人気のあった豊川誕さんが退所するなど、どうもよくないイメージもあり。
そして1978年8月にはフォーリーブスが解散。
レコードセールス的には数千枚のレベルにまで落ちていましたが、
全国ツアーも行い、それなりにテレビにも出て、一応有終の美を飾りました。
しかし、解散と同時に退所していた北公次さんに覚醒剤疑惑が持ち上がり、翌年逮捕。
なんとなくフォーリーブスについて語るのもタブーといった雰囲気となります。
後輩アイドルも育たず、70年代後半は低迷期、冬の時代でした。
たのきんトリオで大躍進
1980年、突如ジャニーズ旋風が巻き起こります。
田原俊彦さん、次いで近藤真彦さんがレコードデビューし大ヒットを連発するのです。
田原さん、近藤さん、野村義男さんの、“たのきんトリオ”と呼ばれるようになる3人は
前年1979年10月からこの年の3月まで、『3年B組金八先生』に生徒役で出演していました。
このドラマ、スタート時はそれほど注目されていなかったと思います。
TBSの金曜夜8時の枠ですが、この時間帯は日本テレビの『太陽にほえろ!』が強く、
TBSは往年の名作ドラマ『七人の刑事』を復活させてぶつけていたのですがあえなく敗退。
万策尽きたようなイメージで始まったのが『金八先生』でした。
もちろん田原さんたちもこの時点ではまったく無名。
ところが、番組は話題を呼び、田原さんたちにも注目が集まります。
そしてレコードデビュー→大ヒットと繋がりました。
実は1970年代後半はジャニーズに限らず、男性アイドル全般に冬の時代でした。
新御三家の人気は根強かったのですが、後の世代が出てこなかったのです。
新御三家も20代半ばとなり、小中高校生女子のアイドルとしては、無理になってきていました。
たのきんはその閉塞状態を一気に突き破り、世代交代となりました。
※このジャニーズ大爆発の影で、ちょっと気の毒だったのが川崎麻世さんでした。
麻世さんはたのきんトリオと同世代(田原さんより下で近藤さんより上)。
長身で容姿に恵まれていたので早いデビューになったのかと思うのですが、
たのきんがブレイクした時点で旧世代のようなイメージになり、取り残されてしまいました。
田原さんより年下なのに。
ともかくこの後、やはり金八シリーズの後継作への出演を経て、
しぶガキ隊、少年隊、バンドスタイルの男闘呼組と立て続けにデビューし、
ジャニーズ事務所は芸能界を席巻します。
この1980年代、まさに「ジャニーズにあらずんば男性アイドルにあらず」という王国を築き上げ、
それは平成、1990年代、そして21世紀へと続きます。
光ゲンジ、スマップ、トキオ、V6、嵐、
特にスマップ以降は、アイドル・タレントとしての寿命も飛躍的に長くなりました。
この極端な寡占状態の是非は別として・・・・。
70年代後半の低迷期から、1980年を境にしたジャニーズ独占への大転回はあまりに鮮やかでした。
他に力のある芸能プロダクションはいくらでもあったろうに、この大躍進は今でも不思議に感じるところです。
一方で80年代末には元フォーリーブスメンバーの北公次氏により、ジャニー氏による性加害を告発した
暴露本『光GENJIへ』発行などもありましたが、大手マスコミは黙殺し大した話題にはなりませんでした。
結果としてですが、この隆盛、圧倒的権威を築き上げたジャニー喜多川氏のプロデュース力は
やはり凄かったということなのでしょう。
Old Fashioned Club 月野景史
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