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2011年9月

2011年9月29日 (木)

【美術】今週10月1日放送『美の巨人たち』はダ・ヴィンチ『岩窟の聖母』/超大物画家の謎深き名画をどう解くか

今週末、10月1日放送予定のテレビ東京系『美の巨人たち』のテーマ作品(「今週の一枚」)は
レオナルド・ダ・ヴィンチの『岩窟の聖母』です。
http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/backnumber/111001/index.html
*放送は終了しました。こちらに感想など記しています。


ルネサンスの巨匠、西洋絵画史上屈指のビッグネームの傑作が登場ですね。
今まで取り上げられたことがなかったのでしょうか?

10月の『美の巨人たち』は4週連続、ミステリー絵画シリーズだそうです。
別にわざわざ謳わなくても、普段から謎とき、ミステリ仕立てが多い番組ではないかと思いますが、
たしかに『岩窟の聖母』はそのテーマにぴったりの謎多き絵画です。

番組公式サイトの予告文です。
謎が、私たちを惑わす…。1日は、レオナルド・ダ・ヴィンチの「岩窟の聖母」。
実は、同じ構図の絵がもう一枚。しかし何かが違う。あなたには分かりますか…。
謎は、この天使の指先に。」

予告文にあるように、この作品はほとんど同じ構図の絵が二枚あるのです。
ご紹介します。


Felsgrottenmadonna_001
パリ、ルーヴル美術館の『岩窟の聖母』


Felsgrottenmadonna_002
ロンドン・ナショナル・ギャラリーの『岩窟の聖母』

なぜ二枚あるのか?
作者は共にダ・ヴインチなのか?
どのような切り口で描かれるでしょう。


しかし、謎はこれだけではありません。
そもそもこの絵のテーマは何でしょう。

険しい岩窟に聖母子が身を潜めているのだから
聖書にある「エジプトへの逃避行」でしょうか?
それとも・・・・?

登場人物は中央が聖母マリア、右端は天使。
二人の赤子はイエス・キリストと洗礼者ヨハネですが、
どちらがイエスなのか、ヨハネなのかは議論があります。
ロンドン版を素直に見れば、左の幼子は洗礼者ヨハネのアトリビュートである、
皮衣を纏い、十字架の杖を持っているだからヨハネに決まっているのですが、
そう単純にもいきません。

ここらあたりまでは検証されるのでしょうか?
予告文のにある「謎は、この天使の指先に。」という文言からして、
二人の幼子についても、少し踏み込んだ解釈をするような気もしますが。

楽しみですね。

2011年9月28日 (水)

【昭和プロレス】Gスピリッツvol.21発売/ローラン・ボック 2万字インタビュー first impression

先日、このブログでも紹介しましたが、
今日9月28日発売されたプロレス専門誌「Gスピリッツvol.21」に
西ドイツ出身の元プロレスラー、ローラン・ボックの2万字に及ぶ巻頭インタビューが掲載されました。
http://www.tg-net.co.jp/gs/

Gs21
まだ発売当日ですので、あまり詳しいことを書くのはフライングでしょうから、
今回はごく大雑把な感想のみ記します。


結論から言えば、大変良い記事でした。満足しています。


ローラン(ローランド)・ボック (Roland Bock、1944年8月3日-)
そもそも今回のインタビュー記事がどのようなものになるか予想し難かったのは、
30年近く前、脱税で逮捕されたとの情報を最後に消息の途絶えていたボックが、
その後どのような人生を送り、どのような人間になっているか、
想像出来なかったからです。

その点はどうだったか?
もちろん肉声ではなく、取材にあたった那嵯涼介氏の筆を通しての印象ですが、
30年ぶりのボックは大変立派な、堂々たる老紳士として私達の前に現れました。
その受け答えは真摯で率直であり、またプライドに溢れたものでした。

プロレスを離れてからの30年間・・・、
脱税での逮捕は事実であり、もちろん波乱万丈だったことを感じさせますが、
その後、ビジネスの面では概ね順調だったようです。
ただ、現役末期からの体調の問題にはだいぶ悩まされてきたようですね。


・アマレス時代の経歴について、
・プロレス転向の事情、
・自らプロモートした欧州世界選手権シリーズについて、
・欧州、アメリカ、日本の数多くのプロレスラー評・・・、
実に興味深い話をたっぷり聞くことができます。

そしてプロレスに対する考え、
あの1978年11月、西独シュツットガルトでのアントニオ猪木との試合について、
これらはだいたい私がイメージしたものに近い、
また、私にとっては概ね期待通りの答えでした。

ただし、この点はオールドプロレスファンにも色々考えがあるので、
違う感想を持つ人もいるかと思います。

また、すべてが真実かとなると、
自分の人生を振り返って本当のことだけを語る人間など極めて稀でしょうし、
そんなことは判断出来ません。
しかし、全体としては那嵯氏からのコメントにもあったように、
率直に本音を語ってくれているように思えました。


未読の方は大いに期待していいと思います。
共感できるかどうかはその人しだいですが。

【ビール 祭り】YOKOHAMAオクトーバーフェスト2011 横浜赤レンガ倉庫/今年最後・最大のビールの祭典を、最高の気候で!

このページは2011年のフェストの紹介です。2012年の情報はこちら


このブログで5月から9月にかけて日比谷公園、代々木、芝、豊洲で開催され、
この後長崎でも開催される日本版オクトーバーフェスト2011を紹介しました。こちらです。
これらはいずれも同系列の主催なのですが、これ以外にも全国でオクトーバーフェストは開催されています。

その中から、横浜赤レンガ倉庫で開催される日本最大規模の、
そして今年の日本での事実上最後となるオクトーバーフェストを紹介します。
いよいよ開幕がせまってきました。

横浜オクトーバーフェスト 2011/YOKOHAMA OKTOBERFEST 2011 
2011年9月30日(金)-10月16日(日)
横浜赤レンガ倉庫

http://www.yokohama-akarenga.jp/event/
*このイベントは閉幕しました。

横浜でのフェストの第1回開催は2003年なので今年は第9回。
春から秋にかけて、日本各地で行われ、多くのお客を動員するようになった
野外開催形式のオクトーバーフェストの草分けがここです。

横浜赤レンガ倉庫。
いかにもエキゾチックなイメージのここで開かれるフェストこそ、
会場の規模、また開催期間の長さからみて国内最大級といえるでしょう。

そして、本家であるドイツのミュンヘンのオクトーバーフェストと同様、
その名の通りに、10月にかけて開催される大会です。

今年は日独交流150周年、そして横浜赤レンガ倉庫創建100周年記念イベントとなります、
本家オクトーバーフェストの公式ビールの4種類の他、新たに3つのドイツブランドビールが登場。
また神奈川県産地ビールなど、合計70種類の多種多様なビールを楽しむことができます。
料理もドイツのハムやソーセージを始めとしたビールにぴったりのものが取り揃えられます。

今年は特にテントの内装にも拘り、本家ミュンヘンに近い雰囲気を再現するとのこと。
もちろん、バンドによる演奏もあります。



Dsc06525★参考写真:5月に日比谷公園で行われたオクトーバーフェスト2011


オクトーバーフェストとは
ところで、そもそもオクトーバーフェストとは何?
なぜ10月の開催ではない会場もあるのにオクトーバーというの?
知らない人はみな疑問に思うでしょう。
過去のブログ記述とも少しダブりますが、本家のオクトーバーフェストとその日本版、簡単に紹介します。

オクトーバーフェスト(Oktoberfest)
オクトーバーフェストとは、ドイツのミュンヘンで毎年9月から10月にかけて
開催されるビールのお祭りです。

第一回の開催が1810年ですので、200年以上の歴史があります。
600万人以上の入場者があり、世界最大級の祭りとされます。
今年2011年は9月17日-10月3日に開催されます。

日本では「ビール祭り」との呼び方もされてきましたが、
いずれにしろ、誰もが知っているというほど有名ではないですね。

このフェストを模したイベントが世界各国で開催されています。
その日本版が、日本でも春から秋にかけて各地で開催されるのです。
月は違って10月開催でない場合も、イベント名はそのままいただいたのですね。

実は本家ドイツも、今年の日程をみてもわかる通り、
実際の開催期間は10月は少し引っ掛かるだけで、9月の方が長いのです。
最初は10月に行われていたようですが、やはり気候の問題もあって早まったようです。

今年の夏は天候が安定せず、暑すぎたり突然の豪雨に襲われたりと、
屋外の、特に飲食のイベントには向きませんでしたね。
気候の温暖なこの時期の方が、美味しいビール味わえるかも知れません。

2011年9月27日 (火)

【漫画】『サザエさん』誕生超入門/サザエの結婚と磯野家東京転居の時期は?

Sazaa_11
『サザエさん』の新聞連載開始は終戦翌年の1946年(昭和21年)ですので、
今年2011年は生誕65周年ということになります。

漫画の新聞連載  1946年4月-1974年2月
テレビアニメ       1969年10月-継続中

新聞連載は幾多の中断をはさみながらですが28年、
アニメは42年目で継続中、
漫画とアニメを一体の作品と考えれば、終戦の翌年から65年、
常に日本人に親しまれてきた、戦後最大の大衆文芸と呼んでいいでしょう。

今回は漫画『サザエさん』誕生ヒストリー超入門編です。
実は、65周年にあたりごく平易な『サザエさん』ヒストリーを書こうとしたのですが、
少し調べたところ、連載初期の一大行事であった「サザエとマスオの結婚」
「磯野家の東京転居」について、不明な点があるのです。

そこを検証したので、ちょっとややこしい、ややマニアックな内容になりました。
まずはサザエさんスタート時の事情から始めます。


*参考資料 『サザエさん うちあけ話』
Sazaa_u
『サザエさん』本編の終了後、1978年に朝日新聞日曜版に連載された作者の自伝的エッセイ漫画。
“漫画昭和史”として読んでも大変面白い傑作です。
本項は基本的にこの『うちあけ話』をテキストとして記します。



終戦まもない連載開始
『サザエさん』のスタートは1946年4月22日、
福岡県の地方新聞「夕刊フクニチ」においてでした。
作中の舞台も福岡です。

なぜ福岡か?
当時、作者の長谷川町子氏は福岡在住だったのです。

「あれ、長谷川町子は『のらくろ』の田河水泡の弟子だと思ったけど、終戦時は福岡にいたの?」
もしかしたらこんな疑問を感じた方もいるかも知れません。
長谷川家について簡単に紹介します。


長谷川町子一家ヒストリー
長谷川町子氏(はせがわ まちこ、1920年1月30日 - 1992年5月27日)は佐賀県に生まれ、
その後福岡に転居しました。三人姉妹の真ん中です。
家はそれなりの良家のようですが、町子氏13歳の年にお父さんが亡くなってしまいます。

翌年、お母さんは娘達の将来を考え、一家揃って東京に移り住みます。
ここで町子氏は『のらくろ』の人気漫画家田河水泡氏の弟子となるのです。
この時代に既に雑誌の連載などを持ち、少女漫画家としてメディアに紹介されたりもしています。

しかし、戦況の悪化と、妹さんが病弱だったこともあり、疎開で福岡に戻ります。
そこで町子氏は終戦を迎えました。
翌1946年4月、夕刊フクニチの依頼で4コマ漫画『サザエさん』の連載を開始したのです。

しかし、町子氏達はやはり東京で活躍したいとの思いが強かったようで、再上京を決意、
その準備の為に、『サザエさん』は同年8月に一旦終了します。
僅か4ヶ月の連載でした。

戦後の混乱期ですから東京への転居は大変です。
一家が無事東京に落ちついたのはその年の暮れのことだったといいます。


国民的人気マンガへ
さて、無事東京に落ちついた町子氏はそれからまもない1947年1月、
フクニチ紙上で『サザエさん』の連載を再開します。
フクニチでの連載は何度か中断を経て1949年まで続きます。
それと併行して1948年には東京で発行される「新夕刊」(東京スポーツの前身)にも掲載。

その両方の連載も1949年4月に終了、同年12月より「夕刊朝日新聞」での連載が開始されます。
そして、1951年4月、アメリカの漫画『ブロンディ』に代わり、
「朝日新聞」朝刊への連載がスタートします。

それから1974年まで、何度かの中断・休載を経ながらも、
国民的人気漫画として高度成長期の日本と共に歩んできました。
そして、2011年の現在もテレビアニメとして高視聴率を保ち続けているのです。


姉妹社

『サザエさん』は新聞連載と共に単行本でも広く親しまれてきました。
その取り掛かりは早く、町子氏の姉の長谷川毬子氏は前述の東京転居の準備と併行して、
フクニチに連載した作品の単行本化に取り組んでいました。。
これはお母さんの進言とのことですが、個人の自費出版なので大変なことです。

『サザエさん』第1巻は、一家の引っ越し直後の翌1947年1月に早くも発行されます。
判型が適当でなかった為、当初は大変な苦労があったようですが、やがて成功をおさめます。
(このあたりは、『うちあけ話』に詳しいので参照ください。)

こうして『サザエさん』をはじめ、町子氏の作品は町子氏が亡くなるまで、
すべて毬子氏と町子氏による出版社「姉妹社」から刊行されました。
町子氏の死後に姉妹社は自主的に業務終了、
町子作品の著作権は生前に設立されていた長谷川町子美術館に移りました。
姉妹社版単行本は絶版となり、作品は朝日新聞社から主に文庫版で発行されています。


さて、これでスト―リ―が終わってしまったみたいですが、
実は前述のように連載初期の一大行事であった
「サザエとマスオの結婚」
「磯野家の東京転居」

この2点について、不明な点があるのです。
以下はこの件を検証しながら、最初期の『サザエさん』を振り返ります。


サザエさんの結婚
連載開始時のサザエは独身でした。
ですので、主要登場人物は波平・フネの夫婦とサザエ、カツオ、ワカメの三姉弟妹だけです。
(細かくいうと、初回には波平は登場せず、少し遅れて出てきます)
マスオとタラちゃんの登場は、姉妹社版単行本でいうと第3巻冒頭からになります。

町子氏は『うちあけ話』にサザエを結婚させた理由について、
「自分達一家での再上京を決意し、その準備に取りかかるので連載どころではなく、
サザエの結婚という形で、慌ただしく終わりにした」旨を書いています。

つまり、福岡時代の最初の4ヶ月の連載の最後で結婚させたということです。
作者本人が書いてることなので、Wikipediaなどもこれに倣って記述されています。

しかし、実際の作品と照らし合わせると、これは正確とは思えません。
作中の磯野家の東京転居はザサエの独身時代です。理由は波平の転勤。
そして、その後の東京生活でもしばらくサザエは独身です。

この転居関連のエピソードは、サザエ達が東京転居を知るところから始まり、
引っ越し準備、福岡の人達との別れ、列車での道中、東京の新居での生活開始まで、
15本以上をかけてじっくり描かれています。

これらは、町子氏自らの東京転居の経験を基に書かれたものだと思います。
実際、『うちあけ話』より遥かに古い資料にそのような記述が見られます。

実は長谷川町子美術館より今年の7月に発行されたハードカバーの書籍
『復刻 サザエさんうちあけ話』の巻末の町子氏の年表によると、
サザエさんを結婚させたのは、東京転居後の1947年1月に再開し、
それを一旦中断する同年5月だとされています。
作品を追った感じでも、おそらくそれで間違いないでしょう。

やはり、作者自身がまだ福岡にいる時点でサザエを結婚させたというのは誤りです。
おそらく町子氏の記憶違いでしょう。

では、サザエ結婚前後の事情はどうだったのか、ということになりますが、
結婚より転居が先ということになったので、さきに転居について検証します。


磯野一家の東京転居
福岡在住だった磯野家の東京転居はどのタイミングだったのでしよう。
『サザエさん』は作者の東京転居後すぐに東京の新聞に掲載されたのではなく、
しばらくは福岡のフクニチに掲載されました。

『うちあけ話』を読むと、磯野家の東京転居は東京発行の新夕刊への掲載開始時のように思われます。
(これは明記されてはいないのですが、そのように取れるという感じです)
たしかに、作者が引っ越したからといって、掲載されるのは福岡の新聞なのだから、
舞台を東京に移す必要はないですね。むしろ福岡のままの方がベターでしょう。

しかし、実際に作品を追うと、町子氏が東京転居後に連載を再開してまもなく、
磯野家も作者を追うように東京に引っ越しているようです。
前述のように、町子氏は自分の引っ越し体験の生々しい内に、磯野家の転居を描いたのですね。

実は『うちあけ話』をよく読むと、フクニチでの連載再開後、
北海道と名古屋の地方紙にも同時に『ザザエさん』を掲載したとあります。
それならば、舞台はむしろ首都である東京の方がよかったのかも知れません。

それに、この激動の時代に、自分は東京にいながら、
福岡を舞台に新聞連載漫画を書くのは困難だったかも知れません。

そして再開後の連載をまた中断するにあたり、サザエを結婚させたという事でしょう。
たいぶややこしくなったので、年表にします。


◇1946年4月22日に『夕刊フクニチ』紙上に連載開始
◇同年8月22日に連載中断
(中断中に長谷川家東京転居)
◇1947年1月3日に『夕刊フクニチ』紙上に連載再開
(再開後まもなく、磯野家も東京転居)
◇同年5月8日に連載中断
(中断前の最後の回でサザエ結婚)
◇1947年10月25日に『夕刊フクニチ』紙上に連載再開
◇同年11月5日に連載中断

しかし、そうなるとサザエとマスオが夫婦として登場するは1947年10月の
二度目の再開からになる筈ですが、現存する作品を観ると、季節が合わないようにも思えます。
これは新聞掲載分と単行本収録分との間に、どの程度の欠落があるのか、
という問題も関わってきて、更にややこしくなります。
現在手元にある資料でこれ以上の検証は難しいので、時期の問題はこれくらいにしておきます。


幻のサザエとマスオの結婚式
サザエとマスオの結婚式は描かれたでしょうか?
現存する作品には結婚式も、結婚に至る経緯を描いたエピソードもありません。
(お見合いについて書かれた、4コマ漫画でない“長編”作品が残っていますが、
これは後になってから、サザエの回想の形で書かれたものです。)
では、リアルタイムでは結婚についてどのように扱われていたのでしょうか。

旧姉妹社版の第2巻はサザエは独身のまま終了します。
第3巻冒頭で、サザエによる口上として、マスオと結婚したこと、
子ども(もちろんタラちゃん)が生まれたこと、
磯野家を出て、近所の借家に新婚家庭を構えていることが報告されています。
(この口上は作者町子氏の言葉と、主人公サザエの言葉が混在しているちょっと不思議なものです。)

そして次のページからはその口上通りの設定の作品が掲載されています。
つまり、結婚だけでなく、タラちゃんの誕生もすべて事後報告で済まされているのです。
この部分は現行の朝日文庫では第2巻に収録されています。

では、新聞連載でもサザエとマスオの結婚のエビソードは描かれなかったのでしょうか。

『うちあけ話』の中で町子氏は、サザエとマスオの結婚式を描いたことを、
和装での結婚式シーンのカットと共に記しています。
それに間違いなければ、(時期は別として)二人の結婚式は確かに描かれたけれど、
残念ながら現存しないということになります。

なぜ現存しないか、そもそも本当に描かれたのか、
推測は色々とできますが、(私の調査力では)この点は謎のままです。

だいぶややこしくなりました。
今回はここまで。

※2016年2月追記:「週刊朝日」2016年1月増刊号にサザエさんの結婚が掲載されましたので、紹介しています。
http://oldfashioned.cocolog-nifty.com/blog/2016/02/post-dee1.html


『サザエさん』新聞連載の履歴
1946年4月22日に『夕刊フクニチ』に連載開始、同年8月22日に連載中断
1947年1月3日に『夕刊フクニチ』に連載再開、同年5月8日に連載中断
1947年10月25日に『夕刊フクニチ』に連載再開、同年11月5日に連載中断
1948年2月6日に『夕刊フクニチ』に連載再開、同年6月21日に連載中断
1948年11月17日に『夕刊フクニチ』に連載再開、1949年4月4日に連載終了
1948年11月21日に『新夕刊』紙上に連載開始、1949年4月2日に連載終了
1949年12月1日に『夕刊朝日新聞』に連載開始、1950年12月31日に連載終了
1951年4月16日に『朝日新聞』(朝刊)に連載開始
1974年2月21日に連載中断-終了
*1978年4月-11月に朝日新聞に『サザエさん うちあけ話』を連載
*1987年4月-8月に朝日新聞に『サザエさん 旅あるき』を連載

**ネット上に『サザエさん』は休載状態のまま作者が亡くなったかのような記述が見られますが、
これは正しいとは言えないと思います。
しばらくは休載状態でしたが、『うちあけ話』が連載された翌年の1979年1月をもって、
夕刊に連載されていた『フジ三太郎』(サトウサンペイ)が朝刊に昇格し、
同時に『サザエさん』の終了もアナウンスされたと記憶しています。


長谷川町子美術館 (東京都世田谷区桜新町)

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町子氏と毬子氏が収集した美術品の展示がメインですが、町子コーナーもあります。
美術館公式サイト
http://www.hasegawamachiko.jp/

2011年9月26日 (月)

【訃報】俳優山内賢氏死去 日活映画青春スター/元祖食べ歩き「さすらいの食いしん坊」

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俳優の山内賢氏が亡くなりました。1943年生まれ、67歳。
http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20110925-840196.html

ネットのニュースでは『あばれはっちゃく』シリーズが代表作と紹介されていました。
1979年から85年まで、6年8ヶ月続いたシリーズ全5作に教師役で出演していますので、
テレビドラマでの代表作のひとつでしょう。
その時代に少年期を過ごした人達にとっては、先生としてなじみ深いでしょうね。


山内氏は1960年代、日活映画の青春スターです。
同世代の日活のスター俳優には渡哲也、高橋英樹、和田浩治、浜田光夫、
ただ、デビューが12歳と早く、大学を出てからデビューした渡さんなどより芸歴はだいぶ長くなります。
女優では吉永小百合、松原智恵子、和泉雅子ら。
山内さんは和泉さんとの共演が多く、『二人の銀座』などデュエット曲もリリースしています。
上に掲載したレコードジャケットもそのひとつです。


『二人の銀座』(1966年)
山内賢&和泉雅子コンビの代表曲。同名映画より。


山内氏の実兄は東宝の二枚目スターの久保明。
『潮騒』などの文芸作品や青春映画、また特撮映画の主演で知られる大スターです。
山内さんも子役時代は東宝作品に出ていて共演もあるようですが、
その後所属映画会社が分かれ、芸名の名字も違うので、兄弟と知ったのは随分後でした。

1970年代以降は映画を離れてテレビ中心の活動になりますが、
お兄さんもそうですが、あまり出演作は多くはなかったですね。
ドラマだと『あばれはっちゃく』シリーズの他では
NHKの連続テレビ小説『火の国に』があります。
ヒロイン鈴鹿景子さんの相手役のポジションだったかと思います。
10歳以上年齢が離れていましたが、特に年の差カップルという印象もありませんでした。


さすらいの食いしん坊(くいしん坊?)
その山内さんのテレビでの代表作のひとつに、長く続いた料理番組『ごちそうさま』(日本テレビ系)の
1コーナー「さすらいの食いしん坊」があります。
帯番組の『ごちそうさま』のうちの週1回の放送で、食べ歩き番組の草分けといえると思います。
山内さんはこの番組のおそらく“初代食いしん坊”ではないかと思います。

『ごちそうさま』のスタートは1971年1月ですが、
山内さんがいつから出演していたか、ネットで調べた限りではわかりません。
降板したのはおそらく1977年の春だと思います。
当時まだフォーリーブスのメンバーだった、おりも政夫さんに引き継ぎました。
それまで最短でも2年、おそらくもっと長く務めていると思います。

似た名前の『食いしん坊!万歳』(フジテレビ系)は1974年10月のスタートです。
どちらが元祖かというと微妙ですが、『食いしん坊万歳!』も全国から料理を紹介しますが、
5分番組なので慌ただしい面があります。
「さすらいの食いしん坊」は旅行をベースとして、各地のグルメを紹介していましたので、
こちらの方が今の同種の旅番組ベースの食べ歩き番組に近いように思います。

この番組は山内さんがスタジオで司会の高島忠夫・寿美花代夫妻とVTRを見ながらトークを行う、
というスタイルだったと思います。
明るく若々しく、でもそれなりに落ちついたキャラクターが好印象でした。


山内さんもその後も旅番組で見かけることはありましたが、
バラエティも、またドラマにもそれほど多くは出ていなかったかと思います。
もちろん、舞台などでも活躍されていたのでしょうけど、
テレビでももっとと…、少し残念な気もしています。

2011年9月25日 (日)

【美術】黒田清輝作『湖畔』』9/24『美の巨人たち』より/日本近代洋画の祖が残した清涼感溢れる絵画

9月24日放送のテレビ東京系『美の巨人たち』のテーマ「今週の一枚」は
黒田清輝作『湖畔』でした。
http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/backnumber/110924/index.html

Kurodaseik_001
実に涼しげ、油彩画とは思い難い、なんとも日本的な“洋画”です。
今回の番組では日本人による西洋絵画として最も有名といっていいこの作品の誕生と、
作者の黒田清輝の生涯、特に前半生について解り易くまとめられていました。
以下、番組に沿って振り返ります。


黒田 清輝(くろだ せいき 1866年8月9日-1924年7月15日)
幕末の鹿児島生まれ。
明治政府の重鎮だった伯父黒田清綱子爵の養子となり、政治家を目指します。

18歳で法律を学ぶ為にフランスへ留学しますが、留学中に知り合った画家仲間との交流を経て、
画家を目指すことを決意し、養父にこの旨を宣言しました。
外光派の画家ラファエル・コランに師事した清輝は、
1891年に発表した『読書』にてパリのサロンで入選を果たします。

Kurodaseik_002
『読書』(1891年)
モデルは清輝のパリでの下宿先の娘マリア・ビヨーとされます。
番組では、語り手役となった清輝の親友の画家、久米桂一郎の言葉を借りて、
清輝とマリアが恋人関係にあったのではないかと推測しています。

こうしてフランス画壇での評価を勝ち取った清輝は
1893年、特に日本画壇の封建性を嫌悪する若い画家達からの期待を集め帰国します。

帰国した清輝は一旦は明治美術会に所属しますが、まもなく旧態依然とした体制に反発、
若い画家仲間たちと「白馬会」を結成して、日本洋画の変革に乗り出していきました。
そのきっかけとなったのが裸婦画『朝妝』でした。

Kurodaseik_003
『朝妝』(ちょうしょう 1895年)
実物は焼失しており、残念ながら現存しません。

欧州では当たり前のヌード画が日本では「裸体画論争」といわれる騒動に発展してしまいます。
この状況に危機感を覚えた清輝は、新しい日本の洋画となる一枚を描き出そうと模索し始めたのです。


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『湖畔』(1897年)
そうして発表されたのが『湖畔』でした。
モデルは清輝の妻となる照子。
芸者であった照子からは、当時23歳の若さにも関わらず、艶も感じられます。
箱根芦ノ湖の湖畔で、約一ヶ月を費やして書き上げました。

絵のテーマは「水と女性」。
レオナルド・ダ・ヴィンチの『モナ・リザ』など、西洋では昔から描かれてきた画題です。
黒田はこのような西洋絵画の定番ともいえるテーマを、
日本の風土にあった洋画として描くことに腐心していました。

清輝は塗り残しを技法として活用することによって、
山や湖と自然の風景と人間が一体化した、日本ならではの清涼感溢れる油絵を創造しました。
日本近代洋画の父ともいわれる所以です。
その後、清輝は日本の洋画壇のリーダーとして、後進の指導に携わっていきます。


後半生についてはかけ足で、さわりだけの紹介といったところでしたが、
特にミステリ的な仕掛けもなく、ストレートに画家と作品を紹介した回でした。

ただ、ひとつ気になったのは、今回の番組では
「旧態依然とした日本の洋画壇」の変革という言い方を盛んにしていたことです。
この時点での日本の洋画界は、そのように言われるには歴史がまだ浅すぎだったようにも思えます。
例えば、黒田が封建的といって脱会したとされる明治美術会も、
黒田が帰国する4年前の1889年に設立されたばかりの団体ですし、
「旧態依然」という表現は適切なのでしょうか。
このあたりは検証の余地があるかも知れません。

2011年9月21日 (水)

【音楽】元気が出る歌/1970-1980年代の名曲から

元気が出る歌…。
特に今年は、テレビでもネット上でも、数限りなくテーマになってきたでしょう。

1970-1980年代の歌からいくつか選んでみました。
やはり「青春」をイメージさせる歌が多くなったようです。


『春一番』(1976年) キャンディーズ
作詞・作曲 穂口雄右
メンバーの1人、スーちゃんこと田中好子さんはこの春亡くなりました。
いつ聴いても浮き立つような気分にさせてくれる名曲を、
彼女達のの弾けるような若い姿と共に。




『太陽がくれた季節』(1972年) 青い三角定規

作詞:山川啓介 作曲:いずみたく
青春ドラマの最高峰『飛び出せ!青春』の主題歌は、
青春ソングの最高峰でもありました。
曲も歌詞も、これこそが青春というイメージです。




『タッチ』(1985年) 岩崎良美
作詞 康珍化、作曲 芹澤廣明
映像は近年のものです。岩崎良美さん、若々しいですね。
元気の良いリズムに比べて、歌詞は青春の切ない思いを綴っています。




『RASPBERRY DREAM 』(ラスベリードリーム 1986年) レベッカ
作詞: NOKKO、作曲:土橋安騎夫
レベッカは代表曲というと『フレンズ』かも知れませんが、
この歌もいいです。




『抱きしめてTONIGHT』(1988年) 田原俊彦
作詞:森浩美 作曲:筒美京平
この歌もドラマ『教師びんびん物語』の主題歌。
幅広い世代が歌って踊って、盛り上がれる曲です。




『Runner』 (1988年) 爆風スランプ
作詞:サンプラザ中野、作曲:Newファンキー末吉
最後に紹介するまのは、深い郷愁を感じさせながらも、
ひたすら走る、前に突き進む力強さに溢れたこの歌です。

2011年9月20日 (火)

【昭和プロレス】ローラン・ボックのインタビューがGスピリッツに掲載予定/1978年の猪木欧州遠征とその後のボックを振り返る

9月28日に発売予定のプロレス専門誌「Gスピリッツvol.21」に、
西ドイツ出身のプロレスラー、ローラン・ボックのインタビューが掲載されるとのことです。
http://www.tg-net.co.jp/gs/

Gs21
*本誌は発売されました。ごく大まかな感想をこちらに記しています



ローラン(ローランド)・ボック (Roland Bock、1944年8月3日-)
伝説の彼方に消え去ったレスラーと思っていました。
日本のファンに消息が伝えられるのは約30年ぶりです。


1978年11月、アントニオ猪木は「欧州世界選手権シリーズ」などと通称されるツアーに参戦、
西ドイツを中心にオランダ、ベルギー、オーストリア、スイスを股にかけ全20戦ほどを行いました。
(日本では一般に公式戦20+エキジビション1戦とされてきましたが、
海外サイトの記録を見ると公式戦がもう一興行掲載されています。)

当時の猪木は新日本プロレスのエースとして日本全国を転戦する傍ら、
アメリカ、カナダ、メキシコ、アジアなど積極的に海外でも試合をしていました。
しかし、それらは日本でのシリーズの合間に1~2戦といったペースでした。
この欧州遠征は日本のシリーズを欠場しての参加で、若手時代の米国武者修行を除けば、
猪木のこれだけ長期の海外遠征は後にも先にも例がありません。

猪木の試合はすべてシングルマッチ。(他のレスラーの試合もみなシングルで、タッグはないようです。)
日本のファンにはなじみの薄いラウンド制で行われました。
日本でテレビ放送されたのはそのうちの二試合だけでしたが、
試合記録は専門誌でも紹介されており、その過酷な内容には驚かされました。


シュツットガルトの惨劇
のツアーをプロモートしたのが、現役レスラーでもあったローラン・ボックです。
シリーズの「決勝戦」として行われたのが11月26日、西独シュツットガルトでの
猪木とボックの試合で、日本でも放送されました。
フルラウンド闘い抜いて決着がつかず、判定でボックが勝利しました。
大変ハードな試合で、内容的にはボックが押しており、猪木ファンからみても判定負けは仕方なしという印象です。
ボックの強さ、また猪木が劣勢を挽回できず判定負けした姿は、日本のファンに衝撃を与えました。
ファンの間では「シュツットガルトの惨劇」などと呼ばれ、伝説の試合となっています。

この試合は現在の視点で観ても“ガチ”、“真剣勝負”といった色彩が強く感じられます。
といっても、プロレスには変わりない筈で、地元のボックがプロモートするヨーロッパでの試合なのだから、
ボックの判定勝ちは予定通り、当然の結果でしょう。
アウェイでの判定負けだから仕方ない、猪木の顔もそれなりに立つ結果でもあります。

ただ、攻防の中に、いかにもプロレス的な動きもあるのですが、
本気で相手を痛めつけにいってるように思える部分、
相手の持ち味を殺そうとしているように思える部分も多く、緊迫感がある試合です。
それらは主にボックが仕掛け、猪木もやむなく応戦しているように感じられます。


ボックはプロモーターや他のレスラーから嫌われていたとよく言われます。
こういう試合をやってしまうのもその所以なのかも知れません。
日本のファンからのこの試合の評価、またプロレスラーとしてボックの評価も分かれます。
私は、この試合には大変惹かれます。
「名勝負」かどうか、またプロレスの試合としてどうなのかと問われると迷いますが、
とにかく好きな試合です。


その後のボックと新日本プロレス
ボックは欧州シリーズの翌年、1979年の夏に来日が決定し、
猪木との再戦が発表されていましたが、土壇場で来日は中止となりました、
キャンセルの理由は当時は交通事故と伝えられましたが、諸説あります。

そのドタキャンから2年後、1981年の夏に遂にボックは新日本プロレスのマットに登場しました。
それ以前から体調が万全でないことは伝えられており、
実際に体を見ても、欧州シリーズの頃に比べてコンディションが落ちているのは明らかでしたが、
それでもその強さは衝撃を持って迎えられました。
メディアでも、ファンの間でも、改めてボックブームが起きました。

その後、同年暮れと翌1982年1月に来日、82年元旦には猪木との対戦も実現しましたが、
その内容は消化不良気味、やや尻すぼみの感もありました。
それでも、まだ次への期待を残した状態で、突如その消息が途絶えたのです。
ボックはプロレスの興行以外にも事業を行っていたようで、
脱税で逮捕されたらしいと伝えられました。


それからほぼ30年、なんの音沙汰もなく、ボックは伝説の、そして幻の存在となっていきました。
1990年、猪木のレスラー生活30周年記念イベントにあたり、往年のライバル達が招待されました。
ボックも招待リストの中に入っていましたが、消息不明とのことで適いませんでした。

この時、ボックと同様に消息不明で招聘不可能と伝えられたのが、
新日初期に猪木のライバルだったジョニー・パワーズでした。
結局、パワーズは連絡がついて10年ぶりの来日を果たすのですが、
猪木とボックとパワーズ、若い頃からレスラ―だけでは飽き足らず、
プロモート業やプロレス以外のビジネスにも手を出し、経済的に躓いて…という点がよく似ています。

それから更に20年以上が経過したこの2011年、
そのボックが唐突にファンの前に姿を現すというのです。
Gスピリッツ誌はこれまでも過去のプロレスの検証、関係者のインタビューなど、
オールドファンにとって大変興味深い記事を掲載してきましたが、
まさかボックを“発掘”するとは思っていませんでした。


ボックは何を語るのか、想像がつき難いです。
期待と不安・・・?、
今更何を語られても落胆することもないでしょうから、特に不安はありません。
特にこの人については、装飾なしの本音を聞きたく思います。
発売を楽しみに待つばかりです。

2011年9月19日 (月)

【ウイスキー】ハイボール&サントリー角瓶超入門/トリス、白州、山崎も!

サントリー角瓶の「ハイボール」のCM、妊娠した小雪さんに代わって、
菅野美穂さんの起用が発表されました。
http://mainichi.jp/enta/geinou/news/20110915mog00m200022000c.html

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小雪さんのCMによってハイボール、「角ハイ」人気が定着した面が強いと思います。
彼女が角瓶のCMに登場したのは2007年からですが、当初はハイボールを打ち出してはいませんでした。
ハイボール自体は別に新しいものではありません。そもそもハイボールとはなんでしょう?


ハイボール(Highball)とは
広義でいうハイボールとはスピリッツ(あるいはそれ以外の酒も含む)をソーダやトニックウォーターなどの炭酸飲料や、
水、湯、フレッシュジュースなどアルコールの含まれていない飲料で割ったものを指します。
つまりカクテルではあるのですが、広すぎてカクテルの「一種」ではなく「一分野」といった方がいいのかも知れません。

もう少し絞れば、スピリッツ類をソーダ水(炭酸水)で割ったカクテル。
そして日本では古くから、ウイスキーをソーダで割ったものを一般にハイボールと呼んできました。

ウイスキーのソーダ割りという飲み方も、ハイボールという呼称も1950年代から流行り始めたといいます。
しかし、その後はあまり顧みられなくなり、
1980-90年代から近年まで、「ハイボール」という言葉は一般には死語に近かったと思います。

Barなどではともかく、一般にはウイスキーのソーダ割りが飲まれることが少なかったと思うし、
飲むにしても「ハイボール」という呼び方はあまりしなかったのではないでしょうか。
私自身も言葉とその意味は知っていても、今はあまり使わない古い言い方という印象がありました。

その言葉を復活させて、ブームと呼んでいい現象を生んだのは小雪さん出演のCMでしょう。



サントリーのCMは昔から印象深いものが多いですが、今回もその成功例のひとつとなりました。
ただ、CMの印象が強すぎて、ハイボール=角瓶を使用したものという誤解まで広げてしまったようですが。
誤解はよくありません。角瓶以外のウイスキーを使ってもハイボールです。
しかし、あの独特の瓶と、それに似たデザインの、ゴツゴツしたオリジナルグラス。
なかなか印象的ではあります。


新しい菅野美穂さんのCMも紹介しておきます。



落ち着いた小雪さんとは正反対の、初々しさを強調したイメージですね。



サントリー角瓶
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1937年の発売ですから、歴史のあるジャパニーズウイスキーです。
変わった名前ですが、本来正式名称ではなく、亀甲模様の形から「角瓶」「角」と通称され、
のちに正式な製品名として採用されたました。ラベルにも「角瓶」とは書かれていませんね。

もちろん、CMだけでブームになるものではありません。
ウイスキーはクセの強いものという印象を持つ人が多かったかも知れませんが、
ハイボールを飲んでみると、炭酸でウイスキーのクセが緩和されて、
意外と飲み口の良いキリっとした辛口が魅力に気付いたのでしょう。

近年はワインの人気もあり、お酒も料理との相性が重視されるようになりましたが、
その点でも、甘みのある酒よりも色々な料理とのマリアージュに向く面もあります。
特に、角瓶のように国産ウイスキーがベースなら、和食にも合う気がします。
まぁこれは多分に気分の問題でしょうけど、
上に紹介したCMでも、不自然なくらいおつまみの名が並べられています。
色々な料理に合うことのアピールなのでしょう。


さて、サントリーは角ハイボール以外にも様々なハイボール戦略を、
それぞれの個性に合わせたグラスと共に打ち出しています。
それを全部揃えている店は少ないでしょうが、写真も集まったので、
ここはその戦略にあえて乗せられて、いくつか紹介します。


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トリスハイボール(トリハイ)
サントリーの古典超庶民派ウイスキー「トリスウイスキー」ベースのハイボール。
まさかトリスがまた脚光を浴びるとは、あるいは浴びせようとされるとは思いませんでした。

グラスにもデザインされているアンクルトリス(トリスおじさん)が長年のイメージキャラクターですが、
2010年にラインナップを刷新、吉高由里子さんがCMに出演しています。

曲は『ドリフ大爆笑』のテーマの替え歌ですね。
「ドリフ」と「トリス」を引っかけて、上手いところをついてきます。


さて、超大衆派から一転して、今度は高級ウイスキーの登場です。

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白州 森香るハイボール
こちらはサントリーの高級国産シングルモルトウイスキー「白州」ベースのハイボール。
「森の若葉を思わせる爽やかな味と香り」が売り。
そのイメージ通りのグリーンのグラスが魅力です。


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山崎 プレミアムハイボール
こちらも高級ウイスキー「山崎」を、山崎の天然水でつくったザ・プレミアムソーダで割ったハイボール。
オリジナルのステンレスタンブラーで。
どちらかというと高級国産ウイスキーのハイボールは白州を推しているのかと思っていましたが、
山崎もしっかり打ち出しているのですね。


詳しくはサントリー公式サイトをご参照ください。
http://www.suntory.co.jp/whisky/

2011年9月16日 (金)

【雑記】東京メトロ東西線 幅広ドアの謎/なぜ東西線だけワイドドア?

東京メトロの東西線をよく利用するのですが、
最近、ドア幅の広い車両によく乗り合わせます。
だいたい目算でドアの広さが通常の1.5倍くらいあるのです。

鉄道用語に詳しくないので変な言葉の使い方になるかも知れませんが、
一編成の電車に、通常の車両とその車両が混在しているのではありません。
一編成すべてがその車両で統一されています。
(もちろん、普通のドア幅の車両のみの編成もあります。)

幅広ドアの車両はドアの数は変わらないので、ドア幅が広い分、座席が少なくなります。
私の知る限り、東京メトロ、都営地下鉄共、首都圏の他の地下鉄でこのような車両は見かけません。
なぜ、東西線にだけこの車両があるのでしょうか。


普通に推測すれば、混雑対策でしょう。
混み合う電車は乗り降りも大変です。
ドアが広くなれば乗降は楽になります。
座席は少なくなりますが、いつも混んでいるなら座席の恩恵に預れる人は僅かなのだから、
乗降のスムーズさを優先したのでしょう。

しかし、私の認識では東西線は首都圏の地下鉄の中でも空いてる方だと思います。
朝のラッシュ時に利用することはあまりありませんが、
日中はかなりゆったり座れます。

私は座れなくても全然構わない方ですが、
東西線に乗る時は少しゆっくり座って本でも読もうという気分になっているので、
この車両が来るとちょっとがっかりします。

混雑緩和の為でないとしたら何の為でしょう。
バリアフリーの一環?
しかし、あんな広いドアが必要とも思えないし…、
不思議です。




と、どうせどうでもいい雑文だし、ここでやめてもいいのですが、
でも、今は疑問に思うならネットで調べてみろという時代。
某巨大掲示板なら「ググれカス」とか書かれますかね。

で、調べてみたら、やはり混雑緩和為、昨年導入されたようです。
通常のドア幅130cmに対し、ワイドドアは180cmとのこと。
ニュースにもなっていました。

混雑緩和に向け 東西線にワイドドア車を導入

このニュースによると東西線の木場-門前仲町間はJR線を除く都内の鉄道で屈指の混雑区間のようです。
そもそも私が上に書いた「東西線は首都圏の地下鉄の中でも空いてる方」
という認識に誤りがあったのですね。
私は東西線でも西側を利用することが多いし、
朝のラッシュ時の利用経験があまりないので、実感がなかったのです。

沿線東側の開発により、東からの通勤客が増えた面もあるでしょう。
実際の混雑度合いについては、ネットでも色々な見方があるようです。


とりあえず一件落着・・・。

2011年9月14日 (水)

【ビール 祭り】秋のオクトーバーフェスト 横浜赤レンガ倉庫&日比谷公園/最高の気候でビールを

このブログで5月から9月にかけて日比谷公園、代々木、芝、豊洲で開催され、
この後長崎でも開催される日本版オクトーバーフェスト2011を紹介しました。こちらです。
これらはいずれも同系列の主催なのですが、これ以外にも全国でオクトーバーフェストは開催されます。

その中から関東の二ヶ所、東京の日比谷公園横浜赤レンガ倉庫の両会場の情報を紹介します。


横浜オクトーバーフェスト 2011/YOKOHAMA OKTOBERFEST 2011 
2011年9月30日(金)-10月16日(日)
横浜赤レンガ倉庫
*このイベントは終了しました
http://www.yokohama-akarenga.jp/event/

日本各地で行われるようになった野外開催形式のオクトーバーフェストの草分けがここです。
規模も会場、開催期間からみて国内最大級です。
そして、本家であるドイツのミュンヘンのオクトーバーフェストと同様、
その名の通りに、10月にかけて開催される大会です。

今年は日独交流150周年、そして横浜赤レンガ倉庫創建100周年記念イベントとなります、
本家オクトーバーフェストの公式ビールの4種類の他、新たに3つのドイツブランドビールが登場。
また神奈川県産地ビールなど、合計70種類の多種多様なビールを楽しむことができます。
料理もドイツのハムやソーセージを始めとしたビールにぴったりのものが取り揃えられます。


アサヒビール オクトーバーフェスト 日比谷 秋の収穫祭 2011
ASAHI BEER OKTOBERFEST in Hibiya 2011
2011年9月15日(木)-18日(日)
東京・日比谷公園
*このイベントは終了しました
http://oktoberfest.jp/

日比谷公園では5月にもオクトーバーフェストが開催されましたが、
それは基本的にドイツビール、ドイツ料理に特化したイベントでした。

今回は日本の大手ビールメーカーであるアサヒビールが特別協賛で冠スポンサーとなる、
アサヒビールのイベントですね。
ドイツ連邦共和国大使館、ドイツ観光局も後援として名を連ねています。

アサヒスーパードライの樽生と、ミュンヘン生まれで600余年の伝統を持つ
麦芽100%の生ビールレーベンブロイをメインに、
旬の素材を用いたビールに合わせたメニューが揃えられます。

Dsc06525★参考写真:5月に日比谷公園で行われたオクトーバーフェスト2011


オクトーバーフェストとは
ところで、そもそもオクトーバーフェストとは何?
なぜ10月の開催ではない会場もあるのにオクトーバーというの?
知らない人はみな疑問に思うでしょう。
過去のブログ記述とも少しダブりますが、本家のオクトーバーフェストとその日本版、簡単に紹介します。

オクトーバーフェスト(Oktoberfest)
オクトーバーフェストとは、ドイツのミュンヘンで毎年9月から10月にかけて
開催されるビールのお祭りです。

第一回の開催が1810年ですので、200年以上の歴史があります。
600万人以上の入場者があり、世界最大級の祭りとされます。
今年2011年は9月17日-10月3日に開催されます。

日本では「ビール祭り」との呼び方もされてきましたが、
いずれにしろ、誰もが知っているというほど有名ではないですね。

このフェストを模したイベントが世界各国で開催されています。
その日本版が、日本でも春から秋にかけて各地で開催されるのです。
月は違って10月開催でない場合も、イベント名はそのままいただいたのですね。

実は本家ドイツも、今年の日程をみてもわかる通り、
実際の開催期間は10月は少し引っ掛かるだけで、9月の方が長いのです。
最初は10月に行われていたようですが、やはり気候の問題もあって早まったようです。

今年の夏は天候が安定せず、暑すぎたり突然の豪雨に襲われたりと、
屋外の、特に飲食のイベントには向きませんでしたね。
気候の温暖なこの時期の方が、美味しいビール味わえるかも知れません。

2011年9月13日 (火)

【Art】『草間彌生展』ワタリウム美術館/日本の生んだ前衛芸術の女王をポップなアートスペースで体感

青山のワタリウム美術館で『草間彌生展 Kusama's Body Festival in 60's』が11月27日まで開催されています。

Kusama_001_2 

草間彌生展 Kusama's Body Festival in 60's
2011年8月6日(土)-11月27日(日)
WATARI-UM - ワタリウム美術館

http://www.watarium.co.jp/exhibition/1108kusama/index.html


草間 彌生(くさま やよい、1929年3月22日- )

内外で多くの賞を受け、世界的知名度を持つアート界の大御所的存在でありながら、
80歳を越えて尚、一線で活躍する日本が生んだ前衛芸術家。

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この展覧会は、主に草間彌生の1960年代の活動に着目したものです。
草間さんは1957年に渡米、シアトルを経由しニューヨークに活動の拠点を構えます。
1973年に帰国するまでの16年間にニューヨークだけでなくイタリア、ドイツ、オランダと
精力的に作品を発表し、現在の多様な作品スタイルを生み出しました。

この展覧会にはもちろん草間さんの「作品」も展示されていますが、
1960年代のアート活動を記録した写真や映像のボリュームが大きいです。
ドキュメントのようなイメージでした。
それらもまた、草間さんの作品といえるのかも知れません。
映像作品は国内で初めての無修正オリジナルバージョン上映とのことです。

実に魅惑的な展示でした。
ただ、もちろん好き嫌いは分かれると思います。
前衛、アバンギャルド、先進性、既成概念の破壊…、そんな言葉を体現したような人です。
誰にも好かれる「前衛」などあり得ないでしょうから。

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余談
ところで、この展覧会は2F-4Fが展示スペースでエレベーターで移動するのですが、
2F→3F→4Fの順番でご覧くださいとの指示がありました。
私はその通り4Fまで観た後、もう一度3F、2Fと降りてきました。
最後、2Fから1F降りて帰ろうとエレベーターを待っていると、
娘さんらしき人と一緒の老婦人が「2Fから上に行かなくてはらないのに何故?」
と盛んに気にしていました。別に私への質問ではなく、娘さんに話していただけですが、
しかし「下から上へと書いてあるから絶対その通りに観なければならない」
こんな既成概念の固まりのような人が、既成概念を破壊し続けてきた草間さんの展覧会にいるのも、
また前衛的な光景でした。


WATARI-UM - ワタリウム美術館
1991年開館。おしゃれな、あるいは先進的な建物が並ぶ通りの一角にある美術館。
住所は渋谷区神宮前ですが、最寄駅は外苑前で、青山通りから折れて間もなくの場所なので、
上では「青山の」と書きました。

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Wata_002
美術館公式サイト
http://www.watarium.co.jp/museumcontents.html

2011年9月12日 (月)

【日本史】『江』35話「幻の関ヶ原」/驚異の関ヶ原の合戦ダイジェスト鑑賞記

昨日放送のNHK大河ドラマ『江~姫たちの戦国~』は第35回「幻の関ヶ原」でした。
次回、どこからスタートするのかよくわかりませんが、
今回ので「関ヶ原の合戦」はほぼ終わったという事でしょう。
家康が三成の挙兵を聞いたところから関ヶ原本戦まで、一気にまとめましたね。
関ヶ原ダイジェストだと思ってみればいいのかも知れません。

ネット上では関ヶ原での戦闘シーンをじっくり描いてほしいという声もありましたが、
お金もかかるしも、姫さまたちが主役のドラマだから、これは無理な要望かも知れません。

ただ、関ヶ原の合戦については付随するいくつかの戦があります。
その中でもよく知られているのが、上田城攻めと大津城籠城戦です。
もちろん今回も描かれましたが、さすがにあっさりしすぎの感がありました。

上田城攻めは江さまの夫の徳川秀忠が3万数千の兵を率いての総大将、しかも事実上の初陣。
大津籠城は江の姉さまの初が奥方として城に立て篭もる、初姉さん生涯のクライマックス。
もう少しじっくり描いてもよかったのではないかとも感じます。
ただ、ここを引き伸ばすと、その間主人公の江さまは江戸城で写経となぎなたの稽古を
やってるしかないので、恰好つかないからあまり引っ張れないのかも知れません。

それにしてもこの関ヶ原ダイジェスト、気になるところがいくつもありました。
つらつら書かせていただきます。

多少なりとも日本史に興味がある人なら、このドラマを観ていて、
「こんな描き方をして後々どうするのだろう」とか、
「あの人物が出てこないけど、後に起こるのあの事件の時どう描くのただろう」
と思うことがあったのではないかと思います。
このドラマはそれをなんの屈託もなく、荒業で乗り切ってきたように思えます。


細川忠興
今回の冒頭近く、小山評定の場面、妻のガラシャを石田三成の為に失くした細川忠興が
東軍に与して打倒三成を目指すことを堂々と宣言しました。
『江』ではガラシャを比較的重要人物として描いてきたから、当然の流れです。

しかしこのドラマでの忠興、時々登場してましたが、ガラシャとの関係は完全破綻、
鼻持ちならない最底の男のように描かれていました。
こんな描き方では小山評定で恰好の良い役まわりは与えられる筈もないし、
かといってそれに代わる武将もまったく見当たらないし、どうするのかと思っていました。

そうしたら、前回の会津出陣の際に忠興は突然ガラシャに詫びを入れていい人に変身、
しかも今回は豊臣恩顧の東軍武将の代表格、福島正則が唐突も登場、軽く小山評定を乗り越えました。
これくらいはなんでもないですね。


さて、今回は真田昌幸・幸村(信繁)父子が立て篭もる上田城攻めも大きなポイントでした。
秀忠の関ヶ原遅参の原因となった事件ですしね。
このドラマでの秀忠はエキセントリックな上に妙に達観したようなところがある
今まで見たことがないような性格設定で、関ヶ原遅参をどう描くのか検討もつきませんでした。


大久保忠隣
ところで、このドラマでは秀忠の守り役は本多正信が一人で務めていましたが、
実際には大久保忠隣という人が秀忠付きの家老だったようです。
ただ、この人は大阪の陣の前に失脚してしまいます。
あまり登場人物を増やさない為に、守り役は正信に全部集中させた・・・
のであれば、これはわからなないでもないです。

その忠隣が今回突然登場します。
今更忠隣を出してどうするのかと思ったのですが、強硬に上田攻めを主張して、
遅参の原因を作る役どころだったのですね。
これは史実としても忠隣は上田攻め主戦派、正信は反対派と伝わっているので、
もちろん虚構ではないのですが、この為だけの登場というのもちょっと可哀想ですね。

この後、秀忠の廃嫡論議が起こり、忠隣は重臣でただ一人秀忠を支持するという見せ
場があるのてすが、
そのシーンは描かれるのでしょうか。


上田城攻め
しかし、忠隣がどう主張しようと、決断したのは秀忠です。
秀忠はその理由を、幸村に興味があり、会って話したいからだと説明しましたが、
結局対話を求めるようなシーンはありませんでしたね。

ドラマでは秀忠が幸村に興味を持ったのは小山評定で見かけたからでしたが、
史実としてはこの段階で父の真田昌幸と共に上田城に引き上げていたと見られているようです。

ところで上田城側では、おそらく今回だけの出演でしょうが、
真田昌幸をプロレスラ―の藤波辰爾さんが演じました。
レスラーや格闘家をドラマで使う場合、当然派ながら肉体派の役柄が多いですが、
知将、謀将のイメージのある昌幸をプロレスラーが…、
まぁ藤波さんは、レスラーの中ではスマートなイメージの人ですが。


大津籠城
一方、大津城も大変でした。
京極高次は妻の初と、姉の京極龍子から徳川と石田のどちらかつくか詰問され、
両方に付くという上手い手があるような言い方をしていましたけど、
結局、その上手い手を具体的に示した様子はありませんでした。

それで、一旦西軍として出発するも、引き返して東軍につく。
勿論史実通りですが、ドラマとしてその決断の理由がハッキリしないのはどうでしょう。
それとも、この西軍として出陣して戻るというのが、上手い手だったのでしょうか。
これに限らず、今回はどうも高次の言動が解り難かったです。

そんな中で初は存在感を見せましたね。いつの間にこんなに立派になったのか不思議ですが。
ただ、初の引き立て役なのでしょうが、義姉の龍子の狼狽ぶりは資料に基づいているとはいえ、
コントみたいでした。


淀(茶々)と高台院(おね=北政所)が揃って初に三成と組むように指示するのもちょっと驚きました。
史実に基づいてはいるのですが、淀の決断が早すぎて意図の説明がまったくない。
高台院の言い方からは、そうしないと初も龍子も西軍に攻め殺されるから、
というニュアンスが感じられなくもなかったですが。

上田城と大津城はシンメトリーみたいなもので、このドラマでは双方に重要人物が関わっているのだから、
もう少しじっくり描いてもよかったのかなとも思います。

秀忠については、まぁ見たままというところでしょう。
自分の無力を思い知って…というのは境遇が違えば理解できますが、
元々、あの時代、あの環境にして考え難い性格設定なので、論評もし難いです。

しかし、『利家とまつ』以来、つっこむことを楽しみに見るのが定着してしまいしました。

2011年9月11日 (日)

【美術】宮本武蔵『枯木鳴鵙図』9/10『美の巨人たち』より/最強の剣豪が絵に託した思いとは

9月10日放送のテレビ東京系『美の巨人たち』のテーマ「今週の一枚」は
宮本武蔵(1584年?-1645年)『枯木鳴鵙図(こぼくめいげきず)』でした。
http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/backnumber/110910/index.html

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正確な制作年は定かでないようですが、熊本細川家に仕えた晩年(1640年-)の作と推定される水墨画です。
だとすれば、著名な兵法書『五輪書』とほぼ同時期の作となります。


以下、番組の流れに沿って記します。

宮本武蔵といえば日本人なら誰でも知っている有名人、スーパースターですが、
それは無敵の剣豪、剣の達人としてであって、画家としてはどうでしょうか。
そもそも、古来、画家としてどう評価されていたのか?
番組ではそれを知る貴重な資料が紹介されました。

江戸時代後期に発表された書物『画道金剛杵』中に『古今画人品評』という
画家のランキングが掲載されています。
それによると「上中品」というランクには雪舟や狩野探幽、
「上下品」には琳派の二代巨匠、俵屋宗達と尾形光琳、
「下上品]に円山応挙や伊藤若冲などそうそうたる絵師の名前が並んでいます。

その中で、宮本武蔵は上から6番目の「中下品」にランクされています
これは応挙や若冲よりもひとつ上のクラスで、武蔵は画人としても一流だったことが伺えます。

さて、今回のテーマである『枯木鳴鵙図』です。
この絵には兵法の道を究めた剣聖・宮本武蔵の魂その全てが込められているといわれています。
枯木のてっぺんに一羽の鵙(もず 百舌 百舌鳥)が佇んでいます。
その堂々たる威風、眼光の鋭さは武蔵のイメージそのものです。

Koboku_002

枯木をよくみると、もうひとつ何かがいます。
鵙のいるてっぺんに向かって一匹の芋虫が枯木を這い登っているのです。

Koboku_003

この後、鵙は一瞬にしてその獲物を捕らえるでしょう。
芋虫を狙う鵙の姿は生と死の狭間の厳しい弱肉強食の世界を思わせます。

しかし、この絵はそのように単純な弱肉強食の図なのであろうか、
という問いかけが今回の番組のテーマでした。
では、武蔵は一体何を描いたのか?

雄々しい鵙は武士道、剣の道の到達点としての象徴のような位置付けで、
そこに向かって這い上がっていく芋虫こそが、
剣の修行者の姿を示しているのではないかと、というのが番組の解釈でした。

この絵についてはネット上にも論評が少なく、
一般的にどのような解釈をされているのかがよくわかりません。
しかし、この解釈はなかなか面白いと感じました。

今回の番組ですが、いかに強い武蔵でも『美の巨人たち』のテーマとしては弱いと考えたのか、
特別ゲストとして大相撲の横綱、白鵬が登場、
またドラマ部分に名脇役の渡辺哲さんを出演させるなど、豪華でした。

2011年9月10日 (土)

【日記】この夏の暑苦しい思い出(?)

8月の蒸し暑い日曜日、知人の結婚式に出席すべく目白の椿山荘に向かっていました。

すると、江戸川橋の交差点付近でのぼりを立ててマンションの展示会の
勧誘をやっていました。まぁ時々見かける光景です。

交差点に向かって進んでいると、チラシを持った男が寄ってきました。
「すみません、今そこでマンションの展示会をやってるのですけど…」

特に感じが悪いわけでもないけど、顔が異常に汗だらけ。
当然、もの凄く暑苦しく鬱陶しい印象。
この暑さの中で仕事しているのに、タオルもハンカチも持ってないのでしょう。トロ過ぎだよ。

暑いし、応じるのも面倒だから無視して歩いてると後をついてくる。
「すみません、ちょっとお時間ないですか?」
……えー!?

交差点で信号が赤なので立ち止まると、更にしつこく話しかけてくる。
「是非、マンションをご覧いただきたんですけど、何が予定がおありですか?
すこしだけ時間ありませんか?」

…この夏、平日のオフィス街だってスーツにネクタイなんて珍しいのに、
この日の私は正式な礼服ではないけど、黒のスーツに白いワイシャツ、
白系のネクタイの完全防備の結婚式仕様。
しかも椿山荘・フォーシーズンホテル以外にあまり何もない江戸川橋周辺で、
まさにそっち方面に向かっているのに、「予定があるのか?」って???

暑さでボーっとしてジャケットを間違えたかと、自分の服の色を見直しちゃいました(笑)

暑いのにあんまりしつこくて馬鹿らしいから、さすがに声も荒くなり、
「これから結婚式なんだけど! 格好を見てわかんない?」

江戸川橋から椿山荘へは急な坂なので歩く人はあまりいないのかも知れないけど、
最寄駅といえばここだけだし、
マンション売ろうという人が近所の都内有数の式場を把握してないのだろうか?

暑い中、外の仕事で大変だとは思うけど・・・間抜け過ぎです。


結婚式は大変すばらしかった。

2011年9月 9日 (金)

【ワインバー】MARUGO(マルゴ)/かくて新宿にカジュアルなワインバーは定着した

新宿にも気軽にワインを楽しめるようなお店が増えてきましたが、
その中でも一際目を引くのが、新宿の三丁目界隈に何店かある、
MARUGO(マルゴ)というカジュアルなワインバーです。
ワインで「マルゴ」と言われると、有名なフランス、ボルドー五大シャトーのひとつ、
シャトー・マルゴー(Château Margaux)を思い浮かべますが、綴りは全然違いますね。

MARUGOはいずれもよく目立って入り易い路面店、カジュアルで、でもおしゃれな店、
いつもお客さんがよく入り、賑わっています。

多くの種類のグラスワインをリーズナブルに飲めるのがまずは魅力。
やはりワインは美味しい料理と一緒に飲みたいものですが、
MARUGOはどの店もシェフがいて、マリアージュを楽しめるのもいいですね。
実は、求めるなら高級なワインも結構揃えています。

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1号店内

このMARUGOの1号店のオープンが6年程前。
私はその頃から知っている、というよりたまたまその頃を少し知っているので、
今日は新宿にカジュアルなワインバーを定着させたMARUGOグループについてちょっと書いてみます。

MARUGOは各店に公式サイトがありますが、グループの全貌が少しわかり難いです。
そもそもMARUGOは、Barやレストランなどを新宿中心に20店舗くらい展開する、
ワルツという会社の系列です。
ワルツグループの中のMARUGOチームという感じだと思います。
ただ、そのMARUGOチームの中にも本当は少し違う業態の店も含まれるようですが、
ややこしいのでとりあえず「MARUGO」と付く5店舗と
最近相次いでオープンした「バル」形態の店2件、合計7店を、
「カジュアルなワインバー」という括りでまとめて紹介します。

以下、オープン順に並べました。

MARUGO|マルゴ(1号店)
http://www.bar-maru5.com/pc/

MARUGO Ⅱ|マルゴ セカンド(2号店)
http://www.bar-052.com/pc/

MARGO GRANDE|マルゴ グランデ(3号店)
http://www.marugo-s.com/g/

MARUGO MARUNOUCHI マルゴ丸の内(4号店)
http://www.marugo-s.com/m/

MARGO Ⅴ|マルゴ ファイブ(5号店)
http://www.marugo-s.com/v/

BAR PELOTA | バル ペロタ
http://bar-pelota.com/

BAR LIMITE | バル リミテ
http://bar-limite.com/


よく「新宿三丁目」という言い方をします。
住所でいう「新宿区新宿3丁目」は新宿駅東口すぐそばから含まれる結構広い地域ですが、
一般に「新宿三丁目」というと、新宿末広亭のある界隈を指すことが多いかと思います。
昔から、ちょっとディープな店もある飲食店街ですね。

その呼び方に倣うとMARUGOは、1-3号店とリミテが新宿三丁目界隈、
5号店は新宿大ガードに近い靖国通り沿い、ぺロタが新宿御苑近く、
4号店だけ新宿を離れて丸の内パークビルにあります。

さて、6年前に1号店がオープンした頃、私はワイン覚えたてみたいな感じで、
一人でも気軽にワインを飲めるような店を探しており、何回か行ったことがあります。

Dsc00260
1号店

当時の1号店は完全なスタンディングバ―でした。
1号店のすぐそばには、日本再生酒場という和系の立ち呑み居酒屋があるのですが、
世は既に立ち呑み屋ブームで、そちらはお客さんが溢れ返ってました。
対してMARUGOの方はスタンディングの店としてはちょっと少ない客入りの場合も多く、
お客は私一人という事もあったかと思います。
やはり、新宿でワインは難しいのかなと、少し寂しく思ったものです。

その内、立ち飲みは断念したようで椅子が入りました。
そして、私がしばらく行かないでいる間にお客も入り始め、
気付いたらいつも満員状態の繁盛店になっていました。
なにか、私はすっかり入り難くなってしまいましたけど。

そこからは、より解放感のある2号店、
大型2フロアーの3号店、
丸の内の新オープンのビルの1階に陣取る4号店、
再び新宿に更に大型の5号店、
そしてこの夏にはスペインバル・ヨーロピアンバルタイプの新店を2件と、
驚くようなペースで展開してきました。

Marugo5
オープン当時の5号店

私も懇意になったスタッフも出来たので、新店オープンの際はのぞくようになりました。
ただ、1号店についてはスタンディングの頃以来行ってなかったのですが、
たまたま別の店で顔見知りのスタッフがこの夏赴任したので、ほぼ6年ぶりに訪れました。

一方で、飲食店は店が増えれば人が必ず必要になります。
良い人材の確保には苦労も多いようなのですが、
ワイン、料理、サービスともクオリティを維持して、美味しく楽しい空間を、
更なる発展を期待します。


2011.11.19 追記
ボジョレー・ヌーボー2011 in MARUGO


20111118004
http://oldfashioned.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/2011-6c4d.html

2011年9月 8日 (木)

【美術展】『東海道五十三次展』平木浮世絵美術館/『冨嶽三十六景』と並ぶ歌川広重の傑作浮世絵連作を豊洲で観賞

Hiroshige_001
東京ベイエリア豊洲の平木浮世絵美術館にて
「特別展東海道五十三次展」が開催中です。

特別展 東海道五十三次展
前期
広重「保永堂丸子版・東海道五十三次之内」
2011年 9月3日(土)-25日(日)

後期
浮世絵いろいろ東海道
2011年 10月1日(土)-30日(日)
平木浮世絵美術館 UKIYO-e TOKYO
http://www.ukiyoe-tokyo.or.jp/2011exhibition/2011.09/201109tokaido.html

ご覧のように前半・後半に分かれており、
前期は歌川広重の有名な『東海道五十三次』の展示で現在開催中、
後半は東海道をテーマに様々な浮世絵が展示されるようです。


平木浮世絵美術館 UKIYO-e TOKYO
この美術館は平木浮世絵財団による運営で、故平木信二氏の平木コレクションを
保存・公開する目的で1972年に日本初の浮世絵専門美術館である「リッカー美術館」として設立されました。
その後、平木浮世絵美術館を経て2006年に東京湾岸の新興都市豊洲に
「平木浮世絵美術館 UKIYO-e TOKYO」として開館しました。

ベイサイドり大型ショッピングパークである「アーバンドック ららぽーと豊洲」内にあり、
毎月様々なテーマによる浮世絵の展覧会が開催されています。
ショッピングセンター内ですし、さほど広くはありません。

先日、ニューオータニ美術館で開催中の「北斎とリヴィエール 三十六景の競演」を
このブログでも紹介しました。
この展覧会では葛飾北斎の『冨嶽三十六景』が展示されています。
北斎の『冨嶽三十六景』と広重の『東海道五十三次』
共に浮世絵に名所絵(風景画)のジャンルを確立した名作シリーズです。

歌川広重(1797年-1858年)
『保永堂丸子版・東海道五十三次之内』

広重は1832年に幕府の行列に加わって上洛する機会を得たとされます。
その経験を経て翌1833年から『東海道五十三次絵』の制作を開始しました。
『冨嶽三十六景』よりもほぼ10年遅れですね。
『冨嶽三十六景』同様に遠近法が用いられ、風や雨を感じさせる立体的な描写など高い技術に加えて、
当時なかなか難しかった旅行を疑似体験出来る面があり、高い人気を得ました。
53の宿場に加えて、出立地の日本橋と到着地の三条大橋があるので、全55点です。

主要な作品をいくつか紹介します。

Hiroshige_kanbara_2
三島宿

Hiroshige_mishima
蒲原宿

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庄野宿


さて、9月11日(日)までなのであまり時間はないですが、
この美術館のある豊洲ららぽーとに隣接した公園では、
豊洲オクトーバーフェスト2011が開催されています。

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ドイツビールと食の祭典です。浮世絵の後にピールというのもまた「おつ」かも知れません。
このイベントの模様はこちらでレポートしています。

2011年9月 7日 (水)

【美術展】『コーニング・ガラス美術館特別出品 あこがれのヴェネチアン・グラス』サントリー美術館/ガラス美術の白眉を堪能する

東京の六本木ミッドタウン内にあるサントリー美術館において、
『コーニング・ガラス美術館特別出品
あこがれのヴェネチアン・グラス―時を超え、海を越えて』が開催中です。

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開館50周年記念「美を結ぶ。美をひらく。」III
コーニング・ガラス美術館特別出品
あこがれのヴェネチアン・グラス―時を超え、海を越えて
2011年8月10日(水)-10月10日(月) サントリー美術館

http://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/11vol04/index.html

ヴェネチアン・グラスの美術品、工芸品の展覧会です。
このブログでも紹介しましたが、東京都庭園美術館にて9月25日まで
「国立エルミタージュ美術館所蔵 皇帝の愛したガラス」展 が開催中です。
この夏から秋、ガラス芸術の展覧会が東京で二つ開催されています。
前回のブログと一部ダブりますが、ヴェネチアン・グラスとこの展覧会について、
簡単に紹介したいと思います。


ヴェネチア(Venezia)のガラス
ベネチア、ベネツィア、ヴェネチア…、ガラス、グラス
表記が色々あってややこしいですね。
一応、本展の表記に倣い、本項ではヴェネチアン・グラスとします。

ガラス工芸の歴史は紀元前数千年まで遡ります。
紀元前2000年代にはシリア、メソポタミアで本格的ガラス製品が作られていたといいます。
これはどちらかといえば博物館の世界ですね。

私たち初心者が美術品としてガラス作品を勉強し始めるには、
まずは15世紀後半に勃興し、16世紀に全盛期を迎えた
本展のテーマであるヴェネチアン・グラスを起点にすればいいかと思います。

軽やかで繊細優美なヴェネチアン・グラス。
ヴェネチアでは13世紀半ばにガラス同業組合が結成されます。
その後、全工房はヴェネツィア本島の北東にあるムラーノ島に移り、発展してきました。
15世紀を迎え、ヴェネチアは軍事力・海運力に優れた港湾都市、都市国家として繁栄します。

時はルネサンス芸術の全盛期、ヴェネチア派も歴史的な美術品を多く生み出しました。
ガラス工芸においてその芸術性は1450年頃に開発された無色透明ガラス「クリスタッロ」の誕生、
そして、エナメル彩、ラッティモ(乳白色ガラス)、レースグラス、アイスグラス等、
多彩な技術により大輪の花を咲かせました。

やがて、ムラーノ島に限って行なわれていた制作技術も、次第に流出を始めます。
各地において模倣と地域性との狭間で生まれた「ヴェネチア様式」は、
16世紀から18世紀にかけて、ヨーロッパを席巻したのです。
そして西洋のみならず、南蛮貿易により日本にもたらされました。
その瀟洒な美しさが、和ガラスの誕生にも少なからず影響を与えたと考えられています。

今回の展覧会ではルネサンス期のヴェネチアの作品から、
その影響を受けたヨーロッパ各国や日本のガラス作品、
そしてそのエッセンスを引き継ぐ現代ガラスアートまで、約150点が展示されています。
後半の方は「ヴェネチアン・グラス」とは言えない作品もあるかと思いますが、
ガラス美術の白眉にふれる貴重な催しです。

展覧会は三部構成になっています。

第1章 ヴェネチアン興隆―技術の応酬
新しいガラス素地「クリスタッロ」が開発され、
それまでのどのガラスよりも無色に近く、高い透明度を誇るこの素材を生かす
様々な技法や創意工夫がもたらされました。
一気に花開いたヴェネチアン・グラスの技の応酬が楽しめます。

第2章 流出したヴェネチアン―「ヴェネチア様式」の誕生
ヴェネチアン・グラスはヨーロッパ諸国の王侯貴族を虜にしました。
技術は次第に職人とともに流出し、各地で「ファソン・ド・ヴニーズ(ヴェネチア様式)」
と呼ばれるガラス器がつくられるようになりました。
第2章では、ヨーロッパ大陸における様々なヴェネチア様式のガラスを紹介。

第3章 ヴェネチアンと和ガラス
日本で本格的なガラスの器づくりが開始されたのは17世紀中頃のこと。
16世紀にもたらされたヨーロッパのガラスにあこがれ、
製作が開始されたと推測されています。
ヴェネチアン・グラスが含まれていたことも分かっており、
和ガラスの誕生に影響を与えたと考えられています。
第3章では、日本に渡来した貴重なヴェネチアンの資料と、
和ガラスの造形的な共通性を探さらています。

以下、展示作からいくつか紹介します。

Venezian_002
エナメル彩ゴブレット ヴェネチア 1500年頃

Venezian_001
レースグラス・ゴブレット おそらくヴェネチア 16世紀末


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ティーカップ&ソーサー ヴェネチア 19世紀


☆類似の展覧会
この夏から秋、ガラス芸術の展覧会、そしてヴェネチアをテーマにした展覧会が
他にも開かれますので、紹介します。

Hermitage_002
国立エルミタージュ美術館所蔵 皇帝の愛したガラス
2011年7月14日(木)-9月25日(日)  白金台 東京都庭園美術館 *開催中
公式サイト http://www.teien-art-museum.ne.jp/exhibition/glass/index.html
こちらでも紹介しています。


Venezia_001
世界遺産 ヴェネツィア展 魅惑の芸術-千年の都
2011年9月23日(金)-12月11日(日)  江戸東京博物館
公式サイト http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/exhibition/special/next.html

2011年9月 6日 (火)

【美術展】北斎とリヴィエール 三十六景の競演|ニューオータニ美術館/『冨嶽三十六景』と『エッフェル塔三十六景』を見比べる

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東京千代田区紀尾井町のホテルニューオータニ内にあるニューオータニ美術館で、
葛飾北斎の浮世絵『冨嶽三十六景』と
フランスのアンリ・リヴィエールの版画(リトグラフ)『エッフェル塔三十六景』を同時展示した展覧会が、
10月10日まで開催中です。

北斎とリヴィエール 三十六景の競演
2011年9月3日(土)-10月10日(日) ニューオータニ美術館

公式サイトhttp://www.newotani.co.jp/group/museum/exhibition/201109_hokusai/index.html

葛飾北斎の『冨嶽三十六景』は誰でも知っている浮世絵の傑作です。
先日、このブログでもジャポニズム文化について書きましたが、
19世紀末、ジャポニズムブームの中で人気を得ていた『冨嶽三十六景』に触発され、
アンリ・リヴィエールが創造したのが『エッフェル塔三十六景』

この二つの「三十六景」を同時に展示して鑑賞しようという催しです。


葛飾北斎(1760年-1849年)
『冨嶽三十六景』

あまりに有名な浮世絵の傑作シリーズ。
「冨嶽」は富士山を指し、各地から望む富士山の景観を描いています。
初版は1823頃より作成が始まり、1831年頃から1835年頃にかけて刊行されたと考えられています。
当初はタイトル通り36点でしたが、好評につき10点が追加制作され、全46点となりました。
美人画や役者絵が主流であった浮世絵に風景の分野を確立した金字塔的シリーズでもあります。


その『冨嶽三十六景』46点の中でも有名でよく見かける作品というとこのあたりでしょう。

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『凱風快晴』(赤富士)


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『神奈川沖浪裏』

しかし、富士山をアップで描いた『凱風快晴』や、
荒々しい自然の情景をダイナミックに描いた『神奈川沖浪裏』は
全体の中ではむしろ異質な作品です。

多くの作品は人々の生き生きした姿や、当時の文化を伝える建築物を前面に配し、
バックには雄大な風景を遠近感豊かに描き、遥か彼方に富士山を望む、
といった風情の作品が多いのです。
(西洋絵画の遠近法を研究、取り入れたことも『冨嶽三十六景』の大きな特徴です)

例を挙げますと、

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『本所立川』


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『駿州片倉茶園の不二』

知っているようで実はよく知らない、
浮世絵の傑作中の傑作を再発見する良い機会だと思います。


アンリ・リヴィエール(1864年-1951年)
『エッフェル塔三十六景』


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パリ生まれのリヴィエールはモンマルトルの芸術家や文化人の集うカフェ「シャ・ノアール」(黒猫)で
ジャポニスムにふれました。

1889年にパリで行われた第4回万国博覧会のために建造されたエッフェル塔は、
その斬新さのために賛否両論を呼びましたが、リヴィエールは肯定派だったようです。
『冨嶽三十六景』からコンセプトや技法を取り入れて、富士山をエッフェル塔に置き換え、
パリの人々や文化を、新しいリトグラフの技術を用いて描いたのです。

ところで、リヴィエールは北斎と共に歌川広重の影響も受けたといいます。
広重は北斎よりも40歳近く年下ですが、北斎が長命だったこともあり同時代に活動しています。

今回の展覧会には広重の作品も8点ほど展示されていますので、比較するのもいいでしょう。


更に、別の展覧会の話になりますが、
『冨嶽三十六景』と並ぶ浮世絵風景画の連作シリーズといえば広重の『東海道五十三次』

この『東海道五十三次』の展覧会が豊洲の平木浮世絵美術館で開催中です。
広重「保永堂丸子版・東海道五十三次之内」
2011年 9月3日(土)-25日(日)

この展覧会についての紹介はこちら

2011年9月 5日 (月)

【美術】ボス『快楽の園』9/3『美の巨人たち』より/謎多き画家の謎めいた傑作

先週9月3日放送のテレビ東京系『美の巨人たち』のテーマ「今週の一枚」は
ヒエロニムス・ボス『快楽の園』(1500年-1505年頃)でした。
http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/backnumber/110903/index.html

Bosch_003

以下、番組の流れに沿ってまとめます。

ヒエロニムス・ボス(Hieronymus Bosch 1450年頃- 1516年8月9日)
ボスはネーデルラント(今のオランダ、ベルギー、ルクセンブルク)の大画家です。
4月2日放送のこの番組のテーマで、このブログでも取り上げた
ファン・エイク兄弟の後継者にあたります。

世代でいうと、レオナルド・ダ・ヴィンチとまさに同時代を生きています。
レオナルドはフィレンツェやローマなどルネサンスの中心地で活動しましたが、
ボスの生きたネーデルラントの芸術は北方ルネサンスなどと呼ばれます。

存命中から高い評価を得ていたと思われますが、詳しいことはわかっていません。
その生涯同様、作品も謎めいたものが多いのです。

ネーデルラントの画家達も前述のエイク兄弟の『ゲントの祭壇画」をはじめとして、
宗教画の傑作を多く残しています。
ボスもまた多くの宗教画を残していますが、他の画家とは違い、
悪徳に身をやつす人間の醜さを描いたのが特徴です。
ボス自身は信心深い人間で、その作風は当時の宗教家を含めて
腐敗・退廃した社会背景に起因するともいわれます。


『快楽の園』(1500年-1505年頃)
スペインのプラド美術館所蔵の至宝。
この三連祭壇画風の作品は長方形の両翼を閉じると中央パネルを完全に隠す、
三面鏡のような構造になっており、両翼裏面それぞれに半円ずつ描かれた天地創造の地球、
つまり地動説を基にした地球が描かれています。

Bosch_002

それを開くと三つの場面が現れます。

Bosch_001

左側から『地上の楽園』、『快楽の園』、『地獄』とタイトルがつけられています
しかし、このタイトルはボスによりつけられたものではなく、
正確に主題を表現しているとはいえません。

特に中央の『快楽の園』について、解釈を巡っては長年議論が続けられてきました。
大勢の裸の人間や実在・架空の動物達の饗宴。

快楽という罪を描いたのか?
それとも愛に満ちた人間の喜びを賛美しているのか?
もしくはアダムとイブが楽園を追放される以前の世界なのか?

番組では「無垢で無邪気の人間達の青春の輝き」との言葉を使い、
肯定的とも取れるまとめ方をしていました。

2011年9月 4日 (日)

【ビール 祭り】オクトーバーフェスト2011豊洲会場リポート/東京湾を望む海辺のビアパーティー

ドイツビールとドイツの食の祭典、日本版オクトーバーフェスト2011の豊洲大会が、
9月1日に開幕したので覗いてきました。

豊洲会場    9月1日(木)-11日(日)
江東区立豊洲公園、東京都立春海橋公園
オクトーバーフェスト2011の概要はこちらで紹介しています。

豊洲会場開幕の9月1日は大型台風が接近しており、とうなることかと思いましたが、
東京は大雨にはならなかったので、予定通り開幕しました。
しかし、天候は不安定で、私が行った3日も突然の通り雨で、人々が一斉に避難するシーンがありました。

会場は海に面した公園があり、天気さえ持てば最高のロケーションです。

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大会公式サイト
http://www.oktober-fest.jp/toyosu2011/index.html

2011年9月 2日 (金)

【カメラ】SONY α77&α65発表(発売は10月14日予定)/評価は賛否両論? 高感度撮影は?

A77
先日、8月8日のこのブログでも書いたSONYのデジタル一眼カメラα77とα65、
8月24日に無事発表されました。
「発表」されただけです。発売は10月14日の予定。
ソニーα Aマウント公式サイト


スペックについてはほぼ事前の予想通り、
ただ、価格については私がブログに書いた時点での噂とは若干異なりました。
ただし、ブログの後、発表前にはほぼ正しい価格予想が流布していました。

この点については、ブログでも書いたように、その時点での価格予想は
α77とα65の差がほとんどなく、そもそも不自然に感じていました。

さて、発表から10日が経とうとしています。その評価は…、
カメラ誌でのレビュー掲載はまだ先ですが、ネット上では賛否両論に分かれているようです。
実は画質について厳しい評価も少なくなく、
特に高感度撮影での画質には不満の声が上がっています。

画質といっても、まだネット上に公式な作例は少なく、非公式な作例も含めての評価、
加えてショールーム内での試写だけでの評価です。
それもまだ最終の完成品ではない試作機なので、最終判断する段階ではありません。
その上での、現状での評価ですが。

この二機種は2430万画素という高画素の新型イメージセンサーを搭載しています。
2430万画素というのはこのクラスにして大変高画素です。
ただ、画素というのは高ければいいというものではなく、弊害も出てくるものです。
詳しいメカニズムはよくわかりませんが、特に高感度撮影は高画素化すると厳しくなる面があります。

その意味では、2430万という高画素を採用すれば高感度は厳しいのは当然なのですが、
事前に、高画素にして驚くべき高感度画質、のような噂も出ていましたので、
ソニーの技術が難点を克服したのかという期待もあったのです。
ただ、今のところは厳しい評価が多いようです。

逆に、同時に発表された1610万画素のNEX-5Nの方が、現行機屈指の高感度特性と評価されるなど、
ちょっと皮肉な展開になっています。


さて、特に高感度画質については、ネット上で議論になると
「そもそも高感度ってそんなに必要なのか」という声も出てくるのですが、
それは個々の用途によってくるものかと思います。

私は高感度耐性に期待していた一人です。
もちろん高感度だけの問題ではありませんが、しばらく様子見をすることにしました。
そんなに高感度がいいならNEX-5Nを買えといわれそうですが、そうもいきません。

プロのカメラマンではなくても、屋内スポーツを撮る機会に巡り合う事もあるでしょうし、
スポーツに限らず、学芸会、発表会、ライブ、
あるいは結婚式・披露宴、その他屋内イベントを撮る機会もあるでしょう。
つまり屋内で動く人を撮りたいということですね。
ネットの質問サイトでも、このような場面を撮りたいけれど、上手く撮れない、
どうしたらいいか、という初心者からの質問・相談をよく見かけます。

フラッシュは使えない場合も多いし、使えても光量を調整して綺麗に撮るのはなかなか難しいです。
上のような質問に対して、いわゆる「明るいレンズ」を買いなさいという回答も多いのですが、
特に客席からスポーツを撮れるような望遠タイプのメーカー純正「明るいレンズ」は、
一眼(レフ)入門機種本体の数倍の価格が付いていたりしますので、初心者に現実的ではありません。

その意味ではカメラ本体で調整できる「ISO感度」は強い見方です。
もっとも、有効活用するには露出についての最低限の知識が必要でしょうけど。

また、上のような「動体撮影」には高感度以前に、オートフォーカスのスピードなども必要です。
NEXも進化してるでしょうし、これからもするでしょうが、
やはり動体撮影については、(ソニーなら)α Aマウントでしょう。

私もショールームで試写はしてみしたが、背面のモニターで確認するだけですので、
初級者の私の審美眼では判断は無理です。
もう少し判断材料が揃うまで、また価格動向も含めて推移を見守ることにしました。
画質の問題だけではなく、77か65という問題もあります。機能とCPと。

私の場合は機材よりは腕と知識をなんとかするのが先というのは百も承知なのですが、
それはまぁそれとして。

というわけで、α77&65を保留する分、
昨年発売で価格がこなれたα55を購入しました。
価格は市場全般下がってはいますが、特にY電機が独走のようでした。
α55については項を改めます。

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