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2019年2月14日 (木)

【プロレス】ペドロ・モラレス死去/MSGの帝王として君臨したラテンの魔豹 20世紀後半の名レスラー

訃報  プロレスラーのペドロ・モラレスが2月12日に亡くなりました。76歳没。

プエルトリコ出身、少年期にアメリカに渡り、1960年代から70年代、80年代半ばまで
ベビーフェイス(善役)のトップスターとして長く活躍した名レスラー。



Pedro_morales
ペドロ・モラレス
(Pedro Morales、1942年10月22日 - 2019年2月12日)
通称 ラテンの魔豹


70年代前半には2年10ヵ月にわたりWWWF世界ヘビー級チャンピオンに君臨しました。
WWWFとは後のWWF、現在のWWEのこと。
(モラレスが王者の時代にNWAに加盟して、一旦「世界」を外しています)

WWFのチャンピオンといえばニューヨーク、マディソンスクエアガーデン(MSG)の帝王。
昭和の時代、WWF王者として長期政権を築いたのはブルーノ・サンマルチノとこのモラレス、
ボブ・バックランドとあのハルク・ホーガンの4人です。
米マットを象徴する大スターだった人です。

そのファイトスタイルはスピーディーで軽やかでありながら、パワフルでダイナミック。
躍動感溢れるファイターで、私も大変好きなレスラーでした。
そして褐色の二枚目といった美貌で女性人気も高かった。

日本でも実績を残しましたが、日本で思われている以上にアメリカでは大物かと思います。
ドロップキックの名手で、ジャイアント馬場に32文ロケットを伝授したとして知られます。
ネットニュースでもそのことが書かれていますね。
諸説あるようですが。

後年はウェイトも増してパワフルなイメージを強め、
ハイアングルから叩きつけるビル・ロビンソンと同スタイルの(ワンハンド)バックブリーカー、
またブレーンバスターなどの大技も迫力満点でした。


若くしてMSGの帝王に
元々WWWFの前身団体で1958年というから16歳の年にデビュー。
若くして頭角を現して後、60年代半ばに西海岸のロサンゼルスのWWAに転戦。
ここでまずWWA世界ヘビー級王者となります。
この地区は日本とも縁が深く、1967年に日本プロレスに初来日。

そして東海岸に戻ると、1971年2月にMSGでイワン・コロフを倒しWWWF王者となりました。
この時28歳。コロフは短命の繋ぎ役で、実質的にはサンマルチノとの王座交代でした。

王者時代の1972年9月には元王者のサンマルチノを挑戦者に迎え、
ニューヨークのシェイスタジアムで珍しいヘビーフェイス同士のタイトルマッチが実現
75分の熱闘の末引き分け。この試合は70年代最高の名勝負ともいわれます。

1973年12月にスタン・スタージャックに敗れ王座転落。
このスタージャックも繋ぎ役で、WWWFは再びサンマルチノの時代となります。

モラレスはNYを離れ西海岸のサンフランシスコや、フロリダなどの南部など各地を転戦し、
どこにいってもベビーフェイスのトップスターとして活躍します。
ただ、とにかく若くして頂点に立ってしまったので、そこから落ちてちょっと寂しい境遇・・・
というような印象で日本のプロレスマスコミやファンの間では語られる面もありました。


全日本プロレスから新日本プロレスへ
WWWF王者転落からまもない1974年には僚友である馬場の全日本プロレスに初登場。
圧倒的な戦績を残しますが、馬場のPWFヘビー級王座挑戦では3本勝負で2フォール取られての完敗でした。
2本とも一瞬の返し技ではなく、完璧なピンフォール負け。
ここまで完全な馬場の勝ちだと次に繋がり難くなり、モラレスへのマッチメイクとしては勿体無く感じますが、
この翌々年の76年にはWWWFとの関係を強めていた新日本プロレスに登場します。
ちょっとひねくれた見方ですが、新日移籍を見越してのマッチメイクであったような気すらします。

新日本ではまず第3回ワールドリーグ戦に参加。
ここでもトップで優勝戦に進みますが、アリ戦を控えたアントニオ猪木が出場を辞退したため、
同点2位から勝ち上がった坂口征二と決勝戦を戦い、リングアウト負けしてしまいます。
これもなんとなく不遇なマッチメイクといえなくもない。

その後は78年と79年に新日本に2年連続で参加して猪木のNWFヘビー級王座に挑戦。
78年の猪木との試合は唯一テレビ放送のなかったNWF戦なのですが、
猪木が一方的かつ徹底的に追い詰められた試合としてファンの間では伝説的です。
放送がなかったからこそ伝説になったともいえますが、やはり強さを発揮した試合の放送がなかったとは不遇。

そして、78年も79年もシリーズ終盤に現役WWF王者のボブ・バックランドが特別参加し、
東京の大会場でのメインは猪木対ボブ戦に奪われており、ここもちょっと不遇感があります。


1980年にWWF復帰
猪木や藤波も出場した8月のシェイスタジアムではバックランドとの新旧王者コンビを結成し、
ザ・サモアンズにストレート勝ちしてWWEタッグ王を獲得すると
12月にはインターコンチネンタルヘビー級王座を獲得。
途中に一時転落もありましたが、83年1月まで保持し、再びWWFのトッブスターに君臨しました。
この時期が最後の全盛期と言えるのでしょうが、新日とWWFの蜜月時代だったにも関わらず
なぜか来日がありませんでした。

その後は故郷のプエルトリコでも戦い、1985年には新日への最後の登場が実現しますが、
当時の新日はモラレスを売る気はなく、寂しい内容でした。

アメリカでは1985年からのビンス・マクマホン・ジュニアによる新体制WWFの全米サーキットにも参加し
最後の一花を咲かすと、87年に引退。95年には早いタイミングWWF殿堂入りしています。


こうして振り返るとアメリカでのキャリアは本当に輝かしい限りで、30年近くトップスターとして活躍しました。
特にWWFにとっては、最初期に初代王者のバディ・ロジャースに20歳で挑戦し、全盛期には王者に君臨
80年代にもIC王座を長く保持し、晩年にも現役でビンス・ジュニアの全米侵攻にも参加するなど、象徴的な存在でした。

日本でも明石家さんまさんが昔からモラレスファンを広言するなど、よく知られたレスラーでしたが、
米国での実績からすれば、今いちの扱いだったと改めて感じます。

昭和の伝説の大レスラーに、謹んで哀悼の意を表します。

Old Fashioned Club  月野景史

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