« 【美術展】『アルプスの画家 セガンティーニ ―光と山―』損保ジャパン美術館/雄峰の景色と人を描いた画家 | トップページ | 【声優】サザエさんの加藤みどり氏 1970年以降寡作の不思議/よっちゃん、チビ丸、デコっ八、カンちゃん »

2011年12月19日 (月)

【昭和プロレスマガジン25号】昭和57年(1982年)のプロレス界/混沌と狂熱の時代

Magazine_025

『ミック博士の昭和プロレスマガジン VOL25』が発刊されました。
今回の特集は「昭和57年・馬場と猪木の全面戦争」です。
http://www.showapuroresu.com/magazine/magazine25.htm

この雑誌は昭和プロレスサイト『ミック博士の昭和プロレス研究室』の主宰者、
ミック博士の手によるものです。
http://www.showapuroresu.com/
私もサイト内の「昭和プロレス掲示板」には私も時々お邪魔して、
マーシャルホークというハンドルネームで楽しませていただいてます。

昭和プロレスマガジンは2002年に第1号を発行、今回で25号目となります。
昭和プロレス、クラシックプロレスファンには必携の書です。
自費出版の同人誌ですが、最近は大型書店での取り扱いも増えており、喜ばしい限りです。
在庫のあるものはバックナンバーの販売、またPDF版もあります。
以下のページご参照ください。
http://www.showapuroresu.com/magazine/index.htm


さて、今回のテーマである昭和57年(1982年)、
日本のプロレスはブームと呼ばれる盛り上がりを見せていました。
この時期に熱心にプロレスを観ていたという人も多いでしょう。

しかし、私は混沌とした時代でもあったように思えます。
今回、マガジン25号を読んで、改めてその思いを強くしました。

少し前、昭和55年、村松友視氏の著書『私、プロレスの味方です』がベストセラーになりました。
この本は全体に新日本プロレス寄りの論調でした。
翌昭和56年には初代タイガーマスクが登場、新日本プロレスを中心とした
「プロレスブーム」などと呼ばれ出しました。
一方で
老舗団体の国際プロレスは活動を停止、8年間に及んだ三団体時代は終幕します。
国際の主なレスラー達は新日本プロレスと全日本プロレスに分かれて活路を求めました。


その新日本と全日本の間ではこの昭和56年、外人レスラーの引き抜き戦争が勃発、
主要な外人レスラーの大移動が起こります。
両団体の争いはプロレスの二大専門誌『プロレス』と『ゴング』にまで波及、
混迷の中で迎えたのが昭和57年でした。

年が改まって引き抜き合戦自体は一応収束します。
新日本はタイガーマスク人気に加え、ラッシャー木村ら国際プロレス勢がヒールとして存在感を示し、
会場は連日満員、異様な盛り上がりを見せます。
全日本は新日本から移籍したスタン・ハンセンの効果が高く、こちらも順調。

なにより引き抜き競争の余波で、少し前までは考えられなかったくらい、
毎シリーズ質・量とも豪華な外人勢が来日するようになりました。

ファンにとっては良い事ののように思えますが、
必ずしもそうはならないのがプロレスの難しいところ、
大物レスラーばかり揃うとマッチメークのバランスが悪くなり、
レスラーの使い方が雑になる傾向があります。

特に新日本は国際勢の活躍(猪木ファンからの憎悪は大変なものでした)、
更に秋に起こる長州力の造反=藤波辰巳に対する「かませ犬」発言などあり、
日本勢同士の対決に注目が集まり、
永年の基本形であった日本勢対外人勢という構図が崩れつつありました。
これは良い面も悪い面あったかと思います。

更に、長く日本マット界の中心に君臨してきたアントニオ猪木が
この年は体調不良で欠場を繰り返しました。
猪木の欠場というのはそれまでもなかったわけではないのですが、
この年のように再三というのは初めてでしたし、
年齢も既に39歳、翌年にIWGPというビッグイベントを控えながらこの状態は、
『猪木は大丈夫なのか、もう限界ではないのか」と、
新日ファン、猪木ファンにとって不安で落ち着かない思いにさせるものでした。

一方のジャイアント馬場も、経営面の問題から社長を追われ、
日本テレビから来た社長の元で迎えた年でした。
そんなこともあって、リングではハッスルしたのかも知れませんが。

こんな状態でしたので、私には混沌、混迷という印象が強いです。
もちろん、どう感じたかは人それぞれでしょう。

さて、マガジン25号にはこの年の海外マットの状況も紹介されています。

興味深いのは、来たるべきビンス・マクマホンファミリーのWWF(現WWE)による
全米制圧に向けての萌芽が見えること、
それに対して、古くから日本プロレス界と繋がりの深かった
ロサンゼルスのプロモーションが閉鎖されたことです。

ロスマットの終幕はWWFの侵攻とは関係なく、
むしろ協力関係にありながら凋落を止められなかったものです。
ニューヨークとロス、東西海岸の大都市なのに、この差はなんなのだろう、
当時も思ったものです。


続編はこちら
【昭和プロレス】昭和57年(1982年)のプロレス界2/これがすべてこの年に…!

« 【美術展】『アルプスの画家 セガンティーニ ―光と山―』損保ジャパン美術館/雄峰の景色と人を描いた画家 | トップページ | 【声優】サザエさんの加藤みどり氏 1970年以降寡作の不思議/よっちゃん、チビ丸、デコっ八、カンちゃん »

35.昭和プロレス」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

« 【美術展】『アルプスの画家 セガンティーニ ―光と山―』損保ジャパン美術館/雄峰の景色と人を描いた画家 | トップページ | 【声優】サザエさんの加藤みどり氏 1970年以降寡作の不思議/よっちゃん、チビ丸、デコっ八、カンちゃん »

フォト
2024年8月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想
無料ブログはココログ