【美術】橋本雅邦『林間残照図』5/5『美の巨人たち』/明治に生まれた新しい「日本画」
2012年5月5日放送のテレビ東京系『美の巨人たち』のテーマ作品「今週の一枚」
橋本雅邦作『林間残照図』でした。
1904年にアメリカ、ミズーリ―州セントルイスで開かれた20世紀最初の万国博覧会において、
欧米の芸術品をおさえて最高賞を受賞、その時代における「現代の日本画」の魅力を
世界に知らしめた絵画です。
橋本雅邦
(はしもと がほう 天保6年7月27日(1835年8月21日)-明治41年(1908年)1月13日 没年72歳)
江戸末期の生まれ。明治日本画壇の重鎮。
東京美術学校初代教授、後に日本画四天王と呼ばれる
横山大観、下村観山、菱田春草、西郷孤月らの師にあたります。
今回はこの近代日本画史のキーパーソンともいえる人物の生涯を概観する内容でした。
以下、番組の流れに沿って振り返ります。
御用絵師の家に生まれた雅邦は11歳で狩野派に、当然のように御用絵師としての道を歩み始めます。
しかし、明治を迎え、欧化政策の下、日本の伝統的絵画は苦境に陥り、
雅邦も御用絵師としての仕事がなくなり、輸出用の扇に絵を描くなどして凌いでいました。
しかし、36歳の時に油絵と出会い、西洋の遠近法や彩色法を吸収します。
そして、フェノロサと岡倉天心が主催する絵画の評論会にも頻繁に参加するようになります。
フェノロサと天心は当時、新たな日本の絵画を生み出すために人材を探していました。
彼らは狩野派の正統を受け継いだ雅邦に目をつけ、
「世界に通用する絵画『日本画』をつくりませんか」と持ちかけたのです。
やがて東京美術学校の教授となった雅邦は、美術学校の一期生であった大観らと共に、
新しい日本画の創造へと向かいます。
その時、天心が唱えたのは「線を用いず、油絵のように色の面で日本画を描くこと」。
しかし、若い大観たちの絵はあまりにも輪郭線が無く、おぼろに過ぎました。
世間から「朦朧体」と呼ばれ痛烈な批判にさらされます。
どこか、フランスにおける印象派絵画に登場時と似た話ですね。
雅邦は、新しい「日本画」とは何か、
その道筋をつけるべく、今日の一枚『林間残照図』の制作にとりかかります。
それは日本画と西洋絵画の融合でした。
岩肌などは狩野派伝統のしっかりした輪郭線で描き、
背景は空気遠近法を用いて描き、奥行きを表現する。
日本画の根幹である「線」を生かしつつ、洋画の技法を取り入れ、
墨の濃淡で無限の世界を表現、その静謐な絵は欧米の人々も魅了したのです。
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