【訃報】大島渚氏死去/大島監督と『たけしのオールナイトニッポン』と『戦場のメリークリスマス』
映画監督の大島渚さんが15日に亡くなりました。80歳。
http://mainichi.jp/select/news/20130116k0000m040051000c.html
後年はテレビにおける文化人コメンテーターとしても活躍した人ですね。
この分野の先駆けの一人といっていいかも知れません。
松竹ヌーベルバーグなどと呼ばれ注目されながらも、早くに大手資本を離れ、
いわばインディーとして、社会性の強い映像制作活動を行っていた大島氏が、
いつ頃から、どのようにしてテレビのお馴染みの顔になったのでしょうか?
やはり、ビートたけしさんによって売り出された面が大きかったかと思います。
今回はたけしさんと大島監督に絞って回顧してみます。
たけしさんと大島氏の接点は大島氏が監督した『戦場のメリークリスマス』(1983年5月公開)。
お笑いタレントとして大ブレイクしていたたけしさんを、未知数の俳優として重要な役に起用したのです。
たけしさんは自身がパーソナリティーを務めるラジオ番組、ニッポン放送の『オールナイト・ニッポン』で、
制作中から出品したカンヌ映画祭まで、この映画のこと、また大島監督のエピソードをネタとして、
おもしろおかしくレポートを続けたのです。
これによって大島監督のキャラクターが広く知れ渡った面はあると思います。
当時のラジオはそんなに影響力があったのか?
いや、既にラジオは斜陽でした。
たけしさんのようなテレビの人気者に頼らなければならなかったのは、そのひとつの表れです。
しかし、たけしさんの『オールナイトニッポン』は別格の人気でした。
ビートたけしのオールナイトニッポン
空前の漫才(マンザイ)ブームで大人気となったたけしさんがこの番組を始めたのは、
1986年1月1日、つまり元旦にスタートしたのです。
一躍、中高大学生あたり、当時の“ヤング”達の話題を独占しました。
当時、たけしさんは既に34歳。
中高生の人気者になるには少し年を取り過ぎていたのですが、
まったく問題なし、とにかく面白ければ勝ちというところでした。
私のような、「たけしのオールナイト」ジャンキー、たけしキッズが多く誕生したのです。
たけしさんのオールナイトの特徴として、実在の有名人の素顔を虚実織り交ぜてネタにすることがありました。
例えば村田英雄さん、ガッツ石松さん、安岡力也さん、ポール牧さん、大橋巨泉さん、後年は高倉健さんなども。
ガッツさんをネタにしたのは、はなわさんが最初ではありません。たけしさんが先です。
村田さんのように、ネタにされたことにより、若者の間でプチブレイクを果たすこともありました。
その流れに、大島監督もピタリはまったのです。
『戦場のメリークリスマス』
大島監督にとっては、公開年次でいうと『愛の亡霊』以来5年ぶりの映画ということになります。
俳優としては未知数のたけしさんの起用は、もちろんその才能を見抜いてでしょうが、
話題性という面もあったかと思います。
公開は1983年5月なので、撮影は1982年から行われていたのでしょうか。
当時は既に漫才ブームは一段落し、「たけしブーム」は絶賛継続中といったところでした。
この映画のロケは南太平洋南ラロトンガ諸島ラロトンガ島で行われました。
たけしさんも猛烈に忙しいスケジュールの中、おそらく1~2週間ほど参加したのだと思います。
『オールナイト・ニッポン』では、ラロトンガ滞在中のたけしさんが、
現地から衛星中継で撮影の様子をレポートしました…。
が、実はこれはフェイクでした。
事前に録っておいたものを流したのです。
その日の放送中に明かしたか、後日カミングアウトしたか憶えていませんが、
私はしばらく騙されていました。
もちろん、たけしさんの帰国後に撮影中、特に大島監督の様々なエピソードが紹介されました。
いくつかWikipedia等にも記載され、伝説になってますね。
後年の姿を見ても想像はつくと思いますが、大島氏は撮影に入るとのめりこみ、
激しく怒鳴りまくるといいます。
それを聞いていたたけしさんは事前に
「監督、俺は役者じゃない、漫才師だから。怒鳴られてまで映画やりたくはない。もし怒鳴ったら帰りますからね。」
と伝え、大島氏も了承していたそうです。
たけしさんがハードスケジュールをぬってロケに合流した時は既に撮影も佳境。
セリフを覚えていなかったたけしさんは、いきなりNGを出しました。
大島監督は烈火のごとく怒り、「セリフぐらい覚えてぇ…」まで言ったところで、
たけしさんとの約束を思いだし、たけしさんの隣にいた俳優さんを指さし「覚えて来い!!」
指された方は「ええ俺? なんで??」
Wikipediaでは少し違うニュアンスで書かれていますが、
たけしさんがオールナイトで語ったのはこんな内容だったと思います。
南洋のイメージを出すためにトカゲを撮りたいのだけど、思うように動いてくれない。
「トカゲにキュー出しをした。」
「トカゲに『どこの事務所だ!』と怒った。」
そんな話もありました。
わけがわからなくなるほど、のめり込んでしまってることを示すエピソードです。
そういえば、戦争映画なので坊主頭にせねばならないのですが、
ツービートの相棒のピートきよしさんも出演予定だったので、
たけしさん立会いの元、きよしさんの断髪式をテレビで生中継したと思います。
たぶんフジテレビ『笑ってる場合ですよ!』だったと思います。
たけしさん自身は後日、非公開で断髪しました。
制作段階からこれだけ宣伝され、注目された映画も稀でしょう。
尚、きよしさんはロケには参加したのですが、出演はしませんでした。
Wikipediaを読むと、出演シーンがカットされたように取れますが、撮影自体されなかったのだと思います。
きよしさんが行った時点で、当初の出演予定シーンは別の俳優により撮影済みで、
あまり端役というわけにもいかず、他にふれる役がない、というような話だったと憶えています。
『戦場のメリークリスマス』は第36回カンヌ国際映画祭に出品され、
グランプリ最有力と言われたが受賞は逃しました。
それも日本の『楢山節考』(今村昌平監督)に負けてしまったのですが、
たけしさんにとっては、これも恰好のネタになりました。
ラジオのみならず、テレビ『オレたちひょうきん族』のコーナー、
『タケちゃんマン』でも、『戦場のメリーさんの羊』としてパロディにされました。
そして、この『ひょうきん族』でもそうだったと思いますが、
たけしさんは自身、大島監督のものまねをよくやっていました。
たけしさんのものまねは、あまり印象ないかも知れませんが、
芸術家の岡本太郎氏とこの大島監督などは、よく真似していました。
似ているかというと微妙ですが、特徴を捉えて強烈にデフォルメするので、やはりおもしろかったです。
蛇足ですが、たけしさんが岡本氏か大島氏、竹中直人さんが遠藤周作氏に扮して、
最後はつかみ合い、首の締め合いになるという、夢のような共演もありました。
このように、大島氏がテレビの顔になったのは、たけしさんの影響が大きいでしょうし、
逆に世界的映画監督北野武の誕生は、もちろん大島氏との出会いが大きかったのでしょう。
謹んで大島氏に哀悼の意を表します。
Old Fashioned Club 月野景史
毎日JPより引用
☆☆☆
「愛のコリーダ」「戦場のメリークリスマス」などで知られる映画監督の大島渚(おおしま・なぎさ)さんが15日午後3時25分、肺炎のため神奈川県藤沢市内の病院で死去した。80歳。通夜、葬儀の日程は未定。喪主は妻で女優の小山明子(こやま・あきこ、本名=大島明子)さん。
京都市生まれ。京都大卒業後の1954年、松竹大船撮影所に入所。59年「愛と希望の街」で監督デビュー。60年には「青春残酷物語」「太陽の墓場」を発表し、作品の社会性と斬新な演出で、同時期に入社した吉田喜重、篠田正浩両監督と並んで“松竹ヌーベルバーグ”と称された。
61年に松竹を退社し、独立プロ「創造社」を設立。「飼育」(61年)、「白昼の通り魔」(66年)、「絞死刑」(68年)、「儀式」(71年)など次々に問題作を発表した。創造社解散後の76年、フランスとの合作で「愛のコリーダ」を製作。激しい性描写が物議を醸し、映画のスチール写真を掲載した単行本「愛のコリーダ」が、わいせつ文書にあたるとして、摘発された。82年に無罪確定。
劇映画だけでなく、「忘れられた皇軍」などテレビドキュメンタリーでも活躍。弱者の現実を体制批判を込めて描き、高く評価された。78年「愛の亡霊」でカンヌ国際映画祭監督賞、83年「戦場のメリークリスマス」で毎日映画コンクール日本映画大賞などを受賞。
96年、新選組を題材にした「御法度」製作発表直後、出血性脳梗塞(こうそく)で倒れ入院。後遺症は残ったが、99年に映画を完成させ、カンヌ国際映画祭に出品した。この作品で毎日芸術賞を受賞した。2000年に紫綬褒章。テレビ番組でタレント性を発揮するなど、お茶の間の人気者でもあった。
http://mainichi.jp/select/news/20130116k0000m040051000c.html
★★★
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