『サザエさん』については何度かこのブログでも書いてきました。
主にアニメではなく、原作マンガについてですが。
4コマ漫画『サザエさん』の朝日新聞朝刊への連載は、
1974年2月の掲載をもって、長い休載に入ります。
それから5年後の1978年、作者の長谷川町子氏は朝日新聞日曜版に、
『サザエさんうちあけ話』を連載します。
作者の自伝的作品です。
その年の4月-11月に連載された『うちあけ話』は話題を呼び、
翌1979年4月スタートのNHK朝の連続テレビ小説『マー姉ちゃん』の原作となりました。
そして、休載扱いだった『サザエさん』は、正式に終了となりました。
長谷川町子さんが亡くなるのは、『うちあけ話』から14年後の1992年です。
しかし、町子さんはそれ以前に大病も患っており、
本格的な連載は『うちあけ話』が最後、事実上の遺作だと、
私は結構長い間そう思っていました。
しかし、『うちあけ話』から9年後の1987年、
町子さんは、同じ朝日新聞日曜版に『サザエさん旅あるき』を連載しているのです。
こちらが本当の遺作になります。
『サザエさん旅あるき』
基本的に『うちあけ話』と同じ、作者の自伝的作品です。
長谷川町子氏は旅行好きで、『うちあけ話』にも内外の旅の話が多く描かれていました。
『旅あるき』は『うちあけ話』の続編的な位置づけですが、
テーマを旅行に絞ったエッセイ漫画といった趣の作品です。
9年も間をあけて、単発ならともかく連載とは、よく描く気になってくれたものです。
大仰かも知れませんが、奇跡の遺作だと思います。
『うちあけ話』も『旅あるき』も、とにかくおもしろいです。
おもしろ過ぎる故に、妙な疑問も憶えます。
上述のように、『うちあけ話』は作者の自伝的作品と捉えられてました。
公の場に出ることが極端に少なかった町子氏を知る上での貴重な資料でもあり、
Wikipediaなどもそれを典拠に書かれている面もあります。
しかし、「事実は小説より奇なり」とはいえ、やはりおもしろ過ぎる、
フィクションの部分、創作や誇張もあるのでは、と感じていました。
『旅あるき』を読んで、更にその感を強くした面もあります。
もちろん、それを批判する気など毛頭ありません。
日本漫画史の巨人は、読者を笑わせ、楽しませることに最後まで貪欲だったのです。
『サザエさんうちあけ話』『サザエさん旅あるき』。
朝日新聞社から文庫版で、『サザエさん』と同じ体裁で発行されています。
ただ、流通在庫は薄めかも知れません。
サザエさんファンなら、是非読んでほしいものです。
『サザエさん旅あるき』の不思議
しかしながら、上に書いたようなこととは別次元で、
『サザエさん旅あるき』には違和感を感じました。
『うちあけ話』と比べればすぐわかることなので、
違和感というのも変かも知れませんが、不思議なことがあるのです。
それは何か?
長谷川町子さんは三人姉妹の真ん中です。
おとうさんは早くに亡くなっており、
おかあさんと三姉妹で、戦中戦後を過ごしてきました。
『サザエさんうちあけ話』は、この女性四人の物語です。
下の妹さんには娘さんが二人います(ご主人は早く亡くなっています)。
町子さんからすれば姪にあたる彼女らも登場しますが、セミレギュラーといったところ、
レギュラーメンバーはおかあさんと三人娘でした。
ところが、『旅あるき』にはそのうちの妹さん、長谷川洋子さんという方ですが、
この人がほとんど登場しないのです。
正確にいうと、戦後すぐの回想シーンで、1カットのみ小さく登場するだけ。
まったく出てこないといっていいくらいです。
続編とはいっても、描かれているのは『うちあけ話』と同じ時代の思い出話なのだから、
4人しかいないレギュラーのうちの1人が出てこないのは不自然です。
もちろん、洋子さんの娘二人もまったく登場しません。
ほとんど存在そのものがなかったようになっているのです。
そもそも『うちあけ話』では、町子さんとお姉さんの長谷川毬子(まり子)さんは
共に性格が強くて合わないように描かれることもあり、
町子さんは妹の洋子さんと連れ立っているようなシーンが多かったのです。
その洋子さんが出てこないとは、一体なぜ?
推測するに、『うちあけ話』の描かれた1978年から、
『旅あるき』の1987年の間に、姉妹になんらかのトラブルがあり、
絶縁状態になった為に、『旅あるき』では存在自体をオミットしてしまったのか?
それくらいしか考えつきません。
しかし、戦中戦後を生き抜いた三姉妹が、老境を迎えて分裂するとは、
考え難いですが…。
さて、私がそんな風に思ったのはたいぶ前の話、
今はインターネットで検索すれば、すぐに調べられます。
結論をいえば、私の推測通りでした。
上の2人、毬子さん・町子さんと、洋子さんは絶縁状態になってしまったとのこと。
Wikipediaにも載っています。
その妹、長谷川洋子さんは、町子さん死去から16年後の2008年、
自伝的エッセイ『サザエさんの東京物語』を朝日出版社から上梓しています。
そこには、姉たちとの絶縁の至る事情も、詳しく…はないですが、書かれています。
長く一緒に住んでいた家の転居に関わる行き違いが原因で別れて住むようになり、
そのまま町子さんが亡くなるまで交流はなかったようです。
しかし、晩年に姉妹決裂とは、哀しい話のように思いますが、
そうともいえないようにも思います。
『サザエさん』をはじめとする長谷川町子作品は、
まり子さんが代表を務めた「姉妹社」から刊行されてきました。
そして妹の洋子さんも、姉妹社の一員として、『サザエさん』の成功に寄与してきた人です。
大きな成功を成し得た姉妹が、それぞれ自分の信念を貫いた結果なのですから。
それはこの『サザエさんの東京物語』の読後感でもあります。
この本については、項を改めて書きます。
※尚、Wikipediaによると、三姉妹の長女の長谷川毬子さんは2012年1月に亡くなったようです。
この件はこちらに記しました。
http://oldfashioned.cocolog-nifty.com/blog/2013/03/post-c727.html
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