【昭和プロレス】『キラー・カーン自伝』発売記念トーク&サイン会 in 新大久保キラーカンの店/「カーン」か「カン」か?
4月19日に元プロレスラー、キラーカンさんの著書
『"蒙古の怪人" キラー・カーン自伝 』が、G SPIRITS BOOKから発売されました。
それを記念したトーク&サイン会が今日4月30日にカンさんが経営する
新大久保の「キラーカンの店 居酒屋カンちゃん」で開催されました。
この自伝の編集にも協力された元ゴング編集長の清水勉氏が司会を務めましたが、
約30人の満員のお客さんを前に、ほぼカンさんの独演会で、大いに盛り上がりました。
ノリノリのカンさん。後方が清水氏
カーンかカンか?
ところで、自伝のタイトルには「キラー・カーン」とありますが、
本人は今「キラーカン」を名乗っており、店の名前も「キラーカンの店 居酒屋カンちゃん」です。
これはどういうことか?
この件は今日のイベントではふれられませんでしたが、自伝に書かれています。
現役時代、メディアも私達ファンも「キラー・カーン」と呼んでいました。
しかし、このリングネームは元々アメリカで名付けられたもので、かのジンギス・カンに由来します。
つまり、本人の認識としては本来「カン」で、日本では誤って「カーン」と定着してしまったのです。
ファンとしては「カーン」に馴染み・愛着がありますし、
そこを考慮して自伝のタイトルも「カーン」採用したとのことですが、
本項では本人の意向を優先して「カン」で記します。
“キラー・カン”誕生の経緯
それにしても、なぜ新潟生まれの日本人・小沢正志がモンゴル人・キラー・カンとなったのか?
命名までの経緯を簡単に記します。
小沢正志は大相撲出身。1971年に馬場・猪木が並び立っていた時代の日本プロレスに入門し、
その後、日プロの分裂に伴い、新日本プロレスに移籍します。
1978年にメキシコに渡り、プロモーターの要請によりモンゴル人「テムヒン・エル・モンゴル」としてデビューしました。
翌1979年、アメリカのフロリダに入り、モンゴル人キャラはそのまま「キラー・カン」となったのです。
この当時、日本のファンの海外、特にアメリカマットへの関心は高く、
専門誌は米国からの情報掲載に大きなスペースを割いていました。
特にフロリダは繁栄マーケットとして注目度が高く、
そこで小沢の、蒙古人ヒール「キラー・カーン」としての活躍は何度も大きく紹介されました。
自伝では1981年2月の凱旋帰国の段階で「カーン」と名付けられたかように書かれていますが、
実際には1979年~80年のアメリカでの活躍中にマスコミを通して「カーン」が定着していたのです。
さて、ここまで書いてきた事からもわかるように、
カンさんはプロレスの“本場”アメリカで大きな成功を果たした日本人レスラーです。
昭和の時代の米国マットでの出来事はもちろん伝聞ですし、特にプロレスの情報は虚実が混在します。
まして、時代や地域が違えば比較は難しいですが、得られる情報から極力客観的に判断して、
カンさんは間違いなくアメリカで最も成功した日本出身の日本人レスラーの一人です。
もしかしたらNo.1と言っていいかも知れません。
アメリカで成功したから偉いともいいませんが、
それだけの実績を残した人の書いた本ですので、特に米マットに関わる証言は重みがあります。
また、自伝には日本人レスラーや、プロレス関係者の批評・批判もかなりはっきりと書かれています。
特に辛辣に書かれているのは坂口征二さんですね。イベントでもかなり口撃されていました。
坂口さんについては最近、カンさんはよく発言しているのでそれほどの驚きはないですが、
それにしてもかなり激しい論調でした。
トークでは猪木さんや新間寿さんについてもきつい発言が並びましたが、それでもこの二人には敬称付き。
坂口さんには無しでした・・・。
その他、人物評価は明解で、「へー、そうなんだ!」と意外に感じる点も多かったです。
飲食店主として
1987年のアメリカでの試合を最後に引退したカンさんは帰国して飲食店を始めました。
もう30年になります。
最初は西武新宿線の中井のスナックで、故尾崎豊さんが常連だった事はよく知られています。
この日は参加者からの質問で尾崎さんの話まなり、興味深いエピソードも聞けました。
最近も、尾崎さんの命日にファンが店を埋め尽くし、尾崎さんが好んだというカレーが多く注文されてそうです。
この中井のスナックの後は主に居酒屋タイプの手掛け、新宿の歌舞伎町や西新宿を転々としてきました。
この日の会場となった新大久保駅近くの路面店である「キラーカンの店 居酒屋カンちゃん」は、
昨年9月オープンした店で、たしか9件目と言っていたかと思います。
突然の引退、そして次々と店を新しくしてきたことについて、
とにかく、思い込んだらすぐに行動に移してしまう性格だからと説明していました。
しかし、この店は死ぬまで続けるつもりとのことです。
私はカンさんの話を聞くのは初めてでした。
実は、随分前のネットでの情報から、ファンに対してはもう少し寡黙なのかと思っていたのですが、
大変饒舌で話術も巧み、かつ物腰は柔らかい人で、楽しいひと時を過ごしました。
自伝や今日のトークの内容についてはまとめて書き切れませんので、
機会を改めてテーマを絞ってやりたいと思います。
Old Fashioned Club 月野景史
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