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2012年2月

2012年2月29日 (水)

【ダンス】2012東京オープンダンススポーツ選手権(3/11東京体育館)記者発表

3月11日に東京体育館において開催される
「第14回東京インターナショナルオープンダンススポーツ選手権」
(主催:公益社団法人日本ダンススポーツ連盟(JDSF))
その記者発表が東京代々木にある日本体育協会記者クラブにおいて行われたので、
行ってきました。


To2012
追記  この大会は終了しました。こちらで熱く美しい闘いの様子を紹介しています。
http://oldfashioned.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/2012311-d64f.html


体協の記者クラブというのは初めて行きましたが、
代々木体育館近くの古い体育会館内にあります。


ロヂャース杯争奪
第14回東京インターナショナルオープンダンススポーツ選手権


昨年3月13日に開催予定だった第13回大会は、
直前の3月11日に発生した東日本大震災のために中止となりました。
第13回は欠番とし、今年は第14回大会となります。
そして今年の開催日は、くしくも昨年の震災の日からから丸1年目ということになりました。

昨年は開催直前に震災があったため、来日していた100組近い海外選手が
混乱の中帰国する事態となりました。
ですので、今年は海外からの出場者の減少が心配されるところですが、
現時点で例年と変わらぬ26カ国89組、世界チャンピオンを含む
トップ中のトップダンサーがエントリーしているとのそうです。

もちろん、日本人選手にとってもとっても二年ぶりの大会となるので、
総勢150-160組ほどによる熱戦が期待されます。
昨年度の三笠宮杯スタンダード部門優勝の石原正幸・伊藤沙織組、
ラテン部門優勝の久保田弓椰・蘭羅組を初めとする日本勢の健闘が期待されます。


Ishihara
石原組


Kobota
久保田組


また、この大会は東日本大震災復興支援イベントとして開催され、
グランドセレモニーでは被災地東北のジュニアダンサー達を招待してのミニイベントも予定されてるとのことです。


JDSF公式サイト
http://jdsf.or.jp/index-j.html

2012年2月27日 (月)

フォーリーブス北公次さん告別式に郷ひろみさん、野口五郎さんが参列

2月22日に肝臓がんのため63歳で死去したフォーリーブスの北公次さん。
http://oldfashioned.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/1970-84bf.html
その告別式が26日、東京都江戸川区で営まれたそうです。

Fl003
メンバーの江木俊夫さんはナビゲーターを務める同窓会コンサートがあり参列できませんでしたが、
もう一人のメンバーで弔辞を読んだおりも政夫さんを初め、
ジャニーズ事務所の後輩で、フォーリーブスの弟分としてデビューした郷ひろみさん
郷さんと同じ“新御三家”の野口五郎さん、そしてファンら700人が参列したそうです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120226-00000049-dal-ent

フォーリーブス、新御三家、まさに1970年代を代表する男性アイドルでした。
(新御三家のもう一人、西城秀樹さんは脳梗塞の後遺症と闘う姿が最近報道されました。)


正直を言うと、北さんが亡くなったと聞いた時、
マスコミでほとんど報道されないのではないかと思いました。

3年前に青山孝史さんが亡くなった時はそれなりに報道されました。
しかし、あの時は再結成したフォーリーブスが全国でライブツアーを開催中でした。
その意味でも今は話題性に乏しいですが、やはりそれ以上に
北さんはジャニーズの告発本を著すなど、色々とあった人で、
語ることすらタブー視されていた時期があるくらいなので、
訃報もあまり伝えられないかと思ったのですが、そんなことはなかったですね。
中には正確ともいえない情報もあるようですが、報道とはたいたいそんなものでしょう。

また、青山さんが亡くなった時はテレビで最初の解散前の映像が放送されませんでした。
流れるのは再結成後の映像ばかり。
解散前の動画がまったく残っていないとは考え難く、ひどい話だと思いましたが、
今回は普通に放送されていましたね。

焼香後に取材に応じた野口五郎さんは、芸能界入りして初めてできた友人が北さんだったと語り、
北さんの家族とも対面、「娘さんを抱きしめました。僕の方が感極まってしまった」と号泣したそうです。

実は、最初の解散から間もない頃、北さんが出演した番組で野口さんについて
「五郎とは大親友」と語っていました。
それも偶発的な発言でした。

北さんがファンお宅をサプライズで訪問する企画だったのですが、
部屋の中にフォーリーブスのポスターと並んで野口さんのポスターが貼られており、
MCの人(小野やすしさん?)がそれをネタにした際の言葉です。

その後、北さんと野口さんの共演はなかったかと思いますが、
あの時の北さんの言葉を30数年振りに野口さんが証明した形になりました。


そして、公式サイトに掲載された北さんの最後のメッセージは素晴らしかったです。
http://www.office-ren.com/
とにかく色々あった人で、「終りよければ…」は短絡過ぎるかも知れませんし、
もちろん年齢的に早過ぎるのは当然です、ご家族やファンの方は無念でしょうが、
でも・・・、綺麗な最期だったな、というのが正直な感想です。


以下のブログでフォーリーブスの代表的な歌を紹介しています。
北公次さん追悼/フォーリーブスの名曲を辿る① 全盛期のヒット曲達
http://oldfashioned.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-f947.html
北公次さん追悼/フォーリーブスの名曲を辿る② 活動後期の佳作達
http://oldfashioned.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-a92f.html

【美術】『美の巨人たち』スペシャル2/25「パリの美の殿堂ミステリー探訪」前編/ルーヴルとオルセーの謎にせまる

2012年2月25日放送のテレビ東京系『美の巨人たち』は、
スペシャル前編30分「パリの美の殿堂ミステリー探訪」でした。
http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/backnumber/120225/index.html

今回が前編で30分スペシャル、
次回がスペシャル後編90分。
http://oldfashioned.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/33-fe65.html

なにやら時間のバランスが悪いようにも思えますが、
今回はネタ振りのプロローグ、予告編といった趣きで、
次回が事実上の本編のようです。

番組のナレーターを務める小林薫氏がレポーターとしてパリを訪れます。
ところで、私は俳優としての小林薫氏をもちろん以前から知っていますが、
どうもこの番組のナレーターと同一人物のように思えません。
小林氏はあまり滑舌が良いようにも思えないし、
ぼそぼそっとしゃべるタイプのように感じるのです。
あの安定したナレーションと同じ人だとは思い難いのです。

それは、今回のように実際に小林氏が画面に登場しても同じです。
映像の中で素でしゃぺる小林氏と、ナレーションが同じ人とはイメージし難い、
それもまた役者の力量といえばそうなのかも知れませんが。

それはともかく。


小林薫氏がまず訪れたのはフランスが誇る美の殿堂「ルーヴル美術館」。
Louvre_001
館内には歴史的遺産からイタリア、オランダ絵画、19世紀中頃までのフランス絵画など、
およそ30万点が所蔵されています。
その中でも、最も有名な絵画といえば『モナ・リザ』です。

この名画には「モデルは誰か?」「背景の謎の風景はどこか?」など、
様々な謎がありますが、そもそもなぜイタリア・ルネサンスの巨匠の名画が、
フランスのルーヴル美術館に所蔵されているのか?
まずはこの謎から取り掛かることになりました。

これは興味深い課題です。
先日、このブログでルネサンス芸術の超入門編を書きました。
http://oldfashioned.cocolog-nifty.com/blog/cat22206122/index.html

そこで、ルネサンスの中心地はイタリアであり、
フランスはとりあえずノーマークでいい、と書きました。
そのフランスのパリが、いかにして世界一の芸術の都になっていったか、
その道程を示してくれそうです。

のみならず、意外なほど新しいオルセー美術館についての話も。
なかなか興味深いです。
今週見逃した方も、次回は観られた方がいいかも知れません。

2012年2月24日 (金)

【美術展】『フェルメール 光の王国展』フェルメール・センター銀座/人気画家の全作を俯瞰する超入門展

東京のフェルメール・センター銀座において7月22日まで、
『フェルメール 光の王国展』が開催中です。

Vermeer_031
フェルメール 光の王国展
2012年1月20日(金)-7月22日(日)
フェルメール・センター銀座

http://www.vermeer-center-ginza.com/

このように書くと、7月にこの『光の王国展』が閉幕した後も、
「フェルメール・センター銀座」という施設は存在し続けるように思えますが、
そういうわけではなく、この施設自体がこの展覧会期間中のもののようです。

フェルメールの故郷オランダ・デルフトには
「フェルメール・センター・デルフト」という施設があります。
本展はそこと正式提携しているのです。


さて、本展にはフェルメールの本物の作品は展示されていません。
解り易くいうと、フェルメール全作の精巧なレプリカを、年代順に並べ観賞しようという試みです。



ヨハネス・フェルメール
(Johannes Vermeer 1632年-1675年)

17世紀、いわゆるバロック絵画の時代のオランダの画家。

日本でもフェルメールの人気は本当に高いですね。
フェルメールの名を冠した展覧会、フェルメールの作品を看板作品とした展覧会が多く開催されてきました。

現在も、東京渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムでは3月21日まで、
『フェルメールからのラブレター展』が開催中ですし、
http://oldfashioned.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/bunkamura-17-8f.html

今年はこの後、以下ふたつの大きな展覧会でフェルメールの代表作が看板作品として来日予定です。

◆上野 国立西洋美術館
ベルリン国立美術館展 学べるヨーロッパ美術の400年
2012年6月13日(水)-9月17日(月)
『真珠の首飾りの少女』

◆上野 東京都美術館
マウリッツハイス美術館展 オランダ・フランドル絵画の至宝
2012年6月30日(土)-9月17日(月)
『真珠の耳飾りの少女』

『真珠の首飾りの少女』と『真珠の耳飾りの少女』!?
偶然でしょうが、タイトルがそっくりの絵が同時期に来日するのですね。

さて、今後の事はともかく、今回の展覧会をご紹介します。


『フェルメール 光の王国展』
本展は写真撮影可です。

2012021018021
上述のように、この展覧会にはフェルメールの本物の作品が展示されているのではありません。
解り易く説明すれば、フェルメールの全作品の精巧なレプリカを
年代順に並べて観賞しようという催しです。
いわば「フェルメールの超入門展」というイメージでしょうか。

現存する全フェルメール作品を福岡伸一氏監修のもと、
最新のデジタル技術「re-create」(リ・クリエイト=再創作)により、
彼が描いた当時の色調とテクスチャーを推測して、原寸大で、所蔵美術館と同じ額装を施し、
一堂に展示する場所を作ろうと考えられた企画とのことです。

つまり、フェルメール作品の現在の状態での忠実なレプリカではなく、
創作当時の色合いを再現した、というのがセールスポイントなのですね。
「レプリカ」という言葉が適当かどうかも微妙ですが、
本項では解り易さを優先して、この言葉を使います。

本展で展示されているレプリカは全37点。
(Wikipediaの「フェルメールの作品」という項目にも同じ37点が掲載されています。)

よく「フェルメールの現存する作品は30数点」という言い方がされます。
一ケタまで断言し難いのは、この中には真贋論争のある作品も含まれるからです。
今回はそれらの絵のレプリカも合わせて展示されています。

何点か紹介しましょう。


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もうすぐ東京都美術館に来日するこの絵も。
『真珠の耳飾りの少女』


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国立西洋美術館に来るこの絵も。
『真珠の首飾りの少女』


2012021018020
そしてBunkamura ザ・ミュージアムに来日中のこの絵も。
『手紙を読む青衣の女』


加えて、本展では「フェルメール・センター・デルフト」との正式提携により、
フェルメールに関するさまざまな資料も展示されています。

2012021018033


ところで、フェルメールはお好きですか?

「うーん、まぁ良いとは思うけど、ものすごく好きというほどでも…」
といった感じの人も多いかも知れません。
どこがいいのか、ちょっと難しい面もあるかと思います。
「良い、良い」と聞かされるアナウンス効果もあるかも知れませんが、
接する機会も多く、そのうちに除々に魅力にはまっていく事もあるかと思います。

本展の一般入場料は1000円です。
レプリカのみの展示で1000円…という視点で一般の展覧会と比べてしまうと微妙なのですが、
フェルメールを知る、超入門編としては、得難い機会とも思います。
今までになかった試みですから。(今後もないかどうかはわかりませんが)
この後に来日する本物の観賞の為の予習、と考えてもいいかも知れませんね。


こちらで新刊のフェルメール本『フェルメールへの招待』を紹介しています。
http://oldfashioned.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/post-a013.html


関連My Blog:2012年GW-5月を楽しむ西洋絵画の展覧会を一挙紹介・東京編
http://oldfashioned.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/2012gw5-f7c0.html

2012年2月23日 (木)

フォーリーブスの名曲を辿る② 活動後期の佳作達/北公次さん追悼

元フォーリーブスの北公次さんが2月22日に亡くなりました。
http://oldfashioned.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/1970-84bf.html
謹んで哀悼の意を表します。


1970年代を代表する男性アイドルグループ・フォーリーブス
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フォーリーブスは1967年結成、1968年レコードデビュー、1978年解散。
前回のブログでは活動前期、全盛期といえる1973年までの名曲を紹介しました。
http://oldfashioned.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-f947.html

今回はその後編として、活動後年の歌を紹介します。
アイドルとしての人気には陰りが見え、あまりヒットしていない曲も多いのですが。
前期とは違った大人っぽい名曲が並びますので、聴いてください。




『急げ!若者』(1974年)

1974年に公開されたフォーリーブスの4人主演による同名映画の主題歌。
青山孝さんの歌唱力に圧倒されます。




『嵐のあと』(1975年)

勇壮、ダイナミックな名曲。





『踊り子』(1976年)

それまで賞には縁のなかったフォーリーブス。
この歌もオリコン最高41位で、ヒットしたとまでは言えませんが
結成10周年記念曲として日本歌謡大賞特別賞などを受賞しました。
『ブルドッグ』と共にジャニーズの後輩達に歌い継がれています。




『ハートブレイク急行』(1976年)

知られざる名曲。こういう歌こそヒットしてほしかった。




『ブルドッグ』(1977年)

現在、フォーリーブスの歌で最もよく知られているのはこれでしょう。
解散前年、フォーリーブスとして起死回生、最後の勝負を賭けたような曲でした。
そこそこ話題にはなったのですが、オリコン最高40位と大きなヒットにはならず、
7年連続して出場していた紅白歌合戦にも落選しました。

 

しかし、ジャニーズの後輩達に歌い継がれ、
更に再結成後のテレビ出演時もこの曲を歌うことがほんどで、
フォーリーブスの代表曲して知られています。




『THE END -思いがけず出会ったら』(1978年)

最初の解散前のラストシングルです。

 

悲しい機会ではありますが、フォーリーブスの名曲に少しふれてみてください。


Old Fashioned Club  月野景史

2012年2月22日 (水)

フォーリーブスの名曲を辿る① 全盛期のヒット曲達/北公次さん追悼

元フォーリーブスの北公次さんが2月22日に亡くなりました。
http://oldfashioned.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/1970-84bf.html
謹んで哀悼の意を表します。


フォーリーブスは1970年代を代表する男性アイドルグループでした。

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それほどの大ヒット曲はありませんが、10年間で数々の名曲を残しています。
悲しい機会ではありますが、何曲か紹介したいと思います。
今回は活動期間の前半、若い全盛期の頃の歌を。


フォーリーブス
1967年結成 1968年レコードデビュー 1978年解散
北公次 (1949年1月20日-2012年2月22日 「コーちゃん」「公ちゃん」)
青山孝 (後に青山孝史に改名 1951年8月10日 - 2009年1月28日 「ター坊」)
江木俊夫 (1952年6月4日-「トシ坊」)
おりも政夫 (1953年7月4日- 「マー坊」)

フォーリーブスはあのジャニーズ事務所の所属グループとして1967年結成。
翌1968年9月に『オリビアの調べ』でレコードデビューします。
平均年齢16歳の若く美しい少年達のグループでした。





『オリビアの調べ』(1968年)

曲名にある「オリビア」とは、この年大ヒットした映画『ロミオとジュリエット」に主演した
女優オリヴィア・ハッセーのこと。彼女をイメージし、追慕した歌です。
(オリビア・ニュートン・ジョンのことではありません。)
フォーリーブスはこの曲のヒットで一躍人気アイドルとなりました。

当時はグループサウンズ、いわゆる「GS」の全盛期でしたが、
その人気にも少し陰りが見え始める頃です。
フォーリーブスはGSと入れ替わるようにトップアイドルに昇っていくのです。





『あしたが生まれる』(1970年)

1970年、フォーリーブスはこの曲で紅白歌合戦への出演を果たします。
実はザ・スパイダース、ザ・タイガース、ザ・テンプターズら、
主なGSの人気グループは紅白に出場していません。
フォーリーブスはNHKの眼鏡に適う健康・健全なイメージがあったのでしょう。





『夏の誘惑』(1971年)

フォーリーブスの歌はあまり大きなヒットはしていません。
その中でシングル売上17万5千枚、オリコン最高10位のこの曲が最大ヒットとなります。
幻想的。「溢れた海」「太陽も青空も溺れて消える』・・・終末のイメージ?
でも、暗い歌でもないのです。
水着姿のジャケットも彼らの若さが眩いばかりで印象的。





『地球はひとつ』(1971年)

この1971年がフォーリーブスの人気のピーク、全盛期といえるでしょう。
「僕から逃げようたってダメだよ~」江木俊夫とさんのセリフで始まる
末期の『ブルドッグ』に次いでよく知られた曲です。
まるでユニセフのキャンペーンソングような明るく元気、健康的で平和な歌。
数字的には『夏の誘惑』に劣りますが、この年はこの歌で紅白に出場しました。





『夏のふれあい』(1972年)

前年の『夏の誘惑』に続くちょっと幻想的な夏の名曲。





『あなたの前に僕がいた』(1972年)

哀愁を感じさせる秋の歌。
『夏の誘惑』と並ぶオリコン最高10位。
ジャニーズ史上屈指のボーカリスト・青山孝さんの歌唱力が光ります。




『愛と死』(1973年)

北公次さんが完全なメインボーカルを務める唯一のシングルA面曲です。
死をテーマとした歌で、今紹介するのは微妙な気もしますが、
北さんの代表曲ですので敢えて取り上げます。
実はフォーリーブスには「死」や「喪失」をイメージさせるかのような歌も多いのです。



活動後年の名曲は続編で紹介します。
北公次さん追悼/フォーリーブスの名曲を辿る② 活動後期の佳作達
http://oldfashioned.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-a92f.html


Old Fashioned Club  月野景史

元フォーリーブスの北公次さん死去/1970年代を代表するアイドルとして活躍

元フォーリーブスのメンバー、北公次さんが2012年2月22日に肝臓がんのため死去しました。(享年63歳)。

北公次さんの公式サイト  http://www.office-ren.com/
訃報記事への直接リンクはできないようですので、トップページから入ってください。
北さんの最後のメッセージも掲載されています。

Fl002
左下が北公次さん


北さんが重い病気にかかり闘病中であることを、2月12日付のこのブログに書きました。
http://oldfashioned.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-70c0.html

同じフォーリーブスの元メンバーである江木俊夫さんとおりも政夫さんは、
2月9付のそれぞれのブログで北さんの病気について書き、
応援のメッセージを送っていましたが、残念ながら思いは届きませんでした。

江木さんとおりもさんは22日に揃って会見し、無念の想いを語りました。
二人は北さんの亡くなる前日の21日、病院の北さんを見舞っていたそうです
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/288434

江木俊夫さんの2月9日付のブログ
http://toshioegi.blog33.fc2.com/blog-entry-154.html
2月22日付のブログ
http://toshioegi.blog33.fc2.com/blog-entry-156.html

おりも政夫さんの2月9日付のブログ
http://plaza.rakuten.co.jp/orimomasao/diary/201202090000/
2月22付のブログ
http://plaza.rakuten.co.jp/orimomasao/diary/201202220000/
追記 告別式後2月27日のブログ
http://plaza.rakuten.co.jp/orimomasao/diary/201202270000/

もう一人のメンバーである青山孝史さんは2009年に肝がんで亡くなっています。

追記
2月26日、北さんの告別式が営まれ、おりもさんの他に郷ひろみさん,野口五郎さんらが参列しました。
http://oldfashioned.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-c29e.html
告別式後 2月27日のおりもさんのブログ
http://plaza.rakuten.co.jp/orimomasao/diary/201202270000/


それでは、フォーリーブスの足跡と北公次さんについて、少しだけ振り返って記します。

フォーリーブス
1967年結成 1968年レコードデビュー 1978年解散
フォーリーブスは1970年代を代表する男性アイドルグループでした。
メンバーは以下の4人。

北公次 (1949年1月20日-2012年2月22日 「コーちゃん」「公ちゃん」)
青山孝 (後に青山孝史に改名 1951年8月10日 - 2009年1月28日 「ター坊」)
江木俊夫 (1952年6月4日-「トシ坊」)
おりも政夫 (1953年7月4日- 「マー坊」)

あのジャニーズ事務所の所属で、紅白歌合戦に1970年から7年連続で出場しています。
音楽的レベルも高く、歌って、踊って、しゃべって、演じて、多彩に活躍しました。

亡くなった北公次さんはメンバー中最年長。
元体操の選手で、ステージで華麗なバック転、バック宙を披露した歌手の元祖でした。
一方で、グループとしての活動と併行してフジテレビの連続ドラマ、学園青春物である
『ボクは女学生』(1973年)、『ボクは恋人』(1974年)に主演するなど、
グループを代表する人気者として活躍しました。

フォーリーブスは1978年に解散しましたが、2002年、24年ぶりに再結成しました。
当初は期間限定の予定でしたが、ファンの熱い支持を受けて活動は継続されました。
末長く活動を続けてくれるのかと思いましたが、
2009年、前述のように青山孝史さんが肝臓ガンで亡くなりました。
フォーリーブスは誰か一人欠けても継続は難しいグループであり、
同年をもって活動を停止しました。

その後はメンバーはそれぞれソロで活動。
北さんも各地で定期的にライブを行っていましたが、
残念ながら今回の悲しい知らせがもたらされてしまいました。


北さんは若い頃から少し陰のあるイメージがありました。
最初の解散後に覚醒剤取締法違反での逮捕、
またジャニーズを告発した本の出版など色々あり、
波乱万丈な人生を送った人だともいえます。

しかし、後年はフォーリーブスを再結成して再び華を咲かせ、
晩年も家族やファンの方に見守られて過ごしたようです。
ニュースでは病気療養中だったと書かれていますが、昨年秋頃まではライブを行い、
今年になってからもバースデーイベントが開催されていたようです。

前述の公式サイトには北さんの遺言ともいえる、
2月21日付の最後のメッセージが掲載されています。
そこにはファンの方への感謝と合わせて、
ジャニー氏、メリー氏への感謝も綴られています。

謹んで哀悼の意を表します。


以下のブログでフォーリーブスの代表的な歌を紹介しています。
北公次さん追悼/フォーリーブスの名曲を辿る① 全盛期のヒット曲達
http://oldfashioned.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-f947.html
北公次さん追悼/フォーリーブスの名曲を辿る② 活動後期の佳作達
http://oldfashioned.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-a92f.html

2012年2月21日 (火)

【カメラ】SONYα57(?)/3月13日発表が噂されるα55後継機(?)はどんなカメラ?

カメラの祭典「CP+」直前に噂が流れ出したSONYの新型デジタル一眼カメラ「α57」
「CP+」では何も発表されず、ネットで流れている噂だけ。
それも最初に流れたものとは変わってきており、どうも実態がつかみ難いです。

3月13日には正式発表、との噂なのであせる必要もないのですが、
現時点での最新情報をチェックしてみましょう。
デジカメinfo2月17日付の情報です。
http://digicame-info.com/2012/02/576516mp.html


☆☆☆
• 3月13日に発表されるα57の更なる噂を入手した。
最も重要なニュースは、α57がα65とほとんど同じボディを採用しているということだ。
以下は、いくつかアップデートされたα57のスペック。
- センサーは1600万画素Exmor HD(NEX-C3と同じセンサーと推測される)
- ISO100-16000(マルチショットで25600)
- 連写は12コマ/秒
- 動画はフルHD 60p AVCHD 2.0
- EVFはα77のものよりも劣るが、それでもなお、とても良いもので差はごくわずか
- 防塵防滴ではない
- α57用の新型のバッテリーグリップ(α77のグリップと互換性はない)
- 可動式(スイベル)液晶モニタ
- 上面の液晶と、GPSは搭載されない
☆☆☆


まず、α57は基本的にα55の後継機の筈ですが、α65とほとんど同じボディということは、
α55の特徴である小型・軽量は継承しないということでしょうか。

>センサーは1600万画素Exmor HD(NEX-C3と同じセンサーと推測される)
ソニーのAPS-Cの1600万画素センサーはα55、NEX-C3、NEX-5Nと搭載されてきましたが、
同じセンサーなのか違うのか、ネット上でも見解が分かれています。
NEX-5Nではなく、あえて「NEX-C3」と同じとされている意味は?

>ISO100-16000(マルチショットで25600)
α57は2430万画素のα77・α65に比べ、画素数を抑えて高感度撮影を重視したカメラになるのが
当然のように思えますが、この数値はα77・α65と同じですよね。
これもちょっと不思議です。

>連写は12コマ/秒
この点は10コマ/秒のα65との比較で納得できますが、それだけに余計最高感度が納得し難い。

>α57用の新型のバッテリーグリップ(α77のグリップと互換性はない)
当初はα77と共通のグリップとの噂が流れました。
となると、α77と同様の大きさということなので、それでα55の後継機?
と思ったのですが、それは誤報だったようです。
それにしても、α55にも、α65にすらないバッテリーグリップを発売するとは、
どうも位置づけがわかり難いですね。
いっそのことα65と共用にすればいいのに。

>上面の液晶と、GPSは搭載されない
α77にしか搭載されてない上面液晶はともかく、
α77・65・55に搭載されているGPSを搭載しない…。
このスペックの後退の意味は?
削れるところは削って初心者向けの低価格機にしようというのでしょうか。
しかし、それでバッテリーグリップを出す?


と、疑問点を並べてみました。

そもそもα57は品番からしてエントリー機と位置付けた場合、
同じくエントリー機仕様のα65と差別化をどうするのかと考えると、

α65=高画素・解像度重視 静物撮影向き
α57=高感度・連写重視 動体撮影向き

というのが解り易いのですが、今の情報ではそれがハッキリとは見えないのですよね。
だいたい、エントリー機にそういう差別化が必要なのか、
むしろミドル機にこそあるべきでは、とも感じます。

それよりもα55の小型・軽量こそエントリー機に望ましいとも思うのですが、
それはそれで「α38」の噂もあります。
更にここにきて、一眼レフの「α600」の噂まで出てきて、混沌状態です。

SONYの場合、海外で出しても日本での発売しないということもやるので、
あまり期待せずに情勢を見守りましょう。

個人的には高感度重視のミドル機希望なのですが、さてどうなりますか?

2012年2月18日 (土)

【音楽】麻倉未稀 伝説の『ヒーロー』語られざるあの歌も/80年代シティ派女性シンガー達②

昨年夏、このブログで「中原めいこと80年代シティ派女性シンガー達」というテーマで書きました。
http://oldfashioned.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/80-9d0d.html
今でも割とアクセスがあるので、今回は麻倉未稀さんを取り上げます。

Asakura_001

1980年代、アイドル歌手よりちょっと大人、歌謡曲ともちょっと違う、
都会的でおしゃれで美人、シティ派女性シンガーとでも形容したいような、
ジャパニーズ・ポップスの歌手達がいました。

それはどのような人達か?
あくまで私のイメージですが、
まずは、シティ派という言葉を体現したかのような『CAT'S EYE』の杏里
1982年のカネボウ夏のキャンペーンソング『赤道小町ドキッ』が大ヒットした山下久美子
その2年後の同じキャンペーンソング『君たちキウイ・パパイア・マンゴーだね。』がヒットした中原めいこ
杏里の後、『キャッツ・アイ』第2期の主題歌でデビューした刀根麻理子
ジャズシンガーで『オールナイトフジ』の司会でも知られる秋本奈緒美
そして今回の主役、洋楽のカヴァー曲をパワフルに歌った麻倉未稀などが思い浮かびます。

CMソングやドラマ、アニメの主題歌を歌うことが多かったのが特徴かと思いますが、
しかし上に挙げた6人を見ても、同じジャンルにまとめていいのかはかなり微妙ですね。
実はWikipediaに「シティ・ポップス」という項目があり、80年代と時代も合うのですが、
私が挙げた6人は一人も入っていません(笑)
つまり、これは私が勝手に思い込みで作り上げたジャンルなのかも知れません。


麻倉 未稀(あさくら みき、1960年7月27日 - )
さて、麻倉未稀さんです。
彼女は中原めいこさんとは違い、今も現役のシンガーです。

上にも書いたように麻倉さんはパワフルな洋楽のカヴァー曲の印象が強いと思います。
中でも代表的なのはこの歌、TBS系ドラマ『スクール☆ウォーズ』(1984年-1985年)の主題歌
『ヒーロー HOLDING OUT FOR A HERO』(1984年)でしょう。




このパワー、歌唱力。圧倒されます。
そしてまた、ドラマ自体が伝説的作品で、今でもテレビで取り上げられることが多いですね。



『スクール☆ウォーズ』OPより。


そして、パワフルな洋楽カヴァーといえば『スクール☆ウォーズ』の前年、
同じ大映テレビ制作の大ヒットTBS系ドラマ『スチュワーデス物語』の主題歌
『What a feeling~フラッシュダンス』(1983年7月21日)も忘れるわけにはいきません。




スチュワーデス物語』EDより


しかし、麻倉さんの一番のヒット曲は『ヒーロー』でも『What a feeling』でもありません。
カヴァー曲ではない、オリジナルのこの歌です。


『黄昏ダンシング』(1983年)
これぞシティ派ポップス! この歌もドラマの主題歌です。


続くこの歌も同路線です。



『ロマンスは熱いうちに~The City of Romance』(1984年)
いかにも80年代の雰囲気です。
髪型がちょっと彼女っぽくない気もしますが、
パワーを抑えた、ちょっと甘い感じの麻倉さんもいいですね。


Asakura_002

そして、最近の麻倉未稀さん。






ちょっと(?)ふくよかになったようですが、
『ヒーロー』のリリースから28年目、美貌もパワフルな歌声も変わりませんね。
ライブに行ってみたいですね。

麻倉未稀 公式ブログ
http://gree.jp/asakura_miki

2012年2月17日 (金)

【俳優】左右田一平氏死去/あの飄々としたおじさんの似合う役者の代表作は『新選組血風録』隊士一の剣豪役

俳優の左右田一平さんが2月10日に亡くなったそうです。81歳。

Souda

☆☆☆
左右田一平さん81歳(そうだ・いっぺい<本名・広田信夫=ひろた・のぶお>俳優)
10日、S状結腸がんのため死去。葬儀は近親者で済ませた。
映画「お葬式」や、テレビ時代劇「新選組血風録」「燃えよ剣」などに出演。
味のある演技で脇役として活躍した。殺虫剤のCM出演でも知られた。http://mainichi.jp/enta/cinema/news/20120216k0000m060130000c.html
☆☆☆

左右田 一平(そうだ いっぺい、1930年7月10日 - 2012年2月10日)
名前を聞けば…というより、顔を見れば、ああ! この人かと誰もが思う、
飄々としていいおじさん、好々爺といった感じの脇役俳優でした。

しかし、この人が世に出た役は、後のイメージとは少し違いました。


新選組血風録(NET(現テレビ朝日)系 1965年7月11日-1966年1月2日)

新選組をテーマとした映像作品の代表作であるのみならず、
テレビ時代劇の、いやテレビドラマ史上の金字塔たる傑作。
特に土方歳三役の栗塚旭氏、沖田総司役の島田順司氏の名演は伝説的です。
左右田さんはこの伝説の作品で、新選組隊士斎藤一を演じました。

私は新撰組に詳しくはないので、実際の斎藤一という人がどのような人物と
伝えられているのかよくは知りません。
このドラマで左右田さんが演じた斎藤一は新選組一の剣の達人、
近藤勇、土方歳三、沖田総司以上の剣豪、
そして何事にも動じない、眼光鋭き、胆の据わった剛の者でした。

Wikipediaには、この斎藤一役も「飄々としたイメージ」と書かれています。
確かに超然してはいるのですが、後の左右田さんの「飄々」とは少し違いました。

それから5年後、『新選組血風録』のリメイク的作品が作られました。


燃えよ剣』(NET(現テレビ朝日)1970年4月1日-9月23日)
原作者は同じ司馬遼太郎ですが、それぞれドラマタイトルと同名の
別の作品なので、正確にはリメイクとはいえません。
しかし、脚本は同じ結束信二氏。
主要キャストも土方の栗塚氏、沖田の島田氏、
そして近藤勇役の舟橋元氏は同じで、カラー版リメイクといえる作品です。

そして、左右田氏も出演するのですが、斎藤一役ではありませんでした。
裏通り先生と呼ばれる町医者、架空の狂言回し的なキャラクターです。
上に掲げたジャケットがその役です。
これは後の左右田氏のイメージほぼそのままでした。

この二作品は今でも人気が高く、VHSもDVDソフトも発売されたので、
知っている人も多いでしょう。
実はこの後があるのです。

3年後の1973年、今度はフジテレビで『新選組』というドラマが作られました。
脚本は結束氏、近藤、沖田は代わりましたが、土方は栗塚氏です。
左右田氏はこの作品で再び斎藤一を演じているのです。
このドラマはソフト化されていないので、観たことはありません。
隊士勢揃いのスチール写真を見かけたのみです。
左右田氏は確かに斎藤一の顔で写っていました。


最後の『新選組』は難しいですが、『新選組血風録』と『燃えよ剣』の視聴は容易です。
特に、左右田一平氏の剣豪姿が見られる『新選組血風録』はお薦めです。
ただこのドラマ、素晴らしくおもしろいけど、痛々しくもあります。

2012年2月15日 (水)

【美術展】『松井冬子展 世界中の子と友達になれる』横浜美術館/若き日本画の鬼才の大型展

横浜美術館にて3月18日まで、
『松井冬子展 世界中の子と友達になれる』が開催中です。

Matsui_001_3
松井冬子展 世界中の子と友達になれる
2011年12月17日(土)-2012年3月18日(日)
横浜美術館

http://www.yaf.or.jp/yma/jiu/2011/matsuifuyuko/work.html

現役の、それもまだ30代の若い日本画家の、
大型公立美術館での大規模な展覧会。
希有な例だと思います。
それだけ、この女性画家は注目されているのでしょう。


松井冬子(まついふゆこ、1974年1月20日- 38歳 )
静岡県周智郡森町出身。

松井冬子さんは、女子美術大学短期大学部で油彩画を学んだ後、
日本の古典絵画の技法に、表現上の魅力と可能性を見いだし、
東京藝術大学美術学部絵画科日本画専攻に入学しました。
油彩画と日本画両方の専門教育を受けた人なのですね。
それは、今回の展覧会を観ても得心できる部分がありました。

その東京藝大の卒業制作が今回のメイン作品『世界中の子と友達になれる』。
上に掲げたビジュアルはその一部、松井さんの原点とも言える作品です。

松井さんは芸術表現が呼び起こす精神的肉体的な「痛み」を始点として、
恐怖、狂気、ナルシシズム、性、生と死などをテーマに挑発的とも言える作品を
制作してきました。 
この展覧会は松井さんの代表的な本画の作品から、下絵、デッサンなどに加え、
本展のための新作も合わせた約100点によって、この画家の全貌を俯瞰しようという催しです。

言葉が適当がどうかわかりませんが、“グロテスク”で痛々しい絵も多いです。
好みは分かれるでしょう。
しかし、日本画に詳しくなくても、これが日本的な美なのであろうと思えるものをベースに、
洋画的な色彩感覚、なかなか魅力的です。
凡百の徒の私としては、もう少し普通に美しいものを描いたらどうなのだろう、
などと考えてしまいますが。

2012年2月13日 (月)

【美術】フェルメール『手紙を読む青衣の女』」2/11『美の巨人たち』/青衣の女性は誰? 手紙には何が?

2月11日放送のテレビ東京系『美の巨人たち』のテーマ作品(「今週の1枚」)は、
ヨハネス・フェルメール作『手紙を読む青衣の女』でした。
http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/backnumber/120211/index.html

Vermeer_021
この絵は3月14日まで渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムで開催されている
『フェルメールからのラブレター展
コミュニケーション:17世紀オランダ絵画から読み解く人々のメッセージ』に来日中です。
http://oldfashioned.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/bunkamura-17-8f.html

この展覧会は12月23日から開催されているし、
その前には昨年6月から京都市美術館、宮城県美術館と巡回してきていますので、
ちょっと取り上げるのが遅いような気もしますね。
まだ後一ヶ月ありますが。

ヨハネス・フェルメール
(Johannes Vermeer 1632年-1675年)


さて、フェルメールはこの絵を含めて手紙をテーマにした作品を6点描いています。
『フェルメールからのラブレター展』にはそのうちの3点が来日中です。

フェルメールといえば、現存する作品が30数点と少ないことで知られていますが、
そのうち手紙をテーマとした絵画が6点とは、かなりの高比率ですね。
なぜ、そんなに多く手紙をテーマに描いたのか?
それが今回の番組で取り上げた最初の課題でした。


手紙・郵便
現代の感覚でいえば手紙はアナログな通信手段ですが、
一般庶民が気軽に手紙をやりとりするには、郵便網が整備されなければあり得ません。
普通に考えても、そんな大昔からあるものではないでしょう。

フェルメールが生きた17世紀、オランダは他国に類を見ない海運技術で7つの海を制覇し、
世界的な金融・商業の中心地として発展していました。
そこで生まれたのが、近代的な郵便制度。
フェルメールはこのニューメディアが人と人とのドラマを生むものであることを敏感に感じ取り、
自分の作品に取り込んでいったのです。

それにしても、鉄道や自動車が生まれる遥か前に、よく郵便制度が確立したものです。


手紙の内容
では、『手紙を読む青衣の女』が読んでいる手紙には何が書かれているのでしょう。
送り主は誰なのでしょう。
フェルメールは何も証言を残していません。
ヒントは絵の中にあります。

女性の背景に描かれた地図は、愛する人が遠く離れていることを暗示します。
椅子も二脚描かれています。人物は一人だけ。
これは椅子に座るべき恋人か配偶者の不在を示しています。
つまり、手紙は遠く離れた地にいる恋人か配偶者からのものということです。


青“フェルメールブルー”
この女性の着ている青い服の意味は?
この顔料「ウルトラマリンブルー」の原材料は、天空の破片と呼ばれた「ラピスラズリ」。
金と同等の価値を持つほど貴重で、普通の画家は限られた部分にしか使わない特別な顔料でした。
しかし、フェルメールは交易で儲けた富裕な商人の顧客がいたので、
その高価な青を惜しみなくこの絵に使えたのです。


青衣の女性は誰?
この女性の胴回りはかなり太目ですね。
これは当時のファッションだという説もあるのですが、今回の番組では妊婦説を取っています。
フェルメールは20数年の結婚生活で15人の子どもをもうけています。
夫婦生活の多くの時間を彼の妻は妊婦として過ごしたことになります。
この絵は愛する妻と生まれ来る子ども、家族への愛を籠めて描いたのである。
というのが今回の番組の結びでした。

今回はひとつの絵画を徹底的に解題した内容でしたね。


ところで蛇足ですが、前述のようにこの絵は今来日中です。
しかし、番組本編ではそのことにまったくふれませんでした。
(フェルメールセンター・銀座のことは取り上げていましたが)
敢えて無視するのかと思いきや、エンディング、次回予告後のプレゼントコーナーで取り上げていました。
ならば、本編中でも少し紹介すればいいのに…。

2012年2月12日 (日)

元フォーリーブスの北公次さんが闘病中とのことです

元フォーリーブスのメンバー、北公次さんが重い病気と闘っているそうです。


2月22日追記
北公次さんは2012年2月22日に死去されたそうです。(享年63歳)。謹んで哀悼の意を表します。

http://oldfashioned.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/1970-84bf.html


同じフォーリーブスの元メンバーである、
江木俊夫さんとおりも政夫さんが2月9日付のそれぞれのブログで明かしています。
江木さんとおりもさんは二人で会って、北さんの為に何ができるか話し合い、
その場で北さんとも電話で話したようです。
北さんも「ありがとう、オレも頑張る」と応えたとのこと。

江木俊夫さんのブログ
http://toshioegi.blog33.fc2.com/blog-entry-154.html

おりも政夫さんのブログ
http://plaza.rakuten.co.jp/orimomasao/diary/201202090000/

北公次さん自身のサイトには現時点では、病気のことは明確には書かれてないようですが、
昨年から体調を崩していること、ファンや江木さん、おりもさんへの感謝が綴られています。

北公次さんの公式サイト
http://www.office-ren.com/

フォーリーブスはもう一人のメンバーであった青山孝(青山孝史)さんが、
2009年1月に肝がんで亡くなっています。
江木さんとおりもさんは北さんの病名についてはふれてないようですが、
ネット上では青山さんと同じ病気との記述も見られます。

ファンの方々、もちろん身内の方、江木さん、おりもさんはさぞかし心配のことでしょう。
回復を祈るばかりです。


それでは、フォーリーブスについて、少しだけ紹介します。

Four
左から青山さん、江木さん、北さん、おりもさん
解散間際、1978年春発売のレコードジャケットから。ハンサムな好青年達というイメージですね。


フォーリーブス
北公次 (1949年1月20日-「コーちゃん」「公ちゃん」)
青山孝 (後に青山孝史に改名 1951年8月10日 - 2009年1月28日 「ター坊」)
江木俊夫 (1952年6月4日-「トシ坊」)
おりも政夫 (1953年7月4日- 「マー坊」)
1967年結成 1968年レコードデビュー 1978年解散

フォーリーブスは1970年代を代表する男性アイドルグループでした。
あのジャニーズ事務所の所属、紅白歌合戦に7回連続で出場しています。
音楽的レベルも高く、歌って、踊って、しゃべって、演じて、多彩に活躍、
北公次さんは元体操の選手で、ステージで華麗なバック転、バック宙を披露した歌手の元祖でした。

当時のアイドルとしては長く安定した活動でしたが、あまり大きなヒット曲はありません。
おそらく『ブルドッグ』(1977年)が一番有名でしょう。
末期の歌でヒットはしてないのですが、ジャニーズの後輩達が歌い継いでいることもあり、よく知られています。
解散時に出演した番組から紹介します。





1978年にグループは解散、その後はそれぞれ色々ありました。
特に北さんはそうだったかも知れませんが、今はそれにはふれません。

関連My Blog
北公次さん追悼/フォーリーブスの名曲を辿る① 全盛期のヒット曲達

http://oldfashioned.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-f947.html
北公次さん追悼/フォーリーブスの名曲を辿る② 活動後期の佳作達
http://oldfashioned.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-a92f.html


再結成

2002年、解散から24年を経て再結成。
期間限定の予定でしたが、ファンの熱い支持を受けて活動を継続します。
2006年に出演したテレビ番組では、全員50半ばになっていたにも関わらず、若々しい姿を見せました。
北さんはバック転も披露しました。

その時の映像です。





この調子なら末永く、最初の活動期間よりも長く続けてくれるだろうと思いましたが、
前述のように2009年、青山さんが肝臓ガンで亡くなりました。
誰か一人欠けても継続は難しいグループですが、
特にメインボーカルとしてフォーリーブスの「声」を担い、
また再結成にあたってのまとめ役であった青山さんの死去は致命的で、
フォーリーブスは同年をもって活動を停止しました。

その後はメンバーはそれぞれソロで活動。
北さんも定期的にライブを行っていたようですが、
今回の辛い知らせがもたらされてしまいました。
繰り返しになりますが、回復をお祈りしています。


■付記
実は北公次さんには異常なアンチファンがいるようで、
ネット検索しても酷い中傷ばかりヒットしてしまいます。
今回の件も、私は詳しいことは何も知りませんが、
検索して出てくる情報が読むに堪えないものばかりなので、
一応、まとめサイト的な意味合いも含めて、このブログを書かせてもらいました。

2012年2月11日 (土)

【未確認動物】ネッシー超入門/写真で観るネス湖の怪物目撃史。20世紀最大のミステリー

このブログのアクセス数を見ていると、メディアに取り上げられたタイミングなどにもよるのですが、
未確認動物、いわゆる「UMA」への関心の高さには驚かされます。
昭和の時代はテレビで大真面目に取り上げられることも多かったですが、
21世紀も10年以上経った今でも、こういう不思議なことへの関心はあるという事だと思います。

その未確認動物の分野の最大のスターといえばやはりネッシーでしょう。
未確認動物の代表例として世界的に知られ、20世紀最大級のミステリーとして語られてきました。

ネッシー(Nessie)「ネス湖の怪獣 (Loch Ness Monster、ロッホ・ネス・モンスター) 」
Wikipediaの「ネッシー」の項目は数年前に私が一部を除いてかなり筆を入れました。
その後、多くの人が加筆しましたが、改めて見ると結構私が書いた文も残っているようです。

 

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上は1955年撮影の写真。詳しくは後述します。


さて、ネッシーがなぜ未確認動物界のスーパースターたり得たかといえば、
数々の怪しくも魅力的な証拠写真、映像があったからだと思います。
Wikipediaでは、画像は掲載しにくい面もあります。
Wikiを補完する意味でも、ここでは写真を紹介しながら、ネッシー目撃史を辿ってみます。

ところで、ネッシーの写真は偽物だったと報道されたのでは? と思う人も多いでしょう。
有名な「外科医の写真」のことです。
しかし、これはネッシーを写した唯一の写真でも、また最初の写真ですらもありません。
あくまで、膨大な証拠写真・映像のうちのひとつに過ぎないものです。
そのあたりも含めて記していきます。


ネッシーはイギリスのスコットランド北部にあるネス湖に棲むとされます。
一般に知られる最古の目撃記録は6世紀に遡ります。
690年頃に書かれた聖人伝記『聖コロンバ伝』には、
565年頃にネス川に現れた怪物についての記述があります。
その後も、20世紀に至るまで、いくつかのネス湖の怪物に纏わる記録が残っています。


◆1933年
しかし、目撃例が飛躍的に増えたのは20世紀に入って、1933年以降です。
これはネス湖周辺の道路がこの頃整備された為とされます。
この年の4月、湖畔でホテルを経営するマッケイ夫妻(マッカイ)による目撃談が新聞報道され、
話題を呼んだことが、ネッシー伝説流布の起源と見られます。

ですので、この1933年が、ネッシー目撃史の元年といえるでしょう。
それ以前の記録は、これ以降に後付けで発掘されたものかと思います。


そして、同じ1993年11月、ヒュー・グレイ氏による最初の写真が撮影、公表されました。


1933
ヒュー・グレイ氏の写真(1933年)
この写真はコダック社が検証して、加工の跡無しとのお墨付きを与えました。

といっても、そもそも不鮮明で何が写っているかよくわかりません。
それに、ネス湖で撮ったかどうかも写真からはまったく不明です。
水しぶきの中央部分が犬の顔のように見えるので、泳ぐ犬を写したともいわれます。
それでも、比較的証拠能力を評価されている面もあります。

しかし、この写真は元々それほど有名ではありませんでした。
この写真からまもない1934年4月、あの有名な写真が撮影されたからです。



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外科医の写真(1934年)
外科医という社会的地位のある人物による撮影とされたこの写真は、
イギリスの新聞、デイリー・メール紙に掲載され大きな反響を呼びました。
水面から現れた細長い首が、首長竜のプレシオサウルスのような、
恐竜と同時代に栄えた水棲爬虫類を思わせるもので、
長くネッシーを捉えた代表的写真として知られてきました。

当時は、首長竜も恐竜の一種という認識が一般的だったので、
ネス湖には恐竜の生き残りが棲んでいると、大きな話題、そして伝説となったのです。

しかし、この写真は撮影から60年後の1994年、捏造だったとの報道がされました。

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このように、模型を浮かべて撮影したというのです。
実際に捏造に関わったという人物が、死の直前に真実を告白したそうです。
このニュースは日本でもそれなりに大きく報道されました。
この時、まるでネッシーについてのすべてが嘘だったかのような伝えられ方をしましたね。

しかし、上述のようにこの写真はネッシーを写したとされる唯一の写真では勿論ないし、
それどころか、最初の写真ですらありません。
しかも、実はこの報道よりだいぶ前から、ネッシー研究者の間では信憑性に疑問符がつけられていました。
検証の結果、被写体が小さいものらしいこと、
意図的なトリミングがされたらしいことなどが判明したからです。
とりあえずこの件は、Wikipediaにもう少し詳しく書いてますので、ご覧ください。


◆「外科医の写真」以外の代表的な3点の写真
さて、それ以降もネッシーを写したとされる写真は多く撮影されました。
1950年~60年代にかけての代表的な3点を紹介します。


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ラクラン・スチュアート氏の写真(1951年7月14日) 
水面を進む三つのコブ。この写真も有名ですね。
これが一体の生物だとしたら、全身はどんな形状なのか想像し難いですが。
複数の個体であるという説もあるようです。


B
ピーター・A・マクナブ氏の写真(1955年7月29日) 
湖畔のアークハート城(アーカート城)址が写りこんでいるので、それとの比較でネッシーの大きさが、
湖面に出ているだけでも10~15メートル以上と推測できる貴重な写真とされます。
この写真も、一体ではなく、複数の個体が写っているとの見方もあります。
一方で、物体ではなく船の航跡との見方もあるようですが、どうでしょうか?

廃墟とのコントラストが神秘的でもあり、私が一番好きな写真です。



B_2
ピーター・オコンナー氏の写真(1960年5月27日)
早朝のネス湖で撮られたという写真。
首長竜というよりも雷竜(竜脚下目=昔でいうブロントサウルス等)を思わせる
ボリューム感あるボディに、小さい頭部らしきものが写っています。
ハリボテを使ったフェイク説もあるのですが、どうでしょうか?

以上3点が「外科医の写真」以外で、もっともよく知られたネッシー写真トップ3でしょう。

次いで、認知度でやや劣る2点です。

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アダムス氏の写真(1934年)
「外科医の写真」と同じ年。これも古い写真です。
これは何でしょうね? 動物ではあるようにも思えますが。
ネス湖かどうかもわかりません。


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コックレル氏の写真(1958年(?))
ネス湖で撮られた写真ではあるようですね。


◆1970年代 疑惑の写真達
1970年代にはフランク・サ―ル氏が複数のかなり鮮明な写真を撮りました。

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フランク・サ―ル氏の写真
逆光のようで、シルエットだけですが、振り返ったような姿です。
波も結構荒いように見えますね。


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フランク・サ―ル氏の写真
餌を獲るかのように、あるいは水に潜ろうとしたところか、
首先を水中に突っ込むような姿が印象的です。


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フランク・サ―ル氏の写真
この写真もよく見かけます。

サ―ル氏がネス湖畔で探索する姿を、昔テレビで見た記憶があります。
彼の写真は当時からフェイク説が強く、あまり重要な証拠とみなされたことはないと思います。
魅力的な面もあるのですが。


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アンソニー・シールズ氏の写真(1977年)
貴重なカラ―写真で、メディアにもよく載ります。
信憑性の評価は高くはないですね。
生命感…のようなものがあまりないように思えます。
なんらかの模型を使ったフェイクの可能性が高いでしょうね。


もうひとつ、謎の写真を紹介します。

Photo
マッケイ夫人の写真(1933年?)
上述の初期目撃者マッケイ夫妻により、ヒュー・グレイ氏より先に撮られたとされる写真。
しかし、公開されたのは撮影の約60年後、1990年代に夫人によってとされています。
これは・・・・そもそも写真なのでしょうか?



◆日本でも話題を呼んだ水中写真

水中のネッシーを写したとされる写真もあります。
アメリカのボストン応用科学アカデミー、ロバート・ラインズ博士の研究チームが撮影したものです。
1972年と1975年に撮られていますが、1975年の写真がより知られています。

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ヒレと思しき写真(1972年)


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全身写真(1975年)


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頭部のアップとされる写真(1975年)
この1975年の調査時は日本のメディアでも連日のように報道されました。
日本におけるネッシーブームのピークだったかも知れません。


動画
動くネッシーを撮影したとされる映像も存在します。
最も有名な、ティム・ディンスデール氏撮影のフィルムを紹介しましょう。
ディンスデール氏は真摯なネッシー研究家として知られます。


ディンスデール・フィルム(1960年4月23日)

漁船だという説もあるのですが、
水面に出ている部分よりも遥かに大きい影が水中にあるようにも思えます。
それだと船とは考え難いですが、どうでしょう?


さて、写真と映像をいくつか紹介してきましたが、いかがでしたか。
一度は目にしたことがある…、そんな写真を多かったのではないですか?
個人的にはマクナブ氏の写真とディンスデール・フィルムが気に入っています。


※番外編1

Photo
ニューネッシー
1977年4月25日、日本のトロール船「瑞洋丸」が太平洋上(ニュージーランド沖)で
引き揚げた、巨大な腐乱死体。写真を撮った上で投棄されました。
正体は何かと大変な話題になりましたが、大型のサメということでほぼ決着しています。

いうまでもなく、「ネス湖で目撃される怪物」だからネッシーです。
太平洋上で発見された怪物に、このネーミングは本来おかしいのですが、
当時、「ネッシー」の名は、水棲未確認生物の代名詞だったのです。


※番外編2

Nazenanisekai_nessie_sss_20230309172901
伝説のUMA本『なぜなに世界の大怪獣』掲載のネッシー写真
映画『シャーロック・ホームズの冒険』(1970年)撮影用の模型ですが、不可解な謎もあり。
この写真については →こちらを参照


■ネス湖の怪物ネッシーとは何だったのか?

20世紀は科学文明が進歩し、多くのことが解明されて謎や不思議が少なくなった時代だったと思います。
しかし、そうなると人間は不思議なことを求めてしまう性質があるようです。
ネッシーはそんな時代に、数少なくなった「現代の謎」として人々の注目を集めてきました。

特に、目撃談や一部の写真から推測されるネッシーの正体は、
恐竜時代に生息した水棲大型爬虫類である首長竜を思わせるものでした。
前述のように、以前は、首長竜も恐竜の一種のように認識されていました。
ですから、ネッシーも「ネス湖の恐竜」というような呼ばれ方もしていました。
現在では、首長竜は恐竜とは区別されています。

恐竜人気は20世紀の時代も、そして今も凄いですね。
大きいものは30~40メートルという巨大な生物が、この地球を支配していた時代。
その、太古に絶滅した筈の恐竜(の仲間)が、現在もひっそり生き延びているとしたら…、これはロマンです。
興味をそそられるのも当然ですし、本当ならば是非観たいと思いますよね。

そうして、ネッシーは20世紀最大のミステリー、20世紀生まれの伝説となりました。
UFO・宇宙人と、ネッシーに代表される未確認生物が双璧でしょう。

とはいっても、20世紀の時代から多くの人は懐疑的だったろうし、
現在では余計にそうでしょう。
特に、首長竜の生き残りとは、冷静に考えればかなり難しいです。
それも広大な海洋ならば、即座に否定するのも難しいでしょうが、
小さな湖で、それも特に人跡未踏というような場所にあるわけでもないのに、
巨大な生物が人目につかず、種族として生き残れるのか、当然ながら疑問です。

それでも、もしかしたら、恐竜でも首長竜でもなくても、何かがいるのでは・・・と、
今でもどうにも気になる“存在”ではあります。


Old Fashioned Club  月野景史

【追記 2014年5月3日放送の『幻解!超常ファイル ネッシーの真実 』については→こちら

2012年2月 9日 (木)

【未確認動物】アイスランド伝説の怪物「ラガーフロットワーム」の映像か!?

アイスランドの川で撮影されたという未確認動物の映像がネット上で話題になっています。
テレビでも放送されたようです。
ニュース記事から抜粋して紹介しましょう。

★★★
“伝説の海獣”の映像か…アイスランドで話題騒然
ついに伝説の怪物の姿をとらえたと話題騒然です。氷の浮かぶ水面をうねりながらゆっくりと進む細長い物体。独特の動き方は巨大なヘビのようにも見えます。アイスランドの川で地元の人が撮影した映像が紹介され、テレビ局のホームページに掲載されるとたちまちアクセスが集中、伝説の海獣「ラガーフロットワーム」ではないかと大きな話題となってます。本物の海獣かどうかは明らかになっていませんが、「網のようなものが漂流しているだけではないか」という声もあります。
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/ann?a=20120209-00000013-ann-int
★★★


そして、これが問題の映像です。



これは…、近年のUMA・未確認動物系の写真、動画の中では魅力的ですね。
映像自体が明らかな作りものではなく、実際に水面を進む“何か”を映したものに思えます。
まぁ、今の技術ならこれくらいのものは作れるのでしょうが、
これに関してそこまでは疑う必要もないかと。

しかし、これは“動物”なのでしょうか?
もちろん、そう見えるからニュースになったのでしょう。
動物だとしたら巨大な蛇、もしくは両生類か。

ニュース記事にある「ラガーフロットワーム(Lagarfljots Worm)」とは
アイスランドのラガーフロット湖に棲むといわれる伝説の怪物。
英語版Wikipediaにはちゃんと項目もあります。
http://en.wikipedia.org/wiki/Lagarfljots_Worm
伝説の怪物、アイスランドワームモンスターは実在したのでしょうか?


とはいっても、どうも“非動物、非生物”のようにも思えます。
ニュース記事内にもあるように、何か柔らかいものが漂流しているようにも見えます。
ネットにも色々な見解が載っています。雪だという人もいました。

ただ、流されているのではなく、自ら進んでいるように見えなくもないです。
動物が何か長いものを引っ掛けて泳いでいるという推理をしている人もいました。

また、もっと人工物っぽい気もします。
蛇型のロボットのようなものという見方もあるようです。
まさかそんなものを浮かべてフェイクを作ったのでしょうか。
となると、あの有名なネス湖の怪物ネッシーの「外科医の写真」のハイテク現代版か?

02lochnessmonstergekai
参考資料:「外科医の写真」(1934年)


そんな感じで見解は様々あるようですが、
しかし、このアイスランドの怪物、なんとも“得体の知れない感”はありますね。
未確認動物・UMAのビジュアルには大切なポイントです。
さて、何に見えますか?

【美術】鏑木清方「朝夕安居」2/4『美の巨人たち』/美人画の巨匠が描いた懐かしき下町風景

2月4日放送のテレビ東京系『美の巨人たち』のテーマ作品(「今週の1枚」)は、
鏑木清方『朝夕安居』でした。
http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/backnumber/120204/index.html

Kaburagi

鏑木清方(かぶらき きよかた)

1878年(明治11年)8月31日 - 1972年(昭和47年)3月2日)
明治、大正、昭和の三代を生きた画家。
神田佐久間町に生まれ、築地界隈で育った江戸っ子。
そして、艶やかな美人画で知られる人です。

生粋の江戸っ子で美人画の名人となれば、
さぞかし粋な遊び人だったのだろうと思うのですが、
そうでもないようです。

番組によると、朝は7時から8時の間に起きて食事、
それが終わるとすぐ画室で制作に取り掛かり、休憩の時間も決まっていて、
夜ふかしはしない、酒も煙草もやらず、社交も極力避ける。
真面目な職人のような生活をしていた人だそうです。
ちょっと意外ではないですか?

そして、日本画家も新しい試みをする人が多い中、
古きを愛し、変化を好まない画家だったようです。


朝夕安居(1948年)
今回のテーマ作品。
長さ4mにも及ぶ一巻の絵巻、清方が70歳の時に発表した作品です。
明治初めの頃の東京下町の夏の日が舞台。
何気ない日々の暮らしの風景が朝、昼、夕方と三つの場面に分けて描かれています。

新聞配達の少年が走り、奉公の少女が家の前を掃き清める朝の風景。
日差しが照りつける昼下がりには、暑さから逃れて木陰で一服する風鈴屋の姿。
夕方には艶やかな姐さんの行水姿、そして夕涼みに集う人々の姿が描かれています。

清方は懐かしい明治の、自分が生まれ育った下町の忘れ得ぬ光景を描いたのです。
下絵にはより多くの人々が、情景が描かれていたのですが、
清方はそれを削ぎ落として完成させました。
戦争で焼け野原になった東京を見て、触発されたのかも知れません。
瞼に焼き付いた失われた時代を描いたのですね。

2012年2月 8日 (水)

【カメラ】と写真の祭典CP+2012 明日2月9日-12日に横浜で開催

カメラと写真の祭典、CP+(シーピープラス)2012が明日2月9日より
パシフィコ横浜にて開催されます。

CP+(シーピープラス)2012
ワールドプレミア 伝える、つながる、写真の力
2月9日(木)-12日(日) 10:00~17:00(最終日のみ16時)
パシフィコ横浜 展示ホール、アネックスホール

http://www.cpplus.jp/index.html

01dsc03907
日本におけるカメラ・写真分野最大のイベントです。
昨年はカメラ業界も東日本大震災、そしてタイの洪水の影響を受け、
開発・発売に大きな混乱が起こりました。
今もまだ受け続けていいます。
今年は良い年になるといいのですが。

デジタル一眼レフカメラでは、
プロ・ハイアマチュア向けのフルサイズ機がNikon、Canonから
複数発表(発売はまだ)されているので、それが目玉になるのでしょう。
特にNikonは二系統3機種を発表していますので、注目が高まります。

一方、エントリー機(入門機)~中級機のAPS-Cサイズのデジタル一眼レフは
どの社からも発表されておらず、その点は少し寂しいですね。

ただ、PENTAXが海外でAPS-Cサイズのミラーレス一眼カメラを発表していますので、
これをCP+で発表するのか、
またCanonは毎年この時期の人気エントリーシリーズ「EOS Kiss」の新型を発表するので、
それがあるのか、
更にSONYが何か出してくるのか?
ネット上ではα57、α38などの噂も流れていますが…、

等々、色々注目ポイントはありますが。

06dsc03978

07dsc03963

写真は昨年のCP+2011より。
http://oldfashioned.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/cp2011-7f87.html

2012年2月 5日 (日)

【美術展】『フェアリー・テイル~妖精たちの物語展』三鷹市美術ギャラリー/英国ファンタジーワールドの魅惑

東京の三鷹市美術ギャラリーにおいて2月19日まで、
『フェアリー・テイル~妖精たちの物語展』が開催中です。
会期も後二週間ほどとなりました。
Mitaka_fairy
フェアリー・テイル~妖精たちの物語展
2012年 1月7日(土)-2月19日(日)
三鷹市美術ギャラリー
http://mitaka.jpn.org/ticket/120107g/

タイトル通り、「妖精」をテーマとした展覧会です。
絵画のみならず、陶磁器、挿絵、関連資料も展示されています。
この美術館はユニークな企画展を時々開催してくれますね。


☆妖精☆
なじみ深い存在のようにも思えますが、では「妖精」とはなにか?
また「妖精」と聞いて、どんな姿をイメージしますか?
今回の展示作品に描かれた妖精達の姿も実に多様です。

背中に羽を付けた子ども、天使のイメージに近いもの、
妖艶な裸体の女性、ヴィーナスのイメージに近いもの、
「小人」のイメージに近いものも多いですが、
その姿も小さいだけでほぼ人間と同じ姿のものから、
少し異形、また小妖怪といった感じなものまで様々でした。

その中で、私が持つ妖精像に一番近く思えたのは…。
裸で羽を付けた子どもは妖精よりもむしろ天使に思えます。
ピーターパンのような衣装と、羽を付けた子ども達が、
最も妖精っぽいように思えました。
勿論、人によりけりでしょうが。

そのような姿で妖精を描いた作品はあまり多くはなかったですが、
『花の妖精のフェスティバル』と題された磁器絵皿のシリーズが
最も近いように思えました。新しい作品のようですが。


古来、妖精たちはイギリスの伝説や民話に数多く登場してきました。、
急速に都市化が進んだヴィクトリア朝時代を迎え、伝統や自然への回帰を求めた人々の
間で再びその人気を取り戻しました面があります。
多くの芸術家が妖精を主題にした作品を描きました。
シャーロック・ホームズの著者コナン・ドイルの父チャールズ・ドイル
および叔父のリチャード・ドイルも妖精画を手掛けました。

特にファンタジックなものが好きな人には魅力的な展覧会です。
会期も残り僅かです。お見逃しなく。


コティングリー妖精事件
本展の最後には「コティングリー妖精事件」の写真と関連資料も展示されています。
20世紀初頭、イギリス北部の町コティングリーで二人の少女が妖精を撮影したとして
その真贋が論争となった事件です。もちろん偽物だったのですが。

前述のコナン・ドイルがこの写真を本物と認定して話題を呼びました。
冷静で論理的なホームズのイメージと重なり難いですが、
当時のドイルは心霊学、交霊術に没頭していたのです。
これもなかなかレアな資料です。

本展ではこの事件が、妖精人気に影を落としたとの見解が示されていました。

2012年2月 3日 (金)

【美術展】『ルドンとその周辺―夢見る世紀末』三菱一号館美術館/黒と色彩の妖しき世界

東京丸の内の三菱一号館美術館で34日まで、
『ルドンとその周辺―夢見る世紀末』が開催中です。

Redon_001_2

ルドンとその周辺―夢見る世紀末
三菱一号館美術館《グラン・ブーケ(大きな花束)》所蔵記念

2012
117日(火)-34日(日)
三菱一号館美術館

http://mimt.jp/redon2012/



オディロン・ルドン
Odilon Redon, 1840420-191676日)

フランス、ボルドーの出身。
ルドンは象徴主義の画家とされます。
この象徴主義というのは解り難いですね。
神秘的・幻想的な作品である、と解釈すると解り易いかも知れませんが、
必ずしもそういう世界を描いた絵ばかりとも限りません。

しかし、ルドンに関しては明らかに神秘的な絵も多いです。
ではルドンは典型的な象徴主義の画家?
Wikipedia
にはそれに否定的なことも書かれていますね。
あまりジャンル論に拘っても仕方ないですが、
特に神秘・幻想的な世界が好きならば、魅力的な画家です。

Redon

ルドンとその周辺―夢見る世紀末
今回の展覧会は、世界有数のルドン・コレクションを誇る

岐阜県美術館の所蔵品によりルドンの芸術世界を概観しようという主旨で、
以下三つのセクションから校正されています。

①ルドンの黒
②色彩のルドン
③ルドンの周辺ー象徴主義者たち

ルドン自身の絵の他にも、彼に影響を与えたモローやブレスダン、
ファンタン・ラトゥールやゴーギャンなどの同時代人、
あるいはルドンの影響を受けたドニを始めとするナビ派など、
ルドンに先駆けた画家、また後を受け継いだ画家たちを併せて観賞することで、
ルドンが切り開いた象徴主義の世界の広がりと奥行きを辿りろうという催しです。


そして、本展のタイトルにもあるように、
この開催に合わせて三菱一号館美術館が新規収蔵したこの作品が公開されています。

Redon_002

『グラン・ブーケ(大きな花束)』(1901
ルドンが描いた最大級のパステル画でありながら、
110
年間フランスの城館に秘蔵されていた幻の作品。
本邦初公開となります。

展示作からもう1点紹介しましょう。

Redon_003
『エドガー・ポーに Ⅰ眼は気球のように無限に向かう』(1882年)
まさに“ルドンの黒”
かのエドガー・アラン・ポーへのオマージュです。
ポーはアメリカの作家ですが、シャルル・ボードレールによる訳で、
フランスでも高い人気を誇りました。
ポーとルドン、上にも書きましたが、幻想的なものが好きな人間には、
強烈に魅力的な組合せです。

2012年2月 2日 (木)

【母校】上智大学SJハウスに元学長土田將雄先生を訪ねる/知られざる上智の常識も少し紹介

先日、母校上智大学内のSJハウスに、恩師である元文学部国文学科教授、
そして1987年から1993年まで第10代学長を務められた
土田將雄先生を同期生12人ほどと訪ねました。

20120121044
今日はその時の様子を紹介しつつ、
学内にいた者でないとわかり難い上智大学の常識を、少しだけご教示します。
興味のある方はお読みください。


SJハウスとは
タイトルにも掲げたSJハウスとはなんでしょう?

上智大学はローマ・カトリック教会に所属するイエズス会が設立母体です。
ですので、先生方にもイエズス会の神父さんが多く、土田先生もそのお一人です。

カトリックの神父さんは妻帯しません。みな独身です
全員かどうかはわかりませんが、その神父である先生方が、
学内四谷キャンパスの中央付近にある「SJハウス」という名称の建物に住まわれ、
いわば共同生活をされているのです。

今回お訪ねしたのは、そのSJハウス内にある応接室というか、
ミニ会議室のようなところです。
何分古い建物なので古色蒼然としています。

実は私もSJハウスのエントラスを抜けて中に入るのは、
現役時代を含めて2回目だと思います。
現役学生はSJハウスに住まわれている教授に教わっていても、
その先生は別に学内に研究室を持っているので、
先生に用があっても通常はSJハウスを訪ねることはないのです。


土田將雄先生
土田先生のご専門は国文学の中世文学で、特に細川幽斎です。

細川幽斎(細川藤孝)といえば戦国大名として有名で肥後熊本細川家の祖。
勇敢な武将で、あの細川ガラシャ夫人の舅でもありますが、
実は当時屈指の文人で、古典の研究者でもありました。
土田先生のご専門は勿論武将ではなく、文人としての幽斎です。

さて、私の専攻は近代文学で、卒業論文のテーマは宮沢賢治です。
当然、土田ゼミの生徒ではありません。
学科が同じとはいえ、それで恩師といえるのか、という疑問もあるかと思いますが、
上智には高校以下でいうクラス担任のような制度がありました。

国文科は一学年が50人ほど。
高校の1クラスより少し多いくらいなので、学科の教授のどなたかが担任になります。
私の代はそれが土田先生だったのです。
当時、先生は60歳を過ぎておられ、文学部の学部長を務めていました。
また随分偉い方が「担任の先生」だったわけです。

ところが、私たちが3年生になるタイミングで先生は学部長を退任、
研究休暇に入られ、担任も別の先生が引き継がれました。
ちょっと見捨てられたような気がしなくもないのですが(笑)
秋に行われた京都・奈良を回った研究旅行にはご参加くださいました。

そして、その年度末に行われた学長選挙に立候補されて当選、
1987年から1993年まで務められたのです。


さて、土田先生は学長を務められるくらいだから当然ですが、
頭のキレ、特に穏やかな表情から発せられる舌鋒の鋭さには定評がありました。

先生は今年89歳になられたそうです。
さすがに足は弱られて歩行器を使われているのですが、
その頭の回転、その毒舌…、いや硬軟自在の言葉の冴えには
いささかの衰えも感じません。
本当に凄い人はいくつになっても凄い、と思いました。

実は、2009年の12月に国文学科の創立50周年記念式典が行われ、
土田先生は乾杯の発声をされたのですが、その時は車椅子姿でした。
ですから、もう歩くことはできないものだと思っていたのですが、
それは式典だからそうされていたようで、普段は歩行器を使ってですが、
しっかりと歩かれていました。
ここにも意志の強さを感じました。

そして、記念式典でお会いして挨拶した際の印象では、
私のことはしっかり憶えてはいないように感じたのですが、
今回、私が苗字を名乗ったところ、間髪入れずファーストネームが出てきて、
本当に驚きました。
よくまあこんな不肖の、学業での成果を何ひとつ残さず卒業していった学生を
フルネームで憶えていていただけたものです。

そんな感激もあり、また久々の同期生との再会もあり、
厳寒の日々の中、少し暖かい時間を過ごしました。

2012年2月 1日 (水)

【街景】晴天の臨海副都心・有明を歩く/ところで、有明は「お台場」の一部なの?

昨日、東京臨海副都心の有明を訪れました。

Imgp1933

このあたりも「お台場」と呼びたい気がするのですが、
住所は「港区台場」ではなく、「江東区有明」です。
「お台場」と言った場合、「港区台場」だけでないもう少し広い地域を指すようですが、
有明まで含まれるのかどうか、解り難いですね。


お台場とは…

どこまでを指すのでしょうか?
Wikipediaより抜粋して箇条書きにし、検証してみます。

☆☆☆
お台場
①お台場(おだいば)は東京都港区台場、およびその周辺の地域名である。
②港区台場、品川区東八潮、江東区青海のうち青海南ふ頭公園以北から成る。
③広義には東京都埋立13号地全体をお台場と呼ぶこともある。
④さらには臨海副都心地区全体を指す愛称として「お台場」という呼び名を使う場合がある。
☆☆☆

かなり曖昧です。
住所でいう「港区台場」より広い範囲を指すことは間違いないようですが、
その広さは三段階に拡大解釈されるようです。

③で広義には東京都埋立13号地全体を指す場合もあるとされていますが、
有明は10号地なので、これにも当てはまりません。
しかし、④まで拡大解釈すれば含まれてしまいます。

しかし、④の解釈を採用して有明を「お台場」の一部のように、例えばネットで書いたら、
「違うよ!」とツッコミをいれられそうです。ややこしいですね。
それはともかく・・・。


このあたりはイベント関連で土日祝日には時々訪れるのですが、
平日日中は滅多に来ません。
休日も平日も本当に人が少ないですね。
ゴーストタウンと言ってしまっては大変失礼ですが、
整然とした街の作りと相まって、まるで異空間に来てしまったようにいつも思います。

マニアックな話ですが、私はいつも『ウルトラセブン』の1エピソード
第34話「蒸発都市」を思い浮かべてしまいます。
別にストーリーには関係なく、街景だけの話ですが。

といって嫌っているわけではありません。
この整然と作り込まれた未来的な感じはむしろ好きです。

Imgp1929
たまに行く人間にとって、街全体がよく手入れされた公園のように感じるのです。
空間が広々としているし、土も水も緑も豊富です。

昨日も寒かったですが、有明は暖かく感じました。
風がなかったのもありますが、地面が広いから日光に温められて温度が上がるのでは、
などと、まったく科学的根拠もなく考えていました。


Imgp1955

ただ、飲食店のお客の入りの寂しさは、余計なお世話ながら心配になりましたが。

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