【ドラマ】『新書太閤記』(1973) 山口崇 田村正和/『軍師官兵衛』の秀吉と竹中半兵衛で思い出す名作
昨日のブログに書いた、NHK大河ドラマ『軍師官兵衛』第5回を観て思ったこと。
木下藤吉郎=豊臣秀吉(竹中直人)が竹中半兵衛重治(谷原章介)の家を訪ねて
薪割りをしているシーンがありました。
二人の会話から察すると、藤吉郎は半兵衛の家に通い詰め、
織田家にスカウトをしているようで、
半兵衛もその熱意に折れて、藤吉郎に仕える事を申し出ていました。
この、秀吉が半兵衛の家に通い詰めてスカウトをするという描き方、
過去にあったでしょうか?
大河ドラマでは、私が知る限りではありません。
(『太閤記』(1965年)、『秀吉』(1996年)はよく観てないのでわかりませんが)
しかし、大河ドラマ以外ではありました。
それも秀吉による半兵衛のスカウトを、丸々一話使って描いたドラマが。
知られざる名作といっていい作品です。
新書太閤記
1973年5月2日-9月26日 NET現テレビ朝日)
出演 豊臣秀吉:山口崇
織田信長:高橋悦史
明智光秀:中山仁
このドラマの画像は見つかりません。これはその1-2年前の山口崇さん。35歳頃
『新書太閤記』は1973年の放送。
この年、大河ドラマでは同時代の『国盗り物語』を放送していました。
時を同じくして、民放ではスケールの大きい戦国ドラマを放映していたのです。
小学生の低学年だった私が日本史に興味を持ったのも、
このドラマからでした。
キャストもなかなか豪華だったのですが、残念ながら視聴率は振るわなかったようで、
後々語られる事はほとんどなく、今もネット上に情報は少ないですが、
幸い、Wikipediaの小説『新書太閤記』の項目中に、このドラマの記述があります。
ただ、例えば徳川家康の配役(河原崎長一郎となっている)などは
違うのではないかと思います。
“太閤記”とはいっても、秀吉の晩年までは描かず、柴田勝家を滅ぼすまでで終わりでした。
このドラマ全般については、また改めて書きたいと思います。
さて、秀吉と半兵衛です。
上にも書いたように秀吉役は山口崇さんです。
では半兵衛は・・・・、あの田村正和さんでした。
当時の田村正和さん。30歳頃。
田村さんといえば主役しかやらないイメージがありますが、
この頃はまだ脇役での出演もあったのです。
主役以外やらなくなるのは意外と遅くて、1980年前後からでしょう。
このドラマの半兵衛は、山奥の庵にたしか妹と一緒に住んでいました。
今回の『軍師官兵衛』では、近江にある半兵衛の家を訪ねたとありますが、
ここはちょっと微妙です。
史実の半兵衛は美濃の斎藤家を離れた後、たしかに近江の浅井家に仕えますが、
まもなく美濃に戻って隠棲します。
秀吉が信長の命により半兵衛を勧誘したのは、一般にこの時期とされているので、
『新書太閤記』でも美濃を訪ねたのだと思います。
以下は乏しい記憶を辿っての回想です。
このドラマで秀吉は半兵衛をスカウトすべく一人で庵に通い詰めますが、
最初はなかなか会うことすらできませんでした。
半兵衛は妹に対応させていたのだと思います。
秀吉は蜂須賀小六(ハナ肇)に「毎日何をやってんですか?」といった感じで問われ、
「まだ会えてすらいないんだ!」と返していたのを憶えています。
そして丸一話かけて口説き落とすわけです。
薪割のシーンがあったかは覚えてませんが、あった可能性は高いかと思います。
たしか料理をする場面もありました。
今回の『軍師官兵衛』の藤吉郎と半兵衛のシーンは、
まるであのドラマのダイジェストのように感じました。
そのような展開なので、このドラマの秀吉と半兵衛は深い友情で結ばれていました。
半兵衛の死にあたっては、再びこの庵で秀吉が最期を看取りました。
妹はいたと思いますが、家来はおらず、
ラストは泣きはらした秀吉が夕焼けの中、一人庵を後にするシーンでした。
この最期については完全なフィクションで、実際の半兵衛は陣中で亡くなったとされますが、
ドラマとしては実に印象的なラストシーンでした。
なにしろ40年前に本放送で一度観たきりのドラマで、断片的な記憶しかなく、
今観たらどう思うのかわかりませんが、印象は強く残っているドラマです。
Wikipediaの記述にも疑問がありますが、書き直す典拠もないので、
このブログで近々にこのドラマについて書きたいと思っています。
Old Fashioned Club 月野景史
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私は13歳の時に吉川英治さんの新書太閤記を読みまして、竹中半兵衛が好きになり、以来55年彼を研究しております。一昨年から自分がいつ死んでもおかしくない年になったと悟り、福岡の彼の遺品をみたり、彼のものだと言われてきたのですが、近年の研究で違っていると分かった鎧や垂井町でのお墓参りや三木のお墓参りをやっております。このようになりましたのは、お書きになった1973年の田村正和さんの半兵衛にハートを射抜かれたからです。
その年以降山程の半兵衛を見てきましたが、田村正和さんを超える半兵衛はありません。断言致します。
投稿: すみちゃん | 2025年4月20日 (日) 09時51分