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2011年12月

2011年12月29日 (木)

【昭和プロレス】Gスピリッツvol.22「特集 相撲とプロレス」/あのアニマル浜口も登場

Gs22_2
レトロプロレスファン…だけではないかも知れませんが、
とにかくファン待望のプロレス専門誌「Gスピリッツvol.22」が、
12月21日に発売されました。
http://www.tg-net.co.jp/gs/
(しかし、公式サイトには12月29日時点で発売予告だけで内容の記述なし。大丈夫か?)


さて、今回の特集は「相撲とプロレス」
確かに、元関脇・力道山が1953年7月に日本プロレスリング協会を設立して以来、
この国のプロレスは「相撲」と深い関係を保ち続けてきたました。
その歴史に踏み込もうというのがテーマです。


巻頭は、デビュー35周年記念スペシャル対談
天龍源一郎×森岡理右
力道山の後、相撲出身者で最も大きな存在感を持ったであろう天龍源一郎の登場です。

私は少年時代、かなり熱心な相撲ファンであった時期がありました。
その頃に起こったのが、天龍も巻き込まれた押尾川独立騒動です。
今回はその当時の心情を天龍が率直に語っており、大変興味深かったです。
一方、当然ではありますが、相撲界側の事情はあまり詳しくは書かれていません。
そのうち私見など書かせてもらおうかと思っています。


同門対談
輪島大士×石川孝志

全日本プロレスを同時に退団したこの二人は、日本大学相撲部の先輩後輩になります。
年齢は離れているので、石川が入学した時は輪島は既に大相撲にいました。
しかし、この対談でも語られていますが、輪島は横綱になっても、
花篭部屋の隣にあった日大相撲部の合宿所に入り浸っており、
(このことは当時の相撲専門誌にも紹介されていました。)
石川にとって雲の上の人だけど、身近な先輩でもあったのです。

その後、石川も花篭部屋に入門、大相撲でも先輩後輩になりました。
そして、全日本プロレスでも…、今度は先輩後輩が逆になりましたが。

ともかく、なかなかおもしろい先輩後輩対談でした。

一方、同じ元横綱でも北尾光司(双羽黒)については、
本人の登場はなく、当時の取材記者による回顧録ですが、かなり痛烈な内容です。
これはこれでおもしろいですが。

その他、特に相撲も少しわかる人にとっては、かなり興味深い内容です。


特別企画
『イノキ・ヨーロッパ・ツアー』の全貌
前回の奇跡のローラン・ボックインタビューに続くこの企画、
ファン垂涎ですね。


コアラの国のプロレス―豪州マット裏面史―
連載企画のオーストラリアマット史。

今回興味深かったのはタイガー・ジェット・シンについての記述です。
比較的近年のことですが、シンは新日本に登場するまでベビーフェイスのみで、
ヒールの経験はなかった、などと書かれるようになりました。
ヒール経験のないレスラーがいきなりあれをやったとしたら驚異です。

実際はそんなことはなく、トロントでフレッド・アトキンス軍団として
ヒールデビューした後にベビーに転向しており、
1971年からのオーストラリア遠征では絶対エースのマーク・ルーインらを相手に
狂乱ヒールを演じています。
当時のものと思われる映像が一部ネット上でも見れますが、
新日本でのスタイルとほとんど一緒です。

シンはオーストラリアでの異郷に殴りこむ凶悪ヒールとしての経験を、
日本マットで生かしたのですね。


そして、好評連載のこのコーナーのゲストはこの人
実録―国際プロレス【第12回】アニマル浜口(前編)

国際プロレスOB最大の有名人の登場です。
これは本当におもしろいです。後編も楽しみ。
プロレス入り前の青春漂流記、今まで語ったことあったのでしょうか。

そして、注目(?)のグレート草津論。
なにかと評判の悪いこの人ですが、付け人も務めた浜口の評価は?
浜口にとっての草津は
「兄弟のような付き合いをさせてもらった、心の通じ合った仲」
だそうです。

一緒に飲んでも浜口の方が草津より先に酔ってしまうから、
という特異な事情もあるようですが(笑)、
人物への評価は、語る人によって違うものです。


Gスピリッツvol.22
内容

■特集
相撲とプロレス

[デビュー35周年記念スペシャル対談]
天龍源一郎×森岡理右

[同門対談]
輪島大士×石川孝志


北尾光司
清美川
グレート小鹿

西脇充子
ソラキチ・マツダ
鈴川真一

■特別企画
『イノキ・ヨーロッパ・ツアー』の全貌
―猪木のロマンとボックの野望―(前編)

【第1章】地獄への片道切符
―ツアーまでのエピローグ―

【第2章】命を蝕む魔のロード
―イノキ・ツアーの真実―

■連載
実録―国際プロレス
【第12回】アニマル浜口(前編)

コアラの国のプロレス―豪州マット裏面史―
【第3回】馬場が送り込んだ第二次世界大戦の「幻影」

アリーバ・メヒコ
呪われた白覆面の系譜(前編)
“暗殺医師”メディコ・アセシノの栄光と悲劇

ミル・マスカラスが「悪魔仮面」と呼ばれた時代
【第5回】ザ・デストロイヤーとの初対決

原悦生の格闘写真美術館
【第22回】屋根裏部屋の赤鬼

2011年12月27日 (火)

【イベント】2011年度 第44回日本プロスポーツ大賞授賞式/大賞はもちろん…なでしこジャパン

2011年度 第44回内閣総理大臣杯 日本プロスポーツ大賞が決定、
12月20日、グランドプリンスホテル新高輪において受賞式が開催されました。
一応、プレスとして出席してきました。

栄えある大賞に輝いたのは・・・・、
今年は言うまでもなく、このチームでした。


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<大賞> なでしこジャパン(サッカー)
代表して丸山桂里奈選手が出席

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<殊勲賞>白鵬翔(大相撲)

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今年は特に色々あった分野です。


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<殊勲賞(NHK賞)> 福岡ソフトバンクホークス(プロ野球)
代表して内川聖一選手が出席



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<最高新人賞> 澤村拓一(プロ野球)



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<新人賞> 加治屋貴士/清水舞(競技ダンス)


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<新人賞>松川高大(JKA競輪)


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功労賞受賞者



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新人賞受賞者


受賞者一覧
<大賞>
なでしこジャパン(サッカー)

<殊勲賞(NHK賞)>
福岡ソフトバンクホークス(プロ野球)

<殊勲賞>
柏レイソル(Jリーグ)
白鵬 翔(大相撲)

<最高新人賞>
澤村 拓一(プロ野球)

<功労賞>
白鵬 翔(大相撲)
内川 聖一(プロ野球)
澤田 豊(男子プロゴルフ)
樋口 久子(女子プロゴルフ)
池田 正利(Jリーグ)
内藤 大助(プロボクシング)
中島 強(プロボウリング)
アンドレ・ロッテラー(フォーミュラ・ニッポン)
鈴木 芳光/鈴木 アキ子(競技ダンス)
福永 祐一(中央競馬)
山中 利夫(地方競馬)
村上 義弘(JKA競輪)
髙橋 貢(JKAオートレース)
瓜生 正義(ボートレース)
石井 宏樹(キックボクシング) 

<新人賞>
栃乃若 導大(大相撲)
澤村 拓一(プロ野球)
稲森 佑貴(男子プロゴルフ)
酒井 美紀(女子プロゴルフ)
酒井 宏樹(Jリーグ)
山中 慎介(プロボクシング)
岸田 有加(プロボウリング)
中嶋 一貴(フォーミュラ・ニッポン)
加治屋 貴士/清水 舞(競技ダンス)
川須 栄彦(中央競馬)
島津 新(地方競馬)
松川 高大(JKA競輪)
青山 周平(JKAオートレース)
山田 康二(ボートレース)
江幡 塁(キックボクシング) 

<功労者文部科学大臣顕彰>
杉原 輝雄(プロゴルファー)
池江 泰郎(元日本中央競馬会調教師)

公式サイト
http://www.jpsa.jp/award_about.html

2011年12月25日 (日)

【美術展】『ぬぐ絵画―日本のヌード 1880-1945』東京国立近代美術館/明治-終戦までの裸体美術史

東京竹橋の東京国立近代美術館で1月15日まで、
『ぬぐ絵画―日本のヌード 1880-1945』が開催中です。
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ぬぐ絵画―日本のヌード 1880-1945
2011年11月15日(火)-2012年1月15日(日)
東京国立近代美術館 企画展ギャラリー

http://www.momat.go.jp/Honkan/Undressing_Paintings/index.html

タイトル通りですが、ヌード、裸体画及び裸体像をテーマに、
1880年から終戦の1945年までの日本の美術を集めた企画展です。


ヌードは風景や静物とともに西洋絵画で取り上げられることが多い主題です。
当然ながら日本には明治期にヨーロッパから入ってきたものでした。
その後長く「はだかの絵画は芸術か? わいせつか?」という論争が続けられてきました。

もちろん、本家のヨーロッパでも裸体画については長い歴史の中で多くの論争がありました。
例えば現在、国立西洋美術館ではゴヤの『着衣のマハ』が来日中ですが、
http://oldfashioned.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/post-db99.html
ゴヤはそれと対になる『裸のマハ』を描いた事で、異端審問に掛けられました。

近代絵画の祖ともされるマネも、裸体画では物議を醸し、大変な非難も受けました。
マネのヌード画が問題になったのは1860年代ですから、明治の始まり(1868年)と同時期です。
それが突然日本に入ってきたのだから、文化摩擦を起きるのも当然です。
本展では、そんな論争の最中に描かれた名作、約100点が紹介されています。


展覧会の構成は以下の通りです。

①はだかを作る
「芸術としてのはだか」を作り出すため、日本人離れしたプロポーションにしてみたり、
腰巻で下半身だけ隠すなど、明治の画家たちの四苦八苦を紹介しています。
出品作家:黒田清輝、和田英作など。

②はだかを壊す
1920年代から、前衛美術の動きを受け、はだかを使った造形実験が行われます。
まるでロボットのようだったり、できるはずのないおかしなポーズをしていたり、
そのようなちょっと変わったはだかがご紹介されています。
出品作家:萬鉄五郎、熊谷守一、古賀春江など。

③もう一度、はだかを作る
昭和に入ると、壊れてしまったはだかをもう一度組み立て直そうとする動きが現れます。
「アトリエに、いかにも日本人らしいプロポーションの雇われモデルが寝そべっている。
そばには脱いだどてらが・・・」などと、生々しいはだかが登場するのもこのころです。
出品作家:安井曽太郎、小出楢重、梅原龍三郎など。


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黒田清輝『智・感・情』(1899年)
ちょっとややこしいですが、右が「智」、中央が「感」、左が「情」です。
近年、現代美術家の村上隆さんが「模写」したことでも話題になった作品。
謎めいたタイトルの意味は、はっきりわかっていません。
明治期の女性にはあり得ないスーパーモデル体型で、マジメな顔をしてポーズを取っています。

実はこの作品「はだかが芸術」であることを、一生懸命強調しているのです。
思わせぶりなタイトルも、現実離れしたスタイルも、そして女性器周辺がつるっとしているのも、
「これは芸術です。いやらしいことを考えるないように」
というメッセージを伝えるための工夫である、という解釈です。


東京国立近代美術館
明治から現代まで、日本の近現代美術作品を所蔵する美術館。
常設展もお見逃しなく。
http://www.momat.go.jp/Honkan/honkan.html

2011年12月24日 (土)

【美術展】『フェルメールからのラブレター展』Bunkamuraザ・ミュージアム/17世紀オランダの日常光景

東京渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムで3月21日まで、
『フェルメールからのラブレター展』が開催中です。
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フェルメールからのラブレター展
コミュニケーション:17世紀オランダ絵画から読み解く人々のメッセージ
2011月12日23日(金)-2012月3月14日(水)
Bunkamuraザ・ミュージアム

http://vermeer-message.com/

改装なった渋谷文化村、開催初日に行ってきました。
初日から押し掛けるほどのフェルメール好きでもないのですが、
ここは金・土は21時まで開いているので、行き易かったのです。
閉館間際だったので空いていました。

フェルメール展といっても、もちろんフェルメール作品だけではありません。
同時代のオランダの画家達の作品も併せた展覧会です。
既に本年6月から京都市美術館、宮城県美術館と巡回しており、
本展が最後となります。


ヨハネス・フェルメール
(Johannes Vermeer 1632年-1675年)

17世紀、いわゆるバロック絵画の時代のオランダの画家です。

思えば今春、改装休業に入る前のここBunkamura ザ・ミュージアムでは、
『シュテーデル美術館所蔵フェルメール「地理学者」とオランダ・フランドル絵画展』
が開催されました。

また、2012年には東京でもいくつかの大きな展覧会が予定されていますが、
現在改装中の東京都美術館のリニューアル後最初の特別展
『マウリッツハイス美術館展 オランダ・フランドル絵画の至宝』
(2012年6月30日(土)~9月17日(月))の看板作品として、
フェルメール『真珠の耳飾りの少女』の出品が発表されています。

更に、同じ来年6月開幕の国立西洋美術館『ベルリン国立美術館展』も、
フェルメールの『真珠の首飾りの少女』が大看板になるようです。
こちらは「耳飾り」ではなく、「首飾り」です。

もちろん、世界的に人気の高い画家ですが、それにしても日本人はフェルメールが好きですね。

先日も知人と私との会話で
「へー、絵を観るのが趣味なの? 好きな画家は誰?」
「うーん、一人に絞るのも難しいけど、ラファエロとかカラバッジョなんか好きだな。」
「全然わかんない。フェルメールとかは?」
「え、うん。まぁ好きだよ。」
ラファエロやカラバッジョはまったく知らない人でも、フェルメールは知っているのですね。
フェルメールの名を冠した展覧会の多さを思えば、納得もできます。


17世紀を生きたフェルメール、43年ほどの人生で残された絵画作品は30数点ほど、
レオナルド・ダ・ヴィンチほどではないですが少なく、これも人気の理由かも知れません。
画家として、生前にそれなりの評価を受けたいたようですが、不明点も多いです。

作品の多くは屋内での普通の人々、主に女性の生活を描いた室内風俗画です。
その静謐な雰囲気、美しい光の表現、フェルメールブルーなどと称される色使い、
卓越した画家として、美術史上のビッグネームになっています。

本展にはそのフェルメールの「手紙」が登場する三点が来日しています。
30数点の内の3点が集結、それもそれぞれ別の美術館、
母国オランダ、アイルランド、アメリカの国立美術館からの出展ですから、
確かに貴重な機会です。


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『手紙を読む青衣の女』1663-64年頃
本展の看板作品。
修復作業により、鮮やかな青と明るい光が蘇りました。

恋人からの手紙を読む女性。
海運国オランダ、恋人は遥か外国か海上にいるのでしょうか。
恋人を思い心ここにあらず、女性の心情が表現されています。
これはやはり傑作ですね。

*追記
この作品は2月11日放送のテレビ東京系『美の巨人たち』で特集されました。こちらで紹介しています。

http://oldfashioned.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/211-b6ec.html


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『手紙を書く女』1665年頃
今度は手紙を「読む」ではなく「書く」女性です。
いわゆるカメラ目線、手を止めて一瞬こちらを見た瞬間を捉えた、
スナップ写真のような表現がユニークですね。


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『手紙を書く女と召使い』1670年頃
夢中でペンを走らせる女主人と外を眺めて手紙が書き上がるのを待つメイド。
厳かに待機しているとも言い難い、メイドの表情が自然でいいです。
静謐な情景のようですが、よく見ると手前の床には投げ捨てられたような手紙等があり、
この前に激しい感情の高まりがあったことを思わせます。

特に先に紹介した二作は、随分小さな絵なのだな、と少々驚かされます。

フェルメールはこの三点以外にも手紙の登場する作品を描いています。
当時のオランダはヨーロッパで最も識字率の高い国で、手紙のやりとりが盛んでした。
フェルメールら画家達は、手紙に籠められた人間の感情を絵画に表現したのでしょう。

2月29日追記
人気のフェルメール、東京のフェルメール・センター銀座では7月22日まで、
『フェルメール 光の王国展』が開催中です。
http://oldfashioned.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-cadd.html


他の作品

さて、今回はこの他にフェルメールと同時代のオランダの画家達の作品が出展されています。
その数はフェルメールを含めて40点ほど。
構成は以下4部に分かれています。

・人々のやりとり-しぐさ、視線、表情
・家族の絆、家族の空間
・手紙を通したコミュニケーション
・職業上の、あるいは学術的コミュニケーション

フェルメール作品と同様に室内風俗画が多く、
普通の人々の感情、人間関係の機微をテーマとした作品が中心です。
手紙を題材とした作品のコーナーもあります。

なかなか良い絵もありました。
私のお奨めはこの画家です。

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ヤン・ステーン(1625年-1679年)
『生徒にお仕置きをする教師』1663-65年頃

豊かな人物表現と独創的な構図、ユーモアのある風俗画で人気を博しました。
まさにそんな絵です。
オランダのお仕置きは手の平を叩くのですかね。
何かをもらっているようにも見えます。

ステーンは絵は他にも3点出品されていますが、
『老人が歌えば若者は笛を吹く』という作品も面白いです。
タイトルからは解り難いですが、要するに室内で大人も子どもも、
飲めや歌えの騒ぎをしている作品。ステーンお得意の題材です。

他にピーテル・デ・ホーホ、ヤン・デ・ブライなど。


Bunkamura ザ・ミュージアム
改装なった文化村、といってもミュージアムは地階なので、外観と特に変わっていないと思います。
中はだいぶ変わったようです。入って左側にあったロッカーの場所も違っていました。

今回はすべての絵にかなり詳細な説明が付けられおり、この点などは好評価です。
http://www.bunkamura.co.jp/museum/index.html


*文化村からすぐ近くの松濤美術館では『渋谷ユートピア1900-1945』を1月29日まで開催中。
こちらにも足を伸ばしてみてください。 *この催しは終了しました。
http://oldfashioned.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/1900-1945-55e3.html

2011年12月23日 (金)

【美術展】『トゥールーズ=ロートレック展』三菱一号館美術館/パリの歓楽街と故郷南仏の光景

東京丸の内の三菱一号館美術館で12月25日まで、
『トゥールーズ=ロートレック展』が開催中です。
会期も明後日、クリスマス連休の最終日までとなってしまいました。
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三菱一号館美術館コレクション<Ⅱ> トゥールーズ=ロートレック展
2011年10月13(木)-12月25日(日)
三菱一号館美術館

http://mimt.jp/lautrec2011/


三菱一号館美術館は2010年4月に開館した新しい美術館ですが、
当初からトゥールーズ・ロートレックの作品を所蔵していることが告知されていました。
しかし、本格的なロートレック展は今回が初めてとなります。

アンリ・ド・トゥールーズ・ロートレック
(Henri de Toulouse-Lautrec 1864年11月24日-1901年9月9日 36歳没)
ロートレックは南仏アルビの由緒ある貴族の家系で生まれます。
しかし13歳の時に左大腿骨を、翌年には右大腿骨を骨折、両脚の発育が止まってしまいます。

やがて画家を志してパリに出たロートレックは修行の末、モンマルトルにアトリエを構えます。
歓楽街であったモンマルトル界隈にはキャバレーやダンスホール、カフェ、劇場やが立ち並び、
夜ごと様々なショーが繰り広げられていました。
ロートレックはそこに集う人々や、ショーに出演する踊り子や歌手たちを、
簡潔な線描と大胆な構図、豊かな色彩で描き出しました。
また、華やかな文化の裏側で生きる娼婦達の姿を共感と愛情をもって描きました。

特に、リトグラフ(石版画)で制作されたポスターはロートレックの名を人々に知らしめまた。
挿絵や雑誌の表紙絵、版画集など出版文化の隆盛と相まって仕事の幅を広げたロートレックは
今で言うグラフィックデザイナーの先駆とも位置づけられるのです。

三菱一号館美術館所蔵のロートレックのポスター及びリトグラフは、ロートレック自身が
生前自分のアトリエにおき、そのまま伝えられた貴重なコレクションです。

本展では、三菱一号館美術館所蔵作品に加え、同館とアルビのトゥールーズ=ロートレック美術館との
姉妹館提携を記念し、ロートレック美術館よりの作品も展示し、故郷アルビの街とモンマルトルの
歓楽街での創作活動が対比的に紹介されています。

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ムーラン・ルージュ・ラ・グーリュ(1891年)

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ディヴァン・ジャポネ(1893年


三菱一号館美術館
中庭は周囲のショップ、飲食店に囲まれるような瀟洒な庭園になっています。

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美術館公式サイト
http://www.mimt.jp/

2011年12月22日 (木)

『BARレモン・ハート』 2011.12月テーマ酒/南アのデザートワイン「ヴァン・ド・コンスタンス」

バ―漫画、お酒がテーマの漫画の老舗『BARレモン・ハート』
漫画アクション12月発売号掲載最新作
「Vol.357  92歳おそるべし」テーマのお酒は、
南アフリカのデザートワイン「ヴァン・ド・コンスタンス」でした。


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前回がスパークリングワインの「ブラン・ド・ブルー」だったので、
珍しくワインが二回続きましたね。


南アフリカのワイン
近年、特に2010年にサッカーのワールドカップが南アフリカで開催されたこともあり、
この国のワインに接する機会も増えたように感じます。
しかしそれ以前は極めて馴染みの薄いものだったかと思います。

実は南アフリカのワインの歴史は17世紀半ばに遡ります。
しかし、一度衰退してしまったのです。


デザートワイン
主に食後に飲まれる甘口ワインです。
貴腐ワイン、アイスワインなどがよく知られます。
大変美味しいものなのですが、高価でグラスでの提供が難しい面もあり、
飲まれる機会が多くはありません。
結果、あまり知られてもいませんね。もったいないことです。
飲む人が多くなれば、グラスで扱う店も増えると思うのですが。


ヴァン・ド・コンスタンス
このデザートワインは南アフリカで1778年に作られはじめ、ヨーロッパで評判になります。
ナポレオンが愛飲し、ディケンズやボードレールも著書で言及したほど有名で、
ナポレオンは死ぬ前にもう一度飲みたい言ったそうです。
それほどの酒でしたが、南アフリカワインの衰退と共に、幻のワインとなってしまいました。

この幻の銘酒を現オーナーが1986年に、
ミュスカ・ド・フロンティニャンという葡萄品種を使い復活させました。
厳密には同じワインとはいえませんが、香り高く美味なデザートワインとのことです。

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今回のストーリー
今回のBARレモン・ハートのお客は獣医の牧田先生親子。
父親の大先生(おおせんせい)は92歳。病院は引退していますが元気一杯、
絶滅危惧動物を救う会を作り、秘境を飛び回っています。
息子としたら心配でしょうがない。
せめて携帯電話を持たせたいけど、断固拒否されています。
そこでマスターが大先生の説得を頼まれてしまいます。
さて、どうしますか。

2011年12月21日 (水)

【昭和プロレス】上田馬之助死去/史上最高の日本人ヒール(悪役)レスラー

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元プロレスラー上田馬之助さん(うえだ うまのすけ 本名上田裕司 1940年6月20日生まれ)が
本日、2011年12月21日に亡くなりました。71歳。思いがけない訃報でした。


上田馬之助は日本プロレス史上最高の悪役(ヒール)レスラーでした。

日本勢=善玉(ベビーフェイス)
外人勢=悪役(ヒール)
これが定番だった時代、日本人ヒールとして活躍したパイオニアです。

今回は追悼の意を込めて、上田馬之助さんのレスラー人生を、
まさに彼がヒールとして頂点にあった時代に、熱心なプロレスファンであった一人として、
本当に簡潔にではありますが、振り返って記述させてもらいます、


相撲からプロレスへ
上田さんは大相撲出身。1958年5月場所が初土俵です。
入門したのは追手風部屋ですが、間垣親方の独立に伴い間垣部屋に移籍します。
しかし、相撲では目が出ず廃業。最高位は序二段19枚目でした。
記録上の廃業は1961年1月場所限りですが、実際の出場は1960年9月場所まで。
1960年中に実質的に力道山率いる日本プロレスに入門していたようです。

この1960年、春にはジャイアント馬場とアントニオ猪木が日本プロレスに入門しています。
上田さんはたいたいこの二人の半年後輩ということになると思います。
馬場さんは1938年生まれ、猪木さんは1943年生まれなので、
年齢的には上田さんはこの二人の間くらいという関係です。

若手時代の上田さんは実力あるが地味、といった存在でした。
昭和の時代、プロレスラーは日本で前座として研鑚を積んだ後、海外武者修業に出るのが通例でした。
海外で、いわば“ハク”を付けて帰ってきて、トップレスラーの仲間入りをするのです。
上田さんも1966年に渡米し、ヒールとして活躍します。
ただし、日本人はアメリカマットではヒールのことが多いので、
これをもって上田さんが日本人悪役のパイオニアというわけではありません。

1970年に長いアメリカ遠征から帰国、そこそこに売り出されますが、
やはり馬場、猪木、坂口征二らに比べれば地味で、ブレイクできませんでした。

1971年暮れ、日本プロレスを激震が襲いました。
猪木さんがクーデターを企てたとして除名されてしまいます。
上田さんはこの時、猪木さんの計画を日プロ幹部(もしくは馬場さん)に注進したとされています。
真相は不明な部分もあります。詳しくはWikipediaでも参照してください。
ただ、皮肉にもここでの猪木さんとの因縁が、後にヒールとしてプラスに働いた面もあります。

明けて1972年、除名された猪木さんは新日本プロレスを設立、
次いで馬場さんも独立して全日本プロレスを設立します。
日本プロレスに残った上田さんは翌1973年3月、
大木金太郎さんと組んで権威あるインターナショナル・タッグ王座を獲得します。
しかし、馬場と猪木を失い、最後は坂口さんも離脱した日本プロレスは
まもなく活動停止に追い込まれました。

上田さんは他の日プロの残党同様に全日本プロレスに入団しますが、恵まれた待遇とはいえず、
ほどなく脱退して再びアメリカに渡り、ヒールとして南部中心に活躍します。


トップヒールの誕生
1976年、上田さんはアメリカから全日本の馬場、新日本の猪木、
そしてもうひとつの団体である国際プロレスのエース、ラッシャー木村への挑戦を表明します。
その中で唯一、木村さんが挑戦に応じたため、国際プロレスに参戦しました。

国際プロレスの社長である吉原功氏は上田さんの若手時代のコーチでもありました。
私はこの挑戦表明は吉原氏と上田さんによるアングルではなかったかと思っています。
ただ、この件についてはもう少し深読みしたような見方もあるようですが。

この時、上田さんは地味なイメージを払拭する意味もあったと思いますが、
前髪を金髪に染め、「まだら狼」として登場しました。
悪逆の限りを尽くすヒール、狂乱の一匹狼、上田馬之助の誕生です。
凶悪ファイトで木村さんからIWA世界ヘビー級王座を奪取します。


新日本へ/シンとの邂逅
一躍注目を集めた上田さんですが、すぐに矛先を国際プロレスから新日本プロレスに換えます。
この流れの真相はよくわからない面もあるのですが、
いずれにしろ、特に過去の因縁のない木村さんより、
日プロ末期の因縁のある猪木さん、坂口さんと絡んだ方が、
ヒールとしての上田さんの存在価値も増すのは間違いありません。

新日本の会場に乱入しての挑発行為の末、1977年1月から正式に参戦します。
この時、上田さんには大きな出会いがありました。
新日マットにおいて最凶のヒールとして君臨してきたタイガー・ジェット・シンです。

シンにとっても、ややマンネリ気味なってきた時期だったので良い出会いでした。
早速、坂口&ストロング小林組から北米タッグ王座を奪取、
永く日本マットを血で染め続ける凶悪コンビ、シン&上田の誕生です。
単独でも、1978年2月には因縁深い猪木さんと伝説の釘板デスマッチも闘いました。

上田さんは「まだら狼」と後々まで呼ばれていましたが、
前髪だけを染めた「まだら狼」の時代は実は短く、
新日本登場後まもなくから髪全体を金髪に染めた「金髪の狼」「金狼」となります。
金髪と竹刀をトレードマークに世間的な注目も集め、一般メディアにも登場するようになりました。

「家族が嫌がらせを受けた」「飲食店で入店拒否にあった」
当時の嫌われ方はよく語られる通りですが、
一方で悪に徹する一匹狼はピカレスクヒーロー的な人気も集めるようになりました。
また、ヒロ・マツダ、マサ斎藤らフリーの日本人レスラー達が集まった狼軍団も話題を呼びました。

一方、1979年には、かつて微妙な別れ方をした国際プロレスにも新日本と併行して出場、
国際プロレスへの恩返しは果たしたと言っていいかと思います。

当時の上田さんは外人レスラーと同じ扱いなので、毎シリーズ必ず参加するわけではありません。
かといって、外人レスラーのように、参加の場合に必ず告知させるとも限りませんでした。
私は、上田さんが登場するのかしないのか、いつもヤキモキしていたものです。

ただ、ヒール人気は高いのですが、新日本での戦績は少しずつ悪くなっていきます。
これはつまりそういうマッチメークをされたということですが、
かませ犬的な役回りも見られるようになりました。


全日本プロレスへ
1981年、新日本と全日本で外人レスラーの引き抜き戦争が勃発、
7月に相棒のシンが全日に電撃移籍します。
上田さんはその後に一度新日に参加したので、残留するのかと思いましたが、
秋には全日本に移籍、シンとのコンビを復活させました。

色々見方はあるようですが、私はこれは良かったと思っています。
停滞気味だった戦績も回復し、シンとはインターナショナル・タッグ王座も獲得します。
元々馬場さんとも因縁があり、シングルでも伝説的な激闘を繰り広げました。


再び新日本へ
その後、1980年代半ばには再び新日本プロレスに戻ります。
その頃になると時代も変わり、日本勢対外人勢という構図も既に崩れ、
団体内での日本勢同士の対決が主流にさえなりつつありました。
もはや、日本人ヒールというだけでは売りになり難くなっていました。

上田さん自身も40代半ば、厳しい年齢ではありました。
それでも、逆に猪木をフォローする形で、前田日明らと闘うなど、
元祖シューターとしての実力を示しました。
更に、シンとのコンビを復活する機会もあり、ヒール上田のバリューはまだ健在でした。


事故~その後
1996年3月、55歳になっていた上田さんはインディーのプロレス団体に参加、
移動中の東北自動車道で不慮の交通事故に遭遇してしまいます。
以来、半身不随の生活となりました。
それでもプロレスラーとして、トップヒールとして、そのポリシーを守ってこられました。

今年、2011年は日本テレビの24時間テレビにも出演、
今夏発売されたプロレスのDVD『悪逆無道!極悪ヒール烈伝 DVD-BOX』にも、
流智美氏によるインタビューが収録されるなど、健在ぶりをアピールしていたのですが…。


本当に波乱の人生を送った人でした。
プロレスラーとしては、まさにひとつの道を極め尽くした人だと思います。
金髪の一匹狼、史上最凶・最高の悪役、
昭和プロレスファンにとって、永遠不朽の存在です。

2011年12月20日 (火)

【昭和プロレス】昭和57年(1982年)のプロレス界2/これがすべてこの年に…!

前回のブログの続編です。

『ミック博士の昭和プロレスマガジン VOL25』が発刊されました。
第25号の特集は「昭和57年・馬場と猪木の全面戦争」です。
http://www.showapuroresu.com/magazine/magazine25.htm


昭和57年(1982年)、プロレス界は本当に色々ありました。
良い意味でも微妙な意味でも、印象深いことが多いです。
思いつくままに挙げてみます。

・初代タイガーマスク WWFジュニア王座戴冠
・ゴッチ×藤原 最後のジャーマンスープレックス
・藤波ヘビー級転向 飛龍七番勝負開始
・猪木×ボック元日決戦
・全日マットで初のAWA世界ヘビー戦 ニック×鶴田
・ハンセン全日参戦  馬場×ハンセン 東京体育館名勝負
・ホーガン アックス・ボンバー誕生
・アンドレ×カーン MSGシリーズ優勝戦
・大仁田 チャボからNWAインタージュニア獲得
・ハンセン&ブロディ 遂に日本で結成
・ブロディとスヌーカ仲間割れ スヌーカリンチ
・馬場 結婚公開
・タイガーマスク MSG初登場(対戦相手のダイナマイト・キッドも初登場)
・猪木×木村髪切りマッチ 木村逃亡
・長州 かませ犬発言(?) 造反
・猪木×国際軍団 1対3
・猪木&ホーガン組結成 MSGタッグ優勝

どうですか?
これがすべて同じ年に起こっているのです。


これ以外にも例えばこんなことがありました。

・鶴田がハーリー・レイスに敗れてUN王座転落
・鶴田のUN脱奪回後すぐ、馬場がレイスに敗れてPWF王座転落。
・藤波がMSGでWWFインターナショナル・ヘビー級王座獲得
・長州がメキシコでUWA世界ヘビー獲得

馬場と鶴田が保持する二大王座からの転落。
相手は同じあのハーリー・レイス。前年までNWA世界王者に君臨していた男です。
そして藤波がWWFが認定するヘビー級王座をMSGのマットで獲得。
また、長州が獲得したUWA王座は前年まで猪木が保持していたものです。

このような、それまでだったら大ニュースになるようなことが起きています。
でも、どうも印象は薄いですね。
権威あるビッグタイトルの獲得・転落といった、従来の価値観での大事が霞んでしまう、
そんな時代になってきていたのかも知れません。

2011年12月19日 (月)

【声優】サザエさんの加藤みどり氏 1970年以降寡作の不思議/よっちゃん、チビ丸、デコっ八、カンちゃん

日本を代表する長寿アニメといえば『サザエさん』 『ドラえもん』 『ルパン三世』
長く続けば、避けて通れないのが、声優さんの年齢問題です。
先日、『ルパン三世』の声優交代について このブログにも書きました。

『ドラえもん』も2005年に全面的な交代がありました。
となると次に気になるのは『サザエさん』です。


『サザエさん』は今まで細かい交代はありましたが、
1969年10月のスタート以来丸42年が経過した現在、
磯野家・フグ田家のレギュラー7人うち、4人が交代なしという、
驚異的な状況を守っています。
その4人、サザエ役の加藤みどりさん、波平役の永井一郎さん、
フネ役の麻生美代子さん、タラちゃん役の貴家堂子さんには、
今年の第10回東京アニメアワードでアニメ功労賞が贈られたそうです。
http://www.asahi.com/showbiz/nikkan/NIK201110100261.html

今日はその中でも主役サザエの声、加藤みどりさんのことです。

Katoumidori
加藤みどり(1939年11月15日- 72歳 )
加藤さんは最近も実写版『サザエさん』(観月ありさ主演)に、
顔出しで特別出演したりと元気そうで、当分は心配の必要はなさそうです。

この方のアニメ声優としてのキャリアは凄いです。
代表作を挙げてみましょう。

1966年(昭和41年)
『おそ松くん』- 松野おそ松
『魔法使いサリー』- 花村よし子(よっちゃん)

1967年
『花のピュンピュン丸』 - チビ丸
『夕やけ番長』- 赤城忠治(主役)

1969年
『もーれつア太郎』 - デコっ八
『ハクション大魔王』 - カンちゃん
『サザエさん』 - フグ田サザエ

いずれもアニメ史に残る人気作、そして伝説的なキャラクターばかりです。
男の子役の方が多いですね。よっちゃんも男の子っぽい女子だし。
よっちゃん、チビ丸、デコっ八、カンちゃん…、
どれも印象の強いキャラばかりです。

特に1969年は4月から『もーれつア太郎』が始まり、
10月から『ハクション大魔王』と『サザエさん』が同日スタートです。
1969年10月5日、フジテレビの日曜夕方6時、今の『ちびまる子ちゃん』の枠で、
『ハクション大魔王』が開始、6時半から『サザエさん』が始まったのです。
デコっ八、カンちゃん、サザエさんを同時に演じていたのですね。


ところが、1年後の1970年9月に『大魔王』が終了、
三ヶ月後の同年12月に『ア太郎』が終了すると、
それ以降、『サザエさん』以外のアニメ出演が途絶えてしまいます。
Wikipediaを見る限りその後40年、アニメ出演は皆無です。
アニメ以外の出演はいかつかあるようですが、それも僅かです。
Wikipediaを過信するのもよくないかも知れませんが、これはおそらく正しいのでしょう。

そのWikipediaによると、制作サイドから厚遇を条件に『サザエさん』への専念の要望があり、
それに応じたとのことです。
基本的にはそういうことなのでしょうけど、それにしても少し不思議な気もします。

1970年当時、加藤さんはまだ31歳、普通に考えてそこまで仕事を絞り切る年齢でもないでしよう。
それに、スタート当時は『サザエさん』自体、そんなに安定していたわけでもありません。
作風も今とはだいぶ違って、路線の修正も行われましたし、
スタートから4ヶ月ほどで、初代カツオ役の大山のぶ代さんが降板するなどしています。
この国民的長寿アニメにしても、初期は試行錯誤があったのです。

それに、サザエさんは主役といっても、他の磯野・フグ田家メンバーに比べて、
圧倒的に出番が多いというわけでもありませんね。
他のメンバー達は普通に『サザエさん』以外の作品にも出ていたのに、
おそらく一番の売れっ子だったろう加藤さんが他の役ををやらなくなったのは、
もったいなかったようにも感じます。

しかし、そうやって加藤さんがライフワークとして引っ張ってきたからこそ、
今日まで続く『サザエさん』があるのかも知れません。

加藤さんは今年、上述のアニメ功労賞の他に、文化庁長官表彰にも選ばれたそうです。
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2011/10/25/kiji/K20111025001888050.html
末永い活躍を期待します。

Old Fashioned Club  月野景史


追記 波平役の永井一郎さんが2014年1月27日に死去しました。
謹んで哀悼の意を表します。

http://oldfashioned.cocolog-nifty.com/blog/2014/01/45-da94.html

【昭和プロレスマガジン25号】昭和57年(1982年)のプロレス界/混沌と狂熱の時代

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『ミック博士の昭和プロレスマガジン VOL25』が発刊されました。
今回の特集は「昭和57年・馬場と猪木の全面戦争」です。
http://www.showapuroresu.com/magazine/magazine25.htm

この雑誌は昭和プロレスサイト『ミック博士の昭和プロレス研究室』の主宰者、
ミック博士の手によるものです。
http://www.showapuroresu.com/
私もサイト内の「昭和プロレス掲示板」には私も時々お邪魔して、
マーシャルホークというハンドルネームで楽しませていただいてます。

昭和プロレスマガジンは2002年に第1号を発行、今回で25号目となります。
昭和プロレス、クラシックプロレスファンには必携の書です。
自費出版の同人誌ですが、最近は大型書店での取り扱いも増えており、喜ばしい限りです。
在庫のあるものはバックナンバーの販売、またPDF版もあります。
以下のページご参照ください。
http://www.showapuroresu.com/magazine/index.htm


さて、今回のテーマである昭和57年(1982年)、
日本のプロレスはブームと呼ばれる盛り上がりを見せていました。
この時期に熱心にプロレスを観ていたという人も多いでしょう。

しかし、私は混沌とした時代でもあったように思えます。
今回、マガジン25号を読んで、改めてその思いを強くしました。

少し前、昭和55年、村松友視氏の著書『私、プロレスの味方です』がベストセラーになりました。
この本は全体に新日本プロレス寄りの論調でした。
翌昭和56年には初代タイガーマスクが登場、新日本プロレスを中心とした
「プロレスブーム」などと呼ばれ出しました。
一方で
老舗団体の国際プロレスは活動を停止、8年間に及んだ三団体時代は終幕します。
国際の主なレスラー達は新日本プロレスと全日本プロレスに分かれて活路を求めました。


その新日本と全日本の間ではこの昭和56年、外人レスラーの引き抜き戦争が勃発、
主要な外人レスラーの大移動が起こります。
両団体の争いはプロレスの二大専門誌『プロレス』と『ゴング』にまで波及、
混迷の中で迎えたのが昭和57年でした。

年が改まって引き抜き合戦自体は一応収束します。
新日本はタイガーマスク人気に加え、ラッシャー木村ら国際プロレス勢がヒールとして存在感を示し、
会場は連日満員、異様な盛り上がりを見せます。
全日本は新日本から移籍したスタン・ハンセンの効果が高く、こちらも順調。

なにより引き抜き競争の余波で、少し前までは考えられなかったくらい、
毎シリーズ質・量とも豪華な外人勢が来日するようになりました。

ファンにとっては良い事ののように思えますが、
必ずしもそうはならないのがプロレスの難しいところ、
大物レスラーばかり揃うとマッチメークのバランスが悪くなり、
レスラーの使い方が雑になる傾向があります。

特に新日本は国際勢の活躍(猪木ファンからの憎悪は大変なものでした)、
更に秋に起こる長州力の造反=藤波辰巳に対する「かませ犬」発言などあり、
日本勢同士の対決に注目が集まり、
永年の基本形であった日本勢対外人勢という構図が崩れつつありました。
これは良い面も悪い面あったかと思います。

更に、長く日本マット界の中心に君臨してきたアントニオ猪木が
この年は体調不良で欠場を繰り返しました。
猪木の欠場というのはそれまでもなかったわけではないのですが、
この年のように再三というのは初めてでしたし、
年齢も既に39歳、翌年にIWGPというビッグイベントを控えながらこの状態は、
『猪木は大丈夫なのか、もう限界ではないのか」と、
新日ファン、猪木ファンにとって不安で落ち着かない思いにさせるものでした。

一方のジャイアント馬場も、経営面の問題から社長を追われ、
日本テレビから来た社長の元で迎えた年でした。
そんなこともあって、リングではハッスルしたのかも知れませんが。

こんな状態でしたので、私には混沌、混迷という印象が強いです。
もちろん、どう感じたかは人それぞれでしょう。

さて、マガジン25号にはこの年の海外マットの状況も紹介されています。

興味深いのは、来たるべきビンス・マクマホンファミリーのWWF(現WWE)による
全米制圧に向けての萌芽が見えること、
それに対して、古くから日本プロレス界と繋がりの深かった
ロサンゼルスのプロモーションが閉鎖されたことです。

ロスマットの終幕はWWFの侵攻とは関係なく、
むしろ協力関係にありながら凋落を止められなかったものです。
ニューヨークとロス、東西海岸の大都市なのに、この差はなんなのだろう、
当時も思ったものです。


続編はこちら
【昭和プロレス】昭和57年(1982年)のプロレス界2/これがすべてこの年に…!

2011年12月18日 (日)

【美術展】『アルプスの画家 セガンティーニ ―光と山―』損保ジャパン美術館/雄峰の景色と人を描いた画家

東京新宿の損保ジャパン東郷青児美術館で12月27日まで、
『アルプスの画家 セガンティーニ ―光と山―』が開催中です。
会期も残り僅かとなりました。

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アルプスの画家 セガンティーニ ―光と山―
2011年11月23日(水)-12月27日(火)
損保ジャパン東郷青児美術館

http://www.sompo-japan.co.jp/museum/exevit/index.html

今朝放送のNHK『日曜美術館』は、
7月に放送されたこの画家をテーマとした回
「光を 色を!もっと高い山へ セガンティーニのアルプス」
の再放送でした。

本来、損保ジャパン美術館での開催は4月末から7月の予定でしたが、
震災の影響で遅れ込みました。
それもあって、この時期に再放送されたのでしょう。
NHKも主催者に名を連ねていますし。
http://www.nhk.or.jp/nichibi/weekly/2011/0731/index.html


ジョヴァンニ・セガンティーニ

(Giovanni Segantini 1858年1月15日 - 1899年9月28日)
イタリア出身。
アルプスの風景を描いた「アルプスの画家」として知られます。
初期にはフランスの画家ミレー譲りのスタイルで農民生活などを題材にしていましたが、
後にスイスのアルプスに魅せられ、澄んだ光より高い山地へ転居しながら、
雄大なアルプスを舞台にした作品に取り組みます。
この展覧会では、スイスのセガンティーニ美術館をはじめ国内外の所蔵作品より、
初期から晩年までの厳選した作品によって画家の全貌が紹介されています。


展示作をいくつか紹介しましょう。

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『アルプスの真昼』1891年
まさに本展のタイトルにある「アルプス 光と山」を象徴する作品。


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『虚栄』1897年
神話を題材とした優美な水浴画を、アルプスを舞台に表現した作品…、
に違いはないのですが、よく見ると水の中には巨大な蛇が。
セガンティーニは風景画だけではなく、象徴主義的な作品も描いています。


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『わがモデルたち』1888年
モデルとなった男女が自分達の描かれた絵に見入る、ユニークな視点の作品です。

1899年、セガンティーニは大作『アルプス三部作』の制作に取り掛かります。
第1作『生』を完成させ、第2作『自然』が完成に近づいた頃、
セガンティーニは突然病に襲われ急死、第3作『死』は未完のまま残されました。
今回は三部作は展示されていませんがパネルで紹介され、また習作が出展されています。



損保ジャパン東郷青児美術館
損保ジャパン本社ビル42階。西新宿の高層ビル街にそびえ立つ美術館として知られます。

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前身の安田火災が1987年にフィンセント・ファン・ゴッホ『ひまわり』を
約58億円で購入して話題になりました。

もちろん、『ひまわり』をはじめとして、
ポール・ゴーギャン『アリスカンの並木路、アルル』
ポール・セザンヌ『りんごとナプキン』
東郷青児、グランマ・モーゼス等の所蔵作品も鑑賞出来ます。

2011年12月17日 (土)

【美術展】『プラド美術館所蔵 ゴヤ~光と影~』 国立西洋美術館『着衣のマハ』/激動を生きた大画家とその時代

東京上野の国立西洋美術館において1月29日まで、
『プラド美術館所蔵 ゴヤ~光と影~』が開催中です。
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プラド美術館所蔵 ゴヤ~光と影~
2011年10月22日−2012年1月29日
国立西洋美術館

http://www.goya2011.com/


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フランシスコ・ホセ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス
(Francisco José de Goya y Lucientes, 1746年3月30日 - 1828年4月16日)

18世紀後半から19世紀初頭にかけて、長い画業を誇ったスペイン美術界の巨匠です。
日本での知名度も高い、ビッグネームですね。

今回はそのゴヤの母国スペインにある、ヨーロッパ絵画の宝庫として名高い
国立プラド美術館のコレクションから選ばれた油彩画、素描など72点を中心に、
国立西洋美術館などが所蔵する版画を加えた合計123点、
すべてゴヤの作品が展示されています。

その中でも最も注目の作品は…
いうまでもなく、40年ぶりの来日となったこの絵でしょう。

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『着衣のマハ』(1800年-1807年頃)

そして、今回は来ていませんが、対となる作品『裸のマハ』の存在でも知られる、
日本でも古くから有名な西洋絵画です。

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『裸のマハ』(1797年-1800年頃)


この2点の『マハ』ついては先日、
テレビ東京の『美の巨人たち』NHKの『日曜美術館』で相次いで取り上げられ、
このブログでも紹介しました。
【美術】ゴヤ『着衣のマハ』11/19『美の巨人たち』より/なぜ『裸』と『着衣』がある? モデルは誰?
【美術】ゴヤ『着衣のマハ』11/25『日曜美術館』より/画家が命を賭して描いた新時代の女性像

興味深かったのは、この絵の描かれた背景についての解釈が二つの番組でかなり違ったことです。

『美の巨人たち』では、
宮廷画家となったゴヤが、自身も含めた宮廷・上流社会の
爛熟、退廃も感じさせる恋愛関係の中で描いた絵のような印象を与えるものでした。

それに対して『日曜美術館』では、
宮廷画家としての絶頂時に、病気により突然聴覚を失ったゴヤが
華やかな貴族社会に背を向けるようして、下町に生きる粋な女性たち、
「マハ」と呼ばれた彼女たちを描くようになり、
その結晶といえるのがふたつの『マハ』である、といった解釈でした。

ゴヤにはその長い画業の中で、前述の病気のように色々なことがありました。
そして、スペインもまさに動乱の時代でした。

元々野心は強く、望み通りに宮廷画家に上り詰めたゴヤですが、
自らの病気に加え、ナポレオン軍の侵攻に始まる動乱に翻弄されていきます。
その中でゴヤは逞しく、晩年まで創作を続けました。

その激動の人生のどこにスポットを当てて切り取るかで、
絵画の解釈も変わってしまいます。
今回のふたつの番組はその典型例を提示してくれたといえるかも知れません。

ゴヤ尽くしのこの展覧会、
ゴヤとその時代を体感してみてください。


国立西洋美術館
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いわずと知れた日本における西洋美術の殿堂。
常設展もお忘れなく。
http://www.nmwa.go.jp/jp/index.html

2011年12月14日 (水)

【映画】T・バートン×J・デップ『ダーク・シャドウズ』/クリストファー・リーも出演

【先日、ティム・バートン監督とジョニー・デップとの8度目のタッグ作となる
「ダーク・シャドウズ(原題)」が、ワーナー・ブラザース配給で来年5月に
日本公開されることが決定したとのニュースが伝えられました。
http://news.nifty.com/cs/entame/moviedetail/hwch-20111207-20111207_0301/1.htm

『シザーハンズ』(1990年)から数えて8度目の顔合わせとは、よほど手が合うのでしょう。


今回の映画『ダーク・シャドウズ』は1966年から71年まで、
米ABCテレビで昼時間帯に放送されたカルト的人気を誇るゴシック・ソープ・オペラを
オールスターキャストで映画化した作品です。
主人公バーバナス・コリンズ役で初のヴァンパイアを演じているジョニー・デップは、
かねてよりTVシリーズ版の熱狂的ファンと公言していたそうです。

テレビ版『ダーク・シャドウズ』は日本ではまったく放映されませんでしたから、
クラシックホラーファンにとっても注目です。

しかし、そのクラシックホラーファンに取って一番気になるのは、
ティム・バートンが吸血鬼映画を撮るなら、
クリストファー・リーは出演するのか、ということです。

結論をいいましょう。
引用したニュースには名前がありませんでしたが、
出演しているようです。


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クリストファー・リー CBE
(Christopher Frank Carandini Lee CBE, 1922年5月27日 - )
イギリス出身、来年90歳を迎える今なお現役で活躍する名優。
そして、吸血鬼ドラキュラ役で知られる戦後の怪奇映画の大スターです。

以前、このブログでも紹介したピーター・カッシングとは、
22本の映画で共演した盟友でもあります。


そもそもティム・バートンはクラシカルな怪奇映画の大ファンです。
バートンにとっての最大のアイドルはヴィンセント・プライス。
プライスは戦後アメリカの怪奇俳優の第一人者で、
英国のカッシング、リーと合わせて戦後の三大怪奇スターなどと呼ばれます。

バートンの監督デビュー作はヴィンセント・プライスに憧れる少年を描いた、
ディズニーの短編アニメ『ヴィンセント』。
プライス本人が語り手を務めました。

そして、ジョニー・デップとも共演した『シザー・ハンズ』が、
プライスにとって実写映画での遺作となりました。


クリストファー・リーのバートン映画出演はプライスもカッシングも亡き後、
1999年の『スリーピー・ホロウ』においてでした。
この映画にはリーとカッシングの多くの名作ホラーを制作した、
ハマー・フィルム・プロダクションへのオマージュが籠められているといわれます。

クライマックスの疾走する馬車上でのアクションシーンは、
リーとカッシングがハマーの『ドラキュラ`72』で演じたのが元です。

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迫力満点! リーのドラキュラ

リーのバートン作品への登場は声の出演も含めて今回が5度目になると思います。
おそらく出演シーンは多くはないでしょう。
存在がレジェンドです、出てくれるだけで嬉しいです。
怪奇の王者よ、永遠なれ! といったところです。


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プライス(右上)、リー(左上)、カッシング(右下)、に加え、
先輩格のジョン・キャラダイン(左下)も加えた怪奇4大スター奇跡の共演。
『魔人館』(1982年)より

2011年12月12日 (月)

【美術】宮川香山『葡萄ノ蔓ニ蜂ノ巣花瓶』 12/10『美の巨人たち』より/あまりにリアルな動植物の陶芸

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12月10日放送のテレビ東京系『美の巨人たち』のテーマ作品は、
奇想の芸術シリーズ 宮川香山『葡萄ノ蔓ニ蜂ノ巣花瓶』でした。
http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/backnumber/111210/index.html
奇想の芸術シリーズ 宮川香山の陶芸「葡萄ノ蔓二蜂ノ巣花瓶」

今月の「美の巨人たち」は、4週連続で「奇想の芸術」シリーズが放送されています。
今回はその第2弾でした。


宮川香山(1842年-1916年)
陶芸家。明治時代の日本を代表する陶工で真葛焼の創始者です。
しかし、誰もがその名を知っているというほど有名ではないかも知れません。

香山は京都の東山・真葛ヶ原の代々陶工の家に生まれました。
19歳で家督を継いだ香山は、25歳の時幕府が朝廷へと献上する茶器を制作、名声を得ます
29歳の時、薩摩の御用商人から横浜で輸出用の陶磁器の制作を依頼された香山は、
京都を離れ、文明開化の町・横浜で、故郷の名を取った真葛焼を創業します。
.
当時の日本は外貨獲得の手段として様々な工芸品を輸出していました。
陶磁器もその重要なアイテムだったのです。
しかし、香山はあえて外国向けの陶器を作るのではなく、
“日本固有のもの”を保存したいとの一念で制作にあたります。
「高浮彫」という技法で作られる香山の焼物は「マクズウエア」と呼ばれ、
世界中で人気を博しました。

香山の大きな魅力のひとつは陶器とは思えないリアルで精緻な動物や植物の造詣にあります。
それはテレビの画面を通してみても驚愕するほどでした。
制作には長い日数がかかったといいます。
そして、どのようにしてあそこまでリアルに作られたのか、
よくわからないとのことです。

今週のテーマ作品『葡萄ノ蔓ニ蜂ノ巣花瓶』もそのひとつ

乳白色の花瓶にスズメが一羽描かれています。
その先にはアルな蜂が一匹。細い足、体の節々、パーツ一つ一つは数ミリという世界です。
さらにその先にはば、蜂の巣が葡萄の蔓にゆらりと下がっています。
色とりどりの葡萄の実に、瑞々しい葉の緑。
絵画のような緻密さと彫刻のような迫真を兼ね備えたこの花瓶は、
奇想の陶芸家・宮川香山の極致とも言うべき作品です。

と、番組サイトから要約しましたが、まさにその通りでした。
生物のリアルな描写を徹底いする為に、
香山は多くの種類の動物を自ら飼育していたそうです。
妥協せず、徹底的にこだわる人だったようです。


12月27日まで、神奈川県立歴史博物館では海外から里帰りした
香山の作品が展示されています。

特別陳列 鎌倉彫と眞葛焼
2011年11月1日(火)-12月27日(火)
神奈川県立歴史博物館

http://ch.kanagawa-museum.jp/tenji/sogo/tokuchin.html

2011年12月11日 (日)

【美術展】『渋谷ユートピア1900-1945』松濤美術館/日本のモンマルトル(?)渋谷に集いし洋画家達の宴

東京渋谷の松濤美術館において、
『渋谷ユートピア1900-1945』が1月29日まで開催中です。
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開館30周年記念特別展 渋谷ユートピア1900-1945
2011年12月5日-2012年1月29日
前期:12月6日-1月9日、後期:1月11日-29日
渋谷区立松濤美術館

http://www.shoto-museum.jp/05_exhibition/


この展覧会は渋谷近代のアーティスト・コロニー(芸術家村)を探索しようとする催しです

19世紀末から20世紀初頭にかけて、
フランスはパリのモンマルトルやモンパルナスという地域には、
綺羅星のごとく若い芸術家達が集まりました。
今となっては、美術史に輝く巨匠達です。


20世紀前半、明治末期から大正・昭和にかけて、
渋谷周辺にも日本の芸術達が集っていたのです。
東京が江戸情緒を払拭しつつ近代都市へと変貌していたこの時代、
渋谷もまたおおきく様変わりします。
そんな新時代の展開にともなって、多くの新進の芸術家たちは渋谷に集まってきたのですね。

この展覧会の主旨は、明治末から昭和戦前までの渋谷に住んだ美術家、
あるいは渋谷を描いた画家を取り上げ、
美術家たちの「ユートピア—美の発信地」であった、
かつての渋谷の姿を再発見しようとするものです。

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児島善三郎『赤松の丘』(1934年)

油彩画、日本画、彫刻、版画、詩稿、手紙、ポスター、デザイン画、装幀・挿絵、
家具、建築図面など、多彩な分野の作品約150点が展示それています。
そしてそれらはかなり細かい章に分けられています。

序章.逍遙する人—《落葉》と代々木の菱田春草
Ⅰ章.岡田三郎助と伊達跡画家村
Ⅱ章.永光舎山羊園と辻永
Ⅲ章.切通しの道と草土社—岸田劉生の風景
Ⅳ章.束の間のユートピア—村山槐多の終焉
Ⅴ章.竹久夢二のモダンとおんな
Ⅵ章.詩人画家富永太郎の筆とペン
Ⅶ章.フォービズムの風—独立美術協会の周辺
Ⅷ章. 郊外を刻む—版画家たちの代々木グループ
Ⅸ章. 同潤会アパートメントに住む―蔵田周忠と型而工房
Ⅹ章.安藤照とハチ公と塊人社—昭和前期の彫刻家たち
終章.都市の遊歩者—谷中安規と《街の本》


渋谷区立松濤美術館
渋谷の雑踏から離れた閑静な地に佇む瀟洒な美術館です。

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渋谷駅から15分と聞くと、ちょっと遠いように感じますが、
東急本店の前を通り過ぎてからはそれほど遠くはありません。
まもなくリニューアルオープンするBunkamura ザ・ミュージアムに行く時に、
こちらも覗いてみるというのもいいかも知れません。

今回の展覧会も入場料300円ですからね。CP高いです。

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しかし、『渋谷ユートピア1900-1945』というタイトルはどうなのでしょう。
イメージがしにくいようにも感じます。

小さい美術館だから仕方ないとはいえ、お客の入りも少し寂しく感じました。
展示品も所蔵品ではなく、関東中心ですが、各地の美術館から集めているのに。

いっそのこと、思いっ切りわかり易く、
「渋谷に集まった日本の洋画家たち-明治・大正・昭和-」
とでもすれば、西洋絵画ファンがすぐに反応するだろうにと思うのですが。


関連ブログ
同じ渋谷の文化村でも展覧会が開幕しました。
【美術展】『フェルメールからのラブレター展』Bunkamuraザ・ミュージアム/17世紀オランダの日常光景

2011年12月 8日 (木)

【プロ野球】中畑清横浜DeNA監督誕生/22年前、あの人が中畑監督待望論を掲げていた!?

横浜DeNAベイスターズの新監督に中畑清氏が就任する可能性が高くなったようです。
http://mainichi.jp/select/today/news/20111208k0000m050012000c.html
*12月9日追記  正式に中畑監督が決定しました。


選手として、コーチとしても巨人以外に在籍したことがない中畑氏が監督とは唐突な気もしますが、
実は22年前、横浜球団(当時は横浜大洋ホエールズ)の監督として、
中畑氏待望論を展開した人がいるのです。
22年の歳月を経て実現に向けて動き出すとは、先見の明があるものです。

今回はネット上にも手元にも資料は見当たりませんので、私の記憶だけで書かせていただきます。
記憶違いがありましたらご容赦ください。


その人物とは、横浜ファンとして知られる漫画家のやくみつる氏です。
当時は、はた山ハッチという名前も併用していました。

しかし、やくみつる氏といえばアンチ巨人的傾向が強い人のように思えます。
その人がなぜ巨人一筋の中畑氏を?
今日はその事情を説明します。


22年前の1989年当時、既にやくみつる氏はプロ野球のパロディ4コマ漫画の第一人者でした。
この分野は『がんばれ!! タブチくん!!』のいしいひさいち氏がオーソリティーでしたが、
この頃は野球漫画はもうあまり書いていなかったと思います。

また、当時はプロ野球を中心としたスポーツのパロディ漫画というジャンル自体に人気があり、
『まんがスポーツ』『パロ野球ニュース』というスポーツ4コマ専門の漫画誌も発行されていました。
やく氏はその両誌でエース的存在だったと思います。

おそらくその二誌のどちらかか、あるいは他誌かも知れませんが、
漫画内かコラムで横浜の時期監督に中畑氏の就任を希望するコメントを書いていたと記憶しています。


なぜ中畑氏に?
しかし、当時既にやく氏は横浜球団公式本である
『月刊ベイスターズ(当時は月刊ホエールズ)』に、連載を持つ横浜ファンとして知られる一方、
読売巨人軍に関してはアンチ的な傾向が強い人でした。
そのやく氏が、なぜジャイアンツ一筋の中畑氏の監督就任を希望したのでしょう。

1989年は中畑氏が現役を引退した年です。
この年巨人はセ・リーグを制覇、日本シリーズでも近鉄バファローズを制し、日本一となりました。
3連敗した後、近鉄の加藤投手の発言に対して奮い立ち、4連勝で逆転した伝説的なシリーズです。

この年、中畑氏はぺナントレースでは大きな活躍はありませんでしたが、
日本シリーズ最終第7戦で代打の起用されて本塁打を放ち、逆転日本一に貢献しました。
まさに記憶に残る大活躍を引退の花道にしたのです。


一方、1989年の横浜は・・・・。
低迷が続いていた横浜大洋ホエールズは1987年、
かつて広島カープを日本一に導いた古葉竹識監督を招聘するも成績は上向きませんでした。
特に就任3年目の1989年は借金33を抱えて最下位に沈み、古葉監督は退任となりました。
あの名将古葉氏でもダメだった・・、ファンの間にも閉塞感が広がっていました。

やく氏のコメントはこのような状況下で生まれたものだったと思います。
引退試合で日本一を決定付けるホームランを打つような、運と華を持った中畑氏こそ、
低迷する横浜の監督に望まれる・・・・、そんな主旨だったと思います。


今回、中畑氏が監督候補に挙がったことについて、やくみつる氏はどう思うのでしょう。
しかし、やく氏はDeNAが球団を買収したことに抗議して、ファンをやめる宣言をしています。
http://sankei.jp.msn.com/sports/news/111202/bbl11120200010000-n1.htm
携帯電話向けゲームの存在自体を僕は認めない(略)どれだけやっても何も得るところがない」(やく氏)
うーん、昔は「マンガなんかなんの役にも立たない、読むとバカになる。」と言われたものですが。

やく氏は2007年に『月刊ベイスターズ』からも降板しているようで(同誌もその後終刊)、
まともにはコメントしないかも知れませんね。


中畑氏は巨人でコーチ、またアテネ五輪で長嶋茂雄氏の代理で指揮を取ったこともありますが、
指導者としては未知数な面もあります。

監督就任自体まだ決定したわけではありません。
ただ、GMに就任した高田繁氏とは巨人の先輩後輩の間柄で、
高田氏から三塁手のポジションを継承したのが中畑氏ということになると思います。
さて、どうなりますか。

2011年12月 6日 (火)

【俳優】織田信長役といえば…高橋幸治。存在感抜群の名優の過去と現在

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「数々の俳優が演じてきた戦国時代の武将・織田信長ですが、
みんなが一番はまっていたと思う俳優とは一体誰なのでしょうか。」
という問いかけのアンケートが実施されたそうです。
http://news.goo.ne.jp/article/gooranking/entertainment/tv/gooranking-23854.html

第1位は今年のNHK大河ドラマ『江~姫たちの戦国』で織田信長を演じた豊川悦司さんとのこと。
(2位:反町隆史  3位:渡辺謙  4位:木村拓哉  5位:吉川晃司)
これはNTTドコモでのアンケートだそうなので、最近演じた人が中心になるのは仕方ないでしょう。

さて改めて、織田信長俳優といえば誰か・・・、
ある程度の年輩の方なら同意見も多いとは思いますが、
なんといっても、高橋幸治氏でしょう。


高橋幸治(1935年6月10日-)
この方はNHK大河ドラマで二度、織田信長を演じています。

1965年 『太閤記』
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大河ドラマ第三作目で戦国時代をテーマとした初めての作品。
信長の助命嘆願がNHKに殺到したという伝説の人気作です。
幸治氏は当時30歳、秀吉役は28歳の故緒形拳氏でした。
残念ながら、この時代の大河ドラマは映像がほとんど残っていないのですが、
かろうじて「本能寺の変」の回が現存します。


1978年 『黄金の日日』
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『太閤記』から13年後、幸治氏二度目の、そしてカラー映像での信長役。
このドラマの主役は堺の商人である呂宋助左衛門とその周辺の人物で、
信長や、豊臣秀吉、徳川家康ら権力者は脇役になるのですが、
幸治信長、緒形秀吉の再共演が久しぶりに実現しました。
こちらは全話映像が残っており、DVDもリリースされています。
43歳になっていた幸治氏の信長、抜群の存在感、本当に素晴らしかったです。

織田信長という人は人物象がつかみ難い面があると思います。
幸治氏の演じる信長も、何を考えているのか、常人には及びがつかないようなところがあります。
信長とはこんな人だったのではないか、そう感じさせる説得力があるのです。


高橋幸治氏は文学座の出身。
『太閤記』以前から映画やテレビドラマにも顔を出してはいましたが、
やはり『太閤記』が出世作となりました。

『太閤記』は大河ドラマの第三作目にあたります。
過去二作は歌舞伎界と映画界の大スターが主演に起用されたのですが、
本作では舞台出身の若手俳優だった緒形拳氏と幸治氏が抜擢され、人気を呼びました。
特に幸治信長の人気は凄まじく、前述のように視聴者からの助命嘆願がNHKに殺到、
「本能寺の変」の回を二ヶ月遅らせたという逸話が残っています。


『太閤記』以後
昭和40年代、高橋幸治氏は多くのテレビドラマで主演、準主演格として活躍しました。

『太閤記』の翌年1966年には同じNHKの連続テレビ小説『おはなはん』に、
主人公の夫、速水謙太郎中尉役で出演します。
精悍にして一本気の青年将校役は高い人気を得て、この時も物語半ばで死去する予定でしたが、
『太閤記』と同様に多くの助命嘆願が寄せられ、死去の時期が延びました。
大河ドラマと朝の連続テレビ小説、NHKのドラマ二本柱で同様の伝説を作ったのです。

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『おはなはん』の速水中尉


その大河ドラマでは、『太閤記』の後、1969年に『天と地と』で武田信玄、
1972年には『新・平家物語』で源頼朝を演じました。
そして前述のように、1978年の『黄金の日日』で再度、信長を演じたのです。

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『天と地と』(1969年)の武田信玄

民放では主演作に『宮本武蔵』(1970年)、『丹下左膳』(1974年)など。
また『子連れ狼』第1部(1973年)の仇役、柳生烈堂もよく知られます。
数は多くはないですが、映画にも出演しました。


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『子連れ狼』(1973年)の悪役、柳生烈堂
当時38歳。充分の貫禄でしたが、本当はもう少し年齢を経てから見たかった気もします。
シリーズは第三部まで続きますが、幸治氏は第一部のみで降板。
後の作品でも演じることはありませんでした。


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丹下左膳(1974年)


孤高の俳優
しかし、1970年代後半以降、高橋氏は寡作の人となります。
主に単発のスペシャルドラマや二時間ドラマに時折顔を見せ、存在感を示していましたが、
平成以降は1年に1回見らればいいくらいのペースになりました。

トーク番組への出演や雑誌等の登場も、若い頃はあったのかも知れませんが、
1980年代以降はほとんどなく、本人がこの状況をどう考えているかもよくわかりませんでした。
そういうところもまた、魅力のひとつだったのかも知れませんが。

時代劇・・・というよりも、歴史物で実在の人物を演じて印象深い人でした。
前述の信長、信玄、頼朝、武蔵らの他にも、
土方歳三、大谷刑部、近藤勇、大友宗麟、幸田露伴らが思い浮かびます。

特に1981年正月の特別ドラマ『関ヶ原』で演じた大谷刑部役は、
病の設定で、顔を頭巾で覆っての演技ながら、石田三成との義に殉ずる武将を圧倒的な存在感で好演し、
1980年代以降の代表作として語り継がれています。

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『関ヶ原』(1981年)の大谷刑部吉継


一方で、現代物では二時間ドラマなどで少し異常性のある人物、犯罪者を演じることもありました。


21世紀
2000年を迎え、主演舞台『怒涛』 は読売演劇賞の作品賞、演出賞、そして主演男優賞を受賞。
翌2001年にも向田邦子原作、久世光彦演出の舞台『冬の運動会』に主演しました。

テレビや映画への出演は少なくなっているとはいえ、
長丁場の舞台主演公演もこなすくらいならば、体力・気力とも充実しているでしょうし、
21世紀も更に活躍を、と思っていましたが、
この『冬の運動会』を最後に、あらゆる出演記録が途絶えています。


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舞台『冬の運動会』(2001年)
前列左から2人目が高橋幸治氏


その頃からネットが本格的に普及し、掲示板などで幸治氏が話題になることも増えました。
ファンサイトもでき、再登場を願う声が多かったのですが叶わず、
最後の出演から早や10年が経ってしまいました。
ネットで見る限り、消息すら不明です。


大河ドラマ疎遠の不思議
そして大変不可思議で、また残念なことなのですが、
大河ドラマへの出演も、1978年の『黄金の日日』の信長役が最後となっています。
主演はないとはいえ、大河ドラマの顔といってもいい程の実績があるのに、
『黄金の日日』の後、確実に現役であった2001年まで約23年間の間、
なぜ出演がなかったのか、本当に不思議です。

NHKとの間に何か確執でもあったのか、と勘繰りたくなってしまいますが、
大河以外のNHKドラマには『黄金の日日』の後も、1996年の『ヒロシマ 原爆投下までの4か月』まで、
何本も出演しているので、それも考え難いのです。

出演すれば、その役の数だけ、伝説が増えていたろうに・・・、
そう思うと、本当に残念でなりません。


幸治氏は1935年生まれなので、お元気なら今年76歳。
本当は信長をもう一度観たかったです。
『太閤記』の時が30歳、『黄金の日日』は43歳、その10年後くらいに演じていたらどうだったでしょう。

さすがに49歳で没した信長役を、今後希望するのは無理かも知れません。
それは仕方ないとしても、二度と何も演じる気持ちはないのでしょうか。
まだ76歳です、諦め切れません。
健康状態等、なんの情報もないのだから、諦められないと騒いでも詮無いのですが。

しかし、幸治氏より4歳年長で、やはり出演が途絶えていた高倉健氏も
新作映画への出演が公表されました。
高橋幸治氏の再登場も心待ちにしています。


Old Fashioned Club  月野景史

2011年12月 4日 (日)

【ワイン】ストーンヘッジ・メリタージュ・ナパヴァレー CP高し/ヴィノスやまざきにて

ワインも色々と飲んではいるのですが、
ワインバーやBarで勧められるものをのんで、
美味しい、よかったと満足してそのままにしてしまうのもので、
銘柄が知識として蓄積されていません。

こういう飲み方をしていると、
たまにワインを贈り物にしようと思った時に大変困ります。
普段から酒屋、ワインショップで購入され、飲んでいる方に敵うわけもありません。


先日、身内が持ち寄り制のワイン会に参加することになり、
2000~3000円くらいのワインのセレクトを頼まれたのですが、本当に困りました。
まったく思いつかないのです。
誰かに相談して試飲する時間もない…。


こういう時に頼れるのがワインショップの「ヴィノスやまざき」です。
http://www.v-yamazaki.co.jp/

ほぼワイン専門のショップで、静岡が本店ですが、
渋谷、有楽町、池袋など都心にも支店があります。

なぜ、ここが頼りになるかというと、バースペースがあり試飲が出来るのです。
もちろん、店にあるワイン全種飲めるわけではありません。
だいたいセレクトされた10種類強だと思います。
スパークリングワインが1~2種類くらい、後は白ワイン・赤ワイン半々。

しかし、バースペースで飲める時点で店としてのお薦めでしょうし、
それを実際にティスティングして選ぶことができるのはいいです。


今回は渋谷店にお邪魔して、本当に真剣に飲み比べました。
そもそも、その身内が参加するワイン会が゛どんな人が集まるのか情報が乏しく、
たまたまうまい具合にいいワインが試飲リストにあるのかもわからないし、
不安が大きかったですが。

そこで飲んだのがこの赤ワインです。


Stonehedge_meritage_napa_valley_200
ストーンヘッジ・メリタージュ・ナパヴァレー2007
(STONEHEDGE MERITAGE NAPA VALLEY 2007)



一見すると、「ストーンヘンジ」と勘違いしそうな名前です。
「ストーンヘンジ」はイギリスにある有名な石の遺跡ですが、それとは違います。
「ヘンジ」ではなく、「ヘッジ」です。
「ストーンヘッジ」はアメリカ、カリフォルニアの著名な生産地、ナパヴァレーにある蔵元です。

メリタージュはボルドーの葡萄品種を使ったワインですが、
カリフォルニアワインには珍しく、ボルドーのように
カベルネ・ソーヴィニョン、メルロー、カベルネ・フラン、プティ・ヴェルドを
ブレンドしています。

このワイナリーのものはたぶん以前にも飲んだことはあると思いますが、
改めて上のような事情で選ぶには、これは良いワインです。
コストパフォーマンス高し、万人受けもするでしょう。
価格は3000円強。それでこの内容なら文句ありません。


これに決めて、発送の手続きをしてスタッフに訊くと、
この店(ヴィノスやまざき西武渋谷店)で昨年最も売れたワインだそうです。

それもまた・・・知ってる人も多いだろうし、もう少しレアな方がよかった…、
とも思いましたが、味に間違いはないことは確かだし、これにしました。
結果、評判も良かったようです。


ワイン選び困った時はカリフォルニアの「ストーンヘッジ」。
憶えておいて損はないです。

2011年12月 3日 (土)

【アニメ】『ルパン三世 血の刻印~永遠のMermaid~』不二子、五ェ門、銭形 声優陣交代第一作放映

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放送開始40年目の『ルパン三世』。
このブログでも紹介した、主要キャスト5人のうち3人の声優さんが交代しての新作、
『ルパン三世 血の刻印~永遠のMermaid~』が昨日、12月2日に放送されました。

交代したキャストは以下の通り。
峰不二子 増山江威子氏→沢城みゆき氏
石川五ェ門 井上真樹夫氏→浪川大輔氏
銭形警部 納谷悟朗氏→山寺宏一氏氏
(ルパン三世の栗田貫一氏、次元大介の小林清志氏は続投)


私見としては、新声優陣は概ね好演で違和感なかったように思います。
大変慎重に演技していた、また演出されていたように感じました。
長い歴史のあるものを変えようというのだから、当然でしょうが。

そもそも交代した3人があまり目立たない話でしたね。
ルパンと次元が中心、そしてゲストキャラの美沙、麻紀、氷室、影浦らの
キャラが際立ってましたから。

不二子の沢城さんなどは、他の役を知らないのであまり言えないのですが、
少し増山さんに似せようという意識が強すぎるかなという印象を持ちました。
今回は守りの姿勢になるのは仕方ないので、次回以降独自性も出してほしいですね。

Lupin3_kokuin_002

その中で、他のレギュラーが若返ったせいか、
次元の小林さんからややお年を感じてしまう面もありました。
そう思って見てしまうせいかも知れませんが。


さて、内容についてネットで上では賛否両論のようですが、
まぁ2時間、楽しく観ることができました。

冒頭の不二子が人質に取られ、ルパンが盗みを強要されるシーンは、
テレビファーストシリーズの「7番目の橋が落ちるとき」「罠にかかったルパン」
をいきなり想起させるものでした。

最初はあの藤堂の婆さんがメイン悪役のように見えたので、
「熊殺しのお昌」、随分下衆な感じだと思いましたが、そこは軽くいなされました。
藤堂の声は野沢雅子さんだったのですね。

全体的にはジブリ風のイメージも強かったように思います。
麻紀のキャラなど。

そしてオカルト色も強かったですね。
八百比丘尼の伝説を題材としていました。
八百比丘尼の財宝とというのはあまり聞きませんが、それは悪くないと思います。
そもそも隠された財宝というだけで、オカルト的になります。

ただ、ラスト近くで氷室が怪物化する場面は少しやり過ぎかとも思いました。
ああいう流れでもいいけど、表現が『ルパン三世』としては過激過ぎるかと。

ラストは映画『カリオストロの城』のイメージでしょうか。
過去のエッセンスをバランスよく取り入れ、正統性をアピールしたのでしょう。
キャスト・スタッフの変更がある時の姿勢としては間違っていないと思います。

一方で、「ルパン三世とはなにか?」を問うようなシーンもありました。
原点回帰・・・・?
原点から判り難かった課題かも知れませんが。


ともかく、無事継承が済んだ、というところです。
また次回に期待します。


キャスト
ルパン三世 - 栗田貫一
次元大介 - 小林清志
石川五エ門 - 浪川大輔
峰不二子 - 沢城みゆき
銭形警部 - 山寺宏一
美沙 - 清水理沙
麻紀 - 渋谷はるか
氷室 - 石田彰
影浦 - 斎藤志郎
藤堂昌江 - 野沢雅子

スタッフ
原作 - モンキー・パンチ(MPワークス、双葉社/ルパン三世officialマガジン刊)
企画 - 菅沼直樹
監督 - 滝口禎一
プロデューサー - 中谷敏夫、尾﨑穏通、岩佐直樹、竹内孝次
脚本 - 土屋理敬
音楽 - 大野雄二




関連My Blog
【アニメ】『ルパン三世』声優陣変更/不二子、五ェ門、銭形交代。ルパンと次元は続投
【アニメ】『ルパン三世』苦難の誕生ヒストリー基礎知識/アニメ化40周年

2011年12月 2日 (金)

【漫画】『BARレモン・ハート』 2011.11月掲載作のテーマ酒は「ブラン・ド・ブルー」

前回のブログでも書きましたように、
漫画『BARレモン・ハート』漫画アクション11月掲載最新作
「Vol.356  青の白?」のテーマのお酒は
カリフォルニアのスパークリングワイン「ブラン・ド・ブルー」でした。

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ブラン・ド・ブルー(Blanc de Bleu)
その名の通り青いスパークリング・ワイン。
BARレモン・ハートの常連、松ちゃんの知人女性の妹さんの結婚にあたり、
マスターがお祝いの酒としてを選びました。
松ちゃんに花をも持たせて、彼のセレクトということにして。


ブラン・ド・ブラン
「ブラン・ド・ブラン(Blanc de Blancs)」というフランス語の言葉があります。

本来は「白ブドウ」のみを使用して作った「白ワイン及び白のスパークリング・ワイン」を指します。
「白ブドウによる白いワイン」という意味です。

しかし、白ワインが白ブドウから作られるのは当たり前ではないかと思うでしょう。
細かい説明は省きますが、実際当たり前なので、白ワインについてはあまり使われません。
主に、シャルドネという白葡萄のみを原料とするシャンパンを指して使われます。

「ブラン・ド・ブルー」はこのブラン・ド・ブランをもじった付けられた名前でしょう。
アメリカのカリフォルニア製なのでシャンパンではありませんが、
シャンパンと同様スパークリング・ワインで、シャルドネ種が原料です。
青い色はブルーベリーのエキスで着色されているようです。

白葡萄で作られた青いスパークリング・ワイン。
でも、それなら「ブルー・ド・ブラン」のようにも思えますが。
スペルを見ると「Blue」ではなく「Bleu」。
「Bleu」はフランス語の「青」。ちょっとややこしいですね。


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今回のマスターのセレクト

マザー・グースに由来するサムシング・フォー (Something Four)
結婚式で花嫁が以下の4つのものを身につけると幸せになれるというもの。

・なにかひとつ古いもの (Something Old)
・なにかひとつ新しいもの (Something New)
・なにかひとつ借りたもの (Something Borrowed)

そして4つ目…
・なにかひとつ青いもの、サムシング・ブルー (Something Blue)
聖母マリアのシンボルカラーである青、つまり純潔をあらわします。

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参考作品  ラファエロ・サンティオ 『牧場の聖母』

そこで青いお酒を選んだのです。


では白は?
花嫁だから白?
もちろんそうでしょうが、それではすべての新婦さんに当てはまってしまいますね。
実は結婚する妹さんの名前が青木雪子さん、だから青と白なのでした。

【漫画】『BARレモン・ハート』超入門/バ―漫画の老舗 末永い継続を

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漫画『BARレモン・ハート』、11月掲載最新作のテーマのお酒は
カリフォルニアのスパークリングワイン「ブラン・ド・ブルー」でした。

バ―をテーマとしたマンガ…、
今なら『バーテンダー』(Bartender原作:城アラキ、作画:長友健篩)が
まず思い浮かぶかも知れませんが、
老舗はなんといっても『BARレモン・ハート』です。


『BARレモン・ハート』(バーレモンハート)
作:古谷三敏(ファミリー企画)

1985年、双葉社発行『週刊漫画アクション』にて連載開始。
1986年には単行本第1巻が発売されており、25年以上の歴史があります。
現在、『漫画アクション』は第1.第3火曜の月2回発行で、
『BARレモン・ハート』は第3火曜発行分のみ、月1回の掲載です。

実は、10月発行分では休載でした。
月1回の連載を休むとは、少し不安になりましたが、
11月は掲載されて安心しました。


古谷三敏(1936年8月11日- 75歳)
古谷氏は故赤塚不二夫氏の弟子にあたります。
1970年代に過激で残酷なギャグ漫画『ダメおやじ』で人気を博しましたが、
その後『ダメおやじ』も、古谷氏の他の作品も、
人生の機微や様々な蘊蓄(ウンチク)を盛り込んだスタイルに変化していきます。

『BARレモン・ハート』はバ―を舞台にお酒の蘊蓄と人間模様が描かれる漫画です。
「BARレモン・ハート」は舞台となるバ―の店名。
「レモンの心」とは随分ロマンチックな名前だと思うでしょうが、
レモンハート(Lemon Hart)はラム酒の銘柄です。
「heart」ではなく、「hart」なのですね。
古谷氏は東京練馬区の大泉学園駅近くに実際に「BARレモンハート」という店を経営しています。


さて、漫画『BARレモン・ハート』の主な登場人物はほぼ3人。

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BARレモン・ハートのマスター(画像中央)、
常連客の松ちゃん(=松田さん 同右 )と、メガネさん(同左)。

マスター
酒のことならなんでも知っている実力派のバーテンダー。
BARレモン・ハートを一人で切り盛りしています。

松ちゃん
そのマスターの店の常連のくせに、ウイスキーのウーロン茶割り専門の酒音痴。
独身のフリーライター(雑誌社等の依頼で取材・執筆をする職業)。ボケ担当。愛すべき性格。

メガネさん
酒にも詳しい、ハードボイルド系。職業不詳。

他に、松ちゃんの姪のチヨコさんなど、何人かのセミレギュラーがいます。
特に酒音痴の松ちゃんは本作が酒の蘊蓄漫画として成立するのに不可欠な存在です。
マスターが彼の為に酒の説明をするシチュエーションが定番なのです。


内容は、だいたいゲストキャラがバ―のお客として登場、
マスターがそのお客の要望や、抱えている問題に合わせて勧める酒をテーマとした、
一話完結スタイルです。
一話で一種のお酒(カクテル含む)が紹介されます。
Barなので洋酒がほとんどですが、和酒のこともあります。


最新作「Vol.356  青の白?」では、ゲストキャラはフリーで来たバーのお客ではなく、
松ちゃんの知人女性とその妹さんです。
この妹さんは近く結婚するので、マスターがお祝いの酒として「ブラン・ド・ブルー」をセレクトしました。


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ブラン・ド・ブルー(Blanc de Bleu)
その名の通り青いスパークリング・ワイン。
なかなか洒落ています。
↓このお酒についてはこちらに書きました。
http://oldfashioned.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/bar-201111-fd8e.html


『BARレモン・ハート』、末永く続けていただけることを祈っています。

2011年12月 1日 (木)

【植物】神代植物公園の世界最大の花 スマトラオオコンニャク 無事開花

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昨日のブログに書いた東京調布の神代植物公園の、
世界最大の花スマトラオオコンニャク(ショクダイオオコンニャク)
無事開花したようです。
*上の写真は同園公式サイトより。


昨日の深夜に開花、
今日の午後からは少しずつ閉じ始めたとのこと。
同時に臭いも落ち着いてきたそうです。

大きさに似合わず、まさに「花の命は短くて」というタイプの花ですが、
それでも数日間は同園の大温室で観賞できるようです。
http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/info045.html#top


※追記 2015年7月、再び神代植物公園で開花を迎えていますが、少々ややこしい事情があるようです。
http://oldfashioned.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/3-1486.html

Old Fashioned Club  月野景史

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