【芸能】島田紳助さん引退/遅咲き(?)の天才の30年と最後のプロデュース
島田紳助さんの突然の引退発表は大きな話題となりました。
漫才(MANZAI)ブームの勃興が1980年、
『オレたちひょうきん族』のスタートが1981年なので、
30年に渡り芸能界、というよりもテレビ界の第一線で活躍し、
トップのポジションのままでの引退となりました。
故松本竜介さん(後に竜助に改名)との漫才コンビで世に出た紳助さんですが、
1985年にはコンビを解散しています。
漫才ブームで人気の出たコンビには、まもなくソロ活動中心になった人達も多いですが、
ハッキリ解散という形を明確にしたのは、彼らが最も早い方だったかと思います。
ここらにも判断力・先見性がうかがえます。
この解散は今回の引退会見でも語っていたように、
後輩のダウンタウンの漫才を観て、彼らに勝てないと思ったからとされています。
後にダウンタウンがコンビとして長く、現在に至るまで活躍することを考えれば、
これも先見性を感じさせるエピソードとなりました。
その後は司会業を中心に常に第一線で活躍してきた紳助さんですが、
現在のようにテレビ界の本当のトップに立ったのは2000年代も近くなってからかと思います。
1990年代にはダウンタウンの松本人志さんが雑誌のコラムで、
「紳助さんはしゃべりの面白さでは一番。天下を取れないのが不思議」
正確のこの通りではないですが、このような主旨のことを書いています。
才能があり、そこそこの売れっ子ではあるけど、トップではないという認識ですね。
たしかに、例えば長く司会を務めたテレビ朝日の『サンデープロジェクト』でも、
存在感はあまりなかったですね。
今から考えると不思議なくらいの存在感の薄さでした。
紳助さん自身も、ビートたけしさんや明石家さんまさんらと比較して、
自分はトップではない、二番手だとの発言をしていた記憶があります。
その同世代の人達がまだ活躍を続けながらも、やや存在感を薄めつつある時代に、
逆にトップに躍り出た感があります。
そう考えると、ずっと第一線にいながら「遅咲き」の面もあるかと思います。
今回の突然の引退は当然ながら様々な憶測を呼んでいます。
公表された理由が引退するほどのこととも思えない…、というよりも、
まだ表面化もしていないことをカミングアウトして無理やり引退したような印象があるので、
実はこれから問題化する事案があり、先手を打ったのだというような見方もされました。
その後に出てきた情報だと、吉本側がメールについて詰問したのは事実だが、
引退を切り出したのは紳助さんからで、吉本は必死に慰留したが叶わなかったともいいます。
まぁそれが事実ではないでしょうか。引退は影響が大き過ぎます。
6本というレギュラー番組の本数だけではない、プロデュースも多く手がけていますし、
紳助さん抜きでは成立し難い番組が多いです。
フォーマットはそのまま、司会者だけ入れ替えての存続がイメージできるのは、
『開運!なんでも鑑定団』くらいでしょうか。
(謹慎中にそうしていた実績があるからですが)
現時点では、引退して最も影響の大きいテレビダレントだったかも知れません。
もしかしたら、紳助さんもそういう立場である今だからこそ
すっぱり引退してしまう時期として相応しいと判断したのかも知れないです。
元々、紳助さんは視聴者から見て好き嫌いの分かれるタイプのタレントだったと思いますが、
存在感が大きくなるにつれ、それに拍車がかかっていきました。
ましてや、数年前の女性マネージャーへの暴行事件の後は当然ながら尚更です。
ネット上では引退に快哉を叫ぶ人も多いようです。
しかし、あの事件での謹慎からの復帰後も勢いが衰えず活躍を続けたのもまた驚異の事実です。
最近も若手お笑いタレントを生放送中に恫喝しているようなシーンが流され、
先輩や後輩の超大物タレントからも苦言を呈されたり、揶揄されたりした事がありました。
一方、「出る杭は打たれる」で若手時代からバッシングも多かったダウンタウンに対しては、
一貫して理解者・庇護者の立場にあったことは松本人志さんの発言からもうかがえますし、
面倒見の良い面があったことは間違いないでしょう。
紳助さんは漫才で世に出た当時から、不良っぽさがトレードマークではありました。
売れ出してすぐにそのカラーを薄めましたが、完全に消したわけでもありません。
今回の会見で出た「Aさん」こと渡辺二郎被告との関係も、
「古い不良仲間との付き合い・義理を重んじ、殉じた」かのような印象があります。
そして、ここが最高の引退の時期との判断があったようにも思えます。
紳助さん最後の自己プロデュースだったのかも知れません。
今回の件は暴力団絡みなので、この引退ですべて終りとは断言できませんが、
紳助さん自身がこの件で事件の当事者になる可能性も薄いように思えます。
紳助さんは芸能界をすっぱり引退した上岡龍太郎さんの生き方に憧れているともいいますし、
おそらく上岡さん同様に、復帰はしないつもりでしょう。
ただ、上岡さんはかなり早い時期から引退時期を予告していましたが、
紳助さんは絶頂時に突然の引退。
結果的にかも知れませんが、上岡さんの二番煎じをしなかったのは
名プロデューサーでもあった紳助さんらしいといえるのかも知れません。
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