【プロレス】『Gスピリッツ』vol.25「全日40年スペシャル」から猪木クーデター~馬場独立を拾う
発売中のプロレス専門誌『Gスピリッツ』第25号の特集は
「全日本プロレス創立40周年記念スペシャル」です。
興味深い記事が色々ですが、すべては追い切れないので、
あえて猪木のクーデター未遂騒動から、馬場の独立までの流れの中の事に拘ります。
先日、故上田馬之助の自伝的著書『金狼の遺言 -完全版-』を読み、
このブログやネット掲示板でもそのあたりを書きましたので、
その延長戦のようなものです。
私が知らないだけで、初出ではないかも撮れませんし、信憑性も論じませんが、
とりあえず、興味深く感じた部分を時系列にピックアップしてみます。
1.藤波は、猪木についていきたくないと泣いていた。
2.猪木を糾弾する選手会の席で、猪木は上田に「男と男の約束を破りやがって」と食ってかかった。
3.三菱電機が日プロ中継のスポンサー降板を即決し、日テレは追随せざるを得なかった。
4.大木と戸口は全日本旗揚げに参加する話を馬場としていた。
5.外人ルートが決まらず苦慮していた時に、駒と大熊がドリー・ファンク・シニアを仲介してくれた。
5点ほど、短くまとめて記しました。
もう少し詳しくみていきましょう。
1.藤波は、猪木についていきたくないと泣いていた。
これは佐藤昭雄のインタビューで出てきます。
佐藤と藤波辰巳は同期に近いのですね。
ただし、佐藤が藤波から直接聞いたのではなく、伝聞です。
猪木追放、新日本設立にあたり藤波は旗揚げメンバーとして参加しました。
猪木の付き人だった藤波は当然他に選択肢はなく、納得しての参加かと思っていましたが、
せっかくやっていけるメドが立った日プロを離れたくない、という思いが強かったというのです。
これとよく似た発言を、最近キラー・カーンがしていましたね。
馬場のところに行きたかったのに、坂口に無理やり連れていかれたと。
2.猪木を糾弾する選手会の席で、猪木は上田に「男と男の約束を破りやがって」と食ってかかった。
これも佐藤昭雄談。これは実際にその場で目撃した話としてです。
猪木の日本プロレス改革案に選手の大半は一旦同調しますが、
その後に猪木は日プロ乗っ取りを企んでいるということになり、選手達から激しく糾弾されます。
その席でのことでしょうが、「上田、てめぇ、男と男の約束を破りやがって!」とは、
なかなか激しく、生々しいやりとりですね。
3.三菱電機が日プロ中継のスポンサー降板を即決し、日テレは追随せざるを得なかった。
これは日本テレビの原章プロデューサーの証言。
日プロ幹部は猪木という看板を失ったNETの要求に応じて、日テレとの約束を反故にし、
馬場をNETの放送に乗せてしまいます。
日テレは日プロ中継を打ち切り、それは歴史ある日本プロレスの崩壊に繋がりました。
原氏によれば、単独スポンサーだった三菱電機が即決し、
同社と関係の深い日テレは同調せざるを得なかった、という流れとのことです。
私見ですが、三菱電機はプロレス中継のスポンサーに魅力を失いつつあったのではないでしょうか。
視聴率はよくても、家電メーカーなら主婦向けの番組の方がよい、と感じていて、
プロレスを見切る、ちょうどよい機会になってしまったように感じます。
4.大木と戸口は全日本旗揚げに参加する話を馬場としていた。
これは馬場が離脱する直前の巡業中の船上で、佐藤が聞いた馬場と大木の会話から。
詳細は書かれていませんが、この話がまとまらず(おそらく馬場が大木の条件をのまなかった)、
大木は馬場のインターへの挑戦をぶち上げる等、強硬な態度を取るようになったとのことです。
5.外人ルートが決まらず苦慮していた時に、駒と大熊がドリー・ファンク・シニアを仲介してくれた。
これは佐藤と原氏が共に同様のことを語ってますが、
佐藤はマシオ駒だけ、原氏は大熊元司の名も出しています。
原氏によると、馬場が独立を決断した直後から何度も渡米したが、
どうにも外人レスラー招聘ルートが確保できず苦慮していたところ、
テキサスのアマリロのプロモーターで、あのファンク兄弟の父であるドリー・ファンク・シニアが、
協力してくれるとの連絡が駒と大熊からあり、藁にもすがる思いで駆けつけたとのことです。
全日本の豪華外人レスラーはとかく馬場の信頼のなせるわざという言い方をされますが、実際は馬場の顔でも、日テレの財力でも最初なかなか難しかったことを、
二人が草の根の人間関係から成し遂げたという点で、興味深いですね
ところで今回の『G SPIRITS』、表紙がグロテスク過ぎます。
プロレスは時にはそういうシーンもあるものですが、表紙として相応しいかは別です。
Old Fashioned Club 月野景史
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