【昭和プロレス】ローラン・ボックがハルク・ホーガンに敬意!/「Gスピリッツvol.21」より
9月28日に発売されたプロレス専門誌「Gスピリッツvol.21」に掲載された
西ドイツ出身の元プロレスラー、ローラン・ボックの2万字に及ぶ巻頭インタビューに
ついてのブログ第三弾です。
http://www.tg-net.co.jp/gs
ローラン(ローランド)・ボック (Roland Bock、1944年8月3日-)
今回のインタビューでボックは様々なプロレスラーについて論評していますが、
その中で、私に限らず意外に感じたファンが多かったろうと思うのは、
1980年代アメリカンプロレスのスーパースター、ハルク・ホーガンについての高い評価です。
ボックはホーガンと是非試合をしたかったと語り、
自分にとってホーガンは永遠のナンバーワンだとまで言っています。
これが何故意外に感じるかというと、
ショーマン派の典型のように思えるホーガンは、ボックとはレスラーとしてのタイプが全然違い、
ボックが評価するのが不思議だという面がまずあります。
しかし、それ以前の問題として、時間的に見て、
ホーガンがアメリカマット界で大きな成功を収めていく時期、
ボックは既にプロレス界から離れていたからです。
いや、離れていたどころか、
ボックは1982年に脱税が問題化、今回の記事によれば、83年1月に収監されています。
本来の刑期は85年1月までですが、数ヶ月後には出獄できて、
奥さんの名義にしていた自分のディスコ経営会社で働いたいたとのことですが、
そんな状態で、それ以降プロレスとの関わりはないようです。
アメリカ在住ならともかく、よくホーガンに興味を持ったものです。
ともかく、興味を持ったからこそ、プロレスから離れてもホーガンを注視していたのでしょう。
それはなぜでしょうか?
そもそも、ボックとホーガンは会ったことがあるのか?
実は二人は1981年暮れ、新日本プロレスの第2回MSGタッグリーグ戦に参加しています。
しかし、共にリーグ戦に出場しない特別参加で、
ホーガンが中盤戦、ボックが終盤戦のみの出場。
つまりホーガンが帰るのと入れ替わりに、ボックが来日というニアミス状態で、
おそらく顔を合わせてはいないと思います。
ここで会っていなければ、他の機会の可能性は低いと思います。
この頃のホーガンは新日マットにおいて既にトップスターの一人でしたが、
まだスーパースターの域ではなく、必殺技アックス・ボンバーの開発前。
テレビ放送されたアントニオ猪木とのシングルマッチでは卍固めでギブアップ負けしています。
おそらく、ホーガンの新日マットで唯一のギブアップ負けではないでしょうか。
ホーガンの米日での本格快進撃が始まるのはこの翌年、1982年から。
ボックとプロレスとの縁が一気に切れた時期と重なります。
さて、ボックはホーガンのどこが素晴らしいと言っているのでしょう。
ボックはホーガンのファイトが好きで「シリアスでアマチュアの技術に近い」と述べています。
やはり意外に感じます。
この発言を解く鍵はあの猪木戦にあるのかも知れません。
シュツットガルトの惨劇
1978年11月26日、西独シュツットガルトで行われた
アントニオ猪木とローラン・ボックの試合は「シュツットガルトの惨劇」と呼ばれ、
伝説化しています。
ネット上でも同様の意見を見かけますが、
この試合を見てまず第一に感じるのは二人の体力の差です。
体の大きさも違いますが、ボックの体の力、身体能力は凄いです。
よく見ると、別に猪木はやられっぱなしではなく、結構攻めているのですが、
この体力差の為に、猪木が一方的にやられたイメージが定着したのだと思います。
当時は家庭用ビデオの普及前、繰り返して見ることなどできませんでしから。
この圧倒的な身体能力を持って攻め込むスタイルは、
ボックとホーガンと共通するもではないかと思います。
それが持って生まれたものか、鍛錬によって備わったものかは別にして、
それを持って、生かしているという点で、ボックはホーガンに共感したのではないでしょうか。
それに最近、別のDVDでホーガンがヒロ・マツダ、マサ斎藤、ジャック・ブリスコらとスパーリングする、
1978年の映像を見たのですが、たしかにレスリングの基礎訓練は積んでいるようです。
事業家として
もうひとつはビジネスマンのボックとして、成功者であるホーガンへの敬意があるのかと思います。
ボックはホーガンについて「他の誰よりもレスリングビジネスを巨大なものにした。
そんなレスラーは100人に一人しか出てこない。」と最大の賛辞を送っています。
今回のインタビューを読んでも尚、ボックが事業家として本当に成功したのかどうか、
よくわからない面がありますが、
記事の執筆者でインタビュアーである那嵯涼介氏が、別のサイトに書かれていたのですが、
ボックにとってプロレス興行だけが彼の事業家としての唯一の失敗例だったとのことです。
つまり他のビジネスはすべて成功しているようです。(猪木はその逆とのこと)
そのボックがただひとつ成果を上げられなかったプロレスにおいて、
偉大な成功を収めたホーガンに敬意を表すのは当然かも知れません。
*最後のビジネス絡みの部分はプロレスラーとしての成功と、
興行ビジネスの面を混同しているように思われるかも知れませんが、
ホーガンの場合は自分を主体とした総合プロデュースとしての成功例ともいえるので、
区別せずに書きました。
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