« 2011年10月 | トップページ | 2011年12月 »

2011年11月

2011年11月30日 (水)

【植物】世界最大の花 スマトラオオコンニャクorラフレシア/世界一大きい花はどちら

「世界最大の花」「世界一大きい花」というと、これが思い浮かびますね。


Amorphophallus_wilhelma
スマトラオオコンニャク(学名Amorphophallus titanum)
(別名ショクダイオオコンニャク。形状が燭台に似ているからだそうです。)

インドネシア、スマトラ島の熱帯雨林に自生する花です。
昨年、2010年7月東京・文京区の小石川植物園で開花して話題を呼びました。
その大きさ、7年に一度2日間しか咲かないレアさ、
そして強烈な腐臭という際立った特徴があり、話のタネに事欠きません。

今年はまもなく、調布の神代植物公園で開花しそうとのことで、テレビでも取り上げられていました。
11月30日の時点で開花が始まっているようです。秒読み段階ですね。
http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/info045.html#top

ただ、先日のテレビ報道によると、神代のは花の臭いを発する部分が欠損しており、
悪臭はしない可能性もあるようです。
その方がいいようにも思えますが、
「悪臭」もひとつの看板なので、それはそれで少し寂しい気もしますね。

*12月1日、無事開花したようです。臭気もあるそうです
Ookonniyaku
*神代植物公園公式サイトより
※追記 2015年7月、再び神代植物公園で開花を迎えていますが、少々ややこしい事情があるようです。
http://oldfashioned.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/3-1486.html



◆もうひとつの「
世界一大きい花」

ところで、昔、世界不思議百科のような本によく「世界最大の花」が載っていたと思いますが、
このスマトラオオコンニャクではない別の花だったと思います。

そう、この花です。

Rafflesia_001
Rafflesia_002

ラフレシア(Rafflesia)


この花は東南アジア島嶼部とマレー半島に分布する全寄生植物です。
この花も強烈な悪臭を放つ事で知られており、その点でもスマトラオオコンニャクに似ていますが、
外観は全然違いますね。

ラフレシアにも種類が色々あるようですが、一般に日本で世界一として語られるのは
「ラフレシア・アーノルディ」という種です。

「ラフレシア」という名前はヨーロッパ人としてこの花を最初に発見したトーマス・ラッフルズ
に由来します。
シンガポールの建設者の一人で、同国の有名なラッフルズ・ホテルの名の由来にもなった人です。
ラッフルズ・ホテルといえばカクテルのシンガポールスリングでも知られていますが、
このカクテルとラフレシアにそんな繋がりがあったは。

ラフレシアは色彩も毒々しいですね。
最初、調査隊の中には人食い花ではないかと恐れた人もいるといいます。


どちらが世界最大?
ギネスブックに公認されている世界最大の花はスマトラオオコンニャクだそうです。
スマトラオオコンニャクは直径1.5メートルに達します。
ラフレシアは最大でも直径90cmですので、両者にはかなり差があります。

ただし、スマトラオオコンニャクの「花」は厳密には花序とそれを覆う仏炎苞の複合体で、
ひとつの独立した花として世界最大なのは、ラフレシアとみなされるそうです。
なんとなくですが、わかりますね。

スマトラオオコンニャクは2009年、イギリスのRoyal Horticultural Society(王立園芸協会)が
世界各地から厳選した10の「醜い」植物の中からインターネット投票で世界一に選ばれました。

見る角度にもよるのでしょうが、上に掲げた写真などは特に「醜い」とも思えませんね。
腐臭のイメージや知名度も合わせて選ばれたのでしょう。

ラフレシアは元々の候補に入っていなかったようですが、
こちらの方が毒々しい色彩で、怪奇なイメージがあります。

スマトラオオコンニャクが「花の王「なら、
ラフレシアは「花の魔王」といったところでしょうか。

Old Fashioned Club  月野景史

2011年11月29日 (火)

【美術】高村光太郎『乙女の像』11/26『美の巨人たち』より/十和田の大自然に立つ理想の智恵子像

Otomenozou

11月26日放送のテレビ東京系『美の巨人たち』のテーマ作品は、
高村光太郎の彫刻『乙女の像』でした。
http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/backnumber/111126/index.html
十和田湖畔、手を合わせて向かい合う二人の乙女の裸像です。

高村光太郎(1883年(明治16年)3月13日-1956年(昭和31年)4月2日)
戦前の彫刻・芸術界の風雲児。
そして、精神を病んで亡くなった最愛の妻、智恵子への愛を綴った
詩集『智恵子抄』の作者として、詩人としても高名です。

今回は光太郎と智恵子の一代記、大河ドラマといった趣きの番組でした。
以下、番組の内容に沿って振り返ります。

光太郎は明治彫刻界の大御所・高村光雲の息子として生まれます。
父が教授をしていた東京美術学校彫刻科を卒業するとニューヨーク、ロンドン、パリへと留学。
新しい彫刻の旗手ロダンにも出会います。
帰国後、新しい芸術を日本に紹介しようと試みましたが、受け入れられず挫折も経験します。

失意の日々に出会ったのが、女流画家であった長沼智恵子でした。
智恵子は光太郎の最大の理解者に、そして永遠の伴侶となりました。
光太郎の芸術にも磨きがかかりました。

けれども、夫の才能を前に智恵子の創作活動は行き詰まり、更に実家が破産。
智恵子は体調を、そして精神のバランスを崩していきます。
発病7年目の1938年、智恵子は亡くなりました。

『智恵子抄』の発表は1941年。
精神を病んだ智恵子が檸檬を齧って一瞬正気に戻る描写が印象的な『レモン哀歌』など、
戦時下ながら人々に大いなる感動を与えました。

しかし戦局は悪化。
1945年、東京大空襲でアトリエも作品も智恵子との思い出の品も失った光太郎は、
岩手花巻の宮澤賢治の遺族の元に身を寄せます。
光太郎は賢治の生前、詩集や童話集の発表に尽力した縁があったのです。

やがて終戦、しかし光太郎は東京に戻らず、更に辺鄙な岩手の山村に移り住みます。
それから7年間、光太郎は彫刻刀を握らず、静かに亡き智恵子と向き合って過ごします。
その生活は穏やかで、独立独歩を楽しんでいるように見えたともいいます。
しかし、最後に智恵子の姿を彫刻として残したいとの強まっていきました。

1950年、十和田の国立公園指定15周年を記念してモニュメントが制作されることになり、
光太郎に白羽の矢が立てられました。
光太郎は十和田の自然の中をじっくりと歩きます。
裸像の制作許可を得た光太郎は「智恵子をつくります」と宣言したのです。

『乙女の像』は1953年に完成、十和田の圧倒的な大自然を背景に今も健在です。
しかしその乙女の姿は病弱で華奢だった智恵子のとは違い、豊満で逞しく思えます。
それは、光太郎の理想の智恵子像だったのかも知れません。

なぜ乙女は二人なのか?
番組ではなぜ二体の像が向き合っているのかについても言及しました。

ひとつは、智恵子の「芸術と狂気」を表しているとの見方。
これは少しわかり難いように感じました。

もうひとつは二体であることにより、大自然と調和・呼応しているとの見方。
こちらの方がわかり易いかもしれません。

二体の像の間から美しい湖が、
そして「東京には空が無い」と言った智恵子に見せるかのように青い空が広がっています。

2011年11月28日 (月)

【昭和プロレス】ウィレム・ルスカ氏の死亡情報は“誤報”のようです

追記:この記事は2011年11月に書かれたものです。
ウィレム・ルスカ氏は2015年2月14日に死去しました。


オランダの柔道家で1972年ミュンヘンオリンピック柔道男子無差別級、重量級金メダリスト、
そして日本でアントニオ猪木氏と異種格闘技戦を闘ったことでも知られる
ウィレム・ルスカ氏(Willem Ruska、1940年8月29日生まれ、ウィリエム、ウィリアムとも、)が
数年前に亡くなっていたという情報が流れ、プロレスファンを驚かせました。

結論を先に書くと、どうやらこの件は誤報だったようです。

先日このブログでも紹介した、ローランド・ボックのインタビュー記事の執筆者である
那嵯涼介氏のツイッターによると、同氏の知人がオランダの柔道関係者に連絡を取り、
誤報であることを確認したとのことです。


以下、ネットから得られる情報でこの件の顛末を記します。

この件の情報元は11月25日に渋谷区文化総合センターで開催された
「格闘サミット2011『UWFと天龍革命』」というイベントのようです。
天龍源一郎、前田日明、藤原喜明という昭和プロレスのビッグネームに加え、
田中ケロ、和田京平、ドクター林の各氏、
更に、ゲストMCとして流智美氏(プロレス評論家)も出演したようです。

このイベント中に前田氏がクリス・ドールマン氏からの伝聞として、
ルスカ氏について発言したようです。その内容は、
「ルスカは何年か前に亡くなっており、そのことを2~3年前にドールマンから聞いた。
弱った姿を誰にも見せたくなかったらしくて、ドールマンにも看取らせなかった」

ドールマン氏はルスカ氏と同じオランダの著名な格闘家で、
1976年に行われたアントニオ猪木氏とルスカ氏の「格闘技世界一決定戦」でセコンドを務めた
ルスカ氏とは懇意の人物です。

ルスカ氏が亡くなっていたとは、出演者を含む今回のイベント会場に集まっていた人々にとっても
寝耳に水だったと思いますが、ドールマン氏からの伝聞となると、反論も出来なかったのでしょう。
そして、イベント参加者によって“訃報”が広がってしまったようです。


ルスカ氏は猪木氏との対戦の後、プロレスも行いましたが、大成はしませんでした。
しかし、初戦から16年が経過した1992年にも猪木氏と再戦を行い、健在を示しました。

プロレスの水には合わなかったようですが、
猪木氏との試合は名勝負として語り継がれていますし、
プロレス関係者の証言から、今も最強伝説に彩られた人物です。


その後、ルスカ氏は2001年に脳梗塞で倒れたことが伝えられています。
それが今回の件に繋がった面もあるでしょう。

しかし、ルスカ氏は今から2年前の2009年8月、母国オランダのロッテルダムで開催された
柔道世界選手権大会に、車椅子に乗ってですが元気な姿を見せているようです。

そうなると数年前に死去というのは時間的に合いません。
仮に時間の情報には誤差があり、もっと最近のことであったとしても
常識的に考えて、元五輪金メダリストで、僅か2年前に世界選手権という公の場に
現れた人物がその後に死去したとして、何も報道されないとは考え難いようにも思えます。

2009世界選手権時の画像を紹介しておきます。
以前と変わらない精悍な姿のように思えます。
http://www.judoinside.com/lib/bin/photos/view.jpg?id=4874


それにしても、誤報だとすれば前田氏(あるいはドールマン氏ということになるのですが)は
何を勘違いしたのでしょう。
同じオランダの東京五輪柔道金メダリストで、やはりプロレスも行った
アントン・ヘーシンク氏は2010年に亡くなっています。
しかし、このことは世界的に報道されていますから、
まさか混同するとは思い難いです。


人の生死に関わることですから、慎重にしていただきたいですね。
まして、ルスカ氏は柔道の分野でも歴史的な存在なのだから、
「プロレス関係者がとんでもないデマ流して」などと言われてしまいますから。

2011年11月27日 (日)

【美術】ゴヤ『着衣のマハ』11/25『日曜美術館』より/画家が命を賭して描いた新時代の女性像

今日、11月27日放送のNHK『日曜美術館』のサブタイトルは
「永遠のマハ ~ゴヤが見つめた女性たち~」

テーマはもちろん、現在、上野の国立西洋美術館で開催されている、
「プラド美術館所蔵 ゴヤ 光と影」 (2011年10月22日-2012年1月29日)
に来日、展示中のフランシスコ・デ・ゴヤ 『着衣のマハ』(1805年頃)と、
先行して描かれた対となる裸体画『裸のマハ』でした。
http://www.nhk.or.jp/nichibi/weekly/2011/1127/index.html

この展覧会についてのMy Blogはこちら
http://oldfashioned.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/post-db99.html


Goya_002
Goya_001

11月19日に放送されたテレビ東京系『美の巨人たち』のテーマ作品「今週の一枚」も
『着衣のマハ』でした。
http://oldfashioned.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/1119-8a37.html

来日中の名画ですので、相次いでレギュラー放送の美術番組で取り上げられたのですね。
しかし、番組としてのアプローチ、そして視聴して受ける印象はだいぶ違うものでした。


フランシスコ・ホセ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス
(Francisco José de Goya y Lucientes, 1746年3月30日 - 1828年4月16日)

『美の巨人たち』ではふたつの『マハ』はゴヤ自身も含めた宮廷・上流社会の
爛熟、退廃も感じさせる恋愛関係の中で生まれた絵のような印象を与えるものでした。

それに対して今回の『日曜美術館』は…、


宮廷画家に上り詰め、得意の絶頂にあったゴヤですが、
46歳の時、病気により突然聴覚を失ってしまいます。
その頃からゴヤは「マハ」と呼ばれる、下町に生きる粋な女性たち見つめ始めます。

前回も書きましたが、「マハ」とは人名ではないのです。
ゴヤは、街を歩き、社会の底辺で生き生きと暮らすマハたちを素描に描きます。
その数、数百枚。それらはやがて「着衣のマハ」と「裸のマハ」に結晶していく…。

やがてスペインはフランス、ナポレオン軍の侵攻により戦乱の時代を迎えます。
番組ではゴヤの『マハ』のポーズをこの絵と比較しました。


Tiziano_011
『ヴィーナスとオルガン弾き』(1550年) ティツィアーノ・ヴェチェッリオ

同じ横たわる姿勢ながら、この絵と違って『マハ』が筋肉を強く使っており、
全体に緊張感に溢れていることを指摘します。
『着衣のマハ』の靴先が短剣をイメージしているとの指摘もありました。

ふたつの『マハ』の制作はフランス軍の侵攻よりも先と見られているので、
戦争との関係は微妙ではあるのですが。
スペインの絶対王政が崩壊していく時期、その時代を強く生きた、
新しい世紀の象徴、それが「マハ」との見方が提示されています。


前回も書きましたが、ゴヤは後に『マハ』を描いたことで異端審問に掛けられます。
もし『着衣のマハ』がなければ、『裸のマハ』はヴィーナスを描いた神話画だと
主張できたでしょう。
その意味で、『着衣のマハ』はゴヤが命を賭して描いた作品だとの見方も提起されました。

今回の『日曜美術館』も、『美の巨人たち』もそうですが、
様々な見方を提起していますが、番組としての結論は出していません。
簡単に出せるものではないので、当然なのですが。

2011年11月26日 (土)

【美術】ゴヤ『着衣のマハ』11/19『美の巨人たち』より/なぜ『裸』と『着衣』がある? モデルは誰?

11月19日放送のテレビ東京系『美の巨人たち』のテーマは「今週の一枚」
フランシスコ・デ・ゴヤ 『着衣のマハ』(1805年頃)でした。
http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/backnumber/111119/index.html

Goya_002
現在、上野の国立西洋美術館で開催中の、
「プラド美術館所蔵 ゴヤ 光と影」(2011年10月22日-2012年1月29日)
に来日、展示中の絵です。

*この展覧会についてのMy Blogはこちら
http://oldfashioned.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/post-db99.html


そして対となる裸体画『裸のマハ』の存在でも知られています。
Goya_001

フランシスコ・ホセ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス
(Francisco José de Goya y Lucientes, 1746年3月30日 - 1828年4月16日)

この番組は10月にミステリー絵画シリーズというテーマで放送されましたが、
その時取り上げられた作品に負けず劣らず『着衣のマハ』も謎深い作品です。
なぜ「裸」と「着衣」があるのか?
そしてモデルは誰なのか?


マハとは人名ではありません。
「小粋な女」を意味します。
といっても貴族ではなく、下町に住む庶民階級の女性のことです。

マハのモデルの有力候補として知られるのが、
スペインきっての名家アルバ家の当主・アルバ女公爵です。
アルバ家はスペイン帝国建国の際に数々の戦争で武勲をあげた一族で、
絶大な影響力を持っていました。

特にアルバ女公爵はスペイン一の美貌と富と名誉を兼ね備え、
時の王妃が憎むほどの社交界の花形だったといいます。
ゴヤはアルバ女侯爵の肖像画を描いています。
一時期、二人がただならぬ関係だあった可能性も指摘されています。

当時のスペインで裸体画の制作は許されないことでした。
ゴヤは後に、この絵を描いたことが発覚して宗教裁判(異端審問)にかけられました。
しかし彼は、モデルなどこの絵の詳細を語らなかったといいます。

アルバ家はその後20世紀に至るまで、アルバ女侯爵がマハのモデルであるという不名誉な説に悩まされてきました。
1945年、アルバ家はその説を否定すべく、女侯爵の墓を発掘しました。
遺骨を検証して、マハのモデルが女侯爵でないことを証明しようとしたのです。
しかし遺骨は損傷が激しく、証明はなりませんでした。


『着衣のマハ』と『裸のマハ』は宰相であったマヌエル・デ・ゴドイが所有していました。
ゴドイは『裸のマハ』を隠すように『着衣のマハ』を飾っていたといいます。
絵画コレクターでもあったゴドイはゴヤのパトロンでもありました。
『着衣のマハ』と『裸のマハ』の眼を晦ます為に描かれたのでしょうか。

依頼人がゴドイですから、マハのモデルはゴドイの愛人だった
ペピータという女性であったとの説もあります。

番組ではやはり明確な結論は出しませんでした。
ゴヤの理想の女性像の象徴として描かれた可能性も示唆していましたね。
その中にはアルバ女侯爵のイメージも投影されていたのかもと。

*この絵は11月27日放送のNHK『日曜美術館』でもテーマとなりました。
↓こちらに記しています。

http://oldfashioned.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/1125-062d.html


「プラド美術館所蔵 ゴヤ 光と影」についてはこちら。

2011年11月18日 (金)

【ワイン】2011年、今年のボジョレー・ヌーヴォーはいかがでしたか

20111118001

今年のボジョレー・ヌーヴォーは昨日11月17日が解禁でした。
毎年11月の第三木曜日が解禁と決まっています。

早い店は11月16日の夜にカウントダウン、
17日の時報と共に開栓などします。

そこまでするほどのものか?
という声もあるでしょうが、年に一度のお祭りだからいいでしょう。

今年の出来はなかなか良いそうです。
まぁ、敢えて今年のボジョレー・ヌーヴォーは良くない、
などという噂を広めることもないでしょうが。

私は仕事の関係でカウントダウンも普通に17日夜もなし。
やっと今夜飲んできました。
やはりなかなかいいものです。

上のワインはジョルジュ・デコンブ ボジョレー・ビラージュ・ヌーボー
George Descombes Beaujolais Villages Nouveau
新宿MARUGO(マルゴ)1号店にて
http://oldfashioned.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/marugo-cae5.html

2011年11月15日 (火)

【美術展】『世紀末、美のかたち』府中市美術館/退廃の世に花開いた絵画とガラス工芸

東京の府中市美術館で11月23日まで、
『世紀末、美のかたち』が開催中です。

Seikimatsu_gif

世紀末、美のかたち
2011年9月17日(土)-11月23日(水)

http://www.city.fuchu.tokyo.jp/art/kikakuten/kikakuitiran/seikimatsu/index.html
会期も残り僅かとなりました。


現代を生きる私達も世紀末を経験しました。
しかし、それから早や10年が過ぎ、「記憶に新しい」とも言い難くなりました。

この展覧会でいう世紀末とは勿論、私達が経験した20世紀末ではなく、
その100年前、19世紀末の基本的にフランス美術の展覧会です。

本展の公式サイトにもありますが、世紀末には「退廃」というイメージがあります。
他にはどうでしょう。
「混沌」そしてまた「百花繚乱」、
なぜかそういうイメージがありますね。

そんな時代に花開いた美術品の展示です。
ルドン、ゴーギャン、ドニなどの絵画と、ガレ、ドーム兄弟、ラリックなどの工芸作品、
合計80点によって構成されています。

世紀末、アール・ヌーヴォーの象徴、アルフォンス・ミュシャのポスターもあります。
6833c9fa50c326146297af3615bb5104


ガラス工芸品はエミール・ガレ、ドーム兄弟、ルネ・ラリックという
この時代屈指のビッグネームの美しい作品達が展示されています。
ガラス作品の多くは長野の北澤美術館の所蔵品です。

特に、三組の中では一般的な知名度でやや劣ると思われるのドーム兄弟、
なかなか良い作品がありました。

タイトルにある「美のかたち」とは
今回展示された作品達について美術館側は、
立場も、表現手法も、背負った伝統も異なる作家たちが、
未知なるものを目指した結果、造形性で結ばれたひとつの世界が生みだされた、
つまり「かたち」に共通性があると説明しています。
それは、作家の理念や価値観をもこえた「時代のかたち」と言うべきものではないか、
という問いかけです。

【言葉】「ツレ」をめぐる関東・関西言語文化論/『ツレがうつになりまして。』より

NHK大河ドラマ『篤姫』のコンビである宮﨑あおいさんと堺雅人さん主演の
『ツレがうつになりまして。』という映画が公開されました。

原作は細川貂々さんのエッセイ漫画で、
2009年には藤原紀香さんと原田泰造さん(ネプチューン)で
NHKでドラマ化もされています。


といっても、別にこの作品について語ろうというのではなく、
「ツレ」という言葉に着目します。
この作品では「ツレ」を妻から見た夫、配偶者の意で使っています。
しかし、関東ではあまりしない言い方ですね。

実は「ツレ」は関西でよく使われる言葉です。
私は東京出身ですが、20年ほど前に関西で3年間生活した経験があります。
今日は私の実体験に基づく「ツレ」をめぐる関東・関西言語文化論です。

尚、この二地方以外のことはわからないのでふれません。
また、20年前と今では関西の言葉事情も違うかも知れないので、
その場合はご容赦ください。


「ツレ」は同性の友達
最初に結論から入ります。
基本的に関西の人がいう「ツレ」とは同性の友達・友人のことです。
友達のことを少しくだけて表現する言葉なのです。

主に男性が使う言葉ですが、女性が使うのも聞いたことがあります。
異性の友人を指していう場合もあるか?
聞いた記憶はないですが、あるかも知れません。

いずれにしろ恋人、彼氏・彼女、夫・妻のことではありません。

考えてみると「友達・友人」というのは少し畏まった言葉で、
使うのに気恥ずかしく感じる面もあります。
「ツレ」は気軽に使えるのです。

関東ではこの関西でいう「ツレ」にあたる言葉がありません。
昔、「ダチ」なんていう言葉がありましたが、一般的ではなかったし、もはや死語でしょう。


さて、関東・関西言語文化のクロスオーバー的体験談です。
20年前、関西の若者が約半分強、関東を中心とする関西以外の
若者が半分弱という環境にいました。
場所も関西、当然関西人のテリトリーです。

そこで関西人がよく「ツレ」という言葉を使います。
関東人はピンときません。そこでどう考えるか。

普通、関東で「つれ」といえば、同行者の意味だと思います。
今、ネット辞書でツレ(つれ)を検索すると以下のようにあります。
『つれ【連れ】
1 一諸に伴って行くこと。一緒に行動すること。また、その人。同伴者。
「大阪まで車中の―ができる」「―があるので失礼します」「お―さま」』

おそらく当時も今も、これが関東人が第一に思う「ツレ」でしょう。
しかし、関西人の使い方はどうもこれには当てはまりません。

で、関東人は更に考えます。
古いけど『つれ合い』という言葉があります。
本来は「連れ」と同義かも知れませんが、一般に配偶者のことですね。
「ちょっと大袈裟だけど、人生の同伴者みたいなニュアンスか。
未婚の男が言ってるなら、彼女のことだろう。」

その結果、こういう会話になります。
関東人「ああ彼女のことね!」
関西人「彼女? 違うわ、ツレやツレ!」

何度か見かけた光景です。

ここから更に複雑な誤解も生まれます。
こんな迷解説をする関西人がいました。
「関西では友達をツレと呼ぶ。関東では彼女をツレと呼ぶんや。」
これも違います。
関東人は関西人が「ツレ」と言うのを聞いて彼女の事かと勘違いするだけで、
自分達は彼女を「ツレ」とは呼びません。

しかし、関西人は関東人が「ツレ」を彼女と誤解するのを聞いて、
関東ではそうなのかと、更に誤解する場合もあるのです。
…だいぶややこしくなりました。


さて、それから20年。
昔に比べると関東でも「ツレ」という言葉を聞く機会が増えたようにも思いますが、
それにしても僅かです。
そして、その場合はやはり彼氏・彼女、配偶者を指すことが多いように思います。
これは関西の言葉を誤解して使っているのか、それとも関西と無関係なのか?

『ツレがうつになりまして。』がまさにこの使い方です。
Wikipediaによると作者の細川貂々さんは埼玉の行田出身だそうです。
いかなる経緯で「ツレ」を配偶者の意味で自作のタイトルにつけたのか?
関西弁を誤解したのか、理解していて敢えて逆の意で使ったのか、
あるいは関西とは関係なく自分が考えた、あるいは自然に使っていた、
もしくは周囲が使っていたから?
もっとも、御本人が埼玉出身でも親御さんがどちら出身がわからないし、
ここで推測しても意味がないかも知れませんが。
もしかしたらエッセイの中でふれているのかも知れません。
だとしたら失礼しました。

あるいは、全国には「ツレ」を普通に配偶者の意で使う土地もあるかも知れません。
しかし、ネット検索しても、この件についての記述は多くはないですね。


そして、こんなこともありました。
これは私が東京に戻ってからの話ですが、
知人の男性が関西の女性と付き合ったことがあります。
なかなか個性の強い女性だったようで、男の方が影響を受けて、
関西風の言葉の使い方をするようになりました。

別にいわゆる関西弁を使うのではなく、まさに「ツレ」などと言います。
しかし、やはり彼氏・彼女のことだと誤解して使っていました。
それでは彼女とのコミュニケが成り立たないだろうに、と思ったものです。

ただ、このような誤解が生じる大元の理由としては、
関東人にはどうしても「ツレ」が同性の友人とは、
感覚的に理解し難いという面があるのです。なぜか。

2011年11月14日 (月)

【Bar】ディズニーの街舞浜のシガーバー!/普通のBar使いもOK

昨日、ディズニーリゾート内のホテルのダイニングで結婚披露パーティーがあり、
久々に舞浜に行きました。
天候にも恵まれ、良いパーティーでした。


帰途、舞浜駅に向かうべくモノレールでリゾートゲートウェイ・ステーション・・・、
要するに舞浜駅に乗り換えるモノレールの駅ですが、
ここを降りて直結するショッピングモール「IKSPIARI」の案内を見ると
シガーバーがあるのです。

ディズニーにシガーバー!
別に高価なシガーを嗜む趣味はないのですが、 他にパブ系はありますが、普通のBarはないようで、
それにシガーバーなら落ち着いているだろうと思い、 とりあえず行ってみました。


25686164_1409259846_239large
トルセドール(シガー&バー)
http://www.ikspiari.com/shop/shops/shopinfo/i9.html

このお店はIKSPIARI直営だそうです。
お話をした女性スタッフもIKSPIARIの社員とのことで、
バーテンダーとしてはまだ見習で、カクテルなどは作っていませんでしが、
とてもしっかりしていました。
今回は特に彼女の好感度の為に高評価ですが、
カクテルも美味しかったし、いいバーでした。

IKSPIARI自体が出来て10年経ったところだそうで、
このBarもそのオープン時の開店なので10年ほどとのこと。
外国人客が多いのかと思ったのですが、そうでもないようです。

そして、何か随分昔のことのようにも思えますが、
このあたりは震災の被害も大変ひどかったですね。

あれから七カ月が過ぎたばかり、
彼女も地元の人だそうで、その頃の話など聞いてきました。
液状化現象のこととか。
この店も4階なので、お酒のびんの被害も大きかったようです。

その後、IKSPIARIは3月末に営業を再開したそうですが、
ディズニーランド、ディズ二―シーはまだ閉まっていたので、
当然ながら、お客は僅かに地元の人だけという状況が続いたようです。

シガーバーですが、シガーも煙草を吸わず、
お酒と料理を楽しんでいた常連さんもいました。
だからノンスモーカーでも大丈夫です。
でも、ここでシガーを初体験という人も多いとのことです。

20111113unowedding298

20111113unowedding286

20111113unowedding290

20111113unowedding294

ディズニーの街、舞浜でシガーバー。
ちょっと不思議で、な素敵な体験です。

※追記  2014.5.6 再訪 (→こちら

2011年11月11日 (金)

【プロ野球】巨人清武球団代表が渡辺会長を告発/文部科学省で会見

巨人・清武英利代表、渡邉恒雄会長を批判
http://www.mbs.jp/news/jnn_4875289_zen.shtml


午前中から巨人軍が重大発表をする、
コンプライアンス上の重大な件で、プロ野球界のルールにかかわること、
なとどネットで流れているから、

今更ドラフト問題?
TBSとDeNA(モバゲー)のベイスターズ譲渡の件?
それとも他の球団の批判、告発?
はたまた米国メジャー・リーグ絡み?

などと、真剣に考えるわけもなく、なんとなくぼんやり思っていたら、
内部告発とは、これは結構驚かせてもらいました。


これが監督や選手の立場での親会社批判なら、
構図としてはわからなくもないですが、
清武代表は読売の人、読売新聞生え抜きの記者です。

また、渡辺氏がある程度退いた立場で院政を行っているのなら問題ですが、
肩書を見ると「読売新聞グループ本社代表取締役会長・主筆」
代表権を持ち、しかも新聞社の主筆。完全なトップです。

社員が記者会見を開いて代表を批判したわけです。

もちろん、背任、横領、不正経理など犯罪に絡む問題の告発なら立派なことですが、
内容は人事絡みの、主に「言った、言わない」という話。社内問題ですね。
これは驚きました。


というと、清武代表の行為を批判しているようですが、そうでもありません。

新聞は社会の公器などといわれてきました。
その新聞社内に問題があるとしたら、それは一企業の問題ではない、
社会に公表して信を問うべき、という考え方もできます。
清武氏がそんなニュアンスでしゃべったのか知りませんが。

しかし(規模的に)日本を代表する大新聞、
そして大マスコミグループから噴出した問題としてはあまりにお粗末。
本当にこんなことがあり得るのだろうかと呆れるばかりで、
ネットに流れる「TPP隠し」という声も一笑には付せません。

とはいえ、批判が出る方が健全との見方もできなくはなく、
とりあえず今後の展開に興味はありますが。

2011年11月 8日 (火)

【ダンスイベント】2011年第12回プロフェッショナル統一全日本ダンス選手権 熱闘グラフ

2011年第12回プロフェッショナル統一全日本ダンス選手権大会
主催 JNCPD
2011年11月3日
グランドプリンスホテル新高輪

ボールルームダンス(社交ダンス)のプロ統一全日本チャンピオンを決める大会。
激しくも美しい闘いがフロアー一杯に繰り広げられました。


ボールルーム部門 優勝
橋本剛 恩田恵子

2011102831255_2
2011102831275
2011102831284
2011102831278


ラテンアメリカン部門 優勝
織田慶治 渡辺理子

2011102831240
2011102831234
2011102831243


熱闘グラフ2011102831016
2011102831046
2011102831057
2011102831029

2011102831097
2011102831114
2011102831096
2011102831125

決勝結果
http://blog.dance-fan.jp/?day=20111104

2011年11月 6日 (日)

【ドラマ】渥美清主演『幻のセールスマン』唐十郎原作/三十数年前の幻のドラマ

30数年前に放送されたなんとも印象深く、私にとって幻のテレビドラマがあります。
あの渥美清氏主演『幻のセールスマン』。
NHKの単発ドラマです。

渥美さんといえばいうまでもなく『男はつらいよ』シリーズの車寅次郎こと寅さん。
寅さんも広義でいえば“セールスマン”には違いないので、
これもそういう話かというと、全然違います。

これがなぜ私の「幻のドラマ」かというと、
なんとも堪えがたく途中で観るのをやめてしまいました。
だから結末がわからないのです。

ありがたいことに、今はネットで基礎情報を知ることができます。
テレビドラマデータベースとNHKアーカイブでわかるデータは以下の通り。

放送日 1974年10月2日
作:唐十郎 演出:高橋康夫
出演:渥美清 三田佳子 伊丹十三 小松方正 緑魔子 
   三谷昇(NHKアーカイブのみ記載) 嵐寛寿郎(テレビドラマデータベースのみ記載) 
まじめな男が、ヤクザの情婦で、スタンドバーでもかせぐやりての女性の赤ん坊のお守りをする。
主演の三田佳子は本作での出会いがきっかけで演出の高橋康夫と結婚した。


とのことです。
内容の部分は私の記憶とは差異もあります。それは後ほど。
いずれにしろ、結末はわかりません。
もちろん他にもネットで検索しましたが、見当たりませんでした。

しかし唐十郎氏による作とは、印象的な筈です。 
とりあえず私の記憶に沿ってストーリーを追います。
私も子どもだったので、渥美さん以外の俳優については当時はわからず、
後になってあの役はあの俳優さんだったのだろう、という記憶の仕方をしています。


ドラマ『幻のセールスマン』
渥美清は地図のセールスマン。
自分の担当区域を回ってセールスをしていますが、
地図はまだ出来上がっておらず、予約を取っていたのだと思います。

会社の社長は伊丹十三、社員に三谷昇、これはデータ通り。
もう一人、気弱な三谷さんと対照的な押しの強いタイプの社員がおり、
部長か課長だったと思いますが、これが小松方正さんだったのでしょう。
たしか女性の事務員もいたので、これが緑魔子さんかと思うが、違うかも知れません。

渥美清はセールスで訪問した焼き鳥屋を切り盛りする三田佳子と知り合います。
テレビドラマデータベースの解説ではスタンドバーとなっていますが、これは誤りです。
もしかしたら原作ではそうなのかも知れませんが、ドラマでは焼き鳥屋でした。
それよりもこのヒロイン役が三田佳子さんだったというのが、驚きでした。
違うタイプの女性のように記憶していたので。

さて、この焼き鳥屋ですが、場末感目一杯というイメージ。
三田佳子はやくざ者の情夫と幼子を抱えて、けなげに焼き鳥屋を切り盛りしています。
お人好しの渥美清は地図の予約をもらったこともあって、子守りをするなどこの女性と関わります。
こう書くと微笑ましいドラマのようですがそうでもなく、息苦しい閉塞感、不条理感、
場末の底辺を生きる人間のどうしようもない業を感じ、なんともいたたまれない雰囲気でした。

三谷昇はいつものように神経質な小心者という役どころ。
彼は渥美清には親近感を持っていて、是非にと誘って自宅に招くのですが、
そこで三谷昇の奥さんが渥美清に色目を使って、三谷逆上、
渥美を逆恨みするという、どうにもしょうのない展開になります。

そうこうする内に社長の伊丹十三が蒸発・・・そこらで見るのをやめました。
1時間番組だったようなので、残りは僅かだったのかも知れません。


嵐寛寿郎
テレビドラマデータベースの出演者覧に嵐寛寿郎さんの名があって驚きました。
『鞍馬天狗』などで知られる往年の時代劇の大スター。明治天皇役でも有名です。

1903年生まれなので、このドラマの年は71歳。
このドラマの老人役というと、焼き鳥屋の従業員の爺さんがその年代かと思います。
しかしその爺さん、底辺感丸だしのボケ老人という印象でした。

嵐寛寿郎は昭和40年代以降、映画やテレビで個性的な老け役をよくやっており、
渥美さんと共演した『男はつらいよ 寅次郎と殿様』(1977年)などもあります。
ただ、それはコミカルな役でしたが、風格も充分に感じさせるもので、
あの焼き鳥屋の爺さんを本当に嵐寛寿郎がやったのか疑問に思っています。

その役がそんなにひどい役だったかも私の記憶なので、怪しい面もあるのですが、
熱を出した三田佳子の子どもの氷枕に焼き鳥のタレを入れたり、
(爺さんが氷枕を両手でつかむとブワッとタレが飛び出すイメージシーンがありました)
三田佳子が渥美清の為にとった出前の寿司を一気食いしたり(これはもしかしたら
別の登場人物だったかも知れませんが)など強烈なシーンを憶えています。

私の後付けの記憶では、爺さん役は吉田義夫さんではなかったかと思っていました。
この人は『男はつらいよ』恒例、冒頭の寅さんの夢の中に毎回登場する役者さんで、
渥美さんとは旧知の筈です。

NHKアーカイブには嵐寛寿郎の名前はないので、もしかしたら間違いかも知れないし、
あるいは出ていても、焼き鳥屋の爺さんとは別の役だったかも知れませんが。

唐十郎によるこのドラマの原作本も発行されているようなので、
それを入手すればストーリーがわかるのでしょうが、
ドラマとは違う可能性もあり、ドラマの結末をご存じの方がいらしたらご教示ください。


もうひとつのドラマ
さて、このドラマと同じタイミングで放送された、これも後味の悪い、
でも印象深い作品に西村晃氏主演の『あの角の向う』があります。
これはラストまで観ているので、また改めて書きます。

« 2011年10月 | トップページ | 2011年12月 »

フォト
サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想
2017年10月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ