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2013年10月22日 (火)

【テレビ】『笑っていいとも!』来春終了/『いいとも』誕生秘話 タモリとたけしとスタジオアルタ

今日10月22日の放送で、『笑っていいとも!』の来年3月での終了がタモリさん自身により公言されました。
1982年10月の放送開始から31年が経過、来年3月までですから、31年半の歴史に幕を閉じる事になります。

今日は、タモリさん自身も知らなかったという『笑っていいとも!』誕生秘話を書いてみます。
まぁ、「秘話」といのは誇大表現ですが。

昨年2012年10月、ビートたけしさんがテレフォンショッキングに出演しました。
その際、たけしさんにも『いいとも』の司会の打診が来ていたという話が出ました。
タモリさんも初耳だったそうで、この件はそこそこの話題になりました。



その時のやりとり。音声のみです。

しかし、実はたけしさんがこのことを話すのは、これが最初ではありません。
それこそ、『いいとも』が始まって半年か一年くらいの時に聞いた記憶があります。
おそらく、たけしさんの『オールナイトニッポン』でだと思います。

『いいとも』が視聴率好調で話題になっているのを見て、
「ちきしょー! 本当は俺のところに先に話が来ていたのに、断っちゃったんだよ。
タモリの野郎、うまくやりやがって!」
などと口惜しがっていました。

実際には、当時のたけしさんはタモリさんを上回る超売れっ子で、
お昼の帯番組の生放送は難しかったと思います。
ただ、たけしさんの『元気が出るテレビ!!』『スポーツ大将』『風雲!たけし城』といった
ゴールデンタイムで長期の人気を誇った伝説的なお笑い・バラエティ番組のスタートはもう少し後で、
この頃は、低視聴率で短命に終わってしまうような番組も結構あったのです。

しかし、それらの本来不名誉な失敗も、パワフルにネタにしてしまうしたたかさがありました。
『いいとも』についても、そんな愚痴ネタのひとつという感じでした。
たけしさんがこの件について語ったのは、私が聞いたのはたぶんこの1回だけで、
おそらくそんなにしゃべってないと思います。

ところで、たけしさんは、自分の経験をネタにすることが多かったのですが、
事実なのか、作り話なのか、判断が難しい場合もあります。
しかし、この『いいとも』の司会の依頼がタモリさんより先に来たという話は、おそらく本当だと思います。
当時の状況から考えて、『いいとも』の前に放送されていた『笑ってる場合ですよ!』の
レギュラーだったたけしさんに、まず依頼が行くのが当然だと思われるからです。

この『笑ってる場合ですよ!』からの流れについては、
昨年、たけしさんが『いいとも』に出た時も語っていましたが、
それを補完する意味で、番組自体の概要からちょっと説明しましょう。


『笑ってる場合ですよ!』(フジテレビ系列)
1980年10月1日-1982年10月1日


『笑っていいとも!』のスタートは1982年10月ですが、その前の2年間、
月-金の同じ時間帯に、同じスタジオアルタからの生放送されていました。

この番組がスタートした1980年は漫才(マンザイ)ブームの真っ最中。
その中でも一番に飛び出して、アイドル的な人気もあったB&Bが月-金通しての司会、
その他マンザイブームの主力であったツービート、紳助・竜介、ザ・ぼんち、
のりお・よしおらが日替わりでサブ司会を務めました。
漫才勢以外では、春風亭小朝さんがスタート時の日替わりレギュラーでしたが、
たしか半年で、明石家さんまさんにチェンジしたと思います。

この時のマンザイブームはまさに空前のものでした。
ただ、大ブームというのは、えてして失速も早いものです。
ブームも陰りが見え、特にB&Bは人気の落ち込みが顕著であったせいか、
最後の半年はB&Bは月曜のみの出演となり、完全日替わり司会制となりました。
しかし、落ち込みは止められず、番組も2年で終了ということになったのです。

そのマンザイブームの失速の中で、一人気を吐いていたのがたけしさんでした。
まさに時代の寵児という勢いで、まずたけしさんに打診がいくのは当然です。
番組の名物プロデューサーは横澤彪氏。
たけしさんも、横澤さんから毎日通しでやらないかと打診を受けたと語っていました。

だから正確にいうと、『いいとも』の司会ではなく、
『笑ってる場合ですよ!』の後番組の依頼を受けたということです。
もし、たけしさんが受けていたら、番組のタイトルも内容も違っていたかも知れません。

しかし、上でも書いたように、当時のたけしさんの売れっ子ぶりからすると、
月~金昼の生放送は現実的ではなかったと思います。
でも、一応打診はしてみた、というところしょうか。


当時のタモリさん
ではその頃のタモリさんはどんなポジションだったのか?

既に、異能・多彩のタレントとして知名度も高かったですが、
クセが強くて嫌われる傾向もあり、レギュラー番組も失敗に終わることが多かったです。
平日お昼の顔に向いてるも思えず、またマンザイブームとの縁も薄かったので、
『笑ってる場合ですよ!』の後番組の司会とは驚いたのですが、
ただ、お笑い・バラエティ路線を継承するなら、この人くらいしかないいのかな、
とは思いました。
それにしても、まさか、こんなに長く続くとは。


タモリさんとスタジオアルタ
ところが、実はタモリさん、お昼のスタジオアルタからの生放送は、
『いいとも』が初めてではないのです。

『笑ってる場合ですよ!』が始まった1980年10月の同時スタートで、
タモリさんは東京12チャンネル(現テレビ東京)で毎週日曜12時から、
『タモリの突撃ナマ放送』という番組をやっていたのです。
視聴率は振るわなかったようで、翌年の6月で終了しました。
随分前ですが、タモリさんは『いいとも』の中で一度、この番組について話した事がありました。


タモリさんとたけしさん
『いいとも』スタート当時、この二人は犬猿の仲でした。
知っていましたか?

年齢はタモリさんが二歳(一学年)上、芸歴はたけしさんが長いが、
テレビで全国的知名度を得たのはタモリさんが先という関係です。

初期の『いいとも』にたけしさんが乱入して暴れたことがありました。
オールナイトニッポンではタモリさんが水曜深夜、たけしさんが木曜深夜の担当でしたが、
たけしさんがタモリさんの放送中に乱入したことがありました。
(もっともこの時は、順番に各曜日に乱入したのですが)

このような“共演”以外でも、結構相手をネタにして悪口と言うことがありました。
もちろん、これらは演出された不仲だったのでしょうが、
ガチで嫌いあっているようにも思えました。
当時の二人には、タブーをタブーともしないような危うさもあったのです。

などと『いいとも』スタート当時のことを様々思い出してみましたが、
それにしても32年間、長く続いたものです。
レギュラーでゲストで、多くのタレントさん達が出演しました。
タモリさんも68歳とのこと、そろそろ良い時期なのかも知れません。


Old Fashioned Club  月野景史

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