【プロレス】ザ・デストロイヤー死去/力道山、馬場、猪木と因縁深い日本で最も有名な外国人覆面レスラー
訃報 プロレスラーのザ・デストロイヤーが亡くなりました。88歳。
ザ・デストロイヤー
(The Destroyer、1930年7月11日 - 2019年3月7日)
本名リチャード・ジョン・ベイヤー(Richard John Beyer)通称ディック・ベイヤー(Dick Beyer)
ニューヨーク州バッファロー出身のドイツ系アメリカ人。
白覆面の魔王と呼ばれました。
日本でも大変知名度の高い外国人レスラー。
特に覆面レスラーの中では一番有名な人でしょう。
初来日は1963年の日本プロレス
覆面の悪役レスラーとして、最晩年の力道山との死闘はテレビ視聴率64%を記録。
これは現在まで残る日本のテレビ史上、歴代4位の数字です。
力道山亡き後、日本プロレスがジャイアント馬場のエース時代になると、
今度は馬場の強敵として立ちふさがります。
トップレスラーとしては身長は低い方でしょうし、
それほど体格がごついわけでもないですが、
それを感じさせない存在感で、あの長身の馬場と互角に戦い、ライバルの一人となりました。
長期滞在でお茶の間の人気者に
そして1972年にその馬場が全日本プロレスを設立すると、
今度は全日本に入団して日本陣営で馬場のパートナーとなり、
初期の全日本を支えました。
覆面10番勝負、ミル・マスカラスやアブドーラ・ザ・ブッチャーとの戦いが印象的。
日本滞在は1973年3月から1979年6月まで6年以上に及びました。
この時期には試合だけではなく、
日本テレビのバラエティ番組『金曜10時!うわさのチャンネル!!』にも出演、
コミカルな活躍ぶりでタレントとしても人気を博しました。
まぁこの点は堅いプロレスファンからは批判も受けましたが。
アメリカに帰国後も全日本には脇役として度々来日しました。
近年も力道山と馬場絡みで日本のマスコミへの登場機会も多かったです。
アントニオ猪木とも
このように力道山、馬場との関係が深いデストロイヤーですが、
日本マットのもう一人のレジェンド、アントニオ猪木とも因縁があります。
日本の試合で思い浮かぶのは1971年ワールドリーグ戦での
優勝戦進出者決定戦での引き分けくらいですが、
実はそれ以前、1964年から65年にかけての猪木の米国修行時代に、
ロサンゼルス、ワシントン、テキサスと猪木の行く先々に現れ、
数多くの試合を行なった記録が残っています。
考えてみれば体格的にも、また覆面のヒールとはいえ、
そのファイトスタイルはアマチュアレスリングをベースとした俊敏な技巧派であり、
猪木と最も手があったのかも知れません。
必殺 足4の字固め
そして必殺技の足4の字固めは彼の代名詞として定着しました。
それどころか、この技自体が、絞め技・関節技系のプロレス技の代名詞になったのです。
実はこの技の最も代表的な使い手は20世紀米マットのレジェンドたるバディ・ロジャースなのですが、
一度も来日がなかったので、日本ではデストロイヤーの必殺技として定着した面もあります。
ともかく日本と、日本人レスラーと縁の深い昭和プロレスの名レスラー。
謹んで哀悼の意を表します。
Old Fashioned Club 月野景史
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