【昭和プロレス】“スーパーフライ” ジミー・スヌーカ死去
訃報 元プロレスラーのジミー・スヌーカが1月15日に亡くなりました。73歳。
ジミー・スヌーカ
(Jimmy Snuka、本名:James Reiher、1943年5月18日 - 2017年1月15日)
私がプロレスに熱中していた1980年頃、不思議に感じている事がありました。
当時はプロレス専門誌が月刊誌として二つの出版社から計4誌発行されていました。
その時代の読者は海外、特にアメリカマット界への関心が高く、
毎回アメリカからのレポートが多く掲載されていました。
中でも米国で活躍しているのに未来日のレスラー、または来日経験はあるけど間隔が空いているレスラーは、
プロレスファンなら当然来日を心待ちにしますし、マスコミも更に詳しい情報を掲載します。
その中で、レポートに名前だけはよく出てきて、かなり活躍しているようなのに、
なぜか来日待望論がさっぱり盛り上がらない選手がいました。
ジミー・スヌーカです。
スヌーカはそれよりかなり前に2度来日しており、つまりその時に良い印象を残していなかったのでしょう。
1971年の初来日時はアメリカインディアンスタイルのグレート・スヌーカとしてでした。
その後、南海の野生派スタイルのヒールにギミックをチェンジしたのです。
といっても、スヌーカはフィジー出身なので、本来の姿になったといえるのですが。
リッキーの相手役として
その1980年当時、アメリカでの活躍が頻繁に紹介され、日本に呼びたい“未知の強豪”として、
来日待望レスラーNo.1だったのがリッキー・スティムボートでした。
リッキーは80年暮れの全日本プロレス・世界最強タッグリーグ戦に初来日しました。
この時はそこそこの人気を呼びましたが、他の外国人レスラーも豪華過ぎて、
単独で主役の座を勝ち取るまではいきませんでした。
当時の全日本はファンクスやミル・マスカラスなどベビーフェイスの人気レスラーは
日本陣営に入れて外国人ヒールと戦わせるスタイルを取っていました。
リッキーも1981年5月に2度目の来日が決定し、日本側に付くことになりました。
そうなると、リッキーに相応しい相手役が必要です。
そこで白羽の矢を立てられたのが、リッキーの本拠地であるアメリカのミッドアトランティック地区で、
当時リッキーのライバルだったスヌーカでした。
リッキーとスヌーカのアメリカから直輸入された対決は話題を呼びましたが、
特に悪役であるスヌーカの人気がリッキー以上に高まりました。
鍛え上げられ肉体、スタイリッシュでかっこいい悪役、
「スーパーフライ(Superfly)」と呼ばれた思い切った空中殺法は
新しい時代、ニューウェイブのプロレスとしてもてはやされました。
当時のスヌーカは既に38歳で、それほど若くはなかったのですが。
ブルーザー・ブロディと
次の81年秋の来日ではブルーザー・プロディとの出会いがありました。
同年暮れの最強タッグはプロディと組んで初出場、そしていきなりの優勝。
翌1982年春にはそのプロディとも仲間割れ、ブロディとスタン・ハンセンとチームの抗争開始、
そして超大物ハーリー・レイスとタッグ結成と、スヌーカの周囲は目まぐるしく展開するのですが、
スヌーカのWWF(現WWE)本格進出で、全日本への登場は82年を最後に一旦途切れます。
この1981年~82年がスヌーカの日本での全盛期といえるでしょう。
WWFのスーパースターに
日本を離れている間、スヌーカは昇り調子だったWWFでも絶大な人気を得ました。
最初はヒールでしたが、ヘビーフェイスに転向してブームを巻き起こしたようです。
その後、1985年には新日本プロレスに登場。
こちらも新日に移籍したプロディとのタッグも再結成しましたが、
これはプロディと新日とのトラブルに巻き込まれ、尻すぼみになりました。
1987年にはプロディと共に全日本に復帰。
この頃になると年齢も40代半ばで、さすがに往時のようにはいきませんでしたが、
その後も米日で活躍を続け、1996年には早くWWE殿堂入りを果たしました。
プロレスラーとしては、大きな成功を成し得たレジェンドと呼んでいいでしょう。
しかし、晩年には過去のは忌わしい事件による逮捕などもあったようです。
詳しい事情はわかりませんが、残念なことでした。
Old Fashioned Club 月野景史
以下、日刊スポーツのサイトより引用
http://www.nikkansports.com/battle/news/1766325.html
☆☆☆
ジミー・スヌーカ氏が死去 ブロディ氏と最強タッグ
全日本、新日本に参戦したWWE殿堂入りの元プロレスラー、ジミー・スヌーカ氏が15日(日本時間16日)に米フロリダ州の親族宅で73歳で亡くなった。WWEに参戦する娘のタミーナが公表した。胃がんを患っていたという。
フィジー出身で69年にハワイでデビュー。「スーパーフライ」の異名を持つ空中殺法で一世を風靡(ふうび)した。71年に初来日して日本プロレスに参戦。81年より全日本の主力外国人となり、故ブロディ氏とのタッグで最強タッグ戦優勝も果たした。82年からWWF(現WWE)に定着し、王者バックランドとの抗争で爆発的な人気を得てスーパースターに君臨。85年には新日本にも参戦した。
83年に当時交際していた女性が死亡した件を巡って殺人罪などで15年に訴追されたが、裁判に耐えられない状態として今月3日に裁判が打ち切られていた。(デーブ・レイブル通信員)
★★★
« 【ドラマ】木村拓哉主演『A LIFE〜愛しき人〜』は『ドクターX』に勝てるのか?/厳しいスタート | トップページ | 【俳優】闘病中の渡瀬恒彦が新作スペシャルドラマ撮影中/『警視庁捜査一課9係』は? »
「35.昭和プロレス」カテゴリの記事
- 【昭和プロレス】キラー・カーン対アンドレ・ザ・ジャイアントの足折り試合は本当にあったのか?(2024.01.06)
- 【昭和プロレス】キラー・カーン死去/80年代アメリカマットを席巻したヒールの大スター(2023.12.30)
- 【昭和プロレス】テリー・ファンク死去/日本で最もヒーロー・アイドル的人気を誇った外国人レスラー(2023.08.26)
- 【昭和プロレス】A・T・ブッチャーとキング・イヤウケア 幻の共闘+トーア・カマタ/1979ジャイアントSポスター(2023.04.14)
- 【昭和プロレス】ジョニー・パワーズ死去/アントニオ猪木のライバル “死神”と呼ばれた男(2023.01.11)
« 【ドラマ】木村拓哉主演『A LIFE〜愛しき人〜』は『ドクターX』に勝てるのか?/厳しいスタート | トップページ | 【俳優】闘病中の渡瀬恒彦が新作スペシャルドラマ撮影中/『警視庁捜査一課9係』は? »