プロレス記者・評論家 菊池孝氏死去/昭和のプロレス中継の名解説者
プロレス記者、評論家、テレビのプロレス中継の解説者としても活躍した、
菊池孝さんが9月1日に亡くなりました。79歳。
80歳の誕生日を目前にしての訃報でした。
菊池孝(きくち たかし、1932年9月13日-2012年9月1日)
キャリア50年以上、存命のプロレス評論家としては「最古参」と呼ばれていました。
体調の問題は抱えていたようですが、
近年もオールドプロレスのDVDにコメンテーターとして出演するなど、
生涯現役を貫いた人でした。
神奈川県横須賀市出身。1956年、室蘭民報に入社して社会部記者に。
野球雑誌の記者を経て、1960年に夕刊新大阪でプロレス記者となり、
その後、1968年にフリーとなりました。
同時代のプロレス記者、解説者で名を知られた方は何人かいます。
山田隆氏、桜井康雄氏、門馬忠雄氏、鈴木庄一氏、
そして、少し年代は下ですが、やはり今年亡くなった竹内宏介氏…、
菊池氏はその中でも、早くからフリーとして活動された人です。
さて、半世紀以上のキャリアを誇る記者としての菊池さんについては、多くの方が書くでしょうから、
私はテレビのプロレス放送の解説者としての菊池さんに絞って記します。
昭和の時代、プロレスの実況中継の解説者としての菊池さんのキャリアはさほど長くはありません。
平成以降、多チャンネル化の時代を迎えてからも解説を務めたことはあるようですが、
昭和では、東京12チャンネル(現テレビ東京)が1974年~1981年に放送していた
『国際プロレスアワー』の後期のみだと思います。
Wikipediaには1977年からとありますが、77年か78年からの登場で、
放送が終了し、団体としての国際プロレスも終焉を迎える81年までの3~4年ほどです。
(その後、同じテレビ東京が放映した『世界のプロレス』にも出演したかと思いますが、
これは実況中継ではなく、映像を見ながらの解説でした。)
名解説者
私の知る中で、菊池氏は一番の名プロレス解説者だったと思います。
近年、菊池氏が解説を担当した時代の国際プロレスアワーの映像が、
DVDとして多く発売されました。
それらを再見して、その評価が間違いでないことを確認しました。
菊池氏がコメンテーターとして出演したDVD『国際プロレスクロニクル 上巻』(2010年)
1980年前後の菊池氏の名解説が多く収録されています。
何をもって名解説者といえるか?
まずは、しゃべりが上手いというのは大前提です。
プロレスの解説者というと、元レスラーか、新聞・雑誌の記者がほとんどなので、
そもそも、おしゃべりが得意な人ばかりではありません。
(正直いうと、今DVD等で聞いても、音を消したくなるような場合もあります。)
しかし、菊池さんは上手かった。トップクラスだと思います。
とはいえ、もちろん大事なのはしゃべる内容ですね。
昭和の時代のプロレスは、各団体が年6-7回程度開催するシリーズごとに、
外人レスラーが入れ替わり来日し、日本勢と闘うのが基本的なスタイルでした。
ですから、まずはその外人レスラーについて、わかり易く説明してくれるのが第一です。
菊池さんの解説は、その外人レスラーのキャリア、
最近の本国(だいたいアメリカかカナダ、時にヨーロッパ、メキシコ等)での活躍ぶり、
過去に来日経験のあるレスラーなら、その時の実績、
(国際プロレスの場合も、他団体の場合もあるので、そこもわかり易く)
日本人レスラーとは、どのような因縁があるのか、
そして、今回の来日にあたり、どんな発言をしているのか、
一緒に来日した、他の外人レスラーとの関係は?
このような点を、実によどみなく解説してくれるのです。
プロレス中継の解説とはかくあるべきでしょう。
もちろん、日本人レスラーについても同様です。
当時の国際プロレス放送のメインアナウンサーは12チャンネルの杉浦滋男氏。
スポーツ中継のベテランで、知識も豊富なのですが、
それ故かどうか、解説者に対して結構難しい質問をすることもありました。
先日亡くなった竹内宏介氏も、後に杉浦アナは少し苦手だったと語っていました。
しかし、菊池さんとは名コンビだったと思います。
試合の展開についてのやりとりも的確で、わかり易かったです。
今回の訃報を受けての追悼記事を見ていると、
記者・評論家としての菊池さんんを評して「辛口」という言葉が目につきます。
たしかに大御所として、歯に衣着せぬ発言。
また、特に後年はレスラーや団体に対してもスタンスを明確にしていたようですね。
ただ、テレビの解説者としの印象は、とにかくソフトで解り易かったです。
昭和のプロレス名解説者、菊池孝さん。
謹んで哀悼の意を表します。
Old Fashioned Club 月野景史
以下、東スポWEBの記事より引用します。
☆☆☆
「日本最古参のプロレス評論家」菊池孝さん逝く
2012年09月04日 14時00分
「日本最古参のプロレス評論家」として、半世紀以上にわたって活躍したプロレス評論家の菊池孝さんが1日、入院中の東京都内の病院で誤嚥性(ごえんせい)肺炎のため死去した。3日に遺族が発表した。79歳だった。
菊池さんは神奈川・横須賀市出身。1956年に北海道・室蘭民報の社会部で記者としてのキャリアをスタートさせた。その後、大阪新夕刊のプロレス担当を経てフリーに転向。本紙でも長くコラムを連載した。東京スポーツ新聞社制定プロレス大賞選考委員も長年務め、ご意見番的存在だった。
現役記者では、ただひとり全盛期の力道山を取材。また“世界の16文”故ジャイアント馬場さんを「馬場ちゃん」と呼び、馬場さんからの信頼も厚かった。
亡くなる1か月前まで会場に足を運ぶ“現場主義”を貫き、選手や関係者からの信頼度も抜群だった。
【坂口征二新日本プロレス相談役の話】
オレが業界に入った時(1967年日本プロレス入団)から辛口な評論をされてた。普通はヨイショしたりするのに、毒舌でね。でもだからこそ信頼できた。プロレスのことをよく分かってくれてた。新日本として7日の後楽園大会で10カウントゴングを鳴らすことを決定しました。ご冥福をお祈りします。
http://www.tokyo-sports.co.jp/prores/36219/
★★★
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