【美術】黒田清輝作『湖畔』』9/24『美の巨人たち』より/日本近代洋画の祖が残した清涼感溢れる絵画
9月24日放送のテレビ東京系『美の巨人たち』のテーマ「今週の一枚」は
黒田清輝作『湖畔』でした。
http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/backnumber/110924/index.html
実に涼しげ、油彩画とは思い難い、なんとも日本的な“洋画”です。
今回の番組では日本人による西洋絵画として最も有名といっていいこの作品の誕生と、
作者の黒田清輝の生涯、特に前半生について解り易くまとめられていました。
以下、番組に沿って振り返ります。
黒田 清輝(くろだ せいき 1866年8月9日-1924年7月15日)
幕末の鹿児島生まれ。
明治政府の重鎮だった伯父黒田清綱子爵の養子となり、政治家を目指します。
18歳で法律を学ぶ為にフランスへ留学しますが、留学中に知り合った画家仲間との交流を経て、
画家を目指すことを決意し、養父にこの旨を宣言しました。
外光派の画家ラファエル・コランに師事した清輝は、
1891年に発表した『読書』にてパリのサロンで入選を果たします。
『読書』(1891年)
モデルは清輝のパリでの下宿先の娘マリア・ビヨーとされます。
番組では、語り手役となった清輝の親友の画家、久米桂一郎の言葉を借りて、
清輝とマリアが恋人関係にあったのではないかと推測しています。
こうしてフランス画壇での評価を勝ち取った清輝は
1893年、特に日本画壇の封建性を嫌悪する若い画家達からの期待を集め帰国します。
帰国した清輝は一旦は明治美術会に所属しますが、まもなく旧態依然とした体制に反発、
若い画家仲間たちと「白馬会」を結成して、日本洋画の変革に乗り出していきました。
そのきっかけとなったのが裸婦画『朝妝』でした。
『朝妝』(ちょうしょう 1895年)
実物は焼失しており、残念ながら現存しません。
欧州では当たり前のヌード画が日本では「裸体画論争」といわれる騒動に発展してしまいます。
この状況に危機感を覚えた清輝は、新しい日本の洋画となる一枚を描き出そうと模索し始めたのです。
『湖畔』(1897年)
そうして発表されたのが『湖畔』でした。
モデルは清輝の妻となる照子。
芸者であった照子からは、当時23歳の若さにも関わらず、艶も感じられます。
箱根芦ノ湖の湖畔で、約一ヶ月を費やして書き上げました。
絵のテーマは「水と女性」。
レオナルド・ダ・ヴィンチの『モナ・リザ』など、西洋では昔から描かれてきた画題です。
黒田はこのような西洋絵画の定番ともいえるテーマを、
日本の風土にあった洋画として描くことに腐心していました。
清輝は塗り残しを技法として活用することによって、
山や湖と自然の風景と人間が一体化した、日本ならではの清涼感溢れる油絵を創造しました。
日本近代洋画の父ともいわれる所以です。
その後、清輝は日本の洋画壇のリーダーとして、後進の指導に携わっていきます。
後半生についてはかけ足で、さわりだけの紹介といったところでしたが、
特にミステリ的な仕掛けもなく、ストレートに画家と作品を紹介した回でした。
ただ、ひとつ気になったのは、今回の番組では
「旧態依然とした日本の洋画壇」の変革という言い方を盛んにしていたことです。
この時点での日本の洋画界は、そのように言われるには歴史がまだ浅すぎだったようにも思えます。
例えば、黒田が封建的といって脱会したとされる明治美術会も、
黒田が帰国する4年前の1889年に設立されたばかりの団体ですし、
「旧態依然」という表現は適切なのでしょうか。
このあたりは検証の余地があるかも知れません。
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