【美術】洗礼者ヨハネ超入門・西洋絵画鑑賞上の基礎知識/使徒ヨハネ、サロメ、聖母子像
レオナルド・ダ・ヴィンチ『洗礼者ヨハネ』(1513-16年頃)
西洋絵画において様々な姿で描かれる、洗礼者ヨハネの超入門編です。
西洋絵画はキリスト教、つまり聖書を主題としたものが多く、多少の知識がないと絵の意味が判らないことがよくあります。
逆にいえば、西洋絵画を少し勉強しようとすれば、必然的にキリスト教についても、少しは勉強する事になります。
最近は絵画をテキストとして、聖書を解説する出版物もよく見かけます。
しかし、これがなかなか難しい。
元々キリスト教信者以外は聖書について詳しくなくて当たり前なのに、更に難解な要素が多くあるのです。
もちろん、イエスと聖母マリアくらいは名前なら誰でも知っているでしょうが、
この聖母子に次ぐくらいの頻度で絵画に登場する人物で「ヨハネ」という名があります。
諸々の要因からこのヨハネがなかなか判り難いのです。
今回は「洗礼者ヨハネ」について、あくまで絵画鑑賞の為の基礎知識として記します。2人のヨハネ
まず、ややこしい原因として、聖書にはヨハネという名の人物が複数登場するのですが、
その中でも特に重要な聖人ヨハネが2人存在するのです。
1人は今回の主題である「洗礼者ヨハネ」
イエス・キリストに洗礼を授けた先駆的な聖人です。
詳しくは後述しますが、「イエスが授けた」のではなく、「イエスに授けた」人です。
もう1人は「使徒ヨハネ」
イエスの弟子である12使徒の1人で、後に『ヨハネの福音書』を記す聖人、
その為「福音書記者ヨハネ」とも呼ばれます。
イエスに最も愛された弟子とされ、絵画では若い女性のように美しい姿で描かれる事が多いです。
「洗礼者ヨハネ」と「使徒ヨハネ」はまったくの別人です。
イエスに洗礼を授けた人と、イエスに最も愛された弟子で、福音書の記述者。
この極めて重要な二人の人物が同じ「聖ヨハネ」とは、なんともややこしい話です。
「聖ヨハネ」では、どちらを指しているのか判らないので、区別をする為に頭に「洗礼者」「使徒」を付けて呼ばれるのです。
イエスと12使徒が描かれたレオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』では、
使徒ヨハネはイエス(赤と青の衣)の向かって左隣、ピンクの衣を纏った姿で描かれています。
重要なヨハネは基本的にはこの2人です。
ただ、成立年次から歴史学的考察をすると、『ヨハネの福音』は実際には使徒ヨハネが記したのではないとの見方もされます。
そうなると、「使徒」と「福音書記者」を分けねばならなくなるのですが、
絵画鑑賞の基礎知識としては、「使徒ヨハネ」=「福音書記者ヨハネ」でいいと思います。
それでは、ここから本題の 「洗礼者ヨハネ」です。
この人が絵の題材になる際、大別すると三つのパターンがあります。
1.イエスに洗礼を授けた、洗礼者としてのヨハネ
2.悲劇的な斬首での最期と、運命の女サロメとの関係
3.聖母子像での幼子ヨハネ
それぞれについて主要な絵画を引用しながら、本当に簡単に解説します。

ヨハネの母エリザベツとイエスの母、聖母マリアは従姉妹とされます。
つまりヨハネとイエスは親戚で、年齢は僅かにヨハネが上です。
ヨハネはイエスに先駆けて布教活動を行っていました。
毛皮を纏って荒野で修行をしながら、ヨルダン河で人々に洗礼を授けていました。
そこにイエスが現れ、洗礼を願いでます。
すぐにイエスのことを悟ったヨハネは、自分に方こそ授けられるべきと断りますが、イエスに強く請われて洗礼を授けたのです。
アンドレア・デル・ヴェロッキオ『キリストの洗礼』(1472年頃)

絵画ではこの作品のように、イエスの洗礼シーンが重要な画題としてよく描かれるますが、修行者・伝道者としてのヨハネが単独で主役になることもあります。
このブログの冒頭に掲げたダ・ヴィンチの『洗礼者ヨハネ』もその一作ですが、
随分と魅惑的で美青年のヨハネで、あまり修行者というイメージではないですね。

洗礼者ヨハネの最期に纏わるエピソードは、運命の女サロメとの関係で有名です。
ヨハネは当時のユダヤ領主アンティパス・ヘロデが、兄弟の妻であったヘロディアを娶った事を批判して投獄されます。
その為、妻ヘロディアは強くヨハネを憎んでいましたが、
ヘロデはヨハネに対して畏敬の念も抱いており、処刑には踏み切れません。
ある祝宴でヘロディアの娘(前夫との子=サロメ)が踊りを舞い、感嘆したヘロデから望みのものを与えると言われます。
娘は母ヘロディアの指示で、ヨハネの首を希望します。
ヘロデは後悔しますが、約束を取り消すわけにはいきません。
この話は有名なので、耳にした事がある人は多いでしょう。
聖書ではヘロディアの娘とされ、サロメという名は出てきません。
別の資料を典拠にサロメと呼ばれるようになったようです。
ストーリーとしても母の指示に従っただけで、あまり存在感はありません。
長い歴史の中で除々に存在感を増していったようです。
サロメのイメージを決定的にしたのはオスカー・ワイルドの戯曲『サロメ』(1891年)です。
ここでサロメは獄中のヨハネに横恋慕するが拒絶され、その意趣返しにヨハネの首を望むという物語が創作されました。
ファム・ファタール(運命の女)としてサロメが大きく注目を浴びたのです。
カラヴァッジョ『洗礼者ヨハネの斬首』(1608年)

今まさに斬首される瞬間のヨハネ。
バロックを切り開いた天才画家カラヴァッジョ、自らも殺人罪により国外逃亡中の作品。
ギュスターヴ・モロー『出現』(1876年)

モローは本作を含め、サロメを題材とした作品をいくつか描いています。
それらは劇的で、サロメの存在感が圧倒的です。
あたかもワイルドの戯曲の影響を受けて描かれたように誤解しそうですが、
実は戯曲より20年近く前から描かれています。
ワイルドにインスピレーションを与えたのがモローなのかも知れません。

しかし、西洋絵画で最もヨハネを多く目にするのは、聖母子像かも知れません。
聖母子像とは一般に、聖母マリアと赤子のイエスを描いた絵の事ですが。
その絵にもう1人、イエスより少し年長に思われる幼子が描かれてるのを観た事はありませんか。
それが幼き日の洗礼者ヨハネです。
前述のように、聖書にはイエスとヨハネが親戚であったとの記述はありますが、
幼年時代に親しく遊んでいた事を示す記述はないと思います。
親戚であったという事から着想して膨らまされたイメージでしょう。
つまり聖母子像の男の子のヨハネと、サロメの為に首を斬られるヨハネは同一人物なのです。
初めて知ると、なかなか衝撃的な事実ではないでしょうか。
ラファエロ・サンツィオ『牧場の聖母』(1506)

聖母子像の画家と呼ばれたルネサンス最大の画家ラファエロの作品。
左側の片膝をついた幼子がヨハネです。
楽しげな家族のような光景ながら、十字の杖を手に傅くヨハネの姿には、宗教的な面も感じられます。
ラファエロ『小椅子の聖母』(1513-4年)

同じラファエロでもこの作品だと宗教性は感じ難いですね。
右端に描かれたヨハネは弟にちょっとやきもちを焼くお兄ちゃんのようです。
美しさ、可愛らしさの極みです。美しさという点で、神々しいといえます。
以上、キリスト教絵画鑑賞の参考になれば幸いです。
Old Fashioned Club 月野景史
*付記
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