【昭和プロレス】ビル・ドロモ死去/馬場に嫌われた男
昨年12月28日、カナダ出身で、アメリカで活躍したプロレスラー、ビル・ドロモが亡くなりました。75歳。
ドロモはWikipwdia英語版・日本語版とも項目がなく、年末の時点では訃報の詳細がわからなかったのですが。
既に、Gスピリッツでもおなじみの小泉悦次氏がブログに追悼記事を書かれています。
http://ameblo.jp/joehookersr/entry-11445523388.html
ビル・ドロモ(Bill Dromo 1937年6月28日-2013年12月28日)
恵まれた体躯で大技に迫力があり、将来を嘱望されたレスラーでしたが、
超大物といわれるまでには育たなかった人です。
ですが、日本にも1964年から80年まで、日本プロレス2回、国際プロレス3回、新日本プロリス2回と、
合計7度来日し、それなりの実績を残しています。
新日本への一度目の来日は、覆面のジ・インベーダーとしてでした。
さて、実はこの人、変なことで有名なのです。
小泉氏はあえてふれなかったようですが、
ジャイアント馬場がこのドロモのことを大変嫌っていたことが、よく知られています。
馬場は1960年にプロレス入り、翌1961年には渡米修行に入り、東部マットを中心に大きな活躍を残しました。
馬場の自伝によれば、ニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデンでの初戦でドロモと当たったのだそうですが、
意地の悪い男で、新人の馬場をバカにしてまともにプロレスをしようせず、
最後は殴り合いのようなことになってしまったようです。
レスラーの性格については語る人によって違いがあり、
例えば近年出たDVDで、マイティ井上はドロモについて好人物だったような言い方をしています。
ただ、同じDVDの中で、アメリカ生活の長いマティ鈴木は、馬場と同様の見方でした。
というわけで、馬場は自分の全日本プロレスに一度も呼びませんでしたが、
他の団体には何度も来ているので、扱い切れないほどではなかったのでしょう。
日本でのハイライトは、三度目の来日となった1971年日本プロレスの新春チャンピオンシリーズでしょう。
この時は大木金太郎に勝って、アジアヘビー級王座を奪取しています。
このタイトルは1955年に力道山が創設して初代王者となった伝統あるもので、
大木、馬場と繋がる歴代王者の中で、アジア人以外のチャンピオンは後にも先にもドロモだけです。
他にも、このシリーズでは因縁の馬場、またアントニオ猪木とのシングル戦でも引き分け、
更に、ノンタイトル戦ではありますが、モンゴリアン・ストンパーと組んで闘った、
馬場&猪木のBI砲との試合でも引き分けという、立派な戦績を残しています。
最後の来日は1980年の国際プロレス。
この時はストンパー軍団の客分として来日の予定でした。
ストンパーが負傷のため来日中止となり、コンビ再結成はなりませんでしたが、
大木のインターナショナル・ヘビー級王座に挑戦し、有終の美を飾りました。
私がリアルタイムでドロモを観たのは、この最後の来日だけです。
当時43歳。初見であっても、たいぶ衰えているのだろうことはわかりました。
それでも、ダイナミックな動きの片鱗は見せてくれたと思います。
最近、この時放送された二試合のDVDがリリースされています。
この当時、国際でレフェリー兼外人係をしていたのが、馬場と共にMSGで闘っていたマンモス鈴木です。
当時、鈴木はプロレス専門誌にコラムを書いていましたが、
たしかドロモにもちょっとふれていて、特に悪くは書いてなかったと思います。
昔からなんでも食べる男で苦労しない、といった内容だったように憶えています。
実は、上述の井上のドロモに対するコメントも食べ物からみでした。
このシリーズの後、ドロモは大木のブッキングで国際勢と共に韓国遠征にも参加しているのですが、
韓国の食べ物がいたく気に入ったようで、ここに住みたいと言っていたのだそうです。
小泉氏も指摘されていますが、ドロモは馬場に3年ほど遅れて渡米修行に旅立った猪木とも対戦しています。
しかも、猪木がストンパーとオリエンタルコンビを組んで、ドロモ組と闘った記録も残っています。
更に、小泉氏によれば、馬場の渡米時にNYを視察に訪れた力道山とも試合の記録があるそうです。
昭和の日本人レスラーと様々な因縁を持ったレスラーだったのですね。
謹んで哀悼の意を表します。
Old Fashioned Club 月野景史
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