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2015年11月15日 (日)

【訃報】 ニック・ボックウィンクル死去/ダーティー王者と呼ばれた正統派レスラー

プロレスラーのニック・ボックウィンクルが11月14日亡くなりました。80歳。
http://www.sponichi.co.jp/battle/news/2015/11/16/kiji/K20151116011520570.html


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ダーティーチャンプと呼ばれました。
1970年代後半から1980年代にかけ、NWA世界王座に次ぎ、WWF(現WWE)王座より上位にあった、
AWA世界ヘビー級王座に長く君臨し、アメリカプロレス史に一時代を築きました。

ダーティーなヒール王者だが、リングを降りれば紳士などと言われました。
タイガ―・ジェット・シンなども同じような言い方をされますが、
ニックはシンのような凶悪ファイトをするわけではありません。

端正なマスク、適度にシェイプされたボディ、いかにも正統派という容貌で、リング上でも充分紳士に見えます。
王者時代の試合運びも、守り中心ながら概ね正統派のものなのですが、
防衛方法が、「反則負けやリングアウト負けでは王座の移動はない」というルールを逆手に取った卑怯なものでした。
例えば、負けそうになったらレフェリーに暴行して反則負けにしてしまうとか。

同時代にNWA世界ヘビー級王者として君臨したハーリー・レイスもダーティーチャンプでした。

Photo_2
ニックとレイス

しかし、ニックは悪徳マネージャーのボビー・ヒ―ナンが付いてる分、ダーティーなイメージが強かった。
ヒーナンが乱入したら、反則負けで試合終了・王座防衛になってしまうのですから。

もちろん、ダーティー王者はビジネスとしてのもの。
ニックの足跡を主に日本での活躍を中心に、ごく簡単に振り返ってみます。
(wikipediaにも、日本での足跡については、意外なほど僅かな記述しかないですね)


ニック・ボックウィンクル
(Nick Bockwinkel、本名:Nicholas Warren Francis Bockwinkel、1934年12月6日 - 2015年11月14日)
父のウォーレン・ボックウィンクルも1930年代から1950年代にかけてヒールとして活躍した名レスラー。
父のコーチを受け、15歳の時になんとあの鉄人ルー・テーズ相手にデビュー。
以後は陸軍やオクラホマ大学に在籍しながらプロレスを続け、28歳でフルタイムのプロレスラーとなりました。

その後は各地を転戦して実績を重ね、1970年頃にAWA圏に入ります。
これと前後して同年、日本プロレスのNWAタッグリーグ戦に来日。
ジョニー・クインとのチームでアントニオ猪木・星野勘太郎組と決勝を戦いました。

AWAでは前述のボビー・ヒーナンをマネージャーにつけ、1972年にレイ・スティーブンスとAWA世界タッグ王座を獲得。
1974年には王者チームとして国際プロレスに来日。ラッシャー木村・グレート草津組の挑戦を退けました。

そして1975年11月18日、ミネソタ州セントポールでバーン・ガニアを下し、AWA世界ヘビー級チャンピオンとなりました。
既に40歳と遅咲きでしたが、以後1987年までの13年間で同王座を合計4回獲得し、
悪役王者ながらAWAの象徴的存在として、長く活躍しました。


国際プロレスで日本初防衛戦
戴冠した1975年当時、AWAは日本の提携先を国際から全日本プロレスに変えており、
ニックは3年後の1978年暮れの世界最強タッグリーグ戦にブラックジャック・ランザとのチームで全日初参戦。
なのですが、NWA至上主義の当時の全日本はAWA王者を呼んでも防衛戦はさせないという勿体ない事をしていました。
(そのかわり、1979年春にハワイでジャンボ鶴田が挑戦しています。ハワイはニックにとっても古巣。)

その為、日本でのAWAヘビー初防衛戦は1979年10月、一時的に提携復活した国際プロレスでのラッシャー木村戦となりました。
この時はルー・テーズがレフェリーを務めたのですが、ニックは相手がテーズでもしっかり突き飛ばし、反則負けで防衛しました。
その翌日には、テーズとドリームタッグを組んで、木村・草津組と対戦しています。

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ニックとテーズ

翌1980年3月に国際で大木金太郎の挑戦を受けた後、バーン・ガニアに敗れて一時的に王座転落。
この年の暮れに全日の最強タッグにAWAの若手正統派ジム・ブランゼルと組んで参戦しました。
ここではダーティーファイトの必要もなく、正統派の試合を披露。
日本にはヒーナンを帯同しなかったこともあり、汚い防衛はビジネスとしてのもので、
「やはりニックは正統派の名レスラー・実力派」とのイメージが定着しました。

このまま王者に戻らない方がいいのでは…などとも思わせましたが、ガニアの王座復帰は引退前の一時的なもので、
翌1981年のガニア引退後に王者復帰、再びダーティー王者としての日々が始まります。
翌1982年新春シリーズの全日再登場以降は、主に鶴田と王座をかけての攻防を繰り広げ、
1984年にはタイトルを奪取した鶴田がアメリカに乗り込んだこともありました。


1987年にリタイヤしてからも日本との関係は続き、
1990年には猪木のレスラー生活30周年イベントに参加。
その後、猪木との対戦が告知されたこともありましたが、残念ながら実現せず。
その後もUWFインターなどと関係を持ちました。


昭和の名レスラーまた一人逝く。
謹んで哀悼の意を表し、追悼の辞を記させていただきました。

Old Fashioned Club  月野景史


以下、スポニチアネックスより引用
http://www.sponichi.co.jp/battle/news/2015/11/16/kiji/K20151116011520570.html
☆☆☆
日本でも活躍のプロレスラー、ニック・ボックウィンクル氏死去
往年の名プロレスラーのニック・ボックウィンクル氏が14日に死去した。80歳だった。ニューヨーク・デーリー・ニューズ紙(電子版)など複数の米国メディアが15日に報じている。

ボックウィンクル氏はヘビー級の世界タイトルを保持し、日本プロレス、国際プロレス、全日本プロレスと、日本のプロレス団体にもたびたび参戦。ジャンボ鶴田らと対戦した。2007年には米プロレス団体WWEの殿堂入りも果たしている。

WWEは同日に「4度のヘビー級王者に輝き、WWEの殿堂入りも果たしているニック・ボックウィンクル氏の死という知らせに我が団体は悲しみに包まれている」と声明を発表した。死因は明らかにされていないが、プロレスOB会の「カリフラワー・アレイ・クラブ」のサイトでは「健康上の問題」とある。    [ 2015年11月16日 12:26 ]
★★★

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