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2014年3月 4日 (火)

【昭和プロレス】ビル・ロビンソン死去/国際、新日、全日。日本で大きな足跡を残した英国人レスラー

元プロレスラーのビル・ロビンソンが亡くなりました。75歳。
http://mainichi.jp/sports/news/20140305k0000m050041000c.html

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ビル・ロビンソン
(Bill Robinson、1938年9月18日 - 2014年3月3日)
イギリス・マンチェスター出身。通称「人間風車」



日本マットと欧州プロレス界

ビル・ロビンソンはヨーロッパマットのスターとして来日し、
日本でも大成功したプロレスラーの草分けです。

日本のプロレスはアメリカ及びカナダの北米大陸との強い結び付きの元、発展してきました。
力道山の作った日本プロレスは、アメリカから来日した悪役レスラーが、
日本人レスラーと闘うのが基本スタイルでした。
日系の悪役レスラーとして有名なグレート東郷が、招聘窓口になっていました。

その一方、欧州のプロレス界とはほとんど縁がありませんでした。
日本プロレスには欧州出身のレスラーも登場していますが、
それらの人達は活動の拠点をアメリカに移した後、そこからのルートで来日したものだったのです。


国際プロレスに初来日

1967年、日本プロレスから独立した国際プロレスが旗揚げされます。
この団体も当初は北米ルートで外人レスラーを招聘していましたが、
テレビ中継開始まもない時期に、ブッカーとのトラブルでそのルートを断たれてしまいます。

そこで、窮余の作で、これまで縁の薄かった欧州ルートに活路を求めたのです。
そのような経緯で、1968年4月、ロビンソンは初来日を果たしました。

15歳でイギリスの名門ビリー・ライレー・ジムに入門したロビンソンは、
英国マットを中心に欧州各国からインドや中東、さらには南米まで活躍の場を広げ、
1965年にヨーロピアン・ヘビー級王座、1967年にはブリティッシュ・ヘビー級王座を獲得、
初来日は30歳になる年で、欧州マットのエースともいえる存在でした。

若き英国紳士といった佇まい、フェアなファイトスタイル、華麗なテクニック、
そして美しくも痛烈な必殺技、ダブルアームスープレックス、
ロビンソンは外国人でありながら正義のヒーローとなります。
そして、日本サイドのエースとして、しばらく日本に滞在しました。
これも画期的なことでした。

同年に開催されたリーグ戦、IWAワールドシリーズで優勝し、
初代IWA世界ヘビー級王者に認定。翌年も連覇。
日本プロレスのワールドリーグ戦では日本勢以外が優勝した事はなかったので、
これもエポックメイキングでした。

その後、拠点をアメリカに移しますが、1974年まで常連の看板外国人レスラーとして、
国際プロレスへの参加を続けました。
同団体所属のレスラー達の壁となる共に、
カール・ゴッチやバーン・ガニアといった大物レスラーとの正統派対決でもファンを魅了しました。


新日本から全日本へ
そして1975年に新日本プロレスに登場。
12月11日に蔵前国技館でアントニオ猪木挑戦したNWF世界ヘビー級選手権試合は、
日本マット史上屈指の、正統派スタイルの名勝負として語り継がれています。
しかし、レスラーとしての新日登場はこの一度のみで、猪木とも最初で最後の対戦となりました。

翌1976年には全日本プロレスに移籍してジャイアント馬場との対戦が実現。
その後も全日本の常連として主にジャンボ鶴田の好敵手として闘う一方、
ファンクスやアブドーラ・ザ・ブッチャー、ニック・ボックウインクルなど、
他の大物外国人レスラーとの試合も話題も集めました。

しかし78年には40歳、足や腰に負傷を抱え、さすがに動きには衰えも見え始め、
ダブルアームスープレックスもかつての切れは失いました。
1985年が全日本への最後の登場となり、その年限りで米国でも引退しています。


引退後
その後も日本マットとの関わりは続きます。
1990年には猪木のレスラー生活30周年記念イベントに来日した後、
1992年にUWFインターナショナルに来日、
ニック・ボックウィンクルとエキシビション・マッチを行います。
その後も同団体のトレーナーとなり、またタイトルマッチのウィットネスとして度々来日。

UWFインター解散後の1999年よりUWFスネークピットジャパンのヘッドコーチに就任。
以降2008年まで、東京の高円寺に定住して後進の指導・育成に携わりました。
後年、長く日本に住んでいたのですね。
テレビなどで取り上げられたこともありました。


これぞ正統派といった綺麗な(時に綺麗過ぎる)試合スタイル
ダブルアームスープレックスやワンハンドバックブリーカーといった
見栄えのする大技を持つ一方、
シュートにも強く、マット界でポリスマン的な役割を果たしてきたともいわれます。

ニュースに書かれている「人間風車」とはやや大仰なニックネームですが、
ダブルアームスープレックスのイメージを表現したものです。

日本とも大変縁の深かった名レスラーの訃報でした。
謹んで哀悼の意を表します。

Old Fashioned Club  月野景史


以下、毎日新聞JPより転載
http://mainichi.jp/sports/news/20140305k0000m050041000c.html
☆☆☆
プロレス:「人間風車」ビル・ロビンソンさんが死去
毎日新聞 2014年03月04日 18時53分(最終更新 03月04日 18時57分)

「人間風車」の異名で知られ、日本でも人気があった往年の名プロレスラー、ビル・ロビンソンさんが3日、米国アーカンソー州で死去した。新日本プロレスが発表した。75歳だった。

ロビンソンさんは1938年、英国生まれ。68年に国際プロレスに招かれて来日し、ニックネームの由来となったダブルアームスープレックスやワンハンドバックブリーカーなど、多彩な技で「善玉」として人気となり、それまで「悪役」が主だった外国人プロレスラーの役割を変えた。

70年代中盤からは、新日本プロレスや全日本プロレスに活動の場を移し、アントニオ猪木さんやジャイアント馬場さん、ジャンボ鶴田さんとも戦いを繰り広げた。
引退後の99年から約10年にわたって東京・高円寺に住み、若手レスラーの指導に当たった。
★★★

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