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2016年6月18日 (土)

◆訃報【昭和プロレス】ジプシー・ジョー死去/国際プロレスを支えた凶暴ヒールはプロに徹した好人物

アメリカ、カナダ、そして日本で活躍したプエルトリコ出身のプロレスラー、
“放浪の殺し屋”ジプシー・ジョーが6月15日に亡くなりました。 82歳。

Gypsy_joe02

ジプシー・ジョー(Gypsy Joe、本名:Gilberto "Pepe" Melendez)
1933年12月2日 - 2016年6月15日


無類のタフネスを誇った凶暴悪役ラフファイター。
小柄ながら、スチール製パイプ椅子で背中や頭部を殴打されても椅子が壊れてしまうほどの頑健さと、
金網デスマッチでの金網最上段からの二―ドロップなど無法・無頼ファイトがトレードマーク。
徹底したプロ根性を持ったレスラーとして知られています。

実は最近では2010年にも来日して試合を行っているのですが、全盛期は当然ながら昭和の時代です。
1967年から1981年まで存在したプロレス団体「国際プロレス」。
その後期、東京12チャンネル(現テレビ東京)が放送した時代(1974年~81年)の看板外人スターでした。


国際プロレスの看板ヒール
1975年以降、国際プロレスは大剛鉄之助を支部長とする北米支部をカルガリーに置き、
このカナダルートで来日する無法派のラフファイターが外国人レスラーの中心になっていきました。
ジョーはモントリオールでプロモーターも務めていた大物悪役マッドドッグ・バションの紹介で1975年9月に初来日。
凶暴ファイトで日本勢を蹂躙し、エースのラッシャー木村と死闘を展開、看板外人となります。
「金網の鬼」と呼ばれ、デスマッチでの流血戦を得意した木村とはピタリと手が合ったのです。

以来、1981年8月に国際プロレスが活動を停止する最終シリーズまで11回来日し、まさに国際を支えました。
当時は新日本プロレスではタイガー・ジェット・シン、全日本プロレスではアブドーラ・ザ・ブッチャーが悪の看板スターでした。
国際でそのポジションにいたのがジョー。北米では必ずしも全国区のスターではないところが共通していました。
木村のIWA世界ヘビー級王座、またグレート草津、マイティ井上、アニマル浜口、阿修羅原らが保持していたIWAタッグ王座にもパートナーを変えつつ再三挑戦しました。

当初はスペインの放浪の民、ジプシーのリーダーで、自分らを迫害する白人を殺害して国外逃亡し、
北米でプロレスラーになったとの物騒で政治的でもある経歴が紹介されていました。
まさに“放浪の殺し屋”です。
それはギミックだとしても、プエルトリコ出身でニューヨークに移住してプロレス入りしたとのキャリアが
通説として定着したのは随分後になったからだった思います。謎めいた男でもありました。

一方で、リング界の外では好人物、真面目なプロフェッショナルであることも比較的古くから知られていました。
他の大物レスラーと来日が重なった時はエース木村への挑戦は譲り、
売り出し中のホープだった阿修羅原のWWUジュニア王座に挑むといったマッチメイクもしっかりこなしました。
その後、他に有力レスラーがいない時は木村や、一時期在籍した大木金太郎のインターナショナルヘビー級王座に
挑戦するという、あまりよくないマッチメイクをされても、きちっと仕事をするような面もありました。
常連として外人勢のまとめ役を務め、情けない試合をした若いレスラーを厳しく指導した事もあったようです。


ブッカ―役も務める
初来日はカナダ・モントリオールのマッドドッグ・バションの斡旋でしたが、
その後ジョーはアメリカのテネシーに定着、末期は国際へのレスラーの仲介もやっていたようです。
ジョーの斡旋で来日したと思われるテネシー地区周辺のレスラーが複数います。
こんな面でも国際を支えました。
逆に国際で一緒になった後、ジョーの仲介でテネシーに転戦したと思しきレスラーもいます。

ただ、テネシールートのレスラーはドタキャンも多かったですが。


全日本プロレスへ
ジョーの頑張りにも関わらず、国際プロレスは1981年8月9日、北海道羅臼の地で最後の興行を終えました。
最後を看取ったジョーはほどなく、全日本プロレスに活躍の場を移します。

全日でもジョーを叩いた椅子が壊れるパフォーマンスは大いに受け、
初登場時はジャンボ鶴田やミル・マスカラスの保持する王座に挑戦するという扱いを受けましたが、
当時の全日の豪華外人の中で、82年以降は主に中堅どころで闘いました。

それでも、4年間で10回という国際時代以上の密度で来日し、あの大仁田厚のジュニア王座に挑戦したり、
やはり国際から全日入りしていた原・井上のアジアタッグ王座に、
これも国際で縁のある鶴見五郎やジェリー・モロー(稲妻二郎)と組んで挑戦したりもありました。
しかし、既に50歳を迎え、戦績は来る度に悪くなっていき、1985年が最後の全日登場となりました。

日本との縁は昭和の時代はこれで終わりなのですが、アメリカでは現役を続け、
日本が団体乱立時代を迎えた1990年代以降、リビングレジェンドとして復活し、それが2010年まで続いたのです。

私は特に後期国際プロレスに思い入れが強いこともあり、ジョーは忘れ得ぬレスラーです。
謹んで哀悼の意を表し、追悼の辞を記させていただきました。

Old Fashioned Club  月野景史


以下、東スポWebより引用
http://www.tokyo-sports.co.jp/prores/mens_prores/554411/
☆☆☆
“流浪の殺し屋”ジプシー・ジョーさん死去 ラッシャー木村、大仁田らと死闘

国際プロレスや全日本プロレスで活躍した元プロレスラーのジプシー・ジョー(本名ジルベルト・メレンデス)さんが16日(現地時間15日)に死去した。82歳だった。米国の複数のメディアが報じたもので、死因は分かっていない。2013年には痛風で右足を切断するなど、ここ数年は健康に問題を抱えていた。

プエルトリコ出身のジョーさんは1963年に米国でプロレスデビュー。身長176センチと小柄ながらも、無類のタフネスさで頭角を現した。相手がイスで頭や背中を打ちつけても、逆にイスが壊れてしまうほど頑丈な肉体が武器だった。70年代前半からは、全米各地を転戦。大流血戦で人気を集めて、数多くの王座を獲得した。

75年9月には国際プロレスに初来日。ラッシャー木村らと金網デスマッチで死闘を展開して“流浪の殺し屋”の異名を取った。金網マッチがもっともよく似合う外国人選手だった。81年からは全日本プロレスで活躍。大仁田厚が保持していたNWAインターナショナルジュニアヘビー級王座にも挑戦した。ミスタープロレス・天龍源一郎も83年7月、長女の紋奈氏(天龍プロジェクト代表)が誕生した日、ジョーさんとシングル戦で戦っている。

90年代に入っても現役を続け、91年1月にはW☆INGに参戦。その後も何度かインディ団体に来日し、2010年12月のSMASH新宿大会が最後の日本マットとなった。翌年1月には米国で引退試合を行っている。

国内最高齢レスラーのグレート小鹿・大日本プロレス会長は「知らなかった。しかし82歳かあ。俺はその年まで現役できんのかな。とにかく体の頑丈な方でした。心よりご冥福をお祈りいたします」と神妙な表情で哀悼の意をささげていた。
★★★

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