【昭和プロレス】『Gスピリッツ Vol.26』 「第3極」の誕生と消滅/国際プロレスアワー、日本初の女子プロレスラーの貴重な証言も
『Gスピリッツ Vol.26』が辰巳出版より昨年12月26日に発売されました。
毎回、特に昭和プロレスファンには嬉しいマニアックなネタを提供してくれる同誌ですが、
今回のテーマは『「第3極」の誕生と消滅』です。
http://www.tg-net.co.jp/gs/
「第三極」
昨年の衆院選にあたり、一時的にブームとなった言葉です。
すっかりしぼんでしまいましたが。
これをプロレスに当てはめ、新日本プロレス、全日本プロレスをこの世界の二強=二極と定義し、
この二つと競合すべく生まれ、そして消えていった団体たちを「第3極」と定義したようです。
私などはそのコンセプトを聞くと、昭和の時代、まさに新日・全日に次ぐ第三位の位置に主にいた
国際プロレスをまず思い起こしてしまいます。
しかし、今回のテーマは新日・全日があって、その後に生まれた「第3極」ということなので、
その二団体より古い国際プロレスは含まれていません。
では、どういった団体、どうようなムーブメントを指しているのか?
以下が同誌が選んだそれぞれの時代の“第3極”の系譜と証言者です。
[ワールド・プロレスリング~ジャパンプロレス]
大塚直暉氏(元ジャパンプロレス社長)
[旧UWF]
浦田昇氏(元UWF社長)
[旧UWF~格闘技連合~ユニバーサル・レスリング連盟]
グラン浜田氏
[格闘技連合~FMW]
大仁田厚氏
[新生UWF~SWS~プロフェッショナル・レスリング藤原組]
富永巽氏(元SWS代表)
[UWFインターナショナル~FFF~キングダム~PRIDE]
鈴木健氏(元UWFインターナショナル取締役)
以上、ざっと見てもわかる通り、それぞれ時代の第3極はほとんど、ひとつの団体として完結していません。
短期間に離合集散を繰り返して、消えていきました。
その点でも、昨今の政治状況に似ているといえばそうなのですが。
短期間に離合集散を繰り返すということは、要するにうまくいかなかったということです。
運営に苦労した団体の経営側にいた人達の証言ですから、当然苦しかった話が多く、
読んでいて楽しい記事は少ないように感じました。
それと、このテーマならその集成として、ノアが取り上げられても良さそうなものですが、
今回はノータッチでした。
さて、今回のテーマとなった時代に、実は私はそもそもあまり関心はありません。
一方、テーマからこぼれた国際プロレスですが、連載ページはあります。
これは興味深かったです。その今回のゲストは…。
◆連載 実録・国際プロレス
【第16回】田中元和(元『国際プロレス・アワー』プロデューサー)
国際プロレス(1967-1981)その活動期間の前半はTBS、
後半は東京12チャンネル(現テレビ東京)が放送しました。
今回のゲストの田中氏は、12チャンネルのプロデューサーです。
『Gスピリッツ』は興味深いインタビューを多く掲載してくれるのですが、
特にテレビ局側の人の証言は貴重です。
ビジネスとして外側の立場で、しかしある程度まで内側に踏み込み、
プロレスに関わった人達の言葉なので、レスラーや団体内部の人達の証言とはまた違い、
今まで解り難かったことが、キレイに見えてくることがあるのです。
田中氏は当時の12チャンネルの他のキー局と調べても圧倒的に弱かった力関係、
それに伴う経済事情の弱さ、収録事情なども忌憚なく語っており、
そのあたりが及ぼす影響にも、思いを巡らすことができました。
12チャンネルが国際プロレスの放送を始めてすぐ、
超豪華な外国人レスラーを集めて蔵前国技館で試合を行ったことがあります。
バーン・ガニア、ピル・ロビンソン、ニック・ボックウィンクル、レイ・スチーブンス、
当時、アメリカで大きな勢力を誇っていたAWAの、世界シングル王者とタッグ王者組が総出場!
しかし、残念ながら極端な不入りに終わりました。
私はこの頃をリアルタイムでは知らないのですが、放送記録からの推測で、
ネットの「昭和プロレス掲示板」につい先日、
「テレビでの告知が出来てなかったことが、不入りの大きな要因ではないか」
との持論を書かせてもらいました。
http://6611.teacup.com/drmick/bbs/12698
今回、まさにその通りだったことを田中氏が証言してくれました。
しかし、今号でもっとも面白かったのは、実はこの記事です。
◆特別企画[リビングレジェンド対談]
50年ぶりの再会 ユセフ・トルコ×猪狩定子
ユセフ・トルコ氏は昭和プロレスファンなら誰でもある程度のことは知っている有名人ですが、
猪狩定子氏(いがり さだこ)は日本で最初の女子プロレスラーとされる人です。
トルコ氏も猪狩氏も、力道山が日本プロレスを設立する以前からプロレス活動をしていた、
まさに“リビングレジェンド”です。
私はこの時代のプロレス事情に詳しくもないし、さほど興味もないのですが、
今回の対談は、昭和史・戦後史の一面として読んでも大変面白く、興味深かったです。
ところで「猪狩(いがり)」という名前を目にして、
古い芸人さんにそんな名前の人がいたなあと思いました。
たしか「レッドスネーク、カモン!」の東京コミックショウのショパン猪狩さんとか…、
実は猪狩定子さん、このショパン猪狩さんの実妹なのだそうです。
猪狩さんは1932年生まれで、今年の3月で81歳とのことですが、
記事からは大変聡明で、饒舌だけれども謙虚な方との印象を受けました。
Old Fashioned Club 月野景史
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