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2013年1月

2013年1月31日 (木)

【パブ】上野駅前のアイリッシュパブ スタシェーン/美術館帰りに一杯

「美術館とカフェ」というと、よく合いそうなイメージですが、
「美術館とパブ」はどうですか?

上野動物園を擁する上野公園周辺は、美術館・博物館の聖地でもあります。
私は最近この界隈に行くと、帰りに駅の改札前にある、この店によく寄ります。


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アイリッシュパブ スタシェーン 上野店 (Irish Pub Stasiun)

あれ、こんな店あったかな? と思われるかも知れませんね。
実は改札前とはいっても、美術館のあるJR上野駅公園改札ではなく、
その線路を挟んで反対側、入谷改札前にあるのです。
大きなパンダの像のあるそばです。

それでは、公園側から行くのは大変のように思いますが、そうでもないです。
線路の上にかかる「パンダ橋」を渡ればすぐです。
https://www.jreast.co.jp/estation/stations/204.html



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パブといえばフィッシュ&チップス

ここはギネスビール(黒ビール)の生が売りの店で、
昔、ギネス好きの知人に連れていかれたことがあります。
ギネス生を飲むために、一件目の店を出てから、 わざわざ電車に乗って移動したのです。


20130119034
私は最近は黒ビールは重くて敬遠気味、普通に日本のビールで。
ビールとフードのセットもお得です。

カフェ使いもできると思いますが、そこはパブなので、
禁煙席もあるようですが、分煙はあまり出来ていないように思います。

この店、田町にもあるようですが、公式サイトが見当たりません。
食べログのページを紹介しておきます。
http://tabelog.com/tokyo/A1311/A131101/13003701/


Old Fashioned Club  月野景史

2013年1月30日 (水)

キティちゃん神社のキティ像が無断使用で撤去/キャラクターの権利をめぐる話

甲府市の商店街に設置された「キティちゃん神社」の「ハローキティ」の石像が、
版元のサンリオの使用許諾を受けていないことが判明したため、
お披露目から僅か二日後に撤去されたそうです。

まずは毎日jpのニュース記事から引用します。

☆☆☆
キティちゃん神社:お披露目2日で石像撤去 使用許諾なく
毎日新聞 2013年01月30日 07時41分(最終更新 01月30日 09時14分)
甲府市の商店街で27日に除幕された「キティちゃん神社」にまつられた「ハローキティ」の石像が29日、撤去された。キャラクターを扱う「サンリオ」(本社・東京)の使用許諾を受けていないことが判明したため。お披露目からわずか2日後の撤去に、設置した甲府商店街連盟関係者は反省しきりだった。

同連盟によると、サンリオの辻信太郎社長が同市出身ということもあり、若者客を増やそうと同市中央1の「甲府銀座通り」入り口に設置。ヒノキなどでほこらを作り、市販の石像を置いてさい銭箱も設け、27日には約100人が参加して除幕式も行った。しかし、報道で知ったサンリオ側から抗議と撤去の要請があったという。

同連盟の長坂善雄会長は「サンリオはじめ関係者や楽しみにしてくれた人に申し訳ない」と陳謝。今後、再設置できるかは未定という。 【藤河匠】
http://mainichi.jp/select/news/20130130k0000e040167000c.html
★★★

「ハローキティ」といえばサンリオを代表する有名キャラクター。
それを使ってに勝手に神社を作って、石像を飾ってしまったのですね。
毎日jpの記事によると石像自体は市販のもののようですが、
ネットでは別の情報もあるようです。

しかし、キャラクターの権利についての関心が薄かった昭和の時代ならともかく、
著作権だ、版権だと、誰もが必要以上に騒ぐこの現代において、
ちょっと信じられないような話です。

実は「キャラクター」は著作権だけで解決しようとすると、ちょっと微妙な面もあります。
意匠権、商標権などが絡んできます。
いずれにしろ、勝手に使っちゃいけないって、誰でもわかりますよね。

最近はネットでも、何かというと「著作権違反だ」と、騒ぎ過ぎる面もあります。
しかし、今回のキティちゃんはNGですね。
まして「神社」となれば、一応宗教も絡んできますし、看過できる筈はありません。

「甲府商店街連盟」とは自治組織でしょうけど、なかば公の団体に近い面もあるかと思います。
関係者の誰もが問題に気付かなかったのでしょうか?
まさか、そんなバカなと思いますよね。
誰かが、「大丈夫だ」とミスリードしたのか?
他のニュースソースだと、サンリオ関係者との行き違いがあったかのような記事もあり、
いずれにしろ、不可解な話です。


◆◆◆
ところで、このキャラクターの無断使用に関わる問題で、
おそらく日本で最初に報道され、注目された事案があります。
あの、超有名キャラクターが絡んでいます。
なんだかわかりますか?


『サザエさん』なのです。

作者の長谷川町子さんの使用許諾を得ずに観光バスの車体に『サザエさん』のキャラクターを描き、
「サザエさん観光」として運行していた立川バスに対して、長谷川さんが使用差し止め請求を行ったのです。
バスの運行は1951年から、長谷川さんによる請求は1970年です。

今なら、「ダメに決まっているだろう」という話ですが、
当時は5年に渡る民事訴訟の末、長谷川さんが勝訴しました。

判決では、キャラクターの著作権については言及しなかったようですが、
このような権利について、大きな問題提起となった出来事でした。


Old Fashioned Club  月野景史

2013年1月29日 (火)

【カメラ】デジキャパ2月号は高級コンデジ大特集/せっかくの好企画なのにちょっと残念な面も

カメラ雑誌はなぜか毎月20日に一斉に書店に並びます。

数ある中で、最も初心者寄りのカメラ誌が学研の『デジキャパ』ではないかと思います。
実際、「いちばんわかりやすいデジカメ活用誌」と謳っています。

そのデジキャパ最新2月号の特集は「高級コンパクトデジタルカメラ」です。

「総力特集 まるごと1冊!
機種別の実力や使いこなし、アクセサリーやRAW現像までわかる!
悩ましき 高級コンパクトの誘惑
http://capacamera.net/dcapa/contents/201302.html


私は主にソニーのα-Aマウントシリーズを使っています。
今のシステムは正確にいうと「デジタル一眼レフ」ではないのですが、
まぁミノルタ以来の伝統のある、“デジタル一眼レフタイプ”のカメラです。

今はカメラも本当に多様化しています。
いわゆる「ミラーレス一眼」というタイプのカメラを主要各社が出している上、
コンパクトデジタルカメラ(以下コンデジ)=つまりレンズ交換の出来ないカメラも、
様々なクラスのものが発売されています。

私は一眼を使っているので、コンデジはよくわかならいのですが、
レベルの高い機種も出てるようだし、人に訊かれることもあるので、
今回の特集は好都合、ちょっと勉強をと思い、購入しました。

ところが、たしかに役立つ特集なのですが、
ちょっとおかしなことをやっているのですよね。
せっかくの特集なのに、台無しじゃないか、とまで思ってしまう問題です。
それは何かといいますと…。


この特集の締めは、カメラマン、エディター4氏による座談会です。
そこで、司会役の人を除く3人が異口同音に、現行品でこれが一番と上げたコンデジは、
ソニーのサイバーショットRX100でした。
今の高級コンパクトの理想形であり、これからの基準的存在であるという論調です。

このRX100はプロ受けがいいだけではありません。
同誌に掲載されている売れ筋情報でも、コンデジ部門で7ヵ月連続1位です。
昨年6月発売のカメラなので、発売以来ずっとトップということですね。
実勢価格56.000円。一人勝ち状態の大ヒット商品です。

さて、それの何が問題かといいますと、
この高級コンデジ特集の巻頭部分は、各メーカーの主要8機種の徹底比較です。
このような特集では当然のメイン企画ですね。
ところがその8機種の中に、RX100が入ってないのです。
高級コンデジの基準形であると位置づけながら、比較をするにあたってその「基準」を
外してしまっているのです。
これは変ですよね。いったいなぜ???

実はこの徹底比較では、ソニーの製品としてRX100より後に出た「RX1」が取り上げられているのです。
なんだ、同じシリーズの新作が出ているのだったら、そっちが選ばれるのは当然では、
と思うかも知れませんね。
ですが、「RX100」と「RX1」は、名前は似ていても別次元のカメラなのです。

「高級」とはいってもそこはコンパクトデジカメ、RX100は上に記したように実勢価格56.000円、
比較される他のカメラも4万円台中心、一番高くて8万円台です。
しかし、RX1はコンパクトデジカメでありながら、プロ仕様一眼レフと同じフルサイズイメージセンサー搭載、
実勢価格248.000円! 本当の超高級コンデジなのです。

この約25万円のRX1を、4~5万円のコンデジと比較しても意味がない…とまではいいません、
どれだけ違うのか興味はあります。
しかし、その為にRX100を外してしまうとは、本末転倒ではないでしょうか。

センサーの話が出ましたが、座談会でRX100が高級コンデジの理想とされたひとつの理由は、
同機が採用している1型センサーによる面も大きいのです。
今、コンデジに採用されているセンサーの大きさは主に5サイズあり、
RX100の1型センサーは、ちょうどその真ん中の大きさなのです。
他の今回比較された機種に1型はありません。(たぶん現行品ではRX100の他にないのでしょう)

センサーサイズを基準にした比較という意味でも、RX100がキーになる筈だったと思うのです。
キヤノンのカメラは2機種入っているのだから、ソニー2機種でも良かったのにとも思います。

さて、今回は他に高級コンデジとデジタル一眼(レンズ交換式カメラ)との比較もありました。
そこにはRX100も登場し、ニコンのミラーレス機の最新商品であるニコン1 V2と比較されています。
なぜV2が対戦相手に選ばれたかというと、同じサイズの1型センサーを搭載しているからです。

比較結果は高感度性能も、低感度の細部描写も、RX100の勝ちということでした。
これ自体が驚くべきことともいえるのですが、
それよりもこの結果を聞いたら余計に、RX100と他のコンデジとの比較が見たかったです。

と、せっかくの良い特集なのに、不満ばかり書いて心苦しいのですが。
このような特集は他にもされているだろうから、
今回意に添わなかったからといって、騒ぐこともないかも知れませんけど。

徹底比較に登場した機種を挙げておきます。

最新モデル徹底実力診断!
●オリンパス スタイラスXZ-2 
●キヤノン パワーショットG15  / S110
●シグマ DP2 メリル  / DP1 メリル
●ソニー サイバーショットRX1
●ニコン クールピクスP7700 
●パナソニック ルミックスLX7
●フジフイルム XF1

7メーカー9機種ありますが、シグマのDP1 メリルは実際には比較されていません。

また、高級コンデジとデジタル一眼の比較では、他にも興味深い結果が出ています。
興味のある方は本誌をご覧ください。


★★★
蛇足です。

他のカメラ誌同様、デジキャパにも誌上フォトコンテストがあります。
本誌は初心者・初級者向けとあってか、応募者の使用しているカメラも、
コンデジ、ミラーレス、一眼レフでもエントリー機(入門機)、少し古いカメラなど、
親しみ易い(?)機種も並んでいます。

私が普段持ち歩いているソニーα55(エントリー機、既に生産終了)も、
今回のフォトコンではお二方が使用して入選されていました。
発売時には激しい賛否があったカメラですが、しっかり使い込んで良い写真を撮っている方もいるのですね。
まったく、写真の出来が悪いのをカメラのせいにはできません。

ただ、今回の金賞作品は、昨年のオリンピックに合わせてキヤノンが発売した
プロ仕様のデジタル一眼レフと高級望遠レンズという、最上級の組み合わせでした。
買ったらざっと80万円というところでしょうか。

たしかに素晴らしい写真でした。
苦労して撮られたのだと思います。
高級カメラとレンズがありさえすれば、良い写真が撮れるわけでもありません。
しかし、何もデジキャパに応募しなくても…、
また、デジキャパが選ばなくても…、
とは思ってしまいますね。

別に応募に当たっての基準があるわけでもないし、
作ろうとしても難しいのはわかりますが。


Old Fashioned Club  月野景史

2013年1月28日 (月)

【小説】江戸川乱歩翻訳のポー作品『赤き死の仮面』 初の書籍化

江戸川乱歩がエドガー・アラン・ポーの作品を唯一自ら翻訳した『赤き死の假面(仮面)』が、
1949年の探偵小説雑誌「宝石」での掲載以来、初めて書籍化されたと、
YOMIURI ONLINEが伝えています。

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『赤き死の仮面』1919年の挿絵より

エドガー・アラン・ポーはアメリカの作家。いわばミステリ作家の始祖。
江戸川乱歩はそのポーの名を模した、日本のミステリ界の父。
乱歩によるポーの翻訳となれば、ミステリや幻想小説のファンとしては垂涎の作、
これは読みたいです。

なのですが…、ちょっと気になる点もあり、
とりあえずニュース記事を引用します。

☆☆☆
乱歩訳ポー作品、初の書籍化…「赤き死の假面」
作家、江戸川乱歩(1894~1965)が、ミステリーの先達、エドガー・アラン・ポー(1809~49)作品を唯一自ら翻訳した「赤き死の假面かめん」が、1949年の探偵小説雑誌「宝石」での掲載以来、初めて書籍化された。

乱歩にとってポーは、ペンネームに名前を借用したほど愛読した作家で、日米のミステリーの祖の“合作”が約60年ぶりによみがえった。

この本を出したのは、豪華本の文化を守ろうと昨年、一人で限定版専門の出版社、藍峯らんぽう舎を設立した新潮社OBの深江英賢ひでたかさん(64)。敬愛する乱歩関連の作品から、埋もれていた本作を見つけ、第1弾として書籍化した。箱入り牛革の背表紙の豪華装丁。疫病に襲われた国の宮廷で起こる怪異譚たんが、〈暗黒と、頽廢たいはいと、「赤き死」とが凡すべてを支配した〉など、幻想味あふれる文体で訳されている。
(2013年1月27日17時36分  読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20130126-OYT1T00603.htm?from=ylist
★★★

さて、この記事を読んでも、肝心の書籍の価格等、データがよく判りません。
普通に書店で売ってるのでしょうか?

そこでネットで調べると、発行元のらんぽう舎(藍峯舎)のサイトがありました。
ここに詳しく書かれています。
http://www.rampousha.co.jp

このサイトによると、同書は既に昨年12月末に発売されているようです。
内容は表題作に、乱歩によるポーの評論12編を加えて、
350部限定 価格は10.000円。
この部数ですから、一般書店には流通しておらず、購入方法は限定されます。

そして、10.000円という価格は…おいそれとはいきませんね。
とりあえず、価格についてはこれ以上言及しません。
この『赤き死の仮面』について少し記します。


『赤き死の仮面』(The Masque of the Red Death)
エドガー・アラン・ポー(ポオ)作 1842年

誤解してしまいそうてすが、乱歩による翻訳の書籍化が初めてなだけであって、
この小説自体の日本語訳本はいくらでもあります。

本作の題名は『赤死病の仮面』と訳されることも多く、Wikipediaもそれを採用しています。
が、私見ですがゴシック小説のタイトルとしては、断然『赤き死の仮面』が優れていると思います。
10.000円の書籍になるくらいだから、大長編と思われるかも知れませんが、短編です。

ある王国を舞台に、恐ろしい疾病をテーマとする恐怖小説。
幻想的、また退廃的、そのストーリーは難解です。

藍峯舎のサイトによると、乱歩がポー作品を翻訳したのはこの1点だけとのことです。
これも意外ですね。
乱歩は翻訳家ではないですが、海外小説の日本への紹介に力を尽くした人です。
翻案小説も少なからず書いています。

ましてポーは自らその名をもじった作家であり、短編が多いのだから、
もっと訳していてもいいように思えます。
しかも1949年なので戦後、晩年とまではいえなくも、だいぶ後年ですね。
そして、それが雑誌に掲載されただけで、今まで書籍化がなかったというのも意外です。

この乱歩訳版『赤き死の假面』の、探偵小説雑誌『宝石』(岩谷書店)への掲載は
昭和24年(1949年)11月号。
同誌ではポーの没後100年祭記念として「ポオ怪奇探偵小説傑作選」の特集が組まれ、
8篇の短篇を掲載されたのですが、大半が旧訳の再録だったようですが、
そのトップを飾ったのが乱歩訳し下ろしの『赤き死』であったとのことです。

乱歩の『赤き死の仮面』…読んでみたいですが。


ここからは蛇足です。
乱歩からは離れますが、クラシックホラー映画ファンとしては、
この小説の映画化作品を紹介せずにはいられません。


The_masque_of_the_red_death1964
『赤死病の仮面』(1964年)

アメリカの映画会社AIPは、1960年からロジャー・コーマン監督による
ポー作品を原作とする映画シリーズを連続で制作をし、世界的にも成功をおさめました。
本作はその第7作目であり、最高傑作ともいわれます。
このシリーズのほとんどに主演してきた、戦後アメリカ怪奇映画の第一人者、
ヴィンセント・プライスが本作でも堂々の主役を務めています。

ただ、このシリーズはちょっと難解な面もあり、その為かは判りませんが、
これ以前のシリーズ作はだいたい日本でも劇場公開されていますが、本作は劇場未公開です。
ビデオやDVDは発売されています。



予告編
これを観ても、難解なイメージは受けるでしょう。

同時代ですと、イギリスのハマー・フィルム・プロダクションが制作した、
フランケンシュタインやドラキュラといった、おなじみの怪物達が登場する怪奇映画は、
ほとんど漏れなく公開されています。
やはりこちらの方が、少なくとも日本人わかり易いのですね。
しかし、その荘厳な雰囲気と、言い知れぬ恐ろしさはやはり極上です。

怪奇ファンとしては、ハマーの代表的な作品でヒロインを演じたヘイゼル・コートが、
アメリカに渡って『赤死病の仮面』に出演しており、その意味でも興味深い作品なのです。
このキャリアなので、ヘイゼル・コートは「ホラー・クイーン=怪奇映画の女王」とも呼ばれます。


Vincent_price_hazel_court
ヴィンセント・プライス(右)とヘイゼル・コート
(別の映画のスチールですが。)
怪奇スターとはいっても、クラシックホラーの名優は美しくて、気品があるのです。


Old Fashioned Club  月野景史

2013年1月27日 (日)

参加型web座談会『2013展覧会を語る』2013.01.13/当日の映像を公開 ※期間限定

先日、このブログでも書きましたが、1月13日に実施された
「[史上初!]参加型web展覧会座談会『2013展覧会を語る』」に参加しました。
http://oldfashioned.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/2013-1754.html

ネットで著名美術系ブロガー、青い日記帳のTak氏、はろるど氏、
mikarine 氏(展覧会大好き女子)、による座談会を生放送して、
私達ロムしている側もチャットやアンケートで参加する、というスタイルでした。
主催は展覧会の企画・広報業務などを行う、㈱ウインダム。

Web2013tenrankai

私は以前同社が主催した、展覧会のブロガー向け内覧会に参加したことがあります。
この時と同様な形で募集しているようなので、参加者は美術系ブロガー中心だと思います。
発信者も聞き手もブロガーという構図ですね。

その映像がネットで公開されていますので、紹介します。
↓こちらのアドレスからどうぞ。
http://cl.nxlk.jp/c/Ccl0hc8hkgh3fxHa59a8fc8Iid0hc8hki3qjp


生(ライブ)で行われたイベントをそのまま流しているだけなので、
見難いところもあるかも知れませんが、そこはご了承ください。
一ヶ月程度の限定公開ということなので、視聴できるのは2月20日頃までかと思います。

昨年開催された展覧会の講評や、
今年開催予定の展覧会への期待が、
ブロガー目線…とは何か、という難しいですが、
いわゆる専門家や、一般メディアとはまたちょっと違う視点で語られています。
(といっても、今やその差異は明確ではないのかも知れませんが。)


Old Fashioned Club  月野景史

2013年1月26日 (土)

【街】横浜駅東口~みなとみらい駅 2013.01.26 午後

横浜へ。
晴天なれど寒く、雲の厚い日でした。


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横浜みなとみらい21
歩いてみると、あちらこちらで工事をしています。
この地区の着工は1983年頃に本格的に始まり、
だいたい1990年頃には形になっています。

それから20年以上が経過し、そろそろ改築・立て直しの時期なのでしょうか。



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横浜美術館のカフェにて。
この日は「ロバート・キャパ/ゲルダ・タロー 二人の写真家」展の初日でした。
しかし、時間の余裕がなかったので今回はパス。
来週末は横浜でカメラ・写真の大イベント「CP+」があるので、
また来るでしょうから、その時にでも。



Old Fashioned Club  月野景史

2013年1月25日 (金)

【お笑い】世界一位を経て/ダウンタウン『ごっつ』の伝説コント『お見舞い』

フジテレビ『ダウンタウンのごっつええ感じ』
レギュラー放送は1991年から97年までだったので、もう終わってから15年経つのですね。
最後はちょっとゴタゴタがあっての終了で、残念でしたが。

ダウンタウンのコントは不条理なものも多くて、
嫌い…というか、わからない、おもしろくない、という人もいますね。


不条理といえば、これから紹介するコントもそうなのですが、
これだけおもしろいの、他にないのでは、と思います。

重い病気で入院している浜田少年を、
「世界一位」の松本さんがお見舞いに来るお話。



『お見舞い』

可笑し過ぎて、松本さん達も笑ってしまってます。
ちょっと松本さんが段取りを間違えたらしき箇所もありますね。
まぁ、そんなことはどうでもいいですね、とにかく面白い。

これの第二弾もあったと思いますが、映像は見つけられませんでした。

しかし、レギュラー放送終了後、2001年に単発の特番で新バージョンが作られました。



『経て』

かつて「世界1位」だった松本さんが、この時は「グランドチャンピオン」として登場します
なにやら、お笑い界における松本さん自身を、投影させたかのように感じる面もあります。


Old Fashioned Club  月野景史

2013年1月24日 (木)

AKB48 河西智美さんの写真集 発売がいったん中止に

このブログでも二度ほど取り上げた、
AKB48 河西智美さんの写真についてですが、

「AKB48河西智美さんの写真でヤングマガジン発売延期」問題の検証
http://oldfashioned.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/akb48-f53f.html 

河西智美さんの写真はヴィーナスとキューピッドのイメージ?
http://oldfashioned.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/post-6639.html

講談社は2月上旬に発売を予定していた、河西智美さんの写真集「とものこと、好き?」の
発売をいったん中止することを決定したようです。


以下、YOMIURI ONLINEより引用。
☆☆☆
AKB河西さんの胸隠す表紙、写真集発売中止に
講談社は24日、2月上旬に発売を予定していた、AKB48のメンバー・河西智美さんの写真集「とものこと、好き?」の発売をいったん中止することを決め、予約取り消しの呼びかけを始めた。

別の本として河西さんの写真集を出すことを検討している。

この写真集について同社は、子供が河西さんの裸の胸を隠す表紙用の写真が社会通念上問題があるとして、表紙を替えて発売する予定だった。しかし、関係者との調整に時間がかかっており、2月上旬までに刊行するめどが立たなくなったという。
(2013年1月24日21時34分  読売新聞)
★★★


どうもこの件は、河西さん本人に責任はないのに、
出版者や事務所サイドの企画の甘さの犠牲になったようで、気の毒に感じます。

なんとか作り直して発売され、
この件が宣伝効果になって売れ、結果オーライとなればいいのですが。

2013年1月23日 (水)

「昭和プロレス秘密集会」 2月16日(土) お台場TCC 続報

先日、このブログでも紹介しました「「昭和プロレス秘密集会」
http://oldfashioned.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/21613-a93b.html

ミック博士の「昭和プロレス秘密集会」2013年 2月16日(土) 
Open 12:00 Start 12:30 End 15:00 (予定)
TOKYO CULTURE CULTURE 東京カルチャーカルチャー (TCC)
東京都江東区青海1丁目3-11Zepp Tokyo2F
前売りチャージ券 1500円 当日チャージ券2000円(飲食代別途)
http://tcc.nifty.com/cs/catalog/tcc_schedule/catalog_121228204132_1.htm

その内容が更に詳しく発表されました。

第1部「素晴らしき昭和プロレスの世界」
 ・昭和プロレスの素晴らしき世界(スライドショー)
  マガジンボツネタ集
  いかがわしきギミックの世界
  ファンタジー実例集
  強烈!雑誌のキャプション集
 ・秘蔵写真集

第2部「コブラの題名のないプロレステーマ音楽会」
 ・国際テーマ曲のディープな世界
 ・秘蔵!DVDでは見れない完全版入場シーン
 ・○○○の幻の初代テーマ、遂に発掘!

第3部「秘蔵映像ショー」
  ・いかがわしきギミックの世界!
  ・鉄板ネタ!爆笑パフォーマンス
  ・伝説のガチンコ試合
 ・あの名コンビが復活?

前売り券発売中です。


Old Fashioned Club  月野景史



2013年1月22日 (火)

【美術展】「エル・グレコ展」東京都美術館/スペインで活躍したギリシャ人 異邦の画家の大型展

上野の東京都美術館で4月7日まで、「エル・グレコ展」が開催中です。

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エル・グレコ展
2013年1月19日(土)-4月7日(日)
東京都美術館

主催:東京都美術館(公益財団法人東京都歴史文化財団)、NHK、NHKプロモーション、朝日新聞社
後援:外務省、スペイン大使館
http://www.el-greco.jp

東京で今年開幕する西洋美術の大型展、その第一弾ですね。
既に昨年10月-12月、大阪の国立国際美術館で開催され、反響を呼びました。
待望の東京展です。


本展にはエル・グレコの油彩画50点以上が出品されます。
日本初公開の作品も数多く含まれ、
日本で開かれたエル・グレコの個展としては過去最大規模です。

先に書きますが、この画家は個性が強いので、
あまり好きでないという方もいるかも知れません。
しかし、これほどの本格回顧展は、日本に次いつ訪れるかわかりません。
特に、祭壇画の大作のスケールには圧倒されます。
これは是非観ておいていただきたい展覧会です。


エル・グレコ(El Greco、1541年 - 1614年4月7日)
現ギリシャ領のクレタ島、イラクリオン出身の画家。
スペインで活躍したマニエリスムの巨匠として知られます。

「エル・グレコ」の名は、イタリア語で「ギリシャ人」を意味するグレコに、
スペイン語の男性定冠詞エルがついた通称です。

ギリシャ人ですが、ギリシャではなく主にスペインで活躍した画家です。
異国の地で活躍したギリシャ人だからこそ、このような通称がついたのですね。


エル・グレコはその筆致や構図、色使いが独特で、初心でも見分けが容易な画家です。
初めて観る絵でも、「あっ、エル・グレコだ!」とわかる場合が多いと思います。
それほど特徴的なのです。

エル・グレコは母国ギリシャでイコン画家としてスタートした後、ヴェネツィアに渡ります。
そこで、ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠ティツィアーノに師事したか、
もしくはその周辺で学んだとされます。
詳しいことはわかりません。
ヴェネツィアに来たのが1567年前後とされますので、
1488年-90年頃の生まれとされるティツィアーノは当時80歳近くです。

画家は更にヴェネツィアの後、イタリア各地を回り、
ルネサンスの聖地ともいえるローマを経て、スペインに渡るのです。
これも正確に時期はわかりませんが、1576年頃、35歳の頃にはスペインにいたようです。

逆にいえば、画家はその前半生において、イタリア各地で修業していたということになります。

スペインに渡った理由も定かではないようです。
そこで王宮画家を目指しますが、これは挫折。
しかし、スペイン教会組織の本拠地であり、
宗教画を描くための芸術家が庇護された土地トレドに落ち着きます。

ここから異邦人画家「エル・グレコ」としての人生が始まりました。
この街で、画家は数多くの傑作を生み出していくのです。


さて、今回の展示構成は以下の通りです。

第1章-ⅰ肖像画家エル・グレコ
第1章-ⅱ肖像画としての聖人像 見えるものと見えないもの
第2章  クレタからイタリア、そしてスペインへ
第3章  トレドでの宗教画:説話と祈り
第4章  画家にして建築家 近代的芸術家の祭壇画制作

宗教画の印象の強いエル・グレコですが、
本展ではまず最初に肖像画の展示からスタートします。
エル・グレコはローマ時代から、肖像画家としての評価が高かったようです。
そして、“肖像画的に聖人画”と続きます。

第2章では、クレタからイタリア、そしてスペインへと、画家の軌跡を追って作品が紹介されます。
上で、「作風が独特で、初心でも見分けが容易な画家」との旨を書きましたが、
まだ初期で、それほど個性が強くない絵もあります。
エル・グレコによるものかどうか、評価が分かれる絵も含めて展示されています。

そして、第3章でトレドでの、画家らしい宗教画の数々が紹介され、
第4章がクライマックス、壮大なスケールの祭壇画達。
これは本当に圧倒されます。


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『無原罪のお宿り』 1607-1613年
サン・ニコラス教区聖堂(サンタ・クルス美術館寄託) 347×174cm 

本展の看板作品。エル・グレコ最晩年の最高傑作の一つです。
この絵は昨年、テレビ東京系『美の巨人たち』で紹介され、
このブログにも書かせてもらいました。

聖母マリアが原罪を免れて生まれたというカトリックの教義が主題です。
聖母が母の胎内に宿った時のことなので、
描かれた女性はマリアの母アンナかとも思えるのですが、
そうではなく、聖母自身が地上に降りてきたイメージです。
この点については以前のブログを参照してください。
http://oldfashioned.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/721-9723.html

会期末は4月7日、まだ充分時間はあります。
しかし、2月、3月と東京周辺でも次々と注目の展覧会が始まりますので、
行きそびれないよう、早めに行っておいた方がいいかも知れません。


Old Fashioned Club  月野景史

2013年1月21日 (月)

【美術】ルノワール『浴女たち』1/19放送『美の巨人たち』/印象派の巨匠、最晩年の回帰

1月19日放送のテレビ東京系『KIRIN~美の巨人たち~』のテーマ作品「今週の一枚」は
オーギュストルノワール 『浴女たち』(1918年-1919年) でした。
今回は今年初めて、西洋絵画がテーマでした。
http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/backnumber/130119/index.html

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ピエール・オーギュスト・ルノワール
(Pierre-Auguste Renoir、1841年2月25日 - 1919年12月3日)


印象派の巨匠、19世紀フランスのビッグネーム、ルノワール。
水浴する裸身の女性たち、「浴女」はルノワールがよく描いた主題です。
前回も書きましたが、本作はその中でも最晩年の作、絶筆といわれます。

同じ印象派の巨匠で親友の間柄とはいえ、クロード・モネと比べると、
モネは風景のイメージが強く、ルノワールは人間、特に女性のイメージが強いですね。


高さ110cm、幅160cm。
陽光降り注ぐ新緑の上に、ゆったりと体を横たえる2人の乙女。
よく見るとも画面奥の池では、更に3人の女性が楽しげに戯れています。
しかし、なんといっても目につくのは、女性達の豊満な…
いささか豊満過ぎるにうにも思える肉体です。
木々も大地も肌の色も一つに溶け合った、光輝く色彩の饗宴。
ルノワール自身が、自らの画業の集大成と呼んだ作品です。

ルノワールは、1841年フランス中部の街リモージュで生まれ、3歳の頃に家族とパリに移住。
13歳で陶磁器の絵付け職人に弟子入りし、次第にその才覚を発揮し始めました。

ルノワールのそのキャリアを意識してか、今回の番組は現代のパリに生きる絵付け職人の青年と、
その師匠を狂言回しに進みました。


「絵は楽しく、美しく、愛らしいものでなくてはならない」
それが画家ルノワールの生涯にわたるテーマでした。

実はルノワールは、生涯果敢に新たな表現を求め続けた画家で、
その作画法も時代と共に変わっていきました。
印象派の技法で市井の人々の幸福な日常を描いた初期、
乾いたタッチと輪郭線で古典絵画へと回帰した「堅い時代」と呼ばれる中期、
次第に柔らかく、紅色に輝く肌を持った新たな女性像へと転じていきます。

美しく、幸福な絵を描き続けたルノワール。
しかし後年、ルノワールは怪我やリューマチで手を患い、絵筆を満足に握れなくなります。
そんな苦境の中、画家は包帯で筆を手に括りつけ、凄まじい執念で制作を続けました。
よく知られている話ではありますが、あの明るいの裏側にそんな壮絶なことがあったとは。

元々、ルノワールは美しくふくよかな女性を多く描いてきましたが、
それにしても最晩年を迎え、なぜこれほどまでに豊満なミューズを描いたのか?

番組ではその答えとして、画家が若きに憧れたバロック絵画の巨匠、
ルーベンスへの回帰と結論付けました。


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ピーテル・バウル・ルーベンス 『三美神』 (1635年頃)

ルーベンスといえばこの豊かな肉体表現、トレードマークです。
たしかに、今週の一枚『浴女』の裸体表現はルーベンスを強く感じさせますね。


そういえば、今年は3月9日から渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムで、
「ルーベンス 栄光のアントワープ工房と原点のイタリア」展が開催予定です。
http://rubens2013.jp/

そして、先行する2月9日からは丸の内の三菱一号館美術館で、
「奇跡のクラーク・コレクション ― ルノワールとフランス絵画の傑作」が開催されます。
(ただし、今回のテーマ作『浴女』は来ません。)
http://www.mimt.jp/clark/top.html

もちろん、3月2日には国立西洋美術館でラファエロ展も始まります。
http://oldfashioned.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/32-8221.html


ラファエロ、ルーベンス、ルノワール、女性を美しく明るく描いた画家達の競演ですね。


Old Fashioned Club  月野景史

2013年1月20日 (日)

【相撲】元横綱大鵬死去/戦後高度成長期のヒーローの栄光と波乱の生涯

大相撲の戦後の大横綱、大鵬幸喜こと納谷幸喜氏が1月19日、
心室頻拍のため亡くなりました。72歳。
http://mainichi.jp/select/news/20130120ddm001060051000c.html

この訃報にさきがけて、大鵬の出身である二所ノ関部屋の初場所後の閉鎖も発表されており、
相撲界のひとつの時代の終焉を感じさせる出来事でもありました。


大鵬幸喜
(たいほう こうき、1940年(昭和15年)5月29日 - 2013年(平成25年)1月19日)


私は横綱大鵬の現役時代の記憶はありませんが、少年時代に熱心な相撲ファンだった時期があります。
当時所有していた子ども向けの『相撲入門』に載っていた大鵬の半世紀を読み、感銘したものです。
昭和の大横綱、戦後のヒーロー、大鵬幸喜。
今回は大鵬の後半生を含め、その波乱の生涯をごく簡単に振り返ります。


生い立ち~横綱へ
大鵬こと納谷幸喜氏は北海道出身。
母子家庭で極貧の中、吹雪の中で納豆売りをして家計を支えた逸話が知られています、

1956年、スカウトされて高校を中退し二所ノ関部屋入門、9月場所で初土俵。
元々身長は高かったようですが、当時はガリガリといっていい細さだったといいます。
しかし、猛稽古で身体もどんどん大きくなり、一気の躍進が始まりました。

1959年5月場所新十両、その時点でまだ18歳、関取まで3年かからないスピード出世でした。
この時、師匠の二所ノ関親方により、中国の古典に登場する鳥の名から「大鵬」のしこ名が付けられました。

翌1960年1月場所に19歳で新入幕。
1961年1月場所新大関。同年11月場所に第48代横綱昇進。当時21歳、史上最年少でした。
相撲に詳しくない方はピンとこないでしょうが、とにかく凄い勢いの出世です。

同時に横綱に昇進した、二歳年上の柏戸と共に、相撲界は「柏鵬時代」の到来と言われました。
これはその前の時代、栃錦と若乃花が「栃若時代」と呼ばれたので、それに続く位置付けでした。
小兵で出世も早くはなく、共に30歳の年に横綱昇進、「小よく大を制す」が魅力だった栃若に対し、
若くて大きい柏鵬は、高度経済成長の60年代を迎え、新しい時代の象徴となったのです。


高度成長期の英雄(ヒーロー)
当時、野球は長嶋茂雄王貞治が登場する時代。
やがて、「巨人 大鵬 卵焼き」などといわれるようになります。
プロレスは、1960年はまだ力道山が日本のエースでしたが、まもなくその急死に伴い、
ジャイアント馬場アントニオ猪木が台頭する、そんな時代でした。

※参考
長嶋(1936年生まれ)
柏戸(1938年生まれ)
馬場(1938年生まれ)
大鵬(1940年生まれ)
王  (1940年生まれ)
猪木(1943年生まれ)

大鵬、ONと並び、プロレスでは力道山が戦後スポーツのヒーローと称されることも多いですが、
力道山は1924年生まれ、やはり大鵬とは馬場と猪木の“BI”が同世代ですね。
大鵬は特に馬場と全盛期が重なります。
力道山の同世代はやはり栃錦(1925年生まれ)、若乃花(1928年生まれ)です。


しかし、柏戸と大鵬は二人の対決では 互角に近い名勝負を続けますが、
柏戸は怪我が多く、角界は実質には大鵬の独走時代となります。
その大鵬にしても、怪我や病気での長期休場もあったのですが、
1971年5月場所の引退まで、積み重ねた優勝は32回、いまだ破られぬ記録です。

それ以前、戦前の大横綱双葉山は優勝12回。
これは年二場所の時代なので比較はできませんが、
戦後の名横綱栃若は共に10回ずつ。大鵬の記録がいかに破格かわかります。
(但し、年六場所制の定着は栃若の晩年なので、こちらも単純比較はできません。)

一方で、大鵬の全盛期を相撲人気の全盛期とするような言い方もされますが、これは少し語弊があります。
判官贔屓といわれますが、大きくて無敵の大鵬の独走時代、相撲人気はやや低迷しました。
人気という面では「小よく大を制す」の栃若時代が戦後の黄金期だったと思います。

大横綱となった大鵬の最後の相撲は、新進の貴ノ花相手の敗戦でした。
時代の変革期を象徴する出来事として、これも伝説的です。


引退後
大鵬はその功績により、いわゆる年寄株を必要としない一代年寄の資格を得ていました。
(後の横綱では北の湖、貴乃花が同様です。千代の富士は辞退)

引退後は二所ノ関部屋から独立して大鵬部屋を創立、後進の指導に当たりました。
部屋は弟子数40人の大所帯だったと思います。順風満帆のスタートでした。
…が、この後は波乱の多い人生となりました。

1975年、恩師の恩師の二所ノ関親方(元大関佐賀ノ花)が急死します。
大鵬は一代年寄の返上を念頭に、本家である二所ノ関部屋継承の意志を表明しますが、
事態が混乱の様相を示したため、早い段階で身を引きました。
この継承問題はいわゆる「押尾川騒動」の混乱を生み、後々まで禍根を残しました。
今回の二所ノ関部屋閉鎖も、元はといえばこの件が遠因といえるかと思います。
直接的な原因とするには、時間が経ち過ぎていますが。

プロレスラー天龍源一郎誕生の原因ともなりました。
これはプロレス界にとってみれば良かったのですが。

しかし、大鵬親方自身はこの継承問題に深く関わらなかったので、
大鵬部屋への直接的な影響はありませんでした。
1976年には35歳の若さで相撲協会の役員待遇に昇進。
系統でいうと、協会内では出世し難い一門なのですが、そこは実績も違いますし、
順調にいけば理事長まで進んだ可能性も高かったと思います。

しかし、1977年に脳梗塞で倒れました。
以降はその後遺症との闘いの日々となりました。
リハビリに励みながら、協会幹部としての仕事と部屋経営を務め、
大鵬部屋からは何人もの関取が育ちました。
しかし、三役以上は現役時代からの内弟子だった関脇巨砲のみで、
残念ながら横綱・大関は生まれませんでした。

2005年の定年退職後、大鵬部屋は娘婿の元貴闘力の大嶽親方が
「大鵬道場 大嶽部屋」として継承しました。
しかし2010年の貴乃花理事選立候補問題で、大嶽部屋は貴乃花に付き、事実上二所一問から破門、
更に同年、貴闘力は野球賭博問題で相撲協会から解雇され、
部屋は大鵬の弟子であった元大竜が大嶽部屋として継承しました。


大鵬氏はもちろん、引退後も定年まで師匠として、協会役員としての重責を務め上げ、
定年後も相撲博物館館長に就くなど、立派な足跡を残したのですが、
病気や部屋周辺の問題等、波乱の多い後半生でもありました。

現役横綱の白鵬は一門も違いますが、大鵬を父と慕っていたそうですね。
このネットの時代でも、昔の相撲を色々と観ることは難しく、大鵬の相撲ぶりもよくはわかりませんが、
おそらく白鵬と似たタイプだったのではないかと思います。
朝青龍、あるいは北の湖のようにパワーで圧倒するのではなく、
どっしり構えて絶対負けない、格違いの強さを見せるような相撲だったのではないかと。


謹んで哀悼の意を表します。


Old Fashioned Club  月野景史


毎日jpより引用
☆☆☆
訃報:納谷幸喜さん 72歳=大相撲元横綱・大鵬
毎日新聞 2013年01月20日 東京朝刊
大相撲史上最多の幕内優勝32回を記録、柏戸とともに「柏鵬(はくほう)時代」を築いた第48代横綱・大鵬の納谷幸喜(なや・こうき)さんが19日午後3時15分、心室頻拍(しんしつひんぱく)のため東京都内の病院で死去した。72歳。葬儀の日程、喪主などは未定。

北海道弟子屈(てしかが)町出身。自伝によればウクライナ系ロシア人の父と日本人の母の間に樺太(現ロシア・サハリン)で生まれ、終戦直後に北海道に移り住んだ。中学卒業後に営林署に勤めていたところをスカウトされて二所ノ関部屋に入門し、1956年秋場所初土俵。59年春場所後に18歳10カ月で新十両、60年初場所には19歳7カ月で新入幕。その場所で12勝を挙げて敢闘賞を受賞した。

入幕4場所目に新三役の小結になると、三役3場所目の60年九州場所で初優勝し20歳5カ月で大関へ。大関5場所目の61年秋場所には、柏戸との優勝決定戦を制して柏戸とともに横綱に昇進した。新入幕から所要11場所での横綱昇進は歴代最速で、21歳3カ月は北の湖(現日本相撲協会理事長)の21歳2カ月に次ぐ史上2位。

横綱昇進時で身長187センチ、体重133キロというバランスの取れた体と、右、左どちらの四つでも取れる攻め手の豊富さで優勝を重ね、横綱5場所目の62年名古屋から63年夏場所まで6連覇、さらに66年春場所からも6連覇を達成。全勝優勝も8回記録した。その強さと人気から、子供の好きなものとして「巨人・大鵬・卵焼き」という言葉が生まれた。68年秋場所から69年春場所にかけては45連勝も記録した。

71年初場所で32回目の優勝。その翌々場所の同年夏場所5日目に貴ノ花(元二子山親方・故人)に敗れて引退、一代年寄「大鵬」を襲名し、大鵬部屋を起こした。77年に脳梗塞(こうそく)で倒れたが、再起して関脇・巨砲(おおづつ)らを育てた。80年2月から96年1月まで日本相撲協会理事。05年5月に協会を定年退職後は相撲博物館長を務めた。09年には相撲界で初めて文化功労者に選ばれた。【上鵜瀬浄】http://mainichi.jp/select/news/20130120ddm001060051000c.html
★★★

2013年1月19日 (土)

【美術】1/19放送『美の巨人たち』はルノワール 『浴女たち』/巨匠晩年の逸品が登場

今夜、1月19日放送22時よりのテレビ東京系『KIRIN~美の巨人たち~』、
テーマ作品「今週の一枚」はルノワール 『浴女たち』 です。
今年最初の西洋絵画ですね。
http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/

Renoir_001

予告編より
☆☆☆
1月19日は、ルノワールの「浴女たち」。最晩年、病と戦い描いたのは、肉感溢れる乙女たち。画家は、なぜこんなにもふくよかな裸婦像を描いたのか。そして、まるで絵全体が発行しているような、艶めく色彩。その驚きの秘密が明らかに…。お楽しみに。
★★★

ピエール・オーギュスト・ルノワール
(Pierre-Auguste Renoir、1841年2月25日 - 1919年12月3日)

印象派の巨匠、19世紀フランスのビッグネーム、ルノワール。
「浴女」は、そのルノワールがよく描いた主題です。
しかし、その筆致は時代により違いもあります。

本作は1918年~19年頃の作品とされます。
つまり最晩年の作、絶筆ともいわれます。

さて、番組ではどのような切り口でこの絵に迫るのでしょうか?
楽しみです。


Old Fashioned Club  月野景史

2013年1月18日 (金)

【音楽】冬の名曲 小柳ルミ子『冬の駅』/寒さ深まる今年の冬に思い出す歌

東京は今週月曜の大雪の後は晴天が続いてますが、
寒いのは本当に毎日寒いですね。

そんな今年の、寒い冬にぴったりの名曲です。


小柳ルミ子『冬の駅』(1974年10月10日発売)




小柳ルミ子さんの代表曲のひとつです。
といっても『私の城下町』や『瀬戸の花嫁』、
あるいは後年の『星の砂』や『お久しぶりね』に比べると
やや知名度は落ちるかも知れません。

でも大ヒット曲です。
おそらく、ルミ子さんの最後のオリコン1位獲得曲でしょう。


1971年のデビュー以来、アイドルとしてヒット曲を出し続けてきたルミ子さんが、
ややアイドルとしての人気には陰りが見えた時期に、
この曲によって華麗に大人の歌手に転身した、といっていいでしょう。
とはいってもルミ子さんも当時まだ22歳の若さでしたが、
既に10代前半の山口百恵さんや桜田淳子さんが出てきていましたからね。




こちらはその年の紅白ですね。

小学生だった私は、年末の歌謡賞の時期にドレス姿で歌うのを見て、
「ルミ子ちゃん、大人になっちゃったんだなぁ!」と感じたものです。


ところで実はこの歌、ルミ子さん以上に冬の似合う女性歌手、
あの石川さゆりさんもアルバムの中で歌っているのです。
1975年なので、『津軽海峡冬景色』(1977年)よりも前ですが。
これは聴いてみたいでしょう。





これもまたいいけど、やはりこの歌はルミ子さんに軍配ですかね。
演歌調とアイドル調が入り混じって、なかなか興味深いですが。


もう一人、あのアジアの歌姫も唄っています。



テレサ・テンさん。
これは良いですね。


Old Fashioned Club  月野景史

2013年1月17日 (木)

【引用・紹介】「mixi衰退の最大のミスは足跡機能廃止~」ガジェット通信より

mixiはまもなく足あと機能を試験的に復活させるようですが、
夕刊ガジェット通信に、以下のような記事が掲載されています。
「mixi衰退の最大のミスは足跡機能廃止にあったという、いまさら解析いかがですか?」
http://get.nifty.com/cs/catalog/get_topics/catalog_283402_1.htm

永江一石氏のブログ『More Access,More Fun! 永江一石のITマーケティング日記』からの寄稿とのこと。

私もキャリアは長くないですが、mixiユーザーです。
まさに今更ながらですが、私も同じように考えていましたし、
私には説明しきれなかったことを、他のネットサービスとの比較も絡めて書いてくれています。
興味深いので、以下に抜粋引用させていただきます。


まず記事では「栄えるWEBサービスに必要な要素」はなにかと提起し、
それは「依存度を高める」ことだとしています。
それについてFacebookを例に上げて説明してくれています。

「Facebookも依存度を上げるために必死だ。「やれ、あんたの友人はこんなことしてるぞ、お前はいいのか」とか「あんたがウオッチしている誰々がこんなこといってるぞ」と次々ご注進してくる。自分もかなり依存している。仕事のメッセージもFacebook経由で来るし、来たら警告音が鳴る。内容見るまで鳴り続けている。うるさいぞ、Facebook。しかし依存させられているから1日ずっとタブは開きっぱなしだ。」

それに対して、「依存度を敢えて下げてしまった」故に、負け組になってしまったWEBサービスがある。
それがmixiである、ということです。
以下が衰退の原因についての解析です。

「いまさらですが、mixi衰退の理由については諸説ある。しかし「依存度」についてのみ考えれば、2011年6月の「足跡機能停止」が決定的なミスだったと断言できる。
ユーザーの口から出る足跡機能停止反対の最大理由は、「誰がアクセスしているか分からないのは不安」というものが多い。しかし毎日のように足跡をチェックしていた自分の意識の根底にあったのは実は
○自分が書いた日記は人気だったのか,何人が読んでくれたのか
○誰々に自分の日記を読ませることができたか(特にあまり仲良くない友人に)
○誰々は自分のことを気にしているかどうか
のような、他人の意識動向チェックであった。だから毎日せっせと日記を書き、足跡をチェックしたのである。誰が見たかもわからない日記をせっせと毎日書くヤツなんているか?! サイトのアクセスを気にしないで毎日更新するヤツがいないのと同じである。だから誰も日記を書かなくなった。」


その通りでしょうね。
私などははまだ比較的日記を書く方だと思います。
なぜなら、ブログを書いて、mixi日記に転載しているからです。
ブログはアクセス数がわかります。
これも最初は、mixiとブログの主従関係が逆だったのですけどね。

ところで、mixiは足あと機能の代わりに「イイネ!」をつけたといっていたかと思います。
この点についても、Facebookとの比較で切り捨てています。

「「いいね」を付けてくるのはポジティブな反応だけであって、大半はなにも行動を示さない。Facebookページは1投稿について何人が見たかが分かるが、5000人が見た(タイムラインに流れた)っていいねを押すのは数人~数十人程度だ。つまり「読んでもなにも行動を起こさない」人の方が絶対的多数で、「いいね」押してくる決まった顔ぶれの情報なんて知っても仕方ないのです。」

さて、このような結果は私のようなmixi歴の浅い人間でも容易に予想できました。
なのになぜ、mixiは足あと機能廃止に踏み切ったのか?

「これは本当に謎です。サーバ負荷軽減といってもいまならクラウドに移行すればいいし、そもそも大規模に落ちたのは1回だけで、それほど落ちた記憶はない。出会い業者が足跡使っていろいろな悪さをしたからとも言われているが、だったらそっちをたたき出せば良かった。後期には変な嫌がらせ足跡もたくさん来て辟易したが、通報が溜まれば自動でアカウント停止するとか、いくらでもやり方があった。そうしたことをせずに最大の依存度の要素を断ち切ってしまったのは、笠原君の最大のミスではないかと思います。」

記事はこの後、足あと機能をテスト的に復活するmixiの今後にも悲観的な見解を記しています。
そのあたりは引用元を参照ください。
私自身は今回の復活の概要もちゃんと把握していませんが、とりあえずは様子見したいと思っています。


Old Fashioned Club  月野景史

2013年1月16日 (水)

【訃報】大島渚氏死去/大島監督と『たけしのオールナイトニッポン』と『戦場のメリークリスマス』

映画監督の大島渚さんが15日に亡くなりました。80歳。
http://mainichi.jp/select/news/20130116k0000m040051000c.html


後年はテレビにおける文化人コメンテーターとしても活躍した人ですね。
この分野の先駆けの一人といっていいかも知れません。

松竹ヌーベルバーグなどと呼ばれ注目されながらも、早くに大手資本を離れ、
いわばインディーとして、社会性の強い映像制作活動を行っていた大島氏が、
いつ頃から、どのようにしてテレビのお馴染みの顔になったのでしょうか?

やはり、ビートたけしさんによって売り出された面が大きかったかと思います。
今回はたけしさんと大島監督に絞って回顧してみます。


たけしさんと大島氏の接点は大島氏が監督した『戦場のメリークリスマス』(1983年5月公開)。
お笑いタレントとして大ブレイクしていたたけしさんを、未知数の俳優として重要な役に起用したのです。

たけしさんは自身がパーソナリティーを務めるラジオ番組、ニッポン放送の『オールナイト・ニッポン』で、
制作中から出品したカンヌ映画祭まで、この映画のこと、また大島監督のエピソードをネタとして、
おもしろおかしくレポートを続けたのです。
これによって大島監督のキャラクターが広く知れ渡った面はあると思います。

当時のラジオはそんなに影響力があったのか?
いや、既にラジオは斜陽でした。
たけしさんのようなテレビの人気者に頼らなければならなかったのは、そのひとつの表れです。
しかし、たけしさんの『オールナイトニッポン』は別格の人気でした。


ビートたけしのオールナイトニッポン
空前の漫才(マンザイ)ブームで大人気となったたけしさんがこの番組を始めたのは、
1986年1月1日、つまり元旦にスタートしたのです。
一躍、中高大学生あたり、当時の“ヤング”達の話題を独占しました。

当時、たけしさんは既に34歳。
中高生の人気者になるには少し年を取り過ぎていたのですが、
まったく問題なし、とにかく面白ければ勝ちというところでした。
私のような、「たけしのオールナイト」ジャンキー、たけしキッズが多く誕生したのです。

たけしさんのオールナイトの特徴として、実在の有名人の素顔を虚実織り交ぜてネタにすることがありました。
例えば村田英雄さん、ガッツ石松さん、安岡力也さん、ポール牧さん、大橋巨泉さん、後年は高倉健さんなども。
ガッツさんをネタにしたのは、はなわさんが最初ではありません。たけしさんが先です。
村田さんのように、ネタにされたことにより、若者の間でプチブレイクを果たすこともありました。

その流れに、大島監督もピタリはまったのです。


『戦場のメリークリスマス』
大島監督にとっては、公開年次でいうと『愛の亡霊』以来5年ぶりの映画ということになります。
俳優としては未知数のたけしさんの起用は、もちろんその才能を見抜いてでしょうが、
話題性という面もあったかと思います。

公開は1983年5月なので、撮影は1982年から行われていたのでしょうか。
当時は既に漫才ブームは一段落し、「たけしブーム」は絶賛継続中といったところでした。

この映画のロケは南太平洋南ラロトンガ諸島ラロトンガ島で行われました。
たけしさんも猛烈に忙しいスケジュールの中、おそらく1~2週間ほど参加したのだと思います。

『オールナイト・ニッポン』では、ラロトンガ滞在中のたけしさんが、
現地から衛星中継で撮影の様子をレポートしました…。
が、実はこれはフェイクでした。
事前に録っておいたものを流したのです。
その日の放送中に明かしたか、後日カミングアウトしたか憶えていませんが、
私はしばらく騙されていました。

もちろん、たけしさんの帰国後に撮影中、特に大島監督の様々なエピソードが紹介されました。
いくつかWikipedia等にも記載され、伝説になってますね。

後年の姿を見ても想像はつくと思いますが、大島氏は撮影に入るとのめりこみ、
激しく怒鳴りまくるといいます。

それを聞いていたたけしさんは事前に
「監督、俺は役者じゃない、漫才師だから。怒鳴られてまで映画やりたくはない。もし怒鳴ったら帰りますからね。」
と伝え、大島氏も了承していたそうです。

たけしさんがハードスケジュールをぬってロケに合流した時は既に撮影も佳境。
セリフを覚えていなかったたけしさんは、いきなりNGを出しました。
大島監督は烈火のごとく怒り、「セリフぐらい覚えてぇ…」まで言ったところで、
たけしさんとの約束を思いだし、たけしさんの隣にいた俳優さんを指さし「覚えて来い!!」
指された方は「ええ俺? なんで??」

Wikipediaでは少し違うニュアンスで書かれていますが、
たけしさんがオールナイトで語ったのはこんな内容だったと思います。

南洋のイメージを出すためにトカゲを撮りたいのだけど、思うように動いてくれない。
「トカゲにキュー出しをした。」
「トカゲに『どこの事務所だ!』と怒った。」
そんな話もありました。
わけがわからなくなるほど、のめり込んでしまってることを示すエピソードです。

そういえば、戦争映画なので坊主頭にせねばならないのですが、
ツービートの相棒のピートきよしさんも出演予定だったので、
たけしさん立会いの元、きよしさんの断髪式をテレビで生中継したと思います。
たぶんフジテレビ『笑ってる場合ですよ!』だったと思います。
たけしさん自身は後日、非公開で断髪しました。
制作段階からこれだけ宣伝され、注目された映画も稀でしょう。

尚、きよしさんはロケには参加したのですが、出演はしませんでした。
Wikipediaを読むと、出演シーンがカットされたように取れますが、撮影自体されなかったのだと思います。
きよしさんが行った時点で、当初の出演予定シーンは別の俳優により撮影済みで、
あまり端役というわけにもいかず、他にふれる役がない、というような話だったと憶えています。


『戦場のメリークリスマス』は第36回カンヌ国際映画祭に出品され、
グランプリ最有力と言われたが受賞は逃しました。
それも日本の『楢山節考』(今村昌平監督)に負けてしまったのですが、
たけしさんにとっては、これも恰好のネタになりました。
ラジオのみならず、テレビ『オレたちひょうきん族』のコーナー、
『タケちゃんマン』でも、『戦場のメリーさんの羊』としてパロディにされました。

そして、この『ひょうきん族』でもそうだったと思いますが、
たけしさんは自身、大島監督のものまねをよくやっていました。
たけしさんのものまねは、あまり印象ないかも知れませんが、
芸術家の岡本太郎氏とこの大島監督などは、よく真似していました。
似ているかというと微妙ですが、特徴を捉えて強烈にデフォルメするので、やはりおもしろかったです。
蛇足ですが、たけしさんが岡本氏か大島氏、竹中直人さんが遠藤周作氏に扮して、
最後はつかみ合い、首の締め合いになるという、夢のような共演もありました。

このように、大島氏がテレビの顔になったのは、たけしさんの影響が大きいでしょうし、
逆に世界的映画監督北野武の誕生は、もちろん大島氏との出会いが大きかったのでしょう。
謹んで大島氏に哀悼の意を表します。


Old Fashioned Club  月野景史


毎日JPより引用
☆☆☆
「愛のコリーダ」「戦場のメリークリスマス」などで知られる映画監督の大島渚(おおしま・なぎさ)さんが15日午後3時25分、肺炎のため神奈川県藤沢市内の病院で死去した。80歳。通夜、葬儀の日程は未定。喪主は妻で女優の小山明子(こやま・あきこ、本名=大島明子)さん。

 京都市生まれ。京都大卒業後の1954年、松竹大船撮影所に入所。59年「愛と希望の街」で監督デビュー。60年には「青春残酷物語」「太陽の墓場」を発表し、作品の社会性と斬新な演出で、同時期に入社した吉田喜重、篠田正浩両監督と並んで“松竹ヌーベルバーグ”と称された。

 61年に松竹を退社し、独立プロ「創造社」を設立。「飼育」(61年)、「白昼の通り魔」(66年)、「絞死刑」(68年)、「儀式」(71年)など次々に問題作を発表した。創造社解散後の76年、フランスとの合作で「愛のコリーダ」を製作。激しい性描写が物議を醸し、映画のスチール写真を掲載した単行本「愛のコリーダ」が、わいせつ文書にあたるとして、摘発された。82年に無罪確定。

 劇映画だけでなく、「忘れられた皇軍」などテレビドキュメンタリーでも活躍。弱者の現実を体制批判を込めて描き、高く評価された。78年「愛の亡霊」でカンヌ国際映画祭監督賞、83年「戦場のメリークリスマス」で毎日映画コンクール日本映画大賞などを受賞。

 96年、新選組を題材にした「御法度」製作発表直後、出血性脳梗塞(こうそく)で倒れ入院。後遺症は残ったが、99年に映画を完成させ、カンヌ国際映画祭に出品した。この作品で毎日芸術賞を受賞した。2000年に紫綬褒章。テレビ番組でタレント性を発揮するなど、お茶の間の人気者でもあった。
http://mainichi.jp/select/news/20130116k0000m040051000c.html
★★★

2013年1月15日 (火)

東京雪景色.2013.01

昨日、1月14日は東京も珍しく本格的な雪となりました。
予報ではここまでの積雪になるようには伝えられてなかったので、思わぬ展開でしたね。

夜にはおさまりましたが。

20130114006_2東京雪夜景.2013.01.14
高田馬場界隈。



翌朝、15日は晴天。交通もほぼ問題ないようです。

20130115_001東京雪朝景.2013.01.15
西早稲田界隈。


Old Fashioned Club  月野景史

参加型web座談会『2013展覧会を語る』体験記

一昨日、1月13日「[史上初!]参加型web展覧会座談会『2013展覧会を語る』」に参加してみました。

参加型web座談会…どういう内容かといいますと、
ネットで著名美術系ブロガー3氏による座談会を生放送して、
私達ロムしている側もチャットやアンケートで参加する、というスタイルです。
時間は10時から1時間ほど。
ちょうど、NHKの『日曜美術館』が終わった直後から、ということのようでした。

出演ブロガーは青い日記帳のTak氏、はろるど氏、mikarine 氏(展覧会大好き女子)、
主催は展覧会の企画・広報業務などを行う、㈱ウインダム。

私は以前同社が主催した、展覧会のブロガー向け内覧会に参加したことがあります。
それは、ブロガーを集めて展覧会の内容を見せ、拡散を図るという、
マスコミ発表会と同じ主旨のものでした。

今回のWebイベントの参加者は60名ほどとのこと。
上述の内覧会と同様な形で募集しているようなので、参加者は美術系ブロガー中心だと思います。
発信者も聞き手もブロガーという構図ですね。

ただ、前の内覧会とは違い、今回は特に拡散目的というわけでもありませんでした。
今後、参加型webイベントを展開していくに当たっての実験的な意味合いのようです。

ブロガー=コアなネットユーザーが普通でしょうから、
発信側もロムする方もブロガーなら、このような実験的試みもスムーズにいくでしょうしね。
私はそもそも「チャット」というのがまったく初体験なので、新鮮でしたが。

内容は事前に参加者から昨年よかった展覧会、今年期待する展覧会等の
アンケートを取っておいて、それを元にしての進行でした。

座談会側の3人もチャットの内容に反応しながら進むので、
実際にライブの座談会に参加するよりも、聞き手のリアクションが具台的によくわかるし、
より語り手・聞き手が一体となって進む面があるかと思います。
この点はとてもおもしろく感じました。
とにかく、参加者としては今回は大変おもしろかったです。
今後はこのスタイルをどう発展させて、展覧会の広報・宣伝に結びつけるかでしょうね。


私はスクリーンショットもしなかったので、あまり詳細を伝えられません。
内容に興味のある方は、発信側のはろるどさんが詳しく書かれているので、参照してください。
http://blog.goo.ne.jp/harold1234/e/f09f10a0f951dd510d7ae8385f2666d4


Old Fashioned Club  月野景史

2013年1月14日 (月)

【美術展】「森と湖の国 フィンランド・デザイン」展 サントリー美術館/ムーミンの国のガラス展

東京六本木のサントリー美術館で1月20日まで、
「森と湖の国 フィンランド・デザイン」展が開催中です。
会期も後一週間ほどとなりました。

Suntory_glass
森と湖の国 フィンランド・デザイン 展
2012年11月21日(水)-2013年1月20日(日)
サントリー美術館

主催 : サントリー美術館、朝日新聞社
特別協賛 : イッタラ、スキャンデックス、フィンエアー(フィンランド航空)
後援 : フィンランド大使館、フィンランドセンター、日本硝子製品工業会、日本ガラス工芸学会
特別協力 : フィンランド国立ガラス美術館
http://www.suntory.co.jp/sma/exhibit/2012_06/


遥か北欧の国、フィンランド。
森と湖、そしてムーミン・トロールが暮らす国…、
少し私のイメージはファンタジック過ぎるでしょうか?

そのフィンランドのガラスや陶磁器、家具の数々は、
機能性を重視しつつ、美しさをも兼ね備えています。
本展では、こうしたフィンランド・デザインの魅力を、
18世紀初頭から現代に至るガラス作品を中心に紹介されています。

古典的なガラス芸術ではなく、近現代的なガラス作品といった印象ですね。

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20世紀前半から台頭したフィンランドのデザインは、
アルヴァル&アイノ・アールト夫妻、カイ・フランク、タピオ・ヴィルッカラ、
ティモ・サルパネヴァら優れたデザイナーを輩出し、特に1950年代からは国際的な評価を得てきました。
フィンランドを代表するガラスメーカー「イッタラ」は
“Lasting design against throwawayism(使い捨て主義に反する永遠のデザイン)”というメッセージを掲げています。
その姿勢は常に地球にやさしく、自然とともにあり続けています。

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展示構成
プロローグ: 18世紀初頭~1920年代 フィンランド・ガラスの黎明期
第I章: 1930年代 躍進期 ― アルヴァル&アイノ・アールト
第II章: 1950年代 黄金期 ― カイ・フランク、タピオ・ヴィルッカラ
第III章: 1960・70年代 転換期 ― ティモ・サルパネヴァ、オイヴァ・トイッカ
第IV章: フィンランド・ガラスの今 Art&Life


本展は部分的にですが、写真撮影ができます。

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鑑賞後は東京ミッドタウン内のカフェ「A971」で一息。

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Old Fashioned Club  月野景史

2013年1月13日 (日)

【昭和プロレス】ビル・ドロモ死去/馬場に嫌われた男

昨年12月28日、カナダ出身で、アメリカで活躍したプロレスラー、ビル・ドロモが亡くなりました。75歳。
ドロモはWikipwdia英語版・日本語版とも項目がなく、年末の時点では訃報の詳細がわからなかったのですが。
既に、Gスピリッツでもおなじみの小泉悦次氏がブログに追悼記事を書かれています。
http://ameblo.jp/joehookersr/entry-11445523388.html

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ビル・ドロモ(Bill Dromo 1937年6月28日-2013年12月28日)

恵まれた体躯で大技に迫力があり、将来を嘱望されたレスラーでしたが、
超大物といわれるまでには育たなかった人です。
ですが、日本にも1964年から80年まで、日本プロレス2回、国際プロレス3回、新日本プロリス2回と、
合計7度来日し、それなりの実績を残しています。
新日本への一度目の来日は、覆面のジ・インベーダーとしてでした。

さて、実はこの人、変なことで有名なのです。
小泉氏はあえてふれなかったようですが、
ジャイアント馬場がこのドロモのことを大変嫌っていたことが、よく知られています。

馬場は1960年にプロレス入り、翌1961年には渡米修行に入り、東部マットを中心に大きな活躍を残しました。
馬場の自伝によれば、ニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデンでの初戦でドロモと当たったのだそうですが、
意地の悪い男で、新人の馬場をバカにしてまともにプロレスをしようせず、
最後は殴り合いのようなことになってしまったようです。

レスラーの性格については語る人によって違いがあり、
例えば近年出たDVDで、マイティ井上はドロモについて好人物だったような言い方をしています。
ただ、同じDVDの中で、アメリカ生活の長いマティ鈴木は、馬場と同様の見方でした。

というわけで、馬場は自分の全日本プロレスに一度も呼びませんでしたが、
他の団体には何度も来ているので、扱い切れないほどではなかったのでしょう。

日本でのハイライトは、三度目の来日となった1971年日本プロレスの新春チャンピオンシリーズでしょう。
この時は大木金太郎に勝って、アジアヘビー級王座を奪取しています。
このタイトルは1955年に力道山が創設して初代王者となった伝統あるもので、
大木、馬場と繋がる歴代王者の中で、アジア人以外のチャンピオンは後にも先にもドロモだけです。

他にも、このシリーズでは因縁の馬場、またアントニオ猪木とのシングル戦でも引き分け、
更に、ノンタイトル戦ではありますが、モンゴリアン・ストンパーと組んで闘った、
馬場&猪木のBI砲との試合でも引き分けという、立派な戦績を残しています。


最後の来日は1980年の国際プロレス。
この時はストンパー軍団の客分として来日の予定でした。
ストンパーが負傷のため来日中止となり、コンビ再結成はなりませんでしたが、
大木のインターナショナル・ヘビー級王座に挑戦し、有終の美を飾りました。

私がリアルタイムでドロモを観たのは、この最後の来日だけです。
当時43歳。初見であっても、たいぶ衰えているのだろうことはわかりました。
それでも、ダイナミックな動きの片鱗は見せてくれたと思います。
最近、この時放送された二試合のDVDがリリースされています。

この当時、国際でレフェリー兼外人係をしていたのが、馬場と共にMSGで闘っていたマンモス鈴木です。
当時、鈴木はプロレス専門誌にコラムを書いていましたが、
たしかドロモにもちょっとふれていて、特に悪くは書いてなかったと思います。
昔からなんでも食べる男で苦労しない、といった内容だったように憶えています。

実は、上述の井上のドロモに対するコメントも食べ物からみでした。
このシリーズの後、ドロモは大木のブッキングで国際勢と共に韓国遠征にも参加しているのですが、
韓国の食べ物がいたく気に入ったようで、ここに住みたいと言っていたのだそうです。


小泉氏も指摘されていますが、ドロモは馬場に3年ほど遅れて渡米修行に旅立った猪木とも対戦しています。
しかも、猪木がストンパーとオリエンタルコンビを組んで、ドロモ組と闘った記録も残っています。

更に、小泉氏によれば、馬場の渡米時にNYを視察に訪れた力道山とも試合の記録があるそうです。
昭和の日本人レスラーと様々な因縁を持ったレスラーだったのですね。
謹んで哀悼の意を表します。


Old Fashioned Club  月野景史

野菜とおじさん/サラダと年輩男性をめぐる今昔考

学生時代、1980年代後半の話です。

大学の教授と学生達で、今でいうダイニングバーのようなところに飲みに行ったことがあります。
学生がサラダをオーダーしたのですが、それを見た50歳位の教授が、
「こんな鳥のエサみたいなもの頼みおって!」みたいな言い方をしました。

野菜サラダが「鳥のエサ」って、
発想が…というよりも、国文学科の教授なのにボキャブラリーが貧困だな、と思ったものですが、
たしかに昔のおじさんは、酒のつまみにサラダなんか食べない人が多かったように思います。

だいたい私の同級生ですら、「酒と一緒に何か食べるなど、酒に対して失礼だ。」
などと言う奴までいましたから。これはかなり特殊ですが。

今はヘルシー志向が進み、居酒屋の宴会メニューも野菜が豊富に使われており、
それに文句をいうおじさんもいません。
むしろ、若い女子に野菜もダメ、魚もダメという偏食の人が時々おり、
幹事泣かせだったりします。


さて、ここまでは酒のさかなとしての話ですが、
そうでなくても、昔のおじさんは野菜を食べない人が多かったように思います。

また学生時代、80年代後半に戻ります。

私は銀座四丁目の結構広い喫茶店でアルバイトをしていました。
その店ではサンドイッチに小さなサラダをつけて出していたのですが、
おじさん達は、食べる人はなめるように食べるのですが、手つかずの人も少なくありませんでした。

その店で、モーニングセットのメニューが変更されたことがあります。
それまでハムエッグの付け合わせで僅かばかりのキャベツの千切りを添えていたのですが、
卵はゆでたまごにして、サラダをちゃんと作ることになりました。
といっても、キャベツの千切りメインに、レタスとトマトが添えられる程度のものですが。

この店のオーナーというのが、凄いケチのくせに見栄っ張りのところがあって、
とにかくキャベツをたくさん盛れ、という指令が出ました。
値段を少し上げたので、それが気になっていたのかも知れません。
ケチな人ほど、ケチに見られることを嫌う場合があります。

さて、私は学生バイトなので主に遅番の出勤で、早番はたまにしか出ません。
メニューが変わって後、久々にモーニングタイムに出勤した時、まずキャベツの盛り方に驚きました。
山盛りなんてものではない、クリスマスツリーみたいなのです。

更に、そのクリスマスツリーがほとんど手を付けられず、戻ってくる率の高さにも驚きました。

さすがにあんまりだと思ったのでマネージャーに、
「おじさん達はあまりサラダなんか食べませんよ、勿体ないから減らした方がいいんじゃないですか?」
と進言したのですが、オーナーからはもっと盛れといわれてるんだと、聞き入れられませんでした。

もっとも、オーナーはモーニングタイムに店にいることはまずなく、
見本として作ったサラダについて言ってるのだろうから、
あの戻り方を実際に見れば、減らせと言ったと思います。
なんせケチだったから(笑)

ところで、そのオーナー自身は野菜が好きだったのか、というと、そんなことはありません。
いわゆる札幌ラーメン、モヤシが上に乗っているタイプのラーメンに対して、
「あんな野菜だらけのラーメンのどこがいいんだよ!」と言ってたのを憶えています。

そういえば、全然別の人ですが、焼きそばに野菜が多すぎると店にクレームつけたと、
自慢げに語っていたおじさんもいました。
要するにそばが少ないということだろうから、これはわからなくもないですが、
今なら、「野菜たっぷり焼きそば」とか、売りになるでしょうけどね。


Old Fashioned Club  月野景史

2013年1月12日 (土)

【美術】河西智美さんの写真はヴィーナスとキューピッドのイメージ?

昨日、AKB48の河西智美さんの写真に不適切な点があるとの理由で、
ヤングジャンプが発売延期となった、というニュースについて書きました。
http://oldfashioned.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/akb48-f53f.html

その問題の、外国人の男の子が河西さんの胸を隠している写真についてです。
今回の件は児童ポルノの問題が絡んでいて微妙な面もあり、あまり突っ込んでは書きませんが、
西洋絵画が好きな方なら、これは神話のヴィーナスとクピドをイメージしているのではないか?
と感じた方もいるかと思います。

ヴィーナス(アフロディテ ウェヌス)は、いわずと知れたギリシア・ローマ神話の美と愛の女神です。
クピド(エロス、アモル)は英語読みのキューピットというとわかり易いでしょう。
弓矢で男女を結びつける愛の神で、羽をつけた幼児、小天使のような姿で描かれることが多いですね。

実はクピドはヴィーナスの息子なのです。
親子なので、一緒に描かれることが多いのですが、
その中には、今回の写真から受けるイメージに近い形で描かれることもあるのです。

そんな絵を少し紹介します。


Bronzino_001
ブロンズィーノ『愛の勝利の寓意』1545年

マニエリスム期のイタリアの画家ブロンズィーノの代表作。
まさに、クピドがヴィーナスの胸を隠しているかのような構図です。
このクピドは、一般に描かれるよりは、やや年長のイメージです。

ヴィーナスとクピドの姿は官能的にも思えますが、その他にも様々なものが描かれています。
タイトルに寓意とありますが、その意は難解で、議論が絶えない絵です。


Reynolds_001
レノルズ『ウェヌスの帯を解くピクド』1788年

18世紀イギリスを代表する肖像画家レノルズの作品。
この絵は昨年、東京等で開催された
大エルミタージュ美術館展 世紀の顔・西欧絵画の400年」に来日しました。

艶っぽいヴィーナス、その帯をほどくクピド、彼女の胸は既にあらわです。
背徳的? そう受け取れなくもないですが、
赤子が母親に甘えているようにも見えます。


Old Fashioned Club  月野景史

2013年1月11日 (金)

「AKB48河西智美さんの写真でヤングマガジン発売延期」問題の検証

明日、1月12日(土)発売予定だった「週刊ヤングマガジン」第7号(講談社)が、
掲載予定だった、AKB48の河西智美さん(かさい ともみ 21歳)の写真に不適切な点があるとの理由で、
発売延期となる、とのニュースが流れています。

私も出版関係の人間なのでこの件は興味があります。
もちろん、河西さんの写真のなにが不適切なのかということ、
加えて、メジャーな週刊漫画誌の大幅な発売延期という、おそらくかつてない事態で、
その後どのようなスケジュールが組まれるのか。

あくまでこの二点だけに絞り、
以下のネットのニュースから今わかる範囲で検証してみます。
『東スポWeb「河西智美「不適切」写真でヤンマガ発売延期」2013年01月11日 12時49分』 


発売延期の理由
東スポWebには以下のように書かれています。

「同誌には「AKB48」河西智美(21)の2月4日発売予定の写真集「とものこと、好き?」の告知記事が掲載されていたが、使用された写真で「河西さんのバストトップを子供の手で隠していることが不適切にあたると判断」(講談社広報)し、発売延期となった。」

記事では明記されていませんが、この2月4日に発売予定の河西さんの写真集は、
ヤングマガジンと同じ講談社の発行なのでしょう。
ヤングマガジン誌上で告知するというのは、いわゆる自社広告ですね。

そして、問題の写真は既に昨日10日にはネット上に流れていた写真ですね。
もちろん、その時点では問題写真としてではなく、写真集の宣伝としてです。
たしかにドキっとする写真したが、
しかし、露出度の過激さという点では、もっと激しい写真などいくらでもあります。

記事にあるように、裸の胸を「子どもの手で隠している」ことが問題なのでしょう。
このようなセクシーの写真に、子どもを使うことが。

これは演出意図からいうと、例えば子どもの代わりに大人を使ったら、より刺激が強くなってしまう、
無垢な子どもを使うことで、ソフトなイメージに、ということなのでしょう。
しかし、一方で背徳感も漂います。そこも狙いかも知れません。
ですが、今は児童に関わるこのような問題に向けられる目は厳しいです。

ここまで出来あがっているのだから、事務所サイドも出版社側も問題意識はなかった。
しかし、10日にこの写真がネット上に流れたことにより、問題化したのでしょう。

この写真に対する賛否は分かれるかも知れません。
果たして、「悪い」と決め付けられるような写真なのか?
しかし、児童ポルノの問題に関して日本も、世界的にも厳しい中、
判断が甘かったといわれても仕方ないでしょうね。


発売延期の余波

問題のヤングマガジン第7号の表紙の写真のようです。

Kasai_tomomi_010

「ヤングマガジン」のような大部数のメジャーな週刊漫画誌の大幅な発売延期は、
おそらく前例がないでしょう。
掲載されているマンガはほとんど連載物です。

「決定は10日に行われ、すでに出版取次会社への搬入も済んでいた。」

12日発売予定の雑誌の発売延期を10日に決定し、11日に発表。
記事にもあるように印刷・製本どころか、既に流通に乗っています。
タイミングによっては、取次どころか販売店に届いていたのでは。

だいたい「延期」とはいっても、上のような事情ではそのまま出せる筈はないのだから、
問題部分を差し替えた上で、刷り直しになります。

「なお今週発売予定だったヤングマガジンについては問題の写真部分を修整し再来週21日(月曜日)にスライドして発売される

なぜ一週間遅れの土曜日ではなく、再来週の月曜日の発売になるのか?
不思議に思うかも知れませんが、これは単純な理由です。

そもそもヤングマガジンは毎週月曜日の発売です。
ですから本来なら1月14日の発売なのですが、祝日なので繰り上がっているのです。
それも、基本的に日曜日の発売もないので、12日まで繰り上がったのです。

この後の問題としては、写真集がどうなるのかでしょう。
河西さんには気の毒な話だと思いますが、彼女が悪いわけではないし、
災い転じて…という方に進めばいいと思います。


追記:ところで、問題の写真は西洋絵画で描かれるヴィーナスとキュービッドをイメージさせるようにも感じます。
こちらで少しだけ記しました。

http://oldfashioned.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/post-6639.html


最後に東スポWebのニュース記事を引用しておきます。

☆☆☆
河西智美「不適切」写真でヤンマガ発売延期 2013年01月11日 12時49分
講談社は11日、12日に発売を予定していた週刊漫画誌「ヤングマガジン」第7号に不適切な表現があったとして発売を延期すると発表した。

発売が延期された同誌には「AKB48」河西智美(21)の2月4日発売予定の写真集「とものこと、好き?」の告知記事が掲載されていたが、使用された写真で「河西

さんのバストトップを子供の手で隠していることが不適切にあたると判断」(講談社広報)し、発売延期となった。決定は10日に行われ、すでに出版取次会社への搬入も済

んでいた。
このバストトップ写真は写真集の表紙にも使用されており、写真集の発売についても「修整をして出すか出さないかは現在協議中。秋元康事務所、河西さんが所属するホリ

プロ、写真を撮影したカメラマンとも協議をしたのち判断する」とした。
なお今週発売予定だったヤングマガジンについては問題の写真部分を修整し再来週21日(月曜日)にスライドして発売される

http://www.tokyo-sports.co.jp/entame/75115/
★★★

絶滅種ニホンカワウソ生存?/あのネス湖のネッシーとカワウソの因縁

久々に未確認動物の話です。
後で、おもしろい映像も紹介します。


環境省が昨年8月に「絶滅種」に指定したニホンカワウソについて
国内最後の捕獲地となった愛媛県では絶滅指定語に目撃情報が相次ぎ、本格的な調査に乗り出すそうです。
http://mainichi.jp/select/news/20130110k0000e040194000c.html

かつては日本中にいたニホンカワウソは明治時代以降、河川改修や乱獲で減少、
1975年4月、同県宇和島市の離島で見つかったメスが最後の捕獲、
1979年6月、高知県須崎市で目撃された後は正式な確認がなく、
環境省は昨年8月公表の第4次レッドリストで「絶滅種」と位置づけました。

今や「幻の動物」となってしまったニホンカワウソ、もちろん生存していれば嬉しいニュースです。
ニホンオオカミよりは目撃例が新しいし、見つかるといいですね。


それはそれとして、今回はちょっと話を飛躍させます。
私はこのニホンカワウソ絶滅の事を聞くと、あの「幻の動物」の王者との因縁を感じています。

そう、イギリスのスコットランド、ネス湖の怪物ネッシーです。
↓ネッシーについてはこちらを。
http://oldfashioned.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/20-23b9.html

さて、ネッシーとカワウソの因縁とは何か?


ネッシーを写したとされる有名な「外科医の写真」(1934年)
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この写真は公表から60年後の1994年に、模型による捏造だったと報道されました。
しかし、実はもっと早くから信憑性については疑義が呈されていたのです。
その有力な説のひとつが、水に潜ろうとしているカワウソの尾ではないかというものでした。

皮肉なものではないですか?
「なんだ、本物のネッシーかと思ったら、カワウソなの! ガッカリ…」
という話だったのです。昔は。

それが今や日本では、そのカワウソが幻の動物。
1万枚のチラシを作り、大調査に乗り出すというのですから。


余談ですが、この「外科医の写真のネッシー=カワウソ説」を、日本で知らしめたのは『ドラえもん』です。
この件については私は以前、Wikipediaの「ネッシー」の項目に書いたのですが、今は削除されています。
せっかくだからこちらに転記しておきます。
☆☆☆
1974年初出の『ドラえもん』」(雑誌掲載は『ドラミちゃん』として)の1エピソード「ネッシーがくる」中で『外科医の写真』の検証がされている。ここでは動物学者モーリス・バートンの見解として、やはり被写体が小さい事が指摘され、カワウソの尾説が紹介されている。翻訳書以外で、日本でこの写真の疑問について言及した最初期の記録と見られている。尚、本作ではネッシーは実在する事になっている。」
★★★


さて、おまけのようなものですが、YouTubeで見つけた映像を紹介します。



この動物はなんでしょうか?

コメントを読むと、まさに本項の主役カワウソのようです。
アラスカの湖と書いてありますね。
プリントスクリーンしてみました。

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しかし、大きさの問題はあるでしょうが、水に潜る際の尾っぽではなくても、
ネッシー…というか、首長竜と誤認してもおかしくないくらいです。


Old Fashioned Club  月野景史

2013年1月10日 (木)

【街】お台場 2012-2013冬景

東京臨海副都心お台場、
横浜みなとみらい、
どこか未来都市を思わせる街の風景が好きです。

古いもの好きを自認する私が、なぜ「未来」に惹かれるのか?
この「未来都市」なるものが、レトロなものであるからでしょう。

昔の少年誌には、未来都市予想図がよく載っており、
遥かなる先の世界を夢想したものです。



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ステージでは白い衣装のアイドルたち。
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何歳くらいでしょうか。デジカメを操る少女。
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おかあさんと、弟か妹を撮ってあげてたのですね。



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未来世界の守護神?



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未来も昔も今も、やはりこれ。


Old Fashioned Club  月野景史

2013年1月 9日 (水)

「昭和プロレス秘密集会」 2月16日(土)12時より 東京お台場で開催

主に高校生の頃、もちろん昭和の時代ですが、熱心なプロレスファンだった時期があります。

現在のプロレスにはほとんど関心はないのですが、昔のプロレスに関する本や映像を観るのは好きです。
同じような好みの人達は私の他にもおり、「昭和プロレスファン」などという言い方がされます。

古くはもちろん力道山から、馬場、猪木、大木金太郎、坂口征二、ラッシャー木村、ジャンボ鶴田、
外国人ではホボ・ブラジル、プラッシー、デストロイヤーからブッチャー、ザ・ファンクス、ミル・マスカラス、
プロレスを知らない方でも、名前くらいは聞いたことがあるでしょう。
1980年代には漫画から飛び出した、リアルのタイガーマスクのブームもありましたね。
そういう時代のプロレスです。

その昭和プロレスの分野最大の研究サイトといえばこちら、
「ミック博士の昭和プロレス研究室」
http://www.showapuroresu.com/

昭和のプロレスの膨大な資料から構成されたサイトに加えて、
同人誌「昭和プロレスマガジン」も発行しており、既に28号を数えます。
サイト内の掲示板には私も時々お邪魔し、マーシャルホークというHNで駄文を書かせていただいてます。
(今年から、HNをブログで使っている「月野景史」に統一させてもらいました。)


さて、こちらのサイト主催のイベントが2月に東京の臨海副都心お台場で開催されます。

20130216event
ミック博士の「昭和プロレス秘密集会」
2013年 2月16日(土) 
Open 12:00 Start 12:30 End 15:00 (予定)
TOKYO CULTURE CULTURE 東京カルチャーカルチャー (TCC)
東京都江東区青海1丁目3-11Zepp Tokyo2F

前売りチャージ券 1500円 当日チャージ券2000円(飲食代別途)
前売りは今日1月9日より開始されました。
http://tcc.nifty.com/cs/catalog/tcc_schedule/catalog_121228204132_1.htm


実は、今までも同サイトのイベントやオフ会はしばしば催されていましたが、
主宰者のミック博士が関西在住のため、ほとんどが同地での開催でした。

東京では一度、2009年に笹塚で開催され、私も参加しましたが、
今回のイベントはそれを遥かに上回る規模、
というか、特にレスラーの参加予定などがない昭和プロレスのイベントとしては、
過去に例のないスケールではないかと思います。


プログラム構成は以下の通り(予定)
第1部/スライドショー&トークショー「嗚呼!我らの昭和プロレス」
第2部/プロレステーマ曲のディープな世界byコブラ
第3部/秘蔵映像・画像に見る「昭和プロレス怪人伝説」


出演者はもちろん主宰のミック博士と、同サイト補佐官の存英雄氏。
(私は存さんとは別のマニアックな分野でも、ちょっと趣味がかぶります。)
そして同研究人コブラ氏。この方はレスラーのテーマ曲の研究が本当に凄いです。

そして、なんといっても注目は秘蔵映像。現在ミック博士が編集中とのこと、
伝説のガチンコ試合ノーカット版(どの試合のことかわかりますか?)、
幻のBI映像(これはなんでしょう?)
等々、興味深い情報が漏れ伝わってきています。


私などは普通の人からすればマニアックな方だと思いますが、
それほどではなくても、昔プロレスを見ていて、懐かしく感じられている方なら
きっと楽しめると思います。

ぜひみなさんお誘い合わせの上…というか、
別に一人でも大丈夫だと思うので、気軽に行ってみましょう。
私もリアルの同好の知人はいないので、一人で行くつもりですし。


Old Fashioned Club  月野景史

【PUB】パブ カーディナル/銀座ソニービル1Fのレトロなお店

東京有楽町は数寄屋橋の交差点の一角、
ソニービルの一階部分にレトロな感じの飲食店があるのを記憶していませんか?

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少し階段を下りていく半地下のような場所にあり、歩道から中を覗き込むだけでも、
なにやら大正時代、あるいは昭和初期の「古き良き花の銀座」にタイムスリップしたかのような、
クラシカルな空間が広がっているのがわかります。

「パブ カーディナル」というイギリス風パブです。
http://www.miyoshi-grp.com/cardinal/pub/
1966創業とのこと。50年近い歴史がありますが、戦前に遡るほど、古くはないのですね。


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入ってみれば更にレトロな雰囲気。

このお店が、最新テクノロジーの殿堂ソニービルの一角にあるというコントラストもまたいいですね。
ソニービルの中からも入れるので、本当に一体なのです。


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英国伝統のシェパーズパイ マッシュポテトとチリビーンズのオーブン焼き

独特の雰囲気過ぎて、ちょっと入り難くも感じますが、
ランチタイム、ティータイムのカフェ使い、バータイムの豊富なお酒とパブ料理、
使い勝手も意外と良いようです。


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銀座・有楽町、あるいは浅草など、古くからの繁華街に行ったなら、
いつもとちょっと違う、こんなお店もいいですね。


Old Fashioned Club  月野景史

2013年1月 8日 (火)

【音楽】プリンセスプリンセス 2012年紅白で23年目の『Diamonds』

先日、プリンセスプリンセスの紅白歌合戦初出場について、このブログに書きました。
http://oldfashioned.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/post-1c3f.html
そして本番の大晦日、パワフルなステージを魅せてくれました。

今回の歌唱曲『Diamonds』で彼女達が大ブレイクしたのが1989年。
それから23年後のことでした。



23年前と比べてまったく変わらない…とまではさすがにいえませんが、
期待を裏切らないものではあったと思います。
ボーカルの岸谷(奥居)香さんの衣装は、宝石のダイヤモンドをイメージしているのでしょうか。

一人ずつ見て、歳月を感じさせるかどうかといえば、
これはやはり5人いると、人によって差はありますね。
あまり印象の変わらない人もいれば、年齢なりの変化かなぁ…
という方もいるように思います。


リアルタイムの『ダイアモンド』


そもそもこの1989年当時、彼女らは主に女の子っぽいカジュアルなファッションが
多かったかと思いますが、
年齢でいうと、岸谷さんはちょっと下ですが、平均は当時既に20代半ば、
1980年代初頭にデビューした女性アイドル達と同じくらいか、少し上だったのですね。

ですから、今はもうアラフィフ…。
そう思うと、やはりすごいですね。しっかり輝いていました。


それにしてもこの歌、最後の方の歌詞を聴くと、むしろ今の方が相応しい歌のようにも思えます。


Old Fashioned Club  月野景史

2013年1月 7日 (月)

【美術展】※必見「生誕90周年記念 山下清展」日本橋三越本店/あの放浪の天才画家の画業を俯瞰する絶好の機会☆1月14日迄

東京日本橋の三越本店で1月14日まで、
「生誕90周年記念 山下清展」が開催中です。

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生誕90周年記念 山下清展
2012年12月27日(木)-2013年1月14日(月・祝)
日本橋三越本店

www.mitsukoshi.co.jp/store/1010/yamashita


山下清
(やました きよし、1922年(大正11年)3月10日 - 1971年(昭和46年)7月12日)

山下清画伯は日本人画家として、一~ニを争う有名人でしょう
なぜ有名か? やはり1980年代から1990年代にかけて放映された、
芦屋雁之助さんが主演人気テレビシリーズ『裸の大将放浪記』の影響が大きいでしょうね。

清については、以前代表作の『長岡の花火』がテレビ東京の『美の巨人たち』に取り上げられた際、
テレビドラマについても併せて、このブログに書いたことがあります。
http://oldfashioned.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/79-b222.html
http://oldfashioned.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/79-c939.html

しかし、山下清の芸術活動全般についてよく知っている人は、多くはないでょう。
本展は清が放浪生活に入る前、10代前半の頃から、49歳で亡くなる最晩年まで、
その画業全般を、またその生涯を俯瞰する、希少な展覧会です。


この展覧会は既に昨年から広島の福山、福井、佐賀、大分と巡回しており、
更に本展の後は、以下のように開催予定です。
富山県水墨美術館(2月1日~3月10日)
松坂屋美術館(3月16日~4月9日)

しかし、この日本橋展は正味18日間という短い日程で、
しかも百貨店の催事としての開催ということもあり、
東京近辺の展覧会の情報を集めたサイト等でも、あまり紹介されていません。

大変貴重な機会だけに残念に感じます。
展示点数も150点あまり、百貨店の催事と思っていくと、
消化し切れないほどのボリュームです。
なにより、すべての作品にではないですが、清本人のユニークなコメントを添えられており、
それを読むだけでも、それなりの時間が費やされます。

私は山下清の何を知っているわけでもないので、軽々しくは言えませんが、
これはもう「山下清のすべて」と言い切っていいほどの展示ではないかと感じました。


展示構成は以下の通りです。

第1章:少年期の山下清そして放浪
第2章:芸術家としての挑戦
第3章:初のヨーロッパへの旅と遺作・東海道五十三次


以下、簡単な年譜と共に、山下清の画業を振り返ります。

1922(大正11)年3月10日、東京市浅草区田中町に生まれる。
1925(大正14)年 重い消化不良からの高熱で、軽い言語障害となる。
1934(昭和9)年 千葉県の養護施設「八幡学園」に入園。「千切り絵」が清の画才を発揮させ、彼独自の技法による貼絵となる。

1940(昭和15)年 18歳
11月18日に突然、学園から姿を消し放浪の旅に出る。
幾つかの職業を転々としながら千葉県内、そして日本各地を放浪。
時折、母の家や学園に戻り、脳裏に焼き付いた旅先での風景を貼絵にした。

1953(昭和28)年
アメリカの雑誌『ライフ』が清の作品を見て驚嘆、放浪中の清を捜し始める。

1954(昭和29)年 32歳
1月10日、鹿児島で発見される。弟・辰造が迎えに行き、清の放浪生活は終わりました。


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『桜島』 貼絵/1954(昭和29)年
放浪生活最後の地、鹿児島を描いた作品。

このように、テレビでおなじみの清の放浪生活は18歳から32歳まで、
太平洋戦争を挟んでの14年間のことでした。
実はドラマとは違い、旅先で創作をすることはありませんでした。
その抜群の記憶力を頼りに、学園に戻っている間に制作に励んだのです。

すっかり有名になり、個展も開かれるようになった清は画家として生きていきます。
もちろん旅は続けました。
ただし、今度は放浪ではなく、画家として制作のための旅行です。

1961(昭和36)年 39歳 ヨーロッパ他9カ国を訪問。
本展では欧州を描いた作品も多く展示されています。
そのセンス・技術は更に洗練されています。


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『ロンドンのタワーブリッジ』 貼絵/1965(昭和40)年

1964(昭和39)年
素描による『東海道五十三次』の創作を始める。
しかしその最中、高血圧による眼底出血に見舞われ、療養生活に入ります。

1971(昭和46)年 7月10日の夜、突然の脳出血で倒れる。7月12日朝永眠。
最後の言葉は『今年の花火見物はどこに行こうかな』でした。享年49歳。

『東海道五十三次』は中絶に終わったかと思われましたが、
清は療養生活の間も周囲に隠れて制作を続けており、
ペン画として55点が残されました。


山下清の作品はおなじみの貼り絵の他にはペン画が多く、一方で、油彩画は少ないです。
記憶を頼りに一気に作り上げる清にとって、
絵の具が乾くまで時間がかかる油彩は性に合わなかったようです。
本展ではその油彩画も多く展示されています。
他に、自ら好んだという陶器の絵付けや、独自の水彩画も。
そして貼絵も、年齢と共に確実に洗練されていっていることがわかります。


生誕90周年、「日本のゴッホ」「放浪の天才画家」と称される山下清は、
本当にすばらしい芸術家であったむことを改めて実感しました。

最後にユニークな作品を紹介しましょう。


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『ソニコンロケット』 貼絵/1959(昭和34)年頃
増田屋コーポレーション所蔵
玩具工場を見学した清は、この玩具「ソニコンロケット」を大変気に入り、
後日、この貼絵を玩具会社に進呈したそうです。


Old Fashioned Club  月野景史

2013年1月 6日 (日)

【園】新宿御苑の大温室がリニューアルオープン/新宿に新名所誕生!?

2012年11月20日、新宿御苑の大温室がリニューアルオープンしました。
2007年に老朽化した旧温室を閉館して建て替えを開始、5年ぶりの開館です。

これはなかなか素敵でした。
東京の新名所…は言い過ぎかも知れませんが、
新宿の新名所と言って間違いないと思います。
http://fng.blog.ocn.ne.jp/shinjukugyoen/2012/12/post_95ac.html

温室内には、ジャングルや池、乾燥地、熱帯の山地などのコーナーが設置され、
多様な温室植物を展示するほか、小笠原諸島や南西諸島の絶滅危惧植物、
そして洋ランなどの歴史的な植物の展示も行なわれています。


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一歩中に入れば南国の陽気。
メガネも、カメラのレンズも液晶も、一瞬にして曇ってしまいました。



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温室の歴史
新宿御苑の温室の歴史は古く、同苑が植物の栽培試験場だった明治時代まで遡ります。
1892年に加温式の洋風温室が建築され、日本ではじめて温室を用いたラン等の花き栽培が行われました。
その後、1958年には当時、東洋一の規模を誇るドーム型の大温室が完成し、
日本初の観賞温室の先駆けとなりました。
そして、今回の新規開館に至ります、

【注】
新宿御苑の入園時間は9:00-16:00(16:30閉園 入園料200円)ですが、
温室の入館は9:30-15:30(16:00閉館 無料)です。

http://fng.blog.ocn.ne.jp/shinjukugyoen/



温室の外は冬景色。

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Old Fashioned Club  月野景史

2013年1月 5日 (土)

【美術展】「シャガールのタピスリー展 二つの才能が織りなすシンフォニー」松濤美術館/シャガールとタピスリー作家プランス

東京渋谷の松濤美術館で1月27日まで、
「シャガールのタピスリー展 二つの才能が織りなすシンフォニー」が開催中です。


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シャガールのタピスリー展 二つの才能が織りなすシンフォニー
2012年12月11日(火)-2013年1月27日(日)

10時-18時(金曜日は19時まで)
主催・会場 渋谷区立松濤美術館

今年の初展覧会は、渋谷の瀟洒な美術館のシャガール展からにしました。


マルク・シャガール
(Marc Chagall 1887年7月7日 - 1985年3月28日)

97年に及ぶ生涯で偉大な画業を残した画家。
同じく長命だったパブロ・ピカソと共に、20世紀を代表する芸術家です。

幻想的で甘美なイメージと美しい色彩にあふれた絵画で魅了したきたシャガール。
その多彩な表現の中にみられる豊穣なイメージの世界が探られています。

シャガールはカンバスに描く絵画の枠を越え、
ステンドグラス、舞台美術などの創作にも才能を発揮しましたが、
本展では、タイトルにあるように、タピスリーがフィーチャーされています。

シャガールがもっとも信頼したタピスリー作家
イヴェット・コキール・プランス(1928-2005年)
本展では彼女が紡いだ、壁一面を覆う5~6mのタピスリー作品群が展示されているのです。


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シャガール(右)とプランス

プランスによるタピスリーは、シャガールの絵画の本質を失うことなく、
色彩やリズム、大胆な構図がそのままうつしとられ、「シャガール」を体現しています。
これはシャガール自身が認めていたといいます。
二人のアーティストが試みた新たな表現世界の成果でもあります。
また新たな、シャガールの魅力の発見にもつながる展覧会ですね。


もちろん、タピスリーの他にも油彩、リトグラフ、ドローイング等が展示されています。


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アトリエの窓(1976年) 油彩
人物は描かれてないのかと思いましたが、右下にいました。恋人達でしょうか。


松濤美術館は渋谷駅界隈の喧騒から少し離れた住宅街に佇む小さな美術館で、
展示点数は多くはないですが、入場料は300円と格安。
鮮やかな色使い、サーカス、動物、花、そして愛し合う恋人たち、
シャガールの世界に触れてみるのもいいですね。


Old Fashioned Club  月野景史

2013年1月 4日 (金)

【ドラマ】『君の瞳をタイホする!』/25年前の今日始まったトレンディドラマの原点

今から25年前の今日、1988年1月4日 月曜夜9時、
『君の瞳をタイホする!』というドラマがスタートしました。

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まさにバブルの時代、いわゆるトレンディードラマ、月9ドラマの元祖といわれる作品です。
とにかく、軽いドラマでしたが、あの時代らしくファッショナブルでパワフル、
毎週楽しんで観ていました。

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実は主人公たちは所轄署の刑事役。刑事ドラマ、警察ドラマでもあったのです。
渋谷を舞台に陣内孝則さん、三上博史さん、柳葉敏郎さん、浅野ゆう子さんらが刑事役で登場。
トレンディドラマを象徴するような顔ぶれである一方、
同じメンバーでシリアスな刑事ドラマをやっても全然OKに思えます。








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トレンディドラマの黄金トリオ


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陣内さんと浅野さんがペア


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三上さんは三田寛子さんとペア


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当時17歳、工藤静香さんの個性的な演技も注目を集めました
番組的には柳葉さんとペア


バブルの時代といっても、誰もが豊かだったわけではありません。
このドラマもそれを象徴するような面があり、
金持ちの息子の柳葉さんは後のヒルズ族も真っ青の高級マンション、
同僚の刑事なのに、陣内さんはその隣の超ボロアパート住まいの設定でした。
しかもそのアパートすら、家賃滞納で追い出される始末。

ただ、今は貧しくともこれからもっとよくなるという希望はありました。
だから、この時代はドラマも歌もパワフルでしたね。
永遠の右肩上がりは幻想だったにしても、
この時代のドラマや歌には今でも惹かれる面があります。


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陣内さんのアパートでの泥酔飲み会
このシーンも面白かった


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三上さんと柳葉さん
こちらはいかにもトレンディ


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右から二人目は蓮舫議員
このシーンでは私服ですが、森尾由美さんと蓮舫さんは制服警官役


そして『君の瞳をタイホする!』の主題歌は久保田利伸さんの『You were mine』。





まさにパワフルでファッショナブル。
先日このブログで紹介したプリンセスプリンセスの『Diamonds』などと同時代です。


フジテレビのトレンディドラマ路線はこの後、
同じ1988年の7月から木曜9時枠で、これも伝説的なW浅野主演『抱きしめたい!』
10月から月9枠で三上さん主演で工藤さんも出演の『君が嘘をついた』と続きます。
この3本に、翌1989年10月期月9枠の『愛しあってるかい!』を合わせた4作は、
2009年にフジテレビ開局50周年を記念してDVD-BOX化されました。
http://www.ponycanyon.co.jp/fujitv50th/interview/special.html


『君の瞳をタイホする!』
1988年(昭和63年)1月4日~3月21日
毎週月曜日21:00 - 21:54
フジテレビ
陣内孝則 浅野ゆう子 三上博史 柳葉敏郎 三田寛子 工藤静香 石野真子 原田大二郎 森尾由美 蓮舫


Old Fashioned Club  月野景史

2013年1月 3日 (木)

【美術展】「美術にぶるっ! ベストセレクション 日本近代美術の100年」/東京国立近代美術館60周年記念特別展

竹橋の東京国立近代美術館で1月14日まで、60周年記念特別展となる
「 美術にぶるっ! ベストセレクション 日本近代美術の100年」が開催中です。

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東京国立近代美術館 60周年記念特別展
美術にぶるっ! ベストセレクション 日本近代美術の100年
2012年10月16日(火)-2013年1月14日(月)

主催  東京国立近代美術館、NHK、NHK プロモーション
後援  文化庁
http://buru60.jp/


近代美術の殿堂、東京国立近代美術館が60周年を記念して送る大型展です。

国指定の重要文化財は、現在、美術工芸品では1万件以上あります。
「無数にある」といっとしまってもいいくらいですね。
しかし、その多くは古い時代のもので、近代美術、つまり明治以降の絵画・彫刻に限ると、
51件しかありません。随分少ないのですね。

そのうちの13点(寄託作品も含む)が、この東京国立近代美術館に所蔵されています。
これらの貴重な作品は通常、保存の観点から会期を分けて少しずつ展示されますが、
今回は60周年を記念して、まとめて一度に公開します。
その意味では、60年間のコレクションの精髄に一気に触れる、またとない機会なのです


展示は大きく分けて二部構成でてす。

第一部は「MOMATコレクションスペシャル」
リニューアルされた4階から2まだのの所蔵品ギャラリーで
前述の13点の重要文化財を含む、選りすぐりのコレクションが紹介されています。
日本の作品が中心ですが、海外の近代美術もあり。

第二部は「実験場1950s」
東京国立近代美術館は1952年のオープン。
その時代、戦後日本の原点ともいえる1950年代をテーマに、
この頃に生まれた芸術作品に加え、資料や映像が展示されています。
こちらはまた、アバンギャルドな世界です。


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上村松園 『母子』1934年
2011年、新たに重要文化財に指定された、本展の看板作品です。
松園が母仲子を失った年に描いた作品で、亡き母への追慕の念が込められています。
といっても、松園本人が既に59歳、子育ても終えた時期の作品ですが。

私的な体験を経て理想化された、日本の近代美術を代表する「母子像」です
松園は1875年、京都市の生まれ。1948年女性初の文化勲章受章。


“近代”と括っても、『母子』のようなな日本情緒溢れる作品から前衛まで、
タイプの幅も広いし、ともかく膨大な作品量です。
時間に余裕を持っての観覧をお勧めします。


Old Fashioned Club  月野景史

2013年1月 2日 (水)

【昭和プロレス】『Gスピリッツ Vol.26』 「第3極」の誕生と消滅/国際プロレスアワー、日本初の女子プロレスラーの貴重な証言も

『Gスピリッツ Vol.26』が辰巳出版より昨年12月26日に発売されました。

毎回、特に昭和プロレスファンには嬉しいマニアックなネタを提供してくれる同誌ですが、
今回のテーマは『「第3極」の誕生と消滅』です。
http://www.tg-net.co.jp/gs/

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「第三極」
昨年の衆院選にあたり、一時的にブームとなった言葉です。
すっかりしぼんでしまいましたが。

これをプロレスに当てはめ、新日本プロレス、全日本プロレスをこの世界の二強=二極と定義し、
この二つと競合すべく生まれ、そして消えていった団体たちを「第3極」と定義したようです。

私などはそのコンセプトを聞くと、昭和の時代、まさに新日・全日に次ぐ第三位の位置に主にいた
国際プロレスをまず思い起こしてしまいます。
しかし、今回のテーマは新日・全日があって、その後に生まれた「第3極」ということなので、
その二団体より古い国際プロレスは含まれていません。


では、どういった団体、どうようなムーブメントを指しているのか?
以下が同誌が選んだそれぞれの時代の“第3極”の系譜と証言者です。

[ワールド・プロレスリング~ジャパンプロレス]
大塚直暉氏(元ジャパンプロレス社長)

[旧UWF]
浦田昇氏(元UWF社長)

[旧UWF~格闘技連合~ユニバーサル・レスリング連盟]
グラン浜田氏

[格闘技連合~FMW]
大仁田厚氏

[新生UWF~SWS~プロフェッショナル・レスリング藤原組]
富永巽氏(元SWS代表)

[UWFインターナショナル~FFF~キングダム~PRIDE]
鈴木健氏(元UWFインターナショナル取締役)


以上、ざっと見てもわかる通り、それぞれ時代の第3極はほとんど、ひとつの団体として完結していません。
短期間に離合集散を繰り返して、消えていきました。
その点でも、昨今の政治状況に似ているといえばそうなのですが。

短期間に離合集散を繰り返すということは、要するにうまくいかなかったということです。
運営に苦労した団体の経営側にいた人達の証言ですから、当然苦しかった話が多く、
読んでいて楽しい記事は少ないように感じました。

それと、このテーマならその集成として、ノアが取り上げられても良さそうなものですが、
今回はノータッチでした。


さて、今回のテーマとなった時代に、実は私はそもそもあまり関心はありません。
一方、テーマからこぼれた国際プロレスですが、連載ページはあります。
これは興味深かったです。その今回のゲストは…。

◆連載 実録・国際プロレス
【第16回】田中元和(元『国際プロレス・アワー』プロデューサー)


国際プロレス(1967-1981)その活動期間の前半はTBS、
後半は東京12チャンネル(現テレビ東京)が放送しました。
今回のゲストの田中氏は、12チャンネルのプロデューサーです。

『Gスピリッツ』は興味深いインタビューを多く掲載してくれるのですが、
特にテレビ局側の人の証言は貴重です。
ビジネスとして外側の立場で、しかしある程度まで内側に踏み込み、
プロレスに関わった人達の言葉なので、レスラーや団体内部の人達の証言とはまた違い、
今まで解り難かったことが、キレイに見えてくることがあるのです。

田中氏は当時の12チャンネルの他のキー局と調べても圧倒的に弱かった力関係、
それに伴う経済事情の弱さ、収録事情なども忌憚なく語っており、
そのあたりが及ぼす影響にも、思いを巡らすことができました。

12チャンネルが国際プロレスの放送を始めてすぐ、
超豪華な外国人レスラーを集めて蔵前国技館で試合を行ったことがあります。
バーン・ガニア、ピル・ロビンソン、ニック・ボックウィンクル、レイ・スチーブンス、
当時、アメリカで大きな勢力を誇っていたAWAの、世界シングル王者とタッグ王者組が総出場!
しかし、残念ながら極端な不入りに終わりました。

私はこの頃をリアルタイムでは知らないのですが、放送記録からの推測で、
ネットの「昭和プロレス掲示板」につい先日、
「テレビでの告知が出来てなかったことが、不入りの大きな要因ではないか」
との持論を書かせてもらいました。
http://6611.teacup.com/drmick/bbs/12698

今回、まさにその通りだったことを田中氏が証言してくれました。


しかし、今号でもっとも面白かったのは、実はこの記事です。

◆特別企画[リビングレジェンド対談]
50年ぶりの再会 ユセフ・トルコ×猪狩定子


ユセフ・トルコ氏は昭和プロレスファンなら誰でもある程度のことは知っている有名人ですが、
猪狩定子氏(いがり さだこ)は日本で最初の女子プロレスラーとされる人です。
トルコ氏も猪狩氏も、力道山が日本プロレスを設立する以前からプロレス活動をしていた、
まさに“リビングレジェンド”です。

私はこの時代のプロレス事情に詳しくもないし、さほど興味もないのですが、
今回の対談は、昭和史・戦後史の一面として読んでも大変面白く、興味深かったです。

ところで「猪狩(いがり)」という名前を目にして、
古い芸人さんにそんな名前の人がいたなあと思いました。
たしか「レッドスネーク、カモン!」の東京コミックショウのショパン猪狩さんとか…、
実は猪狩定子さん、このショパン猪狩さんの実妹なのだそうです。

猪狩さんは1932年生まれで、今年の3月で81歳とのことですが、
記事からは大変聡明で、饒舌だけれども謙虚な方との印象を受けました。


Old Fashioned Club  月野景史

2013年1月 1日 (火)

【美術展】ラファエロ展プロローグ/国立西洋美術館にて3月2日より

2013年も楽しみな展覧会が多く予定されています。、
今年は西洋絵画の分野では、大物画家の回顧展が注目のようですね。
その中でも特に今年前半の目玉といえるのが、
3月2日より東京上野の国立西洋美術館で開幕する「ラファエロ」展でしょう。

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ラファエロ | Raffaello
2013年3月2日(土)-6月2日(日)

午前9時30分~午後5時30分。金曜日は午後8時。入館は閉館の30分前まで。月曜休館
会場 国立西洋美術館
主催 国立西洋美術館、フィレンツェ文化財・美術館特別監督局、読売新聞社、日本テレビ放送網
後援 外務省、イタリア大使館
http://raffaello2013.com/

丸三ヶ月、ロングランでの開催です。


ラファエロ・サンツィオ
(Raffaello Sanzio1483年4月6日 - 1520年4月6日)
レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ・ブオナローティと並び、
ルネサンスの三大画家と称される巨匠です。

とはいえ、他の二人に比べて、日本でのラファエロの知名度は低いでしょう。
実は、画家としての実績、特に残した絵画の数でいえば、他の二人を圧倒しています。
一番若い年齢で亡くなったのに。

しかし、作品数は少なくないとはいえ、それらの多くは欧州各地の美術館の至宝となっており、
日本での本格的な回顧展の開催は困難でした。

今回ようやく、日本における西洋美術の殿堂、国立西洋美術館での開催が決定したことは、
西洋美術ファン、またラファエロファンとして嬉しいことです。


今年前半はこのブログでも、ラファエロについて、今回の展覧会について、
取り上げていきたいと思っています。


Old Fashioned Club  月野景史

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