« 2012年9月 | トップページ | 2012年11月 »

2012年10月

2012年10月29日 (月)

【ダンス】アルゼンチンタンゴの魅力/小林太平氏を偲ぶ集いより

12月28日、東京新宿の京王プラザホテルにて、
「小林太平先生を偲ぶタンゴの集い」が行われました。

小林太平氏は日本のアルゼンチンタンゴ界の草分けです。
アルゼンチンタンゴ・ダンス協会の会長として、この分野の発展を牽引され、
NHK教育テレビのタンゴ講座の講師なども務められましたが、
この6月に死去されました。

昨夜はその小林先生を偲ぶ会でした。
会では、小林氏が育てたダンサー達による献舞も多く披露されました。

拙い写真ですが、小林先生が愛したタンゴの魅力を伝えるべく、紹介させてもらいます。



Dsc00466



Dsc00574



Dsc00451



Dsc00440



Dsc00523



Dsc00484



Dsc00541_2



Dsc00423_2



Dsc00472



Dsc00567


アルゼンチンタンゴ・ダンス協会
http://www.tangodance.co.jp/


Old Fashioned Club  月野景史

2012年10月27日 (土)

【園】旧古河庭園「秋のバラフェスティバル」/10月28日まで 東京北区

東京都北区の旧古河庭園で10月28日(日)まで、
「秋のバラフェスティバル」開催中です。
http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index034.html

この公園はJR山手線の駒込駅から徒歩12分ほど。
洋と和が調和した庭園です。

「旧古河庭園」と聞くと、現在は別の名前があるのかと思ってしまいますが、
これが正式名称なのですね。


20121020069



20121020016



20121020018




20121020029



20121020026



20121020072



20121020027



20121020046



20121020031


この日は園内でアコーディオン奏者の伊藤ちか子さんによるコンサートも。

20121020056



20121020005



20121020058


Old Fashioned Club  月野景史

2012年10月26日 (金)

桑名正博さん死去/『セクシャルバイオレットNo.1』 かっこいいロックスター

闘病中だった桑名正博さんが10月26日午後、
入院先の大阪市内の病院で亡くなったそうです。
1953年生まれ、59歳。
http://www.asahi.com/obituaries/update/1026/OSK201210260071.html

バンドでの音楽活動は1970年代初頭からで、
70年代半ばには知名度もそこそこありましたが、
大きく知られたのはこの歌の大ヒットによってでしょう。

Kuwana

『セクシャルバイオレットNo.1』(1979年)
かっこよかったです。




↑(たぶん)リアルタイムの映像です。

アン・ルイスさんとの結婚も、この歌のヒットからまもない時期で、
大きな話題になりました。

そして、この曲の前も、後にも、スキャンダルもあった人でした。
それもまた、昭和のロックスターらしいといえるのかも知れません。


Old Fashioned Club  月野景史

2012年10月21日 (日)

【美術】ゴッホ『糸杉』 10/20『美の巨人たち』/晩年の画家が強く惹かれたテーマ

2012年10月20日放送のテレビ東京系『KIRIN~美の巨人たち~』、
テーマ作品「今週の一枚」はフィンセント・ファン・ゴッホ作『糸杉』(1889年)でした。
http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/backnumber/121020/index.html

Gogh_001
現在、東京上野の東京都美術館で開催中(来年1月4日まで)の、
「メトロポリタン美術館展 大地、海、空4000年の美への旅」に来日中の絵画です。
例によって、番組本編中ではそのことにはまったくふれていませんでしたが。


フィンセント・ファン・ゴッホ
(Vincent van Gogh、1853年3月30日 - 1890年7月29日 37歳没)
数多い西洋絵画の巨匠の中でも、日本で一・二位を争う知名度を持つ画家でしょう。

しかし、代表的な作品は、その短い生涯の最晩年に集中して描かれています。
1888年に移り住んだ南仏アルル。
そして、翌1989年に入院した南仏サン・レミの病院。
今回のテーマ作はそのサン・レミで描かれました。
厚塗りで、渦巻くような筆致がこの時期の特徴です。


1888年、ゴッホはパリを離れ、アルルへ移住します。
彼はこの地に芸術家の協同体を作ろうと夢見ていました。
そして、それに応じたゴーギャンと共同生活を始めたのですが、
強すぎる個性は衝突を繰り返し、共同生活はわずか9週間で破綻。
そのショックからか、ゴッホは自分の耳を切り落とすという事件を起こしてしまいます。

翌年の5月、ゴッホは自ら望んでサン・レミの療養所、サン・ポール病院へと入院しました。
ゴッホが何の病だったのか、正確には分かっていないようです。
ただ周期的に幻聴、幻視などの発作を繰り返し、
発病すればまともな社会生活を営むことはできない状態だったといいます。

ゴッホは療養所を「動物園」と呼びました。
まるで檻の中に閉じ込められたような所で、彼に出来ることは描くことだけだったのです。
最初は鉄格子越しに見た光景、病院の廊下に差し込む光、塀に隔てられた庭。
やがて、野外での制作も許可されます。
そして後に「ゴッホの散歩道」と呼ばれることになる道の途中にあったのが、糸杉でした。


ゴッホは糸杉に大変惹かれたようです。
今回のテーマ作を皮切りに、糸杉の連作が描かれました。
ちょうどアルルで「ひまわり」をテーマとした連作を描いたように。

ゴッホは、糸杉を題材にした絵を少なくとも7枚ほど描いています。
麦畑の中で、病院の中庭で、人と共に、そして星月夜の中で。
しかし、番組では、最初に描いた今回のテーマ作のみ、
他の作品とは決定的な違いがあると指摘しています。
この作品だけは、人間の生活が描かれていないのです。
糸杉はゴッホ自身の姿、
後ろに寄り添うように立つもう1本の糸杉は、
ゴッホの唯一の理解者であった、弟テオを投影した姿との解釈でした。

ゴッホはその痛ましい最期もあって、語るのが難しい面があります。
空に向かって伸びゆくような糸杉に、自分と弟との希望を託したのでしょうか。


Old Fashioned Club  月野景史

2012年10月16日 (火)

【速報】オランダの美術館でピカソ、モネ、ゴーギャン、マティスらの名画7点が盗難

オランダはロッテルダムのクンストハル美術館に展示してあった名画7点が、
16日までに盗み出されたそうです。

☆☆☆ 
ピカソやモネなど名画7点盗難 オランダの美術館
2012/10/16 21:46
【ブリュッセル=共同】オランダの警察当局は16日、ロッテルダムのクンストハル美術館に展示してあったピカソやモネなどの名画7点が16日までに盗み出されたことを明らかにした。
盗まれたのはこのほかマティス、ゴーギャンなどの作品で、美術館関係者によると「相当の価値」があるという。
絵画は民間の財団が保有しているが、クンストハル美術館の20周年を記念して先週から始まった展覧会に特別に展示されていた。
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK1602C_W2A011C1000000/
★★★


ニュースのタイトルとしては主にピカソの名が流れていますが、
他にもモネ、ゴーギャン、マティス(マチス)の名が挙がっています。
いずれ劣らぬ、19世紀後半から20世紀のかけての大画家たちです。

盗まれた絵は7点と伝えられていますが、
他の画家の作品も盗まれているのか、
それとも上の挙がった4人のうちの誰かの絵が複数点盗まれたのか?
まだ情報が少ないですね。


クンストハル美術館

Kunsthal_rotterdam
Kunsthal Rotterdam


聞いたことのない名前ですが、ネットでみると企画展のみの美術館とあります。
つまり、東京六本木の国立新美術館と同じで、
所蔵品を持たず、展示スペースとして存在する美術館ということでしょう。
それだと、なかなか日本で名を知られることはないですね。

今回盗難に遭った作品も民間の財団の所有物ということで、
美術館の20周年記念展に出品されていたとのこと。
しかし、そんな美術品をまとめて盗まれてしまうとは…。
保険には入っているのでしょうけど。
犯人は大ががりな窃盗団でしょうか、それとも…?

しかし、美術・西洋絵画ファンとしては、やはりどんな絵が盗まれたか気になります。


追記
こちらでは続報をまとめます。

・盗まれた絵のうちにはモネの絵が2点。
・ニュース等で判明した盗難絵画は以下の通り

Monet__
モネ 『ウオータールー橋 ロンドン』(1901年)

ピカソ 『アルルカンの頭部』
ゴーギャン 『Girl in Front of Open Window』
マティス 『Reading Girl in White and Yellow』
メイエル・デ・ハーン 『自画像』

以上5点の画像はこちらで見れます。
http://www.asahi.com/international/update/1017/TKY201210160766.html



Old
Fashioned Club  月野景史

2012年10月15日 (月)

長崎市が「世界新三大夜景」都市の一つに選定/他は香港とモナコ

長崎県長崎市の夜景が「世界新三大夜景」都市の一つに選定されたそうです。
http://news.mynavi.jp/news/2012/10/15/062/index.html?gaibu=hon


Nagzsaki_yakei新ベスト3に選ばれた長崎の夜景(マイナビニュースより)


ほー、日本の都市が世界三代夜景に選ばれたのか!
と感心したのですが、
選定した「夜景観光コンベンション・ビューロー」というのは日本の団体のようです。
つまり、日本人が選んだ「世界新三大夜景」ということですね。

まぁそれはいいとして、他の二都市は香港とモナコとのこと。
香港は昨年行ったので、どこからの夜景が選ばれたのかと思ったのですが、
ニュース記事を見てもわかりません。

そこで「夜景観光コンベンション・ビューロー」で検索してしてみましたが、
一発では公式サイトがヒットしません。
少し追いかけて見つけました。
一般社団法人だそうです。
http://www.yakei-cvb.or.jp/


さて、よく読んでみると、
香港の特定のスポットが三大夜景に選ばれたわけではなく、
複数の夜景スポットを有し、
有名な「シンフォニー・オブ・ライツ」のような大規模な光のショーを開催するなど、
夜景観光への取り組みまで含めた、都市全体としての評価のようです。

「世界三大夜景都市」ということですね。


さて、従来の「世界三大夜景」は函館、ナポリ、香港とされてきたとのことです。
聞いたことはあるように思います。

この団体のサイトによると、
元々「日本三大夜景」とか「世界三大夜景」というブランドは、
いつ誰が決めたものか、定かではないのだそうです。

調べると、1950年~60年代にかけての日本の高度経済成長期に、
旅行会社が商品造成の際に発信したのでは?と思われるのですが、
確かではないとのこと。
時代も変わったので、新たに選定基準を設けて選びなおしたのが、
今回の「世界新三大夜景」ということです。

結果について論評するような、世界の夜景事情についての知識はありませんが、
時代を経ても香港はやはり強いのですね。


Old Fashioned Club  月野景史

2012年10月12日 (金)

【美術】マネ 『草上の昼食』10/6『美の巨人たち』/近代絵画の祖がパリに問うた問題作

2012年10月6日放送のテレビ東京系『KIRIN~美の巨人たち~』テーマ作品「今週の一枚」は
エドゥアール・マネ 『草上の昼食』(1862-63年)でした。
http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/backnumber/121006/index.html

The_luncheon_on_the_grass

エドゥアール・マネ(Édouard Manet, 1832年1月23日 - 1883年4月30日)

「新時代の絵画の開拓者」「近代絵画の父」「印象派の父」など、
絵画史のキーマンのごとき呼び方をされる、19世紀フランスの大画家マネ。

今回のテーマ作は、そのマネの『草上の昼食』でした。
画家の最高傑作でありながら、パリ中から罵声と怒声を浴びせられた問題作。
多くの日本人が知る有名作ですが、たしかに不思議な構図です。

絵の舞台はセーヌ川の畔と伝えられています。
画面奥の川岸には水浴びをしている下着姿の女性が一人。
そして、手前の木立の中では、二人の若い男と一人の女がくつろいでいます。
しかし、若い男たちは最新の流行の衣服に身を包んでいるにも関わらず、
女性だけが白い肌を晒しています。なぜ女性だけ裸なのか?


マネは、生粋のパリジャンで、裕福なブルジョア家庭出身。
父の反対を押し切って画家になったマネは、権威あるサロンで認められてこそ、
画家としての成功があると考えていました。

その彼が31歳の時に満を持して世に問うたのが『草上の昼食』でした。
しかし、サロンではあえなく落選。
マネはこの絵を「落選者展」に作品を出品しましたが、激しい非難を受けました。

番組では、マネが友人の語った言葉をヒントに、
激しい非難や罵声を予め覚悟しながらこの作品を描いたのだと説明しています。
ただ、前述のようにサロンでの評価を第一に考えていた人なので、
最初からこの結果を予測していたのかは微妙です。


Fiesta_campestre_2
ティツィアーノ『田園の奏楽』(1511年頃)

マネがインスピレーションを得た、『草上の昼食』のいわば元ネタとされています。
ベネツィア・ルネサンスの古典的名作。

草原で、着衣の男性と裸の女性。
同じような構図ながらこの絵は何故古典的名画と認められているのに、
『草上の昼食』はスキャンダルとなったのか?

『田園の奏楽』に描かれた二人の女性は森の妖精=ニンフ。
つまりこれは神話の世界を描いた絵なのです。

しかし、マネの描いた裸婦は現代を生きる生身の女性でした。
大きな問題とされたのはそこです。

ですが、それをいうなら『田園の奏楽』に描かれた男性の衣服も、
神話時代のものではないでしょう。
マネは“現代の感覚”で神話画を描いだと思います。

当然、反発も予想はしていたけど、評価されると思っていた、
しかし、想像以上に非難されてしまった、というところでしょうか。
それでも、そう時を経ずに高い評価を受けるようなっていくのですが。


Old Fashioned Club  月野景史

2012年10月 7日 (日)

【ビール 祭り】お台場オクトーバーフェスト2012〜リターンズ〜/好評に応え今年二度目の開催

東京臨海副都心のお台場にて10月14日(日)まで、
「お台場オクトーバーフェスト2012 〜リターンズ〜」が開催中です。

20121007134

お台場オクトーバーフェスト2012 〜リターンズ〜
2012年10月5日(金)~10月14日(日)
シンボルプロムナード公園 セントラル広場(ダイバーシティ東京前)
主催 オクトーバーフェスト実行委員会
http://www.oktober-fest.jp/2012odaiba_returns/


正真正銘、10月開催のオクトーバーフェスト。
実は、本家のドイツ・ミュンヘンのフェストも9月スタートなので、
今回のお台場フェストは世界にも珍しい、10月限定開催のフェストです。

タイトルに「リターンズ」とついていますが、
お台場では今年のゴールデン・ウィークに初めて開催され、
このブログでも紹介しました。
http://oldfashioned.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/2012gw-fb69.html

それが好評だったので、当初予定になかった「リターンズ」が決定したようです。
たしかにお台場はビールの屋外イベントには相応しい場所でしょう。
イメージ的にも。

今年二回目だし、私もさすがに今回は追っかける気はなかったのですが、
7日(日)に急遽、近くの有明で取材仕事が入ったので、その後に少しだけ寄ってきました。


20121007116
このビールは置いておくと、泡がモコモコと盛り上がってきます。


20121007118
少し見難いですが、花火が上がっています。


20121007127



20121007126



20121007136



20121007138



お台場夕景

20121007192



20121007185



20121007152


Old Fashioned Club  月野景史

2012年10月 4日 (木)

【プロレス】『Gスピリッツ』vol.25「全日40年スペシャル」から猪木クーデター~馬場独立を拾う

発売中のプロレス専門誌『Gスピリッツ』第25号の特集は
「全日本プロレス創立40周年記念スペシャル」です。

G_spirits_025
興味深い記事が色々ですが、すべては追い切れないので、
あえて猪木のクーデター未遂騒動から、馬場の独立までの流れの中の事に拘ります。

先日、故上田馬之助の自伝的著書『金狼の遺言 -完全版-』を読み、
このブログやネット掲示板でもそのあたりを書きましたので、
その延長戦のようなものです。

私が知らないだけで、初出ではないかも撮れませんし、信憑性も論じませんが、
とりあえず、興味深く感じた部分を時系列にピックアップしてみます。


1.藤波は、猪木についていきたくないと泣いていた。
2.猪木を糾弾する選手会の席で、猪木は上田に「男と男の約束を破りやがって」と食ってかかった。
3.三菱電機が日プロ中継のスポンサー降板を即決し、日テレは追随せざるを得なかった。
4.大木と戸口は全日本旗揚げに参加する話を馬場としていた。
5.外人ルートが決まらず苦慮していた時に、駒と大熊がドリー・ファンク・シニアを仲介してくれた。

5点ほど、短くまとめて記しました。
もう少し詳しくみていきましょう。


1.藤波は、猪木についていきたくないと泣いていた。
これは佐藤昭雄のインタビューで出てきます。
佐藤と藤波辰巳は同期に近いのですね。
ただし、佐藤が藤波から直接聞いたのではなく、伝聞です。

猪木追放、新日本設立にあたり藤波は旗揚げメンバーとして参加しました。
猪木の付き人だった藤波は当然他に選択肢はなく、納得しての参加かと思っていましたが、
せっかくやっていけるメドが立った日プロを離れたくない、という思いが強かったというのです。

これとよく似た発言を、最近キラー・カーンがしていましたね。
馬場のところに行きたかったのに、坂口に無理やり連れていかれたと。


2.猪木を糾弾する選手会の席で、猪木は上田に「男と男の約束を破りやがって」と食ってかかった
これも佐藤昭雄談。これは実際にその場で目撃した話としてです。
猪木の日本プロレス改革案に選手の大半は一旦同調しますが、
その後に猪木は日プロ乗っ取りを企んでいるということになり、選手達から激しく糾弾されます。
その席でのことでしょうが、「上田、てめぇ、男と男の約束を破りやがって!」とは、
なかなか激しく、生々しいやりとりですね。


3.三菱電機が日プロ中継のスポンサー降板を即決し、日テレは追随せざるを得なかった。
これは日本テレビの原章プロデューサーの証言。
日プロ幹部は猪木という看板を失ったNETの要求に応じて、日テレとの約束を反故にし、
馬場をNETの放送に乗せてしまいます。
日テレは日プロ中継を打ち切り、それは歴史ある日本プロレスの崩壊に繋がりました。
原氏によれば、単独スポンサーだった三菱電機が即決し、
同社と関係の深い日テレは同調せざるを得なかった、という流れとのことです。

私見ですが、三菱電機はプロレス中継のスポンサーに魅力を失いつつあったのではないでしょうか。
視聴率はよくても、家電メーカーなら主婦向けの番組の方がよい、と感じていて、
プロレスを見切る、ちょうどよい機会になってしまったように感じます。


4.大木と戸口は全日本旗揚げに参加する話を馬場としていた。
これは馬場が離脱する直前の巡業中の船上で、佐藤が聞いた馬場と大木の会話から。
詳細は書かれていませんが、この話がまとまらず(おそらく馬場が大木の条件をのまなかった)、
大木は馬場のインターへの挑戦をぶち上げる等、強硬な態度を取るようになったとのことです。

5.外人ルートが決まらず苦慮していた時に、駒と大熊がドリー・ファンク・シニアを仲介してくれた。
これは佐藤と原氏が共に同様のことを語ってますが、
佐藤はマシオ駒だけ、原氏は大熊元司の名も出しています。

原氏によると、馬場が独立を決断した直後から何度も渡米したが、
どうにも外人レスラー招聘ルートが確保できず苦慮していたところ、
テキサスのアマリロのプロモーターで、あのファンク兄弟の父であるドリー・ファンク・シニアが、
協力してくれるとの連絡が駒と大熊からあり、藁にもすがる思いで駆けつけたとのことです。

全日本の豪華外人レスラーはとかく馬場の信頼のなせるわざという言い方をされますが、実際は馬場の顔でも、日テレの財力でも最初なかなか難しかったことを、
二人が草の根の人間関係から成し遂げたという点で、興味深いですね


ところで今回の『G SPIRITS』、表紙がグロテスク過ぎます。
プロレスは時にはそういうシーンもあるものですが、表紙として相応しいかは別です。


Old Fashioned Club  月野景史

2012年10月 1日 (月)

【写真】『板塀』木村伊兵衛 9/29『美の巨人たち』/苦悩する大写真家が農村で出会った光景

前回、9月29日放送のテレビ東京系『美の巨人たち』のテーマ作品「今週の一枚」は
木村伊兵衛の写真「板塀」(1953年)でした。

Itabei
木村伊兵衛
(きむら いへい 1901年12月12日-1974年5月31日)

戦前・戦後を通じて活躍した日本を代表する写真家の一人。
ライカの神様、スナップショットの達人と呼ばれた人です。
この番組でも写真家が取り上げられることは少なく、貴重な機会でした。

しかし、今回のテーマ作はなんとも不思議な写真です。
これが傑作なのでしょうか?

木村伊兵衛のレンズが捉えたのは、名もない市井の人々日常でした。
その何気ないひとコマをすくい上げるように、撮っていることを相手に気付かせず、
伝説的なスナップショットの数々を生みだしてきたのです。

戦後、木村は女性を撮らせたら天下一品ともてはやされていましたが、
ある写真に衝撃を受けます。
木村と同じくライカを駆使してフランスで活躍していたアンリ・カルティエ=ブレッソンの作品でした。
華やかな名声とは裏腹に木村は「これから自分は報道写真家として何をとればいいのか?」
内心では忸怩たる思いを抱えていました。
そんな時、写真展の審査を依頼され木村は秋田に向かうことになったのです。

敗戦後の混沌の中、見た目には何一つ昔と変わらない農村の暮らし。
それに魅入られた木村は度々秋田を訪れるようになります。
4度目に秋田へやって来た木村の心を捉えたのが、今回の作品『板塀』でした。

何百年かの歴史が染みついているかのような旧家の板塀に変わりゆく農村の実体があります。
板塀に囲まれていたのは広大な豪農の家。
しかし、戦後の農地改革で、地主と小作人と構図は崩壊しつつあった時期です。

それにしても、なぜ馬のお尻だけ?
板塀だけでは造形写真。
馬が中心にきては板塀が負けてしまう。
馬の尻尾だけ入れることによって板塀を主役に、生活も感じられるのです。


今回は「美術探偵夢子さん(山村紅葉氏)」編。
おっちょこちょいの夢子さんとフィルムカメラの取り合わせなので、
オチはすぐにわかってしまいました。

ところで、木村伊兵衛が衝撃を受けたとして紹介されたブレッソンの写真は、
あの大画家アンリ・マティスを写したものでしたが、
マティスのことを「印象派」と紹介していましたね。
あまりそう呼ばれることはないと思いますが。


関連My Blog 【写真】『日曜美術館』1/22「木村伊兵衛 天然色でパリを撮る」
http://oldfashioned.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/122-b646.html


Old Fashioned Club  月野景史

« 2012年9月 | トップページ | 2012年11月 »

フォト
2024年11月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想
無料ブログはココログ