【訃報】オックス・ベーカー死去/昭和プロレス伝説の悪役レスラー逝く
アメリカの元プロレスラー、オックス・ベーカーが10月20日に亡くなりました。80歳。
http://www.sponichi.co.jp/battle/news/2014/10/21/kiji/K20141021009141570.html
オックス・ベーカー
(Ox Baker、本名:Douglas Allen Baker、1934年4月19日-2014年10月22日 )
1960年代~80年代、全米・カナダのみならず、オーストラリア、南アフリカ、日本など、
世界を股にかけて暴れた悪役レスラー。狂った猛牛=狂牛などと呼ばれました。
198cm、150kg(全盛時)、剛毛に覆われた巨体。
スキンヘッドに八の字ヒゲと吊り上った眉毛。一度見たら忘れない風貌。
これぞヒール、レジェンド。悪役レスラーの象徴でした。
動きは鈍く、グランドレスリングは出来ない、殴る蹴るだけ。
顔と体、野太い声、生肉をかじるパフォーマンスが“武器”。
二人のレスラーをリング上で殺害、米マット史に残る暴動騒ぎの主犯、
そして、日本でも金網デスマッチで、あのラッシャー木村の足を骨折させた。
数々の、禍々しい伝説に彩られた、究極のB級レスラーでした。
その素顔は・・・、いたって穏やかな好人物といわれます。
そして、引退後も往年の風貌を維持して、過去のイメージを崩さず、
“オックス・ベーカー”であり続けた、真のプロフェッショナルでもありました。
1934年ミズーリ州生まれ
兵役を経て1962年に28歳でデビューなので、プロレスラーとしてはたいぶ遅いスタートです。
意外にも最初はベビーフェイス(善役)で、MSG等で大物ヒール達のジョバー(負け役)をやっていました。
当時はもちろん、上の写真のような風貌ではありませんでした。
この頃から「オックス」を名乗っており、日本では後年、「猛牛」などと呼ばれましたが、
「OX」は牛は牛でも、去勢された家畜牛の事で、転じて「のろま」などの意になります。
元々は、このベビーフェイスのジョバー時代のイメージなのでしょう。
リングの殺し屋の誕生
やがて、巨体を生かしたヒールへ転向していくのですが、
そのベーカーを襲ったのが、2度にわたるリング禍でした。
1971年6月13日、ネブラスカ州オマハでアルバート・トーレス、
1972年8月1日、ジョージア州アトランタでレイ・ガンケルが、
ベーカーとの試合後に死亡したのです。
いずれも不幸な事故であり、ベーカー自身も苦悩したようですが、
プロレスの世界では、これは勲章になります。
また、そうしていかねば生きていけません。
ベーカーが放つ心臓部へのパンチ攻撃(ハート・パンチ)は殺人パンチとして恐れられ、
超凶悪ヒールとして、その悪名は全米から国外にまで響き渡ります。
(日本では、なぜかパンチではなく、殺人キックとして伝えられていました。)
The Cleveland Riot(クリーブランドの暴動)
日本ではあまり知られていませんが、ベーカーはもうひとつ大事件に関わっています。
1974年1月31日、オハイオ州クリーブランドでジョニー・パワーズvs.アーニー・ラッドの試合に乱入し、
米マット史に残る観客の暴動騒ぎをまき起こしたのです。
ベーカーとしては、マッチメークの通りに仕事をしただけで、不幸なアクシデントでしたが、
これもまた、ヒールとしての箔付けになりました。
問題のマッチメークの仕掛け人であるプロモーターは、当事者の1人でもあるジョニー・パワーズです。
パワーズはアントニオ猪木のライバルとして知られ、キャリアにおいて猪木との類似点が指摘されますが、
猪木も後年、新日本プロレスの興行で複数回の暴動騒ぎを起こしました。
変なところまで似ています。
ともかく、悪役としてのいくつもの勲章を手にしたベーカーは、
アメリカ、カナダのみならず、オーストラリア、ニュージランド、プエルトリコ、南アフリカ、そして日本と、
世界を股にかけ暴れまわり、数々のタイトルを手中にしました。
日本でのベーカー
日本には前述の米国でのリング禍の以前、1969年に国際プロレスに初来日。
2度目の登場の1970年12月12日、台東区体育館大会でのラッシャー木村との金網デスマッチでは、
パイプ椅子で木村の脚を乱打し、左足を骨折させています。
アメリカに先駆けて日本で、凶暴な伝説を作っていたのです。
この時期の国際プロレスへの3度の来日後、
1975年に全日本プロレス、1978年と79年に再び国際プロレス、
1980年に新日本プロレスと、昭和後期の3団体を制覇しました。
しかし、総じて日本での評価は高くなく、戦績も今ひとつでしたね。
タイトルの獲得もありませんでしたし。
特に因縁のパワーズと組んで参加した新日本の第1回MSGタッグリーグは最悪の成績で、
これが最後の来日となりました。
「動きがのろい」「レスリングができない」「凄いのは顔だけ」「でくの坊」
間違ってはいないかも知れませんが、やや不当な低評価だったと、私は思います。
レスラー晩年~引退後
日本での評価はともかく、アメリカではその強面を生かして、
映画『バトルクリーク・ブロー』(1980年 / ジャッキー・チェン主演)、
『ニューヨーク1997』(1981年 / ジョン・カーペンター監督、カート・ラッセル主演)、
などの作品で敵役を演じ、俳優としても実績を残しました。
レスラーとしての引退は1988年、54歳までの現役生活でした。
その後は後進の育成にも携わりました。
そして、2000年以降も、かつてのイメージを損なわない風貌を維持し、
メディアやイベントにも登場していました。
近年の画像を紹介しましょう。
因縁深きジョニー・バワーズ(左)と。(2009年4月にテレビ出演した際の写真)
これもレア。全日本プロレスへの唯一の来日で一緒だったアブドーラ・ザ・ブッチャーと再会。
2010年のイベントのようです。
ハ―リ―・レイスと。年代は不明ですが、結構最近の写真のようにも思えます。
ベーカー(右 後姿)が作った料理を振る舞われるパワーズ(左)と、中央は“キングコング”アンジェロ・モスカ。
2008年制作の、パワーズがプロデュースするテレビ番組の一コマのようです。
最後までプロフェッショナルを貫いたレジェンド、オックス・ベーカー。
紹介した引退後の写真からも判るように、その素顔は穏やかな好人物だったと聞きます。
謹んで追悼の辞を記させていただきました。
Old Fashioned Club 月野景史
以下、スポニチアネックスより引用
http://www.sponichi.co.jp/battle/news/2014/10/21/kiji/K20141021009141570.html
☆☆☆
オックス・ベーカーさん死去 80歳…怪物的ヒール 映画出演も
「狂牛」のニックネーム、特徴的なスキンヘッドや極太の眉毛とヒゲで知られ、1960~80年代に怪物的なヒール(悪役)として活躍した元プロレスラーのオックス・ベーカーさんが20日、心臓発作のため亡くなった。米メディアが報じた。80歳。米ミズーリ州出身。
1962年にデビュー。70年代に入ると、一躍ヒールのトップスターになった。74年、WWA世界ヘビー級王座を獲得。アンドレ・ザ・ジャイアント、ボボ・ブラジルらの強豪を相手に、1年以上にわたって王座を保持した。88年に引退した。2人のレスラーを死に至らしめたリング禍もあった。
69年に初来日。70年12月には、ラッシャー木村と金網デスマッチ。パイプイスで木村の左足を乱打し、骨折させた。
アクション映画の悪役としても活躍。ジャッキー・チェン主演「バトルクリーク・ブロー」、カート・ラッセル主演「ニューヨーク1997」などに出演した。
[ 2014年10月21日 11:30 ]
★★★
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