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2018年7月 3日 (火)

【訃報】桂歌丸死去 長寿番組『笑点』の象徴的存在 その足跡を辿る

落語家の桂歌丸さんが亡くなりました。81歳。


Photo_4
桂歌丸
かつら うたまる、1936年8月14日 - 2018年7月2日 本名 椎名巌(しいな いわお)
噺家 落語芸術協会 会長

1966年スタート、日本テレビ日曜夕方の大長寿番組『笑点』に
大喜利メンバーとして開始から2016年まで出演し、
終盤10年は司会を務めた事で知られます。

もちろん『笑点』だけの人ではありませんが、
番組との関わりの長さと深さは間違いなくNo.1。
「『笑点』の象徴的存在」と呼んでいいでしょう。
このブログでは『笑点』との関わりに絞り、その足跡を少し辿ってみます。


1966年
演芸番組『笑点』は1966年5月15日にスタート。
現在まで続く長寿番組ですが、
開始時からのレギュラーメンバーで2000年代以降も出演を続けていたのは、
5代目三遊亭円楽さん、歌丸さん、林家こん平さんだけでした。


波乱の日々
『笑点』は開始から3年ほどで初代司会者の立川談志さんとの路線をめぐる対立が起こり、
1969年3月に3人を含む大喜利メンバーが談志さんを残してすべて降板してしまいます。
談志さんのブラックユーモア志向に、他のメンバーが反発したからとされます。

そして同年暮れには談志さんが参院選出馬を理由に降板。
すると元のメンバーが順次復帰していきます。
この時も3人の中では歌丸さんの復帰が一番早かったのです。

※Wikipediaの『笑点』の項目は長大になり過ぎて、このあたりの経緯が解り難くなっています。


全盛期 小円遊との対立が名物に
さて、『笑点』は司会役に前田武彦さんを挟んで1970年12月より三波伸介さんが就任。
1972年までに円楽、歌丸、三遊亭小円遊、三遊亭円窓、こん平、林家木久扇(当時はもちろん木久蔵)が揃い、
全盛期と言われる時代を迎えました。

今では伝説となっていますが、歌丸さんは小円遊さんとライバル関係にあり、
このいがみ合い、罵り合いが番組最大の名物・売り物となっていきました。
もちろんこの対立関係は談志さんの時とは違い、番組の演出です。

しかし、円楽さんが1977年に落語専念を理由に卒業すると、
まもなく円楽さんの円生門下の弟弟子であった円窓さんも同様の理由で降板。
そして盟友・小円遊さんのまさかの死去。
それに伴って若手への交代等があり、番組も少しずつ様変わりをしていきます。

そして1982年暮れ、大黒柱の三波伸介さんの急死という非常事態を迎えます。
その後任司会者として、円楽さんが復帰するのです。


三波さん死去時の司会昇格はなかったか?
この当時の歌丸さんは46歳。
今のメンバーに比べるとかなり若いですが、当時は最年長だし、
円楽さんとも4歳しか違いません。

5年以上番組から離れており、落語協会からの独立で微妙な立場にあった円楽さんの復帰より、
歌丸さんの昇格があり得なかったのか?
今となるとそんな風にも感じます。
しかし、当時はその空気はほとんどなかったように思います。

理由を分析すればふたつ
ひとつは大人気タレントだった三波さんに比べ、
『笑点』では長いといえ、歌丸さんはタレントとしての認知度が失礼ながらかなり劣るように思えたこと。
この点は円楽さんの方が明らかに上でした。

ただ、それ以上の問題は、これは近年の司会交代時にも言われる事ですが、
歌丸さんが司会に昇格してしまうと、回答者が弱くなるという事情がありました。
当時、歌丸さんに次ぐベテランはこん平さんと木久扇さんですが、両方ともいわゆるおバカ系キャラ。
残りは若手ばかりで、それではなんとも軽くなってしまうと感じたものです。

この点は、もし小円遊さんが健在だったら、あるいは円窓さんが降板していなかったら、
この時点での歌丸さんの司会就任もあったかも知れません。


2000年代へ
ともかく、円楽さんの復帰で『笑点』も安定を取り戻しました。
大喜利メンバーも若手に僅かな出入りがあっただけで、20年以上安定状態が続き、
21世紀を迎えてもゆるぎない長寿番組となりました。

しかし2004年、歌丸さんより7歳若いこん平さんが体調不良の為に61歳で長期休養入り。
まもなく円楽さんも病気のためセミリタイヤ状態となり、
番組が40周年を迎えた2006年に正式に降板、歌丸さんが司会就任となりました。


50周年までの10年を司会として
この年歌丸さんは70歳。
既に所属する落語芸術協会会長の要職にありました。

実はこの時もネット等には歌丸さんが司会になると回答者が弱くなるとの声もありました。
しかし、この時点で内部昇格だろうと外部招聘であろうと、
歌丸さんを差し置いて司会の座につける人がいる筈ありません。
文句なしの昇格でした。

一方、70歳を越えても頭も口も回転なめらかな歌丸さんでしたが、
身体は病気だらけで入院を繰り返し、傍目にも辛い面はありました。

しかし2016年、50周年の節目まで務め上げての退場。
“『笑点』の象徴”としての立場を見事に全うしました。

謹んで哀悼の意を表します。

Old Fashioned Club  月野景史

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