仮面ライダー誕生超入門/藤岡弘氏の負傷と、1号・2号ライダー/本郷猛と一文字隼人

ウルトラマンと並び、現在も継続する、日本の人気ヒーローシリーズ。
第1作『仮面ライダー』の放映開始が1971年ですので、来年生誕40周年になります。
追記:2022年6月1日より『仮面ライダー』第1作が東映特撮YouTube Officialでの配信開始
以前、『ウルトラマン』誕生時のエピソードについて書きましたが、
『仮面ライダー』は開始早々、『ウルトラマン』より遥かに厳しい困難に直面しました。
主演の藤岡弘氏(現在の芸名は「藤岡弘、」)が事故で重傷を負い、出演できなくなったのです。
これは有名な話で、“秘話”と呼ぶほどでもないのですが、
今回はこの件を中心とした『仮面ライダー』誕生の超概略です。
『仮面ライダー』
1971年(昭和46年)4月3日~1973年(昭和48年)2月10日放映 全98話
『仮面ライダー』は東映により、ニュータイプのヒーローとして企画されました。
原作はSF漫画の巨匠石森章太郎氏(後に石ノ森章太郎と改名)ですが、
元々『仮面ライダー』という漫画があったわけでなく、テレビ化を前提に企画された、いわゆるメディアミックスです。
主演に決定したのは、藤岡弘氏。
藤岡氏は松竹映画のニューフェイス、つまりスター候補生としてデビュー、
主演級の役柄もあったのですが、映画産業事態が衰退期だったこともあり、
大きな活躍は出来ず、この当時の知名度は高くはありませんでした。
そんな時に『仮面ライダー』の主役「本郷猛」に決まり、勇躍撮影に臨んだのです。
『仮面ライダー』基本設定
本郷猛は青年科学者でオートレーサー。優秀な頭脳と運動能力の持ち主である。
その本郷を世界征服を企む悪の秘密結社ショッカーが拉致した。
改造人間として世界征服の尖兵にしようとしたのだ。
しかし、肉体の改造が終わり、脳手術を受ける寸前で本郷は脱出。
本郷は正義の仮面ライダーとして、ショッカーとの闘いを開始した。

初期の本郷猛 ジャケット・ネクタイ姿が定番
さて、放送開始を直前に控え、撮影は第9.10話まで進んでいました。
その撮影中に藤岡氏がバイクで転倒し、左大腿部を複雑骨折の大きな怪我を負ってしまうのです。
(事故は第1話の放送より後との説もありましたが、近刊の出版物でも藤岡氏は病院のベッドで第1話を観たとの記述があります。
日付は3月30日、4月1日、初回放送当日の4月3日など、資料により諸説あり。)
撮影に当たっては、藤岡氏自身も過激なアクションに取り組んでいたようです。
仮面ライダーの着ぐるみでのアクションもやっていたとのこと。
これはすべてのシーンではなく、スタントも併用されていたようですが。
問題の転倒した場面はライダー姿ではなく、本郷猛としてのシーンでした。
藤岡氏不在で苦心の制作
さて、藤岡氏のケガは大変重く、撮影復帰のメドは立たない状況でした。
そこで当面、藤岡氏抜きで撮影が続行される事になりました。
撮影中だった第9.10話は怪人コブラ男が登場する前後編。
撮影済の映像をベースになんとか完成させました。
問題は音声で、『仮面ライダー』は撮影終了後まとめて収録するアフレコ方式の為、これに藤岡さんは参加できません。
ですので、声優の納谷六朗氏が代演しました。
※納谷六朗氏はショッカーや後続の悪の軍団の首領を長く務めることになる納谷悟朗氏の弟。
藤岡さんの声は太くて特徴的なので、今聞くと当然違和感があります。
ただ、当時の藤岡さんはまだ子ども達の認知度がそれほど高くはなかったし、
家庭用ビデオなどない時代で、前週と聞き比べることもできないので、
この点はリアルタイムではそれほど問題なかったかも知れません。
↓第9.10話の詳細はこちら
http://oldfashioned.cocolog-nifty.com/blog/2018/05/youtube-526-455.html
では、藤岡さんが完全不在の状況でクランクインする第11話以降はどうしたか?
前述のようにこの作品では変身後のライダーによるアクションも基本的に藤岡さんが演じていましたが、
このことの方が意外なくらいで、ここはスタントの人にまかせれば問題ありません。
ただ、通例は本郷の姿のままある程度アクションも行い、それから変身するパターンが多かったのですが、
これはもちろんできません。
それ以外の、主に俳優の演技で進行するドラマ部分が問題ですが、
これは他の俳優よって話を進める合間に、以前撮影された本郷の映像を差し込んだのです。
例えばこんな感じ。
怪事件発生後、本郷の仲間達の会話。
「あれ、本郷はいないの?」
「もうとっくに飛び出していったよ!」
画面が切り替わってバイクで疾走する本郷の姿(これは以前の回で撮影された映像)
そこに「この事件はショッカーの仕業に違いない!」といった本郷の独白が流れる。(これは納屋六朗さんによるアフレコ)
病室にカメラを持ち込み、藤岡氏のアップのみ撮影する案も、別の作品で実績がある為、
検討したようですが、断念されました。
代役か代演か
このように苦心の撮影で13話まで撮り終えますが、藤岡氏の回復の見込みは立たず、
代役・代演を検討せざるを得なくなります。
そうなると、まず考えられるのは二通りです。
①本郷猛を別の俳優に演じさせる。
②本郷は死んだ事とし、別の俳優による別キャラクターを登場させ主役とする。
どちらを選ぶにしろ、藤岡氏が回復しても、復帰は難しくなります。
スタッフにはなんとか藤岡氏の復帰の道を残したいという思いがあったようです。
もっとも、それ以前の問題として、②は子ども向け番組として相応しくないと面もありました。
そこで、スタッフが選んだのは、②のバリエーション案です。
元々ショッカーは世界征服を企んでいる設定なのだから、外国でも活動している筈です。
「本郷猛は外国に渡ってショッカーと闘い、日本は別キャラに任せる。」というストーリーにしたのです。
これなら藤岡氏が回復すれば復帰も可能です。
仮面ライダー2号登場
新ヒーロー登場に関わる劇中での説明は以下の通りです。
ショッカーはカメラマンで優れた格闘能力を持つ一文字隼人を拉致し、
第2の仮面ライダーに改造するが、脳手術を受ける前に本郷ライダーに救出された。
そして、一文字は仮面ライダー第2号としてショッカーと闘う決意をする。
本郷はその一文字に日本を託し、ショッカーと闘う為ヨーロッパに渡った。
この展開については一文字の口から語られるだけで、実際にはほとんど描かれていません。
2号が登場したので、便宜上本郷ライダーは1号という事になりました。
一文字隼人に配役されたのは佐々木剛(たけし)氏。
佐々木氏は主演スターとまではいえませんが、主にテレビドラマの分野で
売れっ子といえる俳優でした。
佐々木氏は元々藤岡氏とは面識があり、藤岡氏の回復後の復帰を前提とした出演は
佐々木氏の希望でもありました。
仮面ライダー大ブーム
さて、今と違ってそんな裏事情は一般にはほとんど知られません。
この1971年4月は60年代後半に大怪獣ブームを巻き起こした『ウルトラマン』の後継作となる
『帰ってきたウルトラマン』がスタートし、大きな話題を集めていました。
対して、同じ4月に開始された『仮面ライダー』ですが、前述のようの元々知名度がなく、
当初はあまり注目されておらず、視聴率8.1%からのスタートでした。
しかし、現場は大変な状態になっていましたが、番組は除々に数字を上げていました。
ただ、制作側では内容の問題点も指摘されていたました。
元々、本郷は改造されて普通の人間ではなくなってしまったという悲しみを背負って闘うという面があります。
また敵役のショッカーも怪奇色の強い組織として描かれてました。
その為、番組自体、やや暗めでハードな印象が強かったのです。
子ども番組にしては相応しくないのではないかとの声も上がってました。
そこで、2号ライダーの登場が第2クール冒頭の14話(7月3日)という事もあり、
これを機会にドラマのスタイルも一部リニューアルが行われました。
レギュラー陣も一部入替・追加を行い、明るく、少しコミカルなイメージを打ち出したのです。
仮面ライダーの名物となる変身ポーズもこの時に誕生しました。
このイメージチェンジは功を奏しました。
『仮面ライダー』はこの2号ライダーの時代、子ども達に大ブームを巻き起こしたのです。
さて、事故から約半年が経過しました。
藤岡氏の傷も癒えて、復帰方法が探られる事になりました。
しかしまだ藤岡氏も完調ではなく、完全復帰は無理ですし、
そもそも一文字ライダーが大ブームを巻き起こしているのだから、
急な完全交代はあり得ません。
そこで本郷が一時帰国し、一文字と共闘する事にしたのです。
ダブルライダー共演
二人の仮面ライダーの共闘、元々大ブームのところに、更に拍車をかける大イベントです。
藤岡氏の怪我に起因する、思わぬ副産物でした。
桜島ロケを敢行したダブルライダー編は1972年1月1日と8日、前後編で放映されました。
元旦はさすがに競合番組も多かった為か、視聴率も今ひとつでしたが、
8日は初の30%越えを果たしました。
当時の子ども達にとってはビッグなお年玉プレゼントとなったのです。
その後、本郷は再び欧州に戻り、しばらく一文字単独の回が続きますが、
3月に再び共闘編が3本放映された後、今度は一文字がメキシコに渡り、
4月から遂に本郷が日本に完全復帰しました。
本郷猛本格復帰 新1号ライダー登場
本郷の復帰にあたり、1号ライダーは外観を一部リニューアルしました。
その為、これ以降を「新1号」、これより前を「旧1号」とするようなりました。
(ただ、マスクだけでは1号と2号が区別できなくなってしまいましたが。)
この後、番組は好評のうち約1年、翌1973年2月まで、
ショッカーをリニューアルした悪の新組織ゲルショッカーを登場させるなど、新機軸を織り込みながら続きました。
本郷が主役で、一文字が時々一時帰国して登場するという、以前とは逆のパターンとなりました。
最終回でも二人のライダーは共演しています。
そして『仮面ライダー』終了後、後番組として『仮面ライダーV3』がスタートします。
『V3』は『仮面ライダー』の完全な続編で、第1話に本郷と一文字も登場、その後も顔を見せました。
その後シリーズは継続し、現代まで続く長寿シリーズなっていったのです。
以上、藤岡氏の怪我を巡っての『仮面ライダー』誕生概略でした。
詳しい方からすればあれも抜けてる、これも・・という面もあるでしょう。
「変身ポーズの詳細」、「ライダーの外観変更の詳細」、そして個性的な脇役達の事など。
しかし、あれもこれも書くとわけが分からなくなるので、今回はこのあたりにします。
最後にひとつだけ・・・、
ある問題を考察します。
もし、藤岡氏の怪我による一時降板がなかったら、ライダーブームは起きなかったのか?
ネット上では、起きなかったとする意見も多いようです。
藤岡氏の一時降板に伴う、イメージチェンジがあったから大ブームになったと、
それがなければ、大きな成功には至らなかったという見方です。
これは何を言ってもタラレバ論であり、正しい答えはないのですが、
敢えて私見をいえば、藤岡氏の事故がなくても、ライダーブームは起きていたと思います。
明るいイメージへの路線転換は、仮に藤岡氏の怪我がなくても行われていたでしょう。
たしかにそれは、2号ライダー登場時に行われたほど、明確なものではなかったかも知れません。
しかし、8.2%でスタートした『ライダー』の視聴率は、旧1号編の最終話となる第13話では18%まで伸びています。
つまり制作側が懸念した初期のハード路線でも、初回から13話で視聴率は倍以上に伸ばしていたのです。
それを考慮すれば、リニューアルが必要だったかどうかさえ、断定は難しいでしょう。
そもそも、仮面ライダーが子どもの間で大ブームになった最大の要因はなにか?
当時、子どもだった私にはその答えが断言できます。
それは、それまでの子ども物にはなかった、リアルで本格的な格闘&バイクアクションです。
これが当時の子ども、特に男の子達の心を捉えたです。
東映とすればアクション映画やテレビ『キイハンター』などでの得意分野ですが、
それを子ども物に本格導入して成功したのです。
この魅力は開始時から変わらないのだから、本郷ライダーのままでもブームは起きていたと思います。
評判が良ければシリーズ化するというのも『ウルトラマン』の先例があるのだから、
ライダーもたぶんシリーズ化されていたでしょう。
ただ、現在まで続いたかといえば、歴史が長すぎて検証が難しいですね。
Old Fashioned Club 月野景史
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