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2011年10月

2011年10月28日 (金)

【プロ野球】横浜ベイスターズ買収問題 TBS→DeNA/球団名に「モバゲー(Mobage)」は実現するか

プロ野球セントラル・リーグの横浜ベイスターズをTBSホールディングスから、
モバゲー(Mobage)を運営するディー・エヌ・エー(DeNA)が買収する事がほぼ決まったようです。
しかし、球団名に「モバゲー」が入れられるかがネックとなり、進行に滞りが発生し、
譲渡の発表も延期になったとのことです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111028-00000054-spnannex-base


最近は球団の売却問題もなかなか買い手がつかず難航する傾向があります。
だいたい売却話が出るような球団は赤字を抱えているでしょう。
この時代に新たに赤字部門を抱え込むとは、株主の手前もあり難しいのも当然です。

宣伝効果といっても、読売巨人軍渡辺恒雄球団会長がいうところの“一流企業”ならば、
今更球団持ったからといってさほどの宣伝効果があるとも思えず、
むしろ戦績が低迷したり、経営・人事面のゴタゴタなどが報道されれば逆効果です。
ベイスターズの親会社であるTBSなどまさにその例です。
スポーツにしろ、社会・経済問題しろ、偉そうに報道する前に自分が保有している球団を、
せめてもう少しなんとかしろ、と言われてしまいますね。

宣伝・広告効果を期待して手を挙げるとすれば新興企業(古い言い方ですが)になるでしょう。
別に今始まったことではなく、少なくともオリックス(1988年参入)あたりから、
あるいはもっと以前からそうかも知れませんが。


モバゲー(Mobage)
私は「モバゲー」という言葉は知っていましたが、モバイルで遊ぶゲームの総称と思っていました。
それが誤解で、DeNAという特定企業の“商品”だと知らしめた時点で、
既にかなりの宣伝効果があったといえるでしょう。

私の場合は、だからといってモバゲーにお金を落とす可能性は低いですが、
同じようにモバゲーを知った人の中にはお金を使う人も出てくるかと思います。
私とて先々はわかりません。


この会社についてはその業務内容から拒否感を持つ他球団もあるといいます。
その点については詳しくないので言及しませんが、
善し悪しは別としても、「モバゲー」は若年層に支持されているもののようです。
それならば、イベント、ファンサービスなど絡めて、
新たな野球ファン開拓に繋がる可能性もあるかと思います。
これは球界にとって悪い話ではないと思いますが、あまりそういう観点では語られませんね。

報道によると、DeNAの参入そのものに拒否感を持っている球団もあるようですが、
球団名に「モバゲー」と付けることの可否が論点になっているようでもあります。
渡辺巨人軍会長なども、記者の質問に対してそのように答えていました。
(この方、つい先日、他球団のことなど一切しゃべらないと宣言していたと思いますが)
「モバゲー」はサービス名であって、社名でないからというのがその理由のようです

つまり、球団名に社名を付けるはいいが、商品名はNGという見解があるのです。
報道によると、NPB(日本野球機構)の規約にそのような条項はないようで、
いわば「慣習」とのこと。

2005年、ソフトバンクがダイエーかホークスを買収した際、
球団名に「yahoo」と入れようとしたが、適わなかった実例があるそうです。

ならば「モバゲー」と付いた球団運営の会社を作ればいいと思いますが、
それにも否定的な意見もあるようです。

例えば、読売ジャイアンツの「読売」とは、
親会社の名称「読売新聞グループ本社」の一部であると同時に
「読売新聞」という商品名の一部でもあります。
このように社名と看板商品名が一致している企業はいいですが、
そうでなければ、宣伝効果を考えてなんらかの方策を取るのも当然でしょう。

また、埼玉西武ライオンズの現在の親会社は西武鉄道ですが、
実はこうなったのは2006年からで、以前はいわゆる“西武グループ”の中核であった
国土計画(後にコクドと改称)が親会社でした。
これは問題なかったのでしょうか?

TBSはベイスターズ買収の時点で、乗り気でなかったのは素人目にもわかりましたし、
その後も手放したくて仕方ない、という気持ちが見えました。
ファンの方には大変失礼ですが、TBSからすれば明らかに“お荷物”の球団売却問題、
どう決着しますか?


売名目的?
ところで、関係者のみならず、ネット上での一般の人達の意見にも、
「売名目的で球団を買うなどけしからん」という論調が多いようです。
いまだにこのような声が多いとは驚きます。

確実に儲かるなら別ですが、赤字球団を売名以外の主目的があって買うでしょうか。
「スポーツ文化の振興」・・・、
それを掲げるには球団経営は金がかかり過ぎるし、
プロ野球自体が完全な興行ビジネスだと思うのですが。

「売名」というと印象が悪いですが、つまり企業の「宣伝」ですね。
良い意味で名を売る為には球団も健全経営し、戦績面でも結果を出さねばなりません。
それなりの覚悟も必要でしょう。

新興企業の場合はそこまで考えず、ただ「名を売るだけ」だという見方もあるのでしょうが、
莫大なお金もかかることだし、そこそこの覚悟はあるでしょう。
「売名」「宣伝」が悪いとも思えません。


・・・・しかし、私はDeNAに肩入れする気はまったくなく、
というかこの会社を全然知らないのですが、
心ならずも擁護する内容になってしまいました。

今回のTBS→DeNAの売却問題についてというよりは、
球団売却問題の一般論だとご理解ください。

2011年10月25日 (火)

【街】浅草2011.10.24.賑わい/人を撮る。撮る人を撮る。

浅草の2011年秋。

賑わいもだいぶ戻ってきたようです。

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外国からの人達もまた増えてきたようです。

2011年10月23日 (日)

【Bar】新宿三丁目 Bar Bruder/ベートーヴェンが流れる大人の隠れ家

新宿三丁目のBar Bruder(ブリューダー)
オープン3年目、いわゆる新宿三丁目の中心近くにある隠れ家バーです。
http://www.barbruder.com/


ブリューダーとはドイツ語で「同志」の意。
ベートーヴェンの第九交響曲、終楽章の詩「歓喜に寄せて」に由来します。
BGMもベートーヴェン中心。
バックバーにはグスタフ・クリムトの絵画「ベートーヴェン・フリーズ」が掲げられています。

以前紹介した新宿のBar Tizianoと同様に昨年、
雑誌『BRUTUS』のBar特集「20年通えるバー。」に取り上げられたお店です。


2011102022056モーゼルのグラスで飲むカクテル「アラスカ」


2011102022059スコッチ・ウイスキーベースのカクテル「チャーチル」


2011102022064窓には今年の4月に新たに入れられた美しいステンドグラス。
デザインのテーマはゲイリー・オールドマンがベートーヴェンを演じた、
映画『不滅の恋/ベートーヴェン』(1994年)より。

2011年10月21日 (金)

【昭和プロレス】DVD『国際プロレスクロニクル外伝』/これが最後か、終焉から30年目の年に奇跡の発売

国際プロレスとは・・・、

1967年に旗揚げ、
そして今から30年前の1981年に活動を停止したプロレス団体です。

その国際プロレスの主に末期の試合映像が収録されたDVD-BOX
『国際プロレスクロニクル外伝』が
クエストより10月20日に発売されました。
http://www.queststation.com/products/DVD/SPD-1330.html

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国際プロレスのテレビ放送は大別するとその前半、1968年-1974年はTBS、
それ以降、1981年までは東京12チャンネル(現テレビ東京)によってされました。

その映像は稀少で、TBS時代のものは僅かにビデオ発売されたことがありますが、
テレビ東京のものは局には残っていないといわれていました。
それがここ数年、新たな映像の発見もあり、DVD-BOXが以下のように合計5セット発売されました。

ポニーキャニオン
『竹内宏介監修 伝説の国際プロレス 1969-1974』 (2005年)
『不滅の国際プロレス 1974~1981』 (2007年)

クエスト
『国際プロレス クロニクル 上巻』 (2010年)
『国際プロレス クロニクル 下巻』 (2011年)
『国際プロレス クロニクル 外伝』 (2011年)

ポニーキャニオン版は1巻目がTBS時代、2巻目がテレビ東京時代で、
テレビ局に残っていた映像に加えて、8ミリカメラで撮影されたものなどで構成されています。

クエスト版は家庭用ビデオで録画されたものが中心です。
国際プロレスは家庭用ビデオの本格的普及直前に終焉していますので、
収録されたものは主に最末期の1978年以降の映像です。
加えて、局や制作会社から新たに発見された放送素材も含まれています。

「ない」と言われていた映像が発見され、正規ソフトとして発売、
終焉から30年目を迎えた今年までにDVD-BOXが全5セット、
多くの映像を目に出来たのは嬉しい事でした。


さて、今回発売の『外伝』ですが、
本来、『下巻』が最後になる筈でしたが、『下巻』発売後新たに発見された映像もあり、
奇跡的な緊急リリースとなりました。
今後、新たなる映像発見が絶対にないとはいえませんが、
おそらくはこれが最後になるのでしょう。

正直いえば、画質の良くないものも混ざっています。
ともかく、コアな分野です。
「多少画質が悪くてもとにかく観たい、出してほしい」という人が買えばいいのだと思います。
それにしても、ここまでリリースが継続したということは、商売として成り立ったということでしょう。
一体どれくらい売れたのか、興味深いところではありますが。


いくつか注目の試合をピックアップして紹介します。
当然ですが、あくまで個人的好みです。


◆ラッシャー木村&グレート草津vsアニマル浜口&マイティ井上
1979年3月4日 愛知・豊明市福祉体育館

国際プロレスは他団体に先駆けて日本勢のエースクラスの対戦を行ったりしていたのですが、
後期になると各団体恒例の春のリーグ戦もあまり開催されなくなり、
日本勢トップ同士の対戦も多くはありませんでした。
特にタッグ戦は稀少です。

この年の1月まで草津&浜口組がIWA世界タッグ王座を保持していたのですが、
新日本プロレスのヤマハ・ブラザース、山本小鉄&星野勘太郎組に奪われてしまいます。
それを浜口が井上と組んで奪回しました。

これはその直後の試合です。
タイトル戦ではありませんが、新王者の浜口&井上に、
王座から転落した草津が、シングルの世界王者であるエースの木村と組んで挑んだ試合です。

草津は過去に木村や井上と組んで同王座を保持していたこともありました。
特に木村とは他にヨーロッパタッグ王座も獲っている長年の名コンビです。
無冠に転落した草津が復活を賭けて挑んだ試合・・・というほどの悲壮感もないですが、
(草津は国際プロレスのマッチメーカーですしね)
なかなかおもしろい試合ではあります。

どちらかといえば新王者コンビが押し気味ですが、
草津が井上を投げつけたボディスラムなどは凄い迫力、ナチュラルパワー未だ現在という感あり。
それだけ井上の受けが上手いともいえるのかも知れませんが。


◆IWA世界ヘビー級選手権(金網デスマッチ)
ラッシャー木村vsジプシー・ジョー
1979年5月7日 静岡・富士市民体育館

金網デスマッチでのIWA世界タイトル戦。
この試合を観ると、やはり木村の最高のライバルはジョーだったと思います。
真っ向からの殴り合いはこの二人の真骨頂でした。

この後もジョーは国際プロレスに5度登場しますが、
ややランク落とし、エースの木村との抗争は小休止状態になります。
最末期にもう一度IWA世界戦が実現しますが、既にテレビのレギュラー放送終了後で、
その試合も放送はされませんでした。

そしてこの試合はおそらく、「金網の鬼」の異名を持つ木村にとって、
テレビで放送された最後のシングルでの金網デスマッチだと思います。
(タッグ戦がもう一試合ありますが、それもこのすぐ後のシリーズです。)
テレビ放送終了まで後2年ありますし、金網戦が放送されなくなったわけではありません。
ただ、木村のシングル戦としてはこれが最後だと思います。


◆マイティ井上&寺西 勇vsモンゴリアン・ストンパー&アレックス・スミルノフ
1979年11月7日 青森・弘前市体育館

国際プロレス初登場の幻の強豪ストンパーと、
前回の来日で木村からIWA王座を奪取した当時のNo.1外人スミルノフ、
圧倒的な強さで勝利し、新最強外人コンビとして、この後のタッグ戦線での更なる大暴れを期待させました。
しかし、二人は木村への挑戦権をめぐり仲間割れしてしまい、
テレビでは最初で最後のタッグ結成になってしまいました。
(かといって二人のシングルでの対戦も実現せず、中途半端な成り行きでしたね。)

二人は国際プロレスが解散した翌1982年、
全日本プロレスのチャンピオンカーニバルに揃って参加しましたが、
なんとも寂しい結果に終わってしまいました。


◆ラッシャー木村&グレート草津vs上田馬之助&サンダー杉山
1979年9月13日 愛知・愛知県体育館

当時のサンダー杉山はほとんど引退状態で、地元名古屋での、
国際プロレスと新日本プロレスの試合にのみ登場することがありました。
おそらくこの後も試合に出たことはあると思いますが、
テレビで放送されたのはこれが最後ではないかと思います。

しかし、この試合は本当に目茶苦茶の乱闘ぶりです。
上田の試合にメチャクチャは珍しくないですが、これはかなり極端です。
それもまた、ひとつの楽しさですが。

木村と杉山の真っ向対決もレアです。
この組み合わせは結構おもしろいです。


◆第6回IWAワールド・シリーズ ダイジェスト
1977年2月-3月

過去に収録された試合も含まれていますが、
貴重な試合のハイライトシーンの連続は圧巻です。
見どころはやはりバションとジョーの凶暴さ、クイン&ヘスの名コンビぶりでしょうか。


収録試合
DISC.1
■昭和50年12月11日 東京・日本武道館(力道山追善特別試合)
 NWA世界ジュニア・ヘビー級選手権
 ヒロ・マツダ vs マイティ井上
■昭和51年9月6日 東京・後楽園ホール
 ラッシャー木村&マイティ井上 vs ワイルド・アンガス&ピート・スチュアート(1本目のみ)
■昭和52年3月1日 埼玉・越谷市体育館(第6回IWAワールド・シリーズ ダイジェスト)
 寺西 勇 vs マッドドッグ・バション
■昭和52年3月1日 埼玉・越谷市体育館(第6回IWAワールド・シリーズ ダイジェスト)
 マイティ井上 vs 稲妻二郎
■昭和52年3月10日 茨城・水戸市民体育館(第6回IWAワールド・シリーズ ダイジェスト)
 グレート草津 vs ビッグ・ジョン・クイン
■昭和52年3月10日 茨城・水戸市民体育館(第6回IWAワールド・シリーズ ダイジェスト)
 ラッシャー木村 vs クルト・フォン・ヘス
■昭和52年3月15日 愛知・豊橋市体育館(第6回IWAワールド・シリーズ ダイジェスト)
 マッドドッグ・バション vs ジプシー・ジョー
■昭和52年3月15日 愛知・豊橋市体育館(第6回IWAワールド・シリーズ ダイジェスト)
 ラッシャー木村 vs ジャック・クレイボーン
■昭和52年3月15日 愛知・豊橋市体育館(第6回IWAワールド・シリーズ ダイジェスト)
 マイティ井上 vs 寺西 勇
■昭和52年3月25日 神奈川・横浜文化体育館(第6回IWAワールド・シリーズ ダイジェスト)
 マイティ井上 vs マッドドッグ・バション
■昭和52年3月25日 神奈川・横浜文化体育館(第6回IWAワールド・シリーズ ダイジェスト)
 ラッシャー木村 vs グレート草津
■昭和52年3月26日 東京・蔵前国技館(第6回IWAワールド・シリーズ ダイジェスト)
 マイティ井上 vs ジプシー・ジョー
■昭和52年3月26日 東京・蔵前国技館(第6回IWAワールド・シリーズ ダイジェスト)
 ラッシャー木村 vs マッドドッグ・バション
■昭和52年2月27日 東京・後楽園ホール(第6回IWAワールド・シリーズ ダイジェスト)
 グレート草津&マイティ井上 vs マッドドッグ・バション&ジプシー・ジョー
■昭和52年3月1日 埼玉・越谷市体育館(第6回IWAワールド・シリーズ ダイジェスト)
 ラッシャー木村&大位山勝三 vs ビッグ・ジョン・クイン&クルト・フォン・ヘス
■昭和52年3月10日 茨城・水戸市民体育館(第6回IWAワールド・シリーズ ダイジェスト)
 アニマル浜口&寺西 勇 vs マッド・ドッグ・バション&ジプシー・ジョー
■昭和52年3月15日 愛知・豊橋市体育館(第6回IWAワールド・シリーズ ダイジェスト)
 サンダー杉山&剛 竜馬 vs ビッグ・ジョン・クイン&クルト・フォン・ヘス
■昭和52年3月25日 神奈川・横浜文化体育館(第6回IWAワールド・シリーズ ダイジェスト)
 アニマル浜口&寺西 勇 vs ビッグ・ジョン・クイン&クルト・フォン・ヘス
■昭和54年7月21日 新潟・村上市体育館
 IWA世界ヘビー級選手権
 ラッシャー木村 vs アレックス・スミルノフ
 ※ノーカットバージョン
■昭和54年4月20日 富山・富山市体育館
 IWA世界ヘビー級選手権
 ラッシャー木村 vs 上田馬之助
 ※ロングバージョン
■昭和54年9月29日 神奈川・横浜文化体育館
 IWA世界ヘビー級選手権
 ラッシャー木村 vs 上田馬之助
■昭和55年3月15日 埼玉・越谷市体育館
 45分1本勝負
 マイティ井上&アニマル浜口&寺西 勇 vs エディ・サリバン&トム・スタントン&鶴見五郎
■昭和55年11月11日 三重・四日市市体育館
 60分1本勝負
 ラッシャー木村 vs ザ・グレート・ムルンバ
■昭和55年11月11日 三重・四日市市体育館
 45分1本勝負
 マイティ井上 vs アレックス・スミルノフ
■昭和55年11月21日 大阪・堺市金岡体育館
 60分1本勝負
 ラッシャー木村 vs キラー・カール・クラップ
■昭和54年10月3日 青森・黒石市中央スポーツセンター
 45分1本勝負
 阿修羅・原 vs ニック・ボックウィンクル
■昭和53年11月12日 岐阜・萩原町あさぎり体育館
 ラッシャー木村 vs 石川隆士
■昭和53年11月12日 岐阜・萩原町あさぎり体育館
 30分1本勝負
 グレート草津 vs マイティ井上
■昭和53年11月12日 岐阜・萩原町あさぎり体育館
 寺西 勇 vs グレート小鹿

DISC.2
■昭和54年3月4日 愛知・豊明市福祉体育館
 寺西 勇 vs ジョン・トロス
■昭和54年3月4日 愛知・豊明市福祉体育館
 マイティ井上&アニマル浜口 vs ラッシャー木村&グレート草津
■昭和54年3月6日 岐阜・岐阜市民センター
 ラッシャー木村 vs ジョン・トロス
■昭和54年3月6日 岐阜・岐阜市民センター
 IWA世界タッグ選手権
 マイティ井上&アニマル浜口 vs ザ・サモアンズ
■昭和54年3月24日 茨城・境町民体育館
 30分1本勝負
 阿修羅・原 vs 稲妻二郎
■昭和54年3月24日 茨城・境町民体育館
 30分1本勝負
 ラッシャー木村&鶴見五郎 vs ジョン・トロス&クレージー・アラブ
■昭和54年11月7日 青森・弘前市体育館
 45分1本勝負
 マイティ井上&寺西 勇 vs アレックス・スミルノフ&モンゴリアン・ストンパー
■昭和54年11月20日 東京・蔵前国技館
 AWA世界ヘビー級選手権
 バーン・ガニア vs ビル・ロビンソン
 ※ノーカット版
■昭和54年7月19日 北海道・木古内町民体育館
 寺西 勇 vs ダイナマイト・キッド
 ※キッドの初来日 第1戦
■昭和55年1月30日 埼玉・秩父市民体育館
 IWA世界タッグ選手権
 61分1本勝負
 マイティ井上&アニマル浜口 vs キラー・カール・クラップ&ジプシー・ジョー
■昭和55年2月23日 千葉・館山市民センター
 アニマル浜口 vs モンゴリアン・ストンパー
■昭和55年2月24日 東京・後楽園ホール
 ラッシャー木村&阿修羅・原 vs モンゴリアン・ストンパー&トム・スタントン
■昭和54年5月7日 静岡・富士市民体育館
 WWU世界ジュニア・ヘビー級選手権
 阿修羅・原 vs ミレ・ツルノ
■昭和54年5月7日 静岡・富士市民体育館
 IWA世界ヘビー級選手権(金網デスマッチ)
 ラッシャー木村 vs ジプシー・ジョー

DISC.3
■昭和54年5月7日 静岡・富士市民体育館
 45分1本勝負
 マイティ井上 vs キラー・ブルックス
■昭和54年7月9日 宮城・仙台市宮城県スポーツセンター
 チェーンデスマッチ
 30分1本勝負
 阿修羅・原 vs ザ・テキサス・アウトロー
■昭和54年9月9日 東京・後楽園ホール
 アニマル浜口&阿修羅・原 vs ケリー・ツインズ
■昭和54年9月9日 東京・後楽園ホール
 ラッシャー木村&マイティ井上 vs 上田馬之助&ジョー・ルダック
■昭和55年4月28日 岩手・大船渡市体育館
 マイティ井上 vs マイク・ジョージ
■昭和55年5月11日 岩手・二戸市体育館
 ラッシャー木村&大木金太郎 vs マイク・ジョージ&ジョー・ルダック
■昭和56年3月12日 広島・府中市商工会議所大ホール
 ラッシャー木村 vs レッド・デビル
■昭和56年3月8日 和歌山・和歌山県立体育館
 60分1本勝負
 ラッシャー木村&アニマル浜口 vs レイ・キャンディ&ルーク・グラハム
■昭和55年7月24日 北海道・千歳市スポーツセンター
 30分1本勝負
 アニマル浜口 vs スパイク・ヒューバー
■昭和55年7月24日 北海道・千歳市スポーツセンター
 バトルロイヤル
■昭和53年9月12日 埼玉・深谷市体育館
 マイティ井上 vs リップ・タイラー
■コメント(菊池&井上) サンダー杉山
■昭和54年9月13日 愛知・愛知県体育館
 ラッシャー木村&グレート草津 vs 上田馬之助&サンダー杉山
■昭和56年1月4日 東京・後楽園ホール
 ルー・テーズ杯争奪予選リーグ
 マイティ井上 vs レオ・ロペス
■昭和56年1月4日 東京・後楽園ホール
 ルー・テーズ杯争奪予選リーグ
 アニマル浜口 vs ベン・アレクサンダー
■国際プロレス活動停止により、昭和56年秋に予定されながら実現されずに終わったルー・テーズ杯決勝リーグに代えて
 The Story of A Wrestler, Lou Thesz

2011年10月19日 (水)

【美術・漫画】長谷川町子美術館/『サザエさん』の長谷川町子氏の思いが籠った美術館

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長谷川町子美術館とは…
東京都世田谷区、東急田園都市線桜新町近くにたたずむ瀟洒な美術館。

『サザエさん』『いじわるばあさん』の漫画作家として知られる
長谷川町子氏(1920年-1992年)が姉の毬子氏と共に蒐集した美術品を
広く社会に還元しようとの思いをもとに1985年に長谷川美術館として開館されました。

それらの蒐集作品は、作家名にこだわることなく、純粋に好きな作品を購入する方法で
集められたもので、その種類は日本画・洋画・ガラス・陶芸・彫塑など多岐に渡ります。

1992年、長谷川町子氏没後は、館名を現在の長谷川町子美術館と改め、
姉の毬子氏がが館長としてその遺志を継ぎ、現在も美術品の蒐集展示を続けています。
年に数回開催される収蔵コレクション展では、毎回テーマに沿った作品を、
作家名やジャンルにとらわれることなく自由な発想で展示し、
また来館者の自由な感性で鑑賞でるように心がけてられています。

町子コーナーでは、長谷川町子氏が描いた漫画作品、
『サザエさん』をはじめ『いじわるばあさん』や『エプロンおばさん』などの原画や、
町子氏が手がけた陶芸や水彩などの作品も観ることができます。
毎年夏には全館をあげて「アニメサザエさん展」開催し、
『サザエさん』の原画とアニメの世界が紹介されます。


・・・・以上、公式サイトから抜粋したこの美術館の概要です。

基本的には長谷川町子氏と姉の毬子氏が収集した美術作品を展示する美術館で、
町子氏の漫画の原画等の展示がメインではないのですね。
全館がいつもサザエさんで溢れているようなイメージで行くと、拍子抜けしてしまいます。
もちろん、町子コーナーもあるし、期間限定で町子展も開催されます。

毬子氏は元々画家志望だったといいますし、
町子氏も絵画を始め美術品を愛したようです。
そんな姉妹の思いの籠った美術館です。


収蔵コレクション展「秋の色」
同館では11月27日まで、『収蔵コレクション展「秋の色」』を開催中です。
また、特別展示として「パリを描いた画家たち」を併催、
所蔵作のマルク・シャガール、モーリス・ユトリロ、ヴァン・ドンゲン、藤田嗣治、荻須高徳など、
いわゆるエコール・ド・パリの画家達の作品が展示されています。



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長谷川町子美術館
http://hasegawamachiko.jp/

2011年10月18日 (火)

【美術展】『モーリス・ドニ-いのちの輝き、子どものいる風景-』/ナビ派の巨匠が自分の子ども達を描いた微笑ましい作品展

西新宿の損保ジャパン東郷青児美術館で11月13日まで、
『モーリス・ドニ-いのちの輝き、子どものいる風景-』が開催中です。

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特別展 モーリス・ドニ-いのちの輝き、子どものいる風景-
2011年9月10日(土)~11月13日(日)
損保ジャパン東郷青児美術館
http://www.sompo-japan.co.jp/museum/exevit/index.html


モーリス・ドニ
(Maurice Denis, 1870年11月25日- 1943年11月13日)
モーリス・ドニは19世紀末から20世紀前半にかけて活躍した、
フランス象徴派を代表する画家で、前衛芸術グループ「ナビ派」の主要メンバーでした。
敬虔なカトリック教徒で、聖書や神話をテーマとした装飾性に富んだ作品を残しています。

と書くと、何やら難しい画家のように思えますが、
この人は子どもが多く、家族を描いた作品も多く描いています。
今回はドニの家族を描いた作品に焦点をあてた展覧会です。
タイトルにある「子どものいる風景」とは、主に自分子ども達の事です。

国内外の美術館および個人コレクターが所蔵するドニの絵画、素描、写真、
その他資料など約100点を展示されています。 


このブログ記事のタイトルに「微笑ましい」とつけました。
実際は第一子となる長男や、後に最初の奥さんを病気で失くしており、
その悲しみが投影された作品もあるので、決して微笑ましいだけではないのですが、
それでも「微笑ましい」と形容したい、そんな良い絵が集められた展覧会です。

ドニをよく知らずにこの展覧会を観た人は、
彼のことを「家族を描いた画家」として記憶することになるでしょう。


ドニは妻マルトとの間に幼くして亡くなった長男の後、
3人の娘ベルナデット、アンヌマリー、マドレーヌ、
そして2人の男子ドミニク、フランソワをもうけます。
その後に妻マルトの死という悲劇に見舞われますが、
5年後に再婚、更に2人の子どもが恵まれます。

絵画に描かれた子ども達は最初は愛らしい赤子として登場、
やがて妹や弟達の世話をするお姉さんとして描かれます。
実に微笑ましい家族の光景です。

しかし、スナップ写真のように家族を描いた絵だけではなく、
妻や子ども達を聖書の登場人物に見立てて描いた作品もあります。
それもまたドニらしくて魅力的です。


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『家族の肖像』(1902年)
ポスターに使われている、今回の出展作です。
妻マルトと3人の子ども達。
幸せな母と子の肖像画ですが、
構図や神々しい雰囲気は聖母子像を思わせます。


これはなかなか良い展覧会です。
推奨します。興味のある方は是非ご覧ください。



損保ジャパン東郷青児美術館
損保ジャパン本社ビル42階。西新宿の高層ビル街にそびえ立つ美術館として知られます。
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前身の安田火災が1987年にフィンセント・ファン・ゴッホ『ひまわり』を
約58億円で購入して話題になりました。

もちろん、『ひまわり』をはじめとして、
ポール・ゴーギャン『アリスカンの並木路、アルル』
ポール・セザンヌ『りんごとナプキン』
東郷青児、グランマ・モーゼス等の所蔵作品も鑑賞出来ます。

2011年10月17日 (月)

【公園】新宿御苑2011.10.16

良い天気・・・、
この時期にしては暑すぎた日曜日。
もう少し涼しい方がよかったでしょうが、
新宿御苑も賑わっていました。
といっても、桜満開の春ほどではないですが。

この時期は花を鑑賞する楽しみは乏しいですね。
その分、春ほどの喧騒はなく、ゆっくり過ごし易いともいえますが。

この暑さも、まもなく懐かしく思えるようになるのでしょう。

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◆写真
カメラ SONY α55
レンズ TAMRON AF17-50 F2.8

新宿御苑公式サイト
http://www.fng.or.jp/shinjuku/shinjuku-index.html

2011年10月16日 (日)

【美術】伝ブリューゲル『イカロスの墜落の風景」』10/15『美の巨人たち』より/不可解な絵に秘められた意味とは

10月15日放送テレビ東京系の美術番組『美の巨人たち』のテーマ作品「今週の一枚」は
伝ピーテル・ブリューゲル作『イカロスの墜落の風景』でした。
10月4週連続で放送のミステリー絵画シリーズ第3弾です。
http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/backnumber/111015/index.html

前回、このブログでこの番組の展望を書きました。
前回の内容とダブりますが、改めてこの絵について番組中心に振り返ります。
Bruegel_pieter_011
元々謎多き画家の謎多き作品。
どのような切り口かと思いましたが、なかなか斬新、説得力ある解釈でした。
といっても、この番組独自のものではなく、中野京子氏の著書で示されていた解釈です。
ご本人も登場しましたね。


ピーテル・ブリューゲル
(Pieter Bruegel de Oude, 1525~30年頃-1569年9月9日)
ネーデルラント(フランドル、現在のベルギー)の大画家。
しかしその生涯には不明点が多いのです。

生前評価されていなかったわけではありません。充分されていました。
二人の息子も、父には及ばないにしろ著名な画家です。
特に次男のヤン・ブリューゲルは花、植物を得意とし、「花のブリューゲル」と呼ばれます。
更に孫や曾孫達も著名な画家となりました。
(ブリューゲル一族についてはこちら

二人の息子を画家として大成させた名伯楽で、画家一族の頂点、
いくら昔のこととはいえ、そんなに不明点が多いというのは不思議ですが、
これが一筋縄ではいきません。
実はブリューゲル、長男が5歳、次男が1歳の時に亡くなっているのです。
つまり二人の息子達はほとんど、あるいはまったく父から絵を教わってはいないのです。

謎めいた画家の謎めいた絵。
もっとも、ブリューゲルの絵は親しみやすいタッチのものが多いです。
ただ、そこにネーデルラントの諺に纏わる寓意が込められていたりするので解り難い、
こういう場合、画家の人生や人となりが解らないと余計つかみ難くなります。


『イカロスの墜落の風景』
ギリシア神話に登場する発明家ダイタロスと、その息子イカロスの物語。
ダイタロスの作った翼をつけて父と共に空に飛び立つも、太陽に近づき過ぎて、
翼を留めている蝋が溶けて海に墜落し死んでしまいます。

日本でも歌になったりして有名ですね。
本来の神話の主旨とは違い、その勇気や冒険心を賛美される傾向もあります。
そのイカロスの海への墜落を描いた作品。

でもイカロスはどこに?
わかります? 右側の船の手前に海から足だけ出てるでしょう。
…なぜこんなに小さく?

そして更に不可解なのは、この絵の他の登場人物である農夫と羊飼いと漁師、
3人ともが目の前でイカロスの墜落という大事件が起こったのに、
気付かないのか、関心がないのか、とにかくまったく知らんぷりの状態なことです。

実はこの農夫と羊飼い漁師は原典のギリシャ神話にも登場します。
翼を付けて空を飛ぶダイタロスとイカロスを見て驚く描写があるのです。
それなのに、この絵では知らんぷり。なぜでしょう?

今回の番組の解釈
中野京子氏の著書『怖い絵3』(2009年発行)の説を採っています。
(中野のオリジナルなのか、それ以前からある説なのかは分かりません)

この絵の描かれた当時、16世紀フランドルはスペインのハプスブルグに侵略され、
その圧政に苦しんでいました。
独立運動を行い、反抗する多くの人達が処刑されていたのです。
反抗者を幇助したり、賛美したりする人々もまた。

そうです。ハプスブルグ家は太陽。
イカロスはそれに挑んで命を落とした反抗者。
人々は自分に被害が及ぶのを恐れ、その姿を見て見ぬふりをしたのでしょうか。

この説は説得力がありますね。
理屈を付けて解釈しようとすれば、これ以上のものはないかも知れません。
本当にそうであったかどうかは、ブリューゲルの思想、人となりを示す資料が少なく、
判断は難しいでしょう。


真贋問題
さて、この絵はかつてブリューゲルの代表作とされていました。
しかし、真贋論争が発生しました。
描かれたカンバス、細部の表現、長い研究・議論の末、
2002年、この絵を収蔵しているベルギー王立美術館は、
遂にこれはブリューゲルが描いたものではないかもしれない、と発表しました。
だから、「伝ブリューゲル」などと書かれるのです。

しかし、その着想、構図はブリューゲルによるものと考えられています。
ということは贋作? いわゆる“偽物”とは限りません。

実は画家になった長男、同じピーテルという名なので、
「ピーテル・ブリューゲル(子)」などと呼ばれますが、
彼は画業の多くを父の作品の模写、つまりレプリカの制作で過ごしました。
ブリューゲルの絵は死後も需要があり、多くの模写が描かれたのです。

この絵はそのピーテル(子)による模写とは見られてないようですが、
ブリューゲル本人による原画が存在し、そのレプリカであろうと考えられています。
つまり、そこに込められた主題もブリューゲルによるものだということですね。

☆今回は番組ではふれられていない私見も一部交えて書いています。

2011年10月15日 (土)

【美術展】「アール・デコの館」 東京都庭園美術館/歴史ある美術館が改装前にその全貌を公開

東京白金台の東京都庭園美術館にて、
「アール・デコの館」展 が10月31日まで開催中です。

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東京都庭園美術館建物公開 アール・デコの館
2011年10月6(木)-10月31日(月) 東京都庭園美術館

公式サイト http://www.teien-art-museum.ne.jp/exhibition/2011artdeco/index.html


東京都庭園美術館の建物は1933年(昭和8年)に朝香宮邸として建てられました。
外観はモダニズム建築特有の簡潔な外観を持つ建物ですが、
一歩足を踏み入れると、一転してアール・デコ様式の装飾が訪れる人々を迎えます。
この歴史ある美術館がまもなくリニューアルの為の休業に入ります。
本展はその前に、この歴史ある建物そのものを堪能してもらおうという趣旨の催しです。

*建物自体を楽しもうという企画なので、いわゆる“展示作品”は多くはありません。その点はご了承ください。


アール・デコとは
本展のタイトルになっている「アール・デコ」とは、よく聞く言葉ですが、つまり何なのでしょう?
もうひとつよく聞く「アール・ヌーヴォー」との関係は?

アール・デコ様式とは、1920~30年代にヨーロッパで一世を風靡した装飾様式のことです。
これより少し前、19世紀末のヨーロッパをアール・ヌーヴォーが彩りました。
アール・ヌーヴォーは植物をモチーフにした、装飾性豊かな芸術様式です。
絵画、グラフィックアートではアルフォンス・ミュシャの名がまず思い浮かびます。

少し時を経て、20世紀を迎えてしばらく経ち、1925年にパリで開催された
「現代装飾美術・産業美術国際博覧会」(通称:アール・デコ博覧会)がその名の由来となります。
ここではアール・ヌーヴォーの影響を色濃く残した有機的な装飾豊かな作品と、
装飾を排した無機的なモダンな作品とが混在して紹介されていました。

つまり、アール・デコはアール・ヌーヴォーの優雅さと、
モダンデザインの機能美との狭間で誕生した様式だといえます。

そして、東京都庭園美術館の建物にもこの二つの方向性が見られます。
例えば、優美な女性像がモチーフの正面玄関のガラスレリーフ扉。
モチーフそのものはアール・ヌーヴォーを想起させますが、
素材はガラスと鉄という大量生産に適したモダンなものが使われています。

このように本展では、建物全体をじっくり鑑賞することで、
優雅さと機能美を持つアール・デコ様式の多彩な表情に親しみ、
実感できるというわけです。


今回の展覧会は館内の写真撮影が可能です。
何点がご紹介します。

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自分自身への戒めでもありますが、
撮影に夢中になり過ぎて、他の方の鑑賞の邪魔にならぬよう気をつけましょう。

2011年10月14日 (金)

【美術】今週10月15日放送『美の巨人たち』は伝ブリューゲル『イカロスの墜落の風景」』/謎多き画家一族の頂点

テレビ東京系の美術番組『美の巨人たち』 
http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/backnumber/111015/index.html
10月は4週連続、ミステリー絵画シリーズです。
今週土曜日、10月15日放送のテーマ作品「今週の一枚」は
伝ピーテル・ブリューゲル作『イカロスの墜落の風景』です。

*放送は終了しました。感想などこちらにUPしています。

Bruegel_pieter_011
ある意味反則みたいなものです。謎めいているに決まっているのですから。


ピーテル・ブリューゲル(Pieter Bruegel de Oude, 1525~30年頃-1569年9月9日)
ネーデルラントの大画家。
しかしその生涯には不明点が多いのです。

生前評価されていなかったわけではありません。充分されていました。
二人の息子も、父には及ばないにしろ著名な画家です。
特に次男のヤン・ブリューゲルは花、植物を得意とし、「花のブリューゲル」と呼ばれます。
更に孫や曾孫達も著名な画家となりました。

二人の息子を画家として大成させた名伯楽で、画家一族の頂点、
いくら昔のこととはいえ、そんなに不明点が多いというのは不思議ですが、
これが一筋縄ではいきません。
実はブリューゲル、長男が5歳、次男が1歳の時に亡くなっているのです。
つまり二人の息子達はほとんど、あるいはまったく父から絵を教わってはいないのです。

謎めいた画家の謎めいた絵。
もっとも、ブリューゲルの絵は親しみやすいタッチのものが多いです。
ただ、そこにネーデルラントの諺に纏わる寓意が込められていたりするので解り難い、
こういう場合、画家の人生や人となりが解らないと余計つかみ難くなります。


『イカロスの墜落の風景』
ギリシア神話に登場するイカロス。ダイタロスの息子。
日本でも歌になったりして有名ですね。
そのイカロスの海への墜落を描いた作品。

でもイカロスはどこに?
わかります? 右側の船の手前に海から足だけ出てるでしょう。
…なぜこんなに小さく?

今回の番組の主題はおそらくここでしょう。
さて、どんな解釈がされるのでしょう?


しかし、謎はこれだけではありません。
この絵には真贋論争があるのです。
だから、「伝ブリューゲル」などと書かれるのです。

といっても、いわゆる“偽物”とは限りません。
実は画家になった長男、同じピーテルという名なので、
「ピーテル・ブリューゲル(子)」などと呼ばれますが、
彼は画業の多くを父の作品の模写、つまりレプリカの制作で過ごしました。

つまり息子やその周辺による公式な(?)なレプリカが多く存在し、
『イカロスの墜落の風景』もその可能性が高いと思われているのです。


さて、この絵に、この画家に、どこから切り込みますか?

2011年10月13日 (木)

【芸能】たけしとコマネチが二人で「コマネチ!」驚愕の共演/「コマネチ!」誕生の歴史を辿る

ピートたけしさんがナディア・コマネチさんと共演、
なんとコマネチさんがたけしさんのギャグ「コマネチ!」を二人でやっている写真が公開されています。
これは結構驚きました。


☆☆☆
タレント・ビートたけしが、国民的ギャグ「コマネチ!」の元ネタとなったルーマニアの元体操選手ナディア・コマネチさんと、このほど初対面を果たした。たがいに存在を知りながらも直接会うことがなかった2人。ギャグ誕生から31年の時を経て“Wコマネチ”がついに実現した。
歴史的面会は、BSフジのバラエティ番組「たけしの等々力ベース」(毎週木曜午後11時)でかなった。開催中の「世界体操東京 2011」に合わせて来日したコマネチさんが、ぜひ会っておきたいと番組収録の現場を訪れた。
たけしが「私は、このギャグで有名になったようなもの」と言えば、コマネチさんは「そうならば、分け前を半分貰わないと」。たけしが31年で積み上げた貫禄の動きに、コマネチさんも五輪10点満点のキレで応え、一緒に「コマネチ!」。
すっかり意気投合し、ギャグ誕生に至ったいきさつやコマネチさんが一躍有名になったモントリオール五輪の思い出など貴重なトークを繰り広げた。この模様は、10月20日の番組内で放送される

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111013-00000014-eiga-movi
☆☆☆


「コマネチ!」はたけしさんのギャグ、持ちネタとしては代表作ということになるのでしょう。

Wikipediaによると、このギャグは1980年4月から放送されたバラエティ番組『スター爆笑座』(TBS)の楽屋で、
共演のせんだみつおさんとの雑談中に生まれたそうです。(せんだ氏の著書より)
私の記憶ともほぼ合致します。この番組で二人でやり出したように憶えています。

この年は漫才ブームが巻き起こった年でした。
たけしさんはこの番組には当然ツービートとしての出演でしたが、
スタートする4月の時点では、まだせんださんの方が格上の扱いでした。
しかし、秋にはせんださんは降板、ツービート中心の番組としてリニューアルしました。
(せんださんと入れ替わりに和田アキ子さんが加わっています。)

その意味ではたけしさんとせんださん二人のギャグということになるのですが、
せんださんも一時はカリスマ的な人気があった人ですが、この当時はテレビの露出が減っていました。
この番組も降板してたけしさんとの共演もなくなります。

一方のたけしさんは一日何回もテレビで見かけるほどの破竹の快進撃で、
出る度に「コマネチ!」とやるのだから、当然たけしさんのギャグとして定着したのです。


ナディア・コマネチ(1961年-)

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妖精と呼ばれたコマネチさんは1976年、14歳で参加したモントリオールオリンピックの
段違い平行棒と平均台の演技で近代オリンピック史上初めての10点満点を出しました。
これは当時の世界的大ニュースで、コマネチさんは日本でも超有名人になりました。

ギャグ「コマネチ!」が誕生した1980年はその4年後、モスクワ五輪の年。
日本はボイコットしたし、コマネチさんも4年前ほどの勢いはなかったですが、
オリンピックの模様はテレビでは放送されました。
そこで、日本選手が出ていないからこそ、知名度のあるコマネチさんが
出ている体操が注目された面もあったかと思います。
そんな中で生まれたのが「コマネチ!」でした。


そもそもこのギャグの意味は何か?
いうまでもなく、レオタードのカット部分のセクシーさを強調したものです。

といっても、後のハイレグブーム(?)から比べれば全然大胆なカットではないし、
当時のコマネチさん自体、妖精と呼ばれた美少女だけど細く、中世的なイメージすらあり、
レオタード姿を揶揄されるほど大胆、セクシーな印象はありませんでした。

イメージよりも知名度からアプローチして成功したギャグかも知れません。
今回の写真を見てもそうですが、後のコマネチさんは肉感的なイメージもありますが。


男性編
たけしさんの当時のネタの流れとしては、
「コマネチ!」を一しきりやった後、「男の人も凄いですな」で男性編に入ります。
男性版は「アンドリアノフ!」が基本です。
ネタ元はニコライ・アンドリアノフ。旧ソビエト連邦の体操のエース、偉大な選手でした。


名言
このギャグに絡むたけしさんの明言として憶えているのが、
浅草出身の先輩芸人である三波伸介さんが亡くなった時のことです。

スポーツ新聞の見出しに三波さんの持ちネタをもじって、
「(亡くなるなんて)びっくりしたナァ、もう!」などと書かれていました。

それを見たたけしさん
「芸人てのは悲しいねえ。俺も死んだら
『コマネチ!のたけし死去』とか書かれんだろうなぁ。
『コマネチ!と毒舌でおなじみの』とかさ」

三波さんの死去が1982年なのでそれから29年、
お笑いの分野に限らず大きな数々の実績を残してきたたけしさんです。
今更、「コマネチ!のたけし」もないでしょうが、
しかしこんな話題になるくらいだから「コマネチ!」もしっかり名を残していいます。
29年前の心配が完全に払拭されたわけではないかも知れません。

【怪奇映画】満月の夜と狼男と女吸血鬼、天知茂と天草四郎/妖しい世界を徒然と

ネット上で月の話題をよく見かけると思ったら、今夜は満月でしたね。
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東京地方は曇り、この写真は2日前のものです。

月はロマンチックだけど、魅入られてしまうような怖さもあります。
今回はそんな世に相応しくクラシカルな怪奇映画の旅に…、
いや、ちょっと散歩にお付き合いください。


月を題材にした古典派ホラーのスターといえば、
やはり満月の光を浴びて凶暴な獣人に変身してしまう狼男です。

狼男をテーマにした映像作品は多く作られてきましたが、
その中でも代表作といえば、1941年にアメリカのユニバーサル映画が制作したこの映画でしょう。

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『狼男』(原題:The Wolf Man 日本でのTV放映題は『狼男の殺人』)

この映画のWikipediaの項目は私が作ったのですが、ふと満月の夜に思い出し、加筆修正しました。
シリーズ作品など書き加えて分量増やしただけで、中身は厚くなってないですが。

『狼男』の主役ローレンス・タルボットは元々普通の善良な人間です。
しかし、狼憑きに噛まれた為、満月の夜には凶暴に狼男に変身し、
自分の意思とは関係なく殺人を犯すようになってしまう悲劇の主人公。
ジキル博士とハイド氏に似た面もある、二重人格的なキャラクターです。


演じたのロン・チェイニー・ジュニア
サイレント時代の伝説的な名優で「千の顔を持つ男」と称されたロン・チェイニーの息子です。
1940年代にこの狼男をはじめ多くのホラーに出演して怪奇のトップスターとなりますが、
技量は偉大なる父に及ばず、その全盛期は短いものでした。
しかし、この狼男ローレンス・タルボットは永遠の当たり役として怪奇ファンに記憶されています。


ところで、この月の光を浴びて怪物にという設定を日本で早く取り入れた映画があります。
といっても狼男ではなく、ドラキュラタイプの吸血鬼なのですが。

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『女吸血鬼』(1959年 新東宝映画)
月光を浴びて本性を現す、迫力あるすばらしい吸血鬼役を演じたのはあの天知茂氏。
おそらく日本で初めての本格吸血鬼俳優でしょう。

・・・なんで天知さんが女吸血鬼なんだ! とブーイングを浴びそうですが、
この映画はタイトルに偽りありで、女性の吸血鬼は出てきません。
なぜ…って、この時期の新東宝ホラーは何があったって不思議はないのです。

1958年には英国怪奇映画の名作『吸血鬼ドラキュラ』が世界的にヒットしたので、
その影響を受けて制作されたのでしょうが、
例えば、月光を浴びて変身する狼男の特性など、欧米ホラーのエッセンスを総合的に取り入れ、
且つ日本的ホラーのテイストも含まれています。


この映画には他にも誤解され易い面があり、
天知氏演じる吸血鬼が天草四郎のなれの果てだとよく書かれるのですが、
これは間違いで、正しくは天草四郎の家臣である竹中信敬がその正体です。

天草四郎本人が吸血鬼となる話には横溝正史の小説『髑髏検校』があります。
そして、こちらの方が映画が大ヒットするなどあって有名だろうと思いますが、
四郎が吸血鬼ではないけど魔人として甦る作品に山田風太郎の『魔界転生』があります。

さて、天知茂さんはテレビの時代になり、1985年に54歳で早世するまで、
『非常のライセンス』『江戸川乱歩』シリーズなど伝説的なテレビドラマのヒット作で、
主演俳優として活躍を続けました。

その天知さんが晩年、自らのプロダクションの仕事してスペインの映画会社と共同で
制作したのが『狼男とサムライ』(1984年)でした。
狼男役はロン・チェイニー・ジュニアの後継者…といえるかどうか微妙ですが、
狼男をメインに怪奇俳優として活躍したポール・ナッシー。
といっても、超B級な存在です。


しかし天知さん、テレビの大スターなのにそんな方に行かなくても…と思うのですが、
やはり、月の魔力に魅入られ、怪奇の血が騒いだのでしょうか。

2011年10月12日 (水)

【未確認動物】伝説の怪物クラーケンは実在した!?/北欧の海に棲む超巨大UMAの姿とは

北欧の海に棲むという伝説の怪物クラーケンは実在したのでは?
というニュースがネットで流れました。


怪物クラーケン、先史時代の海に実在?
ナショナルジオグラフィック 公式日本語サイト 10月12日(水)14時41分配信
ネバダ州で発掘された脊椎化石。この整然と並んだ様子から「怪物説」が生まれた。
先史時代の海の墓場から、巨大な魚竜の骨が奇妙に整列した状態で見つかった。ある古生物学者が、この化石は、巨大なイカのような姿をした怪物クラーケンが実在した証拠だとする説を唱えている。バスほどもあるこの大きな海生動物を、クラーケンが捕食していたというのだ。
他の研究者たちは、クラーケンなど持ち出さなくとも、この化石には容易に説明がつくと反論している。クラーケンは、何世紀も前の巨大なイカかタコの目撃談が基になったとみられる伝説上の海の怪物だ。
問題の化石は、ラスベガスの北西約560キロ、ネバダ州にあるバーリン・イクチオサウルス州立公園で見つかった。約2億年前の骨が堆積した当時は海底だったところだ。
化石は円形をした脊椎骨、すなわち背骨の部分で、恐竜時代の海生爬虫類である魚竜目(イクチオサウルス類)の1種、ショニサウルス・ポピュラリス(Shonisaurus popularis)のものだ。
骨の大きさから、イクチオサウルスの体長は15メートルかそれ以上に達したと推測される。

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20111012-00000000-natiogeo-int


クラーケン(ノルウェー語等:Kraken)

Kraken


クラーケンはネッシーや雪男といった未確認動物、UMAの一種としても語られることのある怪物です。
未確認動物といえば、先日はこのブログでもテレビの特番のテーマとなった、
南米の猿人モノスについて書きましたが、
今度はクラーケンとは、意表をつかれました。

しかし、ネッシーのように20世紀にも多くの目撃例があり、写真や映像が撮影された
「現代のミステリー」といったイメージの動物に比べると、
もっと古い伝説上の、神話時代の存在という感じがあります。
ちょっと境界線が引かれているように思えます。

クラーケンは上の絵のように、
主に巨大なイカやタコのような頭足類の姿で伝えられています。
クラーケンがニュースになり得た背景には、
映画『パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト』(2006年)など
映像作品への登場の影響もあるかと思いますが、それらもやはり頭足類のイメージです。

しかし、違う形状の説もあるようで、私が子どもの頃に読んだ本では、
巨大なエイの姿をしていました。


そして、知る人ぞ知る伝説の未知動物本である
『なぜなに 世界の大怪獣』(1972年発行 小学館)では、
このような超々巨大な姿で描かれています。

Nazenani

この絵の大迫力、まったく素晴らしい傑作です。
これがこの生物の背中だとすると、やはりエイのイメージに近いでしょう。


さて、今回のニュースについてですが、一番上に引用した記事の中にもありますが、
この発見をクラーケンに結びつけるは少し…、いや、かなり強引のように思えます。

しかしまぁ、たまにはこんな話もいいです。

2011年10月10日 (月)

【昭和プロレス】ローラン・ボックがハルク・ホーガンに敬意!/「Gスピリッツvol.21」より

9月28日に発売されたプロレス専門誌「Gスピリッツvol.21」に掲載された
西ドイツ出身の元プロレスラー、ローラン・ボックの2万字に及ぶ巻頭インタビューに
ついてのブログ第三弾です。
http://www.tg-net.co.jp/gs

Gs21

ローラン(ローランド)・ボック (Roland Bock、1944年8月3日-)
今回のインタビューでボックは様々なプロレスラーについて論評していますが、
その中で、私に限らず意外に感じたファンが多かったろうと思うのは、
1980年代アメリカンプロレスのスーパースター、ハルク・ホーガンについての高い評価です。

ボックはホーガンと是非試合をしたかったと語り、
自分にとってホーガンは永遠のナンバーワンだとまで言っています。

これが何故意外に感じるかというと、
ショーマン派の典型のように思えるホーガンは、ボックとはレスラーとしてのタイプが全然違い、
ボックが評価するのが不思議だという面がまずあります。

しかし、それ以前の問題として、時間的に見て、
ホーガンがアメリカマット界で大きな成功を収めていく時期、
ボックは既にプロレス界から離れていたからです。

いや、離れていたどころか、
ボックは1982年に脱税が問題化、今回の記事によれば、83年1月に収監されています。
本来の刑期は85年1月までですが、数ヶ月後には出獄できて、
奥さんの名義にしていた自分のディスコ経営会社で働いたいたとのことですが、
そんな状態で、それ以降プロレスとの関わりはないようです。

アメリカ在住ならともかく、よくホーガンに興味を持ったものです。
ともかく、興味を持ったからこそ、プロレスから離れてもホーガンを注視していたのでしょう。
それはなぜでしょうか?


そもそも、ボックとホーガンは会ったことがあるのか?

実は二人は1981年暮れ、新日本プロレスの第2回MSGタッグリーグ戦に参加しています。
しかし、共にリーグ戦に出場しない特別参加で、
ホーガンが中盤戦、ボックが終盤戦のみの出場。
つまりホーガンが帰るのと入れ替わりに、ボックが来日というニアミス状態で、
おそらく顔を合わせてはいないと思います。
ここで会っていなければ、他の機会の可能性は低いと思います。

この頃のホーガンは新日マットにおいて既にトップスターの一人でしたが、
まだスーパースターの域ではなく、必殺技アックス・ボンバーの開発前。
テレビ放送されたアントニオ猪木とのシングルマッチでは卍固めでギブアップ負けしています。
おそらく、ホーガンの新日マットで唯一のギブアップ負けではないでしょうか。

ホーガンの米日での本格快進撃が始まるのはこの翌年、1982年から。
ボックとプロレスとの縁が一気に切れた時期と重なります。


さて、ボックはホーガンのどこが素晴らしいと言っているのでしょう。
ボックはホーガンのファイトが好きで「シリアスでアマチュアの技術に近い」と述べています。
やはり意外に感じます。
この発言を解く鍵はあの猪木戦にあるのかも知れません。


シュツットガルトの惨劇
1978年11月26日、西独シュツットガルトで行われた
アントニオ猪木とローラン・ボックの試合は「シュツットガルトの惨劇」と呼ばれ、
伝説化しています。

ネット上でも同様の意見を見かけますが、
この試合を見てまず第一に感じるのは二人の体力の差です。
体の大きさも違いますが、ボックの体の力、身体能力は凄いです。
よく見ると、別に猪木はやられっぱなしではなく、結構攻めているのですが、
この体力差の為に、猪木が一方的にやられたイメージが定着したのだと思います。
当時は家庭用ビデオの普及前、繰り返して見ることなどできませんでしから。

この圧倒的な身体能力を持って攻め込むスタイルは、
ボックとホーガンと共通するもではないかと思います。
それが持って生まれたものか、鍛錬によって備わったものかは別にして、
それを持って、生かしているという点で、ボックはホーガンに共感したのではないでしょうか。

それに最近、別のDVDでホーガンがヒロ・マツダ、マサ斎藤、ジャック・ブリスコらとスパーリングする、
1978年の映像を見たのですが、たしかにレスリングの基礎訓練は積んでいるようです。


事業家として
もうひとつはビジネスマンのボックとして、成功者であるホーガンへの敬意があるのかと思います。
ボックはホーガンについて「他の誰よりもレスリングビジネスを巨大なものにした。
そんなレスラーは100人に一人しか出てこない。」と最大の賛辞を送っています。

今回のインタビューを読んでも尚、ボックが事業家として本当に成功したのかどうか、
よくわからない面がありますが、
記事の執筆者でインタビュアーである那嵯涼介氏が、別のサイトに書かれていたのですが、
ボックにとってプロレス興行だけが彼の事業家としての唯一の失敗例だったとのことです。
つまり他のビジネスはすべて成功しているようです。(猪木はその逆とのこと)

そのボックがただひとつ成果を上げられなかったプロレスにおいて、
偉大な成功を収めたホーガンに敬意を表すのは当然かも知れません。


*最後のビジネス絡みの部分はプロレスラーとしての成功と、
興行ビジネスの面を混同しているように思われるかも知れませんが、
ホーガンの場合は自分を主体とした総合プロデュースとしての成功例ともいえるので、
区別せずに書きました。

2011年10月 9日 (日)

【アニメ】『ルパン三世』声優陣変更/不二子、五ェ門、銭形交代。ルパンと次元は続投。国民的アニメにその時が

Lupin3_014

『ルパン三世』にもついにその時が来ました。
12月2日に放送される新作『ルパン三世 血の刻印~永遠のMermaid~』において、
主要キャスト5人のうち、3人の声優さんが変更されるそうです。
放送は終了しました。こちらに感想など記しています。


<ルパン三世 16年ぶりに声優陣変更 銭形警部は山寺宏一 五ェ門、不二子も
 放送40周年を迎えた人気アニメ「ルパン三世」の声優陣が16年ぶりに変更されることが9日、関係者への取材で明らかになった。ルパンの永遠のライバル・銭形警部を「山ちゃん」の愛称で知られる人気声優の山寺宏一さんが担当するほか、石川五ェ門役を浪川大輔さん、峰不二子役を沢城みゆきさんが務める。なお、ルパン役の栗田貫一さん、次元大介役の小林清志さんは続投。12月に放送される1年10カ月ぶりの新作スペシャル「血の刻印~永遠のMermaid~」(日本テレビ系)で新たな“ルパン一味”が船出を飾る。>

http://mantan-web.jp/2011/10/09/20111009dog00m200006000c.html


引用した記事中にありますが、改めて示すと、交代は以下の通り。

峰不二子 増山江威子氏→沢城みゆき氏
石川五ェ門 井上真樹夫氏→浪川大輔氏
銭形警部 納谷悟朗氏→山寺宏一氏氏
(ルパン三世の栗田貫一氏、次元大介の小林清志氏は続投)


放映形態は違いますが、日本の国民的アニメビッグ3
『サザエさん』(1969年-)
『ドラえもん』(1979年-)
そして『ルパン三世』(1971年-)
いずれも30年、40年と続ける為には、通らざる得ない通過点なのでしょう。

『サザエさん』はまとめてのリニューアルはなく、個々に入れ替わりがありました。
しかし、放映42年目を迎えて磯野家&フグ田家の主要キャスト7人のうち、
4人がスタート以来のオリジナルという、驚異的な状況を守っています。

『ドラえもん』はご存じのように、26年目の2005年に、
思い切った全面リニューアルがありました。


今回の『ルパン』は大型リニューアルではありますが、全面ではなかったですね。
そもそも『ルパン』の声優変更は今回が初めてではありません。


過去の交代
ややこしくなるので、2本のパイロット版と、
1987年に声優を一新して制作された劇場用映画『ルパン三世 風魔一族の陰謀』は除くと、
過去に5人のうち3人は一度ずつ交代がありました。

まずTV第1シリーズ(1971年-1972年)の後、
TV第2シリーズ(1977年-1979年)開始時に以下2人が交代。
峰不二子:二階堂有希子氏→増山江威子氏
石川五ェ門(五右ェ門):大塚周夫氏→井上真樹夫氏

大塚氏の降板理由はよくわかりませんが、二階堂さんという方は
第2シリーズの時点ではほとんど活動されてなかったのではないかと思います。


そしていうまでもなく、1995年に『ルパン三世』の象徴的存在だった山田康雄氏の死去により、
ルパンの声は栗田貫一氏の担当となりました。


今回の交代について

Lupin3_kokuin_002_2


私見ですが、今回の交代はいたしかたない面もあるかと思います。
交代する3人のうち、抑えた演技の多い五ェ門役の井上さんはあまり感じませんでしたが、
不二子と銭形はハイテンションなシーンも多く、失礼ながら増山さんと納谷さんは、
そろそろ難しいかなと感じていました。

今の声優さんには詳しくないので、浪川さんと沢城さんはまったく知りませんし、
山寺さんも声優としてどんな声を出されるのかよくわかりません。
しかし、この国民的人気アニメのキャラクターを引き継ぐのですし、
長期のオーディションも行ったようなので、
よもや期待外れということはないかと思います。
新生『ルパン三世』に期待します。
もちろん続投の栗田氏にも。

そしてなにより、その渋い魅力が衰えない次元の小林氏には、
長く続けていただくことを望みます。


最後にパイロット版2本と『風魔一族の陰謀』も含めた声優の変遷を紹介しておきます。

ルパン三世
野沢那智 広川太一郎 山田康雄 古川登志夫 山田康雄 栗田貫一

次元大介
小林清志 銀河万丈 小林清志

峰不二子
増山江威子 二階堂有希子 増山江威子 小山茉美 増山江威子 沢城みゆき

石川五ェ門
納谷悟朗 小林修 大塚周夫 井上真樹夫 塩沢兼人 井上真樹夫 浪川大輔

銭形警部
近石真介 大塚周夫 納谷悟朗 加藤精三 納谷悟朗 山寺宏一


関連My Blog
【アニメ】『ルパン三世 血の刻印~永遠のMermaid~』 声優陣交代第一作放映
【アニメ】『ルパン三世』苦難の誕生ヒストリー基礎知識/アニメ化40周年

2011年10月 7日 (金)

【此の夜のBar】カクテルの女王 マンハッタン/新宿 Bar CAVA CAVAにて

カクテルの女王と呼ばれる「マンハッタン」
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カクテルの王様といえば「マティーニ」
マティーニはジンとドライ・ベルモットのカクテル。
アルコールの強さをストレートに感じます。

マンハッタンはライ・ウイスキーとスイート・ベルモットのカクテル。
女王と呼ばれるに相応しい、
ウイスキーの強い香りと、スイートベルモットのしっかりした甘さが魅力です。
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今宵は新宿の歴史ある名店、CAVA CAVAにて
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Bar  CAVA CAVA 公式サイト
http://www.bar-cavacava.com/pc/

2011年10月 6日 (木)

【美術展】『モダン・アート,アメリカン ―珠玉のフィリップス・コレクション―』六本木国立美術館/アメリカ近現代美術史を俯瞰

東京六本木の国立新美術館で12月12日まで、
『モダン・アート,アメリカン ―珠玉のフィリップス・コレクション―』展が開催中です。

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モダン・アート,アメリカン ―珠玉のフィリップス・コレクション―
2011年9月28日(水)-12月12日(月) 国立新美術館

主催:国立新美術館、フィリップス・コレクション、読売新聞社
公式サイト http://american2011.jp/index.html


首都圏で開催される美術展で、この秋最大級の本展が開幕しました。

しかし、この「モダン・アート,アメリカン」というタイトルが相応しいのか、少し疑問を感じます。
用法としては合っているとしても、これだといわゆる“現代アート”、
抽象性の強い、難解な芸術作品をイメージする人が多いのではないでしょうか。

今回の出展作品は110点。
年代は19世紀末から20世紀半ばまで。
風景画の比率も高く、アメリカカンスタイルの印象派絵画から、
都市の風景やそこに暮らす人々を描いた絵、人物画、
そして抽象性の強い作品へと繋がっていきます。
アメリカの絵画史のみならず、米国近現代史を俯瞰するかような、
なかなかおもしろい展覧会です。


批判的なことばかりで申し訳ないですが、
公式サイトの紹介文も冒頭部分がちょっと難解に感じます。
抽象絵画は好き嫌いが分かれる面がありますので、その印象で敬遠してしまう人がいないように祈ります。
展覧会はとてもいいので、誤解されないかが心配なだけです。


フィリップス・コレクション(ワシントンD.C.)
ちょっとわかり難いですが、美術館の名称です。
鉄鋼業で財を成したフィリップス家の次男ダンカンと妻マージョリー夫妻の
個人コレクションをもとに設立されたアメリカで最初の近代美術館です。

マネやルノワールら印象派をはじめとする西欧絵画の大規模なコレクションを誇る一方、
アメリカ人画家の作品を積極的に購入し、同時代の若い芸術家を支援した功績は広く知られています。

今回の展覧会には、同美術館所蔵のアメリカの美術品から110点が来日を果たしました。
19世紀後半からアメリカン・モダニズムの時代を経て、戦後のアメリカ絵画隆盛期にいたる
アメリカ美術の軌跡をたどります。
固有の風土と歴史の中で独自の表現を追求しつつ培われてきたアメリカ美術の多彩な魅力を伝えてくれることでしょう。

作品は以下の10ブロックに分かれ展示されています。

 第1章 ロマン主義とリアリズム
 第2章 印象派
 第3章 自然の力
 第4章 自然と抽象
 第5章 近代生活
 第6章 都市
 第7章 記憶とアイデンティティ
 第8章 キュビズムの遺産
 第9章 抽象表現主義への道
 第10章 抽象表現主義


いくつか紹介しましょう。

Modernart_002
『日曜日』 エドワード・ホッパー
本展の看板作品。都市の中の孤独。


Modernart_004
『冬の6時』 ジョン・スローン


Modernart_003
『ランチョス教会、No.2、ニューメキシコ』 ジョージア・オキーフ


Modernart_006
『フージック・フォールズ、冬』 グランマ・モーゼス


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『パッリア橋』 モーリス・プレンダーガスト

2011年10月 5日 (水)

【お笑い】NHK新番組『松本人志のコント MHK』初回に浜田雅功出演/10年ぶりにダウンタウンのコントが復活

11月よりNHKで毎月第1土曜日に放送される、
ダウンタウン松本人志さんのコント番組『松本人志のコント MHK』。

その第1回となる11月5日放送分に松本さんの相方、浜田雅功さんが特別出演、
ダウンタウン2人がコント番組で10年ぶりに共演するそうです。
http://news.nicovideo.jp/watch/nw123375

そもそも、松本さんがNHKでコント番組をやるというのがサプライズであり、
その初回に更にビッグなプレゼントを持ってきたというところですね。
もっとも、ダウンタウンの共演自体は全然珍しくないですが。

この番組については、ダウンタウンの共演でなくても、
松本さんがテレビでコントをやるのが10年ぶりということで話題になっていました。

10年前のコント番組というのは、2001年10月に放送されたスペシャル番組
『ダウンタウンのものごっつええ感じスペシャル』のことです。
(松本さん単独では、同じ年に日本テレビ系のバラエティ番組『進ぬ!電波少年』から
派生した『サスケ』もあります。)

『ダウンタウンのごっつええ感じ』はフジテレビ系列で1991年12月8日から1997年11月2日まで放送された、
ダウンタウンの代表作といっていい番組でした。
終焉に当たっては松本さんと局側との間で意見の行き違いがあったと記憶しています。

その終了から4年後、今田耕司、東野幸治、板尾創路、蔵野孝洋(ほんこん)、YOUら、
元のレギュラー出演者に加えて、千原兄弟、DonDokoDon(山口智充と平畠啓史)、ココリコ、藤井隆ら
当時の若手お笑い芸人たちが出演して制作されたのが『ダウンタウンのものごっつええ感じスペシャル』でした。
しかし、視聴率10%に届かなかったといわれ、これを最後にダウンタウンは、
少なくともテレビではコントから遠ざかることになりました。

このスペシャルはおもしろかったです。
単発番組で視聴率が悪かったのだから、内容云々ではないですね。
コントでは興味を引き付けられなかったということです。

コントが視聴率的に難しいというのは今に始まったことではないですね。

つい先日も、ダウンタウンとは因縁深い(?)爆笑問題の太田光さんが、
「コントをやりたくて以前から何度も企画書を上げているけど、一度も通らない」
とぼやいていました。


ビートたけしさんも全盛期に様々な番組をやっていましたが、
コント色の強いものは苦戦していましたね。
1989年にTBSであの『風雲!たけし城』の後を受けて始まった『総天然色バラエティー 北野テレビ』は、
ゴールデンタイム1時間の本格的なコント番組でしたが視聴率は振るわず、半年で終了しました。
私は好きでしたが。

この番組では当時、たけし軍団のリーダー格であった、そのまんま東(東国原英夫元宮崎県知事)を
フィーチャーしていました。
この番組の後、東さんは軍団から距離を置き、ソロでの活動が増えたと記憶しています。


さて、今度の新番組はですが、
「NHNで松本さんがコントをやる」というのも注目点です。
NHKのコント番組というと、どんなものがあったでしょう?

比較的新しいものだと、時代劇ですが、
『コメディーお江戸でござる』(1995年-2004年)がコント番組といえるのでしょうね。

代表的なものとなると、やはり三波伸介さんの『お笑いオンステージ』(1972年-1982年)でしょう。
元々三波さん、伊東四朗さんらのてんぷくトリオの番組でしたが、
伊東さんは途中で抜け、三波伸介一座のようになっていきました。
一度だけだと思いますが、ザ・ドリフターズが出演したこともあります。

途中降板した伊東四朗さんは『お江戸でござる』の初期のメインキャストでしたね。
こちらも途中で身を引いていますが。


『松本人志のコント MHK』には期待していますが、
レギュラーといっても月一回なのだし、ダウンタウンとしてやってほしかったというのが本音です。

2011年10月 3日 (月)

【音楽】知られざる名曲/昭和50年代女性アイドル編

1970年代でも80年代でもなく、
あえて昭和50年代という括りで知られざる名曲をいくつか紹介します。

「何度か聴くとなかなかいいね」ではなく、
個性的でパワフル、一度聴いただけで印象に残る歌を集めてみました。
結構、自信あります。

「この人は知っているけど、この歌は知らない。」
「この人達、まったく知らない」
色々あると思います。


『渚でクロス』 荒木由美子
1977年(昭和52年)


タレントとして司会やCMで、
また青春スポ根ドラマ「燃えろアタック」の主演女優としてなじみのあった荒木由美子さん。
そのデビューは歌手として、それもこんなパンチのある、ダイナミックで、
それでいて強い郷愁をも感じさせる最高の名曲でした。
ライブ映像はこちら http://youtu.be/JzLSNlEhLdM



『どきどき旅行』 岩崎良美
1982年(昭和57年)


誰でも知っている岩崎良美さんの、
あまり知られていない、ポップでご機嫌な名曲。
なぜこの歌が大ヒットしなかったのか不思議です。



『薔薇とピストル』 ギャル
1977年(昭和52年)


ピンク・レディーブームに沸き返る1977年。
『スター誕生!』出身でソロデビューしていた黒木真由美、石江理世、目黒ひとみで結成。
今でいえば“ユニット”ということになるのでしょうか。
パワフルな魅力のこのデビュー曲はそこそこヒットしましたが、
残念ながら後が続きませんでした。
「ギャル」という言葉も一般にはなじみがなかった頃です



『たんぽぽ畑でつかまえて』 スターボー
Starbow

1983年(昭和58年)


これぞ知る人ぞ知る女性アイドルグループの、知る人ぞ知る名曲。
デビュー曲は宇宙人のイメージで、かなり際物っぽい路線でしたが、
この二曲目で正統派路線に。
さすがにこのイメージチェンジは成功しませんでしたが、
この歌はファンタジックで美しく、忘れ難い名曲です。



『旅の手帳』 石毛礼子
1981年(昭和56年)


今回紹介した中ではおとなしめの歌。
とはいっても、ノリもなかなかいいです。
旅行雑誌のタイトルみたいですが、美しく、心洗われる名曲です。
↓ライブ映像はこちら。
http://www.youtube.com/watch?v=gQ-y8VsbTiI



『青い花火』浜田朱里
1981年(昭和56年)


松田聖子らと同じ1980年デビュー組。
ヒット曲にはめぐまれませんでしたが、大人っぽい魅力がありました。
3曲目のこの歌は迫力もある名曲でした。

2011年10月 2日 (日)

【美術】レオナルド・ダ・ヴィンチ『岩窟の聖母』10/1『美の巨人たち』より/天使はなにを指し示す?

先日、このブログでも紹介したように、
10月1日放送のテレビ東京系『美の巨人たち』のテーマ作品(「今週の一枚」)は
レオナルド・ダ・ヴィンチの『岩窟の聖母』でした。
http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/backnumber/111001/index.html
10月に4週連続で放送される「ミステリー絵画シリーズ」の第1回です。


レオナルド・ダ・ヴィンチ
(Leonardo da Vinci, 1452年4月15日-1519年5月2日)
ルネサンス万能の天才、西洋絵画史上の超有名人レオナルド・ダ・ヴィンチ。
彼が残した数少ない絵画の中でも屈指の傑作『岩窟の聖母』。
とはいっても、『モナ・リザ』や『最後の晩餐』、『受胎告知』に比べれば
知名度が高いとはいえず、誰もが知っているわけではないですね。

そしてまた謎多き絵でもあります。
まず第一の謎は、ほぼ同じ構図の絵が2点存在することです。
改めて紹介しましょう。

Felsgrottenmadonna_001
パリ、ルーヴル美術館の『岩窟の聖母』


Felsgrottenmadonna_002
ロンドン・ナショナル・ギャラリーの『岩窟の聖母』


さて、謎が多ければ人々の興味をそそり、絵画の魅力のひとつにもなるのですが、
この絵の場合は主題を示すのすら難しく、“入門”もおいそれとはいきません

そのような絵ですので、30分番組ですべてを語るなど無理な事です。
まずはどうテーマを絞るのかが興味の対象でした。


以下、基本的に私見は挟まず、番組の内容を紹介します。
ややこしくなるので番組の構成には言及せず、骨子のみ記します。

番組ではこの絵の舞台設定については聖書にある「エジプトへの逃避行」とし、
他の可能性への言及はありませんでした。

また、二人の幼子については右側をイエス、左側を洗礼者ヨハネとし、
逆の可能性についてはまったくふれていません。

ミステリとして解題されたのは主に以下2点でした。

・ルーヴル版とロンドン版、どちらが先に描かれたか?
・ルーヴル版に後から描き足された大天使ガブリエルの指先の意味は?


ルーヴル版とロンドン版、どちらが先に描かれたか?
この絵はミラノにある聖堂の祭壇画としてに発注されたものです。
ダ・ヴィンチは当時の慣習に従いデ・プレディス兄弟との共作により絵を完成させましたが、
引き渡しに際してトラブルとなり、長い係争の末のに依頼者の手に渡りました。
最終的に引き渡された絵とはロンドン版の方です。

実はルーヴル版の存在が知られるのは後世になってからです。
17世紀にパリ郊外のフォンテンブロー宮殿で発見されましたが、来歴はわかっていません。

番組ではダヴィンチが研究した光の科学に基づく技法が、
ロンドン版に、より完成した形で取り入れられていることから、
ロンドン版が後に書かれたものとの見方を取っています。

後先の問題でいえば、ロンドン版が後というのは一般的な見解かと思いますが、
番組だけだと、ロンドン版の方が技巧的に「優れた作品」という印象を受けるかと思います。
ここはちょっと面白いですね。


ルーヴル版にのみ後から描き足された大天使ガブリエルの指先の意味?

Felsgrottenmadonna_003

今回提起された新たなる発見。
ルーヴル美術館が最近見つけ、全貌は来年発表されるそうなのですが、
この番組にだけ少し答えを明かしてくれたことがあるというのです。

ルーヴル版にのみ描かれている大天使ガブリエルの右手。
最新の調査よると、洗礼者ヨハネを指さしているその手は、後から描かれたものだとのこと。
元々はロンドン版と同じく、右手は描かれていなかったそうです。

ではなぜ右手は描き足されたのか。
番組の解釈は、ミラノを傘下に治めたフランス王ルイ12世の指示によるものとしました。
裁判中、レオナルドとレ・プレディス兄弟は自分達に見方してくれるよう、
ルイ12世に嘆願書を送り、レオナルドのファンであった12世はこれに応えています。

番組ではルーヴル版はルイ12世により、フランスに持ち込まれたものと推測しました。
(このことは記録には残っていません)

そして12世は天使の右手を書き加えさせた。
ヨハネを指さすことにより、絵の主役は聖母子ではなく、ヨハネになります。
何故、ヨハネを主役にしたのか?

ルイ12世の元王妃ジャンヌ。
病弱で子どもが出来なかった為、離縁となりました。
ジャンヌのラテン語読みはヨハンナ、男性名だとヨハネです。
ルイ12世はこの『岩窟の聖母』に、この薄幸の元王妃への思いを込めたというのです。


以上、番組が示したひとつの見解でした。
これ以上の解題は後世に譲るとして締めくくっています。

とりあえずややこしくなるので、解釈についての私見は書きませんが、
番組の感想としては、初心者向けには少し解り難かったかも知れませんね。

2011年10月 1日 (土)

【ダンスイベント】第31回三笠宮杯全日本ダンススポーツ選手権 9/11/ 熱闘グラフ

第31回三笠宮杯全日本ダンススポーツ選手権
2011年9月11日(日)  東京体育館
主催 公益社団法人 日本ダンススポーツ連盟(JDSF)

日本のスポーツダンス(アマチュアのボールルームダンス(社交ダンス)競技)
最大の大会です。

春に同じ東京体育館で開催予定だった、
第13回東京インターナショナルオープンダンススポーツ選手権は
震災の為に中止になりました。

今回、この伝統ある大会が無事開催され、
多くの観客を集め、熱闘が繰り広げられたのは喜ばしいことでした。


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Mikasa2011119
Mikasa2011116

Mikasa2011037_2 


競技結果
三笠宮杯スタンダード
1位:石原 正幸・伊藤 沙織 組
2位:小嶋 みなと・盛田 めぐみ 組
3位:OLEKSII GUZYR・太田 吏圭子 組
4位:貫名 強・柴原 まりこ 組
5位:吉川 竜・石井 恵麻 組
6位:和智 健郎・和智 喜理子 組 

三笠宮杯ラテン
1位:久保田 弓椰・久保田 蘭羅 組
2位:鈴木 佑哉・鈴木 加奈 組
3位:OLEKSII GUZYR・太田 吏圭子 組
4位:濱田 健史・安福 絵里子 組
5位:川島 知也・小嶋 まつり 組
6位:関根 チョーマ・沼田 まな美 組 

詳しくはJDSF公式サイト参照
http://jdsf.or.jp/kyougi/2011/110903/R110903.html

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