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2010年9月

2010年9月23日 (木)

ウフィツィ美術館 自画像コレクション/『マリー・アントワネットの肖像を描くヴィジェ=ル・ブラン』新宿 損保ジャパン美術館/王妃に愛された女性画家

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新宿の損保ジャパン東郷青児美術館で11月14日まで開催中の
「ウフィツィ美術館 自画像コレクション巨匠たちの「秘めた素顔」1664-2010」を観覧してきました。

(2011年2月20日まで大阪の国立国際美術館で開催中。)

ウフィツィ美術館
ウフィツィ美術館はルネサンスの中心地フィレンツェにある世界有数の美術館です。
日本ではパリのルーブル美術館の方が名前を知られているでしょうが、
「世界最高の」と言っていいかも知れません。

当然、ルネサンスの至宝を数多く所蔵している美術館ですが、
1664年以来、近現代に至る画家の自画像を多くコレクションしています。
その数約1700点、美術館とピッティ宮殿を繋ぐ、かのヴァザーリの回廊に展示されていますが、
予約見学制でもあり、あまり知られていません。

今回の展覧会には、このコレクションから60点ほどが来日を果たしました。
自画像ですから描かれているのは当然画家本人。
60人もの画家の人生やその作品、その時代に思いを巡らす展覧会です。
公式サイト

マリー=ルイーズ=エリザベート・ヴィジェ=ル・ブラン
『マリー・アントワネットの肖像を描くヴィジェ=ル・ブラン』(1790年)

Lebrun_selfportrait03今回の展覧会の看板作品、18世紀フランスの女流画家ヴィジェ・ル・ブランの自画像です。
遂に彼女の作品を大看板とする展覧会が催されました。

ルイーズ・ヴィジェ・ル・ブラン(Elisabeth-Louise Vigee-Le Brun 1755年-1842年)
名前が原語表記も日本語表記も色々あってややこしいです。
今回の展覧会では「ル・ブラン」ですが、Wikipediaでは「・」なしの「ルブラン」としています。

ヴィジェ・ル・ブランは、フランス王妃マリー・アントワネットに寵愛され、
王妃の肖像画を多く描いた画家として知られます。
マリー・アントワネットは日本では、かの『ベルサイユのバラ』のヒロインとしても有名です。
フランス革命で断頭台の露と消えた、伝説的な女性です。
ル・ブランは美貌と才能、知性に恵まれた女性で、王妃とは親友のような関係だったとされます。
美しい自画像を多く残した事でも知られています。

参考資料:ル・ブランによる王妃の肖像画
『ガリア服を着た王妃マリー・アントワネット』(1783年)*今回の展示作ではありません。
Malebrun_2


1789年、フランス革命が起こるとル・ブランはイタリアに亡命します。
翌1790年にイタリアで描かれたのが、
この自画像『マリー・アントワネットの肖像を描くヴィジェ=ル・ブラン』 です。
だから、イタリアの美術館にすんなり納まったのですね。

さてこの自画像、勿論良い意味ですが、少女マンガを思わせるような可憐で美しい絵です。
「愛らしい」といえば、これほど愛らしい自画像も他にないでしょう。
その可憐さに目を奪われてしまいますが、間近で観ると、
髪やレースの柔らかく繊細な描写には感嘆します。

これは折角の機会なので、是非実物の鑑賞をお奨めします。

35歳の自画像?
ところで、この絵を描いた時ル・ブランは35歳です。
その年齢の自画像にしては、いささか可愛く描き過ぎという気もしないでもないですね。
ネット上でもそのような指摘が見受けられます。
しかしこれは、タイトルにもあるように「マリー・アントワネットの肖像を描く自分」を描いた絵です。
実際に、よく見ないと判らないほど薄くですが、画中のカンパスには王妃の顔が描かれています。
だとすれば、王妃と過ごした若い頃の自分を描いたと解釈すべきかも知れません。
といっても、この前年までは一緒にフランスにいた筈ですけど。
例えば、上に参考として挙げた肖像画は1883年の作ですから、ル・ブランは28歳頃だった事になります。

ル・ブランはこの後、オーストラリア、ロシアでも立派な画業を残してフランスに戻ります。
その後も各国に招かれ活躍を続け、1842年、86歳でパリで亡くなります。
動乱期の一時に可憐に咲いた儚い花のようなイメージがありますが、
息の長い大画家だったのですね。晩年は旺盛な制作はしていないようですが。

この絵がデザインされたクリアファイル。
Vigeele_brun001
強めのピンクを使い、なかなか綺麗に出来ています。

右のクリアファイルはやはり今回の展示作品、
エリザベート・シャプラン『緑の傘を手にした自画像』(1908年頃)
アンニュイな表情がいいですね。

さて、今回の展覧会には他にも興味深い自画像が多く展示されています。

フランス新古典派の巨匠、ドミニク・アングルの堂々たる自画像。
Dominique_ingresこの絵がフランスでなく、イタリアにあるというのも不思議な気がします。

他にもビッグネームではレンブラントからシャガールまで、まさに古今の画家の自画像が揃っています。
女性画家も多く、面白いところでは、ベネツィア派の巨匠ティントレットの娘で、父の手伝いをしていたというティントレッタなど。
日本の藤田嗣治のユニークな自画像も見ものです。

更に、今回の展覧会を記念して、日本の草間弥生、横尾忠則、杉本博司各氏の自画像が寄贈され、
ウフィツィでの展示に先駆け、今回の展示会でお披露目されています。

この展覧会は11月14日まで。
その後、11月27日から来年2月20日まで大阪の国立国際美術館で開催されます。


損保ジャパン東郷青児美術館

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損保ジャパン本社ビル42階。西新宿の高層ビル街にそびえ立つ美術館として知られます。201091721111
前身の安田火災が1987年にフィンセント・ファン・ゴッホ『ひまわり』を約58億円で購入して話題になりました。

もちろん、『ひまわり』をはじめとして、
ポール・ゴーギャン『アリスカンの並木路、アルル』
ポール・セザンヌ『りんごとナプキン』
東郷青児、グランマ・モーゼス等の所蔵作品も鑑賞出来ます。

損保ジャパンビルと周辺の光景。まさに大都会の美術館です。
201091721144
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my mixi
http://mixi.jp/show_friend.pl?id=25686164&from=navi

2010年9月13日 (月)

シャガール展/東京藝術大学大学美術館 『ロシアとロバとその他のものに』

Ca201082831030
上野の東京藝術大学大学美術館で10月11日まで開催中の
「ポンピドー・センター所蔵作品展 シャガール―ロシア・アヴァンギャルドとの出会い~交錯する夢と前衛~ Marc Chagall et l'avant-garde russe dans lescollections du Centre Pompidou」を観覧してきました。

会期はもう後、一ヶ月ほどですね。

マルク・シャガール(Marc Chagall 1887-1985)
シャガールは20世紀を代表する大画家です。
97年に及ぶ生涯において、永く偉大な画業を残しました。
主にフランスで活動し、後年にはフランス国籍を取得しています。
エコール・ド・パリの画家の一人ともされます。

エコール・ド・パリ(パリ派)とは
定義が難しい面もありますが、
20世紀初頭、芸術の都となっていたフランスのパリに集って創作を行っていた、
主に外国から来た若い芸術家達を指します。
モディリアーニ、ユトリロ(フランス人ですが)、キスリング、スーティン、マリー・ローランサン、そして日本の藤田嗣治(レオナール・フジタ)らがそうですね。

シャガールは旧ロシア帝国のヴィテブスク(現ベラルーシ共和国)のユダヤ人居住区で生まれました。
画学校を出て1910年に23歳でパリに来て、当時若い画家達が集まっていたモンパルナスのラ・ロシェル(蜂の巣)と呼ばれた伝説的な集合アトリエで創作を開始しました。
若きシャガールは比較的短期間で一応の成功を収め、1914年にドイツで個展を行った後、ロシアに戻ります。
次にフランスに来るのは1923年、既に36歳です。
“エコール・ド・パリの画家”と呼ぶには、青年期にパリで過ごした時間が意外と短いですね。
ロシアに戻ったのは、まさにシャガールにとってミューズ(文芸・学術の女神)となる婚約者ベラを残してきた為でもあるでしょう。


「ポンピドー・センター所蔵作品展 シャガール―ロシア・アヴァンギャルドとの出会い~交錯する夢と前衛」
長いタイトルです。
「ポンピドー・センター」とは聞き慣れない名ですが、パリのこの施設の中に、国立近代美術館があります。
Centre Georges Pompidou
Centre_georges_pompidou

さて、今回の展覧会はシャガールが生前語ったという以下の旨の言葉に基づいて企画されています。

「私がロシアで描いた絵画が、ヨーロッパの画家の作品と共に展示されるのは奇妙。
むしろ20世紀初頭のロシア美術の為の美術館に展示されるべき」


このシャガールの意向通り、彼の絵と20世紀初頭のロシア・アヴァンギャルドの画家達の絵を併せて展示するというのが今回の試みです。
といっても、シャガールがロシアで描いた絵ばかりが展示されているわけではありませんが。

実は、パリから一度ロシアに戻ったシャガールは国立美術学校の校長にまでなっています。
ここで教師を務めたのが、まさにロシア・アヴァンギャルドの画家達なのですが、
彼らとシャガールに深刻な対立が生じ、その権力闘争に敗れる形でシャガールは学校を離れ、やがてロシアを離れたといいます。

このあたりの経緯については、今回の展覧会のサイトには記されていません。
後年、大芸術家となったシャガールは、どんな想いで上記の言葉を語ったのでしょう。


さて、シャガールは最初のパリ時代から、故国をテーマにした絵を多く描いてます。
しかし、それは写実的な光景ではなく、幻想的で詩情溢れるものです。
そして、そこには東方ユダヤ文化(イデッシュ文化)が反映されているといわれます。
ですので、シャガールには“ロシア”もですが、“ユダヤ”というイメージも強いですね。

『ロシアとロバとその他のものに』(1911年)Chagarussia01 今回の展示会の看板ともいえる作品です。

パリに来てまもなくの時期に故国のイメージを描いた絵です。
シャガールは「幻想」と「詩情」の画家、
「愛」を描く画家、
そして「色彩」の画家ともいわれます。

その鮮やかな色は印象的ですが、この絵などもまさにそうですね。
特に青が特徴的ともいわれますが、私は緑の印象も強いです。
この絵の緑の美しさは際立っています・・・勿論、緑だけではないですが。

シャガールの色使いはフォーヴィスム(野獣派)の影響とも言われますが、
その豊かな詩情からして、野獣派といわれてもちょっと違和感がありますね。

女性の首が体から離れて空を飛んでいる描写は少しドキリとさせますが、
夢想に動かされるがままの人物を「頭が飛び立っている」と表現する故国の文化に基づいているそうです。

この絵はシャガールのドキュメント映画のタイトルにもなっています。


今回の展示作ではありませんが、シャガールの代表作のひとつ
『私と村』(1911年)
Chagall_118515
同じ年に描かれた絵ですが、色、イメージ・・共通する面も多いのではないでしょうか。


第二次大戦中、ユダヤ人であるシャガールはナチスの脅威から逃れる為アメリカに亡命しますが、
ここでいくつかの舞台美術を手がけます。
戦後、フランスに戻りますが、
1964年、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場からの依頼で新劇場のこけら落とし公演の、
モーツァルトの歌劇「魔笛」の装飾と衣裳の素案を手がけ、翌年には劇場用の壁画も製作しました。
今回の展覧会ではこの時の作品も展示されています。


そして、この展覧会ではタイトル通り、ロシア・アヴァンギャルドを代表する画家ながら、日本ではあまり知られていないナターリヤ・ゴンチャローワとミハイル・ラリオーノフの貴重な作品、
また同時代ロシア出身の巨匠であるマレーヴィチ、プーニー、カンディンスキーらの作品も鑑賞する事が出来ます。


会場  東京藝術大学大学美術館
ここへは、上野駅からですと、美術館や博物館、もちろん上野動物園などが並ぶ文化と芸術の楽園、上野公園を抜けて行きます。
気候の良い時期なら散策に最高でしょう。
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しかし、今回はちょっと暑すぎましたが・・。
ようやく到達です。

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展覧会公式サイト

mixi日記

2010年9月 8日 (水)

シャーロック・ホームズ超入門/ワトスン、ベーカー街、世界一有名な名探偵

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聖書に次ぐベストセラーともいわれる「シャーロック・ホームズ」シリーズ
世界一高名な名探偵として、誰もがその名を知っていると言ってもいいほどの有名人です。
最近も映画化されて話題になりました。
また1980年~90年代に製作されたジェレミー・ブレッド主演のTVシリーズは現在でも人気が高いですね。

とはいえ、誰もが原作小説を読んでいるわけでもないでしょう。
以前は少年時代にジュブナイル版でまずふれる事が多かったものですが、最近はどうでしょうか。
なんといっても古い作品ですし、それほど読まれてはいないのかも知れません。

しかし、その面白さ・楽しさは100年の時を経て色褪せていません。
文庫版は複数の出版社から発行されています。
また、意外と気軽に読み始められるタイプのシリーズでもあります。
是非、原作小説にも親しんでほしいものです。

以下はあくまで初心者向けのホームズ入門編。
基本設定とシリーズの歴史、ホームズ世界の本当の超概略、基礎知識です。


シリーズの全体像
シャーロック・ホームズシリーズはイギリスのサー・アーサー・コナン・ドイル (Sir Arthur Conan Doyle 1859-1930)により、19世紀末から20世紀初頭にかけて書かれた推理小説です。
作品は長編4編、短編56編の計60編。
短編は5つの短編集に収録されていますので、単行本としては全9冊です。それほど多くはありませんね。
また、長編といっても、日本語版文庫本で200~250ページ程度なので、近年のミステリーに比べければ中編くらいのイメージです。

以下、発行順に紹介します。

1.長編 『緋色の研究』(A Study in Scarlet)1887年
2.長編 『四つの署名』(The Sign of Four)1990年

3.短編集 『シャーロック・ホームズの冒険』(The Adventures of SherlockHolmes )1892年
4.短編集 『シャーロック・ホームズの回想(思い出)』(The Memoirs of SherlockHolmes)1894年

5.長編 『バスカヴィル家の犬』(The hound of the Baskervilles)1901年
6.短編集 『シャーロック・ホームズの帰還(生還)』(The Return of SherlockHolmes)1905年
7.長編 『恐怖の谷』(The Valley of Fear)1915年
8.短編集 『シャーロック・ホームズ最後の挨拶』(His Last Bow)1917年
9.短編集 『シャーロック・ホームズの事件簿』(The Case-Book of SherlockHolmes)1927年

*短編集の年次は単行本としての発行年です。各編はそれ以前に雑誌への掲載があります。
*邦題は日本語訳版の発行元により異なるものもあります。


基本設定について
シャーロック・ホームズ (Sherlock Holmes)はイギリス人の私立探偵である。
ロンドンのベーカー街221B(221B Baker Street)にある、ハドスン夫人が営むアパートメントを住居兼事務所としている。
ホームズは友人のジョン・H・ワトスン(John H. Watson)医師を助手役に、様々な難事件を解決し、警察も一目置く存在である。
彼らが解決した事件は、ワトスンによる一人称の事件記録の形態で世間に発表された。

これくらいの事は大体の人が知っているのでしょう。

ところで、ホームズとワトスンは下の写真のように、ベーカー街で同居していると思っている人が多いのではないでしょうか。Cushingsh3_2 *映画『バスカヴィル家の犬』(1959年)より ピーター・カッシングのホームズ(左)とアンドレ・モレルのワトスン。

勿論、元々はそうなのですが、意外にも第2作のラストにおいてワトスンは結婚して新居に移り、ホームズとの共同生活を解消してしまうのです。

では残りの58作品でホームズとワトスンは別居状態なのかといえば、そうではありません。
上述のようにこのシリーズはワトスンによる事件記録の体裁を取っているので、「今回発表するのはワトスンの結婚以前、ホームズとの同居時代の話である」という前提で書かれた作品も多いのです。

その後、ワトスンはホームズとの同居を復活します。理由の詳細は不明ですが、夫人との死別との説が一般的です。
更に後にホームズは探偵業を引退し、ワトスンとも離れてサセックスで隠遁生活に入りますが、その後も時に事件に関わる事もありました。

実は、ワトスンの結婚とホームズとの同居問題は単純ではないのですが、ややこしくなるので言及しません。
このシリーズの特徴として、発行順と作中年代が時系列で一致しない事は認識しておいていいと思います。

*ワトスン医師については「ワトソン」と発音される事も多いですが、「ワトスン」の表記が主流となっていますので、それに倣います。


コナン・ドイルによるシリーズ創作の歴史 超概略
コナン・ドイルは医師業の傍らホームズを主役とした2本の長編、1887年に『緋色の研究』、1890年に『四つの署名』を創作・発表しますが、大きな話題になる事はありませんでした。
しかし、創刊間もない月刊誌「ストランドマガジン」に着目され、1891年7月より短編の連載を開始します。1号に1編ずつ、1話完結の形です。これでホームズは一躍大人気となります。やがて連載された小説12本は短編集『シャーロック・ホームズの冒険』として刊行され、世界的ベストセラーとなっていきます。

しかし、ドイルは連載の終了を決断します。
1893年12月号掲載の『最後の事件』において、ホームズの死をもってシリーズは一旦完結します。
作中でホームズは宿敵のモリアーティ教授と決闘し、共に滝壺に転落して不帰の人となります。記述者であるワトスンが崖上の決闘の場に到着した時は、ホームズは書置きを残して転落した後でした。ですから、決闘の様子は具体的には描かれませんでした。こうして2年半ほどで連載は終結しました。
冒険』以降の短編は『シャーロック・ホームズの回想』として発行されました。勿論巻末には『最後の事件』が収められています。

それから8年後の1901年、根強いリクエストに応えてドイルは長編『バスカヴィル家の犬』を発表します。
しかし、これはホームズ生前のエピソードとの設定でした。

1903年、ついにドイルはホームズを短編『空き家の冒険』で10年ぶりに復活させました。
しかし、死んだホームズをどうやって復活させたのか?
「実はホームズは生きていた」という事にしたのです。死の様子を具体的に描かなかった事が幸いしました。
滝壺に転落したのはモリアーティだけ、つまりホームズは決闘に勝ったのです。
そして、ホームズは残っている多くの犯罪者を壊滅する為、自分は死んだ事にして身を隠し、隠密裏に活動していた、というストーリーにしたのです。

ところで、ホームズが死んだと思われた『最後の事件』は1893年初出。生還したのは1903年。
10年間も隠密裏に活動していたのかと誤解しそうですが、これはあくまでも作品が発表された年です。

作中世界でモリアーティとの決闘があったのは1891年、ベーカー街に帰還するのは1894年なので、作中においてホームズがワトスンと離れて隠密行動を取っていたのは3年ほどなのです。この期間は「大空白時代 (the Great Hiatus)」 と呼ばれます。
これ以降、発表年次と作中年代との乖離は甚だしくなりますが、ややこしくなるので今回はこれ以上はふれません。


ともかく、復活したホームズは再びワトスンと共に活躍を続けます。
やがて、毎月の連載ではなくなりますが、ドイルはホームズ作品を1927年4月号の『シェスコム荘』まで断続的に書き続けました。
その間、前述しましたように後年のホームズは俳優業を引退してサセックスで養蜂に勤しむ隠遁生活に入りますが、その生活の中で関わった事件ついてのエピソードも描かれました。


シャーロック・ホームズ 作中年譜 超概略版
以下はシリーズ作品から推定される、私立探偵シャーロック・ホームズ氏の生涯の略年譜です。

1854年頃 誕生。
1881年頃 ベーカー街221Bに転居。ワトスンとの同居開始。
1888年 ワトソンが結婚により別居。
1891年 モリアーティとの決闘に勝利するも死んだ事とし、隠密活動に入る。
1894年 ベーカー街に帰還、探偵業再開、ワトスンと再同居。
1902年 ワトスンが再び別居。
1903年 探偵業を引退。サセックスに移転。その後も時に事件に関わる。
1914年 記録に残る最後の事件。第一次大戦前夜、敵国のスパイ組織を壊滅させる。
1926年 短編2本を自ら執筆。(描かれた事件の発生年は1914年より前)

初めて読むならどの作品から?
ホームズシリーズは複数の出版社から日本語訳版が出版されています。
順番に第1作の長編『緋色の研究』からという考え方もあるでしょうが、
短編が圧倒的に多い事からも推測できるように、ホームズ物語はやはり短編がより魅力的です。
その中でも最も評価の高いのは最初の短編集『シャーロック・ホームズの冒険』でしょう。
ここから始める事を推奨します。

では、どの出版社を選ぶべきか
実はこれが今、少しややこしい事になっています。
ホームズ作品は複数の出版社から発売されてきましたが、現在、全編揃って流通していて、初心者向けの文庫版となると、
新潮文庫、創元推理文庫、光文社文庫の三種類になると思います。

新潮版は1950年代より刊行されており、延原謙氏による歴史ある名訳として知られていますが、ひとつ問題があります。
初版時の基準では、5つの短編集をそのまま発行しようとすると頁数オーバーになる為、6つに分割されて発行されたのです。
ですので、新潮版には『シャーロック・ホームズの叡智』という原作にない第6の短編集が存在するのです。
個々の作品のクオリティには関係ないのですが、他に原作通りの編成のものが存在するのに、初心者の人にあえて編成を違えたものを推奨し難い面もあります。

創元版は阿部知二氏訳による、1960年頃発行のこちらも歴史ある古典です。
ただし、最終作の『事件簿』のみ、翻訳権の問題で長く発行が適わず、1991年に深町眞理子氏訳により追加発行されました。

対して光文社版は2006年から刊行された新訳版で、訳者はホームズの評論の訳なども多く、シャーロキアンとして知られる日暮雅通氏です。

この二社だと古典が新訳かの選択だったのですが、今年(2010年)になって状況が変わりました。
創元推理文庫が深町氏による新訳版の刊行を始めたのです。
2010年9月現在、『冒険』と『回想』が既刊で、新訳発行と入れ違いに旧阿部版は順次絶版となるようです。
つまり、創元版は完全リニューアル途中で、旧版と新訳版が混在している状況です。
追記:2015年に深町版新訳の刊行が完了。創元文庫は深町版で統一されました。

この状況なのでどれを推奨するかが難しいのですが、いずれも一定の評価を得ていますので、後は文体や価格等の好みだと思います。
上述の事情を理解した上でなら、名訳として名高い新潮版からという考え方もありでしょう。
光文社版は読み易いと評価されているようです。
刊行開始まもない創元深町版の評価が難しいですが、大ベテランですし、前述の『事件簿』で好評価を受けての登用なので問題ないかと思います。

他に以下二社のものがありますが、
*ハヤカワ・ミステリ文庫版も名訳として知られますが、現在品薄状態のようです。
*ちくま文庫版は膨大な詳注が付き、作中年代順に並べ直した中・上級者向けで、こちらも入手が容易ではないようです。


最後にいくつか書き切れなかった事をQ&A形式で簡単に記します。

シャーロキアンとはなに?
ホームズファンのことですが、かなり熱心で深い知識を持っている人達を指します。

正典とはなんのこと?
ホームズファンはドイルによるホームズ作品、前述した長編4本、短編56本をThe Canon(正典、または聖典)という呼び方をします。

ワトスンによる記述の体裁ではない作品はあるの?
後期の短編に4本あります。ホームズによる記述の体裁のものが2本、三人称表記のものが2本です。

ホームズの家族は出てくるの?
兄のマイクロフト・ホームズが登場します。政府の重要な仕事をしており、優秀な頭脳の持ち主のようです。他の親族の事はほとんど判りません。結婚の記録はなく、結婚そのものについて否定的な発言をしています。

小説に書かれなかった事件があると聞いたけど?
作中でホームズとワトスンは「あの事件の時はああだったね。」という思い出話をよくします。
小説になった事件が語られる事もありますが、そうでない場合もあります。それらは断片的にしか語られないので、ホームズファンとすればそれはどういう事件だったのか、大いに気になり、議論される話題なのです。

ホームズ関連でパスティーシュという言葉を聞くけど、それはなに?
模作の事です。言葉自体の意味は辞書やwikipediaを参照ください。
ホームズ物語については後進の作家にもファンや研究家が多いですから、当然パスティーシュも多いです。

ホームズとルパンは対決した事があるの?
日本では名探偵ホームズと怪盗ルパンは双璧の人気者ですね。
ルパン対ホームズ』という作品を読んだ、あるいは聞いた事のある方も多いでしょう。
最後の最後に、この件については少し詳しく説明します。

「怪盗紳士アルセーヌ・ルパン」シリーズはホームズシリーズより18年後れて、1905年からフランスのモーリス・ルブランにより書き始められました。
ドイルのホームズ作品にルパンは一切登場しません。
ルブランのルパン作品にホームズは何度か登場し、ルパンとの対決が実現しています。

しかし、実はこれは日本だけの現象なのです。
ルブランはルパン作品の初期の雑誌発表時に少しだけホームズを登場させましたが、単行本に収めるにあたり「エルロック・ショルメ」という別人に改めました。(これはドイルの抗議を受けた為とされますが、抗議の事実ないとの説もあります。)
この名はホームズのアナグラムです。以後ショルメはルパンシリーズに何度か登場します。
つまり、原作のルパンシリーズに登場するショルメは、ホームズをモデルにしてはいますが、別のキャラクターです。ワトスンにあたるウィルソンというキャラも登場します。

しかし、日本語で翻訳されるルパン作品のほとんどで、ショルメはホームズと訳されてきました。
たしかに、「ルパン対ショルメ」よりも「ルパン対ホームズ」の方が初めて読む方としては魅力的で、販促にも繋がるだろうし、英文字のアナグラムを片仮名訳しても、イメージが伝わり難いという面もあるでしょう。
しかし、これは紛らわしい事ではあります。
特に、ショルメはあくまで主人公ルパンの引き立て役として描かれているので、必ずしもホームズのように聡明でない場合もあります。それがホームズを名乗るのは、ホームズファンならずともしっくりとはきませんね。

近年は日本の芦辺拓氏による『真説 ルパン対ホームズ』のような、両者に敬意を払ったパスティーシュも作られています。

2010年9月 7日 (火)

ティツィアーノ『聖愛と俗愛(聖なる愛と俗なる愛)』愛の寓意の謎/「美の巨人たち」より

ティツィアーノ・ヴェチェッリオ作『聖愛と俗愛(聖なる愛と俗なる愛)』(1514年)
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ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(Tiziano Vecellio 1490頃-1576)
はヴェネツィアルネサンスの大画家です。

ルネサンスの中心地はレオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロらが活躍したフィレンツェですが、
港湾都市として繁栄したヴェネェツィアにも大輪の花が咲きました。
ティツィアーノはそのヴェネェツィア派を代表する画家です。
90年にも及ぶ生涯において偉大な画業を残し、画家達の王とまで形容されました。

『聖愛と俗愛』は画家二十代の若き日の作品。
9月4日に放送されたテレビ東京系「美の巨人たち」は、この絵の謎にせまる内容でした

西洋絵画は聖書や神話の知識がないと理解し難いものも多いですが、
この作品はそれがあっても意味が判り難い、謎めいた作品として知られています。

昨年小学館から刊行された「週刊西洋絵画の巨匠」には、
そもそも依頼主が謎解きを楽しむ事を意図して描かせたものだとしています。
そうであるなら謎めいているのも当然ですが、この見方が一般的というわけでもないようです。

『聖愛と俗愛』というタイトルで二人の女性が描かれているのですから、
当然、片方が「聖愛」、もう一方が「俗愛」を象徴していると推測されます。

「俗」という言葉の語感から一瞬、裸の方を「俗」と勘違いしてしまいそうですが、
これは逆で、服を着ている方が地上の俗なる姿、裸身の方が天上の存在ですね。
美の女神ウェヌス(ヴィーナス)ともされます。

二人が腰掛ける中央の石造りのもの。
水を張ってあるのだから水槽の役目をしているのですが、石棺のようにも見えます。
水に手を突っ込んでいるキューピッド(アモル)は何をしているのか、不可解な点が多いです。

この絵が、ベネツィアの高級官僚であったニコロ・アウレリオとラウラ・バガロットの結婚にあたって描かれた事は、
石棺に描かれた紋章がアウレットものである事、
左側の女性の着衣が花嫁衣裳と思われる事などから知られています。
当然ながら、主題が「愛」「結婚」である事は間違いないとされます。
ではそこに込められた寓意はなになのか?古来、様々な推測がされてきました。

今回の「美の巨人たち」はニコロとラウラの結婚の複雑な背景に言及して、
この絵の秘密にせまろうといういう切り口でした。


ラウラ・バガロットは再婚なのですが、彼女の父は国家への反逆の罪で死刑になりました。
番組では、記録にはありませんが、この時ラウラの前夫も共に処刑されたと推測しています。
そして、彼らを裁く側にいたのが、ラウラの新たな夫となるニコロ・アウレリオだというのです。
随分因縁めいた話です。

この絵について記された資料で、この因縁に言及したものは読んだことがありませんでした。
なんともドラマチックで興味深い話ですが、かといって、それでこの絵の秘密が解き明かされたともいえないでしょう。

何百年も判らなかったことがそう簡単に氷解するわけもないし、
永遠に謎を秘めて伝わる絵なのだと思います。
この絵に纏わるドラマをひとつ知ったのは、いい経験といえるかも知れません。

ところで、ティツィアーノにはどこか謎めいたイメージがあります。

生年こそ定かではありませんが、前述のように圧倒的な高評価を得て大画家としての生涯を終えた人なので、その人生に不可解な部分が多い筈はありません。
にも関わらずそのような印象があるのは、ひとつはこの作品があるから。
また、ティツィアーノの師匠であり、これは本当に謎の部分の多い
早世の大画家ジョルジョーネとの共作問題もあります。
若くして亡くなったジョルジョーネが残した未完成作をティツィアーノが完成させたとされる
著名な作品があるのですが、その帰属をめぐって永く議論が続けられてきました。

ジョルジョーネについてはまた改めて。


関連ブログ(Tizianoという店名の新宿のBarを紹介しています。)
http://oldfashioned.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/barbar-tiziano-.html

2010年9月 4日 (土)

【ワイン】新宿BAR CUORE ワイン会 2010.8.21 南仏ワイン

以前にも紹介したことのある、新宿のBAR CUORE(バー・クオーレ)で開催された、ワインパーティー&セミナーに参加しました。

8回目となる今回のテーマは南フランスのワイン。講師は前会同様、長崎朱里さん。 Cuore10821003
元々南仏のワインは、ボルドーやブルゴーニュなどの著名な産地のものに対して、フランス国内で消費される廉価なテーブルワインが主流でした。
しかし、近年は世界的評価も高まり、日本でも良質のものが多く飲めるようになりました。
地中海に面した温暖な地で育った葡萄から作られる、豊かな香り・果実味が特徴です。

今回は白1種類と赤2種類、マリアージュのフードも珍しいものが多くなかなか凝っていたので、合わせて紹介します。

Cuore10821007白ワイン カザル・ヴィエル・キュヴェ・フィネス
      産地 ラングドック・ルーション  品種 ソーヴィニヨン・ブラン他
料理 ヴィシソワーズ

ラングドック・ルーションは南仏の著名なワイン産地。日本でも多く飲めます。
ヴィシソワーズは冷製ポロネギ風味のジャガイモのポタージュ。


Cuore10821014赤ワイン シャトー・ブスカッセ ドメーヌ・アラン・ブリュモン2006
             産地 南西地方マディラン地区 品種 タナ カベルネ・ソーヴィニヨン他
料理 自家製タプナード

タナとはマディランの土着品種のブドウ。その名の通りタンニンの強さが特徴です。
タプナードは珍しいと思いますが、プロヴァンスの料理で黒オリーブ、アンチョビ等を使ったペースト。オリーブの香りが良かったです。


Cuore10821017

赤ワイン デュポン・ファン カベルネ・ソーヴィニヨン
          産地 ラングドック・ルーション  品種 カベルネ・ソーヴィニヨン
料理 レンズ豆のカスレ風

カベルネ・ソーヴィニヨンはボルドーワインの主要品種で、重さや渋みが特徴ですが、南仏産のこのワインはそれと比べて、豊かな果実味・甘みが感じられました。
カスレは豆のシチュー。その名の由来となったカソールと呼ばれる深い土鍋で作ります。


さて、次回はイタリアワインの予定だそうです。
BAR CUOREのサイト

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