【国際プロレス】ルー・テーズvs.グレート草津戦の真相 私論/“普通のプロレスの試合”
昭和プロレスファンには有名な伝説です。
1968年1月3日、前年設立された国際プロレスのTBS定期放送初回。
東京の日大講堂にてルー・テーズのTWWA世界ヘビー級王座に挑戦したグレート草津は、
1本目にテーズのバックドロップで失神KO負け。2本目は棄権。
この無残な敗戦が尾を引いて、草津は大成できず、国際プロレスもまた不遇のまま幕を閉じた。
グレート草津(1942年2月13日 - 2008年6月21日 66歳没)
「プロレスとは原則としてシナリオ(=ブック)があるもの」
この認識がほぼ一般的になった今でも、この試合についてはいまだに
「テーズが受け身の取れない技を仕掛けた。」
「未熟な草津が受け身を取り損ねた。」
というような、つまりアクシデント性の強いものだったとの見方もされます。
真実はどうなのか
最初に結論を述べますが、
私はこれは普通のプロレスの試合、つまりブック通りの展開だったと考えています。
ブックを書くのはマッチメイカー。当時の国際プロレスのマッチメイカーは日系悪役レスラーのグレート東郷。
ですから、この問題について考察するなら、東郷が何を意図していたかを考えねばなりません。
そしてキーワードは「大木金太郎」です。
以下、私論を記します。
◆テーズ戦定番のブック
対ルー・テーズ3本勝負
1本目 テーズがバックドロップかテーズ式パイルドライバーからフォール勝ち。
2本目 相手がダメージが強く立ち上がれずに試合放棄(棄権)
結果2-0でテーズの勝利
これ、実はテーズのとの3本勝負での定番のシナリオなのです。
力道山も同様の敗戦を経験
古くはあの力道山も、日本プロレスを設立し、国内デビューを果たす前の1953年、
プロレス修行中のハワイで同じ展開で敗れています。
1本目の決め技はバックドロップではなく、テーズのもうひとつの必殺技であるパイルドライバー。
1958年(昭和28年)12月6日ハワイホノルル・シビック・オーデトリアム
NWA認定世界ヘビー級選手権試合(61分3本勝負)
ルー・テーズ(2-0)力道山光浩
①テーズ(43分0秒、体固め)力道山
②テーズ(0分22秒、試合放棄)力道山
その後、日本でもテーズが参加した1962年の日本プロレスWリーグ戦では遠藤、吉村らセミファイナリストクラスや
若手の大木との試合で、試合詳細はわかりませんが、同じ展開と思われる結果が残っています。
この時はリーグ公式戦はラウンド制で行われており、テーズのシングル3本勝負は力道山と戦った優勝戦と、
数試合の非公式戦だけなのですが、記録を見る限り、優勝戦以外はすべて同じ展開なのです。
このシリーズには、当時日プロのブッカ―(外国人レスラー招聘窓口)を務めていたグレート東郷も出場していました。
当然、マッチメイクにも絡んでいたでしょう。
そして6年後、紆余曲折の末、国際プロレスのブッカ―に就いていた東郷は自ら来日してマッチメイクも手掛けていました。
当然、テーズ対草津戦のマッチメイクも東郷によるものでしょう。
そして、いわばおなじみ・定番のマッチメイクを行ったのです。
では、そうだったとして、疑問は大きく三つ。
1.東郷がそうした意図は?
2.TBSの意向は?
3.将来を潰された草津は?
なるべく簡潔に記していきます。
◆東郷はなぜこのようなマッチメイクをしたのか。
これには様々な思惑が絡んでいるでしょうが、最大の理由は大木金太郎です。
東郷は大木を日本プロレスから引き抜こうとしていました。
テーズ対草津から約2週間後の1月17日の宮城での試合に大木を来場させ、参戦を宣言させる段取りでしたが、
間際で日プロ側の巻き返しにあって実現しなかったといわれます。
これは有名な話なので、真偽を云々する必要はないでしょう。
大木を引き抜くためには、エースの座を空けておかねばなりません。
草津をテーズに勝たせて王者にするわけにはいかなかったのです。
この点については、大木を引き抜いてエースに据えたところで、日プロに対抗できるのかという疑問もあります。
しかし、東郷がその時点でそれがベストと考えて実行しようとしたことは事実です。
である以上、草津をテーズに勝たせなかったのは、大木の為と考えるのが、やはり妥当です。
東郷の大木引き抜き工作はよく知られているのに、なぜかテーズ対草津と関連付けて語られる事はありませんでした。
大木が、草津が王者になった後、その二番手以下として国際に移籍するなど考えられません。
「大木を引き抜いてエースに」と決めていた東郷からすれば、草津をテーズに勝たせないのは当たり前なのです。
ただし、定番とはいえ、何故あの負け方にしなければならなかったかには疑問が残ります。
もっと、健闘空しく“惜敗”といえる負け方でも、特に問題があったとも考え難いです。
敢えて深読みすれば、そこにはTBSとの関係が絡んでいるのかも知れません。
◆TBSは何を考え、求めたのか?
草津をエースにというのはTBSの意向でした。
これ自体、実績の乏しい草津をテレビの力でエースにできるなどと、TBSのおごりだとの批判がされてきました。
しかし、国際プロレス吉原功社長と同期の早大OBで、TBS運動部副部長だった森忠大氏の最近のインタビューで、
猪木が抜け、ヒロ・マツダが抜けた状況で放送開始を控え、社内やスポンサーを納得させる為にも誰かをエースにせねばならない。
消去法で草津以外にいなかったからという、積極的ではない、苦肉の選択だったと語られています。
私は、このインタビューは全体に整合性があり、比較的信用度の高いものだと思っています。
おそらくTBSサイドは、プロレスが完全にシナりオ通りにやるものだとまでは思っていなかったのでしょう。
ただ、プロモーターやマッチメイカーの権限で、ある程度はコントロールできるものだとは考えており、
草津の勝利を東郷に要望したのではないでしょうか。
しかし、東郷は大木の引き抜きを決めていた。
この大木の引き抜き工作は相当きな臭い面があり、東郷はTBSにも秘密で進めていたのでしょう。
そこで東郷は、TBSに対して言い訳が立つよう、アクシデントに見えるブックで草津を負けさせたのだと考えられます。
あくまでひとつの推論に過ぎませんが、一応の筋は通っているかと思います。
◆グレート草津の悲劇?
ここまで述べてきたのがテーズ対草津戦マッチメイクの真相だと考えています。
しかし、このような政治的理由のために、充分な素質を持っていた草津の将来が潰されたとしたら、
草津があまりに気の毒では? とも思えます・・・が。
いや、この件はそもそもそんな風に考えるのがおかしいのです。
この時の草津は国内では前座戦の経験しかなく、アメリカでも大した実績のないグリーンボーイです。
テーズに勝つ方がおかしいのです。
グリーンボーイが絶対的世界王者に勝ってデビューとなれば、たしかにセンセーショナルです。
しかし、少し先を見据えれば、まずは負けて、そこから這い上がるというのが、物語としてはやはり正統です。
別に大木の問題などなくても、最初は敗戦からスタートするのが、真っ当なマッチメイクでしょう。
東郷が、草津のために先々のストーリーを考えていたのかまではわかりません。
それからまもなく、ビジネス上のトラブルで国際と決別してしまいましたから。
しかし、実績のある大木を引き抜き、とりあえずエースに据えたとしても、
大木は、草津やサンダー杉山より10歳以上年長です。
草津達はまた改めて売りだせばいいと考えていたとしても、おかしくはないでしよう。
そもそも、力道山が修行中に同様の経験をしていることを考えれば、
草津も次代のエースとして、その伝説を踏襲させようとしていたと考えることもできます。
たしかに草津は15年の国際プロレスの歴史の中で、一度も単独でエースなることはありませんでした。
それには様々な要因があるでしょう。
私は、本人にその意向がなかったのが一番かと思っています。
草津は、団体内の序列をコントロールできるマッチメイカーの立場に長くいたのですから。
いずれにしろ、テーズ戦のために草津がエースになれなかったというのは、結果論に過ぎません。
猪木の場合
参考までにアントニオ猪木の例を挙げておきます。
テーズ対草津の4年後、新日本プロレスを創立したアントニオ猪木は
旗揚げ初戦でカール・ゴッチに完敗しました。
猪木は日本プロレスで馬場と並ぶエースで三冠王でした。
それが、一時期は引退状態だったゴッチに負けるとは、草津よりはるかに傷跡は深い筈です。
しかし、この敗戦により猪木が潰れてしまったなどと語られることはまったくありません。
そして、猪木はその後、ゴッチの王座に大舞台で挑戦するというストーリーに繫げました。
ゴッチ以外に大物を招聘するメドが立たなかった新日本プロレスとしては、
ゴッチを祭り上げる最大限の演出だったともいえます。
まずはリビングレジェンドの大レスラーに負け、そこから改めてスタートをする。
こちらの方が明らかに王道のストーリー作りでしょう。
草津の場合はその後のストーリー作りをちゃんとやらなかったということです。
以上、私見をなるべく簡潔にまとめました。
Old Fashioned Club 月野景史
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