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2018年4月20日 (金)

【昭和プロレス】 元祖WWEの帝王 ブルーノ・サンマルチノ死去/G馬場の好敵手・盟友

訃報 元プロレスラーのブルーノ・サンマルチノが4月18日に亡くなりました。82歳。
20世紀の偉大なプロレスラーがまた1人逝きました。


Bruno_sammartino001
ブルーノ・サンマルチノ
(Bruno Sammartino 1935年10月6日 - 2018年4月18日)
イタリア生まれでアメリカで活躍したプロレスラー。
パワフルな怪力殺法から、日本では“人間発電所”の異名で知られた。


元祖WWEの帝王
今やアメリカンプロレスといえばWWE(World Wrestling Entertainment)。

この団体は1963年にWWWF(World Wide Wrestling Federation)として、
大都市ニューヨークを本拠地、マディソン・スクエア・ガーデン(MSG)を興行拠点として設立されました。
1979年3月にWWF(英: World Wrestling Federation)に改称、1980年代には全米に勢力を拡大。
2002年5月にWWEとなりましたが、名称が変わっただけで、基本的には同じ団体です。

1963年の設立時、初代WWWF世界ヘビー級チャンピオンには東部マットを中心に高い人気を誇った
伝説的なショーマン派レスラーであるバディ・ロジャースが認定されましたが、
同年5月にこのロジャースをMSGで僅か48秒で下し、28歳の若き王者となったのがサンマルチノでした。
同地に多いイタリア系アメリカ人からの支持を得て、名実共にWWWFのトップレスラーとなりました。

以後、1971年1月に一度王座から落ち、プエルトリコ出身のペドロ・モラレスの時代もありましたが、
1973年12月に王座に返り咲き、再びサンマルチノ時代が到来。
1977年4月に王座を明け渡し、ボブ・パックランドの時代になった後も
1981年に1度引退するまで20年近く、圧倒的な人気を誇ってMSGの帝王、NYの英雄として君臨しました。


20世紀を代表する怪力ファイター
身長はプロレスラーとしては決して高くないサンマルチノですが、
鍛え上げられた分厚い肉体から繰り出す圧倒的なパワーとラッシングファイト、
ベアハッグ、カナディアン・バックブリーカー、フルネルソンといった腕力を利した絞め技、
そして猛烈なマシンガンキックを武器に活躍しました。

パワーファイター、怪力レスラーの代名詞的存在。
この点では20世紀を代表する存在と言っていいと思います。

そして、アメリカ最大都市の最大マーケットでこれだけ長期に渡りエースに君臨したのも稀有な例でしょう。


一方、WWF(→WWE)のオーナーであるビンス・マクマホン父子との関係は微妙で、
1981年の引退後にWWFを離脱して新団体IWFを設立、WWFと興行戦争となった事もありました。
1984年にはWWFに復帰し、1985年にはリング復帰も果たしますが、
1988年に再度離脱し、以降はWWFとは距離を置きました。

その為か、これだけの大功労者でありながらWWE殿堂入りが2013年と、だいぶ遅かったです。
ともかく元気な内に殿堂入りが実現したのはよかったです。
いかなる理由があろうとも、WWE殿堂にサンマルチノの名がないとは、昭和プロレスファンには考えられません。



ジャイアント馬場との関係

日本ではジャイアント馬場の長年の好敵手、そして盟友、ビジネスパートナーとしても知られます。
2人の関係は1960年代前半、馬場の渡米修行時の対戦まで遡ります


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1964年2月17日、MSGで馬場の挑戦を受ける。
馬場の初渡米時はまだWWWFの設立前で、
これは2回めの米国遠征からの帰国直前。



ただ、後年の取材によるとサンマルチノ自身は米国での馬場との交流については記憶しておらず、
その友情関係は1967年の日本プロレスへの初来日からとしています。

当時のサンマルチノはWWWF王者でしたが、
日本では主に馬場の保持していたインターナショナルヘビー級王座への挑戦者として名勝負を重ねました。


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怪力技フルネルソンで馬場を締め上げる


この馬場の日本プロレスのエース時代、ライバルとされたボボ・ブラジル、フリッツ・フォン・エリック、
ジン・キニスキー、デッィク・ザ・ブルーザー、クラッシャー・リソワスキー、キラー・コワルスキーら
パワー&ラフファイタータイプの大レスラー達は、実は1938年生まれの馬場より一回り上、
むしろ力道山に世代の近い、1920年代生まれのベテランが多かったのですが、
1935年生まれのサンマルチノとは3歳差、同世代のライバルでした。


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馬場の16文キックが炸裂


そして1972年、馬場が日本プロレスから独立して全日本プロレスを設立すると真っ先に協力者となり、
自らが全日マットに上がるだけではなく、他のレスラーのブッキングも行いました。
その後、WWWFは馬場のライバル・アントニオ猪木の新日本プロレスとの提携を強めますが、
サンナマルチノは新日本に上がる事なく、馬場との義理を貫きました。

現役としての最後の来日は1981年10月、米国での引退宣言の後で、
全日本創立10周年シリーズに参加して蔵前国技館で馬場と初タッグを組み、
タイガー・ジェット・シン&上田馬之助組と対戦しました。


1999年1月、ジャイアント馬場死去。
同年5月、馬場の「引退試合」と銘打った東京ドームでの追悼興行に
ジン・キニスキー、ザ・デストロイヤーら馬場の盟友達と共に来日。
風格ある佇まい、馬場に心のこもった追悼の言葉を送り、ファンに感銘を与えました。

Bruno_sammartino002
馬場“引退試合”に出場した
左からデストロイヤー、サンマルチノ、キニスキー


20世紀の偉大なレスラー・サンマルチノに謹んで哀悼の意を表します。

Old Fashioned Club  月野景史

以下、日刊スポーツのサイトより引用
https://www.nikkansports.com/battle/news/201804190000047.html
☆☆☆
人間発電所」ブルーノ・サンマルチノ氏死す 82歳
[2018年4月19日3時15分]   
プロレスの元WWWF(現WWE)世界ヘビー級王者で、WWE殿堂入りのブルーノ・サンマルチノ氏が亡くなった。WWEが18日(日本時間19日)、公式サイトで発表した。82歳だった。

圧倒的なパワーと持久力を誇り「人間発電所」と呼ばれた。1963年5月、米ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンでバディ・ロジャースをわずか48秒で下し、第2代WWWF王座を獲得。同王者としてマディソン・スクエア・ガーデンで防衛戦を重ねたことから「MSGの帝王」とのニックネームもついた。

ジャイアント馬場とは若手時代から交流があり、64年2月、馬場の王座挑戦を受けた。67年3月、日本プロレス参戦のために初来日。馬場の保持するインターナショナル・ヘビー級王座に挑戦した。

73年からは全日本プロレスにも参戦し、馬場と名勝負を繰り広げた。
81年に現役を引退したものの、85年からWWF(現WWE)で現役復帰し、86年のレッスルマニア2大会のバトルロイヤルなどに出場。99年5月には全日本プロレスの東京ドーム大会のために来日し、同年1月に死去したジャイアント馬場「引退試合」に出席した。また2013年2月にはWWE殿堂入りを果たし、MSGで開催された殿堂入り式典に出席していた。
★★★

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