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2011年7月 9日 (土)

【訃報】上智大学国文学科教授 松岡洸司先生死去

恩師である上智大学文学部国文学科教授、松岡洸司先生がご病気のため7月4日に亡くなりました。
69歳でした。
7月7日に通夜、8日に告別式が四谷の聖イグナチオ教会で行われ、私は通夜に参列しました。

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松岡先生は上智大学教授として長年教鞭を取り、また学院の要職を歴任された、
公人とお呼びしてよい方かと思いますので、お人柄や葬儀の様子などをここで紹介させていただきます


先生は国語学の中世キリシタン語学がご専門でした。
私は国語学専攻ではありませんで、それで何故恩師かといえば、
上智にはクラス担任のような制度があり、松岡先生には3~4年次にご担任いただいたからです。


*先生の写真は2005年に開催された国文学科84クラスのクラス会の際のものです。
 残念ながら良い写真が手元にありません。見つけたらまたアップします。


上智大学はキリスト教カトリックのイエズス会が運営母体です。
松岡先生はイエズス会の神父でした。
学内に住まわれ、教育者として学生の指導の傍ら、学院の運営に関わられてきました。
国文学科長、学生部長、キリスト教文化・東洋宗教研究所長などの要職を務められました。


また、若い頃は学内にある学生寮の舎監長として学生と寝食を共にするなど、
常に学生の身近にいらした方です。
“神父様”というとお堅く、近寄り難いメージがあると思いますが、
先生は本当に気さくで、学生と一緒にお酒を飲むのが大好きな方でした。


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私は卒業後、特に親しくお付き合いさせていただいていたわけでありませんが、
2001年に還暦のお祝いに出席させていただき、
2005年には、先生をお招きしてのクラス会に副幹事として関わらせていただきました。

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晩年は闘病生活をされていましたが、
電動車椅子を操作して教壇にのぼり続けられていたと聞いています。
2009年暮れに国文学科の創立50周年記念式典が盛大に開催されましたが、
残念ながら先生のご出席はかないませんでした。ご無念だったと思います。


通夜は7月7日、四谷の上智大学に隣接するカトリック麹町教会(聖イグナチオ教会)
で行われ、先生のお人柄を偲んで多くの方が参列されました。
教会堂内は撮影不可、外は夕闇深く、良い写真はありませんが、
雰囲気だけお伝えできればと思います。

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御経歴
松岡洸司 (まつおか こうじ アンジのフランシスコ 松岡洸司 S.J)
1941年7月19日   福岡に生まれる
1977年4月-現在  上智大学で教える
1978年-1980年   上智大学学生寮舎監長
1992年-1997年   上智大学東洋宗教研究所長
1996年-2000年   上智大学学生部長
1997年-2005年   上智大学キリスト教文化・東洋宗教研究所長
2002年-2007年   上智大学大学院文学研究科国文学専攻主任
2011年7月4日    帰天


上智大学ソフィア会サイトの訃報記事
http://www.sophiakai.gr.jp/news/news/2011/2011070401.html


東京新聞Webの訃報記事
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/obituaries/CK2011070502000087.html

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99.徒然の記」カテゴリの記事

コメント

こんばんは!

ふと、松岡先生の名前で検索をしたら、このサイトが見つかりました。
私は79年の入学で森岡健二先生が担任でしたが、
松岡先生のキリシタンサークルに誘われ、結局、キリシタンで国語学に進みました。
マスターに進んだことで、松岡先生も大学院での授業をされるようになりました。
そうです、私が入学した頃は、先生はまだ30代で講師だったのです。

先生には本当にお世話になり、
結局、今の勤務校(神奈川私学の男子校)に勤めてからも、
クリスマスやお誕生日会などでお目にかかり、
楽しい時間を過ごしました。

晩年に石神井のロヨラハウスで過ごされるようになってからも、
より一層、深くお付き合い頂くようになり、
それ故に、先生が亡くなったときは信じられない想いでした。
神父であった先生にとって、私たちは子供のような存在だったのでしょう。
私も、密かに先生のことを親父のように思っていました。

実は、昨日久々に母校の国文学会へ顔を出してきました。
というのも、キリシタン研究に関するシンポジウムが開催されたからです。
そして、それを仕切るのは松岡先生亡き後に昨年4月から赴任された豊島正之先生だったからです。
ふと、松岡先生の声が聞こえて「あんた、僕の代わりに行ってきなさい」と言われたような気がして、
思い切って出かけてきました。
勿論、後輩にも会えましたし、同級生の服部教授にも会えましたが、
やはり、松岡先生がいないのが淋しく、どこかぽっかりと穴があいたような気分でした。

そういう時に、このサイトに巡り合ったのも、きっと何かの縁でしょう。

お互いに、先生の思い出を大事にして、
先生の分まで頑張っていきたいものですね。
それでは、長々と失礼しました。

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