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2011年8月

2011年8月30日 (火)

【昭和プロレス】DVD『悪逆無道!極悪ヒール烈伝』 シン、上田、バーナード、クラップ、プロンドス、狼軍団、初期新日の悪役総登場/ブッチャ―とシークも

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『悪逆無道!極悪ヒール烈伝 DVD-BOX』 
2011年7月20日発売
価格 ¥10,920/監修:流 智美 構成:徳永哲朗
http://hp.ponycanyon.co.jp/pchp/cgi-bin/PCHPM.pl?TRGID=PCHP_SKH_1010&CMD=DSP&DSP_SKHBNG=201100000506&DSP_SKHKETSEQ=001

8月に発売された『続・秘蔵昭和名勝負烈伝 DVD-BOX』の方を先に紹介してしまいましたが、
7月に同じポニーキャニオンからリリースされたこの『悪逆無道!極悪ヒール烈伝 DVD-BOX』も、
レトロプロレスファンにはお薦めです。

タイトル通りトップヒール達の総集編のごとき内容です。
タイガー・ジェット・シンと上田馬之助の凶悪コンビを中心に、
ブルート・バーナード、キラー・カール・クラップ、ハリウッド・ブロンドス、狼軍団ら
初期新日本プロレスのマットを地で彩った悪党達が大挙登場しています。
そして全日本プロレスのイメージが強いアブドーラ・ザ・ブッチャ―とザ・シークも登場。
ただし、シークの試合は新日登場時ではなく、日本プロレスでの坂口征二とのUN2連戦です。

収録試合リストは下に記しますが、特にレアな試合を紹介します。

S50.7.26 沼津市体育館 ブルート・バーナードvsアントニオ猪木 
猪木とバーナードのシングル戦というと、バーナードが新日本に初登場した1975年新春シリーズの
試合が紹介されることが多かったですが、これはその年の夏、二度目の登場の時です。
新春シリーズでは猪木のブレーンバスターで完敗しているのですが、
この時は猪木をガンガン攻め込んでおり、バーナードの魅力全開です。
バーナードファンにはお薦め!


S50.8.1ロサンゼルス オリンピックオーデトリアム 
NWA北米タッグ選手権試合 アントニオ猪木&坂口征二vsハリウッド・ブロンドス

日本でハンス・シュミット&ブルート・バーナードのベテラン悪党コンビを完封した猪木&坂口の
黄金コンビが、北米タッグ戴冠の地であるロスのオリンピックオーデトリアムに乗り込み、
ジェリー・ブラウンとバディ・ロバーツのハリウッド・ブロンドスの挑戦を受けた試合。
ブロンドスはタッグの名チームですが、この前年にもブロンド・ボンバーズとして国際プロレスに
来日しており、戦績を見ると連戦連敗、ほとんど全敗です。

黄金コンビにしてみれは軽い相手の筈ですが、ブロンドスの巧妙なチームワークの前に、
特に猪木が徹底的に痛めつけられ、ノ―コンテストでタイトル没収、
ベルトを持ち去られるという醜態を晒した伝説的な試合です。


また、試合以外のレアな映像も収録されています。

タイガー・ジェット・シン、トロントでのトレーニング風景
シンの自宅のある雪深いカナダ、トロントでのトレーニングの様子を取材。
一緒にランニングをしている男がいるのですが、素顔での試合を見たことがないので断言出来ませんが、
おそらくサイレント・マクニ―ではないかと思います。
名前の通り口が不自由で、レスラーとしての日本での評価は三流未満というところでしょうが、
三度の来日もシンが団体側に申し入れて同道したようで、シンとは本当に仲が良いようです。


狼軍団のフロリダ特訓風景
1978年10月、プレ日本選手権に向けて結成された狼軍団とフロリダで活躍するレスラー達が登場。
ヒロ・マツダ、マサ斎藤に混じって、プレ日本には参戦しなかった高千穂明久(グレートカブキ)の
顔も見えます。当時はフロリダで斎藤とタッグタイトルを保持していたのですね。
そして外人勢はブリスコ兄弟らに加え、若きハルク・ホーガンも。


しかし、なんといってもこのDVDのハイライトは上田馬之助のインタビューでしょう。
もちろん最近の収録で、闘病中の姿です。
先日は日本テレビの24時間テレビにも登場したようですが、
このDVDでは流智美氏がインタビューを務め、じっくり語っています。
私も見るのが辛い気もしましたが、貴重に肉声なので聴けてよかったと思います。


収録リスト
<DISC-1>
【タイガー・ジェット・シン】
S49.6.20 蔵前国技館 タイガー・ジェット・シン vs アントニオ猪木 NWF世界ヘビー級選手権試合
S50.6.26 蔵前国技館 タイガー・ジェット・シン vs アントニオ猪木 NWF世界ヘビー級選手権試合
S52.1.14 福岡九電記念体育館 タイガー・ジェット・シン&上田馬之助 vs 坂口征二&ストロング小林 NWA北米タッグ選手権試合
S54.2月 カナダ・トロント タイガー・ジェット・シン 自宅特訓   
S54.2.23 千葉公園体育館 タイガー・ジェット・シン vs 藤波辰巳   
S52.7.21 宮城県スポーツセンター タイガー・ジェット・シン vs ストロング小林 アジアヘビー級選手権試合
【アブドーラ・ザ・ブッチャー】
S56.5.8 川崎市体育館 ブッチャーIWGP参戦表明   
S57.5.26 大阪府立体育会館 アブドーラ・ザ・ブッチャー vs ハルク・ホーガン   
S60.1.25 徳山市体育館 アブドーラ・ザ・ブッチャー vs アントニオ猪木   
S567.31 大阪府臨海スポーツセンター アブドーラ・ザ・ブッチャー vs 坂口征二   
【ハリウッド・ブロンドス】
S50.8. 1 ロサンゼルス オリンピックオーデトリアム ハリウッド・ブロンドス vs アントニオ猪木&坂口征二 NWA北米タッグ選手権試合
S51.5.28 後楽園ホール ハリウッド・ブロンドス vs 坂口征二&ストロング小林   
【将軍KY若松】
S59.8.24 後楽園ホール 若松、謎のマスクマンを引き連れ乱入   
S59.9. 7 福岡スポーツセンター ストロング・マシーン vs アントニオ猪木   
S60.4.18 両国国技館 ストロング・マシーンNo.1 vs 藤波辰巳   
S60.8.23 東村山市民スポーツセンター    ジャイアント・マシーン vs 坂口征二   
S61.1. 3 後楽園ホール マッド・マックス1号&2号 vs 藤波辰巳&木村健吾   
【JC・ダイクス】
S50.12.19 ロサンゼルス オリンピックオーデトリアム    ジ・インフェルノスNo.2&No.3 vs アントニオ猪木&坂口征二    NWA北米タッグ選手権試合
【グレート・マレンコ】
S53.3.3    高崎市体育館 マスクド・スーパースター vs アントニオ猪木   
S54.1.5    大田区体育館 ボブ・ループ&クルト・フォン・ヘス vs アントニオ猪木&ストロング小林   
ラリー・シャープ
S62. 4.6    後楽園ホール    クラッシャー・バンバン・ビガロ vs アントニオ猪木   
【狼軍団】
S53.10月   フロリダ・タンパ 狼軍団 フロリダ特訓   
S53.10.27 福山市体育館 上田、サンダー杉山 放送席乱入   
S53.12. 5 福岡九電記念体育館 上田馬之助&サンダー杉山 vs 坂口征二&ストロング小林 NWA北米タッグ選手権試合
S53.12. 5 福岡九電記念体育館 ヒロ・マツダ vs 長州力   
【マサ斎藤】
S54. 4. 5 東京体育館 ヒロ・マツダ&マサ斎藤 vs 坂口征二&ストロング小林 NWA北米タッグ選手権試合
S54. 3.8 水戸市民体育館 マサ斎藤 vs 長州力
【国際軍団】S57.10.26 大阪府立体育会館 ラッシャー木村&アニマル浜口 vs アントニオ猪木&藤波辰巳   
【クリス・マルコフ】S53.10.27 福山市体育館 クリス・マルコフ vs アントニオ猪木   
【ザ・ガスパーズ】S63.6.10 広島県立体育館 ビリー&バリー・ガスパー vs ディック・マードック&アドリアン・アドニス   
【アイアン・シーク】S55.3.20 津山市総合体育館    アイアン・シーク vs アントニオ猪木   
【コンガ・ザ・バーバリアン】S60.10.4 札幌中島体育センター コンガ・ザ・バーバリアン&リック・オリバー vs ランボー・サクラダ&後藤達俊   
【ザ・ハングマン】S52.9.16 久留米県立体育館 ザ・ハングマン&ロディ・パイパー vs ストロング小林&木戸修   
【イワン・コロフ】S51.9.10 品川スポーツランド コロフ、猪木に挑戦状   
【ブラック・ゴールドマン&エル・ゴリアス】S52.7.28 福岡九電記念体育館 ブラック・ゴールドマン&エル・ゴリアス vs 星野勘太郎&山本小鉄   
【アレックス・スミルノフ】S61.8.7 露橋スポーツセンター    アレックス・スミルノフ vs 藤波辰巳   
【クルト・フォン・ストロハイム】S52.10.28 福生市民体育館 クルト・フォン・ストロハイム vs ストロング小林   
【アソール・ホーリー】S58.8.13 カルガリースタンピードパビリオン アソール・フォーリー vs 高田伸彦   
【ザ・モンゴルス】S51.7.22 岡山武道館 ジート&ボロ・モンゴル vs 坂口征二&ストロング小林   
【スタン・スタージャック】    54    3.1    津市体育館 スタン・スタージャック vs 藤波辰巳   
【レロイ・ブラウン】S54.6.29 大宮スケートセンター レロイ・ブラウン vs ストロング小林   
【ケンドー・ナガサキ&ミスター・ポーゴ】S60.11.15 後楽園ホール ケンドー・ナガサキ&ミスター・ポーゴ vs パット&マイク・ケリー IWGPタッグリーグ公式戦
【バッドニュース・アレン】S59.1.6 後楽園ホール バッドニュース・アレン&アブドーラ・ザ・ブッチャー vs 長州力&アニマル浜口   
【デビッド・シュルツ】S60.3.1 後楽園ホール デビッド・シュルツ vs 高野俊二   

<DISC-2>
【ザ・シーク】
S47.9. 6 田園コロシアム ザ・シーク vs 坂口征二 ユナイテッドナショナル選手権試合
S47.9. 7 大阪府立体育会館 ザ・シーク vs 坂口征二 ユナイテッドナショナル選手権試合
【ブルート・バーナード】
S50.7.26 沼津市体育館 ブルート・バーナード vs アントニオ猪木   
【キラー・カール・クラップ】
S50.4.18 福生市民体育館 キラー・カール・クラップ vs ストロング小林 ワールドリーグ公式戦
【小林邦昭】
S57.10.26 大阪府立体育会館 小林邦昭 vs タイガーマスク WWFジュニアヘビー級選手権試合
S57.11. 4 蔵前国技館 小林邦昭 vs タイガーマスク NWA世界&WWFジュニアヘビー級選手権試合
S58. 7. 7 大阪府立体育会館 タイガーマスク vs 寺西勇 NWA世界ジュニアヘビー級選手権試合
S59. 1. 6 後楽園ホール 小林邦昭 vs ザ・コブラ WWFジュニアヘビー級王座決定リーグ公式戦
S59. 2. 7 大阪府立体育会館 小林邦昭 vs ザ・コブラ NWA世界ジュニアヘビー級選手権試合
【ブラック・タイガー】
S57.4.21 蔵前国技館 ブラック・タイガー vs タイガーマスク WWFジュニアヘビー級選手権試合
S57.5.26 大阪府立体育会館 ブラック・タイガー vs タイガーマスク NWA世界&WWFジュニアヘビー級選手権試合
S57.9.21 大阪府立体育会館 ブラック・タイガー vs タイガーマスク WWFジュニアヘビー級選手権試合
S58.2. 7 蔵前国技館 ブラック・タイガー vs タイガーマスク WWFジュニアヘビー級選手権試合
【栗栖正伸】
H2.    7.22 月寒グリーンドーム 栗栖正伸 vs 後藤達俊   
H2.    8.16 千葉公園体育館 栗栖正伸 vs アニマル浜口   
H2.11.28 博多スターレーン 栗栖正伸 vs ヒロ斉藤   
【上田馬之助】
S51.8. 5 蔵前国技館 上田、猪木に挑戦状
S53.2. 3 札幌中島スポーツセンター 上田馬之助 vs ストロング小林   
S53.2. 8 日本武道館 上田馬之助 vs アントニオ猪木 釘板デスマッチ
S53.3.30 蔵前国技館 藤波辰巳 vs イワン・コロフ   
S53.4.21 蔵前国技館 上田馬之助 vs 藤波辰巳 MSGシリーズ予選トーナメント
S54.4.27 横浜文化体育館 上田馬之助 vs スタン・ハンセン MSGシリーズ予選トーナメント
S60.3. 8 横浜文化体育館 上田馬之助&ヒロ斉藤vsストロング・マシーンNo1&No2   
S61.3.26 東京体育館 上田&猪木&藤波&木村&星野vs前田&藤原&木戸&高田&山崎 新日本vsUWFイリミネーションマッチ

2011年8月29日 (月)

【昭和プロレス】DVD『続・秘蔵昭和名勝負烈伝』坂口初戴冠、日プロ時代の名勝負/猪木幻の必殺技等

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続・秘蔵昭和名勝負烈伝 DVD-BOX 
2011年8月17日発売
¥10,920/2枚組  監修:流 智美 構成:徳永哲朗
http://hp.ponycanyon.co.jp/pchp/cgi-bin/PCHPM.pl?TRGID=PCHP_SKH_1010&CMD=DSP&DSP_SKHBNG=201100000733&DSP_SKHKETSEQ=001

ポニーキャニオンから発売の新日本プロレス昭和名勝負集。
正確にいえば新日だけではなく、テレビ朝日系『ワールドプロレスリング』の特選集です。
7月に発売された『悪逆無道!極悪ヒール烈伝 DVD-BOX』は購入即決だったのですが、
こちらは収録カードが微妙に思え、少し躊躇しました。
しかし、なかなか得難い映像も多かったです。

なかでも一番の名勝負は日本プロレス時代のこの試合でしょう。

昭和46年12月12日 東京体育館 アジアタッグ王座決定戦
坂口征二&吉村道明 vs ドリー・ファンク・ジュニア&ディック・マードック

猪木のクーデター騒ぎに揺れる1971年暮れ、シリーズ最終戦の東京体育館の試合です。
猪木が返上したアジアタッグ王座、猪木のパートナーだった吉村が坂口が組んで臨んだ王座決定戦。
相手は現役NWA世界ヘビー級王者のドリー・ファンクJrと、若きディック・マードックのコンビ。
坂口の国内初戴冠となった試合です。

坂口はこのシリーズでやはり猪木の代打としてドリーの世界王座に挑み惜敗しました。
坂口はそれ以前にもアマリロでドリーに何度か挑戦したことがあり、手が合うのですが、
この試合ではそれ以上にマードックとの激しい攻防が魅力的でした。
坂口がマードックに決めたハイアングルのシュミット式バックブリーカー
また三本目のフィニッシュになった超ハイアングルアトミックドロップなどはなかなか見れないものです。

日本プロレス崩壊後、10年近い歳月を経た1981年、
マードックは全日本プロレスから新日本に移籍、両者は再び闘うようになりますが、
坂口は既にIWGPに向けタイトルを返上した後で、あまり印象に残る試合を残していません。
改めて勿体なく感じました。


昭和50年6月5日 札幌中島スポーツセンター
アントニオ猪木&ストロング小林 vs グレッグ・バレンタイン&ザ・プロフェッショナル

ストロング小林が新日本に参戦、猪木と初めてタッグを組んでテレビ登場した試合です。
もっともこの試合の見どころはそれ以上に猪木がプロフェッショナルに決めたフィニッシュです。
ルー・テーズとのNWF戦で使い、その後封印してしまったブロックバスター・ホールドを使っているのです。
(実況では「バックフリップ」と紹介しています。)

テーズ戦でのこの技は今ひとつ迫力不足、説得力不足でしたが、
この試合では大型のプロフェッショナルをハイスピードで迫力満点に投げています。
そして、投げた後一旦は綺麗にブリッジを決めてホールドしますが、すぐに後方回転し、
最終的にはピンフォールの形で抑え込んでいます。
実況の感じだとこれが初披露というわけでもないようですが、
流氏の解説ではテーズ戦以外に映像が残っているのはこれだけのようです。

他にも「世代抗争」などと言われるようになる遥か前、1972年の長州&木戸とヤマハブラザーズの攻防、
名人ピート・ロバーツがラフも交えてストロング小林を攻め込む試合なども必見です。
また、この試合で小林が見せたアルゼンチン・バックブリーカーもレアだと思います。
小林といえばカナディアン・バックブリーカー、アルゼンチンは坂口の18番でしたから。


収録内容
DISC,1

≪猪木という名の黄金郷≫            
昭和52年9月22日 会津市体育館 アントニオ猪木 vs ロディ・パイパー
昭和53年3月24日 和歌山県立体育館 アントニオ猪木 vs グレート・マレンコ
昭和55年5月24日 青森市民体育館 MSGシリーズ決勝リーグ アントニオ猪木 vs 坂口征二
昭和58年12月6日 大阪府立体育会館 アントニオ猪木&ハルク・ホーガン vs 長州 力&谷津嘉章
            
≪猪木に惚れた怒涛の怪力≫            
昭和50年1月3日 越谷市体育館 ストロング小林 フリー参戦挨拶
昭和50年1月9日 東京体育館 ストロング小林 vs ピート・ロバーツ
昭和50年6月5日 札幌中島スポーツセンター アントニオ猪木&ストロング小林 vs グレッグ・バレンタイン&ザ・プロフェッショナル
            
≪招かれざるべき伝説のパンタロン≫            
昭和52年8月2日 日本武道館 鈴木勝幸 vs ベニー・ユキーデ
昭和56年6月24日 蔵前国技館 マーシャルアーツ世界ライトヘビー級選手権試合 ダン・ウイルソン vs アシュラフ・タイ
昭和62年3月26日 大阪城ホール マーシャルアーツUSクルーザー級選手権試合 ドン・ナカヤ・ニールセン vs チャーリー・アーチー
昭和62年3月26日 大阪城ホール 異種格闘技戦 木村健吾 vs ケリー・J・ウイルソン
            
≪綺羅星の残像≫            
昭和59年3月9日 古河市立体育館 高田伸彦 vs 小林邦昭
昭和60年8月30日 山形県体育館 小杉俊二 vs 山田恵一
昭和63年4月11日 後楽園ホール 藤波辰巳&船木優治 vs マニー・ヘルナンデス&スティーブ・ケイシー

DISC,2            
≪日本プロレス≫            
昭和46年12月6日 茨城県スポーツセンター グレート小鹿 vs テリー・ファンク
昭和46年12月12日 東京体育館 アジアタッグ王座決定戦 坂口征二&吉村道明 vs ドリー・ファンク・ジュニア&ディック・マードック
            
≪飛龍外伝≫            
昭和55年6月5日 蔵前国技館 藤波辰巳 vs ボブ・バックランド
昭和56年4月10日 西日本総合展示場 WWFジュニアヘビー級選手権試合 藤波辰巳 vs ダイナマイト・キッド
昭和60年5月13日 大分県立総合体育館 WWFインターナショナルヘビー級選手権試合 藤波辰巳 vs ジミー・スヌーカ
            
≪長髪なき長州力≫            
昭和49年8月8日 日大講堂 吉田光雄デビュー戦 吉田光雄 vs エル・グレコ
昭和52年4月22日 大阪府立体育会館 「長州 力」リングネーム決定挨拶
昭和52年6月24日 大宮スケートセンター 長州 力 vs タイガー・ジェット・シン
            
≪エピタフ≫            
昭和59年2月9日 大阪府立体育会館 ラッシャー木村 vs ハルク・ホーガン
昭和59年12月6日 広島県立体育館 スーパーヘビー級バトルロイヤル
昭和60年10月18日 後楽園ホール ランボー・サクラダ vs ブルーザー・ブロディ
昭和52年12月5日 岡崎市体育館 長州力&木戸修 vs 星野勘太郎&山本小鉄

2011年8月27日 (土)

【芸能】島田紳助さん引退/遅咲き(?)の天才の30年と最後のプロデュース

島田紳助さんの突然の引退発表は大きな話題となりました。

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漫才(MANZAI)ブームの勃興が1980年、
『オレたちひょうきん族』のスタートが1981年なので、
30年に渡り芸能界、というよりもテレビ界の第一線で活躍し、
トップのポジションのままでの引退となりました。

故松本竜介さん(後に竜助に改名)との漫才コンビで世に出た紳助さんですが、
1985年にはコンビを解散しています。
漫才ブームで人気の出たコンビには、まもなくソロ活動中心になった人達も多いですが、
ハッキリ解散という形を明確にしたのは、彼らが最も早い方だったかと思います。
ここらにも判断力・先見性がうかがえます。

この解散は今回の引退会見でも語っていたように、
後輩のダウンタウンの漫才を観て、彼らに勝てないと思ったからとされています。
後にダウンタウンがコンビとして長く、現在に至るまで活躍することを考えれば、
これも先見性を感じさせるエピソードとなりました。


その後は司会業を中心に常に第一線で活躍してきた紳助さんですが、
現在のようにテレビ界の本当のトップに立ったのは2000年代も近くなってからかと思います。

1990年代にはダウンタウンの松本人志さんが雑誌のコラムで、
「紳助さんはしゃべりの面白さでは一番。天下を取れないのが不思議」
正確のこの通りではないですが、このような主旨のことを書いています。
才能があり、そこそこの売れっ子ではあるけど、トップではないという認識ですね。

たしかに、例えば長く司会を務めたテレビ朝日の『サンデープロジェクト』でも、
存在感はあまりなかったですね。
今から考えると不思議なくらいの存在感の薄さでした。

紳助さん自身も、ビートたけしさんや明石家さんまさんらと比較して、
自分はトップではない、二番手だとの発言をしていた記憶があります。
その同世代の人達がまだ活躍を続けながらも、やや存在感を薄めつつある時代に、
逆にトップに躍り出た感があります。
そう考えると、ずっと第一線にいながら「遅咲き」の面もあるかと思います。


今回の突然の引退は当然ながら様々な憶測を呼んでいます。
公表された理由が引退するほどのこととも思えない…、というよりも、
まだ表面化もしていないことをカミングアウトして無理やり引退したような印象があるので、
実はこれから問題化する事案があり、先手を打ったのだというような見方もされました。

その後に出てきた情報だと、吉本側がメールについて詰問したのは事実だが、
引退を切り出したのは紳助さんからで、吉本は必死に慰留したが叶わなかったともいいます。
まぁそれが事実ではないでしょうか。引退は影響が大き過ぎます。

6本というレギュラー番組の本数だけではない、プロデュースも多く手がけていますし、
紳助さん抜きでは成立し難い番組が多いです。
フォーマットはそのまま、司会者だけ入れ替えての存続がイメージできるのは、
『開運!なんでも鑑定団』くらいでしょうか。
(謹慎中にそうしていた実績があるからですが)

現時点では、引退して最も影響の大きいテレビダレントだったかも知れません。
もしかしたら、紳助さんもそういう立場である今だからこそ
すっぱり引退してしまう時期として相応しいと判断したのかも知れないです。


元々、紳助さんは視聴者から見て好き嫌いの分かれるタイプのタレントだったと思いますが、
存在感が大きくなるにつれ、それに拍車がかかっていきました。
ましてや、数年前の女性マネージャーへの暴行事件の後は当然ながら尚更です。
ネット上では引退に快哉を叫ぶ人も多いようです。
しかし、あの事件での謹慎からの復帰後も勢いが衰えず活躍を続けたのもまた驚異の事実です。

最近も若手お笑いタレントを生放送中に恫喝しているようなシーンが流され、
先輩や後輩の超大物タレントからも苦言を呈されたり、揶揄されたりした事がありました。

一方、「出る杭は打たれる」で若手時代からバッシングも多かったダウンタウンに対しては、
一貫して理解者・庇護者の立場にあったことは松本人志さんの発言からもうかがえますし、
面倒見の良い面があったことは間違いないでしょう。


紳助さんは漫才で世に出た当時から、不良っぽさがトレードマークではありました。
売れ出してすぐにそのカラーを薄めましたが、完全に消したわけでもありません。
今回の会見で出た「Aさん」こと渡辺二郎被告との関係も、
「古い不良仲間との付き合い・義理を重んじ、殉じた」かのような印象があります。
そして、ここが最高の引退の時期との判断があったようにも思えます。
紳助さん最後の自己プロデュースだったのかも知れません。

今回の件は暴力団絡みなので、この引退ですべて終りとは断言できませんが、
紳助さん自身がこの件で事件の当事者になる可能性も薄いように思えます。

紳助さんは芸能界をすっぱり引退した上岡龍太郎さんの生き方に憧れているともいいますし、
おそらく上岡さん同様に、復帰はしないつもりでしょう。
ただ、上岡さんはかなり早い時期から引退時期を予告していましたが、
紳助さんは絶頂時に突然の引退。
結果的にかも知れませんが、上岡さんの二番煎じをしなかったのは
名プロデューサーでもあった紳助さんらしいといえるのかも知れません。

2011年8月20日 (土)

【訃報】俳優高城淳一氏死去/『西部警察』の係長役、『大都会』にも出演の個性派名優

俳優の高城淳一氏(たかぎ じゅんいち)が18日、亡くなったそうです。86歳。

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『西部警察シリーズ』の二代目係長さんが有名でしょうか。
三代目水戸黄門の佐野浅夫さんに少し似ていますね。
佐野さんを少し悪くしたような風貌といったら失礼でしょうか。
悪役も多かったです。

※追記 2015年9月 『西部警察』で初代係長を演じた庄司永建氏が亡くなりました。追悼文は こちら

私は高城淳一氏に少しだけなじみがあります。
この方は日本俳優連合という団体の幹部として活動され、晩年まで顧問を務めていました。
この団体の事務所は今は新宿のあるようですが、かつては銀座のビルにありました。
私はそのビルの1階の喫茶店でアルバイトをしており、高城さん達も時々いらしてたのです。

『ウルトラマン』のムラマツキャップ、『仮面ライダー』の立花藤兵衛で知られる
小林昭二さんが一緒だったこともありました。
高城さんと小林さんは『西部警察』でも共演した間柄です。

この方のキャリアを見ると、古くはテレビドラマ草創期の名作『事件記者』も代表作のようです。
さすがに『事件記者』のことはよくわかりませんが、
もうひとつ挙げれば『西部警察』の前身である『大都会 PARTⅢ』の加川課長役があります。
『西部警察』の佐川係長とほぼ同様の役柄です。

違うのは、『西部警察』では石原裕次郎氏演じる小暮課長と渡哲也氏の大門部長刑事の間に挟まれる、
文字通りの中間管理職でしたが、『大都会 PARTⅢ』で石原氏は医師の役なので、
渡氏演ずる黒岩部長刑事からすれば、一応全面的な上司ということになります。

『大都会』→『西部警察』への流れについては一度書きたいと思っていましたが、
今回は高城氏の役柄周辺についての部分だけ書いてみます。


『大都会』シリーズ(日本テレビ系)
『大都会』も『西部警察』もPARTⅢまで作られましたが、
『西部警察』が連続して放映される中で一部リニューアルされていったのに対し、
『大都会』は『水戸黄門』と同じように、休止期間をおいて再開されました。

PARTⅠにあたる『大都会 闘いの日々』はちょっとテイストの違うドラマでした。
『大都会 PARTⅡ』は『Ⅲ』とほぼ同じスタイルで、課長さん役も登場しましたが、
1年間で小池朝雄氏→小山田宗徳氏→滝田裕介氏と入れ替わりました。
みな名優で、それぞれ個性的だったですが。

そして『大都会 PARTⅢ』でこのポジションに納まったのが高城氏でした。
今度は安定して1年間務め上げました。

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加川課長(『大都会 PARTⅢ』)

このドラマは黒岩を中心に現場の刑事達がまとまっており。
課長役はサラリーマン主義で嫌味な仲間外れの上司という役どころで、
しかし、完全なヒールではなく、時に人間味や正義感をも見せるという、
高城氏にはピッタリの役でした。
(この役柄、後の『はぐれ刑事純情派』で島田順司氏が長年演じた川辺課長と同じですね)


『西部警察』シリーズ(テレビ朝日系)
当初は『大都会』丸々テレビ朝日へ移籍というような話もあったとも聞きますが、
そうはならずに高城氏は番組を離れ、この役どころは庄司永建氏か担当します。

庄司氏の二宮係長も人気があって、モノマネなどもされました。
庄司氏は最初から好々爺の雰囲気があり、しかも定年退職で降板するという設定だったので、
だいぶ年輩かと思ったのですが、高城氏とは二歳しか違わなかったのですね。
しかもまだご健在とか。

その庄司氏の後を受けて高城氏がPARTⅡ途中から登場、
PARTⅢ終了まで二年間出演しました。
石原軍団とは相性が良かったのでしょう。

Takagi_003
佐川係長(『西部警察PARTⅡ』『PARTⅢ』)

『大都会』と基本的には同様のキャラクターですが、親しみやすさは増しました。

これは端的にいえば、
『大都会』=暗い
『西部警察』=明るい
という番組イメージの違いがまずあります。

更に係長の上に課長役の石原裕次郎がいるので、
係長が理解なき上司として、大門達の壁にはなり得ない、という構造上の問題がありました。

高城氏が出演していた当時は石原氏の闘病などもあり大変な時期だったでしょうが、
古参刑事役で高城氏に少し遅れて参加した小林昭二氏と共に、
ベテランの味で脇からこの人気番組をフォローしていました。


86歳という年齢だから仕方ないかも知れませんが、
印象深い名優が亡くなるのは残念なことです。

2011年8月17日 (水)

【未確認動物】南米の伝説の猿人モノス超入門編/『中居正広の世界はスゲェ~ココまで調べましたSP』で映像に

追記:モノスの特集が2016年6月12日21時『NHKスペシャル』で放送されます。
http://oldfashioned.cocolog-nifty.com/blog/2016/06/612nhk-af1f.html


8月16日夜にフジテレビ系で放送された
カスペ『中居正広の世界はスゲェ~ココまで調べましたSP』で、
南米の伝説の猿人モノスが取り上げられました。

モノスは未確認・未知動物の分野では比較的られた古典的なスターの一人(?)です。
大スターではないですが、この番組でデッチ上げられたものではありません。
まさかこのモノスが2011年に、ゴールデンタイムにテレビで大きく取り上げられるとは思いませんでした。

Loys_ape_001
今回はこの「モノス」について、少し書いてみます。


未確認動物(UMAなどともいわれますが)といえば、
イギリスのスコットランドにあるネス湖の怪物ネッシー
ヒマラヤの雪男、イエティなどが代表的です。
モノスは分類すれば雪男と同じ猿人系ということになります。

ただ、「モノス」という名は、少なくとも日本ではそれほど古くからは使われてないかも知れません。
「mono」はスペイン語で猿のことです。
日本では発見者のFrancois De Loys(フランソワ・ド・ロワ、またはロイ、ロイス)
にちなんで、「ロワの猿人」「ロイの怪物」などと呼ばれてきました。
どちらかといえば英語読みの「ロイ」「ロイス」が使われることが多かったかと思います。
私は「ロイ」がなじみがあるので、一応これを使います。

なぜモノスが知られているかといえば、やはり番組でも紹介された写真が印象的だからでしょう。
死骸を座らせて写したものとされますが、生きているようですね。
この写真だけが知られていて、モノスに関わるエピソードはそれほど知られてないかも知れません。

さて、UMA関係で信憑性の高いものなどはそもそもないのですが、
実は、このモノスはその中でも信憑性の低いものとされてきました。


「ロイの怪物」の伝説
1920年、地質学者のフランソワ・ド・ロイは南米ベネズエラのジャングルで油田開発の為の調査をしていた。
その調査隊を二頭の猿人が襲った、ロイ達は銃で応戦し一頭を射殺、もう一頭はジャングルに逃げた。
射殺された猿人は身長150cmほどの見たこともない生物。死骸を座らせて写真を撮影した。

その後、1929年にロイの知人とされる人類学者ジョージ・モンタンドンがこの猿人に学名を付けたり、
1957年に二人のイギリス人ハンターが目撃したりとありましたが、
関連エピソードといえるのはこれくらいです。


正体はクモザルか?
見方としては、実はただのクモザルだろうというのが一般的でした。
クモザルは今回の番組でもちょっと出てきましたが、最大でも70cmほどのようです。
つまり、ただのクモザルを写して「150cmの巨大な猿に襲われた」という話を捏造したということですね。
もちろん、それが事実かどうかもわかりませんが、一般的な見方です。
そしてロイについても、怪しげな人物というのが通説になっていました。

クモザルには尻尾があります。
ロイが見た怪物には尾がなかったといいます。
日本語ではひとまとめに「猿」と呼ばれることがおおいですが、
英語では「Monkey」(猿・サル)と、「Ape」(類人猿)をしっかりと使い分けます。
尾があればサル、なければ類人猿です。
ロイの猿人に本当に尾がなければクモザルでもありませんが、写真からは判断できません。

モノスの写真は下のように左右をトリミングして使われることが多かったと思います。

Loys_ape_002

本などに掲載する場合はこの方が見易いからでしょうが、
こうした方が大きさがわかり難い、少し大きく見える、という面もあったのかも知れません。


カスペ! めざましテレビPresents
『中居正広の世界はスゲェ~ココまで調べましたSP』ナカ調VSココ調 真夏の激突編

さて、今回の番組についてです。
モノスの伝説だけを根拠としたのではなく、最近の目撃例をもとにして、
若手のお笑いコンビのオレンジサンセットが南米アマゾンの奥地に巨大猿の調査に向うという内容でした。

「南米にいる猿は最大でも70cmほど、ゴリラやオランウータンのような大型の類人猿はいない。」
これを前提としていますので、1mを超えるような大きな猿を見つけたらそれだけで大発見です。
そして、色々あって後、見事1m超の大型の猿を映像に収めたのです。

日本の生物学者にその映像を見せても、大変な発見の可能性があると評価され、
現在も調査が行われているとのことです。
だいたい、この手の番組は肩透かしに終わるか、まったく怪しいかで、
(俳優川口浩によるテレビ朝日系「水曜スペシャル」の探検隊番組などありましたが)
まともな成果が報告されるのは珍しいですね。

今回の放映がやらせなしの事実なら、モノスの伝説がなくても、
生物学上の新発見ということになるのでしょう。


そして、未確認動物学史的にいえば・・・
だいたい、ネッシーなどの未知動物系分野そのものが「疑似科学」「トンデモ系」などといわれるのに、
その分野の研究者、愛好者、ファンからもほとんど問題にされてなかったモノスが、
俄かに信憑性を帯びてきたのだから、大事件です。
ロイの名誉回復にも繋がりますし。

しかし、今回撮影された猿がモノスと同種かはわかりません。
撮影された猿は大きな尻尾がありました。
モノスには尾はなかった、つまり類人猿だとされています。
となると、今回撮影された猿とモノスは別種ということになります。
ロイへの疑念が払拭されたわけでもなさそうです。


ところで、今回気がついたのですが
日本語版Wikipediaには「モノス」の項目があり、
英語版の「Mono Grande」(大きな猿)の項目にリンクされていますが、
「Mono Grande」は1533年まで遡る南米の大猿の伝承についての項目です。

その中で、日本でいう「モノス」はその近代における目撃例のひとつとして、
Loys' Ape」(ロイの類人猿)として紹介され、
「Ameranthropoides loysi」という名で独立した項目もあり、リンクされています。
「Ameranthropoides loysi」とは、上に書いた人類学者によりモノスに付けられた学名です。
2016年6月10日追記:現在は「De Loys' Ape」と項目名が変わっています。

未確認動物の分野もまだ奥が深いです。


【注】
未確認動物研究においては、人名やその肩書、日時、場所等の情報が錯綜している事が多いです。
書籍やネットにも異なる記述があるかも知れませんが、この分野はあまり些事に拘らぬ方が楽しめます。

*番組で撮影された猿ですが、日本でよくあるように、動物園やペットとして飼われていたものが逃げ出した、
   というオチもなくはないかも知れませんね。夢がないですけど。


Old Fashioned Club  月野景史

2011年8月16日 (火)

【アニメ化40周年 ルパン三世展】松屋銀座で8月22日まで開催中/パイロットフィルムの上映も

『ルパン三世』のアニメ化40周年を記念した展覧会が
8月22日まで松屋銀座で開催中です。
*この催しは終了しました。

Lupin3_021

アニメ化40周年 ルパン三世展
2011年8月10日(水)-8月22日(月)
松屋銀座8階大催場 http://lupin-3rd.net/news/news135.html

アニメ版『ルパン三世』第1シリーズの放映開始は1971年10月。
先日、そのスタート時のエピソードについては、このブログでも書かせてもらいました。

今回は、会期も残り長くはありませんので、この展覧会の紹介です。

ある程度予想はできましたが、展示はだいたい以下6つのブロックに分かれていました。
①テレビ第1シリーズ
②テレビ第2シリーズ
③テレビ第3シリーズ
④テレビスペシャル
⑤劇場公開作品(映画)
⑥原作漫画

アニメ化40周年記念イベントなので、原作漫画が一番最後になるのは仕方ないのですが、
ボリューム的には充分だったのではないかと思います。
原作者モンキー・パンチ氏による貴重な原稿やイラストが数々展示され、
ともかく、原作者の緊密な協力関係の元に開催された展覧会だとの印象を持ちました。

2011814064

百貨店の催事ですので、会期が短いです。
行こうと思ってられる方はお逃しなく。

パイロットフィルム
さて、映像特典としては、前回も少し書いたパイロットフィルムが上映されていました。
実はパイロット版は二種類あります。
①企画当初の1969年に作られた劇場版用シネマスコープサイズ版
②テレビ化を控えて、1971年頃に再編集されたテレビ用スタンダードサイズ版

この2本は、映像そのものはほとんど一緒なのですが、声優さんが違います。
しかも、大変おもしろい入れ替り方をしているのです。
時間は13分ほどなので、この2本を交互にジャンジャン流してくれればいいと思うのですが、
日替わりで交互に上映しているようでした。

参考までに、2本の声優さんを記しておきます。

シネマスコープ版
ルパン三世:野沢那智
次元大介:小林清志
峰不二子:増山江威子
石川五ェ門:納谷悟朗
銭形警部:近石真介
明智小五郎:北村弘一
ナレーション:田中信夫

テレビサイズ版
ルパン三世:広川太一郎
次元大介:小林清志
峰不二子:増山江威子
石川五ェ門:小林修
銭形警部:大塚周夫
明智小五郎:高木均
ナレーション:田中信夫

ツッコミだしたらキリがないくらい興味深いキャスティングなのですが、
とりあえず聞き慣れない名前についてだけ説明しておきます。

明智小五郎
まったく「聞き慣れない名前」のわけはないですね。
かの日本ミステリー界の巨匠江戸川乱歩が創造した、日本で一番有名な名探偵です。
ただ、『ルパン三世』の登場人物としては聞き慣れないでしょう。

しかし考えてみれば、アルセーヌ・ルパンの孫や銭形平次の八代目の子孫が登場するのだから、
明智小五郎本人が出てきてもおかしくはないですね。

実は原作の第1話にのみ登場します。
かなりの老人として描かれており、パイロット版でも同じイメージでした。
実際のアニメ化にあたっては登場しませんでした。

明智が老人という設定は、原作小説での初登場時期(1924年頃、年齢は20代前半)
からすれば正しいのですが、
1960年代初頭まで、少年探偵団シリーズで小林少年らと共に、
怪人二十面相と闘っていた颯爽たるイメージが強いので、
当時の子ども達には、老探偵明智はピンとこなかったろうと思います。

2011年8月15日 (月)

【美術】『世界の美都で発見!秘宝ミステリーツアー』/『フェルメールからのラブレター展』に合わせた特集番組

先週8月9日にテレビ朝日系でゴールデンタイムに放送されたこの番組。
『ダイワハウス スペシャル 世界の美都で発見!秘宝ミステリーツアー』
http://asahi.co.jp/mystery/

内容をよく知らず、ただフェルメールのことなども取り上げられるようだから、
ということで録画したのですが、観てみるとフェルメールオンリーの番組でした。

もっといえば、現在京都市美術館で開催中、
その後宮城県美術館、Bunkamuraザ・ミュージアムで開催予定の、
『フェルメールからのラブレター展』紹介の為の特集番組でした。

*追記
12月23日、Bunkamuraザ・ミュージアムでの東京展が開幕がしました。
2011年12月23日(金)-2012年3月14日(水)

http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/11_loveletter/index.html


Vermeer_002

といっても、展覧会自体の紹介は最後に少しだけでしたが。

この展覧会はテレビ朝日、朝日放送が主催なのですね。
(宮城展は違うようですが)
それにしても、なぜ番組タイトルに「フェルメール」といれなかったのでしょう。

番組は名画の謎を追って、女優さんがミステリーハンター(?)となり、海外へ飛んで調査をするという内容。
謎解きもの風に作られています。
定番といえばそうですし、フェルメールは謎めいた部分も多いから、こういう企画にはピッタリですね。

女優さんと、テーマとなった作品は以下の通り。

内山理名
「ヒトラーが強奪したフェルメールの最高傑作」を求めてオーストリアへ。
『絵画芸術』
Vermeer_011


鈴木砂羽
「ロンドン警視庁vs国際窃盗団…取り戻された名画」を求めてロンドンへ。
『ギターを弾く女』
Vermeer_012


市川由衣
「一夜で33億円に化けた名画」を求めてベルギーへ。
『ヴァージナルの前に座る若い女』
Vermeer_013


そして最後にナビゲーター役の役所広司が、
修復なって鮮やかな「フェルメールブルー」が蘇ったこの絵を、
来日、展示中の京都市美術館に観に行くという内容でした。

Vermeer_001
ヨハネス・フェルメール『手紙を読む青衣の女』 (1663-1664年頃)

番組内容は賛否両論あるようです。
私もまぁどうかな、と思う面もありましたが、
夜の19時から二時間、丸々の絵画番組というのは貴重でした。

2011年8月13日 (土)

【Bar】ワインバーをはしごして、レアウイスキーの写真だけ撮って帰った夜

夏場は二日酔いがこたえるので平日は断酒状態でしたが、
昨夜知っているBarを久々に訪れようと新宿へ。
でも閉まってました…。盆休みか。

なので、ここも久々の落ち着き系ワインバーVioletへ。

その後、賑やか系のワインバーMARUGO1号店をちょっと外から覗いてみました。
ここはそれこそ5年ぶりくらいなのですが、
グループの他店で知っていたスタッフの吉田氏が店長に就任したとの話を聞いていており、
覗いたらみたらいたので、ちょっと寄ることにしました。

結果、二件でグラスワイン(スパークリング含む)7杯、56度のウイスキーとカクテル一杯ずつ。
今の自分の限界超えてます。

実は二件目を切り上げようとしていた頃から、
隣に座った二十代半ばキレイ系女子と吉田氏も含めての話が盛り上がり出して、
店を出るのが遅くなった面があります。

Barで一人飲みしていればよくあることのようにも思えますが、
(若いキレイ系女子というのは)結構レアです。
ちょっと変わった子でしたが。

撮った写真はこの一枚だけ。

Rosebank
ローランドのシングルモルトウイスキー「ローズバンク」

ワインバーをはしごして、ウイスキーの写真だけ撮ってくるのも変な話ですが、
ローズバンクは1993年に閉鎖されて今は作られてないレアなお酒です。

吉田氏はウイスキーの資格(ワインのソムリエみたいなもの)を持っており、
私が「最近ウイスキーも少し知りたいと思っている」と伝えたら、薦めてくれたものです。

ウイスキーも良いです。
しかし、あれもこれもではお金と体が持ちませんが(笑)

2011年8月 8日 (月)

【カメラ】SONYα77とα65|発表間近(?) αAマウントの新機種は旋風を起こすか/また解り難いα65の実像は?

基本的にデジタルカメラの情報サイト、「デジカメinfo」さんに掲載されているもので、
公式発表はされていませんが、SONYはα-Aマウントシリーズのミドルクラス機「α77」をはじめ、
数種のデジタル一眼カメラと、レンズ等その関連商品をまもなく発表するといわれています。
発表されました。感想はこちら

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発表が噂されるα77(α A77)とα65(α A65)とされるネットに流布した画像


噂されるラインナップは以下の通り。
- α77 (2400万画素)
- 縦位置グリップ VG-C77AM
- 16-50mm F2.8 SSM
- α65 (2400万画素センサーだが、連写速度が劣る)
- NEX-7 (このカメラは富士X100のとても本格的な対抗機になると聞いている)
- NEX-5N (NEX-5後継機は新型センサーが採用される)
- LA-EA2 (透過光ミラーを内蔵している)
- XGAの外付け有機ELビューファインダー(NEX-5N専用)
- Zeiss 24mm F1.8
- Sony 55-210mm F4-6.3 OSS
- Sony 50mm F1.8 OSS
- NEX-VG20 (NEX-VG10後継機)

あくまで噂ですが、日程も8月24日発表、9月16日発売と、具体的数字が出ています。

実はα77については年初の段階でSONYが中級機の年内発売を公表しており、
品番に引っ掛けて7月7日の発売が噂されていたのですが、震災の影響で遅れたようです。

77_0001
今年2月に横浜パシフィコで開催されたCP+(シーピープラス)2011に出展された、
今年発売予定の中級機(ミドル機)と周辺機器。

この中級機がα77ということになります。
α77は正確にいうと「デジタル一眼レフ」ではなく、「トランスルーセントミラー(透過ミラー)式」
といわれる新方式のカメラなのですが、噂されている仕様と価格からすると、
相当のハイスペックとみられています。


α65について
このラインナップの中で、私が注目しているのはリストの上から4番目、
一番上で紹介した画像にもα77と共に載っている、α77の下位機とみられる「α65」なのです。
色々と情報も出てきてはいるのですが、それでもどうもこの機種の位置づけがよくわかりません。

先日はα77との主な相違点についての情報が、以下のように流れました。
1.α77は19点AFシステムで、うち11点がクロスセンサー、α65は3点のみがクロスセンサー。
2.α77の連射速度は12コマ/秒、α65は10コマ/秒
3.α77は新型の3ウェイチルト液晶モニタ、α65は古典的なチルト液晶モニタ。
4.α77はISO50に設定可能だが、α65は設定できない。
5.α77はマグネシウムボディだが、α65は違う。
6.α77のシャッターの最高速は1/8000秒だが、α65は1/4000秒。
7.α77は上面に液晶を備えているが、α65は備えていない。
8.α77は防塵防滴だが、α65は防塵防滴ではない。

α77もα65も新開発の2430万画素APS-Cサイズのイメージセンサー搭載、
当初はあまり違いはないといわれていたのですが、この情報通りだと結構違います。
しかし噂されている価格にはあまり差がありません。
これでは当然ながら興味はα77に集まり、ネットでもα65についてはあまり語られません。
α65は日本での発売は見送られるのではないかとの説も出ています。

私はむしろスペックに差がないのであれば発売する必要がなく、
差があればこそ発売する意味があるのではないかと思います。
しかし、その場合は価格にも差がなければ仕方ないですが。

私にはα77はオーバースペックに思える面もあるので、
α65がα77に比べて小型・軽量、価格もスペック分だけ低いのであれば、
むしろこちらに魅力を感じています。

α65はそもそもミドル機なのかエントリー機(入門機)なのかという点すらよくわかりません。
私は品番の付け方からいって、エントリー寄りのミドル機、
つまりCANONのEOS 60D、 NikonのD7000にあたるものかと思うのですが、どうでしょう。

↓つまりこういう分け方です。

                                                  キヤノン            ニコン      ソニー
ミドル機(ハイアマチュア寄り)           EOS 7D            D300S      α77
ミドル機(エントリー寄り)                 EOS 60D           D7000      α65
エントリー機                                   EOS Kiss X5     D5100      α55
エントリー機(より初心者向け廉価版) EOS Kiss X50    D3100      α33

これも私のオリジナルではなく、ネット上に同じ見方もありますが。

希望としてはミドル機らしく、コマンドダイヤル二つ、ISO感度1/3ステップ
これでα77よりも小型軽量、スペック分の価格差があれば、α65で充分なのですが。
おそらく後半月ほどでハッキリすることなので、今どうこう考えてもしょうがないのですけど(笑)


α77&α65への期待
ともかく、SONYが歴史あるミノルタ(コニカミノルタ)のα-Aマウントシリーズを
2006年に引き継いでから5年が経過しました。

世界のソニー。
デジタルカメラの分野でもコンパクトデジカメではシェア世界一、
またフィルムカメラにおけるフィルムにあたる撮像素子、イメージセンサーのメーカーとしても世界トップ。
しかし、さすがにデジタル一眼レフカメラメーカーとしてはCANON、Nikonの牙城を崩せず、
遅れをとってきたSONYが、ここで大きな旋風を巻き起こせるか、興味深いところです。

もちろん一気に逆転など無理でしょうが、噂されているスペックと価格通りなら、
他メーカーユーザーの中級者・上級者の、とりあえず乗り換えではなくても、
書い足し需要はそれなりの見込めるように思えます。

しかも今回は上に挙げたリストにもあるように、α Aマウントだけではなく、
昨年発売してヒット商品となったミラーレス一眼カメラの
NEX(α Eマウントシリーズ)の上位機種NEX-7と、エントリー機のNEX-5Nの同時発表も噂されています。
特にNEX-7はα77、65と同じイメージセンサを搭載したかなりのハイスペックで、
こちらにも注目が集まっています。

しかし、これだけラインナップのポリュームが凄いと、
発表されるにしても時間差が生じる可能性もなくもないかと思っていますが。

さて、私はとりあえずNEXは検討対象外で、α65の国内発売がなければα77の購入を予定しています。
もちろん最終判断は公式発表を見てからですが。
α77にしろα65にしろ、私には2430万画素はおそらく猫に小判でしょうが、
特に高感度耐性については大いに期待しています。

参考/引用 デジカメinfo http://digicame-info.com/

2011年8月 6日 (土)

【アニメ】『ルパン三世』苦難の誕生ヒストリー基礎知識/アニメ化40周年

アニメの『ルパン三世』第1シリーズの放映開始は1971年10月。
今年2011年、生誕40周年を迎えます。

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以前、『ウルトラマン』と『仮面ライダー』、日本代表する二大実写ヒーローの
生誕時の苦闘を書いたことがありますが、
『ルパン三世』はそれ以上の苦戦を強いられました。
『ウルトラマン』と『仮面ライダー』は苦難がありながらも、すぐに大成功を納めましたが、
『ルパン三世』は苦難のうちに一旦終了してしまいました。
一度は失敗作の烙印を押され、消えていきかけたのです。

それがなぜ、40年後の現在まで続く人気シリーズとなったのか?
今回は「秘話」というほどではない、よく知られた話ではありますが、
アニメ版『ルパン三世』誕生ヒストリーの超入門編です。
テレビ第1シリーズの誕生と終焉、第2シリーズの登場までをごく簡単に記します。


アニメ『ルパン三世』誕生 超入門編

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『ルパン三世』(TV第1シリーズ)
1971年10月24日-1972年3月26日 毎週日曜日19:30-20:00 全23話
制作:よみうりテレビ・東京ムービー 放送:日本テレビ系列
*後のテレビシリーズや映画版と区別する為、「TV第1シリーズ」「第1期」
   「ファーストシリーズ」、以前は「旧ルパン」との呼び方もされました。


原作漫画『ルパン三世』
原作漫画の作者はモンキー・パンチ氏。
1967年7月に双葉社の「週刊漫画アクション」創刊号に連載が開始され、
1969年5月に一旦終了しています。
その後、アニメ化に合わせ1971年に『ルパン三世 新冒険』として再開されます。


アニメ化へ
アニメ化の構想は1969年頃からあり、アニメ制作会社の東京ムービーにより、
この時期に13分ほどのパイロット・フィルムが制作されています。
(パイロット版については、下記の展覧会鑑賞記の中でふれています)

 

1971年、よみうりテレビ(日本テレビ系)日曜19:30枠での制作・放送が現実化します。
演出は大隅正秋氏(現 おおすみ正秋)が担当。
元々、「漫画アクション」は大人向け漫画誌で、『ルパン三世』も大人向けでした。
ですから、アニメ化にあたっても大人向け路線が志向されました。
わかり易い表現をしてしまえば、ハードでバイオレンス、セクシーな内容です。

Lupin3_011

1971年10月24日、記念すべき第1話「ルパンは燃えているか・・・・!?」が放映されますが、
残念ながらいきなり6%という、当時のアニメの水準からは極めて低い視聴率でのスタートとなりました。
東京ムービーは前月まで日本テレビの土曜19時枠で伝説的な人気スポ根アニメ『巨人の星』を制作しており、
『ルパン先生』は東京ムービーとしては実質的に『巨人の星』の後番組になるのですが、
そこで視聴率急落という事態を招いてしまったのです。

当然、子ども番組として相応しくない「ハードでセクシー」な内容が問題視されました。
最初から視聴率が低いのだから、内容のせいではないようにも思えますが、
(前半からセクシーシーン全開なので途中でチャンネルを変えられた可能性はありますが)
第2話・3話は更に下がり局上層部も問題視し、路線の修正を余儀なくされます。
しかし、演出の大隅氏はこれを拒否、降板してしいます。


あのジブリの二人の登用
演出家の降板で危機に瀕した制作サイドは、当時東京ムービーの下請けだった
Aプロダクション(後のシンエイ動画)所属の、高畑勲氏と宮崎駿氏に演出を依頼します。
そうです、後のスタジオジブリのあの二人です。
二人は名前は出さず、「Aプロダクション演出グループ」のクレジットで制作に関わりました。

 

そこで内容も軌道修正されます。
簡単に言えば、ハード→ソフトへの路線転換です。
当然、暴力的なシーン、セクシーなシーンは抑制されました。

Lupin3_012

といっても、すぐに次回放送分からすべて変えられるわけはありません。
とりあえず大隅氏により完成しているものを放送しながら、
大隅演出で途中まで製作が進んでいたものを、手直しをして仕上げ、
次いで、一から高畑・宮崎氏による作品の制作に取り掛かりました。

ですので、ごく大雑把にいうと、ファーストシリーズ全23話には以下三パターンが、
概ね放送話順(若干混在有り)に存在しています。

 

・大隅演出版
・大隅途中まで→高畑・宮崎仕上げ版
・高畑・宮崎演出版

 

上から下にいくにしたがってハードからソフトになっていくと理解すれば、
短絡に過ぎるかも知れませんが、まぁ解り易いです。

Lupin3_013

さて、この路線変更による高畑・宮崎コンビにより視聴率が上昇、人気番組になっていたら、
この時点で伝説が生まれていたのですが、そうはうまくいきませんでした。
視聴率は若干改善の傾向はみられたようですが、満足のいく数字には程遠く、
混乱のうちに全23回で『ルパン三世』は最終回を迎えてしまいました。

混乱を象徴するかのように、僅か23回の放送でオープニングが大別して3パターン、
細かくいえはもっと変更されています。
これが後に様々な伝説を生む要因になるのですが、それはまたの機会に。

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高まる評価
こんな感じであっさり終わってしまった『ルパン三世』。
それがなぜ、そう時を経ず評価されたのかといえば、度重なる再放送によってです。
当時、夕方18時台は各局ともアニメや特撮等、子ども向け番組の再放送の時間帯でした。
このおかげで、当時の子ども番組は広い世代に視聴され、支持されたのです。

 

しかし、『ルパン三世』については不思議な面もあります。
はっきりいえば「暴力的でエッチ、子どもに相応しくない」という理由で打ち切られたアニメです。
それを夕方6時に再放送するでしょうか?
大らかな時代だったからなのか、
それとも、テレビ局の中に『ルパン』の価値を理解している人がいたのか?

 

ともかく、再放送の度に『ルパン』の人気は高まっていきます。
あくまで私見ですが、ますば高畑・宮崎路線のエピソードに人気が集まり、
追って大隅版の人気が高まっていった感があります。
これは、観る側の子ども達の年齢も再放送の度に徐々に上がっていたことにもよると思います。
(当時はもちろん、大隅版、高畑・宮崎版などという事情はわかりません。
しかし、前半のハード路線から後半のソフト路線に変更されていってることは理解できました。)


第2シリーズ開始
そして1977年10月、再放送での人気の過熱に押され、待望の第2シリーズが開始されます。
第1シリーズの終了が1972年の3月ですから、それから5年半後のことでした。
タイトルは第1シリーズと同じく『ルパン三世』です。
特に「新」とか「PartⅡ」とか付けなかったので、後で区別するのが少しややこしくなりました。

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『ルパン三世』(TV第2シリーズ)
1977年10月3日-1980年10月6日 全155話

第2シリーズは高い人気のうちに丸三年間続きました。
三年の長丁場でしたから、内容的には玉石混合の面もあったかと思います。

 

ところで、本放送時には散々だった第1シリーズが評価されたのだから、
大隅正秋氏や高畑勲・宮崎駿氏両氏の仕事も評価され、
三顧の礼で迎えられ、第2シリーズに関わったのでしょうか?

 

大隅氏は一切関わりませんでした。
『ルパン』については長く語ることさえ拒否してきましたが、
だいぶ後になって、1993年のTVスペシャル『ルパン暗殺指令』で22年ぶりに演出を務めました。

 

あの二人は…、高畑氏は関わりませんでしたが、宮崎氏は2本演出しています。
全155話中の第145話と最終話なので、終盤になってからです。

 

そしてこの第2シリーズ放映中に2本の映画版が制作されます。
その2本目が宮崎駿監督『ルパン三世 カリオストロの城』(1979年12月公開)です。
これがアニメ映画の巨匠となる宮崎氏の映画初監督作になります。
時系列でいうと『カリオストロ』が先で、その後にTV第2シリーズの2本を手掛けています。
しかし宮崎氏のルパンとの関わりは、『カリオストロ』とこのテレビ2本が最後となりました。

 

資料的なことはWikipediaでも参考にしていただければいいと思いますが、
第1シリーズと第2シリーズのレギュラーメンバーの声優の変遷だけ記しておきます。

 

ルパン三世:山田康雄
次元大介:小林清志
峰不二子:二階堂有希子→増山江威子
石川五ェ門(五右ェ門):大塚周夫→井上真樹夫
銭形警部:納谷悟朗

 

不二子と五ェ門の声優さんが交代しています。
二階堂さんという方は、第2シリーズの時点ではほとんど活動されてなかったのではないかと思います。

 

その後のアニメ版『ルパン三世』はテレビシリーズとしては『ルパン三世 PartⅢ』1984-1985)、
他に多数の劇場用作品やTVスペシャルが制作されてきました。

 

 

 

『ルパン三世』は永遠不滅! と言いたいところですが、声優さんの年齢問題もあります。
既にルパンの象徴だった山田康雄さんが亡くなって久しいですね。
今年、2011年秋には新シリーズが製作されるとの話もあるようですが、どうなりますか。

最後にアニメ『ルパン三世』最初のオープニングを、おなじみのエンディングと合わせて紹介しておきます。


 

 

 

 

 

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アニソン ルパン三世 1st OP 1971年

 

 

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OnOff

 


『ルパン・ザ・サードの歌』 チャーリー・コーセイ

第1話-第3話、第9話の計4回しか使用されなかった、大隅ルパンを象徴するバージョン。
しかも一時期は再放送でもまったく流れなくなり、幻となりかけたましたが・・・復活しました。
音楽も映像も、アニメ史上不朽の傑作です。

Old Fashioned Club  月野景史


※アニメ化40周年を記念した展覧会が松屋銀座で開催中されました。
「アニメ化40周年 ルパン三世展」 2011年8月10日(水)-8月22日(月) 松屋銀座8階大催場
この展覧会のレポートはこちら

2011年8月 5日 (金)

【美術展】「没後100年 青木繁展ーよみがえる神話と芸術」ブリヂストン美術館/『海の幸』『わだつみのいろこの宮』早世の天才画家のすべてを

東京八重洲(住所でいうと中央区京橋)のブリヂストン美術館で、
「没後100年 青木繁展ーよみがえる神話と芸術」が9月4日まで開催されています。
この展覧会は終了しました。
2011年12月25日のNHK『日曜美術館』で青木繁の特集が再放送されます。
http://www.nhk.or.jp/nichibi/weekly/2011/0821/index.html

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没後100年 青木繁展ーよみがえる神話と芸術
2011年7月17日(日)〜2011年9月4日(日)
石橋財団 ブリヂストン美術館
公式サイト http://www.bridgestone-museum.gr.jp/exhibitions/

青木繁の名にピンとこなくても、今回の出展作であるこの絵に見覚えある方は多いでしょう。

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『海の幸』(1904年 重要文化財)


青木繁(1882年7月13日-1911年3月25日)
没年28歳。早世の画家でした。

青木繁は福岡出身。画家を志して上京し、東京美術学校在学中に、
日本神話を新鮮な感覚で描いた作品によって、画壇で注目を集めます。
1904年、学校を卒業した22歳の夏、青木は友人や恋人の福田たねらと、
千葉県南部の布良に滞在、そこで描かれたのが『海の幸』でした。

この力強い絵ひとつで、青木の存在は伝説となりました。
といって、もちろんこの絵だけの画家でありません。


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『わだつみのいろこの宮』(1907年 重要文化財)
青木繁もうひとつの代表作。
青木は内外の神話や聖書の物語を題材として創作した画家です。
特に日本神話は発想の大きな源としていました。
この作品は山幸彦の海宮訪問譚を題材をしています。

しかし、この絵は本人の希望ほどには評価されませんでした。
この絵を描いた年、父危篤の報を受けた青木は久留米に帰省します。
しかし、家を継ぐ生活は彼には会わず、九州各地を放浪する生活に入ります。
そして1911年3月、福岡市東中洲の病院で28歳で亡くなります。


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『温泉』(1910年)
放浪中の作品。
この頃の作品には全盛期の精彩はないというのが一般的な評価のようですが、
でもなかなか魅力的です。

今回の展覧会では青木繁の没後100年を記念して油彩作品約70点、水彩・素描約170点、
手紙などの資料約60点という、空前の規模の作品が展示されています。

展覧会の構成は画壇のへの登場から死、更にその後の伝説の形成まで、
以下のように五つの章に分かれています。

第1章 画壇への登場─丹青によって男子たらん 1903年まで
第2章 豊饒の海─《海の幸》を中心に 1904年
第3章 描かれた神話─《わだつみのいろこの宮》まで 1904-07年
第4章 九州放浪、そして死 1907-11年
第5章 没後、伝説の形成から今日まで

日本の生んだ幻の天才画家をほぼすべてを俯瞰する機会です。
是非お見逃しなく。


石橋財団 ブリヂストン美術館

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東京の中心の中心、東京駅八重洲口近くにある美術館、
印象派と20世紀絵画を中心とする西洋の近・現代美術、
および明治以降の日本の洋画を収蔵・展示されています。
公式サイト http://www.bridgestone-museum.gr.jp/

2011年8月 4日 (木)

【時代劇】『水戸黄門』映画・ドラマの基礎知識/黄門の申し子 里見浩太朗と月形龍之介作品

TBS系『水戸黄門』が現在放送中の第43部をもって終了するそうです。
パナソニック ドラマシアター枠、というよりもナショナル劇場といった方が馴染み深いかもしれませんが、
1969年スタートなので42年目、この国民的人気シリーズも
五代目となる里見浩太朗さんを最後の黄門役として終焉を迎えることとなったようです。

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歴代水戸光圀役俳優

1.東野英治郎 第1部 - 第13部  1969-1983
2.西村晃 第14部 - 第21部  1983-1992
3.佐野浅夫 第22部 - 第28部  1993-2000
4.石坂浩二 第29部 - 第30部  2001-2002
5.里見浩太朗 第31部 - 第43部  2002-2011

里見さんはついこのあいだ黄門に就任したような気がしていましたが、2002年からなのでもう9年、
佐野さんを抜いて西村さんに並び、東野さんに次いで二番目に長くなるようです。

里見浩太朗さんは『水戸黄門』の申し子のような存在です。
1971年から1988年まで17年間佐々木助三郎役を務め、2002年に光圀として復帰しました。
そもそも、初代の東野英治郎氏降板の時点で次の候補の一人として名前が挙がっていたくらいです。

しかし、里見さんの水戸黄門との関わりはもっと古いのです。
テレビで助さんを始める12年前の1959年、時代劇映画全盛期の東映準オールスター作
『水戸黄門 天下の副将軍』で渥美格之進を演じた、「黄門」歴52年の人なのです。


今日は映画における水戸黄門基礎知識を、ほんのさわりだけ記します。


●水戸黄門映画 超入門
サイレント映画の時代から『水戸黄門漫遊記』の映画化は無数にあり、
多くの俳優が徳川光圀を演じていますが、
最もよく知られるのは戦後の時代劇映画黄金期の中核であった東映の制作、
剣豪スター、月形龍之介主演のシリーズでしょう。
1954年から1961年まで14本作られました。


月形龍之介の水戸黄門シリーズ

月形龍之介は戦前からの剣豪スター。
戦後は渋い脇役、悪役として東映時代劇の大御所的存在となりました。
例えば、『忠臣蔵』では吉良上野介、『一心太助』では大久保彦左衛門など。

しかし『水戸黄門』映画では主人公、正義のヒーロー水戸光圀役を颯爽と演じました。
月形版『水戸黄門」というと、豪華オールスター総出演大作というイメージがあるのですが、
実はそれは後になってからで、元々は低予算娯楽作として量産されていました。

元々、東映は看板スター市川右太衛門主演で『水戸黄門漫遊記』を2本作りました。
この、右太衛門が黄門をやっているというのも結構興味深いのですが、今回は置いておきます。
その2本の後、遅れて東映に参加した月形に譲る形で黄門役が引き継がれたのです。

そこから3年間で10本作られるのですが、このシリーズ、副題が実に面白い。

例を挙げると、
『水戸黄門漫遊記 第五話 火牛坂の悪鬼
『水戸黄門漫遊記 幽霊城の佝僂男
『水戸黄門漫遊記 怪力類人猿
『水戸黄門漫遊記 怪猫乱舞
『水戸黄門漫遊記 鳴門の妖鬼』 

…、これって化け物映画?
相手が妖怪・魑魅魍魎では、光圀の印籠も役に立たないように思いますが。
この当時の作品は視聴は難しく、資料も乏しいのですが、おそらく本物の怪物ではなく、
裏では人間の悪者による企みが…ということだと思います。

ともかく、こんな感じの軽い作品が10本作られた後、
1957年に豪華絢爛なるオールスター超大作『水戸黄門』が公開されました。
しかし、これにはまだ里見浩太朗(当時は浩太郎)さんは出ていません。

それから2年後の1959年の準オールスター作『水戸黄門 天下の副将軍』で格さんに抜擢されます。


Mito_003
『水戸黄門 天下の副将軍』(1959年)
一番下、手前が若き里見さん。

「準オールスター」との呼び方は私が勝手に付けたのですが、なぜ「準」かというと、
東映の両御大と呼ばれた片岡千恵蔵、市川右太衛門、プラス大友柳太朗の、
戦前からの大スター3人は出演していないのです。これだと「オールスター」とは呼び難い。
戦後派の若手大スターである東千代之介(助三郎役)、大川橋蔵、中村錦之助、美空ひばり、若山富三郎、 
加えて長老格の大河内伝次郎、進藤英太郎、山形勲らが出演しています。これでも充分豪華です。
当時、里見さんは23歳、デビュー2年そこそこ、子ども向け映画での主演などはありましたが、
まぁ大抜擢といっていいのではないかと思います。

ただ、里見さんの月形黄門出演はこの1本のみです。
翌1960年に再び作られた大作『水戸黄門』には出演していません。
(ややこしいですが、57年版と60年版大作のタイトルは同じ『水戸黄門』です)

そのかわり、同じ1960年に大河内伝次郎主演で作られた『水戸黄門 天下の大騒動』に
剣客役で出演しています。(この映画の助さん役は品川隆二、格さんは山城新伍)


●テレビ時代劇へ
まもなく戦後の映画黄金期は終わりを遂げ、特に時代劇映画は壊滅状態となり、
昭和40年代、時代劇の舞台はテレビドラマに移ります。
昭和40年(1965年)の時点で里見さんは29歳、いい年齢にも関わらず、テレビ時代劇に少し乗り遅れます。

ナショナル劇場『水戸黄門』の助さん役も、時代劇映画では実績のない杉良太郎さんが2部まで演じた後、
杉さんが自分の主演ドラマで手一杯になり、降板した後を引き継いだものです。

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しかし、ここから『水戸黄門』は国民的人気番組に育ち、
里見さんも助さん役と並行して数々の時代劇ドラマに主演、テレビ時代劇を代表するスターとなりました。
『大江戸捜査網』(これも杉さんからの引き継ぎですが)、『長七郎シリーズ』『松平右近シリーズ』、
70年代から90年代まで、常に主役を演じてお茶の間の顔でした。

しかし、テレビ時代劇の数は少しずつ減っていきました。
まだNHKの大河ドラマはありますし、民放でも『JIN』のような話題作が作られてはいますが、
それでも、『水戸黄門』の終了はテレビ時代劇の終焉と同義のように思えます。

私見では、フィルム撮りからVTR撮りへの変更がどうにも受け入れ難かったです。(26部より)
内容とは関係ないことだし、世代が変われば気にならないのでしょうけどね。
(もっとも、その後33部からは新技術によりフィルムの質感が再現されるようになりましたが)

残念ではあるけど、しかたないですね。
放送は12月までの予定。制作に関わられた方は長い間おつかれさまでした。

番組公式サイト http://www.tbs.co.jp/mito/

Old Fashioned Club  月野景史

2011年8月 2日 (火)

【日本史】豊臣秀次/大河ドラマ『江~姫たちの戦国』で注目の高まった悲劇の関白を巡る様々な見解

NHKの大河ドラマ『江~姫たちの戦国』、斬新な歴史解釈(?)で賛否両論のようです。

前々回の放送では関白豊臣秀次の切腹による最期が主題でした。
秀次はヒロイン江の二番目の夫、豊臣秀勝の実兄に当たる為、丹念に描かれました。
今回はこの色々と話題の多い大河ドラマについて考察しようというのではなく、
豊臣秀次についてです。

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今回の放送を見て「あれ?」と思った方もいるかも知れません。
秀次は罪のない人を試し切りにするなどの残酷行為で、「殺生関白」などと呼ばれていたのではないでしょうか。
『江』では、秀次はそんなことはしなかったし、そのような嫌疑をかけられることすらなかったですね。
禁漁区域での狩猟や、昼間から泥酔しているような描写はありましたが、
あくまで謀叛の嫌疑をかけられての処刑でした。しかもまったくの無実の。

秀次の嗜好殺人とでもいうべき残虐行為については、そのような事実はなかったばかりか、
リアルタイムではそのような嫌疑すらかけられてはおらず、
後世になっての創作・捏造との見方もあるようです。
結果的にそうなっただけかも知れませんが、『江』ではその見方を採ったのですね。

もちろん、その見解で統一されたわけでもなく、ネット上でも激しい議論が見られます。
私も浅学ですので、この問題についての自分の判断は保留します。
ただ、全般としては、従来悪い面ばかりが語られてきた秀次について、
近年は見直す傾向にあるようです。
秀次の能力や人格について、好意的に書かれている資料が結構残っているのですね。


豊臣秀次(1568年-1595年)
秀次は秀吉の実姉の長男です。
秀吉の身内の子なのだから、元々高い身分ではありません。
秀吉の出世に合わせて、二人の弟と共に取り立てられていきました。
『江』では弟は秀勝しか登場しませんでしたが、その下に秀保という弟がいました。
秀保は秀吉の弟である大納言秀長の養子になりましたが、秀次と同じ年に不可解な死を遂げています。

武将としての秀次は、小牧・長久手の戦いでの大失態が有名で、
その為に凡庸との評価が定着した面があるのですが、それ以降はまずまずの武勲を立てています。
そもそも小牧・長久手の時はまだ16歳なので、責任を問うのは無理もあります。

治世の面でも、城主となった近江八幡での善政の記録があります。
古典への造詣が深い教養人として知られ、古書等の保護・研究への評価は高く、
といって文芸だけでもなく、武芸もそれなりだったようです。
突出しているわけでもないけど、非の打ちどころのない人物のように思えますね。

最期を迎える事情はよく知られている通りです。
待望の長男鶴松を失った秀吉より譲られて、23歳で関白に就任します。
しかしその後で拾(後の秀頼)が生まれ立場が怪しくなります。
謀叛や乱行の嫌疑がまったくの捏造なのか、追い詰められていく中でそのようなこともあったのか、
識者の見解もまだ分かれるようです。

ただ、秀次の処刑についてはかなり異例な面が多いと思います。
『江』でも最後は頭を剃って僧侶の姿でしたが、実際最初は出家を命じられます。
出家をした段階で、本来死刑はない筈です。
寿命がつきるまで寺で隠棲するのが常ですが、秀次はその後ですぐ切腹を命じられます。
更に、現在の感覚だと、死刑なら切腹も斬首も同じように思えますが、
切腹はそれなりに名誉を認められた死に方で、本来は首を晒されることはありません。
晒されるのは斬首や磔などの場合です。

しかし、秀次の首は三条河原にさらされます。
そしてその三条河原で、秀次の子ども、正室、側室、侍女ら40名近くが処刑されます。
もちろん、これ以外にも多くの家臣が死罪となっています。
なにやら刑がどんどんエスカレートしていく印象があります。

この秀次事件は豊臣政権に大きな禍根を残したとされます。
そこまでは今回は言及しません。


しかし、ひとつだけ付け加えます。
今回の『江』では、秀吉に命じられた石田三成がすべて筋書きを書いたように描かれていました。
これは別に『江』のオリジナルではなく、以前からある見方だと思います。
一方で、三成は最後まで秀次の助命に尽くしたという正反対の説もあるのです。
これも真相はわかりませんが、ひとつ興味深い話があります。

秀次の家臣に若江八人衆と呼ばれる人達がいました。
元々は秀吉が選任したといわれ、秀次をよく補佐し数々の武勲に貢献しました。
秀次の死後、彼ら8人のうち6人は三成に仕えました。

もし三成が姦計の首謀者なら、彼らにとって三成は主君の仇です。
逆に最後まで助命に尽くしてくれたのが事実なら恩人ですね。
三成に仕えたということは、恩に報いる為だとの見方も出来ます。
しかし、食い扶持の為だから仇だのなんだの言ってられなかっただろう、とも考えられますね。
これもわかりません。

ただ、彼ら6人のうち4人は関ヶ原の合戦で三成軍として奮戦の末、討死しています。
もし、食い扶持の為に仇の家臣になったのだったら、
自軍が危うくなったら、三成など見捨ててとっとと逃げ出していた…、ようにも思えますね。

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