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2012年1月

2012年1月31日 (火)

【美術】『美の巨人たち』新OPを彩るのはルネサンス絵画のあの巨匠のあの傑作達

テレビ東京系で毎週土曜日22時から放送されている美術・アート系の番組『美の巨人たち』。
2012年を迎えオープンニングを変えたようですね。

もちろん、OPが違うのは年明けからわかっていたのですが、
新年第一回と、その後の二週に渡るミケランジェロ特集で、
例外的に変えている可能性もあるかと思っていたのです。

昨年まで長くおなじみだったOPはヨハネス・フェルメールの傑作
『真珠の耳飾りの少女』のモチーフをメインとしたものでした。

Vermeer_031

この絵は今年6月に東京都美術館において開幕する
『マウリッツハイス美術館展 オランダ・フランドル絵画の至宝』に
看板作品として来日が予定されています。
それを控えているので、降板はないかと思っていたのですが、随分潔いですね。


新オープニング
さて、新しいOPはパターンも変わりました。
まずいきなり本編に入り、一通り前説が終わった後、
おなじみのテーマ曲『The beauty of the earth』(唄:ジュエル・タン)
が流れますが、今までと比べるとかなり短縮版です。
番組サイトのトップページ右上で映像が見れます。
http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/new_music.html

新OPでは、パラパラと目まぐるしくいくつかの芸術作品が画面を舞います。
その中にはベラスケスのマルガリータ王女や、 ゴーギャンのイエス・キリストらしき姿も見えますが、
最終的な静止画面では、番組のロゴの上に二人の幼子姿の天使がもたれかかり、
下から三人の美しい女性達、三美神がロゴを支えています。

この天使と、三美神はいずれも有名な西洋絵画の一部分です。
元ネタはわかりますか?
まずは天使達から紹介しましょう。


Raffael_012
この天使達はよくみかけますね。
元の絵全体よりも、この天使達の部分の方がなじみがあるかも知れません。

元ネタはこちら。


Raffael_011
ラファエロ・サンツィオ『システィーナの聖母』
(または『サン・シストの聖母』1513-1514年頃))

ルネサンス最大の画家ラファエロ円熟期の最高傑作のひとつ。
私の好きなラファエロの絵が採用されたのは嬉しいことです。


さて、三美神はどうでしょう。

Botticelli_primavera_002
三美神も西洋絵画の画題のひとつで、ラファエロも主題として描いてますが、
この三美神はもっと大きな、有名な絵の一部です。


Botticelli_primavera_001
サンドロ・ボッティチェリ『春(プリマヴェーラ)』(1482年頃)
ルネサンスの巨匠ボッティチェリの『ヴィーナスの誕生』と並ぶ華やかな名画。
ルネサンス屈指の傑作です。
番組では三人のポジションを少し変えて使っているようですね。


このようにルネサンスの傑作二点が選ばれ、しばらく番組ロゴを彩ることになったようです。

2012年1月30日 (月)

【美術展】『パリへ渡った「石橋コレクション」1962年、春』ブリヂストン美術館/50年前、フランスに里帰りした絵画達

東京八重洲のブリヂストン美術館の開館60周年を記念しての展覧会
『パリへ渡った「石橋コレクション」1962年、春』が3月18日まで開催中です。

Bridgestone
ブリヂストン美術館開館60周年記念
パリへ渡った「石橋コレクション」1962年、春
2012年1月7日(土)-2012年3月18日(日)

http://www.bridgestone-museum.gr.jp/exhibitions/

この展覧会は主旨が少しだけややこしいので、
この美術館の歴史も含めて簡単に説明します。


石橋財団ブリヂストン美術館
この美術館は1952年開館なので、今年60周年ということになります。
株式会社ブリヂストン創業者の石橋正二郎氏が、新築のブリヂストンビルに美術館を開設し、
自らのコレクションを公開したものです。

1956年に財団法人石橋財団が設立、1961年には正二郎氏所蔵の美術品のほとんどが、
石橋財団へ寄贈され、現在のコレクション展示の核を成しています。
印象派と20世紀絵画を中心とする西洋の近・現代美術、
および明治以降の日本の洋画を収蔵・展示されています。
その中核となるのは19世紀から20世紀前半のフランス絵画です。


パリ国立近代美術館『石橋コレクション』展 
開館から10年後、今から50年前の1962(昭和37)年、
パリ国立近代美術館において「石橋コレクション」を海外で紹介する展覧会
『東京石橋コレクション所蔵─コローからブラックに至るフランス絵画展』が開催されました。

親日家で、かねて「石橋コレクション」を高く評価していた、
当時のパリ国立近代美術館副館長ベルナール・ドリヴァル氏の発案によるものでした。

つまりこの展覧会は主にフランスから日本に渡ってきた絵画作品を、
フランスに里帰りさせて公開しようという趣向の展覧会だったのです。

日本でも、海外の美術館が所蔵する浮世絵を展示公開する催しが開かれたりしますが、
あれと同様の主旨ですね。

この展覧会はパリ国立近代美術館にて1962年5月4日−6月24日に開催されました。
日本にある西洋絵画のコレクションがまとめて海外で展示される初めてのことで、
日本国内でも大変な話題を呼ぶと同時に、
フランスメディアの注目も集め、「石橋コレクション」は広く認知されることとなりました。
当時として記録的な動員だったようです。
コローやモネ、セザンヌなどのフランス近代絵画50点をパリで展示することから、
実際に「里帰り展」とも呼ばれたそうです。


さて、それから50年
今回の展覧会はその時に海を渡った作品を改めて紹介しようという趣向なのです。
コロー、モネ、ルノワール、ピサロ、シスレー、セザンヌ、ゴッホ、ルソー、ピカソ、
名だたる巨匠の名画が展示されています。

ただ、基本的の所蔵作品を展示る美術館なので、
何度も行かれている方にとっては、観たことのある絵も作品も多いということになります。
それは仕方ありませんね。

記念企画でもあるし、今回は特に初めての方にお薦めしたいです。

2012年1月29日 (日)

【美術】円山応挙『保津川図屏風』1/28『美の巨人たち』/日本画の改革者渾身の絶筆

1月28日放送のテレビ東京系『美の巨人たち』のテーマ作品(「今週の1枚」)は、
円山応挙『保津川図屏風』でした。
http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/backnumber/120128/index.html

Oukiyo_001
ところでこの番組、オープンニングを変えたようですね。
新年第一回と、二週に渡るミケランジェロ特集で例外かと思ったのですが、
今回も同じでした。
OPなしでいきなり本編に入るようになり、おなじみだったフェルメールの
『真珠の耳飾りの少女』をモチーフとしたOPは役目を終えたようです。
この絵、もうすぐ来日するのに、随分潔いですね。


円山応挙
(1733年6月12-1795年8月31日)
今回は円山応挙入門編といった内容でした。
テーマとなった『保津川図屏風』が応挙最後の作品、絶筆だったこともあり、
応挙の人生や美術史におれる位置付けを俯瞰する内容でした。

題材となった保津川は、応挙の故郷の川です。
保津川上流にある丹波国の村の農家に生まれた応挙は、絵の好きな少年だったといいます。
10代前半で京の都へとやって来た応挙は南蛮渡来の眼鏡絵と出会います。
眼鏡絵とは西洋の透視図法で描かれた絵をレンズで見ると、
風景が立体となって浮かびあがるというものです。
奉公先の玩具商でこの眼鏡絵を描く仕事に就いた応挙にとって、絵画とは視覚表現でした。
やがて応挙は絵師として、京都を舞台に活躍し始めます。

応挙以前、日本画壇の主流は御用絵師である狩野派でしたが、
応挙の登場によって狩野派の絵は一気に古めかしいものとなってしまいました。
応挙は、写生を基に絵を描いた最初の絵師だったのです。
対象をつぶさに観察し、ありのままの姿をまさにそこにあるように描く。
更に応挙は、対象の立体感までもをそのまま描き出そうとしていったのです
それは当時においては革新的なことでした。

これだけ革新的なことを成し遂げ、
且つ1000人を超える弟子を抱えたといいます。
人気も仁徳もあったのでしょう。


『保津川図屏風』(1795年)
京都市中にある京友禅の老舗に代々受け継がれてきた国宝級の絵画があります。
江戸時代の天才絵師・円山応挙の絶筆となった八曲一双の屏風絵『保津川図屏風』。
高さおよそ1.5m、幅は各隻5mに迫る特大版の屏風絵です。

右隻には水しぶきを浴びそうな迫真の激流、
左隻は、ゆったりとした渓谷の風情が描かれています。
この大作を、応挙は亡くなる1カ月前に描き上げました。
番組ではこの屏風の鑑賞にあたっての特別な置き方にも言及していました。

2012年1月28日 (土)

【漫画】『ドラえもん』CMのジャイ子役にAKB48前田敦子/ジャイ子 初期ドラえもん不幸の象徴の再生

トヨタ自動車のドラえもん実写版CMシリーズ。
妻夫木聡さんがのび太に、ジャン・レノさんがドラえもんに扮し、
コミカルな掛け合いを繰り広げることで話題ですが、
その第4弾「のび太のもしもな世界」篇が1月27日よりオンエアされることになり、
新キャラクターのジャイ子役をAKB48の前田敦子さんが演じることになったそうで、
ネットでもニュースが流れました。
http://news.nifty.com/cs/item/phdetail/tw-20120126-27604/1.htm



ジャイ子は『ドラえもん』の登場人物の一人で、あのジャイアンの妹ですが、登場回数が多くはありません。
てんとう虫コミックス全45巻で14本ほどです。
一般にはどの程度知られているのでしょう。

今回はこのCMのことは置いといて、ジャイ子について少しだけ書いてみます。


ジャイ子とは
そこそこのドラえもんファンならば、ジャイ子とは衝撃的な出会いを経験してきた筈です。
ここでいう「そこそこのファン」とは、コミックスを第1巻から読むくらいのファンという程度の意味です。
ジャイ子は『ドラえもん』の第1話に登場するのです。

もちろん、ジャイアンの妹としてですが、のび太は未来から来た子孫のせわしとドラえもんから、
ジャイ子が自分の将来の結婚相手だと聞かされるのです。
初期のジャイ子の性格が細かく描かれたエピソードは多くは残っていません。
てんとう虫コミックス収録作としては1巻と4巻に1本ずつ、計2本だけです。

その印象としては、ジャイアンがそのまま女児になったような粗暴タイプでした。
そのジャイ子が未来のお嫁さんとは…、ジャイ子は『ドラえもん』初期にあった、
のび太の暗く不幸な未来のイメージを象徴するようなキャラクターだったのです。

その後、ジャイ子は滅多に登場しなくなります。
ほどなく、のび太は将来しずかちゃんと結婚するという設定が生まれ、
ジャイ子は完全に過去のキャラクターになりました。

しかし、長い時を経てジャイ子は復活します。
コミックスでいうと第22巻、18巻ぶりです。
背景には、『ドラえもん』の連載が長期化し、内容も深化していくに従い、
ジャイアンも単なるいじめっ子のガキ大将ではなくなっていったからという面があります。

大河長編の主要人物であるジャイアンの近しい身内として、
また消すことのできない第一話の重要登場人物として、
そのまま消息不明にするわけにも、粗暴な不幸の象徴のまま放っておくわけにも
いかなくなったのではないかと思います。

作者の藤子・F・不二雄氏は、ジャイ子の再登場にあたり、
漫画家志望の女の子という設定を与えました。
未完成ながら漫画の才能もある、しっかり者へと変化したのです。

復活したジャイ子の容貌は初期の頃とほぼ同じですが、やがてベレー帽を被るようになりました。
今回のCMでも前田敦子さんは赤いベレー帽を被っていますね。
手塚治虫氏以来、ベレー帽は漫画家さんの象徴でした。
藤子・F・不二雄氏も愛用していました。
その姿をジャイ子に託したのです。

初期には作品世界における不幸の象徴として登場し、
作風の変化に伴い一度は姿を消したキャラクターが、
新たな個性を与えられて再生する。
『ドラえもん』らしい深い話です。

2012年1月26日 (木)

【BARレモン・ハート】 2012.1月テーマ酒「カミュ・イル・ド・レ XO」/辛口・ソルティな島のコニャック

バ―漫画、お酒がテーマの漫画の老舗『BARレモン・ハート』
漫画アクション2012年1月24日発売号掲載最新作
「Vol.358  島のコニャック」テーマのお酒は、
フランス西海岸沖合の島「レ」で作られるブランデー「カミュ・イル・ド・レ XO」でした。

Ile_de_re

今回は少し難易度が高いです。
雑誌の発売から間もないことでもあるし、
サブストーリーは省略して要点だけ紹介します。


今回のストーリー
此の夜のお客はかなりの酒通。
中でもウイスキーのシングルモルトには精通しているよう。
特に自分が佐渡出身の為、島のモルトにこだわりがあり、
「スカイ島のタリスカに始まり、アイラ島のモルトは全部飲んでいる」そうです。

この段階で、ウイスキーに詳しくない方はちんぷんかんぷんでしょう。
うんと大雑把にいうと、イギリスのスコットランドで作られるスコッチ・ウイスキー、
その中でも沖合の島にある醸造所で作られるものは全部飲んでいる、という客に、
マスターがどんな酒を薦めるか、というのが今回のテーマです。


Lemon_022
マスターのセレクト
今回、マスターが選んだ酒はブランデーのコニャック「カミュ・イル・ド・レ XO」

フランス西海岸の港町ラ・ロッシェルの沖合にあるイル・ド・レ、
つまり「レ」という島で作られる酒なのです。
島の酒にこだわる洋酒好きのお客にはぴったりです。

しかし、考えるとこれはおかしい。
コニャックを名乗れるのはコニャック地方で作られたもののみの筈。
ラ・ロシェルの酒がなぜコニャックを名乗れるのか?

実はこの地ではコニャック地方より前から葡萄の蒸留酒が作られており、
地理的にもコニャックに近い為、例外としてコニャックの名が許されているのです。

島独特の風土と、サートと呼ばれる海藻の肥料で育てた葡萄。
辛口でソルティ、例えるなら「コニャックのアイラ・モルト」とも呼ばれるそうです。
あまり飲む機会が多くないブランデー、
でもこんな話を聞くと、飲んでみたくなりますね。

2012年1月25日 (水)

【相撲】式秀部屋の千昇が新十両に/元大潮の部屋に二十年目で初の関取誕生! 遅咲き師弟に春

大相撲初場所の初日を迎える前に、
元小結大潮の式秀親方が師匠を務める式秀部屋に、20年目にして初の関取誕生かと、このブログに書きました。
http://oldfashioned.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-328b.html

22日に初場所は終了、幕下上位に進んでいた式秀部屋の二人力士のうち、
東幕下五枚目の潮光山(ちょうこうざん)は残念ながら三勝四敗と負け越しましたが、
西幕下三枚目の千昇(せんしょう)は五勝二敗の好成績を残しました。

本日1月25日、日本相撲協会は春場所(3月11日~)の番付編成会議を行い、
晴れて千昇の十両昇進が決定しました。

Senshow
式秀親方(左)と千昇

★★★
千代鳳と千昇が新十両、春場所番付編成会議
日本相撲協会は25日、春場所(3月11日初日・大阪府立体育会館)の番付編成会議を行い、十両昇進4力士を発表した。新十両は千代鳳=九重部屋=とモンゴル出身の千昇=式秀部屋=が昇進。千代鳳は日本人としては2006年秋の栃煌山以来6年ぶり10代関取。千昇は部屋創立21年目で初の関取となった。
http://www.daily.co.jp/newsflash/2012/01/25/0004767550.shtml
★★★

式秀親方と千昇の会見の様子と写真のあるニュースはこちら
☆☆☆
http://www.daily.co.jp/newsflash/2012/01/25/0004767728.shtml
千昇は外国出身力士最スローの新十両昇進
大相撲春場所での新十両昇進を決めた千昇は25日、両国国技館で師匠の式秀親方(元小結大潮)とともに会見。横綱白鵬と同期で、丸11年がかりで関取の座をつかんだ。所要65場所は外国出身力士としては最スローで「後輩にも追い抜かれ、悔しい思いをした」と、喜びをかみ締めた。親友でもある白鵬の支援が大きかったそうで「十両を突破しないとできないが、横綱とやってみたい」と、夢対決を目指す。
部屋創立20周年で関取が誕生した師匠は「力士を信じて、やっと形になった。ぶれないでやってきたことがよかった」と、万感の思いを口にした。
☆☆☆


千昇秀貴
(せんしょう ひでき、1983年10月14日- 28歳)
モンゴル国ウランバートル出身。本名はエンフバートル・バヤルバト。
2001年春場所初土俵。身長181cm体重131kg


式秀部屋
しかし、「式秀部屋」とは初めて聞いた、という人も多いことでしょう。
それも仕方ありません。ニュース記事にもある通り、創立20年を迎える部屋ですが、
今まで一人も十両以上の力士=関取を出したことがなかったのです。

師匠の式秀親方は1948年1月4日生まれなので、64歳になったところです。
日本相撲協会の親方(年寄)の定年は満65歳なので、後一年で定年退職です。
師匠の定年を一年後に控えた部屋に、遂に待望の関取が誕生したのです。

それにしても、師匠が64歳になる部屋が、まだ設立20年とは少し短い気もします。
実は式秀親方、元小結大潮は40歳まで現役を務め、通算出場歴代一位1891回の記録を持つ力士なのです。
長く現役を務め、引退後もしばらく部屋付きの親方をしていたので、独立が遅かったのですね。
師匠である遅咲きの名力士、元大潮についても少し紹介します。


大潮憲司
(おおしお けんじ、本名:波多野兼二 1948年1月4日- 64歳)
福岡県北九州市八幡東区出身。時津風部屋。
1962年1月場所初土俵。1969年11月場所新十両。
1971年9月場所新入幕。1988年初場所限りで引退。

経歴を見ると23歳で幕内に昇進ですから、ここまでは特に遅い出世ではありませんが、
その後、幕内に定着できずに十両との往復を繰り返し、エレベーター力士などと呼ばれました。
しかし、腐らず努力の甲斐あって、11回目の入幕を果たした頃から相撲が安定し、
29歳で初の三賞、30歳にして小結昇進を果たします。

更にその後、怪我が原因で幕下まで転落してしまいますが、
十両、そして幕内に復帰して再び定着、二度目の三賞も獲得しました。
そして、満40歳を迎えた1988年初場所まで、現役生活を全うしたのです。

その元大潮、式秀親方の愛弟子の千昇も親方以上の遅咲き力士、
丸11年、65場所かけての新十両は、外国出身力士として最スロー記録です。
そして、定年を一年後に迎えて初の関取を育てるとは、師匠としても遅咲きでした。
    
遅咲き師弟にめぐってきた春、更なる花を咲かせてもらいたいものです。

【写真】『日曜美術館』1/22「木村伊兵衛 天然色でパリを撮る」/写真界の巨星が異国で写した「色」

1月22放送のNHK『日曜美術館』のテーマは
「木村伊兵衛 天然色でパリを撮る」でした。
1月29日夜にも再放送されます。
http://www.nhk.or.jp/nichibi/weekly/2012/0122/index.html


木村伊兵衛

(きむら いへい 1901年12月12日-1974年5月31日)
写真家。戦前・戦後を通じて活躍した日本写真界の巨人。
特にモノクロフィルムで日本人の日常を捉えたスナップ写真の印象が強い人です。

しかし、今回の番組はその木村氏が海外でカラーフィルムで撮影した写真に
スポットを当てたものでした。


1954年、当時アメリカでは既にコダックがカラーフィルムを発売していましたが、
日本のフィルムメーカーからは未発売でした。
その時代に木村氏は日本のメーカーから試作段階のカラーフィルムを託され、
フランスに渡ったのです。
そして、パリを中心に愛機であるライカのレンジファインダー・カメラで撮影を行い、
印象的なカラ―スナップを多く残しました。
当時既に53歳。写真家として功成り名を遂げて後のことでした。

Kimuroihei_001

その写真はまさにその時代のパリを写し取ったものでした。
現在のパリだといわれても信じてしまうような写真もあり、
また古い映画の1シーンのようなものもあり、
なにより、そこに生き、暮らす人々の顔がいきいきと焼き付けられています。

初めての海外で「仕事」や「芸術」から解放され、自由にスナップ写真を撮りまくる
53歳の木村氏の素顔が、このパリの写真群から想像できます。

とはいっても、この時木村氏に託されたフィルムの感度はASA10、今でいえばISO10。
今や体験不可能な低感度で、私達がデジカメで気軽に撮るように
カシャカシャやっていたわけではない筈です。


今回の『日曜美術館』ではカメラ好きとして知られる女優の緒川たまきさんが、
司会の千住明氏と共にパリに赴き、ライカのデジタルカメラで木村氏が歩いた道程を辿り、
木村氏が写した場所の今を切り撮ろうという企画でした。

現在と、約50年前のパリの街並が、そこに生活する人々の姿が交錯する、
この番組には珍しい趣向で楽しめました。

2012年1月24日 (火)

【未確認動物】米国の大学がビッグフットを科学的に研究!?/その姿を捉えた1967年の映像を改めて紹介

アメリカのアイダホ州立大学が未知の大型類人猿「ビッグフット」を
科学的に研究しようしている、というニュースがネットで配信されました。
今更…、ちょっと驚きました。

Bigfoot

★★★
未確認大型類人猿「ビッグフット」、真剣に研究
北米にいるとされる未知の大型類人猿「ビッグフット」を科学的に研究しようと、米アイダホ州立大が今月、世界初の専門の電子版学術誌を開設した。ビッグフットは、ゴリラを大きくしたような体格で二足歩行し、北米の太平洋側を中心に目撃や足跡の報告が絶えない。しかし、いたずらや見間違いも多く、科学界では長く、未確認飛行物体(UFO)や幽霊などと同様のたわごととして無視されてきた。ただ、足跡の中には、地面をけって滑った跡、足紋が全面に残るもの、骨格の発育不全、切り傷が治ったような跡などが見つかっている。一部の研究者は、ビッグフットは身長2メートル以上で夜行性で、約10万年前に絶滅した身長3メートルの巨大類人猿ギガントピテクスの生き残りが、当時陸続きだったベーリング海峡をわたって北米に分布を広げたのではないかなどと真剣に議論している。アジアの「雪男」(イエティ)などは近縁種とみられる。サイトは「残存ヒト上科の調査」と題され、一般的な学術誌と同じく専門家が投稿を審査する。第1号の論文は、カリフォルニア州のアメリカ先住民の「毛むくじゃらの男」に関する伝承や絵について報告した。
(2012年1月24日12時19分  読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20120124-OYT1T00357.htm
★★★


ビッグフットはイギリス・スコットランドのネス湖の怪物ネッシー、
またヒマラヤの雪男イエティと並ぶ
未確認動物、未知動物、UMAなどとも呼ばれる世界の有名スターの一人(?)です。
分野としては雪男と同じ猿人系ということになります。

昨年夏、やはり猿人系未確認動物として古くから知られる、
南米の「モノス」がフジテレビの番組で取り上げられました。
そのことを記した私のブログにも多くのアクセスがありました。
http://oldfashioned.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/sp-1633.html
この番組は最近再放送され、ブログのアクセスが急伸して驚いたばかりです。

21世紀になって取り上げられることも少なくなったと思いますが、
まだこういった分野への関心もあるのですね。

ビックフットは、モノスよりも知名度の遥かに高い未確認動物です。
1970~80年代にはテレビや雑誌等のメディアに取り上げられることも多かったと思います。
それは、カラーフィルムで撮影された映像(写真ではなく動画)という資料の存在が
大きかったからかと考えられます。
その映像の紹介の前に、ビッグフットについて少し記します。


ビッグフット(bigfoot)
Wikipediaによるとビッグフットは
「アメリカ合衆国・カナダのロッキー山脈一帯で目撃されるUMA(未確認動物)、
または同種のUMAの総称。サスクワッチ、サスカッチ(英:Sasquatch)とも呼ばれる。」
とあります。

これだと、ビッグフットとサスカッチは同義のように思えます。
たしかに、私もサスカッチという名前を先に知ったと憶えています。

しかし、少なくとも日本では、アメリカで目撃されるものをビッグフット、
カナダで目撃されるものをサスカッチと呼ぶ分類もされてきました。
まぁこの際、大きな問題ではないですが。

元は先住民族の伝説にあるとされます。
身長2メートル以上とかなり大型で、凶暴な面もあると伝えられています。
20世紀以降も目撃例があるようですが、最も有名なのはこの映像です。


パターソン・ギムリン・フィルム
(Patterson-Gimlin film)
パターソンとギムリンとは撮影者の名前です。
ギムリンは省いて「パターソン・フィルム」とも呼ばれてきました。
1967年10月20日、元カウボーイのロジャー・パターソンと友人のロバート・ギムリンが
カリフォルニア州・ブラフ・クリークの山中でビッグフットに遭遇し、
前方に歩きながら、カメラに向かって振り向くビッグフットをカラーの8mmフィルムで撮影した、
とされています。

ではその映像を紹介します。

この映像は動画としてだけではなく、一番上の方に貼ったように
振り向いた瞬間を捉えた静止画としても広く流布しましたので、記憶している方も多いでしょう。

しかし、この映像についてはかなり前から多くの疑念が持たれていました。
だいぶ後になって、自分が着ぐるみで演じたものであったとの告発もされたと伝えられます。
なにやらネッシーの写真の件に似ていますね。
別に告発がなくても、映像を観てたぶんギミックなのだろうと思いますが、
反論もあるようです。

映像を見てどう思われましたか?

2012年1月23日 (月)

【美術】『美の巨人たち』余話/絵画警察シリーズのテーマ曲は?

東京系『美の巨人たち』。1月14日、21日と二週連続で、
ミケランジェロ・ブオナローティの壮大な作品がテーマでした。
そしてこの両編とも、絵画警察シリーズとして構成されていましたね。


絵画警察シリーズ
『美の巨人』の名物シリーズ。
だいたい、絵画警察の刑事二人が登場、絵画の謎をめぐり珍妙な捜査を繰り広げます。

刑事を演じているのは外国人の、たぶん俳優さん(?)
吹き替えは日本人の声優さんです。
今回のような重々しい作品も、軽妙なやりとりで気軽に見せてくれます。
…まぁ、おそらく賛否両論あるでしょうけど。


絵画警察シリーズのテーマ曲
ところで、絵画警察官達が活躍する際、いつもBGMにかかる曲が何かご存じですか?
軽快で、さぁ次はどんな展開か、ワクワクさせるなかなかの名曲だと思いませんか。

あれはテレビドラマ『キイハンター』のテーマ曲『非情のライセンス』という曲なのです。


Keyhunter_001
『キイハンター』
1968年4月-1973年4月 TBS系
昭和40年代を代表する人気ドラマのひとつ。
そして、日本のドラマ史上でも屈指の国際スパイアクションドラマです。
丹波哲郎、野際陽子、千葉真一、谷隼人、川口浩ら各氏が大活躍しました。

『非情のライセンス』はそのテーマ曲。
オープニングではインストゥルメンタル、
エンディングではヒロインでもある野際陽子さんの唄入りで流されました。



国際的に活躍する(?)絵画警察にはマッチする筈です。


*天知茂氏主演の『非情のライセンス』というタイトルの刑事ドラマがありますが、
それとはまったく別です。ちょっとややこしいですね。

2012年1月22日 (日)

【美術】ミケランジェロ『最後の審判』1/21『美の巨人たち』/偉大なる人間の肉体への賛美

1月21日放送のテレビ東京系『美の巨人たち』のテーマ作品(「今週の1枚」)は、
ミケランジェロ・ブオナローティ『最後の審判』でした。
http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/backnumber/120121/index.html

Michelangelo_002

ミケランジェロ・ブオナローティ
(Michelangelo di Lodovico Buonarroti Simoni, 1475年3月6日-1564年2月18日)


バチカン市国にあるローマ教皇専用の礼拝堂、システィーナ礼拝堂。
そこに、ルネサンスの天才芸術家・ミケランジェロの傑作絵画が2点あります。
『システィーナ礼拝堂 天井画』と『最後の審判』。
同じ場所にある同一画家の巨大壁画なので混同され易いのですが、
実はこの二つの作品は長い時間を隔てて描かれたのです。

先日、このブログでも紹介したように、二週に渡ってのミケランジェロ特集、
その前編である『システィーナ礼拝堂 天井画』1月14日に放送されました。
http://oldfashioned.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/114-5d80.html

今回は後編、システィーナ礼拝堂の祭壇画『最後の審判』がテーマでした。
『天井画』の完成が1512年。ミケランジェロはまだ30代でした。
『最後の審判』に取り掛かったのはそれから23年後の1535年。
ミケランジェロも60歳になっていました。

同じルネサンス芸術の三大巨匠、23歳年長のレオナルド・ダ・ヴィンチはもちろん、
8歳年下のラファエロ・サンティオも既にこの世にはいませんでした。
そして、完成はそれから5年以上の歳月が費やされた1541年のことでした。

番組構成は前回と同じく軽快な絵画警察シリーズ。
しかし、今回は制作背景はごく僅かしかふれられず、ほぼ作品論に終始しましたね。


『最後の審判』とは
世界の終わりにキリストが再臨し、全ての人類と死者たちが集められ、
主の裁きを受けるという新約聖書の教義です。
一度死んだ人間も改めてイエスによって裁かれるのです。
それも世界の最後にあたってです。究極の最終章ですね。

画面の中央上部にはまさに審判を下すイエス・キリストと、
寄り添うような聖母マリア、周囲には使徒達が描かれています。
番組が注目したのは、そのイエスの姿です。

Michelangelo_003
ホディビルダーのような逞しい肉体。
それまで、イエスがこのように描かれることはありませんでした。
殉教者をイメージさせる、痩せた姿で描かれることがほとんどでした。

しかし、逞しく描かれたのはイエスだけではありません。
登場する400人もの人間のほぼすべて、地下から蘇る死者達でさえ、
逞しい、素晴らしい裸体で描かれています。

それは何故なのか?
ヒントは20年以上前に描かれた『天井画』にありました。

Michelangelo_0011
創世記の「アダムの創造」を描いた部分。
神が初めて作った人間であるアダムの姿は『最後の審判』のイエスとそっくりです。

彫刻家であるミケランジェロは早くから人間の肉体こそが最高の神の創造物として、
作品にもその理想を追い求めてきました。

『最後の審判』は重いといえば重過ぎるテーマであるし、
また大変恐ろしい絵でもあるのですが、
ミケランジェロはそこに最高の芸術である人間の肉体への賛美を籠めたのです。

Old Fashioned Club  月野景史

2012年1月15日 (日)

【相撲】式秀部屋の千昇と潮光山が幕下上位へ②/八日目終了、二人とも三勝一敗

大相撲初場所、中日である八日目が終了しました。
先日のブログで元大潮の式秀部屋所属の二人の力士、
関取(十両)までもう一息の二人の力士を紹介しました。
http://oldfashioned.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-328b.html

千昇(せんしょう) 西幕下三枚目
潮光山(ちょうこうざん) 東幕下五枚目
さて二人の途中経過はどうでしょう。

二人とも揃って三勝一敗と好調です。

これは…まだ勝ち越してもいないのに、捕らぬ狸はよくありませんが、
二十年目にして式秀部屋初の関取誕生が現実味を帯びてきました。

しかし、番付というのは周囲の力士の成績にも左右されます。
この際なので、幕下五枚目までの他の力士の星取をチェックしてみましょう。
すると、西一枚目の千代鳳が四戦全勝で、これは関取当確ですが、
一敗力士は式秀部屋の二人しかいません。

正直をいうと、なんとか今年中、つまり師匠の定年前にどちらか一人なってくれれば、
と思っていたのですが、これは今場所後の同時昇進も夢でない状況。

・・・・ともかく、残り三番、悔いない土俵を。

1月25日追記:初場所終了。番付編成会議の結果、千昇の十両が決定しました。
http://oldfashioned.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-6111.html

2012年1月14日 (土)

【美術】ミケランジェロ『システィーナ礼拝堂天井画』1/14『美の巨人たち』/神の如き天才の人智を超えた大作

1月14日 放送のテレビ東京系『美の巨人たち』のテーマ作品(「今週の1枚」)は、
ミケランジェロ・ブオナローティ『システィーナ礼拝堂 天井画』でした。
http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/backnumber/120114/index.html

Michelangelo_001

バチカン市国にあるローマ教皇専用の礼拝堂、システィーナ礼拝堂。
そこに、ルネサンスの天才芸術家・ミケランジェロの傑作絵画が2点あります。
『システィーナ礼拝堂 天井画』と『最後の審判』。

先日、このブログでも紹介したように、二週に渡ってのミケランジェロ特集、
その前編である『システィーナ礼拝堂 天井画』が放送されました。
この絵が完成したのが1512年なので、今年は500周年なのですね。

今回、最初は重々しく始まった番組ですが、
時々やっている、ポップなノリの絵画警察シリーズとして構成されていましたね。

19世紀の初めにこの絵を観た、かのゲーテの言葉です。
「一人の人間の成しうる限界を知りたければ、この礼拝堂に来るがいい。」

幅13m余り、奥行きおよそ40m、総面積500㎡を超える巨大なフレスコ画。
それが床から21mの天井に描かれています。

どうやって描いたのか?
もちろん、足場を組んでそそれに乗ってですが、普通に立って上を見ながら描いたのです。
自らの制作光景を描いたスケッチが紹介されていました。普通に想像しても、苦しい姿勢です。
1508年から1512年、4年かけて、ほぼ一人で。
もうそれだけで気の遠くなるような、途方もない話です。

番組ではミケランジェロの簡単の来歴から、
彫刻家として名声を得ていた彼が何故壮大な絵画の制作に携わったのか、
そして、いかにしてこの奇跡の大作を描き上げたのかが紹介されました。

好んで取りかかった仕事ではありませんでした。
画家ではなく彫刻家である、と自認していたミケランジェロですが、
絶対的存在である、時のローマ教皇ユリウス二世の命には逆らえなかったのです。
父親に送った手紙からも、その苦悩が偲ばれます。

そのような状況で行った仕事にも関わらず、
工夫を凝らして描き上げられた傑作。
あまり画質のよくない自室のテレビを通してでも、この作品には圧倒されます。
私はミケランジェロの、女性の体を男性ホディビルダーのような筋肉質に
表現するところなどはあまり好みではないのですが、
そんな些細な好き嫌いなど問題になりませんね。


ルネサンスの三大巨匠の残り二人、
レオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロ・サンツィオとの関係なども描かれるのかと思ったのですが、
そんな暇はなかったですね。

さて、来週は『最後の審判』です。
同じシスティーナ礼拝堂の、天井画の完成から23年を経て取り掛かった作品。
その間、ミケランジェロにも色々ありました。
次回はどのような切り口でしょうね。

2012年1月12日 (木)

【ドラマ】『大都会』が『西部警察』と共にDVD化/石原プロ伝説の刑事ドラマの基礎知識

石原プロモーションが制作した人気テレビドラマシリーズ『西部警察』『大都会』が
初めてDVD化されることが決まり、渡哲也氏(70)、舘ひろし氏(61)が会見したそうです。
http://mainichi.jp/enta/mantanweb/news/20120112dyo00m200014000c.html

この二本の他にも、渡氏主演で幕末時代の庶民の人間模様をコミカルに描いた
ジョージ秋山氏原作の『浮浪雲』など、計12作品が今年中にDVD化される予定とのこと。

なかなかのスケールですね。

『西部警察』はご存じの方が多いでしょう。
1979年に放送開始、1984年まで計3シリーズを放送した刑事ドラマシリーズ。
「大門軍団」と異名を取る警視庁西部警察署の大門圭介刑事(渡氏)とその部下たちが
凶悪犯に立ち向かう姿を描き、派手な銃撃戦や爆破、カーチェイスなどで知られます。

しかし、『大都会』は、よく知らない方も多いでしょう。
『西部警察』の前身にあたるこのドラマについて、『西部警察』と比較しながら少し紹介します。


大都会シリーズ
本作は石原裕次郎率いる石原プロモーションが初めて手がけたテレビシリーズで、
1976~79年に計3シリーズが放送されました。

このシリーズは日本テレビ系で放送されたのですが、終了後すぐ、
テレビ朝日系で『西部警察』が始まったので、当時は大型移籍と話題になりました。

渡哲也氏が主人公の刑事・黒岩頼介を演じています。
渡氏は1974年に病気の為、NHK大河ドラマ『勝海舟』の主役を降板しているのですが、
本作はその後の本格復帰作ということになります。

『大都会』も『西部警察』同様にPARTⅢまで作られましたが、放映形態は違いました。
『西部警察』が連続して放映される中で一部リニューアルされていったのに対し、
『大都会』は『水戸黄門』と同じように、休止期間をおいて再開されたのです。


PARTⅠにあたる『大都会 闘いの日々』は、後の作品とはちょっとテイストの違うドラマでした。
倉本聰氏が脚本(メインライター)を担当、アクションシーンは少なく、渋く暗めのドラマでした。
実は倉本氏は前述の『勝海舟』の脚本作家でもありました。

続く『大都会 PARTⅡ』からアクション路線に転向、
なによりあの松田優作氏が刑事役でレギュラーに加わり、
当時の若者に大きな人気を博しました。
『大都会 PARTⅢ』では松田氏は降板しましたが、スタイルはほぼ同じです。

ただ、アクション路線になった『Ⅱ』と『Ⅲ』も、
『西部警察』とは違う独特の暗さがありました。
逆にいえば、『大都会』から暗さを払拭したのが『西部警察』だともいえます。


石原裕次郎氏
『大都会』』と『西部警察』、もうひとつ違うのは劇中の石原裕次郎氏の役柄です。

『西部警察』では西部署の小暮捜査課長、大門刑事の上司で完全なレギュラーでした。
役のイメージは『太陽にほえろ!』のポス、藤堂捜査係長とほぼ同じですね。

『大都会』では警察官ではありませんでした。
第1シリーズ『闘いの日々』では警察担当の新聞記者、滝川竜太。
『Ⅱ』と『Ⅲ』では救急指定病院の医師、宗方悟郎。
渡氏演ずる黒岩刑事とは少し距離を置いた設定で、セミレギュラーでした。


大都会から西部警察へ
当初は出演者もすべて移動するという案もあったと聞いたことがあります。
結果的に石原氏と渡氏の他にそのまま出演したのは、寺尾聰氏と苅谷俊介氏だけでした。

舘ひろし氏は『大都会』シリーズには出演しておらず、
『西部警察』スタート時からの加入です。
実は一度、殉職の設定で降板し、別の役で復帰しました

また、峰竜太氏のように『大都会 PARTⅢ』まで出演、
『西部警察』スタートには参加せず、途中から加わるという変則パターンの人もいました。

では石原軍団もう一人の顔、神田正輝氏は?
神田氏は『大都会 闘いの日々』に新聞記者役で出演。『Ⅱ』の途中から刑事役でレギュラー。
その直後、中村雅俊氏主演の学園青春ドラマの教師役で人気が出て、このシリーズから離れます。
1980年からは『太陽にほえろ!』に参加、最終話まで出演しました。
『西部警察』には関わっていません。


DVD
さて、今回のDVDはどのような形でリリースされるのでしょう。
個人的には、再放送も少なかった『大都会 闘いの日々』、
松田優作氏が出演した『大都会 PARTⅡ』が気になります。

記事から抜粋します。

★★★
DVDは、79年10月14日~82年4月18日放送分のなかから24話を選んで収録し、
当時の資料や関係者インタビューを掲載した24ページのブックレットを付けたDVDボックス
「西部警察 PART1 セレクション大門BOX1」(2万3940円)が2月15日に発売される。
その後、4月18日にDVDボックス「大都会-闘いの日々-BOX」、5月16日にDVDボックス
「西部警察 PART1 セレクション大門BOX2」を発売。
その後、「西部警察 PART2」など今回のDVD化決定作品が随時、発売される。
★★★

話数はどの程度収録されるのかわかりませんが、
『大都会 闘いの日々』はBOXで発売されるようです。
一方、『大都会 PARTⅡ』は言及がないですね。
松田氏の人気は今でも高いですから、一番注目されるのはこれかも知れません。
随時発売とあるので、時期が公表されてないだけで、発売されるとは思いますが。

2012年1月11日 (水)

【美術】1/14・21『美の巨人たち』はミケランジェロ『システィーナ礼拝堂天井画』『最後の審判』/ルネサンスの超大作登場

テレビ東京系『美の巨人たち』のテーマ作品(「今週の1枚」)に、
二週続けてルネサンスの巨匠、ミケランジェロ・ブオナローティの作品が登場します。
http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/


Michelangelo_001
1月14日 『システィーナ礼拝堂 天井画』


Michelangelo_002
1月21日 『最後の審判』

*前篇「システィーナ礼拝堂 天井画」編は終了しました。感想等はこちら。


この2点はカンバスに描かれた絵画ではありません。
建築物の内側に描かれた壮大な壁画です。

『システィーナ礼拝堂 天井画』はその名の通り、天井に描かれています。
システィーナ礼拝堂はローマ教皇庁のヴァチカン宮殿内にある礼拝堂です。
まさにカトリック教会の中心ですね。
旧約聖書「創世記」の「天地創造」が描かれていることで知られていますが、
それだけがテーマではありません。

では『最後の審判』はどこにあるのか、
実はこれも、同じシスティーナ礼拝堂にある祭壇画なのです。

共にミケランジェロの手によるものですが、
『最後の審判』は天井画を描き終えてから、20年を経て制作が開始されました。


ミケランジェロ・ブオナローティ
(Michelangelo di Lodovico Buonarroti Simoni, 1475年3月6日-1564年2月18日)

最近もこのブログでルネサンス美術について書きましたが、
そのルネサンスのレオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロ・サンツィオと並ぶ
三大巨匠の一人が登場です。

しかも二週に渡ってこの歴史的大作を取り上げるのですから楽しみですね。
期待しましょう。

番組サイトの予告です。
★★★
1月14日はミケランジェロ前篇。「システィーナ礼拝堂 天井画」
それはルネサンスの天才芸術家が4年の歳月をかけて描き上げた巨大な絵画です。
果たしてミケランジェロがこの天井画で成し遂げた奇跡とは何か?その秘密に迫ります。
★★★

2012年1月10日 (火)

【美術展】2012上半期東京三大展概要/国立新・国立西洋・東京都美術館/エルミタージュ・ベルリン・マウリッツハイス展

2012年も無事開幕しました。

美術展に関しては、昨年は大きな目玉がやや乏しい一年だったかと思います。
もちろん、震災の影響もありました。
今年は、特に東京地区については、改装の為に休館していた東京都美術館が
オープンすることもあり、楽しみな展覧会の予定が発表されています。

今年上半期、東京の三大国公立美術館である、
国立西洋美術館、国立新美術館、東京都美術館の大型企画展を紹介します。
実はこの三展、混同してしまいそうなややこしさがあるのです。


◆国立新美術館 (六本木)
大エルミタージュ美術館展 世紀の顔・西欧絵画の400年
2012年4月25日(水)-7月16日(月)

(エルミタージュ美術館はロシアの美術館です)
主催:国立新美術館、日本テレビ放送網、読売新聞社、エルミタージュ美術館
追記:本展は終了しました。レポートはこちら


◆国立西洋美術館(上野)
ベルリン国立美術館展 学べるヨーロッパ美術の400年
2012年6月13日(水)-9月17日(月)

(ベルリン国立美術館はもちろんドイツです)
主催:国立西洋美術館、TBS、読売新聞社
追記:本展は開催中です。レポートはこちら


◆東京都美術館(上野)
マウリッツハイス美術館展 オランダ・フランドル絵画の至宝
2012年6月30日(土)-9月17日(月)

(マウリッツハイス美術館はオランダにあります)
主催:東京都美術館、朝日新聞社、フジテレビジョン
追記:本展は開催中です。レポートはこちら


いずれも外国の大型美術館との提携展です。
上半期とは書きましたが、下の二つは6月スタートなので、
会期の大半は下半期にかかってしまいます。

上の二つはタイトルが似ていますね。
両方とも欧州美術の400年。今年のキーワードでしょうか。

そして、それぞれ日本テレビ、TBS、フジテレビが主催に名連ねています。
質の高い関連番組を作ってほしいですね。


以下、ちょっとダブりますが、もう少し詳しく各展をみていきましょう。
特に二つの「400年」の違いなども。


◆六本木
国立新美術館
国立新美術館開館5周年
大エルミタージュ美術館展 世紀の顔・西欧絵画の400年
2012年4月25日(水)-7月16日(月
)
http://www.ntv.co.jp/hermitage2012/

Hermitage_2012

★★★以下、公式ページより引用
エルミタージュ美術館はロシアのサンクトペテルブルクに位置し、ロマノフ王朝の歴代皇帝の宮殿からなる建物と、300万点を超える所蔵作品とが見事な調和を織りなす、世界有数の美術館です。本展覧会では同館の優れた所蔵品の中から、16世紀から20世紀初頭における西欧美術の「顔」ともいうべき名作を、その世紀を象徴するキーワードを軸に紹介します。
16世紀=人間の世紀、17世紀=黄金の世紀、18世紀=革命の世紀、19世紀=進化する世紀、そして20世紀=アヴァンギャルドの世紀。各世紀を彩るのは、ティツィアーノ、ルーベンス、レンブラント、ブーシェ、レノルズ、モネ、ルノワール、セザンヌ、マティス、ピカソら83作家の作品、全89点です。まさに400年にわたる西欧絵画の歴史をたどる豪華ラインナップです。特に注目されるのは、マティスの最高傑作の一つである《赤い部屋(赤のハーモニー)》(1908年)。東京では実に約30年ぶりの展示となります。
★★★

ここでいう「400年」とは主に16世紀から19世紀で、
プラス20世紀初頭も含まれるようですね。
公式ページにもあるように大看板はマティスの『赤い部屋(赤のハーモニー)』
これだけ広い時代の作品を扱うのに、ポスターなどで20世紀絵画を使ってしまうと、
展覧会の内容が誤解されのではないかと心配してしまいますが、
まぁ無用の懸念なのでしょう。

実は国立新美術館ではこの展覧会と会期を重ねて、
『セザンヌ―パリとプロヴァンス』展(3月28日−6月11日)も開催されます。
積極的な展開です。


◆上野
国立西洋美術館
ベルリン国立美術館展 学べるヨーロッパ美術の400年
2012年6月13日(水)-9月17日(月)

http://www.berlin2012.jp/

Berlin2012_000

★★★以下、公式ページより抜粋
本展は、ベルリン国立美術館のうち、絵画館、彫刻コレクション及び素描版画館からイタリアや北方の絵画と彫刻、さらには優れたイタリア素描の傑作を集めて企画されています。実際、ベルリン美術館のコレクションの規模は百科全書的な規模で、ヨーロッパ美術の通史を概観するには余りある内容と規模を誇っています。
本展は15世紀から18世紀までのヨーロッパ美術を、イタリアと北方の美術を比較しながら観ることのできる展覧会です。そこには絵画のみならず、15~16世紀のドイツを代表するリーメンシュナイダーの木彫や、フェルメール、さらにはベルリン素描版画館の誇るボッティチェッリの素描など、優れた作品が出品されます。
★★★

こちらの400年は15世紀から18世紀ということで、エルミタージュ展より100年古い時代から。
逆に19世紀美術は含まれないようです。
看板作品はヨハネス・フェルメールの『真珠の首飾りの少女』。
フェルメールは人気がありますね。
じっくり、古典芸術の神髄を…、期待しましょう。


◆上野
東京都美術館
マウリッツハイス美術館展 オランダ・フランドル絵画の至宝
2012年6月30日(土)-9月17日(月)

http://www.asahi.com/mauritshuis2012/

Mauritshuis2012_000

★★★以下、公式ページより抜粋
日本初の公立美術館として1926年に開館した東京都美術館は、「上野の美術館」と呼ばれ広く親しまれてきました。2010年に始めた全面改修工事によって、さらなる「心のゆたかさの拠り所」へ、東京都美術館が生まれ変わります。
2012年夏のグランドオープンとなる本展は、「王立絵画館」の名で世界的に知られるオランダ・マウリッツハイス美術館のコレクションが飾ります。何と言っても最大の話題は、フェルメール・ブームのシンボル的存在である「真珠の耳飾りの少女」の来日です。少女が肩越しに親密なまなざしを投げかける作品は、絵画史上最も愛されてきた名画の一つとして、あまりにも有名です。フェルメールと並び際立つのが、最晩年の境地を描いた「自画像」など6点が一堂に会するレンブラントです。そのほか、フランス・ハルス、ファン・ダイク、ルーベンス、ヤン・ブリューゲル(父)ら、17世紀オランダ・フランドル絵画を代表する、世界の至宝の数々を堪能できる本展に、どうぞご期待下さい。
★★★

改装によってどう生まれ変わったか楽しみです。
しかし、こちらも大看板はフェルメール『真珠の耳飾りの少女』。
しかも国立西洋に来るのは『真珠の首飾りの少女』なので、絵のタイトルもそっくりです。
もっとも、マウリッツハイスはフェルメールの母国、オランダの美術館なので当然ともいえますが。

そのマウリッツハイス美術館は所蔵作品800点ほどの小規模な美術館です。
その中からどれほどの作品を貸してくれるのか少し不安になりますが、
実は同館の改装休館に合わせての貸し出しなので、逸品の来日が期待できます。


以上、三つの展覧会を紹介しました。

国立新と国立西洋は展覧会のタイトルが似ている。
国立西洋と東京都は看板作品が共にフェルメールで、絵のタイトルもそっくり。
なにやら混同しそうです。開幕までに整理しましょう。
新しい情報が公表されたら、また紹介します。


関連My Blog:2012年GW-5月を楽しむ西洋絵画の展覧会を一挙紹介・東京編
http://oldfashioned.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/2012gw5-f7c0.html

2012年1月 9日 (月)

【ワイン】シャトー・モン・ペラ 2009/『神の雫』で伝説のワインは相変わらずCP高し

ワインをテーマとした漫画、と言えば、
今の一番人気は『神の雫』でしょう。

Kamino_001

『神の雫』(かみのしずく)
原作:亜樹直、作画:オキモト・シュウ
2004年に『モーニング』(講談社)で連載を開始。
2009年には日本テレビで連続ドラマ化もされました。

当然、漫画の中で取り上げられたワインは話題になります。
その連載最初期に紹介されて、伝説的になったのがこのワインです。

シャトー・モン・ペラ(Ch.Mont-Perat)

Montperat

フランスはボルドー産。葡萄品種はメルロー主体に
カベルネ・ソーヴィニヨン、カベルネ・フランがブレンドされています。

そもそも漫画で取り上げようというのだから注目されていたワインなのですが、
『神の雫』効果もあり、一時は入手も難しくなったようです。

漫画に登場したヴィンテージは2001年ですが、
現在は2009年が出回っています。

価格は2980円程度、ネットではもっと安い価格も出ていて、味わいも良し。
2009年のボルドーも良い年で、相変わらずのCP高いです。

強すぎず、ほどよい重さ、しかも話題性もあり。
ワインに慣れてない人へのお土産、贈り物にも向いてるでしょう。

2012年1月 8日 (日)

【ダンスイベント】第5回JDSF NEW YEAR 大ダンスパーティー 2012.1.8

第5回 NEW YEAR 大ダンスパーティー 2012.1.8
2012年1月8日(日) 江東区有明スポーツセンター
主催 公益社団法人 日本ダンススポーツ連盟(JDSF)


今年のダンス界の幕開けを飾るビッグダンスパーティー。
大盛況でした。

デモンストレーションはダンススポーツの日本チャンピオン2組


20120108280_4 
ラテンアメリカン
久保田弓椰・蘭羅


20120108162_4
スタンダード
石原正幸・伊藤沙織


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20120108130   

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20120108243

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20120108267

20120108278

20120108301

20120108315

日本ダンススポーツ連盟公式サイト
http://www.dancesport.jp/sub_jdsf/

2012年1月 6日 (金)

【相撲】式秀部屋の千昇と潮光山が幕下上位へ/元大潮の部屋に初の関取誕生なるか

まもなく、1月8日から大相撲初場所が始まりますが、
式秀部屋の二人の力士、
千昇(せんしょう)が西幕下三枚目、
潮光山(ちょうこうざん)が東幕下五枚目と、
十両までもう一歩のところまで昇ってきました。

二人とも先場所は六勝一敗の好成績、
千昇は幕下優勝、潮光山は優勝同点の立派な星を残しました。
(同星の力士は他にもいたので、二人で優勝決定戦を闘ったわけではありません。)
この勢いで十両昇進をと、期待が高まるのも当然です。

1月15日追記:八日目終了、二人とも三勝一敗。これは同時昇進が現実味を…
http://oldfashioned.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-d0b7.html

1月25日追記:初場所終了。番付編成会議の結果、千昇の十両が決定しました。
http://oldfashioned.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-6111.html


しかし、「式秀部屋? 聞いたことがない。」という人も多いでしょう。
それも仕方ありません。創立20年を迎える部屋ですが、
まだ一人も十両以上の力士=関取を出したことがないのです。

師匠の式秀親方は1948年1月4日生まれなので、64歳になったところです。
日本相撲協会の親方(年寄)の定年は満65歳なので、後一年で定年退職です。

つまり、今回の話題は、師匠の定年を一年後に控えた部屋に初の関取が誕生するか!
ということなのです。

それにしても、師匠が64歳になる部屋が、まだ設立20年とは少し短い気もします。
それには理由があるのです。
式秀親方、元小結大潮は40歳まで現役を務め、
通算出場歴代一位1891回の記録を持つ力士なのです。
長く現役を務め、引退後もしばらく部屋付きの親方をしていたので、
独立が遅かったのですね。

それでは遅咲きの名力士、大潮について少し紹介します。


Ooshio
大潮 憲司
(おおしおけんじ、本名:波多野兼二 1948年1月4日-)
福岡県北九州市八幡東区出身。時津風部屋。
1962年1月場所初土俵。1969年11月場所新十両。1971年9月場所新入幕。

23歳で幕内に昇進ですから、ここまではまずまずです。
しかしここから、大潮はエレベーター力士などと呼ばれるようになります。
つまり、幕内と十両の往復を繰り返したのです。
上がったり下がったり、なんとももどかしい状態が5年程続きました。

しかし、相撲っぷりは気風が良い。
古武士を思わせる風貌、思いっ切り当たり、一気に攻め込む速攻相撲。
ただ、土俵際の詰めが甘く、突き落とされての逆転負けが多かったのです。

28歳頃までそんな状態が続くと、なかなかそれより上へは難しいのですが、
大潮は腐らず努力の甲斐あって、実に11回目の入幕を果たした頃から相撲が安定し、幕内に定着します。
29歳にして初の三賞となる技能賞獲得、30歳にして小結昇進を果たします。
遅咲きの名力士の誕生でした。


しかし好事魔多し、負傷で31歳にして幕下まで転落してしまいます。
普通ならここで終わり、頑張ってもせいぜい十両まででしょうが、大潮は不死鳥でした。
十両に復帰して1年程定着すると、33歳にして幕内復帰、丸3年務めました。
この間、三役復帰はなりませんでしたが、34歳で二度目の三賞となる敢闘賞を獲得しました。

36歳で十両に落ちますが、ここでも4年間務め上げました。
満40歳を迎えた1988年初場所まで、現役生活を全うしたのです。


この遅咲きの力士大潮が、親方としても遅咲きで関取を育て上げるか、注目しています。
式秀部屋は公式サイトがないようで、部屋の様子や力士のことはよくわかりません。
しかし、親方の故郷の北九州市には地元との提携で式秀部屋研修センターがあり、
ユニークな活動も行っているようです。

千昇は28歳、潮光山は31歳のようで、師匠以上の遅咲き系です。
遅咲き師弟の部屋に花が咲きますよう、期待しています。
http://sumo.goo.ne.jp/ozumo_meikan/sumo_beya/shikihide.html

2012年1月 5日 (木)

【昭和プロレス】アブドーラ・ザ・ブッチャー引退/日本マット史上最も有名な外人レスラー

プロレスラーのアブドーラ・ザ・ブッチャーが1月2日、現役引退を表明しました。
http://mainichi.jp/enta/sports/general/general/news/20120103spn00m050016000c.html

Butcher_001
さすがにブッチャー、ネットのニュースサイトでも多く情報が流れました。
もっともかなりの人が、「まだ現役だったのか!」と驚いたでしょうけど。

ブッチャーは今回、全日本プロレスの新春シャイニング・シリーズに出場すべく来日しましたが、
コンディションの不良により欠場を決定、
1月2日の後楽園ホール大会ではセコンドのような形で試合に参加し、
その後に近々の引退を宣言したとのことです。


アブドーラ・ザ・ブッチャー
ブッチャーは1941年1月11日生まれなので、まもなく71歳。
初来日は1970年ですから、もう40年以上前です。
実は以前は1936年生まれといわれていたこともあったのですが、
近年、本人がIDカードを公開して、41年生まれを実証したようです。

アブドーラ・ザ・ブッチャーは日本マット史上最も知名度の高い外国人レスラーだったと思います。
とはいっても、日本で本格的にプロレスが行われるようになってから60年近く経っています。
誰が一番有名か、人気があったか、比較するのも難しいですが、しかし…。

ザ・デストロイヤー、テリー・ファンク、ミル・マスカラス、スタン・ハンセン、ハルク・ホーガン、
もっと古い時代から知っている方ならフレッド・ブラッシー、ボボ・ブラジル、フリッツ・フォン・エリック、
名前が挙げればキリがありませんが、一般的な知名度・認知度ではブッチャーが一番かと思います。

今回はそんな、“スーダンの黒い呪術師”アブドーラ・ザ・ブッチャーの超入門編。
ブッチャーがいかにして屈指の人気レスラーとなったか、その道程に関わる基礎知識です。


日本プロレスから全日本プロレスへ
ブッチャーは1970年8月、日本プロレスに初来日しました。
ジャイアント馬場とアントニオ猪木が二大エースとして並び立っていた時代です。
当時のブッチャーは無名とはいわないまでも、アメリカでトップレスラーだとは言い難く、
さほど期待はされていなかったようですが、いきなりの大暴れを繰り広げ、
馬場の持つインターナショナル・ヘビー級王座に挑戦する活躍をしました。

私は当時の試合は観ていませんが、この扱いは来日前から決まっていたのか、
来日後の試合ぶりにより抜擢されたのか、興味深いところです。

その後、ブッチャーは日本プロレスに二度参加、
1972年12月より馬場が日本プロレスから独立して設立した全日本プロレスの常連となります。
全日本プロレスにはアメリカから一流のレスラーが多く来日しましたが、
ブッチャーは彼らに負けることなく、看板レスラー、ドル箱外人の地位を確立していきます。

ブッチャーは反則三昧の凶悪ヒール、流血の悪役ファイターです。
その意味では人気といってもいわゆるヒール人気、嫌われてなんぼのように思えますが、
実は凶悪レスラーとしての全盛期から、会場にブッチャーコールが巻き起こるベビーフェイス的な人気もありました。

なぜでしょうか?
ひとつは、よく見るとどことなく愛嬌のある憎めない風貌。
そしてもうひとつ、ブッチャーは相手を凶器攻撃で血まみれにしますが、
それ以上に自分も血だるまになる、やられ上手なところがありました。
だから、馬場やジャンボ鶴田のような大型日本勢との戦いでは、コールを受けることも多かったのです。

1976年春、ブッチャーはリーグ戦形式で行われるチャンピオンカーニバルの決勝で、
馬場を反則勝ちながら下し、優勝を手にします。
日本プロレスのワールドリーグ戦以来、日本マットでは春にリーグ戦あるいはトーナメントが、
年間屈指のビッグイベントとして開催されるのが伝統でした。

その歴史の中で、早くに日本プロレスから分かれた国際プロレスでは外人が優勝したことがありましたが、
主流ともいうべき日本プロレス、新日本プロレス、そして全日本プロレスでは、外人レスラーの優勝は初めてのことでした。
もちろん、これは全日本においてそういうマッチメークがされたということなので、
いかに当時のブッチャーの評価が高かったがかわかります。

その後、1979年のカーニバルでは鶴田をフォールして完全優勝。
他にもPWFヘビー級、UNヘビー級、USヘビー級、インターナショナルタッグと、
全日本プロレスの主要タイトルを片端から獲得していきました。
まさに全日本を支える看板外人してのポジションを確立していきます。


ファンクスとの死闘
しかし、ブッチャーの真骨頂は馬場や鶴田ら日本勢との対決だけではなく、
他の外国人レスラーとの死闘にありました。
その中でも最も伝説的なのが、やはり凶悪ヒールの“アラビアの怪人”ザ・シークとタッグを組んで闘った、
ドリー・ファンク・ジュニアとテリー・ファンクのファンク兄弟、ザ・ファンクスとの血の抗争でした。

ザ・ファンクス
ドリー・ファンク・ジュニアとテリー・ファンク、共に米マットの頂点であるNWA世界ヘビー級王座に君臨した
超大物兄弟コンビ、テキサスの荒馬チーム。
そのファンクスと、ブッチャー&シークの史上最凶悪コンビが激突したのは、
1977年暮れのオープン・タッグリーグ戦でした。

それから2年後、1979年の第2回世界最強タッグ決定リーグ戦最終戦でのファンクスと試合、
ブッチャーとシークの同士討ちからの壮絶な仲間割れまで、長く語り継がれるこの闘いは続きました。

といっても、この2年間で4人が日本に顔を揃えて争ったのはほんの数週間に過ぎません。
ひとつには、ブッチャー以外の3人はアメリカでプロモーターやブッカーなども行っており、
そうそう長期間、日本滞在できないという事情もありました。
にも関わらず強烈な印象を残した、濃密な抗争でした。

このファンクスとの抗争が代表的ですが、ブッチャーはそれ以外にも、
日本陣営入りしたザ・デストロイヤーをはじめ、ハーリー・レイス、ビル・ロビンソン、ミル・マスカラス、
ワフー・マクダニエル、仲間割れしたザ・シーク、そして外人側として全日本に参加していた大木金太郎と、
次々と抗争を展開して、人気を高めてきたのです。

1979年8月26日に開催された伝説のプロレスオールスター戦では、
新日本プロレスのトップヒール、“インドの狂虎”タイガー・ジェット・シンと史上最狂悪タッグを結成、
一夜限りの復活を果たした馬場&猪木のBI砲と闘いました。


高まるブッチャー人気
血まみれのリングの一方で人気は高まり、一般メディアに取り上げられることも増えていきます。
1979年、講談社『週刊少年マガジン』にブッチャーを模したキャラクター「ボッチャー」が活躍する
ギャグ漫画『愛しのボッチャー』(河口仁氏作)が連載開始、ブッチャー人気に拍車をかけます。

翌1980年にはサントリーの清涼飲料水「サントリーレモン」のテレビコマーシャルに出演。
このCMにはかなり力が入っていたようで、結構な話題になりました。
ただ、これにはちょっと笑えないオチがついてしまいました。
このCMは続き物で、春編、夏編、秋(冬?)編が放映予定だった筈なのですが、
夏編のオンエア中に共演したモデルが大麻所持で逮捕され打ち切り、秋(冬?)編はお蔵入りとなってしまいました。
スチールで見た秋(冬?)編のブッチャーは白のタキシード姿だったかと思います。残念でした。

*CMの映像です。春編と夏編。後はもう少し後にやった別のCMです




新日本プロレスへ

1981年春、日本マットに衝撃が走ります。
ブッチャーが電撃的に新日本プロレスへ移籍するのです。
これを契機に新日本と全日本はレスラーの引き抜き合戦を開始、プロレス界は混乱に陥ります。

さて、ブッチャーにとってこの移籍は失敗だったとの見方が一般的です。
もちろん私もそう思います。全日本であれほど輝いていたブッチャーは新日本で急激に色褪せていきます。

この件の評価は難しいところです。
ブッチャーは移籍時40歳、年々肥大化して動きは鈍くなっていました。
スピードに上回る新日本への、あの時点での移籍は無謀だった面もあります。

しかし、新日本の使い方もおかしかった。
上に散々書いたように、全日本でのブッチャーはシングル・タッグのリーグ戦にはほぼフル参加で、
次々と新しい抗争相手と出会い、人気を高めてきました。
しかし、新日本に登場していた4年間、遂に一度もリーグ戦に参加することはありませんでした。
そもそも、新日本が提唱したIWGPへの参戦が移籍理由だったのに、これにまったく絡ませなかったのです。
この件については色々な事情も語られていますが、これではブッチャーが生きません。
他にもおかしな扱い、マッチメークはありましたが。


再び全日本へ
1987年暮れ、ブッチャーは因縁深い世界最強タッグに参加、全日本プロレスへの復帰を果たします。
新日本への移籍から6年半、そしてその新日本への最後の登場から2年近くが経ち、
ブッチャーも既に46歳、さてどこまでやるかと思ったのですが、見事に復活を果たします。

翌1988年に行われたブルーザー・ブロディの追悼興行ではスタン・ハンセンとメインを闘いました。
オールスター戦以来のタイガー・ジェット・シンとのタッグも実現。
1990年に行われた馬場の30周年記念試合では遂に馬場とタッグを結成、
アンドレ・ザジャイアント&スタン・ハンセン組と闘います。仲間割れしてしまいますが。
その後は馬場と共にメインからは退き、ややコミカルな試合で中盤を沸かせました。

1996年には再び全日本を離れますが、馬場没後の2001年に復帰、
21世紀になっても時々日本に顔を見せていました。

あの体型ですし、あまり無理はしてほしくないとも思います。
引退は仕方ないでしょう。
賛否両論ある人ですが、なんといっても日本プロレス界の功労者です。
最後に良い舞台が用意されることを望みます。

※追記:3月20日の両国国技館大会で引退式が行われるとの話もありましたが、実現しなかったようです。

2012年1月 3日 (火)

【Bar】西新宿 Bar Cocktail Book/新年初バーで久々のオールドファッションド・カクテルを

20120103008

今年の初バーは西新宿のBar Cocktail Book(バー カクテルブック)。
新宿の京王プラザホテルに勤務し、カクテルコンペでも数々の賞を獲得した、
岡村朗氏が昨年8月に独立、オープンしたお店です。

大都市、大繁華街である新宿には多くのBarがオープンしますが、
大型ホテルのバーテンダーさんが独立して店を開いた、という話はあまり聞きません。


今回は私のブログのタイトル、またハンドルネームにもしているカクテル
「オールドファッションド」をオーダー、久々に写真も撮ってきました。

20120103003
使用したウイスキーはバーボンのオールドクロウ。

ベースをバーボンにするか、カナディアンウイスキーにするか、
という選択がまずあるのですが、
このカクテルはケンタッキーダービー由来という面があるので、
選択を委ねられるならバーボンですね。
味以前にイメージ、雰囲気の問題として。


20120103006
東京日和(とうきょうびより)
岡村氏オリジナルのコンペ出品カクテル。
ジンベースに桃と桜のリキュール使用。
贅沢な甘さ、でもしっかりした強いカクテルです。


年末年始も休み無しで営業したとのこと。
当分無休でいくそうです。

なかなかの気合ですが、カクテルの味もなかなかです。
旬のフルーツを使ったカクテルも豊富です。
新しい新宿の隠れ家バーです。

Bar Cocktail Book Shinjuku
http://bar-navi.suntory.co.jp/shop/0X00225662/index.html

2012年1月 2日 (月)

【美術】ルネサンス絵画超入門/いつ、どこで、誰が、何を

雑誌『Pen』はアート・美術関係の特集が組まれることも多いですが、
2011年12月15発売号(新年合併号)の特集は「ルネサンスとは何か。」でした。
http://www.pen-online.jp/feature/1631/

Pen1215_001
ルネサンス ルネッサンス(Renaissance)

美術に関心を持つようになると、目に耳に、入って来ることが多い言葉です。
実に魅惑的な響きを持っていますが、では何か? その定義は?
西洋美術・文化の一分野だとは思えますが、
改めて問われると、なかなか難しいですね。

2012年は日本、東京周辺でも大きな展覧会が予定されており、
ルネサンス美術にふれる機会も増えそうです。

今回は絵画史のスタンスからみた「ルネサンス」の超基礎知識、
「いつ」「どこで」「誰が」「何を」を超簡潔にまとめてみます。
些事は省き、美術史の表面だけをなぞる形で記します。


◆いつ
15世紀~16世紀

ルネサンスは15世紀から16世紀、
つまり西暦1400年代から1500年代だと憶えてください。

もちろん、その萌芽はもっと早くからあり、
例えば、ルネサンスの足掛かりを築いたとされる画家ジョットは
1267年頃に生まれ、1337年に亡くなった人です。たいぶ前ですね。

Wikipediaでは「14世紀-16世紀」となっています。
それでもいいですが、実際に私達がルネサンス芸術としてふれる作品は、
ほとんど15世紀から16世紀のものです。

では、ルネサンスの後、つまり17世紀はなんと呼ばれるか?
これもよく聞くと思いますが、「バロック」の時代ということになります。
その後、18世紀は「ロココ」の時代。
並べて論じられるものかとなると微妙なのですが、
流れとして一応こう認識しておけば、覚え易いかと思います。


◆どこで
イタリアのフィレンツェとローマ


ルネサンスは欧州に広く拡大した芸術運動といえますが、
その中心地はイタリアのフィレンツェだと憶えてください。
もっとも、当時は今でいう「イタリア」という国ではありませんでしたが。

このフィレンツェに隣接して教皇庁のあるローマがあります。
後で触れる名だたる画家達はフィレンツェからローマに招かれ、
教皇庁の仕事を行ったのです。


ヴェネツィア(ベネツィア ベネチア)
フィレンツェに対してルネサンス第二の都とされるのがヴェネツィアです。
イタリアの北東部の都市、当時は海運業で栄えていました。
ヴェネツィア・ルネサンス、ルネサンス・ヴェネツィア派などとも呼ばれます。

北方ルネサンス
イタリアよりも北の国々にも伝播したものを、北方ルネサンスと呼びます。
主にネーデルラント(現在のベルギー、オランダあたり)、ドイツなどが知られます。

フランスは?
以上のように、ルネサンスの中心地はイタリアだと憶えるのが早いのですが、
では「芸術の都パリ」を擁するフランスはどうなのでしょう。
パリが百花繚乱の芸術都市となるのは、18世紀ロココの時代を経た後の19世紀なのです。
ルネサンス時代については、とりあえずノーマークでいいです。


◆だれが
ルネッサンスの三大巨匠と呼ばれるのはこの人達です。
レオナルド・ダ・ヴィンチ (1452年4月15日-1519年5月2日)
ミケランジェロ・ブオナローティ(1475年3月6日-1564年2月18日)
ラファエロ・サンツィオ(1483年4月6日-1520年4月6日)


彼らがフィレンツェからローマを股にかけて活躍した時代、
15世紀後半から16世紀初頭を、盛期ルネサンスなどと呼びます。

『モナ・リザ」の作者。絵画、彫刻、建築、科学技術…、万能の天才ダ・ヴィンチ、
壮大な天井画『天地創造』、祭壇画『最後の審判』の作者。彫刻家としても名高いミケランジェロ、
この二人に比べるとラファエロは日本での知名度は少し劣るかも知れませんが、
画家としての実績・評価は一番でした。

画家の名を挙げてもキリがありませんが、もう一人だけ書かないわけにはいきません。
今回の『Pen』の表紙に取り上げられた『ヴィーナスの誕生』の作者、
サンドロ・ボッティチェリ(1445年3月1日? - 1510年5月17日)
ダ・ヴィンチとは同じ工房の兄弟子格にあたります。


他の地域については代表的な画家の名前だけ記しておきます。

◆ヴェネツィア・ルネサンス
ジョヴァンニ・ベリーニ
ジョルジョーネ
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ

◆北方ルネサンス
ネーデルラント

ヤン・ファン・エイク(ファン・エイク兄弟)
ヒエロニムス・ボス
ピーテル・ブリューゲル

ドイツ
アルブレヒト・デューラー
ルーカス・クラナハ(ルカス・クラーナハ)


◆なにを
人間を描く


では、ルネサンス絵画の特徴は何か、何を描いたのか?
しかし、上述のように時代も長く、地域も広い、簡単に言い表せるものではありません。

「ルネサンスは(Renaissance)」はフランス語で「再生」「復興」といった意味です。
古代ギリシャ時代の文化の復興である、との説明がよくされます。
しかし、古代ギリシャ文化となると、かなり古くてよくわかりません。
別にルネサンス時代と絵と並べて、同じようなものが残ってるようにも思えません。
解り難いですね。

しかし、古代のギリシアには美しい男女の裸の肉体を彫った彫刻が多く作られました。
その後の中世の時代、裸体を彫ったり描いたりすることはタブーとされてきました。
その因習を排し、人間の肉体が美しく、あるいは逞しく描かれるようになりました。

もちろん、それがルネサンスのすべてではありませんが、この肉体表現の件が象徴するように、
ルネサンスは閉鎖的な中世文化から脱却した新しく自由な文化・芸術である、
と理解すると、やや短絡的であるかも知れませんが、解り易いですね。
その際に、古代のギリシア文化が規範・道しるべとなったのだ、
と考えるといいのかも知れません。

さて、最後にひとつだけ、絵画におけるルネサンスとそれ以前との違いを記します、
遠近法などの技術的な進歩も大きいのですが、
もっとも解り易い例として「人間性」を挙げておきます。

「聖母子像」
聖母マリアと幼子のイエス・キリストが描かれた、西洋絵画おなじみの画題です。
ルネサンス前の作品と、上述のルネサンス最大の画家ラファエロ・サンティオの作品、
二点の聖母子画を比べてみてください。


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『聖母と天使たち(一部)』1270年頃 チマブーエ(イタリア)


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『小椅子の聖母(一部)』1513-4年 ラファエロ


信仰の対象として、神々しく描かれたチマブーエの作品に対して、
ラファエロは生身の人間として聖母子が描かれていることががよくわかるでしょう。
これこそが新しい時代の、そして次代、現代に繋がる絵画でした。
そして、画家・芸術家の個性を発揮し、育てるものでもあったのです。

実はチマブーエもその時代にあって革新的な画家であり、
また、聖母子を多く描いた画家として知られるラファエロ作品でも、
この絵は際立って人間っぽく描かれているので、極端な取り合わせなのですが、
解り易い例として、対比させてもらいました。

以上、あくまで絵画鑑賞の為の、ごく大雑把なルネサンス入門編でした。

Old Fashioned Club  月野景史

2012年1月 1日 (日)

【音楽】長渕剛『ひとつ』in『紅白歌合戦』/大震災の年の締め括り

昨日、2011年12月31日のNHK『紅白歌合戦』
長渕剛さんの『ひとつ』は良かったですね。

私は元々、長渕さんの言動にはあまり好感は持っていませんでした。
また、歌は名曲が多いと思いますが、歌い方などはあまり好きではなかったです。
しかし、昨年の東日本大震災後の被災地での行動は立派だと思いました。


批判も色々あるようですが、
被災地に一人で乗り込んで・・・、
もちろんスタッフも一緒だろうし、TVカメラも追いかけてたろうけど、

でも、ギター一本で、被災者の方、自衛隊の方たちの前に立ち、
誰もが知っている歌を、歌って元気づけることが出来る。
また、そういう歌を持っている、しかも自分で作った歌を。

そんなことができる人、そして実際にやる人はそうはいないのだから。
やはりその行動があって、昨日の宮城・石巻からの中継も迫真に富んだものでした。

できうるならば、この行動を今後汚すようなことが起こらないよう望みます。


そして2012年を迎えました。
今年こそ良き年でありますように。

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