【昭和プロレス】『Gスピリッツ Vol.31』は旗揚げ60周年記念 日本プロレス特集
今日、3月26日発売されたプロレスムック『Gスピリッツ』 Vol.31のテーマは、
「旗揚げ60周年記念特集 日本プロレス」。
キャッチとして「最強にして最狂のプロレス団体がここにある!」
なんとも過激な煽りがここにあります。
そして、今回はあのアントニオ猪木の10ページに及ぶインタビューが掲載されています。
しかし、敢えてそれを巻頭に持ってこず、
表紙でも、猪木の名を一番上にはしていますが、特に大きく扱ってはいない。
ここらは、Gスピリッツらしい、といえるのかどうか・・・。
では、何が巻頭に来ているか?
京谷泰弘氏のインタビュー記事です。
京谷泰弘氏は日本プロレス中継を放送した日本テレビのプロデューサー。
1954年の最初の放送からスタッフとして携わり、
1957年にはプロデューサーに就任しています。
この1957年は日プロ中継のレギュラー放送の始まった年ですから、
まさに最初期から日テレ側の責任者だった人です。
失礼ながら、こんなキャリアの人が、ご健在というのも驚きです。
いったい何歳なのか?
百歳越え??
京谷氏は1930年生まれとのことで、今年84歳。
ということは、プロデューサーになったのが27歳。
今の感覚だと、随分若いですね。
京谷氏の記事は14ページにわたります。
このキャリアな人ですので、大変貴重な証言だし、おもしろい。
裏事情にも随分精通しているようです。
興味深かったのはジャイアント馬場と猪木についての発言。
このポジションにいた人なので、
日テレとの関係に殉じた馬場を良く言って当然のように思えますが、
圧倒的に猪木に対して高評価でした。
さて、巻頭から外れた猪木のインタビューのテーマは「“若獅子”の青春時代」。
渡米修業に出る前、1960年4月の入門から、196312月の力道山死去まで、
3年半に絞っての証言で、なかなかおもしろいです。
そして、猪木はちょっと意外な事を語っています。
「馬場や猪木ら若手レスラーは、力道山から猛烈な特訓でしごかれ、鍛えられた。」
多くの人達が抱いているイメージだと思います。
おそらく、そのイメージを前提としての質問でしょうが、
「人形町の道場で、力道山は猪木ら若手レスラーを指導することはあったか?」
との問いに対する猪木の答えは
「ないですね」!
きっぱり否定されてしまいました。
これはちょっと驚きました。
もちろん、力道山が毎日道場に詰めて、若手を指導とていたとは思っていませんでしたが、
まったくなかったとは、さすがに意外です。
ただ、これは人形町に道場があった頃の話なので、
渋谷のリキ・スポーツパレスが完成し(1961年7月)、道場も移った後は別なのかも知れません。
でも、だとしたら、猪木もそう言いそうなものです。
記事から受ける印象では、人形町か渋谷かは問わず、
道場で力道山からしごかれた記憶は一切ない、と言ってるように感じます。
これが末期の国際プロレスのように、本社は高田馬場、道場は大宮というような環境だと、
社長や幹部クラスのレスラーが行くことはあまりない、というのもわかりますが、
特に渋谷のリキ・パレスには日プロ本社、試合会場、道場のみならず、
力道山経営の娯楽施設も複数入っていたと聞きます。
その環境なら、力道山がしばしば顔を出していたとしても、おかしくないように思えますが。
もっとも、道場が渋谷に移って後の1962年頃、猪木は力道山とスパーリングしたことは認めています。
ただ、これはマスコミに公開のパフォーマンスとしての意味合いが強いものだったようです。
馬場・猪木・大木のスパーリング
また、近年よくいわれる、力道山が他者に席を外させた密室状態の場所で、
馬場と猪木と大木の3人に、徹底的にガチのスパーリングをさせたことがある、
との説についても、猪木は「知らない」と一蹴しています。
たしかに猪木は、「力道山が自分たち若手を直接指導したことはない」と言っているのだから、
こんなこともなかったということになります。
ちなみに、馬場はリキ・スポーツパレスが完成する直前くらいのタイミングで渡米しており、
戻って来た時はメインエベンターの扱いです。
しかもまたすぐに再渡米してしまい、次の帰国は力道山の死後、その時は猪木が渡米中ですから、
もしこのスパーリングの話が本当なら、馬場の帰国後の事とは考え難く、
馬場と猪木の入門から、馬場の渡米(=パレスの完成)までの
1年ちょっとの間ということになるかと思います・・・が、果たして、スパーリングは真実なのか。
これについて猪木は、色々な人の証言もあるといわれると、
ではそんなこともあったのかも知れないけど、憶えてないと答えています。
しかし、そもそも密室での力道山、馬場、猪木、大木だけでのことなので、
唯一健在の猪木に知らないと言われると、検証は難しくなります。
マンモス鈴木の思い出
話は変わって、猪木の記事では、マンモス鈴木のついての証言も貴重です。
同誌では毎号、国際プロレス関係者の証言が掲載されていますが、
鈴木についての言及は極めて少ないので。
猪木によると、鈴木は面倒見がよく、かわいがってもらったとのこと。
これは、国際プロレス末期に専門誌に鈴木自身が書いていたコラムから、
私が受けた印象とピッタリ重なるので、嬉しく感じました。
またも、レスリングは弱かったが、
ボクシングをやっていたので殴り合いに強かったとのこと。
上に記した力道山関係の件だけ聞くと、猪木は真面目に答えてないのではと思うかも知れませんが、
鈴木との事を含め、全体としては入門当時の若き日の思い出を率直に語っている印象です。
日プロ特集は他に、
「北沢幹之×グレート小鹿 闘論――なぜ俺たちは対立することになったのか?」
「門馬忠雄 至近距離から見た豊登~BI時代」
どちらも大変おもしろいですが、
旗揚げ60周年記念特集と銘打っている割には、
ちょっとボリュームが少ないようにも感じました。
といっても、証言出来る人は限られており、贅沢はいえませんが。
国際プロレス特集はマイティ井上が登場。
前号のファンクスに続き、今号ではハ―リ―・レイスと、
日本とも関わり深い、米マットの超大物も登場しています。
全内容は以下の通り。
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G SPIRITS Vol.31
旗揚げ60周年記念特集 日本プロレス
■京谷泰弘
水面下で消滅した「力道山vs木村政彦の再戦」と「豊登vsカンガルー大晦日決戦」
■アントニオ猪木
“若獅子”の青春時代
■北沢幹之×グレート小鹿
闘論――なぜ俺たちは対立することになったのか?
■門馬忠雄
至近距離から見た豊登~BI時代
<スペシャルインタビュー>
■ハーリー・レイス
元NWA世界チャンピオンの帝王学
■ロイ・ウッド
ウィガンからのメッセージ
<英国軽量級レジェンド対談>
■ジョニー・セイント×クン・フー
追想――土曜午後の英国プロレス
<連載>
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■ドクトル・ルチャのミニ講座
アルベルト・ムニョスが巻いたナショナル・ウェルター級王座
このベルトは初代か、それとも2代目か!?
■実録・国際プロレス
【第21回】マイティ井上
■発売日 2014年3月26日
■出版社 辰巳出版
https://bemss.jp/g-spirits/cont111_003_013.php?kmws=vn06hhrsg67k6bpkojiobhp403
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Old Fashioned Club 月野景史
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